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2017/09/10

民法731条改正、737条及び757条の廃止に強く反対し、修正案を提案する

国会議員へ

 

 

民法731条改正、737条及び757条の廃止に強く反対し、修正案を提案する

 

 川西 正彦

(東京都水道局勤務57歳)

 

 成人年齢18歳引下げに伴う関連法案として、政府は民法731条を改正するとし、1996年法制審議会答申「民法改正案要綱」のとおり法定婚姻適齢を現行の男18歳・女16歳から男女とも18歳として新成人年齢と一致させる。また未成年者の婚姻の父母の同意(737条)と、未成年者の婚姻による成人擬制(753条)を廃止する方針であるが、強く異を唱え反対する。

 私の修正案は、当事者の一方が18歳以上であれば、他方は18歳未満16歳以上で結婚できるように修正し、737条と753条も維持することを提案するものである。

 本音を言えば法改正それ自体反対である、しかし、男女別の取扱いの差異に固執するのは得策でないと考え、取扱いの差異をなくして平等を達成しつつ、古より婚姻に相応しい年齢とされてきた16歳・17歳女子の婚姻資格剥奪を避ける修正案を提案するものである。

 結婚し家庭を築き子供を育てる権利、婚姻の自由は、憲法二四条や一三条と密接な関連のある法的利益であり、安易に剥奪されるべきものではない。

 外国の立法例では、イングランドやアメリカ合衆国の3233州、カナダの主要州が男女とも親の同意要件のもとで婚姻適齢を16歳と定めている。合衆国においても我が国の成年擬制と同様の未成年解放制度があるので婚姻適齢は男女共16歳でもよいと思うが、成年擬制との関連で反対論がより少ないと想定する、男女を問わず当事者の一方が新成人年齢の18歳なら、他方は16歳の結婚を認め、従前の1617歳女子の婚姻資格を喪失させない2016年までのドイツの法制を修正案のモデルとして採用した。

 

 

 

 

川西正彦の修正案

 

民法731条修正案

 

 婚姻するには当事者の一方が十六歳に達し、他方が十八歳に達していることを要する。

 

(男女取扱いの差異をなくしたうえ、1617歳女子の婚姻資格をはく奪する蛮行を避ける無難な法案である)

 

 

737条(廃止せず維持)

 

 未成年の子が婚姻をするには、父母の同意を得なければならない。

 父母の一方が同意しないときは、他の一方の同意だけで足りる。父母の一方が知れないとき、死亡したとき、又はその意思を表示することができないときも、同様とする

修正案提案理由の詳細は、特設サイト(姉妹ブログ)を開設しましたので、そちらをご覧ください。

川西正彦のこれが正論だ 民法731条改正、737条及び757条の廃止に強く反対し、修正案を提案する

 

 

2017/08/30

都民ファースト・公明党の「子どもを受動喫煙から守る条例」案に強く反対

喫煙する親=児童虐待者と決めつけ新たに社会の敵をつくるような小池都民ファーストの政策は、糾弾されるべきだ。子供の権利の政治利用に反対する。
 
1. 親の監護教育権への干渉に反対する
 
 子供の幸福を願うのは第一に親であって、どのような環境で育てるかは親の監護教育権の範疇であり、政府や自治体が干渉するのが間違いである。私は狭い家で父も祖母も喫煙する家庭で育ったが、タバコを買いに行ってヘビースモーカーの祖母に喜ばれたことはあれ、健康を害したという覚えはない。喫煙の健康への影響は教育だけで十分であり、仮にそれによって健康を害したとしても父や祖母を恨むことはない。努力義務で罰則がなくとも、親の監護教育権、家庭というもっとも安心できる場所、私的空間・プライバシーの領域を規制するのは、行き過ぎた。
 受動喫煙がどの程度の問題か医学的なことは知らないが、少なくとも、当事者である子供の福祉のために絶対避けなければならないというものではないし、当事者である子供にとってとりかえしのない負担を課すものではないのであるから、子供の健康を守るという口実よりも親の監護教員権や私的自治のほうが重要な価値であり、政府・自治体の干渉はやりすぎで私はそれゆえに条例に強く反対する。
 
 
2. 家庭の私的自治への干渉に反対する
 
 近代市民社会の基本原則、契約の自由、私的自治、自己責任である。嗜好品としての酒やたばこをどうたしなむかは、家庭の私的自治の領域であって、家庭という私的空間に官憲が踏み込んでくるようなことは行き過ぎて、プライバシーの侵害ともいえる。努力義務といっても努力していない家庭は攻撃の標的となる恐ろしい社会になるのではないか。
 特にマイカーでの喫煙は、外から見られるので官憲が踏みこみやすく、単に嗜好品をたしなんでいるだけで、他人から今後告発され子供の虐待者とラベリングされる、そのようなリンチをする社会は恐ろしいと思う。
 タバコは中毒になるので、そう簡単にやめられない人も多く、喫煙場所が限られているからつい車内で吸ってしまうことは当然あることで車内での禁止規定は行き過ぎた。
 
 
3.結婚し家庭を築く権利の侵害になる
 
 結婚し家庭を築き子供を育てることは憲法13条の幸福追求権や24条1項の婚姻の自由という法益にかかわる国民の重要な権利であるが、このような条例が制定されることによって、結婚生活のために禁煙を強要される懸念がある。結婚とは相互扶助の共同体を形成することで、力づけ、感謝し合う、それは結婚以外に得難いものなのだ。結婚相手と喜びと苦労を分かち合うことにより、喜びは倍増し生活の苦労は軽減され、人生に困難があっても乗り越えられる。しかし喫煙者であるために結婚を断念するか、東京都のような条例のない他県に引っ越さざるを得なくなるのは大きな負担だ。
 昭和時代より住宅事情がよくなったとはいえ、大きな家に住める人は子供と別の部屋で喫煙すればよいが、1間や2間の家庭なら子供のために禁煙を強要されることになるし、所得の低い人への差別を生む。
 また喫煙習慣のある祖父母に子供をも預けられなくなるし、喫煙者のいる老父母のいる三世代家族では、老父母を追い出さなければならないのは悲劇である。父母や祖父母が子供や孫と暮らす権利という幸福追求の核心的権利の否定になると思う。
 喫煙している親は、歩く児童虐待者とラベリングして社会の敵にしようとする、このような嫌煙ファッショのような条例は理念からして間違っていると考えるものである。

2017/08/13

民法731条改正、737条及び757条の廃止に反対し、修正案を提案する

 成人年齢を18歳に引下げに伴う関連法案として、政府は民法731条を改正するにあたり、1996年法制審議会答申の案を採用し、法定婚姻適齢を現行の男18歳・女16歳から男女とも18歳とする。また新成人年齢と婚姻適齢を一致させるため、未成年者の婚姻の父母の同意(737条)と、未成年者の婚姻による成人擬制(753条)を廃止する方針であること報道されているとおりであるが、
 私は強く反対であり、男女とも配偶者が18歳以上で親の同意があれば18歳未満16歳以上で結婚できるようにするよう修正し、737条と753条も維持することを提案するものである。
 本音は法改正それ自体反対であるが、男女別の取り扱いの差異に固執するのは得策でないと考え、形式的に男女取り扱いの差異をなくし、平等な法案としつつ、古くから婚姻に相応しい年齢とされてきた16歳・17歳女子の婚姻資格剥奪を避ける修正案を提案する。結婚し家庭を築き子供を育てる権利は、憲法二四条や一三条と密接な関連のある法的利益であり、安易にはく奪すべきものではない。彼女らの婚姻の自由の抑制、幸福追求権の否定について異を唱えるものである。イングランドやアメリカ合衆国の32~33州、カナダの主要州が男女とも婚姻適齢を16歳と定めているが、成年擬制の問題があるため、男女共16歳では反対が多いと判断し、当事者の一方が18歳なら、他方は16歳の結婚を認め、従前の16・17歳女子の婚姻資格を喪失させない2016年までのドイツの法制をモデルとして採用した。
 
川西正彦の提案
 
731条修正案
 婚姻するには当事者の一方が十六歳に達し、他方が十八歳に達していることを要する。
 

(男女取り扱いの差異をなくしたうえ、16・17歳女子の婚姻資格をはく奪する蛮行を避ける無難な法案である)
 
737条(廃止せず維持)
未成年の子が婚姻をするには、父母の同意を得なければならない。
父母の一方が同意しないときは、他の一方の同意だけで足りる。父母の一方が知れないとき、死亡したとき、又はその意思を表示することができないときも、同様とする

753条(廃止せず維持)
 未成年者が婚姻をしたときは、これによって成年に達したものとみなす。
 
 修正案を提案する要旨
1. 婚姻適齢を18歳の成人年齢に一致させることが世界的趨勢であるとはいえない。1996年法制審議会答申が18歳が世界的趨勢と言っているが全く虚偽であり、国会と国民をだましている。だまし討ちのような法案に賛成できない。
 〇イングランド 婚姻適齢は男女とも16歳で、未成年は親の同意を要する
 〇スコットランド 婚姻適齢は男女とも16歳で、親の同意要件はない
 〇アメリカ合衆国
 32~33州が16歳を親の同意要件だけで婚姻適齢としている。その他の州でも17歳を婚姻適齢とする州が若干あるが(ニューヨーク・ネブラスカ)16歳は大多数の州で親・保護者の同意要件だけで、あるいは裁判所の承認があれば結婚可能な年齢である。マサチューセッツ州男14歳女12歳、ニューハンプシャー州男14歳女13歳のようにコモン・ロー水準を維持している州もある。また27州が裁判所の承認等によって年齢制限なしに婚姻可能である。
 なお、アメリカ合衆国の各州においても我が国の民法753条(成年擬制)と似た未成年解放制度がある。婚姻、妊娠、親となること、親と別居し自活していること、軍隊への従事等を理由として原則として成年として扱う。(原則としてというのは刑法上の成年とはみなさないこと、選挙権、アルコール、タバコ、小火器の所持、その他健康・安全に関する規則では成年とみなされないという意味)[永水2017]。
 〇カナダ 主要州の婚姻適齢は男女とも16歳で、未成年者は親の同意を要する
 アメリカ合衆国で16歳を婚姻適齢の基準として、16歳未満でも27州が年齢制限なしに婚姻可能としているのは、米国には私法の統一運動があり1970年代の統一州法委員会(各州の知事の任命した代表者で構成される)の以下に引用する統一婚姻・離婚法モデル案に従った州が多かったためであり、これが婚姻適齢の標準モデルとなっているからである。
 1970年公表統一婚姻・離婚法(案)は次のとおりである。[村井衡平1974]
203条
1 婚姻すべき当事者は、婚姻許可証が効力を生じるとき、18歳に達していること。または16歳に達し、両親・後見人もしくは裁判上の承認(205条1項a)を得ていること。または16歳未満のとき、双方とも、両親もしくは後見人または裁判上の承認(205条2項a)を得ていること‥‥
 この案は、アメリカ法曹協会家族法部会が関与しており、アメリカの法律家の標準的な考え方を示したものといいうる。
 婚姻年齢を制限しない考え方は、たぶん連邦最高裁の Loving v. Virginia, 388 U.S. 1 (1967)ウォーレン法廷意見が「結婚の自由は、自由な人間が秩序だって幸福を追求するのに不可欠で重要な個人の権利の一つとして、長らく認められてきた。結婚は『人間の基礎的な市民的権利』の一つである。まさに我々の存立と存続にとって基本的なものである」と宣言したうえ「結婚への権利を直接的かつ実質的に妨げる場合」厳格な審査テスト、もしくは厳格な合理性のテストの対象となる[米沢広一1989]と判示したことと関連している。
 しかしより本質的にいえば、英米の法文化で「婚姻は、自由でなければならぬ」Matrimonia debent esse libera(Marriages ought to be free)という法諺があり[守屋善輝1973 356頁]フリート結婚婚やグレトナ・グリーン結婚のような、自由な結婚を民衆が求めた歴史的脈絡からも理解すべきである。。
 英米法制史では、イングランドでは1753年まで有効な法だったコモンロー・マリッジが中世教会婚姻法と全く同じ理念にもとづいており、カノン法はの早熟は年齢を補うという趣旨で、ローマ法の婚姻適齢男14歳女12歳をさらに緩めたのであって、古典カノン法の合意主義婚姻理論は相互的な現在形の婚姻誓約で婚姻は成立し、合衾により完成婚となり婚姻不解消の絆となるというものだが、合衾が婚姻適齢未満であっても有効な婚姻であることは12世紀の教皇アレクサンデル3世の教令により明確な根拠のあるものであった。  
 カノン法は性交不能を婚姻障碍としており。性交可能な身体的心理的な成熟をもって婚姻適齢としているので、実質婚姻適齢の制限のない法制といえる。そうした文明史的脈絡も背景にあると理解すべきである。
 
 
 このように英米などで16歳を婚姻適齢の基準とし、アメリカではそれが標準的なモデルとなっていることから、18歳に引き上げることが世界的趨勢とはいえないのである。
.(予想される当局側の反論に対する反論)

 以上の私の主張に対して、当局が言いそうな反論を想定すると、2008年フランスがそれまでの男18歳・女17歳婚姻適齢15歳であったのを男女とも18歳としていること。2017年ドイツは東西統合以来、婚姻適齢を男女とも18歳を原則としつつも、配偶者の一方が18歳以上ならば16歳以上で婚姻可能としていたものを、男女とも18歳とすることで閣議決定したとの報道があることから、フランスやドイツの動向に我が国も追随すべきだというに違いない。
 これについては私は次のように反論する。
 フランスが未成年者の婚姻を否定した主たる理由は、北アフリカ・中東のイスラム圏移民が増加し、親決めの強制結婚が非難によるものである。ドイツも同様にイスラム圏移民の強制結婚に対する非難である。
 当事者との同意を基本とする法文化は、ローマ法にはじまり、特に教会婚姻法が、親の同意要件を一貫して否定したことにより、ラテン=キリスト教世界で定着した法文化であってイスラム圏は異なることから摩擦を起こしたものとみてよいだろう。我が国ではイスラム圏の移民は少数で、未成年者の結婚が社会問題ともなっていないし、我が国では未成年者の婚姻はたいていの場合は当事者の合意が先行し親や追認するケースと考えられるので、仏独の事情とは異なるから追随する理由はない。
 また、ごく最近のことだが2017年6月にニューヨーク州が従来14歳以上で結婚できる法制だったものを、婚姻適齢を17歳以上と改正した事実がある。
 近年、発展途上国に広範にみられる親の強制による児童婚撲滅を主張する人権団体の活動が目立っているが、ニューヨークでもヒューマンライツウォッチという児童婚に反対する団体が、14歳で結婚できるニューヨーク州法を敵視し、民主党州議会議員に働きかけ、クォモ知事も賛同したため法改正がなされてしまった。人権団体の言いなりになった感がある。
 しかし米国では先に述べたように結婚は『人間の基礎的な市民的権利』の一つとされていることから、結婚を妨げることが子供や女性の人権だという主張は主流の考え方とはいいがたい。
 年少者の結婚を敵視するヒューマンライツウォッチが天下を取っているのでもないのに、政治が人権団体の主張に踊らされてる傾向はとてもよくない情勢といえる。
 しかし、一方で男14歳、女13歳と婚姻適齢の低いニューハンプシャーは2017年3月に婚姻適齢引上げ法案を州議会が否決している。したがってニューヨーク州の法改正をとらえてそれがトレンドだとはいえないということを国会議員の先生方にご理解いただきたいと思う。
 私の主張は、結婚し家庭を築き子供を育てる権利は、判例で確立しているわけではないが幸福追求に不可欠な基本的権利ともいえるもので、古くから性的に成熟し婚姻するに相応しい年齢であった16・17歳女子の婚姻資格はく奪は憲法二四条や一三条と密接な関連のある法的利益の重大な侵害というものである。未成年者だからといって当事者の最善の利益に反することが証明されることもないのに安易に権利をはく奪することは許されないとする考えである。
 児童婚撲滅論者の主張は、早婚は女性に貧困をもたらし、性病に罹患したり、夫から暴力を受けたり、高校中退の可能性を高くしし当事者の福祉に反するものと決めつけたうえで、各国政府は早婚を規制すべき法を定めるべきというものであるから、結婚を妨げることが人権擁護という主張である。親の強制結婚を非難するが、後述のとおり当事者の合意を基本とするのはローマ法、とりわけ教会婚姻法の理念で、西洋文明における理念である。そうでない文化的背景の地域については、文化相対主義の見地から、それが是正されるべき慣習などというのはあつかましいことであって、同意できない。180度異なる考えである故、イデオロギー上の敵である。
 法務省は今後こうした団体からの突き上げがないよう、この際未成年者の権利をすべてはく奪しておきたいのかもしれないが、圧力団体のクレームが面倒だから、法改正をして権利を取り上げるというのは立法目的としては正当なものとはいえない。
 
 
2. 1996法制審議会答申の「社会生活が複雑化・高度化した現時点でみれば、婚姻適齢は、男女の社会的・経済的成熟度に重きを置いて定めるのが相当」という法改正趣旨、婚姻の自由の抑制理由は不当なものである。
(1)そもそも正当な立法目的とはいえないし、実質的関連もない
 我が国の婚姻適齢法制は 養老令戸令聴婚嫁条男15歳女13歳(唐永徽令の継受)、明治初期は婚姻適齢の成文法はなく、改定律例第260条「十二年以下ノ幼女ヲ姦スモノハ和ト雖モ強ト同ク論スル」により、12歳以下との同意性交を違法としていたことから、内務省では12年を婚嫁の境界を分かつ解釈としていた。[小木新造1979]
 明治民法(明治31年1898施行)は婚姻適齢男子17歳、女子15歳と定めた。女子15歳は医学上の見地で、母胎の健康保持のためであった。戦後民法の男子18歳、女子16歳はアメリカで多くの州がこの婚姻適齢であったためである。
 民間の慣習からみても16・17歳女子は古くより婚姻するにふさわしい年齢であった。
 16・17歳女子は社会的・経済的に未熟な段階とし、当該年齢での婚姻が当事者の福祉に反するという決めつけは根拠薄弱であり、、16・17歳という社会的地位(義務教育修了)・稼得能力(就労できる年齢である)では社会的・経済成熟に達しておらず婚姻適応能がないということはできない。
 実際16・17歳での結婚は1990年代で年間約3000人、近年では2015年に1357人に減少したとはいえ、彼女らに婚姻適応能力がなかったという立証は不可能である。1998年にタレントの三船美佳が40歳の高橋ジョージと結婚し、鴛鴦夫婦として有名になった。2015年に離婚したが、仮に18歳で結婚したとしても同じことであり、16歳の三船美佳に婚姻適応能力がなかった、あるいは当事者の福祉に反する結婚だったと断定する根拠は何もないのである。
 私の考えでは、16歳・17歳女子の婚姻資格はく奪は、18歳では婚姻資格があるが、16・17歳は婚姻資格を喪失するという年齢差別の問題として憲法13条の幸福追求権、人格的利益、14条1項の法の下の平等、24条1項の両性の合意のみに基いて婚姻が成立し、法律は個人の尊厳に立脚して制定されなければならないとする趣旨の憲法適合性にいずれも反していると判断する。
 「婚姻をする自由」については近年注目された再婚禁止期間違憲訴訟大法廷判決・最大判平27・12・16民集69-8-2427が14条1項と24条1項についての次のような違憲判断基準を判示しているが、待婚を強いるという点で類似した事案ともいえる。。
「憲法14条1項は,法の下の平等を定めており,この規定が,事柄の性質に応じた合理的な根拠に基づくものでない限り,法的な差別的取扱いを禁止する趣旨のものであると解すべきことは,当裁判所の判例とするところである(引用-略)‥‥‥このような区別をすることが事柄の性質に応じた合理的な根拠に基づくものと認められない場合には,本件規定は憲法14条1項に違反することになると解するのが相当である。(中略)婚姻をするについての自由は,憲法24条1項の規定の趣旨に照らし,十分尊重に値するものと解することができる。 そうすると,婚姻制度に関わる立法として,婚姻に対する直接的な制約を課すことが内容となっている本件規定については,その合理的な根拠の有無について以上のような事柄の性質を十分考慮に入れた上で検討をすることが必要である」
 本件は憲法14条1項の違憲審査基準の合理的関連性のテストという緩い審査基準を採用しながら6か月の禁止期間が、父性の推定の重複を回避するという立法目的と合理的関連性がないとして違憲と判断されたものである。
 ただ、婚姻の自由の趣旨も一応重視されている。千葉勝美元最高裁判事の著書[2017 105頁]によれば「婚姻について制約を設けることは、自由な婚姻に関する無利益(それが憲法上の基本的人権とはいえなくても、憲法二四条や一三条と密接な関連のある法的利益であろう)を制限するものであることは間違いなく、制約が過度なものである場合には、憲法適合性が問題になる」と解説している。
 実質、緩い合理的関連性のテストというよりは、正当な立法目的と実質的関連性を求める中間審査基準に近い判断のようにも思える。
 再婚禁止期間の問題と異なるのは、それは父性の推定の重複を回避するという正当な立法目的があったが、16・17歳女子婚姻資格はく奪は、そもそも立法目的が正当かそれ自体が疑問なのである。
 成人年齢を18歳に下げるにあたって、婚姻年齢を一致させるというのは、たんに便宜になるので正当な立法目的とはいえない。成年擬制制度は不要であるというのも、米国45州に未成年者解放制度という、成年擬制制度が維持されているので論理性がない。
 そうすると1996年答申の「社会生活が複雑化・高度化した現時点でみれば、婚姻適齢は、男女の社会的・経済的成熟度に重きを置いて定めるのが相当」という立法趣旨になるが、社会生活が複雑・高度化云々は具体的に何を指しているのか不確定である。このような漠然不明確な理由で憲法二四条や一三条と密接な関連のある法的利益がはく奪されてよいのかという疑問をもつものである。
 16・17歳女子は労働法で就労が禁止されているわけでなく、稼得能力はあり、婚姻生活が可能であることは、現実に年間1300~1400組程度の婚姻がある事実で明らかである。こうしたカップルが社会生活の複雑・高度化に対応できず難儀しているという話はきいたことがない。
 仮に16・17歳は経済的能力に欠くという見解に同調するとしても、結婚は相互扶助共同体なので、分業により配偶者の一方に稼得能力、経済力があれば婚姻生活は維持できる性質のものである。また当事者の経済的能力が乏しくても、実家の支援で補うことのできる性質のものでもある。
 従って、経済的成熟度に重きを置くという立法趣旨と、たからといって16・17歳の婚姻資格をはく奪しなけれはばならないということの実質的関連性はないというべきである。
(この趣旨からも私は法的な男女取り扱いの平等を達成しつつ、配偶者の一方が成人であれば16・17歳で結婚可能とする修正案を提案した。憲法二四条や一三条と密接な関連のある法的利益を喪失しないかたちでのより無難な修正案である。)
 
 この点、表向きには表明されていないが隠れた立法趣旨として、男女とも18歳に揃える趣旨は、結局男子の婚姻適齢を引き下げて
も、16・17歳で結婚するのは女子であり、それは夫の稼得能力に経済的に依存したものとなり、男女役割分担の定型概念を助長するので、16・17歳の婚姻資格をはく奪するという趣旨を看取できるが、ジャンダー論やマルクス主義フェミニズムといった特定のイデオロギーに沿った婚姻政策だといえる。
 しかし婚姻生活における夫婦の性的分業は私的自治によるべきものであって、政府が干渉すへき事柄ではない。伝統的な性的分業の夫婦であれ、共稼ぎで夫が育児休業を取る現代的な夫婦であれ、結婚それ自体は区別されることなく尊重されるべき性質のものであり、特定のイデオロギー的立場からの婚姻生活の在り方についての政府による干渉や統制は、私的自治を否定する全体主義的政策であって、そのような隠れた立法目的は、我が国のような自由主義国家においては正当なものとはいえない。 
 
(2)法が社会的・経済的成熟を理由に婚姻の自由を抑制するのは不当な差別を生む
 
 「社会的・経済的成熟」の要求が一見もっともらしくみえるのは、世間一般の慣行において、結婚するにあたって当事者の経済力・稼得能力を重視するのは普通のことだからである。
 近年歴史民勢学がさかんになり、西欧は前近代から晩婚で生涯未婚者の多い社会であったことがわかっている。「ヨーロッパ型結婚パターン」では 女性が平均で20代半ばで初めて結婚し、性的成熟から結婚までの10年間は奉公人として働いて結婚の準備をした。
 一般論として旧ヨーロッパ社会では、土地や家を持つことのできる人だけが家族を持つことができた。つまり貴族・市民・農民は結婚できたが、手工業職人や下男などは結婚は困難だった。[ミッテラウアー,ミヒャエル、 ジーダー,ラインハルト1993 10頁]16世紀末から18世紀末にかけてのイギリスの村落のサンプルでは20~24歳の既婚者は男16%、女18%が既婚にすぎない。25~29歳でも46%と50%であった。むしろ近代産業革命により女性が工場労働に進出したことが持参金効果をもたらし初婚年齢を低くした。
 このように当事者の経済力を結婚の前提とするのは世俗のならわしとはいえ、しかしながら重要なことは西洋の法文化は結婚を社会的地位や経済力によって拘束する考え方を明確に否定するものだったということである。。
 世俗的慣行での現実的制約と、万人に適用される法の理念とは区別しなければならない。 
 「婚姻は、自由でなければならぬ」Matrimonia debent esse libera(Marriages ought to be free)の法諺がそうである。
 これはローマ法の無方式合意主義諾成婚姻理論に由来するが、中世教会婚姻法が継受しその理念は一層明確になった。婚姻は教会裁判所の管轄権であったから古典カノン法は西方の普遍的統一法であるが、婚姻の自由の理念そのものだったといえる。
 現在形の言葉による相互的婚姻誓約(証人は2人で俗人でよい)で容易に婚姻が成立し、合衾により完成婚となるが、挙式を要件とせず、親の同意要件も否定した。婚姻適齢はローマ法の男14歳・女12歳を継受したが教会法はさらに緩めた。教皇アレクサンデル3世(位1159-1181)の教令は婚姻適齢前であっても合衾により完成婚となり婚姻不解消となるとしたため、早熟は年齢を補うとして、婚姻適齢前の結婚を有効としているのである。カノン法は、人類史上類例のない婚姻の当事者による自己決定権を重視したもので、それゆえ「秘密婚」の温床となり結婚における社会的・経済的利害関係を捨象しているため、世俗権力と著しく対立したが教権は数世紀にわたって婚姻の自由のために抗争したのである。
 結婚は自由でなければならないというのは神学的根拠がある。
 結婚の目的として初期スコラ学者はコリント前書7:2,7:9(ふしだらな行為を避けるための結婚)を決定的に重視した。「もし自ら制すること能はずは婚姻すべし、婚姻するは胸の燃ゆるよりは勝ればなり」「淫欲の治療薬remedium concupiscentiae」と公式化された教説である。姦淫を避け放埓さを防止するため、人は妻を持ち、女は夫を持つべきだし、子どもを私生児にしないためにも結婚は自由で容易に成立するものでなければならないのである。
 また、結婚は花婿キリストと花嫁教会の一致を象徴するしるしとして秘跡とされ、夫婦愛や性交を神聖視する思想も現れたので、社会的・経済的条件で法的に結婚を制約することがあってはならないのである。
 教権は1563年のトレント公会議で、秘密婚に対する非難をかわすため、婚姻予告と教会挙式を婚姻の要件と定めたことから、婚姻の自由の理念は後退したといえるが、フランスからの親の同意要件の要求は断固拒否した。
 古典カノン法の理念は英国でもっとも色濃く継承された。宗教改革後も中世教会婚姻法が「古き婚姻約束の法」(コモン・ローマリッジ)として生ける法として継続し、イングランドでは1753年まで、スコットランドではそれ以降も有効な婚姻だったからである。
 民衆が「古き婚姻約束の法」を支持したのは、婚姻予告制度を嫌う人が多かったこと。身分差のある結婚や、親から反対されている駆け落ちでコモン・ローマリッジを利用したのである。18世紀後半から19世紀にかけてのグレトナ・グリーン結婚こそ古典カノン法そのものの結婚だった。純愛に燃える男女が四頭馬車を駈け、轟く胸を抑え、自由結婚の聖地スコットランドを目指したのは、婚姻風俗史におけるハイライトといえるだろう。
 近代においては婚姻法は還俗化されたため、未成年者の親の同意要件は通例となったが、それは教会法では無視された親権の確立であって、カノン法の影響は大きく当事者の合意を基本とする西洋の法文化は決定的なものとなったといえる。
 
(3)社会的・経済的成熟など無視して、たんに孤独からの救済、慰めと平穏を得るための結婚、社会的に承認された性欲充足の手段としての理由だけでも結婚には価値がある
 伝統的な結婚するための理由づけとしては、カトリック教会の教説を引用すると.トレント公会議後の公式教導権に基づく文書である「ローマ公教要理」Catechismus Romanusでは男女が一つに結びつかなければならない理由として第一の理由は、相互の扶助の場として夫婦の共同体への自然的欲求、第二の理由として子孫の繁殖への欲求、第三の理由として原罪に由来する情欲の緩和の手段を得るためである。[枝村茂1980]  また、1917年に公布されたカトリック教会法典は婚姻の第一目的を「子供の出産と育成」第二目的を「夫婦の相互扶助と情欲の鎮和」[枝村1980]と明文化されている。
 私は「ローマ公教要理」をそれなりに評価したい。相互の扶助の場として夫婦の共同体への自然的欲求という理由だけでも結婚してもよいし、淫欲の治療薬として社会的に承認された性的充足のためという理由だけでも結婚してよいというもので、婚姻の自由の理念は維持されている。
 社会的地位や経済的成熟は結婚の要件とはしていないのである。
 近代個人主義的友愛結婚の提唱者は清教徒のミルトンであるが、それは孤独からの救済、慰めと平穏を得るための結婚であり、結婚の目的が親族の利害でも、財産でもなく、世間体でもなく、個人の心理的充足を第一義とするものであり、それは現代人の多数が支持する結婚観である。
 以上のような西洋文明の法制史や結婚に関する教説を俯瞰するならば、「婚姻は、自由でなければならぬ」Matrimonia debent esse libera(Marriages ought to be free)という法諺は無視できず、婚姻法の立法(法改正)趣旨が、社会的・経済的成熟度を指標として、婚姻の自由を制約するというのは、非常に筋の悪い、国民の結婚という基本的権利、幸福追求権を蔑ろにしたものといえるのである。
 社会的地位や経済的能力がどうであれ、ミルトンのいうようにたんに慰めと平穏を得るための結婚であってもよいのである。それを否定するなら、国民の結婚の価値観に関する政府の不当な干渉となる。
 また一般論としていえば身体・精神が健常でないあるいは疾患のある人は、成人であっても経済的能力は劣る。しかし経済的成熟に達してないという理由で結婚する権利が否定されることはないのであるから、それを未成年者だけにあてはめるということは不当な差別を生み出すといえるだろう。
 
 私は新約聖書という明確な根拠のあるコリント前書7:2,7:9(ふしだらな行為を避けるための結婚)「淫欲の治療薬remedium concupiscentiae」同毒療法としての結婚の意義を強調したいのであるが、そういうとそれは古代教父、中世スコラ学者が強調した教説であって、現代的ではないと批判されるかもしれない。しかし次のように反論したい。 
 実はこの教説が恋愛の結実としての結婚を正当化し、個人主義的心理的充足を目的とする近代友愛結婚の思想的淵源であり、ミルトンも当然引用している箇所であり、現代に通じている。
 キリスト教から離れて、世俗的な意味で発達心理学的にみても「情欲の緩和」は結婚目的の一つとして肯定しうる。たとえば青年心理学者の次のような見解である。
「結婚は性欲を社会的承認のもとに充足できる点において意義がある。‥‥一般的には思春期を迎え、脳下垂体、副腎、生殖腺(睾丸、卵巣)からそれぞれのホルモンが分泌されるようになり、その結果性欲は生ずると考えられている。モル(Moll,A.)によれば、性衝動は生殖腺に根源をもつ放出衝動と接触衝動の2つの独立した要素から成り、この2つが結合して完全な性衝動になるという。エリス(Ellis,H .)は性的過程を充盈作用と放出作用の2局面をもった過程であるとして、この過程には循環的、呼吸的、運動筋肉的機能を伴い‥‥、休息観、解放感、満足感、安心感を伴い元気が倍加されるという。
 性欲が適度に充足されない時、不眠症、機能低下、興奮症、頭痛等の症状や漠然としたヒステリー及び神経症の徴候をもたらすことがあり、更にせっ盗、放火、強姦、殺人等犯罪をひきおこすこともあるといわれている。尚性的欲求不満には性差があり、男性は身体的な不満、即ち射精が意のままになされ得ないときに不満を感ずるのであり、女性には感情的な不満、即ち愛情の損失や失望による不満が多い。故に男性は性交によらなくても自慰によって不満を解消できるが、女性は対人関係によるのであり自分には容易に解決できない場合が多い。そして以上のような性的不満を合理的に解決する方法は性的に夫婦が適合した結婚をすることである。しかし性的適合性には身体的心理的要素が複雑にかかわりあって居り、夫婦の相互協力によりその達成は大体可能である‥‥‥」[泉ひさ1975]
  性行為の依存傾向、性的乱交傾向のある少女については、心理学的には性的同一性の形成過程として温かい目でみるべきであり、相手を独占できる結婚により情緒的に安定するなら、それは望ましいことである。 
  結婚は性欲を社会的承認のもとに充足できる点において意義があるとするならば、あるいは、相互の扶助の場として夫婦の共同体への自然的欲求を結婚の目的として重視するならば、社会的・経済的成熟が必要という漠然不明確な理由から、結婚が妨げられる理由はない。 
 「社会生活が複雑化・高度化した現時点でみれば、婚姻適齢は、男女の社会的・経済的成熟度に重きを置いて定めるのが相当」という婚姻資格はく奪理由は全く不当なものである。
  
(4)相互扶助共同体の形成の意義を軽視しすぎている
 
 法律婚の意義は配偶者の相続権(民法890条)や夫婦間の子が嫡出子となること(同法772条1項等)にとどまるものではない。相互扶助の共同体を形成する意義が大きいのである。
 民法では家庭は、相互に扶助協力義務を有する夫婦(民法752条)を中心として、未成年の子の監護養育(民法820条、877条1項)や、他の直系血族の第一次的扶養(民法877条1項)等が期待される親族共同生活の場として、法律上保護されるべき重要な社会的基礎を構成するものとされている。
 結婚し家庭を築き子どもを育てる権利が、憲法13条の幸福追求権、24条1項の趣旨から看取できる婚姻の自由に含まれるだろうという前提でいえば、16・17歳女子は古くより婚姻するにふさわしい適齢として認められ、1990年代には年間3千組の当事者が存在していた、近年では2015年には1357組まで減少したとはいえ決して無視してよい数ではないし、1357組の当事者に婚姻適応能力がなかった、あるいは当事者の福祉に反していたということを当局が立証することは不可能である。
 二人の仲が情緒的に依存する間柄であり、最も共感的な理解者が結婚したい相手であり、お互い励まし合い、感謝し合う仲であれば、結婚で得られるものは非常に大きく、人生の困難も乗り越えていくことができる。男女が相互扶助の共同体を得ることにより喜びは二倍に、苦労は半減するのである。慰めと平穏を得る相互扶助の共同体としての結婚生活の意義における人格的利益を否定することは不可能である。
 にもかかわらず、今回の法改正は当事者の幸福追求に不可欠な基本的権利たる結婚資格をはく奪するというのである。
 今回の法改正は、年間1300~1400組のカップルに寄り添うものでは全くなく、彼らの幸福追求権や人生の決断をうとんじ、軽蔑する態度に出たものであって、あくまでも政治というものは圧力団体のご意向に沿うものであって、日弁連女性委員会その他女性団体がかねてから主張しているとおり、16・17歳女子の婚姻資格をはく奪するのは当然である。また近年、世界的な児童婚撲滅運動が強くなっているので、突き上げを食わないためにもこのさい未成年者の婚姻をはく奪して、人権団体の主張にあわせるのは当然といわんばかりのものの上から目線の傲慢なものであって、民間の婚姻慣習、国民の権利よりも圧力団体を満足するための法改正目的になってしまっており非常の筋に悪い法改正といえるのである。
 結婚こそが女性の幸福ではなく、経済的自立や教育こそ重要であるというのは偏った思想であり、私は人権団体の主張に同意できない。そういう思想は、古典的一婦一婦制の止揚とか、個別家政の廃止、家族死滅論のようなマルクス主義に親和的な見解なのである。
  「婚姻とは病めるときも健やかなるときも共にあることであり、婚姻とは大義名分ではなく人生を豊かにする助けとなる結びつきである、政治的信念ではなく人生に調和をもたらすものである商業的・社会的事業ではなく二人の人間相互の忠誠である。婚姻は‥‥崇高な目的を有する結びつきである」  Griswold v. Connecticut, 381 U.S. 479 (1965)
 しかも結婚はタイミングが重要である。恋愛感情の絶頂のときにスムーズに結婚するのが、最も満足感が高いものとなる。待婚は愛の損失の契機ともなりうるため、待婚を強いるのは過酷といえる。
 
 
(5)「社会的・経済的成熟」を要求する真意はジェンダー論ないしマルクス主義フェミニズムの公定化である
 法改正案が「加計ありき」ならぬ「16歳・17歳女子婚姻資格はく奪ありき」となっているのは表向きの理由が「社会生活が複雑化・高度化した現時点でみれば、婚姻適齢は、男女の社会的・経済的成熟度に重きを置いて定めるのが相当」というものだが、底意とするところは、16歳・17歳で結婚する女子と、未成年者に求婚する男子に対する敵意である。結局それは男性の稼得能力に依存する結婚生活になりやすく、それは性的分業を固定化し、男女役割分担の定型概念を促進するからよくない結婚であるとするためである。若い女性にとって結婚を幸福とすべきでないという価値観をとっているからである。ジェンダー論に反し許されないというものだろう、そういう人たちの幸福追求権は、否定して、ジェンダー論ないしマルクス主義フェミニズムの公定イデオロギー化しようというものである。
 そして、旧ソ連や、旧東独と同じ、婚姻適齢を18歳とすることにより日本の社会主義化が促進するということである。
 法的平等以上に、特定のイデオロギーによる結婚観を立法目的とすべきではない。アメリカ合衆国の多くの州は婚姻適齢に男女平等になっているが、だからといってジェンダー論や唯物史観的家族史観を公定化しているわけではないのである。政府がジェンダー論の観点から政策を進めていることから、あたかも唯物論的家族史観のように、夫婦は伝統的性的分業が破棄されていくのが当然の進歩みたいに思っている人を多くみかけるがとんでもない。
 日本の「家」の構造(明治民法の「家」ではなく、1960年代のフィールドワークに基づく慣習としての「家」)を理論化しているのが厳密な定義で定評のある社会人類学の大御所清水昭俊[1970、1972、1973]である。。
 清水は日本の「家」において家長と主婦という地位は必須の構成であること。家長と主婦は必ず夫婦であること。次代の家長と主婦を確保することで永続が保障されると理論化している。
 日本の「家」は家長と主婦の性的分業を前提としているのであって、そうするとジェンダー論は日本的「家」の否定になる。
 清水昭俊は、さらに婚姻家族を定義して「これは家内的生活が主として夫婦間の性的分業によって営まれる家と定義され、核家族や‥‥拡大家族はこれに含まれる」[清水1987 97頁]としており、夫婦間の性的分業によって営まれない家内的生活は人類学的には婚姻家族とは定義されないのであるから、ジェンダー論は婚姻家族を否定する恐るべき思想であり、マルクス主義の家族死滅論に接近するものというべきである。
 婚姻家族を否認するイデオロギー的立場を法改正趣旨に看取できるのであって、この民法改正案には反対せざるをえない。
 重ねて言うがたとえ、男性の稼得能力に経済的に依存する結婚生活であろうと、夫婦間の分業は当事者の私的自治の領域であるから、政府が干渉すべき事柄ではなく、最も共感的な理解者が結婚したい相手であり、お互い励まし合い、感謝し合う仲であれば、結婚で得られるものは大きく、人生の困難も乗り越えていくことができる。。慰めと平穏を得る相互扶助の共同体としての結婚生活の意義における人格的利益を否定することはできない以上、その結婚生活の主たる稼ぎ手が夫であったとしても、それを特定の思想的立場から敵視して、彼と彼女の幸福追求権を否定する理由にはならないのである。
 
 
  
(6)高校卒業程度の社会的・経済的成熟の要求という理由は論理性が全くない

 今回の改正は1996年法制審議会答申を下敷きとし、法改正理由として高校卒業程度の社会的・経済的成熟が結婚のために必要との観点を示していた。
 しかし、義務教育終了後、就職・職業訓練・奉公・修業・行儀見習い・結婚、何を選択しようとそれは本人の選択、親の身上統制権、監護教育権の領域の問題で、政府や他者が干渉するのは悪しきパターナリズムである。もちろん中卒で就労することは労働法でも規制していないから、中卒で稼得能力はある。仮に義務教育を終了しただけの社会的地位では、経済力が乏しいという主張を認めるとしても、結婚相手の経済力、実家の経済力で補うことができれば何の支障もない。
 囲碁棋士は井山裕太六冠をはじめとして一流棋士はほとんど中卒である。井山六冠は将棋の女流棋士と離婚したが中卒だから婚姻適応能力がなかったとはいえないだろう。
 いかに、政府や女性団体が16歳・17歳の結婚を嫌おうと、国民の幸福追求に不可欠な権利の剥奪を正当化するための当事者にとって結婚が最善の利益に役立ない、あるいは当事者の福祉に反すると立証することもしていないのに、権利はく奪を強行することは許されるべきではない。結婚という私的な事柄は、親も本人も結婚が望ましいと考えるなら結婚すべきであり、それは第三者や政府が社会的・経済的成熟に達していないと根拠もない勝手な理由で干渉すべきことがらではないし、我が国の結婚慣習も他人が干渉する性格のものではない。
 仮に、高校卒業が望ましいという価値観を受容れるとしても、高校は生徒の多様な実態に対応できるようになっており単位制高校など結婚と両立しうる履修の可能な高校もある。ちなみに16歳で結婚した三船美佳は横浜インターナショナルスクールを卒業している。高校教育の必要性という理由は全く論理性がない。
 
 この点については民法学者の滝沢聿代氏(元成城大学・法政大学教授)が的を得た批判をされているのでここに引用する。[滝沢聿代1994]
 「要綱試案の説明は、高校進学率の高まりを指摘し、婚姻年齢に高校教育終了程度の社会的、経済的成熟を要求することが適当であるとする。しかし、婚姻適齢の制度自体がそもそも少数者の例外的状況を念頭に置いた理念的内容のものである。高校を終了したら誰でも婚姻しようと考えるわけではない。他方、義務教育のみで学校教育を終える者は依然存在し、これらの者こそ婚姻適齢の規定が意味をもつ可能性は高い。加えて、高校進学率の高さの実態に含まれる病理に思いを至すならば、安易な現状肯定から導かれる改正案の裏付けの貧しさに不安を覚える‥‥。 高校教育修了程度の社会的、経済的成熟を要求するとはどのような意味であろうか。まさか義務教育を終了しただけの社会的地位、経済力では婚姻能力に疑問があるという趣旨ではなかろう」
 さらに滝沢氏は人口政策としても疑問を呈し、「一八歳未満に法的婚姻を全く否定する政策は、婚姻適齢を比較的高くし、一人っ子政策によって人口抑制を図る中国法(男二二歳、女二〇歳)のような方向に接近するものと理解しなければならない。それは明らかに婚姻の自由に対する抑制を意味する」と述べておられる。
 法制審議会の趣旨、義務教育を終了しただけの社会的地位、経済力では婚姻適応能力を否定する見解は根拠薄弱である。
  むしろ高校を中退せざるをえなかった、あるいは退学させられたといった立場の女子を救う手段としての結婚に切実な価値があるとみるべきではないだろうか。

3. 野田愛子氏(故人)の賢明な意見が不当にも無視された


 野田愛子氏(1924~2010)とは女性初の高等裁判所長官(札幌高裁)であり、中央更生保護審査会委員、家庭問題情報センター理事などを務めた。法制審議会のなかでは少数派であり、婚姻適齢改正に反対、16歳・17歳の婚姻資格のはく奪に反対されていて、下記の平成4年の講演は傾聴に値するものである。
「‥‥現行法どおりでいいのではないか。つまり、婚姻適齢は男女の生理的な成熟度にあった規定であるからそれでいいという考え方と、いや、男女とも高校教育が一般化した今日、教育的、社会的平等に合わせて、年齢を男女とも一八歳にするべきという考え方があります。一八歳にしますと、女子の場合は一八歳未満で事実上の関係ができて、妊娠するという問題がある。ここに何か手当てが要るというと、むしろ一六歳に揃えたらどうか、という考え方もあります。しかし一六歳に揃えますと、婚姻による成年(民法七五三条)の問題があります。一六歳で成年となっては法律行為等においても問題ではなかろうか。それぞれにメリット、デメリットがございます。
 そこで仮に一八歳に揃えた場合には、一六歳で結婚しようというときに婚姻年齢を下げて婚姻を許すような法律的な手立てが、どうしても必要になります。各国の法制を見ますと婚姻適齢を男女同年齢(一八歳以上)にした法制の下では、必ず要件補充の規程を設けて、裁判所が許可を与えるとか、行政機関が許可を与えるとか、そういうような条文を設けている国もございます。
 そうなりますと、婚姻の問題に国家の機関が介入するということも問題ではなかろうかという議論もでてまいります。家庭裁判所の立場からは、婚姻を認めるとか認めないとか、いったい何を基準に判断するのかというようなことも一つの疑問として提議されましょう。統計的に、一六、一七歳で婚姻する者は、約三〇〇〇件あるそうです。私の家庭裁判所判事当時の経験に照らすと、一六、一七歳の虞犯の女子が、よい相手に巡り合って、結婚させると落着く、という例も多く経験しています。あながち、男女平等論では片付かない問題のように思われます」〔野田愛子「法制審議会民法部会身分法小委員会における婚姻・離婚法改正の審議について(上)『戸籍時報』419 18頁〕
 最後の「虞犯女子」云々の発言は実務家の経験として貴重なものであると私は思う。90年代に16・17歳で結婚する女子は年間三千人いた。今日は当時より減っているが、それが千三百人であれ、永く認められていた権利の剥奪は慎重でなければならない。
 「虞犯女子」は社会的に恵まれていない社会階層といえる。夫婦の情緒的な依存関係、相手を共感的に理解し、力づけ、感謝し合う、それは結婚以外に得難いものなのだ。結婚相手と喜びと苦労を分かち合うことにより、喜びは倍増し生活の苦労は軽減され、困難があっても乗り越えられる。そのような人間学的考察からみても年少者であれ、否未成年者こそ結婚の価値は高いものであるといえよう。
 野田愛子氏のような実情に詳しい実務家のまともな意見が無視されている要因は、18歳に男女とも揃える改正は、古くから男女平等を主張してきた日弁連女性委員会、婦人団体の悲願であり、この圧力団体のメンツを潰すことはできないという事情によるものと推察する。そこで思考停止状況になっているためである。
 そもそも民法は社会変革のための道具ではない、特定の社会変革思想や特定社会階層の見解に偏った改革は好ましくない。ナポレオン民法はポティエによるフランスの慣習法の研究が基礎になっていたものであり、社会変革のためのものではなかったはずである。
 
4. 成人擬制を廃止し、婚姻適齢を成人年齢に一致させることの不合理
  ( 成人年齢で権利能力の付与を一元化する発想は極論である)
 今回の民法731条改正は、1996年法制審議会答申を下敷きにしているものの、ひとつ違うのは、当時は20歳成人年齢が前提だったが、今回は、成人年齢18歳引き下げに伴う法改正で、この際、成人年齢と婚姻適齢を一致させ、成年者の婚姻による成人擬制〈753条〉と未成年者の婚姻の父母の同意〈737条〉も廃止するというものである。
 成人年齢が18歳に引下げられる以上、18・19歳の同意要件は不要ということについてあえて異議を唱えないが、私の修正案は、男女を問わず配偶者が18歳以上なら、16歳以上で結婚可能とする案であり、形式的平等を達成しつつ、現行法制どおり、16・17歳女子も結婚を可能として婚姻資格剥奪という野蛮なことはせず、十分配慮のいきとどいたものにしようというものであり、成人擬制〈753条〉と未成年者の婚姻の父母の同意〈737条〉も廃止しないというものである。
 民法学者に多いのが、成人擬制と親権者の同意要件を廃止して、婚姻適齢を成人年齢と一致させるのがシンプルな法規定で合理的という見解であるが、私は大反対である。
 シンプルだからいいなどというのは暴論である。未成年者は、成人より広範な規制を受け、憲法上の権利も制約されるというのは一般論であるとしても、しかし成人年齢に基づく区分のみでは、未成年者の年齢差や個人差を考慮しえないし、年長の未成年者を子供扱いすることには問題がある。一定の未成年者は、一定の事項について成人と同等に扱うことも考慮されてしかるべきであるということは一般論として認められる議論であり、婚姻の権利については、個人の幸福追求に不可欠な意義を有するものであり、成年擬制制度もこれまで問題を生じることなくつづいてきたことであるから、なおさら重視されなければならない。以下、その理由を記す。
(1) 45州の成人年齢が18歳であるアメリカ合衆国にも婚姻による成年擬制制度がある
 アメリカでは1971年の憲法修正26条1項で「18歳以上の合衆国市民の投票権は、合衆国または州により、年齢を理由として剥奪、制約されない」と定められているが、成人年齢は統一化されていない。
 米国の成人年齢は45州が18歳、コロラド、ミネソタ、ミシシッピが21歳、アラバマ、ネブラスカが19歳である。コモンローの21歳を墨守している州もあり、選挙年齢と成人年齢が違っていても別によいわけである。
 もちろん婚姻適齢と選挙権は別の問題であり、すでに述べたように米国では16歳を婚姻適齢とする州が三分の二以上を占めるが、16歳未満でも裁判所の承認等により未成年者でも結婚は可能としている州が多い。
 米国の各州法では我が国の成年擬制と同じ未成年解放制度があるのである。婚姻、妊娠、親となること、親と別居し自活していること、軍隊への従事等を理由として原則として成年として扱うのである。(原則としてというのは刑法上の成年とはみなさないこと、選挙権、アルコール、タバコ、小火器の所持、その他健康・安全に関する規則では成年とみなされないという意味)。[永水2017]
 したがって、米国の立法例からみて成人年齢を18歳に下げても未成年者の婚姻による成年擬制があって当然よいのである。
?
(2)伝統的には成人年齢と成熟年齢を分けていた
 
 法制史的にみれば、西洋では成人年齢とは別に成熟年齢を設定している、教会法は成年期を満20歳と定められているが、これと別に成熟年齢があり男子14歳、女子12歳であり、未成熟者の7歳以下を幼児と区別するのである。婚姻適齢や証拠法上の証人は、成年より低い年齢を設定している。ローマ法も同様の規定である。
 
(3)未成年者でも16~17歳と16歳未満を区別する外国法の例
 
A スコットランド
 現代のスコットランド法では成熟年齢の男子14歳女子12歳未満をpupilといって法的能力は極めて限定されるが、それ以上成人の18歳に満たない範疇をminorといって16歳で何人の同意なしに婚姻できる重要な能力をもつというように、成人年齢で権利能力の付与を一元化するという発想をとってない。[平松・森本1991]
 スコットランド法の特徴は、16歳であらゆる契約締結能力をもたせており、12歳以上で遺言の作成、弁護士に代理を指示する能力を持つとする。スコットランドでは男女とも親の同意要件なく婚姻適齢であることはすでに述べたとおりである。
 これは婚姻に親の同意要件を認めない古典カノン法がが「古き婚姻約束の法」として近代まで生ける法だった伝統に由来するものと思われる。グレトナ・グリーン結婚の結婚風俗で知られるとおの婚姻の自由の聖地としての国の誇りを看取することができる。
   私はスコットランドの法制を特別支持するわけではないが、自由な結婚の理念を現代まで継承している点で特筆に値する。
 
 B イングランド(16歳未満がchildで16・17歳のyaungpersonと明らかに区別)
 イングランドにおいては同じ未成年であっても16歳未満がchildで16・17歳のyaung
personと区分された明確な線引きがあるのが特徴で、16歳以上はかなりの権利を有している。
 有効な意思確認は12歳以上、ヘッドギアなしの乗馬14歳以上、婚姻16歳以上(親の同意要)、スクーターの運転16歳以上、避妊ピルの購入16歳以上、宝くじの購入16歳以上、オートバイ、自動車の運転17歳以上、飲酒は購入が18歳以上だが、親の責任下で自宅での飲酒は16歳以上、喫煙も購入は18歳以上だが喫煙自体は16歳以上となっている。[田巻2017]
 なお、イングランドは義務教育が16歳までであるから、婚姻適齢と重なる。私は英国の制度が必ずしも良いとは思ってないが婚姻適齢に関する限り妥当であると考える。児童福祉法の定義で18歳未満はすべて子どもでなければならないというような、我が国にみられる考え方が杓子定規である。
(4)成人年齢でなにもかも区別するのは不合理
 米国には婚姻以外であっても成熟した未成年者の法理が、医療や証拠法などで一定年齢以上の未成年者に成人と同様の権利を付与しているケースが多くある
 我が国の伝統社会(中世以降の臈次成功制宮座)において座入り、烏帽子成、官途成、乙名成と、段階的な通過儀礼があって村人身分の標識となっていた。[薗部2010]、烏帽子成は元服に相当するが、本当の意味で村人として責任のある地位につくのは官途成と考えられる。人間は成長し段階的に大人としての権利と責任を負うようになるというのが普通の考え方である。したがって、成人年齢になにもかも一元化してしまうのは本来不合理なものである。
 なお、多くの人が誤解していることであるが。元服式とは、本質的には父の地位の継承者であることを明らかにする儀式であり、今日の成人とは違う。添(副)臥のような性行為がなされ、そのまま妻となることもあったが、平安中期以降、貴族の元服叙爵が低年齢化したことをもって成人年齢が引き下がったとみるべきではない。
 
 
 
(5)法律家だけでなく、発達心理学的見地、精神医学、人間学的洞察の必要性
 結婚の権利のはく奪という深刻な問題に際しては、法律家だけでなく発達心理学、精神医学、人間学的洞察にもとづく慎重な判断でなければならない。性欲も人間性の重要な一部分として認識するならば、思春期以降の女子の性的欲求を是認した議論でなければならない。女子は性的欲求において、愛情の損失や失望による不満が多い。故に男性は性交によらなくても自慰によって性的不満を解消できるが、女性は対人関係による。自分だけでは容易に解決できないのであり、性的欲求と愛情欲求を満足させるだけでなく生活の支えとなる若年者の結婚を否定すべきではない。
 繰り返すが今回の改正案は性的に早熟な女子に対する敵意が看取できるが、性的に乱交傾向のある少女は、性的同一性の発達課題からみるべきであって、相手を独占できる結婚は情緒的に安定するので、結婚という選択肢を否定するのは酷である。
 特に女子は妊娠するのである。この点について、婚姻適齢を引上げても非嫡出子の法定め相続の差別は廃止され婚外子となっても不利益はないから問題ないとの主張がある。しかし法律婚制度をとっている以上、嫡出子となるべき子供をみすみす婚外子にしてしまうという議論はおかしい。嫡出子でも婚外子でもどうでもよいという議論は、乱暴である。少なくとも当事者の利益に寄り添った見解とはいえない。
(6)18歳未満の第二級市民化のおそれ
 さらに18歳での一元化は、18歳未満の第二級市民化を促すとことが問題だ。18才未満は憲法上の権利を享受しえない、第二級国民に貶められる危険性である。すでに青少年保護育成の観点から18歳未満のJKビジネス就労規制、セクスティング規制の政策が打ち出されているが、これまでは婚姻適齢が16歳だったから通常の恋愛について政府の介入を防ぐことができても、婚姻適齢から外されることにより今後18歳未満ということで、死語となったはずの桃色遊戯として非行とされ、性行動の規制の口実として強化されることを強く懸念する。恐ろしい時代になりかねない。
 児童福祉法の定義に従って18未満は子供扱いし18歳以上は大人、未満は子供なので無権利でよいという極端な区分けの仕方に反対する。
 歴史的にみても16・17歳の女子は性的に成熟し婚姻にふさわしい年齢であったはずである。

2017/08/10

西村昭五郎監督といえば

 日活ロマンポルノの西村昭五郎監督の訃報に接して、自分がみた映画を思い出します。自分が見たのは1982年の連続暴行魔 白昼の淫夢とあんねの子守唄 くらいかな。連続暴行魔 白昼の淫夢 はポルノとして満足度が高く3回ぐらい見た。主演の水木薫の舞台挨拶を池袋で見た記憶がある。女優は快活で陽気にしゃべってましたが、来てるお客は暗かったですね。あんねの子守唄はトライアングルの小森みちこ主演でお盆シリーズだったと思う。季節としては今頃ですよ。

2017/08/06

民法731条改正案反対 要旨その1

要旨

 

 

一  男女とも18歳とする1996年法制審議会民法部会の答申の改正理由に全く論理性がない

 

 男女とも18歳とする案は、1996年の法制審議会民法部会の答申にもとづく。その理由の一つは、婚姻年齢を18歳以上とするのは世界的趨勢であるとしているが全く虚偽である。

 第二に婚姻資格者には高校修了程度の社会的・経済的成熟を要求すべきということを理由としているが、論理性は全くない。

 裏づけとなる理由が乏しいにもかかわらず権利剥奪を強行する理由は、これまで18歳引き上げを主張してきた日弁連女性委員会ほか女性団体のメンツをたてることだけでしかない。女性団体の主張が、国民の幸福追求権や婚姻の自由よりも重視されている法改正として糾弾に値する。

 

(一) 法制審議会答申のいう婚姻適齢 「18歳が世界的趨勢」というのは全くの偽情報であり、法制審議会は国会・国民をだました。

 

1.16歳を婚姻適齢としている英米等を無視している

 

 英国は男女とも16歳であり【イングランドは未成年者に親の同意要件があるが、スコットランドはなし】、アメリカ合衆国の3233州が男女とも16歳を婚姻適齢の基準として親や保護者の同意要件により婚姻適齢である。27州が婚姻適齢未満であっても裁判所の承認により特例としてあらゆる年齢が可能であるほか、17歳や18歳を基準としている州も若干あるが、その場合でも法定婚姻適齢未満でも裁判所の証人により認めることができる法制をとっている州が大多数である。カナダでも主要州が16歳を婚姻適齢としている。

 米国で男女とも16歳としている州が大多数である理由の第一は、米国には私法の統一運動があり1970年代に統一州法委員会(各州の知事の任命した代表者で構成される)の統一婚姻・離婚法モデル[村井衡平1974参照]が法定婚姻年齢を男女共16歳(18歳は親の同意を要しない法定年齢とし16歳未満であっても裁判所の承認により結婚を可能)とするモデル案を示していたため、多くの州がモデル案を採用したことによる。つまり16歳で親の同意があれば婚姻適齢とするのが推奨モデルなので、これが米国の標準的立法例なのである。

 

 2.統一婚姻・離婚法モデルの婚姻年齢を制限しない思想の淵源

 

 私は、米国の統一婚姻・離婚法の婚姻年齢を制限しない思想がより文明的で非常に優れていると思う。

 制限しない理由は婚姻適齢の引上げにともなう、婚姻資格の喪失が憲法問題となりうるということがある。

 Loving v. Virginia, 388 U.S. 1 (1967)でウォーレン長官による法廷意見は「結婚の自由は、自由な人間が秩序だって追求するのに不可欠で重要な個人の権利の一つとして、長らく認められてきた。結婚は『人間の基礎的な市民的権利』の一つである」とし、「結婚への権利を直接的かつ実質的に妨げる場合」厳格な審査テスト、もしくは厳格な合理性のテストの対象となるとしているためである[米沢広一1989参照]。 

 しかし、本質的には婚姻の自由という文明史的脈絡における理念の継承といえる。

 その思想的淵源は非常に古く「婚姻は、自由でなければならぬMatrimonia debent esse liberaMarriages ought to be free)」というローマ法の法諺による[守屋善輝1973 356頁]。ローマ法の無方式合意主義諾成婚姻理論は教会法(古典カノン法)が継受し、婚姻の自由は教会婚姻法の理念としてより鮮明となった。古典カノン法は親の同意要件を明確に否定するのみならず、挙式を要件としなかった。相互的な婚姻誓約に二人の俗人の証人さえいれば婚姻は容易に成立するものとした。

 結婚は自由でなければならないというのは神学的根拠がある。結婚の目的として初期スコラ学者はコリント前書7279(ふしだらな行為を避けるための結婚)を決定的に重視した。淫欲の治療薬remedium concupiscentiaeと公式化された教説である。姦淫を避け放埓さを防止するために、結婚は自由に容易に成立するものでなければならない。

 この教説は、神学を離れても、結婚が社会的に承認された性欲の充足の手段として、子供を私生児にしないためにも、姦淫・私通を減らして世に性倫理を確立するために結婚の自由の理念は文明的で妥当なものだったのである。のみならず、この教説は結婚を慰めと平穏を得るための個人主義的心理的充足を目的とする、近代個人主義友愛結婚の思想的淵源となり恋愛の結実としての結婚を許容しているという意味で、現代に通じている。

 カノン法は婚姻適齢についてローマ法の男14歳、女12歳を継受したが、さらに緩くした。早熟は年齢を補うとして、合衾可能な身体的・心理的成熟に達していれば婚姻適齢未満でも婚姻適齢としていた。男に処女を奪い取る能力があり、女が合衾に耐えられる大人っぽさがあればよいのである。教会婚姻法は性的不能が婚姻障碍とし、合意で婚姻が成立するものの、合衾によって完成婚とするので、実質婚姻年齢制限はないといってよい。

 、英国では、古典カノン法が、宗教改革後においても「古き婚姻約束の法」(コモンローマリッジ)として継続し近代まで生ける法であったことから、カノン法の婚姻の自由の理念を最も色濃く継承した地域なのであり、「結婚は自由でなければならない」という法諺は元はローマ法でも英米の法文化のそのものといえるのである。

 

 

 このように少なくとも英米で16歳が婚姻適齢とされており、米国では年齢制限のない州も多数ある。米国では日本の成年擬制に類似した未成年者解放制度がある。なにもかも成人年齢に一致させる考え方をとっていない以上、18歳の婚姻適齢を世界的趨勢とは全くいえない。

 

3.予想される当局側の反論に対する反論

 

 

 以上の私の主張に対して、当局が言いそうな反論を想定すると、2008年フランスがそれまでの男18歳・女17歳婚姻適齢15歳であったのを男女とも18歳としていること。2017年ドイツは東西統合以来、婚姻適齢を男女とも18歳を原則としつつも、配偶者の一方が18歳以上ならば16歳以上で婚姻可能としていたものを、男女とも18歳とすることで閣議決定したとの報道がある。

 フランスやドイツの動向に我が国も追随すべきだというに違いない。これについては次のように反論する。

 フランスが未成年者の婚姻ほを否定した主たる理由は、北アフリカ・中東のイスラム圏移民が増加し、親決めの強制結婚が非難によるものである。ドイツも同様にイスラム圏移民の強制結婚に対する非難である。

 当事者との同意を基本とする法文化は、ローマ法にはじまり、特に教会婚姻法が、親の同意要件を一貫して否定したことにより、ラテン=キリスト教世界で定着した法文化であってイスラム圏は異なることから摩擦を起こしたものとみてよいだろう。我が国ではイスラム圏の移民は少数で、未成年者の結婚が社会問題ともなっていないので、仏独に追随する理由はない。

 また、ごく最近のことだが20176月にニューヨーク州が従来14歳以上で結婚できる法制だったものを、婚姻適齢を17歳以上と改正した事実がある。

 近年、発展途上国に広範にみられる親の強制による児童婚は、子供の人権を否定していると主張する人権団体の活動が目立っているが、ニューヨークでもヒューマンライツウォッチという児童婚に反対する団体が、14歳で結婚できるニューヨーク州の法制を敵視し、民主党州議会議員に働きかけ、クォモ知事も賛同したためであるが、人権団体の言いなりになった感がある。

 しかし米国では先に述べたように結婚は『人間の基礎的な市民的権利』の一つとされていることから、結婚を妨げることが子供や女性の人権だという主張は主流の考え方とはいいがたい。

 一方で男14歳、女13歳と婚姻適齢の低いニューハンプシャーは20173月に婚姻適齢引上げ法案を州議会が否決している。したがってニューヨーク州の法改正をとらえてそれがトレンドだとはいえないということを国会議員の先生方にご理解いただきたいと思う。

 

 

(二)1617歳女子は社会的・経済的に未熟な段階とし、当該年齢での婚姻が当事者の福祉に反するという決めつけは根拠薄弱である

 

 1996法制審議会答申は「社会生活が複雑化・高度化した現時点でみれば、婚姻適齢は、男女の社会的・経済的成熟度に重きを置いて定めるのが相当と考えられ」とするが、それが高校卒業の18歳に求められ、1617歳女子に婚姻適応能力がないという説得力のある根拠はなにも示されていない。

 

1.相互扶助共同体の形成の意義を軽視しすぎである

 

 法律婚の意義は配偶者の相続権(民法890条)や夫婦間の子が嫡出子となること(同法772条1項等)にとどまるものではない。相互扶助の共同体を形成する意義が大きいのである。

  家庭は、相互に扶助協力義務を有する夫婦(民法752条)を中心として、未成年の子の監護養育(民法820条、877条1項)や、他の直系血族の第一次的扶養(民法877条1項)等が期待される親族共同生活の場として、法律上保護されるべき重要な社会的基礎を構成するものである。

 結婚し家庭を築き子どもを育てること権利が、憲法13条の幸福追求権、241項の趣旨から看取できる婚姻の自由に含まれるだろうという前提でいえば、古くより婚姻適齢として認められ、1990年代には年間3千組の当事者が存在していた、近年では2015年には1357組まで減少したとはいえ決して無視してよい数ではない。

 二人の仲が情緒的に依存する間柄であり、最も共感的な理解者が結婚したい相手であり、お互い励まし合い、感謝し合う仲であれば、結婚で得られるものは大きく、人生の困難も乗り越えていくことができる。男女が相互扶助の共同体を得ることにより喜びは二倍に、苦労は半減するのである。慰めと平穏を得る相互扶助の共同体としての結婚生活の意義における人格的利益を否定することはできない。。

 

 「婚姻とは病めるときも健やかなるときも共にあることであり、婚姻とは大義名分ではなく人生を豊かにする助けとなる結びつきである、政治的信念ではなく人生に調和をもたらすものである商業的・社会的事業ではなく二人の人間相互の忠誠である。婚姻は‥‥崇高な目的を有する結びつきである」 Griswold v. Connecticut, 381 U.S. 479 (1965)

 しかも結婚はタイミングが重要である。恋愛感情の絶頂のときにスムーズに結婚するのが、最も満足感が高いものとなる。待婚を強いるのは過酷といえる。もとより結婚によって社会的承認のもとに結婚相手を性的に独占し性欲を充足できる意義も大きい、女子は性的欲求において、愛情の損失や失望による不満が多い。故に男性は性交によらなくても自慰によって性的不満を解消できるが、女性は対人関係によるのであり自分には容易に解決できないのであり[泉ひさ1975]、性的欲求と愛情欲求を満足させるだけでなく生活の支えとなる若年者の結婚を否定すべきではない。く

 ちなみに1917年に公布された現行カトリック教会法典は婚姻の第一目的を「子供の出産と育成」第二目的を「夫婦の相互扶助と情欲の鎮和」[枝村1980]と明文化しているが、トマス・アクィナスの教説を下敷きにしているものとみられる。16世紀トリエント公会議の「ローマ公教要理」Catechismus Romanusは男と女がと一つに結ばれなければならない理由の第一の理由は「相互扶助の場としての夫婦の共同体への自然的欲求」である。第二の理由は「子孫の繁殖への欲求」、第三の理由が初期スコラ学者が強調した「原罪に由来する情欲緩和の手段」であり、婚姻締結のためにはすべての理由は要求されず、以上の一つの理由があれば十分としている。相互扶助を重視する神学者としては19世紀前半ドイツのカルル・ウェルテルが「キリスト教倫理体系のなかで、婚姻の目的を「夫婦間の相互の献身とすべての生活善」の共有としている[枝村茂198。]ように、教会においてもちなみに結婚における、相互扶助共同体の形成の意義は強調されているのである。

 

2.「婚姻は、自由でなければならぬ」Matrimonia debent esse liberaMarriages ought to be free)という法諺は否定すべきでない

 

 ローマ法、教会法、コモン・ローの婚姻適齢は男14歳・女12歳であり(20世紀の教会法新成文法典は男16歳、女14歳たが、ここでは議論から外す)唐永徽令、日本養老令は男15歳、女13歳であるが数え年なので、実質ローマ法と同じことである。なお、我が国では明治民法(明治31年、1898年施行)が定婚姻適齢男子17歳、女子15歳としているが、それ以前は婚姻適齢の成文法はなかった。だたし改定律例第260条「十二年以下ノ幼女ヲ姦スモノハ和ト雖モ強ト同ク論スル」により、12歳以下との同意性交を違法としていることから、内務省では12年を婚嫁の境界を分かつ解釈とされていた[小木1979」。(なお、明治民法の女子15歳は母体の健康保持としいう医学的見地によるもねので、社会的・経済的成熟など要としてない、現行の16歳は1940年代にアメリカで女子の婚姻適齢を16歳とする州が多かったことによる)

 14歳と12歳は概ね思春期(破瓜期・第二性徴期)に近い年齢で、合衾(床入り)可能な身体的・心理的性的成熟を指標としたものと理解できる。ローマ法の当初の目的は別として、教会法は早熟は年齢を補うとしていたことから、法によって婚姻年齢をコントロールしようとする思想はないとみるべきである。「婚姻は自由でなければならぬ」法諺の意味するところは、法は、社会的・済的諸条件を課して、当事者の合意による結婚を否定しないという意味だろう。

 しかし、現実の結婚は自由ではなかった。歴史民勢学の成果で近年では前近代社会でも平均初婚年齢は高かったことが指摘されている。

 「ヨーロッパ的結婚バターン」は 女性が平均で20代半ばで初めて結婚した。性的成熟から結婚までの10年間は奉公人として働いて結婚の準備をした。旧ヨーロッパ社会では、家を持つことのできる人だけが家族を持つことができた。つまり貴族・市民・農民は結婚できたが、手工業職人や下男などは結婚は困難だった。

 我が国でもなるほど持統女帝(鵜野皇女)は13歳、光明皇后(藤原安宿媛)は16歳での結婚だが、奈良時代の一般の庶民の女性は20代なかばがせ普通だったということは歴史家が明らかにしていることである。

 つまり、平均初婚年齢は、社会的、文化的、経済的諸状況による変数であり、人が結婚する年齢はその人の置かれた境遇、社会的・経済的地位によって拘束される。持参金や花嫁代償の用意が必要となる。財産や収入がなければ結婚できないのが世俗的なならわしなのである。

 しかし法は、とくに教会法が理念的に明確であるが、世俗的・経済的な要件で拘束しないものとした、親や領主の同意要件を明確に否定した。結婚が秘跡である以上世俗的・経済的な要件で拘束することはない。。

 結婚に伴う財産移転など世俗的慣習は地域差もあり、社会階層によっても異なるため、普遍的統一法としての教会法は関知しないものとしたのである。

 こうした法制史をふまえたうえで、個人の境遇によって異なる要件を法改正目的とするのは、フェアではなく「婚姻は、自由でなければならぬ」という法諺に反する

 

3.「社会的経済的成熟」を要求する真意はジェンダー論なしマルクス主義フェミニズムの公定化である

 

 法改正案が「加計ありき」ならぬ「16歳・17歳女子婚姻資格はく奪ありき」となっているのは表向きの理由が「社会生活が複雑化・高度化した現時点でみれば、婚姻適齢は、男女の社会的・経済的成熟度に重きを置いて定めるのが相当」というものだが、底意とするところは、16歳・17歳で結婚する女子と、未成年者に求婚する男子に対する敵意である。結局それは男性の稼得能力に依存する結婚生活になりやすく、それは性的分業を固定化し、男女役割分担の定型概念を促進するからよくない結婚であるとするためである。若い女性にとって結婚を幸福とすべきでないという価値観をとっているからである。ジェンダー論に反し許されないというものだろう、そういう人たちの幸福追求権は、否定して、ジェンダー論ないしマルクス主義フェミニズムの公定イデオロギー化しようというものである。

 そして、旧ソ連や、旧東独と同じ、婚姻適齢を18歳とすることにより日本の社会主義化が促進するということである。

 法的平等以上に、特定のイデオロギーによる結婚観を立法目的とすべきではない。アメリカ合衆国の多くの州は婚姻適齢に男女平等になっているが、だからといってジェンダー論や唯物史観的家族史観を公定化しているわけではないのである。政府がジェンダー論の観点から政策を進めていることから、あたかも唯物論的家族史観のように、夫婦は伝統的性的分業が破棄されていくのが当然の進歩みたいに思っている人が多くみかけるがとんでもない。

 明治民法ではなく慣習として日本の「家」の構造を理論化しているのが厳密な定義で定評のある社会人類学の大御所清水昭俊[197019721973]である。1960年代の出雲地方のフィールドワークに基づく業績である。

 水は日本の「家」において家長と主婦という地位は必須の構成であること。家長と主婦は必ず夫婦であること。次代の家長と主婦を確保することで永続が保障されると、その構造を解明している。

 日本の「家」は家長と主婦の性的分業を前提としているのであって、そうするとジェンダー論は日本的「家」の否定になる。

 清水昭俊は、さらに婚姻家族を定義して「これは家内的生活が主として夫婦間の性的分業によって営まれる家と定義され、核家族や‥‥拡大はこれに含まれる」[清水1987 97頁]としており、夫婦間の性的分業によって営まれない家内的生活は人類学的には婚姻家族とはいえないのであるから、ジェンダー論は婚姻家族を否定する恐るべき思想というべきである。

したがって婚姻家族を否認するイデオロギー的立場を立法目的とすることは偏向している。この民法改正案には反対せざるをえない。

 重ねて言うがたとえ男性の稼得能力に経済的に依存する結婚生活であろうと、夫婦間の分業は当事者の私的自治の領域でであるから、政府が干渉すべき事柄ではなく、最も共感的な理解者が結婚したい相手であり、お互い励まし合い、感謝し合う仲であれば、結婚で得られるものは大きく、人生の困難も乗り越えていくことができる。男女が相互扶助の共同体を得ることにより喜びは二倍に、苦労は半減するのである。慰めと平穏を得る相互扶助の共同体としての結婚生活の意義における人格的利益を否定することはできない以上、その結婚生活の主たる稼ぎ手が夫であったとしてもむ、それを敵視して、彼と彼女の幸福追求権を否定する理由にはならないのである。

 

4.高校卒業程度の社会的・経済的成熟の要求という理由は論理性が全くない

(高卒程度でないと婚姻適応能力がないというということはない)

 

 義務教育終了後、進学・就職・職業訓練・奉公・修業・行儀見習い・結婚、何を選択しようとそれは本人の選択、親の身上統制権、監護教育権の領域の問題で、政府が干渉するのは悪しきパターナリズムである。もちろん中卒で就業することは労働法でも規制していないから、中卒で稼得能力がないということはありえない。義務教育を終了しただけの社会的地位では、経済力が乏しいという主張は、結婚相手の経済力、実家の経済力で補うことができれば何の支障もない。

 囲碁のトップ棋士は井山裕太六冠をはじめとして、中卒だといわれている。井山六冠は女流将棋棋士と離婚したが中卒だから婚姻適応能力がなかったというわけではないだろう。横綱稀勢の里や八角理事長のように中卒で組織のトップになれる世界もある。政治が高校や高等教育を無償化しようがそれは関係ないのである。

 いかに、政府が16歳・17歳の結婚を嫌おうとも幸福追求に不可欠な権利の剥奪を正当化するための当事者にとって結婚が最善の利益に役立ない、あるいは当事者の福祉に反すると立証できないのに、権利はく奪をすることは許されるべきではない。結婚という私的な事柄は、親も本人も結婚が望ましいと考えるなら結婚すべきであり、それは第三者や政府が社会的・経済的成熟に達していないと勝手な理由で干渉すべきことがらではないし、我が国の結婚慣習も他人が干渉する性格のものではない。

 仮に、高校卒業が望ましいという価値観を受容れるとしても、高校は生徒の多様な実態に対応できるようになっており単位制高校など結婚と両立しうる履修の可能な高校もある。古いデータだが、1957年カリフォルニア州の75の高校で1425組の既婚高校生を調査した結果4466%が妊娠のための結婚だった[泉ひさ1975]としているが、彼女らが学校から排除されているわけではない。ちなみに16歳で結婚した三船美佳は横浜インターナショナルスクールを卒業している。高校教育の必要性という理由は全く論理性がない。

  199816歳で結婚した三船美佳が2015年に離婚したのは遺憾であるが、しかし鴛鴦夫婦として有名だったし、16歳の三船美佳に婚姻適応能力がなかったとはいえないのである。

 この点については民法学者の滝沢聿代氏(元成城大学・法政大学教授)が的を得た批判をされているのでここに引用する。[滝沢聿代1994

 「要綱試案の説明は、高校進学率の高まりを指摘し、婚姻年齢に高校教育終了程度の社会的、経済的成熟を要求することが適当であるとする。しかし、婚姻適齢の制度自体がそもそも少数者の例外的状況を念頭に置いた理念的内容のものである。高校を終了したら誰でも婚姻しようと考えるわけではない。他方、義務教育のみで学校教育を終える者は依然存在し、これらの者こそ婚姻適齢の規定が意味をもつ可能性は高い。加えて、高校進学率の高さの実態に含まれる病理に思いを至すならば、安易な現状肯定から導かれる改正案の裏付けの貧しさに不安を覚える‥‥。 高校教育修了程度の社会的、経済的成熟を要求するとはどのような意味であろうか。まさか義務教育を終了しただけの社会的地位、経済力では婚姻能力に疑問があるという趣旨ではなかろう」

 さらに滝沢氏は人口政策としても疑問を呈し、「一八歳未満に法的婚姻を全く否定する政策は、婚姻適齢を比較的高くし、一人っ子政策によって人口抑制を図る中国法(男二二歳、女二〇歳)のような方向に接近するものと理解しなければならない。それは明らかに婚姻の自由に対する抑制を意味する」

 法制審議会の趣旨、義務教育を終了しただけの社会的地位、経済力では婚姻適応能力を否定する見解は根拠薄弱である。

 なお、法制審議会は、未成年の結婚は性病罹患率が高い、高校中退の可能性を高める、夫から暴力を受ける可能性が高い、貧困を促す、親の強制結婚を助長しているといったような外国の児童婚反対人権団体のような見解きみられないが、ないが、我が国にはそうしたことは問題視されていないので理由にならない。

 むしろ高校を中退せざるをえなかった。あるいは退学させられたといった立場の女子を救う手段としての結婚に切実な価値があるとみるべきではないだろうか。

 

 (三)野田愛子氏(故人)の賢明な意見が不当にも無視された

 

 野田愛子氏(19242010)とは女性初の高等裁判所長官(札幌高裁)、中央更生保護審査会委員、家庭問題情報センター理事などを務めた。法制審議会のなかでは少数派であり、婚姻適齢改正に反対、16歳・17歳の婚姻資格のはく奪に反対されていて、下記の平成4年の講演は傾聴に値するものである。

「‥‥現行法どおりでいいのではないか。つまり、婚姻適齢は男女の生理的な成熟度にあった規定であるからそれでいいという考え方と、いや、男女とも高校教育が一般化した今日、教育的、社会的平等に合わせて、年齢を男女とも一八歳にするべきという考え方とあります。一八歳にしますと、女子の場合は一八歳未満で事実上の関係ができて、妊娠するという問題がある。ここに何か手当てが要るというと、むしろ一六歳に揃えたらどうか、という考え方もあります。しかし一六歳に揃えますと、婚姻による成年(民法七五三条)の問題があります。一六歳に成年となっては法律行為等においても問題ではなかろうか。それぞれにメリット、デメリットがございます。

 そこで仮に一八歳に揃えた場合には、一六歳で結婚しようというときに婚姻年齢を下げて婚姻を許すような法律的な手立てが、どうしても必要になります。各国の法制を見ますと婚姻適齢を男女同年齢(一八歳以上)にした法制の下では、必ず要件補充の規程を設けて、裁判所が許可を与えるとか、行政機関が許可を与えるとか、そういうような条文を設けている国もございます。

 そうなりますと、婚姻の問題に国家の機関が介入するということも問題ではなかろうかという議論もでてまいります。家庭裁判所の立場からは、婚姻を認めるとか認めないとか、いったい何を基準に判断するのかというようなことも一つの疑問として定義されましょう。統計的に、一六、一七歳で婚姻する者は、約三〇〇〇件あるそうです。私の家庭裁判所判事当時の経験に照らすと、一六、一七歳の虞犯の女子が、よい相手に巡り合って、結婚させると落着く、という例も多く経験しています。あながち、男女平等論では片付かない問題のように思われます」〔野田愛子「法制審議会民法部会身分法小委員会における婚姻・離婚法改正の審議について()『戸籍時報』419 18頁〕

 最後の「虞犯女子」云々の発言は実務家の経験として貴重なものであると私は思う。 90年代に16・17歳で結婚する女子は年間三千人いた。今日は当時より減っているが、それが千三百人であれ、永く認められていた権利の剥奪は慎重でなければならない。

 「虞犯女子」は社会的に恵まれていない社会階層といえる。夫婦の情緒的な依存関係、相手を共感的に理解し、力づけ、感謝し合う、それは結婚以外に得難いものなのだ。結婚相手と喜びと苦労を分かち合うことにより、喜びは倍増し生活の苦労は軽減され、困難があっても乗り越えられる。そのような人間学的考察からみても年少者であれ、否未成年者こそ結婚の価値は高いものであるといえよう。

 野田愛子氏のような実情に詳しい実務家のまともな意見が無視されている要因は、18歳に男女とも揃える改正は、男女平等を主張してきた日弁連女性委員会、婦人団体の悲願であり、この圧力団体のメンツを潰すことはできないという事情によるものと推察する。そこで思考停止状況になっているためである。

 ジェンダー論の観点から、16歳・17歳で結婚する女性というのは、男性の稼得能力に依存した結婚にほかならないから容認できないということになろうが、この思想に合わせることが憲法的要請ではない。形式的平等は、16歳・17歳の婚姻資格を剥奪しない形でも可能なのであるからそれを選択すべきである。

 そもそも民法は社会変革のための道具ではない、特定の社会変革思想や特定社会階層の見解に偏った改革は好ましくない。ナポレオン民法はポティエによるフランスの慣習法の研究が基礎になっていたものであり、社会変革のためのものではなかったはずである。

2017/08/05

「人づくり革命」なんて糞くらえ

 安倍内閣の重点政策は、「子どもたちの誰もが家庭の経済事情にかかわらず、夢に向かって頑張ることのできる社会」をつくることだそうだ。社会主義者のサンダースみたいな政策だ。子どもたちの幸福とかいっておれば愚民は喜ぶとでも思っているのか。
 自分が園芸高校でよく覚えていることは、シベリアの鬼といわれる教師がいてシベリア抑留経験が自慢で、人生、苦労すべきだつらいことも我慢してハードワークの鬼となれという辛気臭い教育をやっていた。「知足案分」の道徳とかいっちゃって、身の程を知って、人生に夢など゛をもつなというようなことを云っていた。
 その時は強い反発を感じたが、苦労して苦労倒れするのはばかげていると思った。今となってはも人生夢などもたず地道にやるべきだと思う。安倍に説教してやってほしいものだ。
 昔の子どもは5歳までにかなり死んだし、大半の子供は、自己の不幸な人生を呪って死んで死んでいくだけだった。それにくらべれば呪う程不幸でなければましというものだ。
 産業革命以前のイギリスの家庭の子供たちは、7歳ころを生家を出て、14歳ごろまで奉公した。他家に里子に出して他家で奉公させることにより行儀作法を身に着けた。
 過酷な奉公に出すことだけが教育だった。教育投資などせずあとは子供は勝手に生きていくからそんなもんでいいんじゃないか。
 夢と言っても将来どういう仕事が残っているのかわからないし、地方では人手不足の小口配達のドライバーか介護職しか働き口がないともいわれているのに、夢をもってくださいといわれても。

2017/07/25

四 男女取扱の平等以上に、ジェンダー論やマルクス主義フェミニズムの結婚観を公定化し、国民の私的自治を否定する立法目的は粉砕されるべきである  

(一)圧力団体の要求にこたえることが主たる立法目的になっている。

 

私の本音としては法制審議会委員で少数反対意見を述べた野田愛子氏(故人)のように、現行婚姻適齢の変更自体に反対である。婚姻適齢における男女別の取扱は男女の生理的な成熟度にあった規定であるからそれでいいという考え方である。

1996年法制審議会民法部会長の加藤一郎氏も自著で婚姻適齢の男女別の取り扱いは合理的な差別であり、憲法違反ではないとしていることである。

女子差別撤廃条約は何が平等かということは締約国の解釈に委ねられていることで、法改正を義務付けるものではないことから、変更の必要はない。

 このため1996年法制審議会答申された後も、婚姻適齢の改正は棚上げにされていたためだった。主たる理由は選択的夫婦別姓導入の民法改正案とパッケージになっていたため、夫婦別姓は日本会議が強く反対しているため日本会議と友好関係にある国会議員が相当数存在することによる政治力学で法改正されずにすんでいた。

ところが国民投票法が、投票年齢を18歳とする与野党の取引で成立し、それに合わせて、公職選挙法が改正され、成人年齢も引き下げられることとなった。

成人年齢を18歳に引き下げるため、この際、婚姻適齢も、夫婦別姓との抱き合わせから外して男女とも1996年答申のとおり男女とも18歳とし、未成年者の同意要件と、成人擬制も廃止しようというものである。

私は成人年齢引き下げも反対だが、与野党すべて賛同し、婚姻適齢についても安倍首相の秘蔵っ子である稲田朋美政調会長が2015年18歳でならすことで自民党内をまとめていることなので、ここにいたって、男女別の取り扱いに固執するのは得策でないと判断し、私のこの意見書では形式的男女平等とすることで妥協することとした。

形式的平等とするには次の3案が考えられる

(1) 英米型(アメリカ合衆国の大多数の州や、イギリス、カナダの主要州がそうであるようら男女とも16歳としたうえ、未成年者の同意要件や、成年擬制も維持する)。

(2) 変則型(東西統合後から2016年までのドイツの法制のように原則18歳としつつも、結婚相手が18歳以上なら、男女如何にかかわらず16歳以上で婚姻かと、未成年者の同意要件と成年擬制も維持する)

(3) 社会主義国型

旧ソ連や旧東独のように男女とも18歳とする例である

 

 

 婚姻適齢法制を男女平等とするには、政府の改正案である社会主義国型以外にも(1)や(2)の選択肢がある。(1)や(2)は、従来の女性が1617歳の婚姻資格を剥奪し彼女らの幸福追求権を否定することなく、法的な平等も達成でき、妊娠しても非嫡出子とすることなく法律婚ができることで無難な選択肢といえるのである。

筆者は(1)か(2)が望ましいと考えるが、(2)を修正案とした理由は、成年擬制を維持するが、その場合16歳と16歳の結婚が可能となる案より、現行法制でも問題のない18歳と16歳の結婚のほうが理解を得やすく、より現実性が高いと判断したためであって、(1)であってもさしつかえない。

しかし、政府案ははじめから18歳に揃える(3)が前提となっており、(1)や(2)の検討さえしないのは、古くから婚姻適齢を18歳に揃えることを主張してきた日弁連女性委員会やその他婦人団体などの意向どおりにしたいがためである。

要するにはじめに「加計ありき」ならぬ、はじめに「16・17歳女子婚姻資格剥奪ありき」なのである、圧力団体様の仰せの通り国民の権利を縮小しましょう

つまり圧力団体の意向に沿うことが立法目的になってしまっている。

女性団体は(1)、(2)は反対するだろう。結局男子の婚姻適齢を引き下げても、1617歳で結婚するのは女子であり、男性の稼得能力に依存する結婚形態となりやすく、それは性的分業を固定化し、男女役割分担の定型概念を促進するからよくない結婚であるとするためである。若い女性にとって結婚を幸福とすべきでないという価値観をとっているからである。

 

(二)婚姻適齢改正の底意はジェンダー論ないしマルクス主義フェミニズムの公定イデオロギー化である。

 

表向きの理由は、婚姻には男女とも高卒程度の社会的・経済的成熟を必要とするとい漠然不明確なものであるがこれが正当な理由となりえないことは既に述べたことなのでここで繰り返さない。

 正当な理由がないのに1617歳女子の婚姻資格を剥奪する底意は、結局、男性の稼得能力に依存する結婚生活は、ジェンダー論に反し許されないというものだろう、そういう人たちの幸福追求権は、否定して、ジェンダー論ないしマルクス主義フェミニズムの公定イデオロギー化しようというものである。

そして、旧ソ連や、旧東独と同じ、婚姻適齢を18歳とすることにより日本の社会主義化が促進するということである。

 

 

 

(三)法的平等の達成とジォンダー論やマルクス主義フェミニズムの公定化は違う

 

男女共同参画者社会の実現として性的役割分担の定型概念の明確な否定、女性活躍推進、一億総活躍、男性中心の働き方改革、イクメン推進、待機児童ゼロ政策、安倍政権の根幹となる政策がほぼマルクス主義フェミニスト、唯物論的家族史観の主張に沿ったものであると考えるが、女性の法的権利、義務を同じにする男女平等と、ジォンダー論やマルクス主義フェミニズムの結婚観を公定化することとは別の問題だということを認識すべきである。

アメリカ合衆国の多くの州は婚姻適齢に男女平等になっているが、だからといってジェンダー論や唯物史観的家族史観を公定化しているわけではないのである。

そしてアメリカ人の多くが保守的なクリスチャンであり、次に引用する新約聖書のとおり妻は夫に従うべきという価値観の婚姻を理想として実践しているはずである。

パウロが教えるように「男の頭はキリスト、女の頭は男、そしてキリストの頭は神である」(第一コリント113節)「男は神のかたちであり栄光であるから、かしらに物をかぶるべきでない。女はまた男の光栄である。というのは、男が女から出て来たのではなく、女が男から出て来たのだし、男が女のために造られたのではなく、女が男のために造られたのだから」(第一コリント1179節)「婦人たちは教会で黙っていなさい。婦人たちに語ることが許されていません。律法も言っているように、婦人たちは従う者でありなさい」(第一コリント1434節)

「妻は自分の夫に対して主に対するように(従え)。キリストが教会の頭であるのと同様、男が女の頭なのだ。キリストはまた(教会という)身体の救済者でもあるけれども、教会がキリストに従うようにして、妻はあらゆることについて夫に従え」(エぺゾ書52225節田川健三訳) 「女たちよ、男たちに従え。それが主にあってふさわしいことである。男たちよ、女たちを愛せ。そして女たちに対してきつく対応してはならない」(コロサイ書31820節)

もちろんフェミニスト神学もあり新約聖書の家庭訓を古代の道徳として価値相対化するリベラルな教会もあるだろうが、結局、州政府に重婚など規制する権限はあっても、婚姻における夫婦倫理、家族道徳は公序良俗に反しない限り、私的自治の領域というべきであり宗教の自由が保障されている以上、政府が干渉しえない領域といえる。

従って家族法が法的に男女平等の取り扱いになったからといって伝統的な結婚観・夫婦倫理を捨てる必要などないし、それは政府に宗教を阿片として国民に棄教させる権限などないのと同じことである。

要するに、ジェンダー論の性的役割分担の定型概念を破棄しなければならないという思想についていかに安倍首相が推奨しようと国民は私的自治にもとづいてそせれに従う必要はないし、それは法の下の平等が求めている以上のことがらなのである。

従って、伝統的な性的分業による婚姻であれ、それが、結婚としての価値を否定される理由はなく、伝統的な性的分業(夫が主として稼ぎ、妻が家を守る)の夫婦であれ、それより今風の進歩先な夫婦であれ、相互に扶助協力義務を有する夫婦(民法752条)として価値は同じであり、どちらにせよ、幸福追求に不可欠な結婚し家庭を築き子供を育てる権利が否定される理由はない。

従って、1617歳で結婚する女性が男性側の稼得能力に依存し、性的役割分担を固定化するので好ましくないとして、婚姻資格を剥奪するのは不当なものと言いうるのである。

従って18歳に揃える政府案は大きな難点があり、特定のイデオロギー的立場に偏ったものとして非難されるべきである。

 

(三)ジェンダー論の過ち-婚姻家族の破壊

 

政府がジェンダー論の観点から政策を進めていることから、あたかも唯物論的家族史観のように、夫婦は伝統的性的分業が破棄されていくのが当然の進歩みたいに思っている人が多くみかけるがとんでもない。

明治民法ではなく慣習として日本の「家」の構造を理論化しているのが厳密な手義で定評のある社会人類学の大御所清水昭俊[197019721973]である。1960年代の出雲地方のフィールドワークに基づく業績である。

清水は日本の「家」において家長と主婦という地位は必須の構成であること。家長と主婦は必ず夫婦であること。次代の家長と主婦を確保することで永続が保障されると、その構造を解明している。

家長と主婦の性的分業を前提としているのであって、そうするとジェンダー論は日本的「家」の否定になる。

清水昭俊は、さらに婚姻家族を定義して「これは家内的生活が主として夫婦間の性的分業によって営まれる家と定義され、核家族や拡大家族はこれに含まれる」[清水1987 97頁]としており、夫婦間の性的分業によって営まれない家内的生活は人類学的には婚姻家族とはいえないのであるから、ジェンダー論は婚姻家族を否定する恐るべき思想というべきである。

したがって婚姻家族を否認するイデオロギー的立場を立法目的とすることは偏向している。この民法改正案には反対せざるをえない。

ドイツの歴史人類学者ミッテラウアーによると、民族学や歴史学の知見では、性的分業に一定の規則性が存在するが、性的分業は人類学的な不変定数ではなく、変化はある。しかし、どんな文化にも男女別の正規の仕事という考え方があり、一定の活動は高度の規則性をもって女性か男性に振り当てられるとする。原理的には性的分業は生殖と後継者の生存に結びついていることは否定できないともいう。

具体的には224の種族社会から、次の活動の75%以上の比率でもっぱら女性が行う。穀粒挽き、水運び、煮物、燃料や食べられる植物の採集、衣料の製造と修繕、肉や魚の保存、焼き物作り、織布及びマットや籠の製造である。

一方、男性の仕事としては、放牧業84%、魚取り86%、伐採92%、罠づくり95%、鉱山石割業95%、狩猟98%である。

性的分業の変化は、農村家内工業が発展した18世紀にみられた。女性の家内労働とされていたものが男性手工業になった。一方、利益の高い紡ぎ労働に妻をあて、男性が食事を準備し、ジャガイモの皮をむく分業の形態も生じた。農業は男女共同でなされるが男性が鉱夫や運送業で働くときは、農業は女性が引き受けた。[ミッテラウアー1994 317頁以下]

そのように性的分業の変化はありうるとしても人類学では婚姻家族は性的分業で成り立っていると定義しているのである。

性的分業は社会的経済的条件で変化しても、性的分業自体が否定される理由はないジェンダー論を立法目的とするのは行き過ぎだといわなければならない。

民法はジェンダー論者や、マルクス主義フェミニストの社会改革の道具ではないからでる。

もし、男性の稼得能力に依存する結婚生活が、彼女にとって最善の無利益とは役立たないと証明することは不可能である。他者から人生の選択を否定される理由もないのである

20172月堀北真希が仕事と家庭が両立できるほど器用でないとして、女優をやめ、家庭婦人になると宣言した。それは安倍首相の女性活躍推進に逆らい、ジェンダー論に反しているが、だからといって、山本・堀北夫婦の結婚生活の私的自治に政府から介入される理由はないのであって、それと同じことである。

 

 

(五)マルクス主義フェミニズムの過ち-神聖な私有財産の否定、個別家政の廃棄、家族死滅論

 

女性活躍推進、一億総活躍、男性中心の働き方改革、イクメン推進、待機児童ゼロ政策、安倍政権の根幹となる政策がことごとくマルクス主義フェミニストの主張に沿ったものであると考えるが、今回の婚姻適齢改正政府案も古くからそれ以前よりマルクス主義フェミニストの主張にもとづいている。1617歳女子と、求婚する男性に対する敵意というのは、男性が稼ぎ、女性が家を守る、男性に隷属す型の結婚だからよくないというものであり、マルキストのいう古典的一婦一婦制に対する嫌悪感にもとづくといえるが、そのイデオロギーは正しくない。したがって、政府案に反対なのである。

その理由について述べる。

 

1 父権制の攻撃とは私有財産制の攻撃である

 

 エンゲルス『家族・私有財産・国家の起源』岩波書店1960戸塚訳は次のようにいう。

「原始社会には生産力や技術からみて、集団的土地所有と集団労働が必要不可欠であり、生産物も共同で所有していたから、貧富の差はさほどなかった。生産力の発展によって、より多くの生産物が蓄積されるようになると、その生産物を財産とする私的所有が生まれてくる。

 さらに、私的所有物を、確実なわが子に継がせるために、夫は妻を自分の家屋に住まわせる嫁入婚とし、夫婦と子どもと奴隷で構成される社会的単位としての家族が生まれた。財産所有者は夫だったから、家長が奴隷を支配するように妻も子どもも隷属する家父長制家族として成立した。世界史的女性の敗北である。そして家父長どうし奴隷の反乱防止と相互の利害調整のために、法と軍隊をそなえて国家を作りあげる。家族・私有財産・国家は、こうして歴史的に誕生した。」

 嫁入婚と家父長制家族の成立を「世界史的女性の敗北」と称しており、逆に嫁入婚と家父長制家族に打撃を加えていくことにより、「世界史的女性の敗北」の歴史を覆せば事実上社会主義革命の展望が開かれることという筋書きである。

 エンゲルスは、父権制や家長が妻や子どもを支配隷属させる婚姻家族を非難するのであるが、しかしながら人類学的にいって高度な文明を発達させたのは父系・準父系の社会構造であり、母系社会は私有財産制が発達しないため生産性が低く未開社会にとどまるのである。従ってエンゲルスの見解は明らかに反文明思想なのである。

 社会主義思想とは逆に、私有財産を神聖視するのが、近代の自由主義経済であり、幸福の追求権とは財産の獲得、享有が主要な1つとする思想がある。

 合衆国最高裁で極保守派といわれたDavid Josiah Brewer判事(任1889~1908)の1891年のイェール大学の講演は次のとおり。

「イヴが禁断の果実さえ欲して占有をした、その記録に残る最初の時代から、財産の観念とその占有権の神聖さとは、一度も人類から離れたことはなかったのである。理想的人間性についていかなる空想が存在しえようとも‥‥歴史の夜明けから現代の時代にいたるまで、現実の人間の経験は、占有の喜びと一緒になった獲得の欲求が、人間活動の現実的な動機となっていることを明らかにしている。独立宣言の断定的な表現のなかで、幸福の追求は譲渡することのできない権利の1つであると断言されているとき、財産の獲得、占有、及び享有は、人間の政府が禁ずることができず、それが破壊することのない事柄であることが意味されているのである。‥‥永遠の正義の要請は、合法的に取得され合法的に保有されたいかなる私的財産も公衆の健康、道徳あるいは福祉の利益のために、補償なく略奪されあるいは破壊されることを禁ずるものである」[ギャロウェイ1994 89]

私はブリュワー判事のこの見解を支持するゆえエンゲルスには反対である。

 

2.エンゲルスが婚姻家族を「妻の公然もしくは隠然たる家内奴隷制」と非難するのは反文明思想である。

 

エンゲルスは、母系制社会の往古の共産主義社会では、妻にゆだねられた家政の処理は、男子による食糧の調達と同様公的な産業であったとし、一夫一婦的個別家族とともに、家政の処理は、私的労役となり、妻は社会的生産から閉め出されることになったとし、夫が「稼ぎ手」で「家族の扶養者」であるという事実男性にしての地位を与え、妻は夫に依存し彼の財産の一部になったとする。

これを「妻の公然もしくは隠然たる家内奴隷制」などと呼び、古典的一夫一婦制と定義しそれは社会主義変革によって克服されるとする。[江守五夫1973

しかし、男性による女性の支配は、文明理念の基本である。聖書では男性は神の像としてつくられたのであり、人間の尊厳とか人権などというのも、男性(人間)が神の像としてつくられたからとする神話に、もとづくフィクションである。それ自体傲慢な思想かもしれないが、本来、尊厳というのは男性に帰属するものである。

女は男の肋骨からつくられ、すなわち神は『人ひとりなるはよからず。我かれにかなう助者を彼のためにつくらん』と云いたもうたのである。

これまでも引用したとおり男性が女性を支配するというはパウロが教えるところであり、コリント前書11章で、男性が頭であり、女性は男性に従うべきものとし、その他の場所でも同様のことが繰り返されている。

清教徒であり近代個人主義的友愛結婚の提唱者であるミルトンは『闘士サムソン』1671年で次のようにいう。

「女性の精神的天稟は急いでつくられたため未完成のままであり、判断力は乏しく、能力は最善のものを理解し尊重するほど高くなく、又選択にあたってはしばしば悪いものを愛しないではいられないように低劣である‥‥」

「女が男のためにつくられたもので、そして男が女のためにつくられたものでないということを知らないものが誰があろう」

『失楽園』1667年も男性が女性を支配しなければならないことを強調している

「‥‥彼等の性がちがうように、両人は対等でなかった。すなわち彼(アダム)は思索と勇気ある行為をするためにつくられており、彼女(イーヴ)はやさしさと甘美な魅力の美のためにつくられていた。彼は神のためにのみ、彼女は彼をとおして神のためにつくすようにつくられていた。」

「イーヴは、その人(アダム)にいともうるわしい様子で次のように答えた。「私の創造者であるかたよ、あなたがお命じになることには、私は絶対服従です。神様はそのように命じていられます。神様があなたのおきてで、あなたが神のおきてです。それ以上何も知らないのが女のもっとも幸福な知識であり、女の美徳なのです」[西島正1954

楽園追放は男が神に従わず女に従ったことによる。この教訓は至福千年の道徳的教訓というべきものであって決して棄て去ることのできないものである。

東洋の儒家「男尊女卑」は陰陽学説による調和説であって男性が陽も、女性が陰とされ、陽の主導と統治的地位が保ち陰陽のバランスをとることが説かれる。「陰盛陽衰」は善くない状態である、ジェンダー論の跋扈は「陰盛陽衰」そのものである。

従ってエンゲルスの家父長制家族、婚姻家族の非難は文明の理念に逆らうもの、文明からの逸脱思想だといわなければならない。

 

3. 私有財産制の止揚によって真に人格的愛情による結婚が出現するという虚構

 

 マルクス主義では、「妻の公然もしくは隠然たる家内奴隷制」という古典的一夫一婦制を私有財産制の止揚によって真に夫婦平等で真に人格的愛情によって結合される一婦一婦制婚姻を出現させると説く。

 つまり私有財産のもとでは便宜結婚というものであって、個人的性愛所産ではないとするのである。しかし、すでにローマ以来の特に中世教会婚姻の合意主義婚姻理論が、親族の利害関係にとらわれない、個人主義的な恋愛の結実としての結婚を擁護していたこと。結婚を花婿キリストと花嫁教会を象徴するしるしとして秘跡とする12世紀の神学が夫婦愛を神聖化したことなどは、前章でくわしくふれたとおりであって共産主義体制にならなければ真に人格的愛情による結婚は出現しないという性質のものではない。この点でエンゲルスは歴史解釈を誤っているように思える。

 エンゲルスは私有財産制の止揚により、家族制度は解体すると説く。その中心的要素は、個別家政の廃棄による家族死滅論である。個別家族が経済的単位となることをやめ、私的家政は社会的産業にかわり、子供の扶養と教育は公的事項として社会が一様に面倒をみる体制になるのが理想とする共産主義である。[江守五夫1973]、安倍政権の待機児童ゼロなどもそうした社会主義的政策の一環だろう。

 (なお安倍政権は社会民主主義政権といってよい、最低賃金を上げ、政労使コーポラティズムで賃上げを要請したり労働時間規制を強化するやり方、既に労働時間規制は企業の活力なくすとの声もちらほら出ている。女性活躍推進政策にみられるようにジェンダー論やマルクス主義フェミニズムに迎合することがそうである。

 自由民主党は、保守合同で自由主義経済思想の自由党と、革新官僚の流れをくむ日本民主党が合併してできた政党だが、自由党はハイエクの研究者で『福祉国家亡国論』などの著作がある山本勝市が経済政策を立案したりしていたが[渡瀬裕哉2017]、この系統の政治家は現在では死滅している。安倍首相は岸信介がそうであったように革新官僚の流れを汲んでおりもともと社会主義に親和的なのである。

 日本の悲劇は自由主義、自由企業体制を主張し社会民主主義政策に反対する政治家が死滅してしまい、政治がオール左翼化してしまったことといえる)

しかし現実のソ連では個別家政の廃棄も家族死滅も実現していない、むしろ社会秩序維持のため家族を「社会の基礎的な細胞」として家族強化政策をとらざるをえなかった

 とはいえマルクス主義の攻撃の標的は婚姻家族そのものなのである。

マルクス主義フェミニズムは女性が無償の家事労働に携わる事実が、女性の不利な立場を説明しており、有償の賃労働と無償の家事労働の分割を前提とした資本主義社会は否定されなければならい。

(なおアナ―キストフェミニストは家父長制こそが撃たなければならない元凶であるとした。女性抑圧の原因は男性への依存にあり、とりわけ結婚と家族制度がその抑圧を生むと主張した。女性の経済的自立を性的自立とともに重視し、男女の知的心理学的区別も否定した。アナーキストフェミニストは結婚制度を改革することではなく廃止を求める思想である。

 要するに社会主義者の戦略は、エンゲルスのいう個人主義経済の消滅による個別家政の廃棄、家族死滅のために、男性の稼得能力に依存し、妻が個別家政の担い手となる伝統的性的分業を

ほ攻撃し、そのような結婚のあり方男性の働き方にまで社会主義的変革をもたらしていくことであり、安倍政権の政策がほぼそれに近いことをやっている・

 これは歯止めをかけないと日本国の赤化は止まらないそれゆえ私は今回の政府案に反対なのである。

 

 

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2008「合衆国の公教育における政府の権限とその限界(11920年代の連邦最高裁判例Meyer判決とPierce判決に関する考察」法学研究論集29【ネット公開】

 

2009「合衆国の公教育における政府権限の限界-ロックナー判決期の親の教育の自由判例/マイヤー判決とピアース判決に関する研究」憲法理論研究会編『憲法学の最先端』敬文堂所収

 

長澤順治

 

1997『ミルトンと急進思想 英国革命期の正統と異端』沖積舎

 

永水裕子

 

2017「米国における医療への同意年齢に関する考察」山口直也編著『子供の法定年齢の非核法研究』成文堂所収

 

西川健誠

 

2005「夫婦の交わり,神との交わり : 『楽園喪失』における夫婦愛と信仰()

 

Conjugal Union as a Holy Communion : Love and Faith in Paradise Lost' (Part II)

 

神戸外大論叢 56(2)【ネット公開】

 

2004「夫婦の交わり, 神との交わり : 『楽園喪失』における夫婦愛と信仰 ()'Conjugal Union as a Holy Communion : Love and Faith in Paradise Lost' (Part I) 神戸外大論叢 55(3)【ネット公開】

 

西島正

 

1954「ミルトンの女性觀」Milton's View of Woman紀要 3【ネット公開】

 

野田愛子

 

1993 「法制審議会民法部会身分法小委員会における婚姻・離婚法改正」の審議について」(上)」戸籍時報419 18

 

波多野敏

 

1990「フランス、アンシャン・レジームにおける結婚の約束と性関係」Promesses de mariage et relations sexuelles dans la France de l'Ancienne Regime京都学園法学 創刊号【ネット公開】

 

塙陽子

 

1993「カトリック教会婚姻不解消主義の生成と発展」『家族法の諸問題()』信山社

 

平井正穂

 

1958『ミルトン』研究社出版

 

平松紘・森本敦

 

1991「スコットランドの家族法」黒木三郎監修 『世界の家族法』 敬文堂所収

 

廣瀬隆司

 

1985「明治民法施行前における妻の法的地位」」愛知学院大学論叢. 法学研究2812

 

服藤早苗

 

1991『家成立史の研究』 校倉書房1991

 

JL・フランドラン/宮原信訳

 

1992『性の歴史』藤原書店

 

福地陽子

 

1956<論説>カトリツク教婚姻非解消主義の生成と發展<Article>THE GROWTH AND DEVELOPMENT OF THE CATHOLIC PRECEPT AGAINST DIVORCE」法と政治 7(4)【ネット公開】

 

平井正穂

 

1958『ミルトン』研究社出版

 

不破勝敏夫

 

1984『私の家族法』 徳山大学総合経済研究所

 

船田享二

 

1971改版『ローマ法第四巻』岩波書店

 

ペイゲルス

 

1993『アダムとエバと蛇―「楽園神話」解釈の変遷』絹川・出村訳 ヨルダン社

 

2000『悪魔の起源』松田訳 青土社本田弘子

 

1986「英国婚姻法(主として離婚法)と裁判所」The English Family Law and the courts : Chiefly on the Divorce Act日本法政学会法政論叢 22【ネット公開】

 

松下晴彦

 

2004「グレトナ・グリーン「駆け落ち婚」の聖地」英米文化学会編『英文学と結婚-シェイクスピアからシリトーまで』彩流社所収

 

 

 

ミッテラウアー,ミヒャエル、 ジーダー,ラインハルト/若尾夫妻訳

 

1993『ヨーロッパ家族社会史』名古屋大学出版会

 

ミッテラウアー,ミヒャエル/若尾・服部・森・肥前・森訳

 

1994『歴史人類学の家族研究-ヨーロッパ比較家族史の方法』新曜社

 

町井和朗

 

1995『権利章典とデュープロセス』学陽書房

 

村井衡平

 

1974「【資料】一婚姻・離婚法() : 一九七〇年八月六日公表第一次草案」神戸学院法学 523

 

メッツ,ルネ 

 

1962久保正幡・桑原武夫訳『教会法』ドン・ボスコ社

 

森道子

 

2011「「めでたし、結婚愛よ」 : ミルトンの妻像におけるオウィディウスの妻」

 

"Hail, Wedded Love"--Ovid's Wife in Milton's Images of Wife大手前大学論集 12【ネット公開】

 

守屋善輝

 

1973『英米法諺』中央大学出版部

 

山館香菜

 

2011「「自負と偏見」におけるリディア・ベネットのグレトナ・グリーン婚 : 物語への効果と役割」北星学園大学大学院論集 1【ネット公開】

 

Lydia Bennet's Gretna Green Marriage : Its Effects and Roles in Pride and Prejudice

 

山中永之佑

 

1957「明治期の逆縁婚Levirate Marriage of Meiji Era in Japan

 

法制史研究 (7)

 

吉田道也

 

1954「教会裁判所の民事裁判権の終末」The End of Civil Jurisdiction of the Ecclesiastical Court法政研究 22(1)【ネット公開】

 

吉中孝志

 

2002「アダムの肋骨とマーヴェルの庭(後編)The Rib of Adam and Marvell's 'The Garden' (Part III) 広島大学大学院文学研究科論集 62【ネット公開】

 

米沢広一

 

1984 「子ども、親、政府-アメリカの憲法理論を素材として-1- <Articles> Child, Parent and State神戸学院法学 152

 

1985a「子ども、親、政府-アメリカの憲法理論を素材として-2-Articles> Child, Parent and State (2) 神戸学院法学 153

 

1985b 「子ども,,政府--アメリカの憲法理論を素材として-3- <Articles> Child, Parent and State (3) 神戸学院法学 154

 

1989「家族と憲法(二)」法学雑誌(大阪市立大)361, 1

 

幸重 美津子

 

2003Milton's Bogyの向こう側 : ヴァージニア・ウルフのミルトン観についての一考察」

 

Virginia Woolf : When We Look Past Milton's Bogy英語英米文学論輯 : 京都女子大学大学院文学研究科研究紀要 2【ネット公開】

 

ウタ・ランケハイネマン/高木昌史ほか訳

 

 1996『カトリック教会と性の歴史』三交社

 

山内昇

 

2000「新約聖書の倫理 : 家庭訓(コロ 3 : 18-4 : 1)を中心としてNew Testament Ethics : The Haustafel in Colossians 3 : 18-4 : 1」紀要3 東京神学大学【ネット公開】

 

フレデリック・ジュオン・デ・ロングレイ/有地亨訳

 

1967「フランス家族の成立過程 : フレデリック・ジュオン・デ・ロングレイ著"Le precede de la formation de la famille francaise" : F. Jouon des Longrais」法政研究 34(1) 【ネット公開】

 

渡瀬裕哉

 

2017『トランプの黒幕』祥伝社

 

渡邊昭五

 

2004『梁塵秘抄にみる中世の黎明』岩田書院 2004

 

ウェブサイトからの引用

 

1 Pew Research CenterChild marriage is rare in the U.S., though this varies by stateNovember 1, 2016

 

2 ニュースの穴 女性の婚姻適齢が改正で18歳に引き上げへ 早ければ2021年にも施行 

 

2017-02-08

 

3 ニューヨークタイムズ記事「 Its Legal for 14-Year-Olds to Marry. Should It Be? By LISA W. FODERAROMARCH 13, 2017

 

4 CBSN.Y.2ch記事「 Advocates Call For End To N.Y. Law Allowing Children As Young As 14 To MarryFebruary 14, 2017 10:58 PM

 

5 WMUR-TV記事「NH House rejects bill to raise minimum marriage age to 18

 

Existing law allows 13-year-old girls, 14-year-old boys to marry with parental, court approval Updated: 10:56 PM EST Mar 9, 2017

 

6 PDF http://nownyc.org/wp-content/uploads/2016/02/Factsheet.pdf

 

7PDF「諸外国における成年年齢等の調査結果」ttp://www.moj.go.jp/content/000012471.pdf

 

ユタ州経済 近隣諸州より好調維持

 

http://blog.goo.ne.jp/numano_2004/e/eb4e275ac3ec0f8a79b4614e9309e147

 

2017/07/22

想定外の敗戦

 藤井四段は相撲見物したり、誕生日とかやって気が緩んでいるのか。それともブルゾンちえみのラブコールしかないことにがっかりしているのか。三枚堂達也四段が有望な若手なのは知っていたが、同じC2で順位戦の対戦相手でもあり痛い敗戦だし、中原16世名人の年間勝率記録ごえとか棋戦優勝、タイトル挑戦を期待しているくちとしては想定外だった。
 

2017/07/16

(二)結婚は自由でなければならないという古典カノン法を基軸とする西洋文 明の婚姻理念を継承すべきであり、婚姻の自由を抑制する婚姻適齢引き上げに 強く反対である

[目次]
 
1概略バージョン1

(1)古典カノン法の何が自由なのか

A 古典カノン法とは
B 当事者の相互的な婚姻誓約だけで婚姻が成立(無方式合意主義諾成婚姻理
論)
C 家父ないし両親・領主の同意要件を明確に否定(親族とのコンセンサス
の排除)
D 婚姻適齢はローマ法を継受したが成熟は年齢を補うという理論によりさら
に緩和した
(2)結婚が自由でなければならない理由
A 聖書的根拠(淫行を避けるため手段としての結婚)
B 副次的理由
(3)古典カノン法が近代まで生ける法だった英国における自由な結婚の歴史
(4) 近代個人主義的友愛結婚の源流は古典カノン法にあり、現代人の結婚観を規定したものであるから、自由な結婚の理念は継承されなければならない
2.概略バージョン2
(1)明治民法施行前、そもそも婚姻適齢法制がなくても何の問題もなかった
し、婚姻適齢を引上げる正当な理由は何一つない
(2)婚姻適齢法制の文明基準2000年以上続いているローマ法の男14歳女12

3)親や領主の同意要件を否定し未成年者の婚姻を肯定する教会法が婚姻成
立要件では人類史上もっとも自由主義的な立法である
(4)秘密婚を容認する古典カノン法が近代まで継続したイギリス(結婚は自
由でなければならない、それは現代人の結婚観の基本となった)
3 概略の補足
(1)ローマ法
(2)キリスト教とセクシャリティ(カノン法成立の背景と現代人の結婚観の
基本)

A 新約聖書における三種類の全く異なった思想
a) 婚姻と通常の社会関係を否定する反(脱)社会思想(イエスの急進的使信)
b) 仮言命法による結婚の消極的是認(真正パウロ-コリント前書7章)
c) 結婚を肯定し家庭訓を説く(第二パウロ書簡と第一ペトロ書)
B 独身優位主義の確定とその決定的な意義
C 情欲の鎮和剤remedium concupiscentiaeとしての結婚目的は決定的で、婚
姻の自由のもっとも重要な根拠である
D コリント前書「情欲の緩和」が近代個人主義的友愛結婚の思想的源流でも
ある
(3)教会の管轄権となった婚姻と、秘跡神学の進展

4)古典カノン法の成立
(5)秘密婚をめぐる軋轢、世俗権力との抗争
(6)トレント公会議で要式主義へ転化したが親の同意要件は一貫して否定
(7)フランス-教会婚姻法から離反(婚姻法の還俗化)の嚆矢
(8)イギリス-宗教改革後も無式合意主義(古典カノン法)が生ける法とし
て継続

A 古典カノン法が近代まで生ける法だったイギリスの特筆すべき法文化
B 秘密婚の隆盛(17世紀より18世紀前半のイギリス)
C 1753年ハードウィック卿により婚姻法の還俗化
D グレトナ・グリーン結婚(18世紀中葉から19世紀中葉)-それでも自由な結
婚が有効だった
1 概略バージョン1
(1)古典カノン法の何が自由なのか
 婚姻は、自由でなければならぬMatrimonia debent esse libera(Marriages ought to be free)というローマ法の法諺がある。[守屋善輝1973 356頁]
 この法諺はローマ法の無方式合意主義諾成婚姻理論を継受した教会婚姻法の理念としてより鮮明なものとなっている。それは西洋文明規範ともいえる。
 古典カノン法が事実上容認していたいわゆる秘密婚marriage clandestin問題ともいえる。教会法は当事者に最大限の自己決定権を与えている。それは、たんに無方式合意主義というだけでなく、ローマ法の婚姻適齢をさらに緩め、性行為が可能なら年齢制限が事実上ないことからも明らかである。この婚姻法は世俗的な利害関係を捨象した結婚の理念をもっていたから、軋轢を生じたのは事実である。結果的に近現代では、親の同意し要件を否認する教会婚姻法は否定されて還俗化し、今日実効性のある婚姻法は世俗国家のものとなっている。とはいえ、古典カノン法の法文化は一貫し特に英米で寿命が長かった。歴史的意義は大きく、現代人の結婚観念の基本ともなっているのである。
 単婚の婚姻理念を劃定したのはカノン法であり、その理念を無視することはできない。無視してよいというのは、社会主義者かアナーキストかということになるだろう。
 ここで古典カノン法と言ったのは12世紀に成立した教会婚姻法をさし、1563年のトレント公会議以降の婚姻法、カノン法を全廃して成文法典として1918年以降の教会法と区別する趣旨である。
 
A 古典カノン法とは
 
 中世ラテン=キリスト教世界では、9世紀に成立した偽イシドルス教令集が教皇主権
の根拠とされ、カロリング朝が終焉した10世紀半ばには俗権に対し教権が優位に立ち、婚姻事項を霊的裁治権として教会裁判所の専属管轄権とした。従って教会婚姻法が西方の統一法である。こののち神学者によって婚姻の秘跡性が理論化されていくこととなる。
 いわゆる「教皇革命」ののち12世紀中葉に教皇受任裁判がなされるようになり、教皇庁が司法化していく。教皇は婚姻事件の最終裁定者となった。古典カノン法とは各地で採録された,教令(Dekretale) 教皇の回答 (Erlasse)などを体系的に集成したものであり、教会婚姻法は主として教皇アレクサンデル3世(在位1159~1181)期に成立し、1234年の『グレゴリウス9世教令集』には婚姻法関係が全21章166条収録されているが、その三割強がアレクサンデル3世の教令である。[直江眞一2014]「法律と行政の天才」」といわれる教皇アレクサンデル3世が無方式合意主義婚姻理論、正確には緩和的合意主義を決定的に採用したことで劃期といえる。
 イングランドでは、教会裁判所は婚姻と遺言による動産処分を専属管轄権として安定していた。中世のイギリスは事実上国王と教皇の共同統治国家だったのである。メイトランドがいうとおり、イングランド婚姻法とはローマ教会婚姻法そのものにほかならない。
 もっとも1236年マートン大評議会で、教会側の強い反対にもかかわらず、世俗貴族は一致して、教会法の婚姻遡及効(アレサンデル3世の教令による後の婚姻による嫡出子の準正)を拒否した。「我々はイングランド法を変更することを欲せず」(Nolumus leges Anglie mutare)にと決議したのである。土地の相続は世俗裁判所の管轄として劃定したのである。もっともこれはどの子どもが長子かという問題で教会婚姻法の根幹を揺るがすことではない。相続に関して教会裁判所の干渉を避けていたのはイギリスだけではなく大陸でも同じことである。しかし婚姻の成否については教会裁判所の管轄権であることは明確であった。
 古典カノン法の特徴は、社会的経済的利害関係の捨象である。第三者の干渉しない当事者の合意で成立する婚姻であり、個人に最大限の自己決定権を与えていることである。教会婚姻法では秘密婚を抑止することができないため世俗社会から強い非難を被っていた。
 もちろん教会の戸口の前の儀式や、婚姻予告も中世においてなされていた。しかしそのような儀式がなくても有効な婚姻なのであり、無方式にこだわるのが古典カノン法の理念であるからである。
 教権は教会婚姻法が秘密婚を擁護しているという非難をかわすためにトレント公会議の閉幕年1563年のタメットシ教令で婚姻予告や教会挙式を義務化する。婚姻の自由という観点ではトレント公会議は、大きな後退といえる。
 また16世紀中葉のフランスを嚆矢として19世紀まで緩慢な進行により婚姻法は還俗化していくこととなる。
 しかしイングランドでは宗教改革後、教会裁判所は市民法律家に入れ替わっても18世紀中葉まで古典カノン法が「古き婚姻約束の法」として生ける法として実効性があり、スコットランドではその後も生ける法として実効性があった。
 従って古典カノン法の自由な理念の寿命が長く影響力が大きかったのは現代のカトリック地域というより古典カノン法=コモン・ローマリッジとして生ける法だった英国であり、つまり英米文化圏である。近現代人の結婚観にも大きな影響を与えている。
 では古典カノン法の何が自由であるかというと次のとおりである。
 
 
B 当事者の相互的な婚姻誓約だけで婚姻が成立(無方式合意主義諾成婚姻理論)
 
 ローマ法においても5世紀のユスティニアヌス帝は、結婚は当事者の合意によることを原則として、迎妻式や婚資の証書を婚姻成立の要件から排除したのである。[船田享二1971 40頁]
 合意主義それ自体は古く、ローマの古典時代からのものである。2世紀の正統的なラテン教父テルトゥリアヌスは「婚姻は意思によって完成する」といい、4世紀の四大教父聖アンブロジウスも「処女性の喪失ではなくて結婚の約束が結婚を作る」と述べ、9世紀の教皇ニコラウス1世も外形的に認識され得べき合意を婚姻締結の本質要件とした。[船田享二1971 41、62頁]
 11~12世紀においては、ボローニャ学派が合衾主義を説いたが、フランス学派は合意主義婚姻理論を説いた。教会法学者として著名な聖イヴォ(没1116頃シャルトル司教)、ランのアンセルムス(没1117)、サンヴィクトルのフーゴー(1096~1141)、中世最大の教師ぺトルス・ロンバルドゥス(没1160パリ司教)がそうである。
 古典カノン法は、12世紀に成立する。教会婚姻法の骨格は各地で採録された教皇アレクサンデル3世(位1159~1181)の教令といってよい。教皇アレクサンデル3世が決定的に採用したのが緩和的合意主義婚姻理論である。
 現在形の言葉による相互的な婚姻誓約(suponsalia per verba de praesente『我は汝を我が妻とする。I will take thee to my Wife 我は汝を我が夫とするI will take thee to my Husband』)と言うだけで婚姻が成立し、合衾copula carnalisで完成婚となり婚姻非解消となる。未来形の相互的婚姻誓約は、合衾によって完成婚となる。2人の証人(俗人でよい)が必要だが、理論的には証人がなくても婚姻は成立する。
①現在文言での約言(婚姻成立)→合衾(完成婚)
②現在文言での約言(婚姻成立)→合衾の前に修道生活入り又は教皇の免除(例外的に婚姻解消)
③未来文言での約言(婚約)→現在文言での約言(婚姻に転換)→合衾(完成婚)
④未来文言での約言(婚約)→合衾(完成婚)
[塙陽子1993]
 このように本来の教会法の婚姻とは当事者の合意としての民事行為である。東方教会では、婚姻とは司祭の行為であり典礼儀式のことであったが、西方では合意説theria cosensusをとっているため司祭の祝福や典礼儀式は婚姻の成立とは無関係となった。
 12世紀の秘跡神学では婚姻の秘跡とは婚姻という一つの現実ににおいて表象されるキリストと教会の結合の秘儀というものであったから、司祭の祝福や典型儀式と結びつけられてはいないのである。教会儀式は神学的にも婚姻成立のために不要だったのである。
 ペトルス・ロンバルドゥスはキリストと教会の一致をかたどる一つのイメージは結婚愛によって開始され、性交により完成されるとする。[枝村茂1975]
 また教皇アレクサンデル3世は、性交によって完成された婚姻はキリストと教会の秘儀のイメージをその中に有しており、キリストと教会の不解消的一致の秘跡であると述べている。[枝村茂1975]
 このように、12世紀の秘跡神学は、聖なる絆として婚姻非解消主義の一つの根拠ともなっているが、一方結婚愛や夫婦愛、性交を神聖視したのであり婚姻とは社会的経済的利害関係が第一義ではないとする近代個人主義的友愛結婚の思想的淵源であったといえる。
 もちろん、合意主義といってもカノン法は婚姻非解消主義であり、婚姻誓約が二度あった場合は最初の相手が正当な結婚である。二度目の婚姻誓約はたとえ事実上の夫婦であったとしても婚姻としては無効となるという点で、厳格主義である。しかし婚姻成立が容易であり、個人の自己決定を最大限認めている点で自由主義的法制といえるのである。
  
 もっとも13世紀になると典礼儀式に秘跡の効力を帰する神学者の見解は少なくなくなる。また1215年の第四ラテラン公会議で秘密婚の抑止のため式婚姻予告を奨励するが、義務ではないため「秘密婚」は有効な婚姻だった。
 なお、教会の戸口の前の儀式を要求したのは英国では世俗裁判所であって、寡婦産の設定のためであり、古典カノン法は挙式を要求するものではない。
 ちなみに中世史家の鵜川馨[1991 531頁]によれば花婿が花嫁に指輪や銀貨を贈るセレモニーについて、「‥‥ゲルマン法に固有の婚姻契約の履行を担保するものとしてを 動産質 (E pledge, OE wedd)を与える儀礼が,教会の儀式にとりこまれたことを示している。従ってweddという言葉は、将来夫の死後に寡婦産として現実に土地の引渡しを担保するものとして,指輪あるいは銀貨が与えられるのであって,本来は質物,担保を意味した‥‥」とウエディングの語源を説明する。つまり指輪や銀貨等はゲルマン法に由来し、教会法が要求している事柄ではない。
 
C 家父ないし両親・領主の同意要件を明確に否定(親族とのコンセンサスの排除)

 

 ローマ法では婚姻当事者が家長権に服する場合、家長の同意のない婚姻は無効とされた[船田享二1971 56頁]。ゲルマン法のムント婚は、家父から花婿へのムント権(庇護権)の譲渡である。
 しかし教会法は家父(両親)に家子の結婚をコントロールする権限を認めない。古典カノン法の婚姻適齢は次節のとおり男14歳、女12歳であるが、当事者に最大限の自己決定権を付与している点、人類史上類例のない法文化といえるのである。
 
 実際、駆け落ちや周囲が強く反対する結婚であっても教会法を利用して恋を貫いた多くの事例がある。
 例えば1469年英国ノーフォーク州の名家パストン家の長女マージョリー20歳は、初恋の相手である家令のコールと結婚した。コールはパストン家の金庫番であり使用人の監督者でもあったが、身分違いの結婚のため家族から猛反対されたが、コールは賢く、ノーリッジ司教に仲裁を求めた。教会法により二人の婚姻誓約は有効とされたのである。[社本1999]
 このようにカノン法は、当事者の幸福が家族のプライドによって犠牲にされることのない、恋愛の結実が結婚であるという文化を形成した。
 この自由な婚姻理念は、結婚に伴う社会的利害関係を捨象しており、親権者の子供の結婚のコントロールを困難にしたから、世俗社会と軋轢を生じた。
 しかし教会は婚姻の自由のために数世紀にわたって世俗権力と抗争したのである。世俗権力は要式主義、親の同意要件を要求したが、1563年トレント公会議は秘密婚に対する非難をかわすため要式主義をとることで妥協したものの、フランスガリカン教会による親の同意要件の要求は断固として退けた。
 
D 婚姻適齢はローマ法を継受したが成熟は年齢を補うという理論によりさらに緩和した
 
 カノン法の婚姻適齢はローマ法の男14歳、女12歳を継受したが、教皇アレクサンデル3世は婚姻適齢前であっても合衾により完成婚に至ったならば性関係を続けなければならないとしているので、合衾(床入り)が可能(つまり少年に処女を奪い取る能力があり、少女が合衾に耐えられる成熟に達しているの)なら婚姻適齢以前でも早熟が年齢を補うものとして婚姻適齢なのである。カノン法は性交不能を婚姻障碍としているので、性交可能なら実質年齢制限はないといってよい。しかも両親や後見者の同意要件がないため著しく婚姻成立容易な法制といえる。
 従って次の1601年の教会法学者ベネディクティの見解は、教皇アレクサンデル3世の教令に従ったものといえる
 「要求される年齢はいくつか?女子は最低11歳半、男子は13歳半である‥‥ただし、法律のいう、早熟が年齢を補う場合は別である。その例=10歳の少年が射精、もしくは娘の処女を奪い取るに足る体力・能力を備えているならば、結婚が許されるべきこと疑いをいれない。‥‥男との同衾に耐え得る場合の娘についても同様であり、その場合の結婚は有効である」Benedicti, J1601. La Somme des peches1601[フランドラン1992 342頁]
 つまり女子の場合は、身体的交渉に耐えられる大人っぽさがあれば、12歳未満でも婚姻適齢とする。
 なお、カトリック教会は1918年にカノン法を全廃し、新成文法典としており、婚姻適齢も男16歳、女14歳と改定しているが、成年期を満20歳、成熟期を男14歳、女12歳としていることは変わっておらず、成年期が権利の自由な行使のできる年齢であっても、例外として婚姻、修練期への進入、墓所の選定等は未成年者に両親・後見人の承認を得ることなく自由な権利の行使を認めており、この点は一貫しているのである。[ルネ・メッツ1962 107頁]
 
(2)結婚が自由でなければならない理由

 
A 聖書的根拠(淫行を避けるため手段としての結婚)

 
 結婚の目的として初期スコラ学者は真正パウロ書簡のコリント前書7:2,7:9(淫行を避けるための手段としての結婚)を決定的に重視した。これが婚姻の自由の根拠の第一にあげてよいだろう。淫欲の治療薬remedium concupiscentiae(Ⅰコリント7章2節、9節)と初期スコラ学者により公式化された教説である。
 ふしだらな行為、姦淫を避け放埓さを防止するため、情欲に燃えるよりは結婚したほうがよいというもので、パウロは、独身であることがより望ましいとしているが、しかし多くの人は、性欲を我慢できない、ゆえに結婚は自由で容易に成立するものでなければならないのである。
 古代教父では東方教会最大の説教者にして「黄金の口」と称されたコンスタンティノーブル司教ヨアンネス・クリュソストモス(344または349~ 407。聖人・教会博士)が、正当にも聖書に忠実な見解を述べている。
 結婚とは自然の火を消すために始められたものである。すなわち姦淫を避けるために人は妻をもつのであって、子どもをつくるためのものではない。悪魔に誘惑されないように夫婦が一緒になることを命じる。「一つの目的が残った。すなわちそれは、放埓さと色欲を防止することである」『純潔論』[ランケ・ハイネマン1996 77頁]
 13世紀パリ大学教授で組織神学者オーベルニュのギヨーム(1180頃~1249)は結婚が淫欲の治療薬である効果を発見した。「若くて美しい女性と結婚することは望ましい」なぜならば「美人を見ても氷のようでいられるから」。
 スコラ学者にとって結婚とは性欲の治療薬であった。美人を見ても冷静でいられるようにするため美人と結婚するという同毒療法だったのである。
 性倫理の確立という点でも、婚姻の自由は重要で、淫らな生活、姦淫の総数を減らし、子どもを私生児にしないために、性的熱情は夫婦の床に限定されることが望ましいのであるから、婚姻の不自由は、不品行な性行為を助長しかねないためである。ゆえに婚姻に容易に成立し自由でなければならない。
 福音書のイエスの使信は結婚を積極的に位置付けておらず、むしろ否定的である(ルカ12章49~53節)。第二パウロ書簡(偽パウロ書簡)や第一ペトロ書には家庭道徳訓(コロサイ3章18節-4章1節、Ⅰテモテ2章8節-3章1節、6章1-2節、Ⅰペテロ2章18節-3章7節)があり、結婚を明確に肯定する表現もある(Ⅰテモテ5章14節、へブル13章4節)。またエペゾ書5章24-25節には夫婦関係をキリストと教会の関係になぞらえる表現があるが、なぜ結婚の理由付け、目的については立ち入ってない。
 パウロの真筆書簡で結婚について集中的に語っているのはコリント前書7章1~40節で、真正パウロは仮言命法的に結婚を消極的に肯定しているが、パウロは結局、結婚する理由として淫行を避けるため、我慢できないなら結婚してよい(Ⅰコリント7章2節・9節)と、年頃の娘なのに行き遅れると心配するなら結婚してよい(Ⅰコリント7章36節)ということしか言っていないのである。
 
B 副次的理由
 
 第二に結婚が秘跡とされたこと。
 ラテン的キリスト教世界では、4世紀に独身聖職者制に異議を唱えたヨウィニアーヌスJovinianus がローマ司教シリキウスにより異端宣告され、徹底的に叩かれたように、独身者が最善で、結婚は性欲を自制できない人の次善の選択との位置づけだった。
 10世紀以降婚姻が教会裁判所の管轄権となって婚姻を神学的に明確に説明することが必要となった。結婚を悪とする異端のカタリ派やアルビ派対策としても積極的な位置づけが必要だった。
 11~12世紀の秘跡神学の進展により、結婚は花婿キリストと花嫁教会の結合を象徴するしるしとして秘跡とされた。サクラメントとされた以上性交や夫婦愛を神聖視されていくことになる。
 第三に独身聖職者制である。婚姻の自由と結婚せざる自由はコインの裏と表の関係であり、教会法は血族・庇護者の利害のための強制的な排除し、自己決定により修道生活に入ることができるようにしたのである。それゆえに、家父(両親)の同意要件をかたくなに否定した。優秀な人物は独身のまま聖職者となるべきだった。独身優位主義だからこその婚姻の自由という法文化を引き出したといえる。
 第四に教会法は普遍一般法であるから万人に適用される性格のもので、どの地域でも受け入れられるものでなければならない。挙式や婚資や迎妻式を結婚の要件としないのも地域差があり(地中海世界は持参金型社会、北西ヨーロッパは花嫁代償)、貧しい者であれ万人に通用するものでなければならないからである。合衾主義は処女性を重視する地中海世界に対応できるが、基層文化として婚前交渉に寛容な北西ヨーロッパでは合意主義のほうが合理的だった。言葉による相互の誓約は証人により確認できるが、合衾したことの証明が困難な場合もある。
 
 
(3)古典カノン法が近代まで生ける法だった英国における自由な結婚の歴史
 婚姻は、自由でなければならぬMatrimonia debent esse libera(Marriages ought to be free)という法諺がまさにあてはまるのが、英国の婚姻法制史、結婚風俗史である。
 トレント会議の要式主義をとらずに古典カノン法が生ける法として継続したからである。
                   *
 教権はルター派などからの教会法では秘密婚marriage  clandestinを防止できないという非難をかわすために1563年トレント公会議閉幕年のタメットシ教令は 婚姻公示(予告)、婚約者の一方の住む小教区の主任司祭の前での挙式、 2名ないし3名(最低2名)の証人の出席、新郎新婦の署名が必要とされ、秘密婚を無効とした。
 トレント公会議に影響力をもった神学者はメルヒオールのカノである。彼は司祭が秘跡の執行者であることを強く主張した。[枝村茂1975]それは12世紀の神学・教会法学者とは異なる考えといわなければならないが、司祭がかかわらず俗人二人の証人が形式的要件だった古典カノン法からすると婚姻の自由という観点では明らかに後退したといえる。
 一方フランス(ガリカニスム教会)からの親の同意要件の要求は断固として拒否した。このため1579年のブロワの王令は、教会が出したタメットシ教令によって課された要件に加えて、挙式時に「4人」の証人の出席が必要とされ、さらに両親の同意を要件とした。[大島梨沙2011]このため、カノン法的には合法でも王法としては 無効な婚姻が出現することになり、以後緩慢な進行で、婚姻法の還俗化が進行していくことになる。。
 しかし、トレント公会議によって無方式諾成婚姻理論が途絶えたのではない。英国では宗教改革により教会裁判所は聖職者から市民法律家に入れ替わったが、トレント公会議を受け入れる必要がないため、古典カノン法は、「古き婚姻約束の法」(コモン・ローマリッジ)として継続した。イングランド婚姻法とはメイトランドが述べたとおりトレント公会議以前のローマ教会婚姻法そのものだったのである。
 とはいえ英国でも秘密婚は弊害と認識されており、英国教会は1604年に婚姻予告もしくは婚姻許可証による教会挙式と21歳以下の未成年者の親の同意要件を定めたが、教皇の免除を歴史的由来とする主教の裁治権の及ばない、特権教会、特別教区等で行われる自由な婚姻は「古き婚姻約束の法」が生ける法として有効な婚姻であり続けたたため、1604年法は死文化したのである。
 駆け落ちだけでなく婚姻予告制度を嫌う人々は秘密婚センターであるメイフェア礼拝堂やフリート街の結婚媒介所で結婚したのである。[栗原真人1992b、1996、柴田敏夫1987、加藤東知1927]
 イングランドでは1753年の大法官ハードウィック卿法(議会制定法)で、「古き婚姻約束の法」を無効とし、婚姻予告または婚姻許可証による教会挙式と21歳以下の未成年者の親の同意要件を定めた。フランスより200年遅い婚姻法の還俗化である。イギリスで古き婚姻約束の法が、他国より長い寿命を保ちえたのは制定法によりコモン・ローを無効化することに躊躇があったためだろう。
 逆説のようだが、婚姻法の還俗化とは教会挙式の強制と親の同意要件の設定だったのである。しかし同法はスコットランドには適用されず、しかもイングランド-スコットランド協定で1863年まで、イングランド人でスコットランド法による未成年者が親のどういてを要せず、婚姻予告も婚姻許可証も必要のない自由な結婚が可能だった。スコットランドでは改革教会はトレント公会議に対する反発で、なお古き婚姻約束の法を墨守していた。
 このためにイングランドとの国境地帯に多くの結婚媒介所が設立され駆け落ち婚のメッカとなった(グレトナ・グリーン結婚)。純愛に燃える二人が轟く胸を抑え、はるばる北国へ自由な結婚の聖地をめざし四頭馬車を駈けるロマンチックな結婚は人気となり、恋に恋する乙女たちの憧れとなった。[岩井託子2002、松下晴彦2004、加藤東知1927]
 このようにして英国で古典カノン法=古き婚姻約束の法が生ける法としての寿命が長かったため、多くの国民が駆け落ちや周囲が強く反対する結婚であっても恋を貫いたのである。結婚は親族のためのものではなく自己自身のためで婚姻の自由は抑制されるべきではないとの法文化が根づいた。そのハイライトがグレトナ・グリーン結婚だったといえるのではないだろうか。
 
 
(4)近代個人主義的友愛結婚の源流は古典カノン法にあり、現代人の結婚観を規定したものであるから、自由な結婚の理念は継承されなければならない
 このように英国では古典カノン法の近代まで生ける法だった。秘密婚は非難されたが多くの民衆は婚姻許可証も不要、親の同意の必要のない古き婚姻約束の法により婚姻したのである。個人の心理的充足を第一義とする近代個人主義的友愛結婚(それは我が国でも広く受け入れられている結婚観)は、エンゲルスのいうように近代にはじまるものではなく、古典カノン法の婚姻理念の影響により形成されたものと理解すべきである。夫婦愛を神聖視したのもキリスト教だった。コリント前書7:2,7:9(淫行を避けるための手段としての結婚)という結婚の目的は、本質的に個人主義的心理的充足のためのものであって、社会的利害関係とは無縁な思想なのである。典型的な個人主義的結婚の提唱者であるミルトンのいうような、孤独から救済し慰めと平和を得るための結婚観も聖書に基づいており、コリント前書も引用されていることから、同じ思想系譜とみてよい。
 したがって西洋文明の影響下にある文明世界の多くの人々の結婚観の基本はカノン法の自由な結婚理念だった。我が国においても憲法24条が両性の合意に基づくとして合意主義婚理論は継受しているのであるから、その理念は継承されなければならず、ゆえに婚姻の自由を抑制する婚姻適齢を引き上げることに反対である。
 また結婚の自由は、中世カノン法にもとづくから、近代の経済的自由、営業の自由、宗教の自由、言論の自由といった観念より古い。近代の個人主義的自由主義の源流はカノン法とみてよいと思う。それゆえ継承されるべき理念である。
 とはいえ私の主張は、妥協的なもので、教会法にはきわめて好意的な考えだが、だからといって未成年者の親の同意要件を否認するものではない。世俗国家立法の考え方を否定もしないのである。その理由は、親の監護教育権・身上統制権は宗教の自由と関連し、現代では無視できない人権となっているからである。
 現代においては親族の利害のために家子の結婚を利用する考え方が衰退しているだけでなく、世俗政府の家族関係、親権への干渉は危ういものと考えるためである。
 しかし婚姻適齢では文明の理念を継承するために妥協できない。
 もっともカトリック教会は1918年の新教会法典で、婚姻適齢を男16歳、女14歳としているが、それでも世俗国家よりも低い基準となっているのは、当然のことである。
○Iコリント7章9(田川建三訳)
「もしも我慢できなければ、結婚するが良い。燃えさかるよりは、結婚するほうがましだからである。」
  remedium concupiscentiaeの観点からパウロは我慢しなくてよいと言っている。したがって16歳・17歳女子に我慢を強いる法改正に当然反対しなければならない。真正クリスチャンならなおさらのことである。
AKB総選挙で結婚宣言をした須藤凜々花の2017年6月21日のスポーツ紙記者会見で「我慢できる恋愛は恋愛でない」という名言が大きく報道され反響を呼んだ。聖書的にも正しいと思う。彼女は20歳だが、16・17歳女子も同じことである。夫婦の情緒的な依存関係、相手を共感的に理解し、力づけあい、感謝し合う、それは結婚以外に得難いものであり、それによって人生の困難、苦労も乗り越えられる。幸福追求に不可欠な価値である結婚を我慢する必要はないし、我慢を強いる法改正はまさに悪魔の法改正だといわなければならない。
 
 
2.概略 バージョン2
(1)明治民法施行前、そもそも婚姻適齢法制がなくても何の問題もなかったし、婚姻適齢を引上げる正当な理由は何一つない
 我が国の婚姻適齢法制は 養老令戸令聴婚嫁条が男15歳女13歳(唐永徽令の継受)、明治初期は婚姻適齢の成文法はなく、法定強姦罪に相当する改定律例第260条「十二年以下ノ幼女ヲ姦スモノハ和ト雖モ強ト同ク論スル」により、12歳以下との同意性交を違法としていることから、内務省では12年を婚嫁の境界を分かつ解釈としていた。[小木新造1979]
 明治民法(明治31年、1898年施行)は婚姻適齢男子17歳、女子15歳と制定したが、明治の30年間のように婚姻適齢の成文法がなかったというのは、婚姻年齢のことは国家が規定せず民間の慣習に干渉しなくても、本質的には何の問題もなかったといえるのである。
 明治民法のように医学上の見地から母胎の健康保持に必要な体力を有する年齢を婚姻適齢とする考え方も、身体的心理的成熟には個人差があるだけでなく、医学の発達、女子の体格・栄養状況から見ても、出産リスクが小さくなった今日には不要であり、婚姻適齢を引き上げる理由はむしろなくなったというべきである。
 
 
(2)婚姻適齢法制の文明基準2000年以上続いているローマ法の男14歳女12歳
 
 結婚の定義とはなんであろうか。西洋の単婚理念をあらわすものとしてひとくちでいえばユスティニアヌス帝の法学提要にある「婚姻を唯一の生活共同体とする一男一女の結合」といえるだろう。[船田享二1971 24頁]
 法制史的に言えば婚姻適齢法制の文明基準は2000年以上続いているローマ法の男14歳、女12歳で、カノン法はローマ法を継受し、コモン・ローもカノン法と同じである。もっとも、カトリック教会は1918年の新教会法典で婚姻適齢を男16歳、女14歳とし、英国も1929年に制定法で男女とも16歳を婚姻適齢としている。
 しかし、マサチューセッツ州は、現在でも未成年でも親の同意もしくは裁判所の承認で、男14歳、女12歳を婚姻適齢とし、ニューハンプシャー州は同様に男14歳、女13歳であり、2017年3月婚姻適齢引上げ法案は議会が否決したのであり、2000年の伝統はなお継続しているというべきである。
ローマの適齢法制はアウグストゥスの婚姻立法以来女子の婚約年齢を7歳、婚姻適齢を12歳としたことにはじまると考えられる。
 船田享二[1971 49頁]は「婚姻適齢は、男子については最初は個別的に決定され、後には満十四歳に達したときとされ、女子については第十二歳目に入ったとき規定された。」と述べ出所はガイウス1・196、ウルピアヌス11・28、学説類集12・4・8、勅法類集5・60・3としている。
 
(3)親や領主の同意要件を否定し未成年者の婚姻を肯定する教会法が婚姻成立要件では人類史上もっとも自由主義的な立法である
 ラテン的キリスト教世界で婚姻が霊的裁治権として教会裁判所の管轄となったのは10世紀である。婚姻適齢はローマ法を継受した。グラティアヌスは教会法で明らかにされていない問題はローマ法に従うべしと述べているのでこれは自然な流れである。
 婚姻成立についてはパリ学派の合意主義と、ボローニャ学派の合衾主義との対立があっ        たが、教皇アレクサンデル三世(位1159~1181)が緩和的合意主義を決定的に採用し、教会婚姻法が成立した。当事者の自由意思による現在形の言葉による相互的な合意(二人の証人)だけで婚姻は成立し、合衾により完成婚とされた。未来形の言葉による相互的合意は、合衾の時点で婚姻が成立するというものである。
 ユスティニアヌス帝が当事者の合意によって婚姻が成立する原則を明確にしており、大筋でローマ法の無方式諾成婚姻理論を継受したといってよい。
 ただし1つ大きな違いがある。ローマ法は婚姻当事者が家長権に服するときは家長の同意を必要とするとされているが、教会法は親や領主の同意要件を明確に否定している。
 婚姻は自由でなければならない。その神学的根拠は何だろうか
 結婚の目的として初期スコラ学者はコリント前書7章2節,7章9節(淫行を避けるための手段としての結婚)を決定的に重視した。これが婚姻の自由の聖書的根拠の第一にあげてよいだろう。
 淫欲の治療薬remedium concupiscentiaeと初期スコラ学者により公式化された教説である。ふしだらな行為、姦淫を避け放埓さを防止するため、情欲に燃えるよりは結婚したほうがよいというもので、パウロは、独身であることがより望ましいとしているが、しかし多くの人は、性欲を我慢できない、ゆえに結婚は自由で容易に成立するものでなければならないのである。
 結婚に関して最大限自己決定権を認める古典カノン法の無方式合意主義婚姻理論は秘密婚の温床となった。この自由な婚姻理念は、結婚に伴う社会的利害関係を捨象しており、親権者が子供の結婚のコントロールを困難にするものであったから、世俗社会と軋轢を生じた。しかし教会は自由な婚姻のために数世紀にわたって世俗権力と抗争したのである。
 教会は教会法では秘密婚を防止できないという非難をかわすために1563年トレント公会議閉幕年に婚姻予告と教会挙式を義務化したが、フランス(ガリカニスム教会)からの親の同意要件の要求は断固として拒否し、このため1566年フランス国王アンリ2世は「婚姻に関する王示」により、独自の婚姻法を定めた[小梁吉章2005]。これが婚姻法の還俗化の嚆矢である。
 したがってカノン法の男子14歳、女子12歳の婚姻適齢というのは、親や領主の同意要件のないものである。婚姻の自由と、修練者となる(結婚せざる)自由は、コインの裏と表であり、未成年者であっても個人の自由としたことが、教会法が人類史上画期的な意義のあるものといって過言でない。
 少なくともトレント公会議以前、教会法の理念ではロミオ16歳とジュリエット13歳が勝手に婚姻誓約しても婚姻の成立を妨げることはできない。
 しかも教会法学者はさらに婚姻適齢を緩和しようとした。
 「要求される年齢はいくつか?女子は最低11歳半、男子は13歳半である‥‥ただし、法律のいう、早熟が年齢を補う場合は別である。その例=10歳の少年が射精、もしくは娘の処女を奪い取るに足る体力・能力を備えているならば、結婚が許されるべきこと疑いをいれない。‥‥男との同衾に耐え得る場合の娘についても同様であり、その場合の結婚は有効である」Benedicti, J1601. La Somme des peches1601[フランドラン1992 342頁]
 そもそも12世紀の教皇アレクサンデル3世は、婚姻適齢前であっても合衾により完成婚に至ったならば性関係を続けなければならないとしているので、合衾(床入り)が可能なら実質婚姻適齢とするとは当然の理といえる。 
 初期スコラ的見解では、結婚の第一義的目的が淫欲の治療薬、情欲の緩和の手段を得るためであるから、性行動が可能な身体的・心理的成熟=婚姻適齢とするのが理にかなっている。
 加えて、結婚は11~12世紀の秘跡神学の進展により、花婿キリスト、花嫁教会の結合を象徴するしるしとして、秘跡とされたため、性交や夫婦愛も神聖化された。したがって若いからといって、神聖化された結婚を妨げる理由はない。
 また教会法は性的不能を婚姻障碍としているので、思春期以前の婚姻は実は婚姻障碍にひっかかるのである。したがって14歳・12歳はローマ法にならった目安で、合衾(床入り)が可能なら実質婚姻適齢でよいわけである。
 婚姻は教会の霊的裁治権とされ、教会法は福音書で告げられた法と同じく神の法であったから、まさしくこれこそが文明基準であった。
 もっとも、トレント公会議後の公式教導権に基づく文書である「ローマ公教要理」では男女が一つに結びつかなければならない理由として第一の理由は、相互の扶助の場として夫婦の共同体への自然的欲求、第二の理由として子孫の繁殖への欲求、第三の理由として原罪に由来する情欲の緩和の手段を得るためである。[枝村茂1980]とあり、3つの結婚する理由の1つが情欲の緩和となっているだけだが、聖書的根拠が明確なのは第三の理由なのである。
 また1917年に公布されたカトリック教会法典は婚姻の第一目的を「子供の出産と育成」第二目的を「夫婦の相互扶助と情欲の鎮和」[枝村1980]と明文化され、情欲の鎮和は第二目的に後退しているものの、現代においても無視できない意義を有することは聖書的根拠が明白であるから当然のことだろう。
 
 
 
(4)秘密婚を容認する古典カノン法が近代まで継続したイギリス(結婚は自由でなければならない、それは現代人の結婚観の基本となった)
 
 婚姻法の還俗化は、ルターの教会法拒否と、16世紀のフランス王権による婚姻立法を嚆矢とするが、イングランドが婚姻で世俗議会の立法としたのがフランスより200年遅れた1753年のハードウィック卿法、婚姻と遺言検認が教会裁判所の管轄から世俗裁判所に移管したのが1857年であった。
 イギリスは15世紀の宗教改革により、トレント公会議を受け入れる理由はなく、中世教会婚姻法は、「古き婚姻約束の法」(コモン・ローマリッジ)と称され生ける法として継続した。それは、教皇アレクサンデル三世の法といってもよいし、中世最大の教師にしてパリ司教ベトルス・ロンバルゥスの合意主義婚姻理論そのものといってもよい。
スコットランドの改革教会はトレント公会議に強く反発していたので、要式主義をとらず、古典カノン法の無方式合意主義が継承された。
 このため英国は、フランスや大陸よりも古典カノン法の自由な理念が近現代まで色濃く継承されたといえるのである。
 これは逆説ではない、そもそも教会婚姻法成立期に、イングランドから活発な教皇上訴があり、英国で採録された教皇令が、13世紀のグレゴリウス9世教皇令集に多く採録されており、イギリスは古典カノン法形成に寄与したばかりでなく、そもそもアングリカン教会というのも教皇アレクサンデル三世の命名で、王権はなるほど土地の相続に関して、教会裁判所の干渉を拒絶したが、英国において婚姻と遺言検認は教会裁判所の管轄権として安定していた。メイトランドがいうように、イングランド婚姻法とはローマ教会婚姻法そのものだったのである。
 もっとも英国教会は1604年に、婚姻予告もしくは婚姻許可証による挙式を義務付け、未成年者の親の同意要件を定めるが、一方で無方式合意主義婚姻理論の「古き婚姻約束の法」(古典カノン法と同じ)も生ける法であったため、歴史的由来(教皇の免除により理論上は教皇の直轄)により、主教の管轄の及ばない特権教会や特別教区が存在していたので、そこでは親の同意のないカップルであれ法的に有効な婚姻となった。
 このためロンドンのメイフェア礼拝堂と、フリート監獄、フリート街(フリート結婚)が特に有名な秘密婚媒介所であり、カップルの聖地となった。
 当時のロンドン市民の多くは、たとえ駆け落ちでなくても、教区教会での婚姻予告を嫌っており秘密結婚センターで結婚した。自由な結婚を求める民衆が少なくなかったのである
 しかし、1753年ハードウィック卿法により英国においても婚姻法を還俗化し、挙式と未成年者の親の同意要件を定め、ついに「古き婚姻約束の法」を無効とした。
 しかし、これで自由な結婚が終焉したわけではなく抜け道があった。同法はスコットランドには適用されず、スコットランド改革教会はトレント公会議に強く反発したことから古典カノン法は継続していた。イングランド-スコットランドの協定でイングランド人がスコットランド婚姻法によって結婚しても有効な結婚とされていたのである。
 このため、スコットランドの国境地帯に結婚媒介所が営業され、駆け落ち婚のメッカとなり、純粋な愛に燃えたカップルが胸を轟かせ馬車を駈けるロマンチックな結婚は大人気となった(グレトナ・グリーン結婚)。しかしこれも風紀が乱れたため1856年のプールアム卿法で、スコットランド法による結婚はスコットランド人か、スコットランドに3週間居住した住民に限られると定めたことによりグレトナ・グリーン結婚は衰退することになる。
 とはいえ英米文化圏において、婚姻の自由が重視されるのは古典カノン法=コモンロー・マリッジが一貫して、束縛のない自由な結婚の理念を色濃く継承してきた数百年の歴史的背景によるのである。教会法は名家のお嬢さんと家令という身分差のある結婚を断固として擁護した。フリート結婚は、客引きが寄ってきて聖職禄を剥奪された僧侶が立ち会う如何わしい雰囲気のある結婚だったが、グレトナ・グリーン結婚は馬車を駈けるロマンチックなもので有名人士も多くスコットランドで結婚し、演劇や文学作品の題材となった。要するに、婚姻予告が不要で、未成年者でも親の同意なく自由な結婚がなされていたことが語り継がれ、「結婚は自由であるべきである」という法文化が浸透している風土が英米文化圏にはあるといえる。
 私は近代社会の自由(経済的自由・宗教の自由等精神的自由)、個人主義的自由主義の起源は、カノン法の結婚の自由にあるという見解である。それゆえ文明史的意義のあるものであるから、この法文化は継承されなければならない。ゆえに婚姻の自由を抑制する、婚姻適齢引上げに絶対的に反対である。
 
 
3. 概略の補足
(1)ローマ法
  古典カノン法の無方式合意主義婚姻理論はローマ法の諾成婚姻理論を継受したものとされているのは次のような経緯によるものである。
 ローマでは古い時代においては、マヌス婚という夫権取得のための特定の方式(共祭または共買の)履行が求められる厳格な婚姻がなされた。これによって嫁女は夫権に服従するとともにいずれ家母となる地位を得た。
 しかし古典時代の法は夫権取得とは無関係に当事者が夫たり妻たる意思を実現する場合にこれを婚姻と認めて、それ以外に特殊な方式の履行、要件を規定しなかった。
 とはいえ実際上は、婚姻と事実上の結合を区別する諸種の手続が履行されることを常とし、古い時代の迎妻式はキリスト教の浸潤とともに、異教的とみなされ廃れるようになったが、帝政時代には一般的には婚姻締結のために、書面を用い、嫁資の設定を重視するようになった。
 西ローマ帝国末期の458年マイオリアヌス帝の勅法は嫁資の設定に証書の作成を必要とし、作成されない場合に婚姻を無効としたが、東ローマ帝国のユスティニアヌス帝が例外を除いて旧原則に戻した。[船田享二1971改版32頁]
 ユスティニアヌス帝の学説類集(Digesta533年)は、女が男の家に入る前にも婚姻が成立することを説く法文を採録した。帝はこのように迎妻の事実は必要とせぬ原則を示すとともに、他方書面の作成または嫁資の設定を婚姻成立のために重視しようとする一般の傾向に対して、嫁資の設定がなくても婚姻が当時者の合意によって成立するという古来の原則を確立する[船田享二1971改版40頁]
 ローマ法大全を編集させたユスティニアヌス帝が合意主義を原則とした歴史的事実は重い。カノン法に継受されるのもある意味では当然の成り行きともいえる。結局のところ、ローマ法もカノン法も、カノン法そのものであるコモン・ローマリッジも大筋では同じ理論と解釈できる。
 
 
(2)キリスト教とセクシャリティ(カノン法成立の背景と現代人の結婚観の基本)
 古典カノン法の成立は12世紀である。キリスト教とセクシャリティについてはそれ自体、大きなテーマであるが、カノン法成立の背景としてこの際概観したうえ、現代人の結婚観の基本となっていることを明らかにしたい。
 
 
A 新約聖書における三種類の全く異なった思想
 
 結婚や家族について、新約聖書はかなり異なった三つの思想が併存しているといえる。結婚や家族としての義務に消極的なイエスの使信(終末論的独身主義)、独身が望ましいが仮言命法的に消極的に結婚を是認する真正パウロ(終末論的独身主義)、結婚を肯定し、家庭訓を備え、脱社会的傾向の危険を防ぐためこの世的な社会制度にかかわることを是認する第二パウロ書簡等のことである。3つの思想は相矛盾しているともいえるが、重畳的に理解するならば最大公約数的には、独身者が優位というべきであり、独身聖職者制を揺らがないとしても、一般人の結婚は否定せず、後の秘跡神学にみられるようら善として肯定してもよいということになるだろう。
 

a)婚姻と通常の社会関係に否定的な反(脱)社会思想(イエスの急進的使信)

   
 
  イエスは去勢した人々(マタイ19:12)不妊の女を讃えた(ルカ23:29)また共観福音書には結婚と死を、独身主義と永遠の生命を結びつける思想が示されている[ぺイゲルス1993 57頁]。結婚に否定的な考え方は復活の問答に示されている。夫を失った女性が順次その弟と再婚した場合(レヴィラート婚)復活の際に彼はだれの妻となるのかという問答で、イエスは復活後の人間は天使のような存在になるから結婚関係は問題でなくなるという(マルコ12章18-17節、マタイ22章23-33節、ルカ20章27-40節)。[澤村雅史2017]
○ルカ20章34~35節
イエスは彼らに言われた『この世の子らはめとったり嫁いだりするが、かの世に入って死者のなかから復活するのにふさわしいとみなされる人々は、めとることも嫁ぐこともない。彼らは天使に等しい者であり、復活の子らとして、神の子であるゆえにもはや死ぬことがないからである』」
  またイエスは、すべての所有物を放棄せよ(マルコ10章21節、ルカ12章33節)、家族を捨て、畠を捨てよ(マルコ10章29節)両親・伴侶・子どもに対してであれ、家族の義務を捨てよと信従者に命じた。「‥‥自分の父、母、妻、子供、兄弟、姉妹をさらには自分の生命をも憎まなければ、私の弟子になることはできない」。(ルカ14章26節)。
 このようにイエスは家族の絆を裂き、破壊することを認めた。
○ルカ12章49~53節 
「私が来たのは、地上に火を投ずるためである。‥‥あなたがたは私が地上に平和をもたらすために来たと思うのか、否、言っておくが、むしろ分裂である。今から後、ひとつの家族では五人が分裂し、三人が二人と、二人が三人と対立する‥‥」と述べユダヤ人の社会生活のなかでも最も神聖とみなされている家族の義務を退けた。
 このようにイエスの使信は結婚や家族に否定的である。
 
 
b)仮言命法による結婚の消極的是認(真正パウロ-コリント前書7章)
   
  パウロの真筆書簡のなかで結婚やセクシャリティに関して集中的に述べているのは、コリント前書7章1-40節である。(いうまでもなく第一コリント書は54~56年エフェソで書かれた疑う余地のない真正のパウロ書簡である。パウロの名に帰せられている13ないし14書簡のうち、パウロの真筆は、ローマ人への手紙、コリント人への手紙第一、第二の手紙、ガラテヤ人への手紙、フィリピ人への手紙、テサロニケ人への第一の手紙の6書簡とされている。)
  パウロはコリント教会からの質問に答えるかたちで、結婚は淫欲の治療薬(2~5、9節)であるとされ、これは初期スコラ学者によって情欲の鎮和剤remedium concupiscentiaeとして公式化されたように、新約聖書を根拠とする結婚の目的の第一として強調してよいと私は考える。
  対抗宗教改革のローマ公教要理でも3つの結婚をする理由づけの一つになっている。
  パウロ自身は独身をもっとも理想的な状態としてとして考えているが(7章8節)、それを万人にあてはめようとはしない。 
  ひとくちでいえば現在終末論的独身主義といえるが、「もし自制できなければ結婚したほうがよい」(7章9節)というように仮言命法で結婚を消極的に肯定している。
 また、妻の身体は夫のもの、夫の身体は妻のもの、義務的性行為と、相手の性的要求を拒んではならないことも言及している。
○Ⅰコリント7章1-5節(田川建三訳)
「‥‥人間にとっては、女に触れない方がよい。しかし淫行(を避ける)ために、それぞれ自分の妻を持つが良い。また女もそれぞれ自分の夫を持つが良い。妻もまた夫に対してそうすべきである。妻は、自分の身体に対して、自分で権限を持っているのではなく、夫が持っている。同様に、夫もまた自分に対して自分が権限を持っているのではなく、妻がもっているのである。互いに相手を拒んではならない。‥‥‥」
○Iコリント7章8-9節(田川建三訳)
結婚していない人および寡婦に対しては、私のように(結婚せずに)いるのがよい、と言っておこう。もしも我慢できなければ、結婚するが良い。燃えさかるよりは、結婚するほうがましだからである。」
   
○Ⅰコリント7章36節
(田川建三訳)
「もしも誰かが自分の処女に対してさまにならないことをしていると思うなら、彼女がすでに十分に成熟しており、かつそうすべきであるのならば、その欲することをなすがよい。それは罪を犯すことにならない。結婚するがよい。」
(新共同訳)
「もし、ある人が自分の相手である娘に対して、情熱が強くなり、その誓いにふさわしくないふるまいをしかねないと感じ、それ以上自分を抑制できないなと思うなら、思いどおりにしなさい。罪を犯すことにはなりません。二人は結婚しなさい。」
(バルパロ訳-講談社)
「年頃を過ぎた娘を不面目に思っている人で、何とかとしようと思うなら、心のままにするがよい。それは罪を犯すことではない、結婚させてよい。」
 生殖目的の結婚という位置づけはしていない。これは29節「定められた時は迫っている」、31節「この世の形ある頼りになるものは過ぎ去って消える」[織田昭2007 16頁]としている現在終末論の脈絡から当然のことといえるだろう。
   
c)結婚を肯定し家庭訓を説く(第二パウロ書簡と第一ペトロ書)
      
  パウロの名に帰されているが、文献学的に真筆性が疑われているものを第二パウロ書簡という。エフェソ人への手紙、コロサイ人への手紙、テサロニケ人への第二の手紙、テモテへの第一、第二、テトスへの手紙、ヘブライ人への手紙である。
  新約聖書のなかでも比較的後期、AD80年から100年前後、パウロ系の教会の弟子筋の筆による偽作と考えられている。
  公同書簡第一ペトロ書は、70年以降の成立で、ペトロによるものではないとするのが有力である。
 後述の異端者ヨウィニアーヌスが発見したⅠテモテ5章14節、へブル13章4節は明確に結婚を肯定している
 また結婚関係による夫婦関係をキリストと教会の関係になぞらえる表現がある。(エぺゾ5章24-25節)
 
○エぺゾ書5章22-25節(田川健三訳)
  すなわち、妻は自分の夫に対して主に対するように(従え)。キリストが教会の頭であるのと同様、男が女の頭なのだ。キリストはまた(教会という)身体の救済者でもあるけれども、教会がキリストに従うようにして、妻はあらゆることについて夫に従え。夫たちよ、妻を愛せ。キリストもまた教会を愛し、教会のためにみずからを引き渡したもうたのだ。
  また正しい、健全な夫婦倫理・家族道徳を論ずる箇所が多くあり、のちにルターによって「家庭訓 」(Haustafel)とと呼ばれた(コロサイ3章18節-4章1節、Ⅰテモテ2章8節-3章1節、6章1-2節、Ⅰペテロ2章18-3章7節など。なおⅠテモテ4章3節は敵対者の教えのなかに結婚の禁止がふくまれていると述べている。)〔澤村雅史2017〕
「家庭訓」の一部
○コロサイ書3:18-20(田川健三訳)
  女たちよ、男たちに従え。それが主にあってふさわしいことである。男たちよ、女たちを愛せ。そして女たちに対してきつく対応してはならない。子どもたちよ。あらゆることについて両親に従え。これが主にあってよく気に入られることである。

  家庭訓は原始教会に由来しないとする説が有力で、ヘレニズムないしヘレニズムユダヤ教の倫理的訓戒・家政論を背景としているが、それとは異なる特徴も指摘されている。
  例えばコロサイ書 の家庭訓においては、当時社会的に弱小・劣者とみなされた妻・子供・奴隷などが、倫理的責任を負う呼びかけの第一対象に位置づけられていること。
  また19節では、妻への命令に続いて夫への勧めが述べられている。「愛しなさい」がヘレニズムでの道徳訓(家政論)には認められないのである。[山内昇2000]
  家庭訓を備える第二パウロ書簡等は、禁欲主義的、急進的なグループに反対し、キリスト教徒が脱社会的傾向に陥る危険に防ぐため、構造・社会制度に積極的にかかわることを勧め、それぞれの社会の場における「主」への従順の実践を促す機能を果たした。
  つまり常識的市民倫理(ペテロ第一2章13-14節は「主のために、すべて人間の立てた制度に従いなさい。それが統治者の皇帝であろうと‥‥」とある。)結婚、家庭等、よきこの世性が肯定されているのである。
  真筆性の疑いは決して聖書正典としての価値を毀損する趣旨では全くない。第二パウロ書簡等が正典でなければ、キリスト教は急進的なセクトで終焉してしまい、ローマの公認宗教となり世界宗教に進展しなかっただろうといわれるのである。
(蛇足ながら むしろフェミニスト神学が第二パウロ書簡等の家庭訓を非難し、これは古代道徳で女性が強くなった現代にはあわないと攻撃するのは聖書正典の価値を貶めるものとして非難に値する。 紀元後2世紀には、帝国下ではいたるところで女性が職業に従事し、観劇、スポーツ、コンサート、パーティ社交生活に熱中し、あらゆる種類の運動競技に参加し、武器をとって戦場に赴く者もいた[ペイゲルス1992 122頁] 新約聖書の家庭訓は、当時の女性解放的風潮に反対したことも大きな意義といえるのであり、このことは現代にも通じる。宗教改革500周年の今こそ家庭訓の意義を復権すべきだというのが私の考えである。)
      
      
B 独身優位主義の確定とその決定的な意義

      
  初期キリスト教会は独身を結婚より高く評価する傾向が主流であることは、使徒教父文書より明らかである。 
  4世紀独身者は結婚者よりも聖なる存在ではないと主張したヨウィニアーヌスは、彼は第二パウロ書簡に結婚を明確に肯定する思想を発見した。「‥‥若いやもめは結婚して子を産んでほしい」Ⅰテモテ5章14節「すべての人は結婚を重んずるべきである。また寝床を汚してはならない」へブル13章4節。ヨウィニアーヌスはさらにマリアの処女懐妊に疑問を呈した。
   彼は「現代のエピクロス」と非難され、四大教父の一人で禁欲主義のチャンピオンたるヒエロニムス( 聖人Hieronymus没420年)により徹底的に反駁され、ローマ司教シリキウス(位384~399)によって異端宣告された。
  ヒエロニムスはヨウィニアーヌスが不当にも、真正パウロ書簡コリント前書第7章を無視していることを激しく攻撃した。
  「もし「男性は女性に触れないほうが良い」(Ⅰコリント7章1節)のなら、触れることは悪い‥‥[パウロが唯一結婚を許すのは]、「姦淫の故」(Ⅰコリント7章9節)であって、それはあたかも、「もっとも上等な小麦粉を食べることは良い」ことでであるが、しかし飢えた人が排泄物をむさぼり食うなら大麦を食べても良いというもので‥‥」Jerome Adverrsus Jovinianum[ぺイゲルス1993 205頁]
  聖ヒエロニムスが言う以上、真正パウロ書簡であるコリント前書を無視した議論はナンセンスというのが正統的な解釈なのである。
  後に情欲の鎮和剤remedium concupiscentiaeとして公式化されたこともうなづける。
  ヨウィニアーヌスの異端宣告は独身聖職者制に挑戦する者を叩きつぶした点で大きな意義があった。独身者優位主義は、結婚せざる自由を確定し、逆説的に婚姻の自由をもたらしたという観点からも重要なのである
      
C 情欲の鎮和剤remedium concupiscentiaeとしての結婚目的は決定的で、婚姻の自由のもっとも重要な根拠である
         
 
  今日、キリスト教の教説において結婚の目的や意義は多義的に用いられているが、古典カノン法成立期の初期スコラ学者(ロンバルドゥスなど)が最も重視したのはコリント前書7章9 節「もし自ら制すること能はずば婚姻すべし、婚姻するは胸の燃ゆるよりも勝ればなり」すなわちふしだらな行為を避けるための結婚、情欲の緩和、情欲という原罪に由来する悪の治療の手段、毒をもって毒を制する同毒療法としての結婚である。これは初期スコラ学者によって淫欲の治療薬remedium concupiscentiaeと公式化された教説である
  性欲を自制できない大部分の男女は結婚しなければならない。そうしなければもっと悪いことをするだろう。人々は罪を犯し、子は私生児になるだろう。したがって婚姻は容易になしうるものでなければならぬ。[島津一郎1974 240頁]人々に宗教上の罪を犯させたり、子を私生児にしないようにする配慮から結婚は容易に成立すべきものだったのである。ゆえに結婚は自由でなければならない。
  意思せずとも勃起するように原罪によって性欲は免れられないものである。多くの人は制御不可能であり、それゆえ我慢できないなら結婚しなさいとの勧告である。パウロは我慢を強いるものではないから、婚姻の自由を抑制し婚姻適齢を制限することは、反聖書的なものといえるのである。
   remedium concupiscentiaeは古代教父では東方教会最大の説教者にして「黄金の口」と称されたコンスタンティノーブル司教ヨアンネス・クリュソストモス(聖人)が特に重視している。結婚とは自然の火を消すために始められたものである。すなわち姦淫を避けるために人は妻をもつのであって、子どもをつくるためのものではない。悪魔に誘惑されないように夫婦が一緒になることを命じる。「一つの目的が残った。すなわちそれは、放埓さと色欲を防止することである」『純潔論』[ランケ・ハイネマン1996 77頁]
  アウグスティヌスは子孫をつくることを結婚目的としたが、パウロのテキストに密着し忠実なのはクリュソストモスである。ゆえにクリュソストモスを評価する。
  私が生殖目的の結婚という趣旨を好まない理由はストア主義者など異教に由来するものと疑っているためである。
  真正パウロ書簡では結婚目的としては「もし自制できなければ」という仮言命法で淫欲の治療薬ぐらいのことしか語っていない。それは当然のことで、終末が切迫している状況においてのことである。
  第二パウロ書簡の意義については既に述べたとおりである。しかしながら真正パウロ書簡、コリント前書の淫欲の治療薬remedium concupiscentiaeは真筆であるがゆえに、より決定的な意義をもつということは、聖書解釈として正当なものだといわなければならない。
  13世紀 パリ大学の教授だったオーベルニュのギヨームはこう言った。「若くて美しい女と結婚することは望ましい」なぜなら「女を見ても氷のようでいられる」と同毒療法の教説を述べた。
  むろんコリント前書は、コリントが当時ギリシャ最大の産業都市で、神殿売春もさかん(否定説あり)で誘惑の多い都市であったことを背景としているが、真正パウロ書簡のなかで、結婚の意義について主としてふれているのはコリント前書第7章なのであり、結局真正パウロが結婚の目的として示しているのは「情欲の緩和」くらいしかないのであるから、初期スコラ学者がこれを重視したのは全く正当といえる。
  ジャンセニストという禁欲主義者は生殖目的を重視するが、生殖を結婚目的とする思想は先に述べたようにキリスト教固有のものではない。
  トレント公会議後の公式教導権に基づく文書である「ローマ公教要理」Catechismus Romanusでは男女が一つに結びつかなければならない理由として第一の理由は、相互の扶助の場として夫婦の共同体への自然的欲求、第二の理由として子孫の繁殖への欲求、第三の理由として原罪に由来する情欲の緩和の手段を得るためである。[枝村茂1980]とあり、3つの結婚する理由の1つが情欲の緩和となっているだけだが、聖書的根拠が明確なのは第三の理由なのである。
  また、1917年に公布された現行カトリック教会法典は婚姻の第一目的を「子供の出産と育成」第二目的を「夫婦の相互扶助と情欲の鎮和」[枝村1980]と明文化され、情欲の鎮和は第二目的に後退しているものの、現代においても軽視されていないのは聖書的根拠が明白であるから当然のことだろう。
       
 近代人は「情欲の緩和」とい結婚目的にあまり好意的でないことが少なくない。
  それは近現代社会が中世よりも非暴力的、道徳的に管理されすぎた社会となり、性的にも禁欲的であることが建前となったため、現代人が非常に性的に抑圧とされた生き方をしているためである。古代・中世はそうではなかった。15世紀のフランスではどのような都市でも市営娼家があり上りの料金は職人の日給の八分の一以下の廉価だった。それにもかかわらず強姦は多発し、ふつうの徒弟、商人の子息が通過儀礼的に集団強姦に参加した[フランドラン1992 346頁]。むろん犯罪ではあるが堅気の妻や娘でなければ大目にみられた。
  アウグスティヌスが意思せずとも勃起すると悩んだように、中世では性欲は制御不可能なものという認識であった。それは人間性を正しく理解しているといえるだろう。
 
       
D コリント前書「情欲の緩和」が近代個人主義的友愛結婚の思想的源流でもある
 
 私は初期スコラ学者が公式化した「情欲の緩和」remedium concupiscentiaeが結婚の最も重要な目的・意義と考える。むろん夫婦の相互扶助の意義もあるけれども、パウロは結婚の目的についてそれくらいのことしか言っていないのである。
 淫行という悪事を避けるための結婚というのは目的としては消極的な結婚観ともいえるが、婚姻の自由の根拠となった。「もしも我慢できなければ、結婚するが良い。燃えさかるよりは、結婚するほうがましだからである。」(Ⅰコリント7章9節)。我慢する必要はないのである。
 AKB総選挙で結婚宣言し話題となった須藤凜々花がスポーツ新聞記者会見で「我慢できる恋愛は恋愛じゃない」と語った(報知新聞2017年6月23日)というが、聖書的には正しい。結婚を我慢する必要はないし、パウロの勧告に従って結婚するのは正しい。
 ゆえに教会婚姻法(古典カノン法)は、婚姻に関して儀式も不要、主君や血族の干渉も排除し、婚姻適齢以前に合衾した場合は婚姻が成立するのである。つまり結婚の目的を個人主義的心理的充足のためのものとしたのである。恋愛の結実としての結婚を容認し、それはいわゆる近代個人主義的友愛結婚の理念に継承されていった、それは我が国でも広範な国民から支持されている結婚観念である。
 近代個人主義友愛結婚とは典型的にはミルトンが離婚論で展開した、慰めと平和を得るための結婚といえる。それはミルトン独自の思想ではなく、17世紀イギリス人の一般的な観念でもあった。
 ミルトンにとって結婚とは、アダムとエバの夫婦関係に神が意図したような、「適切な楽しい交わり(カンヴァセーション)を」を得るためのものだった。
 ミルトンのいう「交わり」にはもちろん性交も含む概念である。幸福追求の手段としての結婚である。[稲福日出夫1985]
 鈴木繁夫[2015]により敷衍するとミルトンの結婚における第一義的目的とは「神が原初において人間に結婚を命じたとき、その目的は「男と女が適切に楽しく交わり、その交わりによって、男は孤独な生活という害悪に対して慰めをえ、元気づけるため」(『離婚の教義と規律』)であるはずだという。魂のレベルにおける深い知的交流、一緒にいて楽しいという感情的交流、体感の疎通、性器性交のエクスタシーまでを含んだ広い意味での慰めが夫婦の交わりとして、結婚には保証されているというのだ」
 ミルトンは、コリント前書7章9節について、創世記2章18節「神言給ひける人独なねは善からず我彼に適ふ助者を彼のために造らんと」と結びつけ持論に引きつけた特徴的な解釈をとっている。
「私たち皆が知っているとおり、パウロは「情の燃えるよりは結婚する方がよい」といっている。それゆえ、結婚はその悩みの救済策として與えられたものである。しかしこの情が燃えるというのは何を意味するのだろうか。単なる肉欲のうながしや、情欲の刺戟ではないことは確かだ。神は特にそんな獣どもをかえりみたもうことはない。してみると、それはまだ不貞の罪を知らないがまえに、楽園でアダムの心に神が起こされたあの願い-すなわち人が独りでいて情を燃やすのはよくないとみられた神の願い-結婚という楽しい共同生活で、自分の魂にふさわしい魂を備えた別の肉体と結合することによって、冷酷な孤独感を追い払いたいというあの願い-それ以外の何物であろう」
The Doctine and Discipline of Divorce, ChapterⅡ.[西島正1954 163頁]
 ミルトンは貞潔な清教徒であるから遊蕩的なことはない。むろん結婚まで童貞であったはずだ。この解釈は禁欲が前提となってしまたった近代的バリエーションと理解してもよい。結局のところ淫欲からの救済も、孤独からも救済も、個人の心理的充足を第一義とする結婚観であることに相違ないのである。
 ミルトンがアダムとイブから結婚観を組み立てるのはテクニックだろう。秘跡神学のように結婚を花婿キリスト、花嫁教会の一致を象徴するしるしとしてしまうと、聖なる絆となって離婚論が成り立たなくなるからだろう。しかし夫婦愛を神聖視してる点で大差ないともいえるのである。
 むろん婚姻非解消主義とミルトンの離婚論は大きな違いがあるとはいえ、ミルトンとてコリント前書7:9を引用しているし、クリュソストモスや初期スコラ学者と同じく、生殖を婚姻の主要目的とみなさない点で、思想的には同一の系譜に属するという見方ができるのである。
 つまりキリスト教のこの教説は結婚の第一次的意義が、それは親族を喜ばすためのものでもなく、財産を増やすためでもなければ、世間体としての義務でもなく、当事者の心理的満足のためであるという結婚の意義をふつうのものとしたのである。それは古典カノン法の影響が近代まで濃厚だった英国の婚姻風俗史を検討すれば明らかなことである。なるほど基層文化として婚前交渉のある自由な恋愛風俗は西欧にもアジアにもある、しかし婚姻の法文化で個人主義的目的を第一義とする類例を知らない。
 以上のようにコリント前書第7章に示される「情欲の緩和」「淫欲の治療薬としての結婚」は、近代個人主義的友愛結婚の思想的源流の一つでもあり、現代人の結婚観に通じているものと理解することができる。
 
(3)教会の管轄権となった婚姻と、秘跡神学の進展
   
   
 ラテン的キリスト教世界では、カロリング朝が終焉した10世紀半ばに、世俗権力に対し教権が優位に立つようになり、9世紀に成立した偽イシドルス教令集は偽書であるが、教皇主権の根拠とされた。10世紀には婚姻を教会の霊的裁治権として教会裁判所の管轄権とした。
 また11~12世紀の秘跡神学の進展により、結婚は花婿キリストと花嫁教会の結合の聖なる象徴として積極的な意義が認められるようになった。1139年ラテラノ公会議で婚姻を基本的に悪ときめつけたカタリ派とアルビ派が異端宣告されたこともあり、スコラ学者は婚姻の秘跡性を明確に説明する必要があったからである。
 花婿キリストと花嫁教会の結合の聖なる象徴というのは、エぺゾ書にも奥義とされているので、もちろん古い思想である。
 枝村茂は、ヴェールかけの儀式について、ローマの婚姻典礼と、童貞女の奉献の典礼との一致を指摘している。婚姻典礼とは婚姻への祝福ではなくなり、花嫁のみの祝福になった。その理由はコリント前書7章11節にある。真正パウロによれば、男性は直接的に神の像であるけれども、女性はそうでない。したがって男は直接的にキリストを象徴し、女は教会を象徴する。したがって婚姻の祝福もヴェールの覆いも女だけ必要である。
 すなわち、キリストに対する妻たる教会の愛と奉仕が、夫に対する妻の愛において象徴的に表されるのである。妻にとっては夫はキリストのかたどりであり、彼女の夫に対する忠実と奉仕はキリストへの間接的奉仕を意味したのである。ヴェールに覆われた花嫁とは、キリストの似姿として純潔なものとして捧げられた女性なのである。童貞女は直接的に、人妻は間接的にキリストに仕えるということである。[枝村1975]
 婚姻成立理論については12世紀中葉までフランス学派の合意主義、シャルトル司教イヴォ(没1116頃)、ランのアンセルムス(没1117)、サンヴィクトルのフーゴー(1096~1141)、ぺトルス・ロンバルドゥス(没1160パリ司教)らと、ボローニャ学派のグラティアヌス(没1150?)の合衾主義で論争となったとされる。しかし、私が検討した限りでは、ロンバルドゥスとグラティアヌスとではさほど大きな違いはないようにも思える。決着をつけたのは教皇アレクサンデル3世(位1159~1181)であり、後述するような緩和的合意主義婚姻理論を決定的に採用した。
 合意主義婚姻理論はローマの諾成婚姻理論の継受ともいえる。ローマでは古い時代は、単なる合意だけではなく現実の迎妻の事実も必要とされたが、ユスティニアス帝により当事者の合意によって婚姻が成立するという原則を確立していたのである。
 このように本来の教会法の婚姻とは当事者の合意としての民事行為である。東方教会では、婚姻とは司祭の行為であり典礼儀式のことであったが、西方では合意説theria cosensusをとっており、12世紀では婚姻の秘跡とは婚姻という一つの現実において表象されるキリストと教会の結合の秘儀というものであったから、司祭の祝福や典礼儀式と結びつけられることはなかったので、教会儀式は神学的にも婚姻成立のために不要だったのである。
 例えばサン・ヴィクトルのフーゴーは、婚姻論を書いた最初の神学者であるが、非常に合意主義にこだわった立論をしているのが特徴である。婚姻を合意によってお互いに自分自身を相手に対して義務づける夫と妻の合法的生活共同体としたうえで、「彼の見解を要約すれば可見的共同体として-キリストとその教会との一致のかたどり-は夫婦愛と婚姻の人格的関係(res  sacramenti)の表現形態であり、他方この夫婦愛は神と人間との霊的関係を表象する外見的しるし(sacramentum)である。‥‥婚姻のもつ成聖の独自性はの人間に対する神の秘跡としての夫婦愛のなかに見出されるのである。」。このような夫婦愛を神聖視したもう一人の神学者としては13世紀のヘールズのアレキサンデル(1190~1245)の結婚を秘跡として受けた人の恩恵とは愛の霊的一致(unio spiritualis caritatis)という思想をあげることができる。[枝村茂1975]
 ペトルス・ロンバルドゥスはキリストと教会の一致をかたどる一つのイメージは結婚愛によって開始され、性交により完成されるとする。[枝村茂1975]
 また教皇アレクサンデル3世は、性交によって完成された婚姻はキリストと教会の秘儀のイメージほその中に有しており、キリストと教会の不解消的一致の秘跡であると述べている。[枝村茂1975]
 このように、12世紀の秘跡神学は、婚姻非解消主義の一つの根拠ともなっているが、一方結婚愛や夫婦愛、性交を神聖視したのであり婚姻とは社会的経済的利害関係が第一義ではないとする近代個人主義的友愛結婚のり思想的淵源であったといえる。
 
(4)古典カノン法の成立
 

 

 12世紀中葉、教皇受任裁判が制度化され教皇庁は司法化した。なかでも教皇アレクサンデル3世(在位1159~1181)は活発に働いて今日700ほどの教令が伝来している。これが古典カノン法の基礎になった。
 教会婚姻法とは教皇に上訴された具体的な婚姻事件などについて教皇の教令などを採録した体系的集成のことで、1234年の教皇庁公認の『グレゴリウス9世教令集』に婚姻法関係が全21章166条収録されているが、その三割強がアレクサンデル3世の教令であり[直江眞一2014]、同教皇が決定的な意味でパリ学派の合意主義婚姻理論を採用したのである。正確にいえば緩和的合意主義といい、現在形の言葉による約束で婚姻が成立し、合衾(床入り)で完成婚(婚姻の解消しえない絆)となるというもので、合衾以前に二人とも修道生活に入れば離別は可能としている。
 
 12世紀に確立した古典カノン法の最大の特徴は人類史上類例のない婚姻成立が容易な法文化といえることである。
 つまり、主君、血族による意思決定の排除(親や領主の同意は不要)、儀式も不要、当事者個人の合意のみで(諾成婚姻理論-形式的要件では二人の証人(俗人でよい)を要するが、理念的には法定婚姻適齢(男14・女12)に達していれば「我れ汝を我が妻とする」「我れ汝を我が夫とする」という相互の現在形の言葉による約束で婚姻は成立する(未来形の言葉の合意の婚姻約束(7歳から可)は合衾した時点で婚姻が成立する)というのはラテン的キリスト教世界の教会法だけなのである。
 (もっとも教皇の免除により政略的な結婚も可能だった。例えばヘンリー2世の娘ジョーン10歳をシチリア王グリエルモ2世の妃にしたのは、皇帝とシチリア王国の同盟を阻止する目的で教皇が熱心に勧めた政略的縁談だった。教皇はオールマイティである。)
 直江眞一[2014]の学説史研究によれば、Ch・ドナヒューは1976年の論文でアレクサンデル3世の法理論の新しさは当事者の合意の強調にあったとした。そのような意味で文明史の方向性を定めた教皇といえるのである。しかし2012年にA・ダノンがドナヒューを批判し、1140年教皇インノケンティウス2世がウィンチェスター司教宛ての教令ですでにパリ学派の合意主義婚姻理論により裁決をしており、アレクサンデル3世登位以前から教皇庁内ではフランス学派の理論の影響があったとしているが、インノケンティウス2世の教令は偽書とする説もあり、決着はついていない。私もこの論文を読んだことがあるが、
 インノケンティウス2世は対立教皇アナクレトゥス2世との厳しい抗争が決着がついたとはいえ、当時の教皇が政治的に不安定であったことを考慮すると偽書の蓋然性が高いとの感想をもった。
 合意主義の理念は我が国でも基本的に継受している。憲法24条は「婚姻は両性の合意のみに基いて成立し」としているがもとをたどれば古典カノン法の無方式合意主義婚姻理論に由来する。憲法24条起草者が西洋の法文化であるとしても古典カノン法を意識してはいないと思うが、その由来は教皇アレクサンドル3世の教令「ウェニエンス・アド・ノース」の婚姻理念にある。
 補足すると、教皇アレクサンデル3世は教令「ソレト・フレクェンテル」の中で、秘密結婚を契約した当事者たちは呪われるべきだし、結婚の合意は証人の前で交換されねばならないと規定したけれども、こうした要請の遵守を有効な結婚の条件とすることを差し控えた。
 一方教令「クォド・ノービス」の中で結婚は「合理的で合法的な理由があれば」秘密裡に契約しても構わないとした。
 教令「スペル・エオ・ウェロ」の中では、司祭の立会なく、あるいは厳粛さがなくても、現在形の言葉による合意によって契約された結びつきは、完全な拘束力を持つとした。[赤阪俊一2008]
 このように秘密婚に対して批判的な教令と許容的な教令が混在しているのだが、1170年代の教令は無方式合意主義を確定したといわれるのである。
 教会法はローマ法を継受し婚姻適齢を男14歳・女12歳としているが、教皇アレクサンデル3世は、婚姻適齢前であっても合衾により完成婚に至ったならば性関係を続けなければならないとしているので、合衾(床入り)が可能なら実質婚姻適齢といえる。
 ちなみに現在のカトリック教会は20世紀にカノン法を廃止し成文法典を定めているが「婚姻は法律上能力を有する者の間で適法に表示された当事者の合意によって成立する。この合意はいかなる人間の力によっても代替されえない」(第1057条1項)[枝村1985]と合意主義婚姻理論を継承しており、婚姻適齢は男16歳女14歳としているものの古典カノン法の理念と本質的には変わってないといえる。
 ではなぜ、グラティアヌスなどの合衾主義は採用されなかったのか。
 第一にヨゼフは許婚者とされるのがならわしだが、サンヴィクトルのフーゴーはマリアとヨゼフの間に真実の結婚があったと主張した。合衾がなくても婚姻が成立するとすれば処女懐胎と矛盾しないのである。[ランケ-ハイネマン1996]
 第二はうがった見方だが、当事者の合意が決定的で、主君や血族のコンセンサスを排除したのは、強制的な結婚を否定することにより修道院に優れた人材を供給するためだったともいわれる。結婚の自由は、結婚せざる自由と裏表の関係にあり、独身主義優位思想が結婚の自由を生んだともいえる。
 第三に合意主義はイギリスからの婚姻事件上訴による教皇受任裁判(アンスティー事件についてはわが国でも研究されている)の教皇の裁定により教令集に採録されたもので、基層文化として婚前交渉に許容的な北西ヨーロッパに合致していた。結婚において処女性を重視する地中海沿岸地域では合衾主義でもよかったが教会法はどの地域でも通用する普遍的な制度を採用したのである
 ちなみにアレクサンデル3世は皇帝と長期にわたって闘争し、合意主義の神学者の多いフランスと英国は一貫してアレクサンデルを支持していたので結びつきが強かった。
 第四に合衾(床入り)に証人を求めることが困難な場合があるが、言葉による誓約なら証人の存在により婚姻成立を確定できる。カノン法の証拠法は世俗法に先行した意義を有している。
 合意主義婚姻理論の採用に当たってはペトルス・ロンバルドゥス(没1160パリ司教)の影響力はいうまでもない。中世最大の教師である、中世の神学部の授業とはロンバルドゥス命題論集の註解なのであり、基本的テクストだった。文明の規範提示者であり、それゆえダンテの『神曲』では最後の審判でキリストに陪席する人物となっている。
 しかしこの文明の規範提示者として決定的には教皇アレクサンデル3世である。前名ロランドゥス・パンティネッリ、教皇庁尚書院長から、1959年教皇に登位した。
 同教皇は教皇首位権の確立のため、不撓不屈の精神で中世屈指の傑物皇帝フリードッヒ・バルバロッサと長期(枢機卿時代から通算して20年以上)にわたって闘争し、ついに1177年ヴェネツィア和約でサンマルコ広場で皇帝を跪かせた。またベケット殉教事件でヘンリー2世をノルマンジーに召喚したことでも知られる。その行政・政治力と頭脳の明晰さは明白である。
 同教皇の教令の特徴は、あくまでも結婚についての自己決定権を重視していることである。これほど自由にこだわったというのは偉大というほかない。
 「自由」の原理は「近代世界の最大の成果」といえるが、しかし、その淵源は、中世カノン法の結婚の自由にあると私は考える。もちろん婚姻非解消主義は自由主義とはいえないが、婚姻成立の要件でこれほど自由な法文化はないと結論できる。人類学では結婚とは社会的承認を意味しているが、そうでない結婚を許容しそれが法文化となった点で人類史上の奇跡である。ゆえに教会婚姻法はかけがえのない文明のレガシーである。
(5)秘密婚をめぐる軋轢、世俗権力との抗争
 中世教会婚姻法の無式合意主義婚姻理論の特徴は、秘密婚を許容し、婚姻成立の要件として、家族間の社会的利害関係がいっさい捨象されていることである。[河原温2001 192頁]
 この問題は古典カノン法成立期から意識されていて1215年第四ラテラノ公会議が合意主義の欠点を補うため婚姻予告の制度を奨励したが、依然として聖職者がかかわらない、合意主義の婚姻は有効であった。それゆえに親権者のコントロールがきかないので世俗の慣習と、対立、軋轢が生じた。
 ゲルマンの慣習法でムント婚とは、女性のムント権(庇護・後見権)保持者である、父より夫にムント権が引き渡されるというものである。そのさいムントシャッツなる婚資が贈与され、初夜の翌朝花嫁は、花婿から「モルゲンガーペ」(朝の贈り物)をもらって正式な妻となった。[赤阪俊一2008]
 しかし教会法は、結婚を人的庇護権の引き渡しとはみなしていない。婚資や嫁資といった世俗の慣習を婚姻に付随する慣習であっても婚姻の成立要件としていない。当事者の合意により成立、合衾により完成婚となり婚姻非解消となる。要件はそれだけなのである。
 英国において教会の扉の前の儀式を要求したのは世俗裁判所であって教会法ではない。土地の相続は世俗裁判所の管轄権のため寡婦産を確定するためである。金貨・銀貨・指輪の授与は花嫁に終身的経済保障するゲルマン法の動産質である。それがウェディングであり、婚姻成立要件そのものではない。
 12世紀イタリアの法学者ヴァカリウスは引き渡し(迎妻式)を婚姻成立で重視する見解をとっていたが、神学者や教会法学者の主流はそうではなく、教会法はそのような要件を定めるものでは全くない。無式の婚姻誓約だけで有効な結婚であった。
 しかし世俗的には婚姻は単に2人の魂の結合である以上に婚資と相続を通じた2つの家系、家産の結合であり、寡婦産の設定などの財産移転をともなう。身分差のある不都合な結婚は、親族集団や姻戚同士の反目を導き、嫡出子の相続の問題を引き起こし世俗社会と大きな軋轢を生じることとなった。
 英国では1236年マートン大評議会で、教会側の強い反対にもかかわらず、世俗貴族は一致して、教会法(古典カノン法)の婚姻遡及効(後の婚姻による嫡出子の準正-アレクサンデル3世の教令ローマ法を継受した)を拒否した。「我々はイングランド法を変更することを欲せず」(Nolumus leges Anglie mutare)と決議したのである。このためイングランドでは、教会法上の準正子は、年長非嫡出子とよばれ、正当な相続人とはみなされなかった。
 直江眞一[1990]によれば、相続に関して教会裁判所の干渉を避けていたのはイギリスだけではなく大陸でも同じことだという。
 結婚は無方式の行為で成立するとした古典カノン法が人類の叡智とはとても思えないとメイトランドは言った。その意味は教会法は事実婚を否定するからだ。先に婚姻約束した者が、真の妻であり夫なのだ。「世界のどの国民でも、恋人たちは現在形と未来形とを正確に使い分けそうにない。中世において婚姻もしくは婚姻らしいものも非常に不安定であった。永年連れ添った男女の仲が致命的な容易さをもって姦通と証明されたり」した。[島津一郎1974 232頁]。
 『第一教令集』収録の教皇アレクサンデル3世が英国ノーリッジ司教に送った教令をメイトランドは引用している。ここに無方式合意主義婚姻理論の何たるかが端的に示されている。
「ある男女が主人の命により相互に受け入れたが、その際には司祭は同席しておらず、英国聖公会が慣用する儀式も行われなかったこと、そして肉体的に結合するまえに、他の男が上記の女と婚姻の挙式を行い、彼女を知ったということを、われわれは貴下の手紙から理解する。我々の回答は次のとおりである。第一の男と女が、一方が他方に対し゛我は汝をわがものmeumとして受けいれる゛、我は汝をわがものmeumとして受けいれる゛と述べて、現在に向けられた相互的な合意によって相互に受け入れたならば、その時は前記の儀式が行われなかったとしても、また肉体的交通がなかったとしても、女は最初の男に返還されなければならない。蓋し、このような合意があれば、女は他人と結婚することができず、またはしてはならないからである。しかしながら前記の言葉による合意がなかったならば、また将来の〔言葉による〕合意ののちに性結合が結ばれなかったならば、その時に女は、無のちに彼女を受けいれ、彼女を知った第二の男に委ねなければならない。」
[島津一郎1974 230頁]
 メイトランドにかぎらず、近代人は男女が握手し婚姻約束をしたならば、一生離れられない絆になるという、誘拐しても合意すれば有効な結婚だという諾成婚姻理論を非難する。しかし私は公平な立場で、むしろ世俗権力と数世紀にわたった結婚の自由のために抗争した教会法の理念こそ価値を認めるものである。この婚姻理論を提示したなぜならば神学者に対する敬意と信用による。
(6)トレント公会議で要式主義へ転化したが親の同意要件は一貫して否定
 ローマカトリック教会はカノン法の無式合意主義が秘密婚と誘拐婚の温床となっているとの非難をかわすため1563 年トリエント公会議閉幕年の第24 総会で婚姻法改正が採択し、新たに教会挙式を要件とし、要式主義に転じたのである。[滝澤聡子2005]ただし56人の司教が伝統的な教義に固執し反対している。[ロングレイ1967]
 もっとも婚姻意思の合致を婚姻の本質的要件としていることは古典カノン法と変わりない。 
 ただし、婚姻の有効成立要件として「教会の面前での挙式」を無効制裁の措置をもって義務付けた。すなわち教会の権威と名において立合う職務上の承認としてカトリックの役務者の二人の単純証人の面前での挙式と合意表明を義務付けた。これを「フォノマ・カノニカ」といいカトリックにおける独特な法規である。[枝村茂1985]
 つまり無方式婚も真の婚姻であり秘跡であるが、婚姻のもつ社会的本性面から公的契約とみなし、契約であるかぎり公共善のために阻止できる体裁を整えたのである。
 公会議のもう一つの措置は、婚姻公告に関するものである。以後においては、婚姻に先立って婚姻当事者の所属の主任司祭によって行われる教区のミサでの説教に際して、つづけて三回の日曜に三度公告がなされる。また聖職者は婚姻登録簿を管理する義務を負う。
 挙式と婚姻公告の義務づけは大きな方針転換といえるが、しかしながらトリエント公会議はガリカニスムのフランスから親の同意を欠く場合に婚姻を無効とする障害とみなすべきという主張を断固として拒否した。
 フランスでは親の同意要件のない教会法のために、貴族は身分違いの婚姻を回避することに汲々とし、貴族の婚姻は国王の同意を要したが、国王の意に沿わない婚姻がなされることで王権のメンツがつぶされたという事情があった。しかしこれは神学的に受けいれられるものでない。
 トレント公会議の信奉者は「家子にたいして婚姻は親の同意なしには無効な契約であると誤って主張するもの」と破門の宣告をして応酬したのである。[ロングレイ1967]
 とはいえ、トレント公会議の要式主義は、古典カノン法の自由な婚姻より明らかに後退したといえる。
(7) フランス-教会婚姻法から離反(婚姻法の還俗化)の嚆矢
 トレント公会議が親権者の同意要件を断固拒否したことは、決定的な対立となった。急先鋒は、ガリカニスムのフランスであった。
 中世フランス慣習法地域の成人年齢は平民で男子14歳、女子12歳、貴族で男子21歳、女子15歳であった。「フランスには父権は存在しない」という法諺もあるくらいである。[田中通裕1987]
 しかし15世紀以降フランス王権は、社会秩序を維持するため、父権の強化を図り、成人年齢は男女とも25歳となった。
 フランス国王アンリ2世は、教会の管轄権である婚姻制度に介入して、1556年「婚姻に関する王示」により、男子30歳、女子25歳という高めの成人年齢を設定したうえ、未成年の婚姻における親の同意を強制し、これが婚姻法の還俗化の嚆矢となる。
 その第1条は「肉欲ゆえに慎みもないふしだらな婚姻が日常的に行われ、父母の希望または同意もなく、また父母の希望に反して、本人同士で婚姻を誓い合い困ったものだという苦情が国王裁判所に寄せられている。こうした婚姻は守るべき礼儀を欠き、遺憾であり、困惑をもたらすものである。これまでも法令は神への畏敬と父母への礼儀に反することなきよう命じてきたが、こうした悪弊が止まず、かえって増えており、ここに規則を定める」とし「父母の意向に反し、法令に反し、神の掟に反し、法と公序に反するものは、隠避婚姻」であり第2条「かかる婚姻をした者、しようとしたものは相続から廃除」するとした。[小梁吉章2015],
 1579 年 5 月のブロワ王令,1629年 1 月のミショー法典、1639 年 11 月の「婚姻の手続に関する」国王宣言、1697 年 3 月の「婚姻の手続に関する規則を定めた」王令などでは,未成 年者の結婚について,アンリ2 世の定めた成人年齢をそのまま踏襲しつつ, さらに「この年齢を過ぎても子供は両親に意見を求める義務があること」「両親の同意なしに結婚した未成年者に対しては,民事上の制裁のみならず刑事上の制裁も加えられるべきこと」が定められている。
 1579年のブロワ王令は誘惑=誘拐罪を死刑をもって罰するとしたほか、婚姻の要件として、トレント公会議と類似しているが4人の証人の面前で主任司祭による宗教的挙式と3回の予備的広告を強制することとした。[ロングレイ1967]
 こうしてフランスでは教会の役割は王令にもとずく挙式等の執行と、婚姻登録簿の保管だけになった。
 このように、フランスは、秘密婚や身分差のある結婚を防止し、父権が強化され、結婚は親権者のコントロールのもとにおくものとしたのである。
 フランスを嚆矢として婚姻法の還俗化さらに民事婚化が緩慢ではあるが近代の流れとなった。それは教権側が、親の同意要件の要求に対し妥協しなかったことと関連している。 
 トレント公会議は、親の同意要件を否定したとはいえ、婚姻予告や挙式婚の義務化は自由な婚姻理念からは後退したものと評価できる。結婚を良い意味でも悪い意味でも世間体を重んじる結婚に変化させた。それを道徳化といってもよいが、いずれにせよ大陸では無式合意主義の秘密婚容認時代は終焉するのである。ところが英国では事情が異なる。
 

(8)イギリス-宗教改革後も無式合意主義(古典カノン法)が生ける法として継続
A 古典カノン法が近代まで生ける法だったイギリスの特筆すべき法文化
 
 対照的に宗教改革後、近代まで古典カノン法が生ける法として継続したのがイギリスである。イギリスでは10世紀ごろから、婚姻と遺言による動産処分が教会裁判所の管轄権であり、13世紀に聖俗裁判所の役割分担が画定した。
 そもそも遺言というのは、「父と子と聖霊の名において」作成され、死後の幸福と安寧のためのものだったから宗教的な性格を有するものだった。動産のなかで最良のもの一つ(騎士なら馬)を墓所のある教会に遺贈するのが慣例である。遺贈財産に余裕があれば修道士に遺贈したり、橋の修復などの慈善事業が好まれた。中世の人々は死後の幸福のために遺産を残し、教会に献上されていたのである。
 教皇アレクサンデル3世は、ハドリアヌス4世(史上唯一の英国人教皇)の指名した後継者であったことから、英国は当初から支持基盤であり、友好関係を維持していた。
 クラレンドン法でヘンリー2世と教皇が対立したことはよく知られているが、近年の研究で英国では婚姻事件で活発な教皇上訴が行われており[苑田亜矢1997、2000]上訴が多かったのは反ベケット派巨頭ギルバート・フォリエットのいたロンドン司教座であり、反ベケット派は教権と王権のいずれも尊重する立場にあったこと。合意主義を確定したアンスティー事件も英国の事件であること。英国で採録された教令の多くがカノン法となっていること。そもそもアングリカン教会と命名したのが教皇アレクサンドル3世であること。
 13世紀においてジョン王は英国とアイルランドの国土を教皇に献上し、長期にわたって受封料を確実に支払っていた。近年の研究によりマグナカルタは反教皇文書ではなく、むしろ教皇とともに歩むことを確認したものとみなされている。事実上、中世高期の英国は国王と教皇の共同統治国家であったのである。
 したがってメイトランドがまさしく言ったように、イングランド婚姻法とはローマ教会婚姻法そのものだった。
 とはいえヘンリー8世の宗教改革によりローマカトリックを離脱した。にもかかわらず教会裁判所は聖職者から市民法律家に入れ替わったが実務はそのまま継承され、トリエント公会議の要式主義を受容することはなく、古典カノン法の無式合意主義婚姻理論が、そのまま「古き婚姻約束の法」「コモンローマリッジ」として居酒屋など俗人の立ち合いのもとに、婚姻誓約がなされれば容易に婚姻が成立する法が生ける法として継承されることとなった。
 イングランドで議会制定法により秘密婚を防止するため中世教会婚姻法を無効としたのが1753年のハードウィック卿法である。フランスより200年遅れた婚姻法の還俗化だった。         スコットランドはその後も生ける法であった。また英国では家族法と遺言検認の裁判管轄権が世俗裁判所に移管されたのが1857年である。
 したがってイギリスは古典カノン法の自由な結婚理念が近代まで色濃く継承されたのであり、法制史的に特筆してよい事柄である。
 秘跡神学は、結婚をキリストと教会の一致を象徴するものとして秘跡とし、夫婦愛をキリストと教会の結合に比擬してその価値を高めたが、男女の愛情を精神的なもののなかでも至上のものとし概念と結婚を結びつける願望の風潮はイギリスで一番早く受容された[社本時子1999 131頁]。
 古典カノン法が自由な結婚を擁護した中世の一例として、ノーフォーク州の名家パストン家書簡集にある1469年の長女マージョリー20歳と家令リチャード・コール30歳代の秘密結婚を挙げることができる。二人は結婚を誓ったが、引き離されてしまった。
リチャード・コールからマージョリーへの手紙
「私の愛しいお嬢様、そして神の御前では真実の妻である貴女に‥‥‥一緒に暮らす権利のもっともあるはずの私たちがもっとも離れているのですから。最後に貴女と言葉を交わしてから一千年もたったように思います。私は世界中すべての富を手に入れるより貴女と一緒にいたいと思います‥‥」
 身分違いの結婚で家族は許さなかった。結婚するならば、貧しい蝋燭売りに身を落とすしかなかった。しかしコールの求めによってノーリッジ司教は仲裁にのりだし、二人が交わした結婚の誓いの言葉が有効とされ、結婚式も執り行われた。[社本時子1999 142頁]
 このように身分差のある周囲が望まない結婚であっても、教会法を盾として自由な結婚がなされたことは特筆してよい法文化といえるのである。
 
B 秘密婚の隆盛(17世紀より18世紀前半のイギリス)
 (1604年教会法は挙式婚を正規の結婚と定め21歳未満の親の同意を要件としたが、古き婚姻約束の法(古典カノン法と同じ)も生ける法として有効であり、秘密婚が広く行われた)

  英国においても握手結婚(男女は握手して婚姻誓約をするのが慣例)つまり秘密婚の弊害は意識されていて、1604年教会法は婚姻予告か、婚姻許可証による教区教会もしくは礼拝堂での挙式婚を正規の婚姻と定め、親ないし保護者の同意のない21歳未満の婚姻を違法(ただし無効ではない)であり、そうでない秘密婚を違法としたが、無効とすることはできなかった。
 当時の教会裁判所実務については栗原正人[1991]が、名誉革命後の権威書であった ヘンリ・スィンバーンH.Swinburne(1551~1624)の「婚姻約束もしくは婚姻契約論」A  Treatise on Spousals or Matrimonial Contractsを検討している。
 同書は1686年に出版され、1711年重版となっているが、婚姻適齢について、7歳以上は「将来形の婚姻約束」ができる。法廷婚姻適齢は男子14歳、女子12歳であり「現在形の婚姻約束」によって婚姻が成立する。「『我は汝を我が妻とする。I will take thee to my Wife 我は汝を我が夫とするI will take thee to my Husband』というような現在形の言葉を用いてなされた婚姻約束を結ぶ男女は、いかなる合意によってもこの婚姻約束を解消しえないし、実体の点でも夫婦そのものとみなされ、婚姻の解消しえない絆があるとみなされる。従って、彼らのいずれかが実際に第三者と結婚式を挙げ、その人と肉体関係を結び、子供ができたとしても、この婚姻は不法なものとして解消され、結婚した当事者は姦通者として罰せられる。その理由は、これは将来の行動の約束ではなく、現在の完全なる合意だからである。この合意だけが公けの挙式も肉体関係もなしに婚姻を創設する。公の挙式も肉体関係も婚姻の本質ではなく、合意こそが婚姻の本質なのである。現在時制の言葉によってこのように完全に保証された男女が神の前での夫婦である」
 この内容は、合意主義婚姻理論そのものであり、先に引用した、12世紀の教皇アレクサンデル3世のノーリッジ司教宛ての教令とも似ている。
 この権威書はイングランド婚姻法=古き婚姻約束の法=コモン・ローマリッジが、古典カノン法そのものだったという証拠であると考える。
 古き婚姻約束の法は生ける法であり、英国教会主教の統治の及ばない、特別教区、特権教会、たとえばロンドンのメイフェア礼拝堂や、フリート監獄のような特許自由地域が秘密婚センターとなった。親の同意のない21歳未満であっても容易に婚姻することができた。主教(司教)の統治の及ばない、特別教区、特権教会の特権は12世紀のアレクサンデル3世の教令に由来する。理論上は教皇の直轄なのでカノン法がそのまま適用されるということである。
 1740年のロンドンで結婚する人々の二分の一から四分の三は秘密婚であったとされる[栗原1996]。多くの人々が婚姻予告を嫌い、教区教会の挙式ではなく、結婚媒介所での個人主義的な自由な結婚を行っていたので、事実上1604年教会法は死文化していった。
 結局秘密婚を防止するためには、婚姻法の還俗化以外に手段はなかったのである。
C 1753年ハードウィック卿により婚姻法の還俗化

 1753年「秘密婚をよりよく防止するための法律」(通称ハードウィック卿法)は、フリート街のの居酒屋等における聖職禄を剥奪されたフリート監獄の僧侶による結婚媒介所が一大秘密結婚センターとなったことが国の恥と認識されたことにより、反対意見も少なくなかったが、イングランドで500年以上継続した古き婚姻約束の法を議会制定法により無効としたものであり、死文化した1604年法をあらためて、世俗議会制定法としたものである。
 フランスより200年遅い婚姻法の還俗化であったが、皮肉なことに還俗化とは、クエィカーと、ユダヤ人を除いて教会挙式を強要することだった。すなわち、国教会方式の教会挙式婚を有効な婚姻とし、21歳以下の未成年者は親ないし保護者の同意を要するとした。[栗原真人1992b]  
              
D グレトナ・グリーン結婚(18世紀中葉から19世紀中葉)-それでも自由な結婚が有効だった
 
 しかし1753年法はスコットランドには適用されず、俗人の証人のもとでの現在形の言葉での合意で容易に婚姻が成立する古き婚姻約束の法(古典カノン法)はなお有効だった。また協定によりイングランドの住民がスコットランドの婚姻法により結婚してもそれは有効とされた。
 このため未成年者で親の同意のないケース、駆け落ちなど自由な結婚を求めるカップルの需要に応え、スコットランドの国境地帯の寒村に続々と結婚媒介所が営業するようになった。グレトナ、グリーンは西海岸で、東海岸ではコールドストリームが有名だが、スコットランド越境結婚を総称してグレトナ・グリーン結婚と言う。
 立ち会う牧師は元は鍛冶屋などの職人、いかさま牧師である。結婚に反対する親族の追跡を振り切るため、四頭立て急行馬車を雇い上げ、純粋な愛に燃えるカップルが胸を轟かせスコットランドを目指すロマンチックな風俗は、恋に恋する乙女たちの憧れとなり、18世紀の多くの文学作品で題材となっている。このために、グレトナ・グリーンは純粋な恋愛結婚の聖地とされるのである。西洋結婚風俗史のハイライトといえるだろう。[加藤東知1927、岩井託子1996a]
 語り継がれる華麗な駆け落ち婚について一例のみ引用する。1782年スキャンダルの元祖といわれる銀行家チャイルド家一人娘セアラ・アン15歳と金欠貴族ウェスモランド伯爵の駆け落ちである。ロンドンのメイフェアからスコットランドまで凄まじい追跡劇となり、銃で馬を撃ち合い、四頭馬車が、三頭になったが無事スコットランドに越境して結婚した。その孫娘のアディラ19歳も1843年士官と駆け落ちし、グレトナで結婚している。この時代は馬車でなく鉄道であった。[岩井託子2002 83頁]
 グレトナ・グリーン結婚の斜陽化は過当競争で結婚媒介料が低廉化し、風紀が乱れ、有名人士が嫌うようになったこと。鉄道の開通で馬車で駈ける風情がなくなったこと。決定的には1856年のプールアム卿法で、スコットランド法による結婚はスコットランド人か、スコットランドに3週間居住した住民に限られるようにしたことである。
 要するにイングランド人は、19世紀の半ばまで、古典カノン法が生きていたので、未成年であっても親の同意の必要ない自由な結婚が可能だった。
 ペトルス・ロンバルドゥスの理論や、教皇アレクサンデル3世の教令が、そのまま近代まで生きていた。英米の法文化で結婚は自由でなければならないというのは、このような歴史をふまえてのことである。英国は1929年の年齢法で婚姻適齢はコモンロー男子14歳、女子12歳から、男女とも16歳となった。スコットランドも婚姻適齢は男女とも16歳だが、未成年者でも親の同意要件はない。というのは、スコットランド改革教会が、トレント公会議を嫌って、要式化を否定し、古典カノン法を墨守したという歴史的背景から理解することができるだろう。

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1974『妻の地位と離婚法』第42イギリスにおけるコモン・ロー婚の展開 有斐閣225

社本時子

1999『中世イギリスに生きたパストン家の女性たち-同家書簡集から』創元社

坂上敏子

1967「結婚-家族関係からの考察」大阪城南女子短期大学研究紀要 2【ネット公開】

澤村雅史

2017「聖書における結婚と独身新薬テキストを中心に」福音と世界724

鈴木繁夫

2004「交わりの拡張と創造性の縮小 : ミルトンの四離婚論をめぐる諸原理について」

The Uncreative Interaction : Milton in his Divorce Tracts言語文化論集 261

(名古屋大学)【ネット公開】

2013「性格不一致の離婚とその起源 : ミルトン離婚論と現代離婚観の宗教性」

Incompatibility as Sufficient Grounds for Divorce : Religiosity in Milton's Divorce Tracts and Current Ideas on the Subject言語文化論集 35(1)

苑田 亜矢

1997 1159年の教皇選挙と教皇庁上訴 : イングランド史からの一考察」

The Papal Schism of 1159 and the Appeal to Pope Alexander III from England

有明工業高等専門学校紀要 33

2000「一二世紀イングランドにおける教皇庁への上訴をめぐって--1164年のクラレンドン法第8条および1172年のアヴランシュの和約の再検討」法制史研究 (50)

薗部寿樹

2010『日本の村と宮座』高志書院

高橋友子

2008「第7章夫婦と親子」齊藤・山辺・藤内『イタリア都市社会史入門』昭和堂

滝沢聿代

1994「民法改正要綱思案の問題点(上)」法律時報66巻12号1994年11月号72頁

滝澤聡子

200515世紀から17世紀におけるフランス貴族の結婚戦略 : 誘拐婚」人文論究551号【ネット公開】

田中和夫

1958「イギリスの婚姻法」比較法研究18号 25

田中通裕

1987「フランス親権法の発展 (1)<Article>L'evolution de la puissance paternelle en France (1) 法と政治 38(2)

田巻帝子

2017「「子供」の権利と能力-私法上の年齢設定-」山口直也編著『子供の法定年齢の非核法研究』成文堂所収

直江眞一

1990「『我々はイングランド法を変更することを欲せず』(Nolumus leges Anglie mutare)について」『法学』東北大 543

2014「アレクサンデル三世期における婚姻法 : 一一七七年六月三〇日付ファウンテン修道院長およびマギステル・ヴァカリウス宛教令をてがかりとして」法政研究. 81 (3」【ネット公開】

中川淳

1993「婚姻・離婚法改正の中間報告について」 ジュリスト1019

中川律

2008「合衆国の公教育における政府の権限とその限界(11920年代の連邦最高裁判例Meyer判決とPierce判決に関する考察」法学研究論集29【ネット公開】

2009「合衆国の公教育における政府権限の限界-ロックナー判決期の親の教育の自由判例/マイヤー判決とピアース判決に関する研究」憲法理論研究会編『憲法学の最先端』敬文堂所収

長澤順治

1997『ミルトンと急進思想 英国革命期の正統と異端』沖積舎

永水裕子

2017「米国における医療への同意年齢に関する考察」山口直也編著『子供の法定年齢の非核法研究』成文堂所収

西川健誠

2005「夫婦の交わり,神との交わり : 『楽園喪失』における夫婦愛と信仰()

Conjugal Union as a Holy Communion : Love and Faith in Paradise Lost' (Part II)

神戸外大論叢 56(2)【ネット公開】

2004「夫婦の交わり, 神との交わり : 『楽園喪失』における夫婦愛と信仰 ()'Conjugal Union as a Holy Communion : Love and Faith in Paradise Lost' (Part I) 神戸外大論叢 55(3)【ネット公開】

西島正

1954「ミルトンの女性觀」Milton's View of Woman紀要 3【ネット公開】

野田愛子

1993 「法制審議会民法部会身分法小委員会における婚姻・離婚法改正」の審議について」(上)」戸籍時報419 18

波多野敏

1990「フランス、アンシャン・レジームにおける結婚の約束と性関係」Promesses de mariage et relations sexuelles dans la France de l'Ancienne Regime京都学園法学 創刊号【ネット公開】

塙陽子

1993「カトリック教会婚姻不解消主義の生成と発展」『家族法の諸問題()』信山社

平井正穂

1958『ミルトン』研究社出版

平松紘・森本敦

1991「スコットランドの家族法」黒木三郎監修 『世界の家族法』 敬文堂所収

廣瀬隆司

1985「明治民法施行前における妻の法的地位」」愛知学院大学論叢. 法学研究2812

服藤早苗

1991『家成立史の研究』 校倉書房1991

JL・フランドラン/宮原信訳

1992『性の歴史』藤原書店

福地陽子

1956<論説>カトリツク教婚姻非解消主義の生成と發展<Article>THE GROWTH AND DEVELOPMENT OF THE CATHOLIC PRECEPT AGAINST DIVORCE」法と政治 7(4)【ネット公開】

平井正穂

1958『ミルトン』研究社出版

不破勝敏夫

1984『私の家族法』 徳山大学総合経済研究所

船田享二

1971改版『ローマ法第四巻』岩波書店

ペイゲルス

1993『アダムとエバと蛇―「楽園神話」解釈の変遷』絹川・出村訳 ヨルダン社

2000『悪魔の起源』松田訳 青土社本田弘子

1986「英国婚姻法(主として離婚法)と裁判所」The English Family Law and the courts : Chiefly on the Divorce Act日本法政学会法政論叢 22【ネット公開】

松下晴彦

2004「グレトナ・グリーン「駆け落ち婚」の聖地」英米文化学会編『英文学と結婚-シェイクスピアからシリトーまで』彩流社所収

村井衡平

1974「【資料】一婚姻・離婚法() : 一九七〇年八月六日公表第一次草案」神戸学院法学 523

ルネ・メッツ 

1962久保正幡・桑原武夫訳『教会法』ドン・ボスコ社

森道子

2011「「めでたし、結婚愛よ」 : ミルトンの妻像におけるオウィディウスの妻」

"Hail, Wedded Love"--Ovid's Wife in Milton's Images of Wife大手前大学論集 12【ネット公開】

守屋善輝

1973『英米法諺』中央大学出版部

山館香菜

2011「「自負と偏見」におけるリディア・ベネットのグレトナ・グリーン婚 : 物語への効果と役割」北星学園大学大学院論集 1【ネット公開】

Lydia Bennet's Gretna Green Marriage : Its Effects and Roles in Pride and Prejudice

山中永之佑

1957「明治期の逆縁婚Levirate Marriage of Meiji Era in Japan

法制史研究 (7)

吉田道也

1954「教会裁判所の民事裁判権の終末」The End of Civil Jurisdiction of the Ecclesiastical Court法政研究 22(1)【ネット公開】

吉中孝志

2002「アダムの肋骨とマーヴェルの庭(後編)The Rib of Adam and Marvell's 'The Garden' (Part III) 広島大学大学院文学研究科論集 62【ネット公開】

米沢広一

1984 「子ども、親、政府-アメリカの憲法理論を素材として-1- <Articles> Child, Parent and State神戸学院法学 152

1985a「子ども、親、政府-アメリカの憲法理論を素材として-2-Articles> Child, Parent and State (2) 神戸学院法学 153

1985b 「子ども,,政府--アメリカの憲法理論を素材として-3- <Articles> Child, Parent and State (3) 神戸学院法学 154

1989「家族と憲法(二)」法学雑誌(大阪市立大)361, 1

幸重 美津子

2003Milton's Bogyの向こう側 : ヴァージニア・ウルフのミルトン観についての一考察」

Virginia Woolf : When We Look Past Milton's Bogy英語英米文学論輯 : 京都女子大学大学院文学研究科研究紀要 2【ネット公開】

ウタ・ランケハイネマン/高木昌史ほか訳

 1996『カトリック教会と性の歴史』三交社

山内昇

2000「新約聖書の倫理 : 家庭訓(コロ 3 : 18-4 : 1)を中心としてNew Testament Ethics : The Haustafel in Colossians 3 : 18-4 : 1」紀要3 東京神学大学【ネット公開】

フレデリック・ジュオン・デ・ロングレイ/有地亨訳

1967「フランス家族の成立過程 : フレデリック・ジュオン・デ・ロングレイ著"Le precede de la formation de la famille francaise" : F. Jouon des Longrais」法政研究 34(1) 【ネット公開】

渡邊昭五

2004『梁塵秘抄にみる中世の黎明』岩田書院 2004

ウェブサイトからの引用

1 Pew Research CenterChild marriage is rare in the U.S., though this varies by stateNovember 1, 2016

2 ニュースの穴 女性の婚姻適齢が改正で18歳に引き上げへ 早ければ2021年にも施行 

2017-02-08

3 ニューヨークタイムズ記事「 Its Legal for 14-Year-Olds to Marry. Should It Be? By LISA W. FODERAROMARCH 13, 2017

4 CBSN.Y.2ch記事「 Advocates Call For End To N.Y. Law Allowing Children As Young As 14 To MarryFebruary 14, 2017 10:58 PM

5 WMUR-TV記事「NH House rejects bill to raise minimum marriage age to 18

Existing law allows 13-year-old girls, 14-year-old boys to marry with parental, court approval Updated: 10:56 PM EST Mar 9, 2017

6 PDF http://nownyc.org/wp-content/uploads/2016/02/Factsheet.pdf

7PDF「諸外国における成年年齢等の調査結果」ttp://www.moj.go.jp/content/000012471.pdf

ユタ州経済 近隣諸州より好調維持

http://blog.goo.ne.jp/numano_2004/e/eb4e275ac3ec0f8a79b4614e9309e147

 

2017/07/14

今更「十段」必要ないでしょ

 将棋は素人だが日刊ゲンダイ7/14付の田丸昇九段の将棋界を斬るというコラムがひふみんのために「十段」新設を提言しているのに疑問に思った。中原永世十段とバッティングしてよくない。囲碁では産経主催のタイトル保持者の称号なのにそうでない人が十段を名乗るのはがてんがいかない。
 ひふみんの1324勝とかA級在位記録とかテレビでよく報道され、かなりの人が知っているはず。テレビの司会者も「将棋界のレジェンド」という非公式の称号をつけて紹介しているし、自称もしているので気に入っておられるように思える。「レジェンド」といってもそれは実績に加えて対局中の奇行という含みのあるニュアンスだが、もともと九段は元名人の意味だったんだからそれでいいんじゃないの。

«労働時間適用除外制度104日休日義務付じゃ意味ない

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