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2018/05/20

麻生太郎財相がセクハラ認定を渋ったとの報道とについての感想

 麻生太郎財務大臣は、福田事務次官とテレビ朝日記者のケースについて、セクハラ罪はないと言ったこと、セクハラ認定を渋ったとか、「被害者」への謝罪がない配慮のない発言だとしてさかんに叩かれているが、セクハラ認定に慎重な姿勢をとることは正しいと考える。
 問題の事案について、全体像が不明なので総合的な評価ができないから安易にきめつけられない。
 報道によれば女性記者は以前にパジャマ姿を見せたりしている。性的挑発的な服装をしていたのかもしれないし、「おっぱい揉ませて」発言に至る前にも交際が有り良好な人間関係を築き、性的冗談や性的会話にも不機嫌にならず乗ってくる女性だったので、性的会話を歓迎せざる行為と相手は認識していないと思わす状況があったから、この女性が好みなので機を見てをみて口説いたということかもしれない。そもそも本当に嫌悪していたのかも本人の発言が直接ないからわからないのである。このときだけの口説きならば執拗性も感じない。性的誘いに応じないなら何か不利益をこうむるぞと威嚇されたというわけでもない。
 加えて、政治記者ならばたんに政策に通じ質疑ができるだけでなく、特ダネを得るために、取材対象にくらいつき取入っていく交渉術にたけているのがプロだろうから、一般のOLを比較すれば、大物に物怖じせずメンタル面の強い人がなる職種といえるので、世間でいわれているほど同情はしない。
 もっとも国の枢要な地位にある幹部としては録音をばらされたり脇が甘く、仮にセクハラではないとしても不倫に発展しうる行為であり、特定の政治記者を信用しすぎたのは軽率としてなにがしかの処分は免れないとしてもセクハラ認定は別問題にしてもよかったのではないか。

一.不快な言動はそれだけでセクハラ認定できないのは当然
(一)EEOCのガイドライン
 アメリカ合衆国ではセクハラはもっぱら、性別に基づく雇用上の差別を禁じた1964年タイトル7の性差別の問題なのだが、1980年EEOC(雇用機会均等委員会)のガイドラインを要約すると、歓迎せざる性的言動がセクシャルハラスメントとなる場合を次のように定義している。
(1) その言動に対する服従が個人の雇用の条件とする場合
(2) その言動に対するその言動に対するある個人の服従または拒絶が、その個人の雇用にに関する決定の起訴となる場合する決定の基盤となる場合
(3) その言動が個人の職務遂行を妨げたり、敵対的職場環境をつくり出した場合 (篠田実紀2004)
 敵対的職場環境型セクハラの定義は、
 「‥‥望まれない性的言い寄り、性的行為の要求、その他の性質を有する言葉又は身体的行為は、次の場合セクシャルハラスメントを構成する‥‥かかる行為が個人の職務遂行を不合理に妨げる又は脅迫的、敵対的もしくは侮辱的な職場環境を不合理に創り出す目的と効果を有する場合」(山崎文夫2004『セクシュアル・ハラスメントの法理』184頁)
 
(二)日本の労働省のガイドライン
 労働省の雇用機会均等法21条2項の管理上配慮すべき指針(平成10年労働省告示第20号及び通達女発第168号平成10年6月11日)の環境型セクシャル・ハラスメントの定義は「職場において行われる女性労働者の意に反する性的言動により当該女性労働者の就業環境が不快なものとなったため、能力の発揮に重大な悪影響が生じる等当該女性労働者が就業するうえで看過できない程度の支障が生じること‥‥‥‥」
 通達では指針を解説して「『女性労働者の意に反する性的言動により当該女性労働者の就業環境が不快なものとなったため、能力の発揮に重大な悪影響が生じる等当該女性労働者が就業するうえで看過できない程度の支障が生じること』とは、職場環境が害されることの内容であり、単に性的言動のみでは就業環境が害されたことにはならず、一定の客観的要件が必要である
 私はこのガイドライン自体もセクハラの定義が厳密でなく問題があると思っているが、単に性的言動のみでなく職場環境が害されたた客観的な条件が必要と明確に述べている。
(三)1998オンケール判決のスカリア判事法廷意見-公民権法Title7が職場における全ての言動や肉体的な嫌がらせを禁じてはいないと明言
 米国では1993年連邦最高裁ハリス対フォークリフトシステムズ判決Harris v. Forklift Systems, Inc., 510 U.S. 17 (1993)が敵対的環境型セクハラの判断基準を示した先例になっているが、要するに客観的に敵対的・虐待的職場環境が作出されているが認定され、被害者の雇用条件を変化させ、悪質な職場環境を創出するほど十分にひどく浸透している場合であり、且つ当該被害者によって主観的にいやがらせ行為であればセクハラと認定される。
 1998年のファラハー対シティオブボカラトン判決Faragher v. City of Boca Raton, 524 U.S. 775 (1998)、では「嫌がらせの客観的過酷さ」は、状況とかかる振舞いが行われた社会的文脈の全てを考慮に入れた上で、「合理的な通常人」が従業員の立場に置かれた観点から判断するべきものとされた。つまり合理的通常人テストプラス総合的判断としたのである。「単なるからかい、当てこすり、極度に重大な場合を除く単独の行為は、労働条件の差別的な変更にあたるものではない‥労働条件の変更にあたるほど極端なものでなければならない」と述べている。 
 同年のオンケール対サンダウン・オフショア・サービスィズ社事件Oncale  v. Sundowner Offshore Services,Inc, et al., 523U.S.75(1998)「Title7は、職場における全ての言動や肉体的な嫌がらせを禁じてはいない。それは、『性を理由とする差別』のみを指している。我々は、たとえ職場での異性間のいやがらせであったとしても性的な内容や暗示を含む言葉をつかったという事だけで機械的に性差別だとは決して判示してこなかった。」「Title7は礼儀作法規範でもない」としている。 
 敵対的環境型ハラスメントは、このような趣旨から突発的、1回性、散発的、間延びした行為ではセクハラと認定されないのである。但し、下級審判例で男性器より精液の発射を見せた事例で1回性のものでもセクハラと認定された例、管理職からレイプされた事例は重大だとされたが例外である。女性器を意味するスラング(日本語に訳すと「オマンコ」)をはいたケースではセクハラと認定されていない。
例えば式守伊之助が酔って若手の胸を触って云々というだけでかなり重い処分が下された、1回性のものである限りセクハラとはいえないと思う。
 要するに環境型セクハラとは
○客観的に敵対的・虐待的な職場環境と認定
○雇用状況の深刻な悪化
○当事者が主観的にも歓迎せざるいやがらせと認識
の3要件がそろわなければ公民権法違反にならない。我が国の労働省の基準も矮小化はされているが大筋では同じである
 ところが3条件でなく1条件未満でもセクハラにしてしまうのが人事院規則である。
 
二 セクハラとはいえないものセクハラとし違法性のないものもセクハラと定義する人事院の定義
 我が国のセクハラ概念は、対価型・環境型の区別について米国の定義を輸入しているものの、環境型の被害者の雇用状況を変え、 敵対的労働環境をつくり出すほど十分に深刻または蔓延的であるという定義は直訳されず、米国の判例では当然のように出てくる「敵対的」「虐待的」「濫用的」「威嚇、嘲笑、侮辱」「悪質な職場環境を創出する」「十分にひどく浸透」といった語が欠落しているのである。このためにセクハラ概念が拡大しやすい素地をつくっているといえる。
 人事院規則10-10及び運用について(通知)平成10年11月13日人事院事務総長における環境型セクハラ定義の問題点(東京都もほぼ同じ) セクシャル・ハラスメントを「及び職員が他の職員を不快にさせる職場外の性的言動」と異常に幅広く定義し、「セクシャル・ハラスメントに起因する問題」を「セクシュアル・ハラスメントのため職員の勤務環境が害されること及びセクシュアル・ハラスメントへの対応に起因してその職員が勤務条件につき不利益をうけること」とし、通知によると『職員の勤務環境が害されること』とは「職務に専念できなくなる等のその能率の発揮が損なわれる程度に当該職員の勤務環境が不快になることをいう」(山崎文夫『セクシュアル・ハラスメントの法理』2004 345頁以下)としているが、米国や労働省における環境型セクシャル・ハラスメントの成立要件になっている悪質な職場環境を作り出したという客観的な成立要件を外して、セクハラの概念規定ではなく「起因する問題」にすり替えたことにより、異常に拡散した概念となっていることである。これは本末転倒であり、労働省機会均等法ガイドラインの環境型セクハラ概念には、「敵対的・虐待的」といった言葉を欠いていることを疑問としても、一応、セクハラの概念規定として、「能力の発揮に重大な悪影響が生じ」「就業するうえで看過できない程度の支障」が生じなければそれはセクハラではないとしているし、例えば性的冗談は継続性、繰り返しが要件としているように、アメリカの基準を矮小化しているものの、一応限定的にセクハラ概念を規定しているが、人事院規則やそれに準拠した東京都のセクハラ概念にはそれすらなく、労働省がグレイゾーンとしていたものも含めてなんでもセクハラと言いつのるものとなっている。
  なお、山崎文夫2004『セクシュアル・ハラスメントの法理』348頁によると人事院規則の指針で例示されている、身体的特徴を話すこと、卑猥な性的冗談、性的からかいの対象とする等の行為には人格権侵害の不法行為が成立しない行為が多数含まれていると批判的なコメントを述べている。
 一口でいえば人事院規則はセクハラ概念をはみ出ており、一般には違法とされることのない行為を含み、事実上無害な行為も禁止し、エチケット規範のようになってしまっている。
 一般企業でも従業員とのデートを禁止する規則を制定する場合があるが、セクハラの芽をを摘む趣旨としての自主規制であり、これらの規則は人事院規則も含めてセクハラと認定されるにいたらない行為まで広範に禁止しているというべきである。むろん企業は企業秩序維持のために就業規則を定め実質的違反者を懲戒処分できるが、従業員は企業秩序遵守義務はあっても、一般的な支配に服するものではないから問題はある。
 要するに「他の者を不快にさせる職場における性的な言動」という漠然不明確なき規定はセクハラ認定の一要素ともいえない緩さがある。
 この規定は一般論にされやすい。正確には対象となった個人が主観的に歓迎されない行為と認識していることがセクハラと認定するための一要素である。一要素にすぎないものを十分条件にすることももちろん間違っている。
 3つの必要条件があるのに1つの必要条件かそれ未満でも十分条件にしてしまうのは非論理的なのである。
 マスコミ報道なども、不快な表現だからセクハラだと言いつのっているが、私には私鉄総連の春闘ワッペンはきわめて不快だが、不快でない人もいるように、セクハラはあくまでも当事者の問題であり、加えて、客観的な職場環境等の悪化等の認定が必要でそれだけではセクハラと認定はされないのである。 
 セクハラといっても、それはどの概念規定にもとづくのか、違法性がないものもセクハラとするような人事院の規則なのか、厳密ではないが一応限定的に概念規定をする労働省のものか、私のようにそもそもセクハラは合衆国の公民権タイトル7違反(性差別)の問題からはじまったから、その観点から厳密に概念規定すべきという立場によって、違ってくる性格のものであり、いわんやセクハラとはポリティカル・コレクトネスでもなければ、礼儀作法規範でもないのに、本件に限らずなにか一言言えばセクハラと糾弾するのは間違っているし、マスコミや野党議員から迫るからセクハラと認めるという性格のものではない。
 結局些細なことでもセクハラにしてしまう風潮は、ロマンチックパターナリズム、過剰な女性に対する心理的保護になっていると考え、有能な男性の働き手を貶める結果にもなることは社会にとっても損失であり、そのような見地からみて麻生大臣の一連の発言それ自体は非難するに値しないというのが私の意見です。
 
三、付録【本文と一部重複するが合衆国連邦最高裁主要判例の要点を以下述べます】
 
 ざっくりいえぱ対価型ハラスメントとは性的要求に応えることが雇用継続・昇給・昇進の要件とされること。敵対的環境型ハラスメント脅迫的・敵対的・侮辱的不良環境におかれ被害者の雇用条件を変化させ、悪質な職場環境を創出するほど十分にひどく浸透すること。性的誘い等を受けた側が歓迎せざる行為であることは前提条件である。
 対価型ハラスメントについてはわかりきったことなのでここでは言及しない、問題は敵対的不良環境型セクハラだが、以下アメリカ合衆国で判断基準を示した主要判列の要点を記す
 
(一)Meritor Savings Bank v. Vinson, 477 U.S. 57 (1986),

  連邦最高裁が初めてセクハラについて判決をくだし、敵対的不良環境型セクハラを当該行為 が「『被害者の雇用状況を変え、 敵対的労働環境をつくり出す』 ほど十分に深刻または蔓延的である」 (sufficiently severe or pervasive ‘to alter the conditions of[the victim’s]employment and create an abusive working environment)ことと定義した。
   事案は ヴィンソン女史は19歳の1974年にMeritor Savings銀行の金銭出納係訓練生として雇用され、係長にまで昇進したが1978年11月病欠を過度に使いすぎたために解雇された。上司Taylor氏に初めて誘われたのは彼女が訓練生の時だった。その後数年間にわたり、解雇を恐れるあまり上司Taylor氏と営業時間内外にわたって40~50回の性関係に陥ったという主張である。又、ある証言によればTaylor氏は他の従業員の前で彼女を撫でていた。又Taylor氏はトイレに入っている彼女をレイプしたという。事実審連邦地裁では相反する証言があって(彼女は性的挑発するドレス、音声の証言がある)それは自発的な関係で、銀行における継続的雇用と無関係という判断からセクハラとは認定しなかった。最高裁は二人の関係は 自発的ではなく要求がヴィンソン女史にとって歓迎されるものか否かという点を判断基準とした控訴審の判決を支持した。それが歓迎せざる行為だったのか事実審に差し戻す判決を下した。(平野晋1991、岡本幹輝2002。篠田実紀2004)
 もし連邦地裁の判断を支持していたなら、セクハラという言葉が世界的に広がることはなかったという意味で残念な判決だが、このケースでも40~50回の性行為が自発的な関係で歓迎せざる行為ではなかったなら当事者にとってはセクハラにはならない。
 問題は、 何を敵対的職場環境というか、被害者の精神的損害の査定の判断基準だが、下級審判例では、女性側に不利な基準と有利な基準とが現れたので混乱した状況となった。
 第6巡回区のRabidue v.Osceola Refining Co., 805 F.2d 611, 620 (CA6 1986)の厳格な判定基準で(環境型セクハラが成立する要件として、発言や行為で、他人を困らせたり、不愉快にさせただけでは救済を求めることはできないのであって、被害者は明確な、有形の被害Tangible Harmを被ったことを証明を要件とする。 有形の害とは、経済上の損害や、精神科医や分析医の診断によって認められた精神上の傷害である。神経症に陥るほどの深刻な精神的危害が客観的に立証されない限りセクハラで救済を求めることはできないとした。私はコモンローの不法行為法依拠した保守的な司法判断として優れていたと評価する。(平野晋1991)
 一方、第9巡回区のElison v ,Brady ,924F 2d.872(91hCir.1991)は Rabidue 判決に反対するとした上 で 、“reasonable woman ” 或いは” reasonable victim of the same sex” の基準を適用し、より女性固有の心理に焦点をあてるものであり、フェミニズムに近いこれは女性に有利な判断基準といえる。(篠田実紀2004)
 
(二)Harris v. Forklift Systems, Inc.,510 U.S. 17 (1993) 
 1985年4月から1987年10月までの2年半の間を通して女性マネージャーに対して,他の社員の前で何回か「君は女だ。なにが分かるというんだ。」「男のレンタル・マネージャーがほしい。」と発言し、一度は「ムレムレ尻女」と言うなど、しばしば女性であることを理由として侮辱し、また、他の社員の前で「君の昇給交渉のためにホリデーインに行かないか」、「顧客と週末にセックスすると約束したか」と言ったり,自分のズボンの前ポケットにコインを入れて女性社員にそれを取り出すよう要求したり,女性社員の前に物を投げてそれを拾わせて覗いたり、女性社員の衣服について椰楡するなど,しばしば女性社員を性的あてこすりのターゲットとした使用者(社長)の行為について、会社側勝訴の高裁判決を覆し、公民権法違反の環境型セクシュアル・ハラスメントが成立するとしたものであ
 ハリス判決は第六巡回区連坊高裁のラビデュー対オセオラ判決の判断基準により深刻な心理的傷害の立証がないとしてセクハラと認めなかった連邦高裁の判断を覆し環境型セクハラの判定基準を次のように示した。
『差別的な威嚇、嘲笑、侮辱などが、被害者の雇用条件を変化させ、悪質な職場環境を創出するほど十分にひどく浸透している場合には、Title7違反になる』When the workplace is permeated with discriminatory intimidation, ridicule, and insult that is sufficiently severe or pervasive to alter the conditions of the victim’s employment and create an abusive working environment, Title VII is violated.”
『客観的な敵対的、虐待的職場環境、すなわち合理的人間(道理をわきまえた通常人)ならば敵対的ないし虐待的であると認定できるような環境を作出するほどひどくはなくまた広範でもない行為は、Title7の適用範囲を超えている』“Conduct that is not severe or pervasive enough to create an objectively hostile or abusive work environmentan environment that a reasonable person would find hostile or abusiveis beyond Title VII’s purview.”
また「私たちは、環境が「敵対的である」か「虐待的であるか」が単にすべての事情を見ることによって決定できると言うことができる。これらは差別している行為の頻度を含むかもしれない。厳しさ。それは、物理的に険悪であるか、屈辱的であるか、単なる不快な発声か。そして、それは無分別に従業員の業務遂行を妨げるのであるかどうか。原告が、環境が虐待的であることが実際にわかったかどうか決定すると従業員の心理学的な幸福への効果はもちろん関連している。しかし、いかなる他の関連要素のようにも、精神的傷害は考慮に入れられるかもしれないが、どんなただ一つの要素も必要ではない。」と述べ、、客観的に敵対的、虐待的職場環境と形成していることが環境型セクハラの基準であって、深刻な心理的傷害の立証は不要であると結論した。
 私の見解は精神的傷害という医学的に客観的に判定ができるラビデュー判決の判断基準がコモンローの不法行為法に依拠した判断で安定的で、優れていたと判断するため残念に思う。この判断基準を退けた(コモンローの否定)ことで、ハリス判決は女性に有利な基準といえる。但し、本判決は敵対的職場環境の認定につき「合理的通常人」reasonable personテストを採用し、第9巡回区のより女性に有利な「合理的女性」テストはとらなかった。女性固有の心理理に配慮すべきとする下級審判例も退けられているからフェミニスト法学に迎合したわけではなく、中道的な判断基準と評価してもよい。
(三)Faragher v. Boca Raton, 524 U.S. 775 (1998)

 ハリス判決を踏襲し「嫌がらせの客観的過酷さ」は、状況とかかる振舞いが行われた社会的文脈の全てを考慮に入れた上で、「合理的な通常人」が従業員の立場に置かれた観点から判断するべきものとされた。つまり合理的通常人テストプラス総合的判断としたのである。「単なるからかい、当てこすり、極度に重大な場合を除く単独の行為は、労働条件の差別的な変更にあたるものではない‥労働条件の変更にあたるほど極端なものでなければならない」と述べている。 
(四)Oncale  v. Sundowner Offshore Services,Inc, et al., 523U.S.75(1998 )

 被害者が同性である場合にセクハラが認められるかが争われた容認した事件だが、スカリア法廷意見は次のように環境型セクハラの基準について述べた。
『Title7は、職場における全ての言動や肉体的な嫌がらせを禁じてはいない。それは、『性を理由とする差別』のみを指している。我々は、たとえ職場での異性間のいやがらせであったとしても性的な内容や暗示を含む言葉をつかったという事だけで機械的に性差別だとは決して判示してこなかった。』『我々が‥‥強調したように、この規定は、同性のあるいは異性との日常的なふれあいのなかの真正ではあるが害の無い相違には及ばない。職場での性を理由とするセクハラの禁止は‥‥ただ、被害者の職場環境を変えるのに十分な客観的いやがらせを禁じているだけである』『通常の職場における社交(男同士の馬鹿騒ぎや異性間でのいちゃつきであっても)を『職場の環境』に関する差別であると誤解しないことを保証する』『我々はさらに『全ての状況を考慮して』、原告の立場に置かれた合理的な人間という観点で、セクハラの客観的なひどさを判断すべきだということを強調してきた』『職場における行為の現実的影響は、しばしば、使用された言葉の詳細あるいは行われた肉体的行為の単なる再現によっては十分に把握されることのない周囲の環境、予期、人間関係の配置に依存している。良識や社会的背景に対する適切な感受性によって、裁判官や陪審は、単なるからかいや同性間での馬鹿騒ぎと、合理的な人間が原告の立場に立ったときに過度に敵対的で虐待的であると認識する行為とを見分けることが可能になるのである。』。などとして、単なるからかいや馬鹿騒ぎがセクハラにはあたらない。
 
参考文献
岡本幹輝
2002 「米国判例に見る教育現場での最近のセクハラ・性差別事例」白鴎大学論集,17(1)(ネット公開)
篠田 実紀
2004「アメリカ合衆国における職場のセクシュアル・ハラスメント : 救済から防止への道のり」神戸市外国語大学外国学研究 59 (ネット公開)
中野通明
1992「米国における雇用差別と最近の状況(上)」国際商事法務20巻6号1992
平野晋
1991「セクシャル・ハラスメント法入門」国際商事法務19巻12号
山崎 文夫
2004「セクシュアル・ハラスメントと企業内自主規制」比較法制研究 (27)(ネット公開)
2004『セクシュアル・ハラスメントの法理』労働法令)
ウェプサイト
米国におけるセクハラ問題(如水会ネット)
http://jfn.josuikai.net/ronbun/0011.html
ケネス J. ローズ米国の性的嫌がらせ法の法的遵守
http://rosegroup.us/files/Website--Sex%20Harassment--ILS--v.2%20Japanese%20version%20(00009052).PDF
 

2018/05/13

私鉄総連春闘ワッペン闘争の法的評価(下書きその2)

承前
 (3)国労札幌地本ビラ貼り事件昭和54・10・30民集33-6-647について
 事案は大略して次のとおりである。国労は昭和44年春闘に際して各地方本部に対してビラ貼付活動を指令した。原告らは支部・分会の決定を受けて「合理化反対」「大幅賃上げ」等を内容とする春闘ビラ(ステッカー)を勤務時間外に職員詰所等ににある自己又は同僚組合員の使用するロッカーに、セロテープ、紙粘着テープによって少ない者は2枚、最も多い者は32枚貼付した(原告以外の組合員も含めて総計310個のロッカーに五百数十枚のビラを貼った)。原告らは貼付行動の際、これを現認した助役ら職制と応酬、制止をはねのけた。
 この行為が掲示板以外での掲示類を禁止した通達に違反し、就業規則に定めた「上司の命令に服従しないとき」等の懲戒事由に該当するとして、戒告処分に付し、翌年度の定期昇給一号俸分の延伸という制裁を課したため、原告らは戒告処分の無効確認を請求して訴えたものである。
 一審(札幌地判昭47・12・22判時709)は被告国鉄勝訴、原審(札幌高裁昭49・12・28は一転して原告国労札幌支部組合員の請求を全面的に認めたが、最高裁第三小法廷は全員一致で原判決破棄自判して、原告の請求を終局的に斥けた。
 企業秩序論の3つめの最高裁判例である。富士重工事件は企業秩序違反行為の社内調査協力拒否に関して、目黒電報電話局事件は施設内での政治活動事案であったが、国労札幌事件は企業施設内での組合活動事案で、本件はロッカーのビラ貼りであるが、集会・演説その他企業施設を利用する組合活動全般の判断枠組みを示しており、多くの判例で引用される指導判例の位置づけにある。
 判旨は労働組合又はその組合員が使用者の許諾を得ないで企業の物的施設を利用して組合活動を行うことは、これらの者に対しその利用を許さないことが、使用者が有する権利の濫用であると認められるような特段の事情がある場合を除いては、物的施設を管理利用する使用者の権限を侵し、企業秩序を乱すものであつて、正当な組合活動にはあたらないとするものである。
 
 
A 国労札幌地本事件判決の意義
 
1. プロレイバー学説「受忍義務説」の否定
 
 判決は「労働組合が当然に当該企業の物的施設を利用する権利を保障されていると解すべき理由はなんら存しないから‥‥‥使用者の許諾なしに右物的施設を利用する権限をもっているということはできない。‥‥‥利用の必要性が大きいことのゆえに、労働組合又はその組合員において企業の物的施設を組合活動のために利用しうる権限を取得し、また、使用者において労働組合又はその組合員の組合活動のためにする企業の物的施設の利用を受忍しなければならない義務を負うとすべき理由はない」と判示し明確に受忍義務説を否定した。
 学説多数説であった受忍義務説とは、組合活動の場合は、施設利用について使用者に受忍義務があるとするものである(たとえば籾井常喜1965 183頁 片岡曻・大沼邦博1991 321頁)。立論の基礎は憲法28条の団結権、団体行動権をプロ・レ-バー的に広く解釈し、それは私人間効力の及ぶもので使用者の権利や自由(その中心は財産権、具体的には労務指揮権や施設管理権)を一定の制約の契機が含まれていると解する。その根底にある思想は、憲法28条を、近代市民法秩序の核心である財産権、所有権、営業の自由を制約する契機として理解し、市民法秩序を超克し階級闘争としての労働運動を支援するというイデオロギー的背景を持つ学説である。
 受忍義務説を採用した下級審判例としては、刑事事件で全電通東海電通局ビラ貼事件名古屋地判昭38・9・28判時359があり「使用者の施設管理権も労働者の団結権保障とのかねあいから、‥‥権利の本質的な意味で制約をうけ、そこから生じる使用者の不利益は使用者において受忍すべき場合がある。」と受忍義務を団結権保障のコロラリーとして承認する判断をとつている。
 事案は昭和34年年3月全電通役員が中心となって東海電気通信局庁舎の正面玄関やガラス窓等に、不当処分撤回、大巾賃上げ等を求める趣旨のビラ約四千枚を糊で貼付した行為が、庁舎の外観を著しく汚したものとして刑法260条の建造物損壊罪に問われたものであるが、同条の構成要件に至ってないとし、軽犯罪1条33号も労使の紛争状態の組合活動については同法は適用されないと断じ、仮に本件ビラ貼りが形式上建造物損壊に当たるとしても、それは組合活動の一環として合法的であり、違法性を欠き無罪であるとした(控訴審名古屋高判昭39・12・28判時407では破棄自判有罪)。
 しかしプロレイバー側でも、受忍義務説の論理に批判があって、団結権は施設管理権を当然に制約する明確な内容は与えられていない(小西国友1975)、使用者の団交応諾義務(労組法7条2項)や組合活動の妨害・介入の禁止(労組法7条3項)みと無関係に受忍義務を課す実定法上の根拠はなく、受忍義務とはすなわち便宜供与義務になるから、経費援助の肯定は経費援助禁止の原則((労組法2条但書3号、7条3号)と矛盾する(下井隆史1980)との指摘がある。(なお小西、下井が主張する違法性阻却説も、後述するがこの判決の判断枠組みでは排除するものであることが判例の蓄積によって明らかになっている)
 また下級審判例で受忍義務説を否定した判例としては、動労甲府支部ビラ貼り事件東京地判昭50・7・15判時784(中川幹郎チーム)が、「助士廃止粉砕」などと記載したビラ約三千五百枚を鉄道管理局庁舎内に貼った行為は、使用者の所有権や施設管理権「管理及び運営の目的に背馳し、業務の能率的正常な運営を一切排除する権能」を強調する一方、たとえ企業内組合の場合であっても組合活動のために企業施設を利用する「権限」を当然有するものではないとし、それが認められない以上、使用者が無断ビラ貼りを「受忍」すべきいわれはなく、当該のビラ貼りは使用者の所有権ないし施設管理権の侵害にあたるとして、ビラ貼り事件で初めて、労働組合や組合員に損害賠償責任を認め、ビラはがし代142,300円の支払いを動労側に命じ、明確に受忍義務を否定したリーディングケースである。
 ビラ配布事案であるが日本エヌ・シー・アール事件東京高判裁昭52・7・14判時86881は組合活動は原則として就業時間外に事業場外においてなすべきことを明確に述べ、受忍義務説を排除した判例と評価できる。
 「一般に事業場は、当然に使用者の管理に属し、労働者は、自己の労働力を使用者に委ねるために事業場に出入りを許され、就業時間中は使用者の指揮命令に従い労務に服する義務を負うものであり、労働組合は労働者が団結により経済的地位の向上を図ることを目的として自主的に結成加入した団体であって、使用者から独立した別個の存在である。従って、労働者の労働組合活動は原則として就業時間外にしかも事業所外においてなすべきであって、労働者が事業上内で労働組合活動をすることは使用者の承認のない限り当然には許されず、この理は労働組合運動が就業時間中の休憩時間に行われても、就業時間外に行われても変わりがないと解すべきである」と説いた。こうした下級審判例の説示を企業秩序論として構成しなおしたのが国労札幌地本判決といえるだろう。
 企業施設は使用者の所有管理に属し、市民法(私法)理論からすれば、労働組合の利用権は当然には認められないものである。したがって受忍義務説の否定は、労働組合に実定法で与えられたもの以上の、市民法秩序を超える権利を付与されるものではないことを示した判決と評価してもよい。
2 施設管理権の脆弱性の解消
 判決は、次のように企業秩序論を説示する。
「思うに、企業は、その存立を維持し目的たる事業の円滑な運営を図るため、それを構成する人的要素及びその所有し管理する物的施設の両者を総合し合理的・合目的的に配備組織して企業秩序を定立し、この企業秩序のもとにその活動を行うものであつて、企業は、その構成員に対してこれに服することを求めうべく、その一環として、職場環境を適正良好に保持し規律のある業務の運営態勢を確保するため、その物的施設を許諾された目的以外に利用してはならない旨を、一般的に規則をもつて定め、又は具体的に指示、命令することができ、これに違反する行為をする者がある場合には、企業秩序を乱すものとして、当該行為者に対し、その行為の中止、原状回復等必要な指示、命令を発し、又は規則に定めるところに従い制裁として懲戒処分を行うことができるもの、と解するのが相当である」
 この企業秩序論の判例法理が最高裁によってが案出された最大の理由は「施設管理権」の脆弱さと空隙を埋める必要性があったと解する。
 すなわち、終戦直後、経営者が直面した生産管理闘争のようなきわめて悪質な争議行為や経営内での団結示威その他無許可組合活動に対し、組合規制力を強化するための使用者は「経営権」を確立する必要があった。
 当初経営者は企業内組合活動を規制する根拠を、労働規律から施設利用までカバーする「経営権」に求めていたが、包括的な経営権の観念を裁判所が必ずしも受け入れなかったために根拠は「労務指揮権」+「施設管理権」であるとされるようになった。
 しかし、「労務指揮権」はその法的根拠を労務当事者の契約に求めざるをえず、「施設管理権」の主張も脆弱性を有していた。その根拠を所有権・占有権という物権的権利に求める限り、所有権の一部をなし、建物、敷地等の会社施設を維持、保全、改良する具体的機能として内容づけられることとなり、妨害排除の物権的請求権か、無権利者による無断利用、毀損行為をとらえて行う不法行為にともなう賠償請求という、民法上の主張にとどまり従業員懲戒の根拠としては難点があったのである。
 また労務指揮権+物的維持管理権限に限定された施設管理権の主張は、直接労務指揮権限をもって規律しえない時間帯である、休憩時間、就業時間前、就業後の組合活動について空隙を残すことになった(菊地高志1973)
 このことはプロレイバー労働法学につけ込む隙を与えた。受忍義務説の論理構成は「施設管理権」とは元来法律用語ではなく、昭和28・9年頃使用者側から主張された政策概念としたうえ、所有権・占有権の一つの機能として位置づけ、物的管理権に限定して承認するというものであった(西谷敏1980})。それゆえ「物的管理権である以上、施設管理権は組合活動に対して直接向けられるべきものではない」とされる。(峯村光郎1969 161頁、本多淳亮1964 21頁)。
 つまり受忍義務説に潰すには、施設管理権を侵害するような行為を懲戒するには理由づけが必要であり、それには施設管理権を企業秩序と関連づける必要があった。懲戒処分は企業秩序の維持の目的をもって制定されるからである。
  以下時岡肇調査官の判解をそのまま引用する。―ー本判決が「施設管理権」  という用語を用いずに  「職場環境を適正良好に保持し規律のある業務の運営態勢を確保しうるように当該物的施設を管理利用する使用者の権限」と判示したのは。以上のようにな理由から物的施設の管理運用を施設の所有権(物的管理権)のみから理論づけないで使用者の企業秩序維持のため必要な措置をとりうる機能も含む趣旨、すなわち人的・物的両面を含む使用者の権限として構成したことを明らかにしたものーーである。
 
  (つづく)
 
引用・参考
片岡曻・大沼邦宏
1991『労働団体法』青林書院
菊地高志
1973「組合のビラ配布と施設管理権-日本ナショナル金銭登録事件を中心として-ー」日本ナショナル金銭登録機事件横浜地裁昭43・2・9判決 労判172号
小西国友
1975「ビラ貼付と施設管理権」季刊労働法95号
下井隆史
1980「労働組合のビラ貼り活動に関する再論」判タ406号
時岡肇『最高裁判所判例解説民事篇昭和54年度』 339頁
西谷敏
1980「施設管理権の法的性格とその限界」『法学雑誌』大阪市立大学法学会26(3・4)
本多淳亮
1964『業務命令施設管理権と組合活動』労働法学出版 
峯村光郎
1969『経営秩序と団結活動』総合労働研究所
籾井常喜
1965『経営秩序と組合活動-不当労働行為の法理経営秩序と組合活動』総合労働研究所 

2018/05/06

私鉄総連春闘ワッペン闘争の法的評価(下書きその1)

 毎年恒例となっている2月中旬より3月中旬の私鉄総連春闘ワッペン着用闘争であるが、この行為は、私鉄労連組合員として春闘に参加していることを示す自己表示であり、団結内部で組合員相互の連帯感や、闘争意識を高める目的を有し、使用者に対しての団結示威である。のみならず、乗客に春闘への連帯を訴えかける教宣活動として絶大な宣伝効果をもち、私は春闘に連帯したくもない一利用客であるから、みせつけられるのは非常に不快であり、業務外の徽章の着用、勤務をしながら駅員や乗務員が団結示威ないし誇示する組合活動は、職務に専念せず債務の本旨を履行しない勤務態度として強い不快感をもつのであって、これを放置しているかにみえる各社の労務管理の緩いことにも強い不信感をもつ。
  会社側や国会議員等にこのことの苦情を出すための準備として服装戦術(リボン、プレート、腕章、ゼッケン、鉢巻、バッジの着用による訴えかけや団結示威)判例を検討する。
 このまま既成事実として放置してよいものではないからである。
 ここで問題とするのは民鉄の労務管理である。東京メトロ、東急、京浜急行、京成、東武、京王の各社である、上記の六社はいずれも駅員・乗務員の春闘ワッペン着用を私自身がこの目で見ている。関西その他の地方は現場を見てないので特に言及しないこととする。(なお組合が私鉄総連に加盟していない西武[コーポレートメッセージのワッペン着用を見たが会社の宣伝なのでもちろん問題ない]や新ダイヤを宣伝するプレート着用を見たが春闘ワッペンは見ていない小田急は対象外である。)
 むろん労務管理は経営者の裁量によるものであり、株主でもないのに文句をいう筋合いはないし、私鉄は国鉄のように公共の福祉を目的とする公法人ではない。
しかし鉄道事業は,国民の社会経済生活に不可欠の公共性の極めて高い事業であるとともに,乗務員、駅員の職務は不特定多数の利用客の生命、身体及び財産の安全に深くかかわるものであるから、職務規律が強く求められ、その労務の提供のあり方と企業秩序の乱れについては関心をもたれて当然なのであって、利用者の立場から従業員の職務専念義務の履行、服装の整正について相応の労務管理が求めてよいと考える。
とくに東京メトロは国と東京都が株主の公的資本会社でもあるから、国会や都議会で問題提議してよい事柄と考える。
 
一、判例法理では正当な行為とみなされる余地はかなり小さいが、実際に取り締まるには、就業規則や労働協約で会社が認めた腕章、胸章等の着用の禁止等を明示する必要があり、会社が事実上容認している慣行をあらためるには政治家の働きが必要に思われる
一) リボン闘争それ自体の判例法理は未解決な部分を残しているが、企業秩序定立維持権に関する判例の判断枠組、判断基準は安定して維持されており、勤務時間中の組合活動や企業秩序侵害の違反を、具体的な業務阻害から判断することを排除していることから、勤務時間中のワッペン着用闘争が正当な行為とされる余地はかなり小さい
 
 労働組合法第7条は、労働組合の正当な行為をしたことの故をもって、その労働者を解雇し、その他これに対して不利益な扱いをすること、 労働者が労働組合を結成し、若しくは運営することを支配し、若しくはこれに介入することなどを禁止しており、労働組合は労働委員会に救済申立を行うことができ、労働委員会は救済命令を発し、使用者側がそれに不服な場合は救済命令取消訴訟を起こすことができる。
 問題はワッペン闘争等の服装戦術が労働組合の正当な行為か否かであるか、これは労働委員会命令、多数蓄積している救済命令取消し訴訟等の判例及び学説で判断していくことになる。
 結論を先にいうと、ワッペン着用を勤務時間中の組合活動ととらえると正当な行為と評価される余地は小さいといえる。企業秩序論の観点からJRのようにしかるべき就業規則や労働協約があることを前提とすれば文句ないが、私は各社の状況を具体的に知らず民鉄では例えば会社で認めた胸章、腕章等以外の着用を禁止する規定がないとなると、企業秩序の定立のために規則から見直す必要がある。
 とはいえ将棋に譬えると、取締まる側のほうが初めから評価値で千点有利な形勢、積極的に攻めていけば負けることはない。ただやる気のなさだけの問題とさえいえるのである。
 
1.昭和57年大成観光リボン闘争事件最高裁第3小法廷判決までの判例の推移
 
(1)判例法理転換期の下級審判例について
 
 大局的見地から判例法理の推移を概観しておく。
  我が国では昭和40年代まで、階級闘争としての戦闘的な労働運動を支援する立場から労働基本権によって財産権や所有権という市民法秩序の侵害を正当化させようとする赤い思想にもとづいて、労働組合に通常なら犯罪とされる行為でも処罰されない特権を付与する可罰的違法論、企業内組合活動では、受忍義務説(法益権衡、法益調整論により使用者の権限の侵害を正当化)や施設管理権を物的管理権に限定する悪質なプロレイバー学説が司法にも影響力を持っていたため職場秩序の混乱をもたらしていた。
 リボン闘争についても、全逓灘郵便局事件・ 神戸地判昭42・4・6労民集18-2-302、国労青函地本事件・函館地判昭47・5・19労民集23-3-347が正当な組合活動としている。
  しかし、昭和48年石田和外コート末期の最高裁の構成の変化等で司法の左傾化に歯止めがかかったことにより、住居侵入罪、公務執行妨害に問われたマスピケ事犯で可罰的違法論を適用して無罪とした原判決を覆した国労久留米駅事件大法廷判決昭48・4・25刑集27-3-418を決定的なターニングポイントとしてプロレーバー学説は明確に否認の方向に舵がきられ、企業内組合活動についていえば、受忍義務説より許諾説に転換していった。
   服装戦術では、●ノースウエスト航空事件・東京高判昭47・12・21労判速805-9が初めて腕章着用の就労を職務専念義務違反と判示した。
三井鉱山賃金カット事件・福岡地判昭46・3・15労民集22-2-268は「不当処分反対、三川通勤イヤ!」「抵抗なくして安全なし」等と書きつけた組合員のゼッケンの着用が、就業時間中の会社構内における情宣等を禁止する労働協約の条項に違反し、正当な組合活動とはいえないと判示した。
●国労青函地本リボン闘争事件・ 札幌高判昭48・5・29
労民集24-3-257は、判断枠組みを提示し、理論的説示をしていることで、リーディングケースとなっている。
 国鉄職員が勤務時間中に職務の遂行に関係のない行為または活動をするときは、具体的な業務阻害がなくても、職務に対する精神的・肉体的活動の集中を妨げない特別の事情がある場合を除いて国鉄法32条2項の職務専念義務に違反するとしたうえで、本件リボンを着用することにより、勤務に従事しながら、青函地本の指令に従い、国労の組合員として意思表示をし、相互の団結と使用者に対する示威、国民に対する教宣活動をしていたものであり、組合活動を実行していることを意識しながら、その職務に従事していたものであるから、その精神的活動力のすべてを職務の遂行にのみ集中していたものでないことは明らかであり、職務専念義務違反とした。
 また服制及び被服類取扱基準規程の「被服類には、腕章、キ章及び服飾類であって、この規程に定めるもの及び別に定めるもの以外のものを着用してはならない」とする規定にも違反するとした。
 さらに国鉄職員がこれを着用して勤務していることに対し旅客公衆の中には不快感を抱く者があることは十分予想されると述べ、被控訴人らは、そのような不快感は反組合的感情で保護するに値しないと主張するが、しかし、その不快感が、本件リボンの内容である国労の要求内容に対する不満にあるのではなく、被控訴人らが職務に従事しながら本件リボンを着用して組合活動をしているその勤務の仕方に対する不信、不安によるものであるときは、国鉄が公共の福祉の増進を目的とする公法人で、その資本は全額政府が出資していることを考えると、右の趣旨の旅客公衆の不快感は十分理由があるものであつて、これを単なる反組合的感情にすぎないものということはできない。さらに、国鉄内には、国労のほか、これと対立関係にある鉄道労働組合があることは顕著な事実であり、本件リボンの着用が鉄労組合員その他組合未加入者に心理的な動揺を与え、国労の組合員の中にも指令に反し本件リボンを着用しなかつた者が相当数あったことが認められるが、これらの者にも精神的な重圧となったことも十分考えられ、勤務時間中の本件リボンの着用は、その勤務の場において、不要に職場の規律、秩序を乱すおそれのあるものというべきであると述べ、原判決中控訴人敗訴部分を取り消す。
神田郵便局事件・東京地判昭49・5・27労民集25-3-236も「全逓神田支部」と染め抜いた腕章を着用した行為は就業規則に違反し、職務専念義務に違反するとした。二審東京高判昭51・2・25訴務月報22-3-740も一審を支持。
大成観光事件・東京地判昭50・3・11労民集26-2-125は、中川幹郎チームの著名な判決である。リボン闘争はそれが争議行為であれ、その他の組合活動と評価されるものであれ違法と断じた。勤務時間の場で労働者がリボン闘争による組合活動に従事することは、人の褌で相撲を取る類の便乗行為であるというべく、誠意に労務に服すべき労働者の義務に違背し違法であり、使用者はそれを受忍する理由はないなどとして、労組の正当な行為とした東京都地労委の救済命令を取消す強烈な判決である。二審東京高判昭52・8・9労民集28-4-362もこの判断枠組を支持した。
全逓灘郵便局事件・大阪高判昭51・1・30労民集27-1-18は、一審判決の被告敗訴部分を取消し、本件リボン等の着用は、上司の取外し命令を拒否する決意の下に組合活動目的を客観的持続的に表明し、組合員が互いにこれを確認し、当局および第三者に示威する趣旨の精神的活動を継続したものにほかならないから、これによって具体的にどのような業務遂行上の支障を生じたかを問うまでもなく、右は、それ自体本来の職務遂行に属しないのはもちろん、郵便業務の秩序ある正常な運営と相容れぬところの積極的な職場秩序攪乱行為であつたと断ずるを相当とし、勤務時間内における組合活動禁止と職務専念義務を定めた就業規則の趣旨に抵触する。さらに「正しくない服装」を禁止する規則にも違反するとした。郵政省ではこれまで業務成績の向上を計る目的で職員に対し本件リボンとほとんど同形同色のリボンで「簡易保険新加入運動」「郵便貯金五千億円突破」等と記載したものを着用させたことがある。しかし、リボン等の着用が正しい服装であるかどうかは、単にその外形のみによって判断すべきものではなく、記載文字等によってその着用が一定の目的を持った意味ある行為であることを考えて綜合判断する必要があると判示した。
●沖縄全軍労事件・那覇地判昭51・4・2
1労民集27-2-228は在日米軍基地の従業員が赤布の鉢巻を着用して労務の提供することは、雇用契約上の債務の本旨に従った履行の提供とはいえないとして賃金カットを適法と認めた。二審福岡高那覇支判昭53・4・13労民集29-2-253も一審を支持。
全建労事件・東京地判昭52・7・25行裁集28-67-680 は、本件建設省職員のリボン闘争が職務専念を欠く結果を招く蓋然性の高い行為であり、職場全体においては違和感を生ぜしめ、国民に対しては国家公務員の信用を失墜するおそれを生み出す。リボン闘争に参加した原告らは全体の奉仕者たる国家公務員として規律保持に欠けるところがあつたものといわざるを得ないなどとして、リボン闘争の指導、着用を勤務成績評価のマイナス評価とすることを認めている。
 
  以上のリボン闘争等を違法ないし正当な行為とみなさない下級審判例を類型化すれば以下のとおりである。
●雇用契約上の債務の本旨に従った労務の提供ではない 
ノースウエスト航空事件・東京高判昭47・12・21
  沖縄全軍労事件・那覇地判昭51・4・21
誠意に労務に服すべき労働者の義務に違背する
  大成観光事件・東京地判昭50・3・11
職務専念義務に違反する
国労青函地本リボン闘争事件・ 札幌高判昭48・5・29
全逓灘郵便局事件・大阪高判昭51・1・30
(いずれも具体的にどのような業務遂行上の支障を生じたかを問わず職務専念義務違反とする)
●就業規則の服装整正規定や正しくない服装の禁止に違反する

 国労青函地本リボン闘争事件・ 札幌高判昭48・5・29
全逓灘郵便局事件・大阪高判昭51・1・30
●勤務時間中の組合活動を禁止する就業規則、労働協約に違反する

三井鉱山賃金カット事件・福岡地判昭46・3・15
全逓灘郵便局事件・大阪高判昭51・1・30
 
(2)昭和52年目黒電報電話局反戦プレート事件判決について
(要旨のみ)
  本件勤務時間中の反戦プレート着用行為に絞って就業規則違反か否かについて概略を述べれば、公社法三四条二項の職務専念義務規定について「規定の違反が成立するためには現実に職務の遂行が阻害されるなど実害の発生を必ずしも要件とするものではない」と述べているが、実はプレート着用は政治行為禁止の規則に違反したので戒告処分とされており、職務専念義務違反が直接の理由にはなっていない。
 この判決では、まず形式的な就業規則違反、実質的に局所内の秩序風紀を乱すおそれのない特別の事情が認められるときは規則違反にならないとする判断基準を示した。
  (これは、政治活動に関する下級審判例の具体的危険説を排除し抽象的危険説を採用した意味が含まれている。具体的危険説とは学説多数が支持した現実且つ具体的な経営秩序紊乱の結果を招来する場合のみ禁止できるとする立場だが、そうではなく何々のおそれというような抽象的危険であっても合理的理由とするのである)。
  そのうえで、本件は、就業規則の政治活動禁止規定違反とされるプレート着用行為が、同僚に訴えかける行動が職務専念に専念すべき規律秩序を乱しているだけでなく、他の職員の職務への集中を妨げるおそれがあるものとして、実質的に企業秩序を乱すおそれがない特別の事情があるものとはいえないから、就業規則違反とされた。  
  要するに抽象的危険、秩序を乱すおそれかがあるという理由づけで、就業規則違反-懲戒事由となりうることを示している。
  問題は、本件が職員単独の政治活動事案であり、組合活動ではない。このため組合活動としての団結示威であるリボン・ワッペン闘争の先例となりうるか、この点については大成観光リボン闘争事件・最三小判昭57・4・1の法的評価(理論的説示がないため評価が割れている)の項目で検討することだが、若干重複しても触れておく。
  目黒電報電話局判決は、ビラ配りも含めた本件政治活動禁止の合理性を説くにあたって、「企業施設‥‥管理を妨げるおそれ」「他の従業員の業務遂行‥‥妨げるおそれ」「他の従業員の休憩時間の利用を妨げ‥‥るおそれ」「企業秩序の維持に支障をはたすおそれが強い」と結論づけているが、これは政治活動に限ったことではなく、労働組合による無許可集会、演説行為、署名、募金活動等にもいいうるのであって、組合活動をも射程範囲とした判示と推測できる。
 加えて目黒電報電話局判決の職務専念義務の説示は、国労青函地本リボン闘争事件・ 札幌高判昭48・5・29の説示と同じであり、同判決の判断枠組みを大筋で支持していることとを推測できる。
 理論的な説示がなく、当該事案のリボン闘争を正当な行為ではないとした大成観光リボン闘争事件・最三小判昭57・4・1について、新村正人調査官解説(判解)は目黒電報電話局反戦プレート事件最高裁判決の先例としての意義につき次のように述べている。
「‥‥右事案におけるプレートの着用は組合活動として行われたものではないが、その判旨の趣旨を推し及ぼすと、同様に職務専念義務を肯定すべき私企業においてリボン闘争が就業時間中の組合活動としておこなわれたときは、労働組合の正当な行為とはいえないことになる。‥‥本件リボン闘争が組合活動として行われたものとの前提に立つ限り、その正当性を否定することは、判例理論上必然のことといってよい」
  調査官解説(判解)は公式注釈ではない。あくまでも私的見解にすぎないが、とはいえ判解は事情に通じている法律家の標準的な解釈とみてよい。調査官は暗に目黒電信電話局判決を引用することもなく、判決理由のないことで混迷を招いた多数意見を批判しているのだ。
  これは、当時この判決に関与した4裁判官のうち2人が目黒電報電話局判決に批判的だった特殊事情による。
(本文)
 
  プレート着用行為で最高裁判例では目黒電報電話局事件・最三小判昭52・12・13民集31-7-974がある。
先例として引用されることが多く、指導的判例といえる。
  事案は電電公社職員が、昭和42年6月16日から22日まで継続して左胸に青地に白色で「ベトナム侵略反対 米軍立川基地拡張阻止」と書かれたプラスチック製のプレートを着用して勤務した。その間目黒局の管理職により取り外すよう注意を受けたが従わず、6月23日の休憩時間に、管理職の態度に抗議し、ワッペン、ブレートの着用を呼びかけるビラ数十枚を配布した。
電電公社は、プレート着用行為が就業規則5条7項「職員は、局所内において選挙活動その他の政治活動をしてはならない」らに違反し、ビラ配布行為は5条6項「職員は、局所内において、演説、集会、貼紙、掲示、ビラの配布その他これに類する行為をしようとするときは、事前に別に定めるその局所の管理責任者の許可を受けなければならない」に違反し懲戒事由に該当するとして、戒告処分に付したが、被処分職員が戒告処分の無効確認を請求した訴訟である。
一審東京地判昭45・4・13労民集21-2-574は、公社就業規則の「政治活動」とは「政治目的の政治活動」のことであり一般職公務員の政治活動の制限と同趣旨と解釈し、本件プレート着用行為は懲戒事由として規定する「政治活動」に当たらないなどとして、戒告処分を無効とした。二審東京高判昭47・3・10労判速781-3一審の判断正当として控訴を棄却。
上告審は、原判決を破棄し、一審判決を取消して原告の請求を棄却(戒告処分を有効と)した。
多数意見はまず、電電公社の使用者と労働者の関係は私法上のものであるとして、就業規則制定の目的を論じ、本件政治活動禁止の就業規則は、私企業と同様に、企業秩序の維持を主眼とするものして、一般公務員と同趣旨とした一審の解釈を退けたうえで、次のように企業秩序論を展開し、企業秩序維持の見地から、就業規則により職場内における政治活動を禁止することは、当然許されるとする。
「一般私企業においては、元来、職場は業務遂行のための場であって政治活動その他従業員の私的活動のための場所ではないから、従業員は職場内において当然には政治活動をする権利を有するというわけのものでないばかりでなく、職場内における従業員の政治活動は、従業員相互間の政治的対立ないし抗争を生じさせるおそれがあり、また、それが使用者の管理する企業施設を利用して行われるものである以上その管理を妨げるおそれがあり、しかも、それを就業時間中に行う従業員がある場合にはその労務提供業務に違反するにとどまらず他の従業員の業務遂行をも妨げるおそれがあり、また、就業時間外であっても休憩時間中に行われる場合には他の従業員の休憩時間の自由利用を妨げ、ひいてはその後における作業能率を低下させるおそれのあることがあるなど、企業秩序の維持に支障をきたすおそれが強いものといわなければならない。したがって、一般私企業の使用者が、企業秩序維持の見地から、就業規則により職場内における政治活動を禁止することは、合理的な定めとして許される‥‥」
  そして、次のように形式的就業規則違反では懲戒処分に付すことはできない。実質的に秩序を乱すおそれのない特別の事情の認められるときは違反にはならないという、先例としてよく引用される判断基準が示される。
「それは社会通念上政治的な活動にあたり、しかもそれが目黒局の局所内で行われたものである以上、公社就業規則五条七項に違反することは、明らかである。もつとも、公社就業規則五条七項の規定は、前記のように局所内の秩序風紀の維持を目的としたものであることにかんがみ、形式的に右規定に違反するようにみえる場合であっても、実質的に局所内の秩序風紀を乱すおそれのない特別の事情が認められるときには、右規定の違反になるとはいえないと解するのが、相当である」
  そのうえで、勤務時間中におけるプレート着用行為が局所内の規律秩序を乱すおそれがあるか判断しているが、大筋以下の2点で実質的に局所内の秩序を乱すもしくは乱すおそれがあるので、就業規則違反として懲戒事由となると結論する。
 
○職務と無関係な同僚への訴えかれける行動は、職務の遂行と無関係な行動であり、職務に専念すべき局所内の規律秩序を乱している
○他の職員の注意力を散漫にし、あるいは職場内に特殊な雰囲気をかもし出し、よって他の職員がその注意力を職務に集中することを妨げるおそれがあることは局所内の秩序維持に反する
 
  公社法三四条二項が「職員は、全力を挙げてその職務の遂行に専念しなければならない旨を規定しているのであるが、これは職員がその勤務時間及び勤務上の注意力のすべてをその職務遂行のために用い職務にのみ従事しなければならないことを意味するものであり、右規定の違反が成立するためには現実に職務の遂行が阻害されるなど実害の発生を必ずしも要件とするものではないと解すべきである。本件についてこれをみれば、被上告人の勤務時間中における本件プレート着用行為は、前記のように職場の同僚に対する訴えかけという性質をもち、それ自体、公社職員としての職務の遂行に直接関係のない行動を勤務時間中に行ったものであつて,身体活動の面だけからみれば作業の遂行に特段の支障が生じなかつたとしても、精神的活動の面からみれば注意力のすべてが職務の遂行に向けられなかつたものと解されるから、職務上の注意力のすべてを職務遂行のために用い職務にのみ従事すべき義務に違反し、職務に専念すべき局所内の規律秩序を乱すものであつたといわなければならない。同時にまた、勤務時間中に本件プレートを着用し同僚に訴えかけるという被上告人の行動は、他の職員の注意力を散漫にし、あるいは職場内に特殊な雰囲気をかもし出し、よって他の職員がその注意力を職務に集中することを妨げるおそれのあるものであるから、この面からも局所内の秩序維持に反するものであつたというべきである。すなわち、被上告人の本件プレート着用行為は、実質的にみても、局所内の秩序を乱すものであり、公社就業規則‥‥所定の懲戒事由に該当する」と判示した。
 
A 目黒電信電話局事件最高裁判決の全般的評価
 プロレイバー学者がこぞって特異な判例として非難したため、左翼人士や組織労働者に評判が悪い。しかし私は含蓄の深い意義を肯定的に評価する。
  それは企業秩序論(企業秩序定立維持権ともいう)のリーディングケースとして、政治活動に関する先例としては、下級審判例の具体的危険説を排除し抽象的危険説を採用した意義が大きい。プレート着用に関する先例として、職務専念義務の先例として、いわゆる施設管理権の先例としても重要で、休憩時間自由利用原則は施設管理権の制約原理とならないことを示し「休憩時間中であっても、局所内の施設の管理を妨げるおそれがあり、更に、他の職員の休憩時間の自由利用を妨げ、ひいてはその後の作業能率を低下させるおそれがあって‥‥企業秩序を乱すおそれがある」行為は「管理者の許可にかからせる」ものであることを明らかにし、施設管理権を物的管理権に限定するプロレイバー学説を明確に否認したといいうる。ここで注意すべきことは、休憩時間の従業員の行動を規制する根拠として「施設管理権」だけではなく「企業秩序を維持するための規律に従うべき義務」を加えていることである。従業員には企業秩序遵守義務があるということは、本件決と同日の富士重工業原水禁事情聴取事件最大小判昭52・12・13民集31-7--1037でも説示している。
  またこの判決は真面目に働く勤労者にとって有益である。他の職員の注意力を散漫にし、他の職員がその注意力を職務に集中することを妨げる勤務時間中の行為は企業秩序を乱すもので排除されるべきとされている。
  なお菊池高志の判例批評は「多数労働者が密接な関連・協力関係にたって業務が遂行される近代的経営の現実に立てば、他の労働者の義務遂行の障害とならないよう配慮すべき義務を負うと考えることにも合理性がある」との評価である。
  本件は政治活動の事案であるしても、私企業一般の企業秩序論の先例でもあるという位置づけにあることから、勤務時間中のそれが政治活動であれ、組合活動であれ、職務専念妨害のおそれのある行為は、リボンやワッペン等の服装戦術のみならず、地声での演説行為いわゆる頭上報告、業務と関係のないマイク放送、署名募金活動、職場離脱を促す行為等、就業規則制定を前提とするが禁止されてしかるべきことを示唆しているとみてよい。企業秩序論判例法理を根拠に勤労者が使用者に職務専念妨害抑止義務の履行を主張しうるというのが私の見解である。
  また就業規則違反は形式的違反では足らず、実質的な違反でなければ懲戒事由にならないという判断基準は、先例として多く引用されており、懲戒処分が無効された例もある。全般的にいえば実はバランスの取れた判例法理であると私は評価する。
B 基本的な性格としては企業秩序論判例といえる。同日の富士重工事件判決とセットで把握する必要がある。
 企業秩序論とは、最高裁第三小法廷が案出した画期的な判例法理であり、企業運営の諸権利を統合する上位概念として形成された判例法理である。今日まで判例は安定的に維持されている
  リーディングケースは富士重工原水禁事情聴取事件最大小判昭52・12・13民集31-7--1037、と同日の目黒電報電話局事件・最三小判昭52・12・13民集31-7-974である。
代表的な判例を挙げるなら、
●国労札幌地本ビラ貼り事件昭和54・10・30民集33-6-647企業が職場環境を適正良好に保持し規律のある業務の運営態勢を確保するため、一般的規則を定め又は具体的指示、命令を発し、その違反者に対し、企業秩序を乱す者として所定の措置をとりうる旨を明らかにした。
●関西電力社宅ビラ配布事件・最一小判昭58・9・8
判時1094-21労働者は、労働契約を締結して雇用されることによって、使用者に対して労務提供義務を負うとともに、企業秩序を遵守すべき義務を負い、使用者は、広く企業秩序を維持し、もって企業の円滑な運営を図るために、その雇用する労働者の企業秩序違反行為を理由として、当該労働者に対し、一種の制裁罰である懲戒を課することができるとした。
済生会中央病院事件・最一小判平元・12・11民集43-12-1786労働者は、労働契約の本旨に従って、その労務を提供するためにその労働時間を用い、その労務にのみ従事しなければならない。したがって、労働組合又はその組合員が労働時間中にした組合活動は、原則として正当なものということができないとする。
 企業秩序論の案出は要だった。特に施設管理権の問題、ビラ貼り、無許可集会その他の企業施設内の組合活動が戦後状況から解決されておらず、この混乱を収拾する必要があった。あたかも労働組合に労働基本権を根拠として、使用者の所有権・財産権その他の権限を制約して、企業施設無断利用権があるかのようなプロレイバー学説である受忍義務説は駆逐されなければならなかった。
戦後の混乱状況における使用者の経営権確立運動は、企業内組合活動を規制する根拠として、当初は労働規律から施設利用までカバーする「経営権」に求めていたが、包括的な経営権の観念を裁判所が必ずしも受け入れなかった。そのために根拠は「労務指揮権」+「施設管理権」であるとされるようになった。
 しかし、「労務指揮権」はその法的根拠を労務当事者の契約に求めざるをえず、「施設管理権」の主張も脆弱性を有していた。その根拠を所有権・占有権という物権的権利に求める限り、所有権の一部をなし、建物、敷地等の会社施設を維持、保全、改良する具体的機能として内容づけられることとなり、妨害排除の物権的請求権か、無権利者による無断利用、毀損行為をとらえて行う不法行為にともなう賠償請求という、民法上の主張にとどまり、ビラ貼りや無許可集会等に対して、中止命令を行い従わない者を懲戒処分に付す根拠としては弱いという難点があり、プロレイバーにつけこむ隙を与えていた。
また労務指揮権+物的維持管理権限に限定された施設管理権の主張は、直接労務指揮権限をもって規律しえない時間帯である、休憩時間、就業時間前、就業後の組合活動について空隙を残すことになった。(註-このパートの出所が菊池高志だったのか出所が不明になってしまった)
 この空隙を埋めたのが、目黒電報電話局事件・最三小判昭52・12・13以降進展した「企業秩序論」と称される判例法理なのである。
 そのような画期的意義を有する企業秩序、目黒電報電話局事件判決は同日の同じ裁判体による富士重工原水禁調査事件・最三小判昭52・12・13民集31-7-1037とセットにして企業秩序論のリーディングケースとして捉えるのが適切である。
 富士重工原水禁調査事件は、人事課長らによる企業内原水禁実行委員会とはどういうものか。メンバー、資金カンパ、署名の集計状況などの質問に対して、回答せず会社の調査に協力しなかった社員に対する譴責処分を適法とした原判決を破棄し、違法無効とした事案であるが、次のように企業秩序論を説示した。
  「そもそも、企業秩序は、企業の存立と事業の円滑な運営の維持のために必要不可欠なものであり、企業は、この企業秩序を維持確保するため、これに必要な諸事項を規則をもつて一般的に定め、あるいは具体的に労働者に指示、命令することができ、また、企業秩序に違反する行為があつた場合には、その違反行為の内容、態様、程度等を明らかにして、乱された企業秩序の回復に必要な業務上の指示、命令を発し、又は違反者に対し制裁として懲戒処分を行うため、事実関係の調査をすることができる‥‥‥労働者は、労働契約を締結して企業に雇用されることによって、企業に対し、労務提供義務を負うとともに、これに付随して、企業秩序遵守義務その他の義務を負うが、企業の一般的な支配に服するものということはできない」
 この説示を目黒電報電話局事件に当てはめると、企業は企業秩序を維持確保するため、局所内での政治活動、無許可の演説、集会、貼紙、掲示、ビラ配布等を禁止する規則を定めることができ、違反者に中止命令、懲戒処分ができる。ただし実質的に企業秩序を乱すおそれのない特別な事情がある場合は規則違反にはならないと判示したということである。
(続く)
(引用・参考)
 
池田 恒男「国労札幌ビラ貼り事件」最高裁判決の「画期的」意義--現代日本法の一断面」『社會科學研究』33(5) 1981
石橋洋「企業内政治活動・ビラ配布の自由と企業秩序 : 目黒電報電話局事件・明治乳業事件判決を素材として」『季刊労働法』142 ?1987 http://hdl.handle.net/2298/14089
菊池高志「労働契約・組合活動・企業秩序法政研究 『法政研究』49(4) 1983 http://hdl.handle.net/2324/1792
喜多實 ?公社職員の反戦プレート着用と懲戒処分-目黒電報電話局事件 季刊労働法108号116頁
楠元茂「<論文>いわゆる服装斗争の法的考察 : 人権規定の第三者効力との関連において」『商経論叢』27 1978  http://ci.nii.ac.jp/naid/110000048788
越山安久・最高裁判所判例解説民事篇昭和52年度 362頁
中嶋士元也「最高裁における『企業秩序論』」『季刊労働法』157号1992年
中嶋士元也 就業時間中の組合活動(1)大成観光事件,(2)JR東日本(神奈川・国労バッジ)事件――別冊ジュリスト165 号200頁
新村正人・最高裁判所判例解説民事篇昭和57年度 373頁
西谷敏「施設管理権の法的性格とその限界」『法学雑誌』大阪市立大学法学会26(3・4), 1980)
西谷敏 リボン闘争と懲戒処分 大成観光事件 ジュリスト臨時増刊792 号226 頁
松田保彦 いわゆるリボン闘争の正当性-ホテルオークラ事件 法学教室22号
花見忠 リボン闘争の正当性-ホテル・オークラ事件最高裁判決 ジュリスト711号
宮本安美 〔労働判例百選 第6版〕 リボン闘争 大成観光事件 別冊ジュリスト134 号 182 頁
山口浩一郎 電電公社職員の反戦プレート着用と懲戒戒告処分(新判例評釈524 )判例タイムズ357号105頁
吉田美喜夫〔労働判例百選 第8版〕就業時間中の組合活動:大成観光別冊ジュリスト197号184頁

2018/04/02

鉄道会社等への苦情下準備 服装戦術(リボン・腕章・プレート・組合バッジ等)判例

最近はじめたTwitter https://twitter.com/kawanishimasahiで最も反応があったのが私鉄総連春闘ワッペン不快だとのメッセージであった。わたしの把握している範囲では2月の後半頃から東京メトロ・東武・京成・京急・東急が、少し遅れて2月下旬から京王でワッペン着用を見ている。各社とも3月15日の大手私鉄回答日あたりまで、乗務員・駅係員が着用していたとみられる。

これは例年のことだが、慣例化は望ましくない。今年は官製春闘ということもあり、赤色(直径7~8センチ目測)の目立つものだったのでより不快だった。 花粉症よりも不快だ。

もっともワッペンには「春闘」とはあるが「公共交通利用促進」という会社ぐるみと一見思わせる偽装的標語があるだけで、賃上げ等の要求項目が記されてないというのが巧妙だが、「春闘」が賃上げ要求を主とする闘争を意味することは間違いないから、組合活動を実行していることを意識しながら、その職務に従事していたものというべきであり、職務に専念せず職務と関係ない組合活動を行うことは、旅客公衆から不信感をもたれても仕方ないのである。

むろん私企業の労使関係に株主でもない住民が関与すべき事柄ではないが、ワッペンに書かれているようにまさしく公共交通事業だから旅客公衆の側から苦情をしてもよいはずである。

乗務員や駅係員は、その職務が旅客公衆の身体、財産の安全にかかわるものとして、特に強く要請される職場規律の保持を確保するためにも、業務と無関係な、徽章・腕章・服飾を禁止すべきであるし、特に東京メトロは、国と東京都が株主となっている特殊会社であるから、議会でとりあげてもよい問題なのである。

  ワッペン等の服装戦術は一般に労働者の団結を示威し、使用者に対し心理的圧迫を加え、労働者の要求ないし主張を貫徹する争議行為的側面と、組合員相互間において連帯感を触発し、団結をより強固にし、使用者との交渉に当たって士気を鼓舞する組合活動的側面の双方を有するものと考えられるが、私鉄総連のそれは、旅客公衆の多くの人々に目に触れるので春闘への連帯呼びかけの宣伝効果は絶大だといえる。

むろん春闘に連帯する組織労働者の乗客はワッペンに賛同するかもしれないが、連合の組織率をみても組織労働者が乗客の大多数であるうるはずはなく、春闘に連帯したくない乗客にとっては、目障りで血圧の上がるものをみせつけられて、受忍を強いられている状況にある。この状況をなんとか打開したいと思う。

  (なお、私鉄総連に加盟していない西武はコーポレ―トメッセージのワッペン、小田急は新ダイヤを宣伝するプレートを着用していたが、これは業務用だからもちろん問題はない)

いずれにせよ、Twitterで公言しているので、会社や議員に苦情は必ず出します。

そのための服装戦術判例研究ですが、以下の通りかなりの蓄積があります。ざっと要点だけ見ましたが、私の立場が有利であり、反論にあっても耐えられる準備は可能。将棋の評価値でいうと初めから1000点有利で、あとはどう詰めろをかけていくかを考えていくだけのように思えます。

もちろんその他の重要問題は山積しているが、できることから1つ1つやっていく。

明らかに私の立場が有利とはこういうことです。企業秩序論判例は抽象的危険説をとっているので、具体的に業務が阻害されていないから許容されるという考え方はとらないのである。それを禁止する理由として、例えば、業務を遂行しながら組合活動を意識して行っているのであり、職務に専念しない勤務態度は、旅客公衆の安全にかかわる職務遂行のあり方として不適切とみられ、会社に対して不信感をもたれるおそれがあるとか、業務と無関係な徽章や腕章等の着用を禁止するのは、能率的業務遂行のために必要であるとかそういう抽象的な理由で禁止を正当化できるのである。したがってそれができないということはない。

なおプロレーバーがよく引用する、大成観光リボン闘争事件最三小判昭57・4・13の伊藤正己補足意見の調整的アプローチ、使用者の業務を具体的に阻害しない行動は職務専念義務に違背しないという組合寄りの見解は、あくまでも伊藤判事単独の少数意見にすぎず、中川チームの一審判決の論理構成を批判するものとして重宝されているにすぎず、先例となる多数意見ではないのだから、ワッペン闘争を擁護する決め手にはならないと考える。

服装戦術判例

〇服装戦術許容

●服装戦術を正当な組合活動と認めない

△服装戦術を正当な組合活動と認めないが処分を無効とする

 または服装戦術は違法だが違法性を軽微なものとする

〇全逓灘郵便局事件 神戸地判昭42・4・6

(勤務時間中に「さあ!団結で大巾賃上げをかちとろう」と記載したリボン及び「全逓、灘郵便局支部」と記載した腕章を着用することは、就業規則に違反せず、訓告処分を違法無効とし、慰謝料請求も許容する。控訴)

●青葉学園事件 東京地判昭44・6・5

(私立中・高等学校の教師による授業中のリボン着用、生徒あての文書配布等を理由としてした懲戒免職を有効とする)

〇ノースウエスト航空事件 東京地判昭44・11・11

(スト終了就労申入れの際組合員らが腕章を着用し、使用者の取りはずし要求に応じなかったとしても、特段の事情が認められないかぎり、右就労申入れが債務の本旨に従わない履行の提供とはならないと判示)

〇目黒電報電話局事件 東京地判昭45・4・13

(勤務時間中に「ベトナム侵略反対、米軍立川基地拡張阻止」と記載したプレートを着用したことは就業規則で禁止する政治活動には当たらず、取外し命令不服従を理由とする戒告処分を無効とする。控訴)。

〇目黒電報電話局事件 東京高判昭47・5・10

(控訴棄却、「ベトナム侵略反対・米軍立川基地拡張阻止」なるプレートを着用して執務することは禁止された政治活動にあたらないと判示、控訴人上告)

〇国労青函地本リボン闘争事件 函館地判昭47年・5・19

(制服の左胸に「大巾賃上げを斗いとろう、16万5千人合理化粉砕」と書いたリボンを着用することは、職務専念義務・服務規程に違反しないとし、訓告処分を無効とし、慰藉料請求も許容。控訴)

●ノースウエスト航空事件 東京高判昭47・12・21

(腕章着用が職務専念義務違反と判示)

△中部日本放送リボン闘争解雇事件 名古屋地判昭47・12・22

(就業時間中、社内及び取引先において、リボン、腕章、はちまき等を着用したことは、懲戒事由に該当するが、懲戒解雇は苛酷にすぎ解雇権の濫用とした。控訴)

●国労青函地本リボン闘争事件 札幌高判昭48・.5・29

(制服の左胸に「大巾賃上げを斗いとろう、16万5千人合理化粉砕」と書いたリボンを着用したことは、職務専念義務に違反し、鉄道営業法第22条及び国鉄の服装に関する定めに違反し違法であり、取り外し命令に従わない職員の訓告処分を適法と判示。上告)

●神田郵便局腕章事件 東京地判昭49・5・27

(勤務中に赤地に白く「全逓神田支部」と染め抜いた腕章を着用した行為は就業規則に違反し、職務専念義務に違反する。取外し命令を拒否したことを理由としてされた郵便課窓口係から同課通常係への担務変更命令が適法としたうえで、担務変更命令を無視して職務放棄をしたことによる減給処分を適法と判示)

● 大成観光リボン闘争事件 東京地判昭50・3・11

(中川幹郎チームの判決として著名。花形から垂らした幅約2.5センチメートル、長さ約6ないし11センチメートルの白の布地に「要求貫徹」等の文字を記載したリボンを上衣の左胸部に着用した行為は、争議行為としても、その他の組合活動としても正当な行為に当たらないとして救済命令を取り消し、組合幹部に対する減給・けん責処分を是認。被告控訴。)

△中部日本放送リボン闘争解雇事件 名古屋高判昭50・10・2

(就業時間中、社内及び取引先において、リボン、腕章、はちまき等を着用したことは、懲戒事由に該当するが、懲戒解雇は合理的裁量の限度を超えて、過酷な処分であり無効とした。上告)

●全逓灘郵便局事件 大阪高判昭51・1・30

(勤務時間中に「さあ!団結で大巾賃上げをかちとろう」と記載したリボン及び「全逓、灘郵便局支部」と記載した腕章を着用したことは就業規則に違反し、取外し命令に対する不服従を理由とする訓告処分を適法と判示。確定)

●神田郵便局腕章事件 東京高判昭51・2・25

(棄却。腕章取りはずし命令に従わないことを理由とした郵便課窓口係から通常係への担務変更命令に従わず職務を放棄した郵便局職員に対する減給処分が適法とする。確定)

●大成観光リボン闘争事件 東京高判昭52・8・9

(棄却。花形から垂らした幅約2.5センチメートル、長さ6ないし11センチメートルの白の布地に「要求貫徹」等の文字を記載したリボンを就業時間中に上衣の左胸部に着用した行為がいわゆる組合活動の面においても、争議行為の面においても違法とする。控訴人上告)

●目黒電報電話局事件 最三小判昭52・12・13

(破棄自判、日本電信電話公社の職員が勤務時間中に「ベトナム侵略反対、米軍立川基地拡張阻止」と記載したプレートを着用してこれを職場の同僚に訴えかけることは、日本電信電話公社法34条2項所定の職務専念義務に違反し、局所内の秩序風紀の維持を目的とする日本電信電話公社の就業規則の政治活動禁止規定に違反する。)。

●大成観光リボン闘争事件 最三小判昭57・4・13

(ホテル内において就業時間中に組合員たる従業員が各自「要求貫徹」等と記入したリボンを着用するというリボン闘争を実施した場合において‥‥判示のような事情があるときは、右リボン闘争は、就業時間中の組合活動であって、労働組合の正当な行為にあたらない。

●東急電鉄自動車部淡島営業所事件 東京地判昭60・8・26

(「狭山差別裁判粉砕」等と記載した縦10センチメートル、横14センチメートルの硬質プラスチック製のプレートを制服の左胸部に着用してした就労申入れを拒否した会社の措置につき、右就労申入れは、債務の本旨に従った労務の提供であると解することはできず、不就労時間中の賃金請求を棄却)

△国鉄鹿児島自動車営業所事件 鹿児島地判昭63・6・27

(勤務中はバッチを外すべきことを命じうるが、7・8月という暑さの中、10日間もの間長時間にわたり広さ1200平方メートルの営業所構内の降灰除去作業を1人で行わせたことにつき、右作業命令は、組合員バッチの離脱命令に従わなかったことに対して懲罰的に発せられたもので、業務命令権行使の濫用であって違法とし慰謝料も認める。控訴)

△国鉄鹿児島自動車営業所事件 福岡高裁宮崎支判平元・9・18

(棄却。上告)。

△延岡学園事件 宮崎地裁延岡支部平元・11・27

(本件リボン闘争は、勤務規定に違反し、組合活動としても違法であるといわざるを得ない。 しかしながら、本件リボンの形状及び記載文言は無用な煽情的・刺激的効果を与えないようにかなり配慮されたものであると認められること、その着用時間は一時間半程度の短時間に過ぎず、職場の秩序規律及び生徒の心情に対する影響の度合いはかなり低かったといえること等総合考慮すると、本件リボン闘争の違法性の程度はかなり低いものであったというべきである。)

○本荘保線区国労ベルト事件 秋田地判平2・12・14

(羽越本線出戸駅信号場構内で作業を行っていた国労組合員が、上着を脱いだ状態で、バックルに国労マークの入ったベルトを着用していたところ、ベルトを取り外すよう命じ就業規則の書き写し等を内容とする教育訓練を命じた事案であるが、本件ベルトの着用は、広い意味における組合活動としての一面があることは否定できないけれども、具体的な主義主張を表示するものではなく、単に国労組合員であることを表示するものに過ぎず、ベルトの着用は、就業規則三条の職務専念義務に違反するものではないとしたうえで、本件教育訓練はしごきであって、正当な業務命令の裁量の範囲を明らかに逸脱した違法があるとし、20万円の慰謝料を認めた)

○本荘保線区国労ベルト事件 仙台高判秋田支部平4・12・25

(棄却。本件ベルトは、社会通念上その形状、意匠等の点で格別一般人に嫌悪感、不快感を与えたり、奇異な感を抱かせるようなものではなく、‥‥被控訴人に対して本件ベルトの着用を禁止する合理的理由は見い出し難い。上告)

●国鉄鹿児島自動車営業所事件 最三小判平5・6・11

(破棄自判。組合バッチ離脱命令に従わなかった労働者を本来の業務から外し、7・8月という暑さの中、10日間もの間長時間にわたり広さ1200平方メートルの営業所構内の火山灰除去作業を1人で行わせた業務命令につき、右作業が職場環境整備等のために必要な作業であり、従来も職員が必要に応じてこれを行うことがあったなどの事情の下においては、違法なものとはいえないとし、業務命令権の濫用に当たるとした原判決を破棄)

〇JR西日本国労広島地本事件 広島地判平5・10・12

(「国労の組合バッジは、縦約一・一センチメートル、横約一・三センチメートルの大きさであり、その表面には、黒地にレールマークが描かれNRUとローマ字が表示されていることが認められる。すると、右組合バッジは、いずれも小さく目立たないものであり、また、具体的な主義主張が表示されているものでもないから、その着用行為は、原告らの労働を誠実に履行すべき義務と支障なく両立し、被告の業務を具体的に阻害することのない行為であって、原告らの職務専念義務に違背するものではなく、更に、就業規則二三条‥‥が禁止する勤務時間中の組合活動にも該当しない」から、組合バッジ着用等を理由として夏季一時金の減率査定(5%カット)を行ったことが考課査定権の濫用に当たる)

△延岡学園事件 福岡高裁宮崎支判平5・10・20

(「本件リボン闘争は、勤務規定に違反するものであり、かつ、組合活動としても違法であるといわざるを得ず‥‥懲戒事由に該当する‥‥しかしながら、本件リボンの形状及び記載文言は無用な煽情的・刺激的効果を与えないようにかなり配慮されたものであると認められること、その着用時間は一時間半程度の短時間に過ぎず、職場の秩序規律及び生徒の心情に対する影響の度合いはかなり低かったといえることを考慮すると、本件リボン闘争の違法性の程度はあまり高くない‥‥」)

〇東洋シート警告書事件 東京地判平昭7・6・8

●西福岡自動車学校腕章事件 福岡地判平7・9・20

(自動車学校の労働組合員らがした腕章着用闘争につき、同闘争は、労働者の団結を示威し、使用者に対し心理的圧迫を加え、労働者の要求ないし主張を貫徹する争議行為的側面と、組合員相互間において連帯感を触発し、団結をより強固にし、使用者との交渉に当たって士気を鼓舞する組合活動的側面の双方を有するものであるが、業務を阻害しなくともその本来的な目的を達することができるから、特別な事情のない限り、本質的には争議行為ではなく組合活動であると解するのが相当であるとした上、就業時間中に組合活動を行うことはその具体的態様にかかわらず職務専念義務に反するもので、正当な組合活動ではないとして、腕章着用闘争を理由とする戒告処分は不当労働行為に当たらないとした)

●JR東海国労東京地本新幹線支部国労バッジ事件 東京地判平7・12・14

(組合バッヂを着用していた労働者に対して厳重注意や夏期手当の減額支給等の措置をしたため、不当労働行為であるとして東京都地労委が救済命令を発したので、原告JR東海がその取り消しを求めた事案において、再三の注意・指導を無視して組合バッヂを着用していた組合員等に対し厳重注意をしたことには何らの問題とされるところはなく、夏期手当の減額支給等の措置は、原告の裁量権の範囲を超えた措置であったということはできず、不当労働行為意思によるものとは認められないとして、救済命令を取り消した。)

〇本荘保線区国労ベルト事件 最二小判平8・2・23

(棄却)

〇JR東日本神奈川国労バッチ事件 東京地判平9・8・7

(組合バッジ着用を理由とする厳重注意、訓告処分、夏季手当減額、業務外し等の不当労働行為とした神奈川県地方労働委員会の救済命令の取れ消し請求訴訟で、本件バッジ着用が、形式的には就業規則に抵触するが、リボン、ワッペンと異なり抗議意思や要求が表示されていたわけではなく、また特段の身体的・精神的活動を必要とするものでないため、労務提供義務の誠実な履行を妨げるおそれがなく、職務専念義務に違反しないこと、及び、本件処分や減額措置は組合員らが受ける不利益がきわめて大きいため国労に対する特別の意図があったとの疑いを払拭できず、原告が嫌悪する国労所属の本件組合員らに対する不利益な取扱いを通じて国労に打撃を与え、その勢力を減殺し、組織を弱体化させることを主たる動機として行ったものであり不当労働行為意思が認められるとして労委命令を相当とする)

〇神戸陸運事件 神戸地判平9・9・30

(本件腕章着用乗務行為は、労務を誠実に遂行する義務に違反するものでなく、正当な組合活動の範囲内の行為とし、腕章着用等を理由に乗務を拒否(労務受領拒否)したことを不当労働行為と認め、バックペイ等を命じた地労委の救済命令を適法とする)

●JR東海新幹線支部国労バッジ事件 東京高判平9・10・30

(棄却。勤務時間中に組合バッヂを着用する行為は、それが労働組合員であることを顕示して組合員相互間の組合意識を高め、使用者及び他の労働組合に所属する社員との対立を意識させ、注意力を職務に集中することを妨げるおそれがあるものであったと認められる等判示の事実関係の下においては、当該行為により職務の遂行が阻害される等の具体的な実害が発生しないとしても、企業秩序の維持に反するものであり、職務専念義務、勤務時間中の組合活動の禁止、服装の整正義務を定める就業規則の各規定に違反するとし、厳重注意や夏期手当の減額支給等の措置は不当労働行為に当たらないとした。上告)

●JR西日本国労広島地本事件 広島高判平10・4・30

(原判決を取消し,一部を除き請求を棄却。組合バッジを着用することは職務専念義務違反とならない例外に該当する場合とはいえないが,組合バッジの着用行為のみを減率の理由とした者以外の減率査定には合理性が認められ,裁量権の濫用とはいえないとした)

●延岡学園事件 宮崎地裁延岡地判平10・6・17

(本件リボン着用、生徒配布文書の配布、本件申入書の県当局への提出及び父兄等配布文書の配布行為を懲戒事由とする解雇は不当労働行為にあたらない)

●JR東海新幹線支部国労バッジ事件 最三小判平10・7・17

(棄却、国労バッジ着用に対する厳重注意および夏期手当の5%減額の措置を支配介入の不当労働行為に該当するという都労委の救済命令を取り消した原審判断を特に説示なしで認める)

△JR東日本神奈川国労バッチ事件 東京高判平11・2・24

(棄却、国労バッジ着用を理由とする863名に対し厳重注意、訓戒、55名に対し夏季手当55%減額の措置を不当労働行為とする。国労バッジの着用は、就業規則の服装整正規定違反、就業時間中の組合活動禁止規定違反、職務専念義務規定違反であり企業秩序を乱すものであるとし、取外し命令、懲戒、不利益処分を禁止するものではない。しかしながら「使用者の行為が従業員の就業規則違反を理由としてされたもので,一見合理的かつ正当といい得るような面があるとしても,それが労働組合に対する団結権の否認ないし労働組合に対する嫌悪の意図を決定的な動機として行われたものと認められるときには,その使用者の行為は,これを全体的にみて,当該労働組合に対する支配介入に当たるものというべきである」と述べ、「敵意と嫌悪感を露骨に示す言動を繰り返し」バッジ取外しの指示・指導等は「執拗かつ臓烈なもので,平和的な説得の域を大きく逸脱するものであり」「就業規則の書き写しの作業などは,嫌がらせ」であり、「厳しい対決姿勢で臨んでいた国労を嫌悪し,組合から組合員を脱退させて,国労を弱体化し,ひいては‥‥排除しようとの意図の下にこれを決定的な動機として行われたもの」として不当労働行為(支配介入)に該当するとした。)」

△JR東日本神奈川国労バッチ事件 最一小決平11・11・11

(不受理)

●JR西日本大阪国労バッチ事件 東京地判平24・10・31

(国労バッチ着用を理由とする平成12年、13年の訓告と同年の夏季手当減額を不当労働行為とした大阪府労働委員会の救済命令につき、会社側は不服として中労委に再審査申し立てしたところ、初審命令を取り消したので、原告側が中労委の処分を取り消しを求めた事案で、東京地裁は本件組合バッジの取外しの注意・指導は,労働組合に対する団結権の否認ないし嫌悪の意図を決定的動機として行われたものであると認めることはできず,の不当労働行為に当たるということはできないとして、原告の請求を棄却)

●JR東日本神奈川国労バッチ出勤停止処分事件 東京地判平24・11・7

(救済命令取り消し請求訴訟。中労委は国労バッジ着用を続けたことを理由とする二度にわたる出勤停止処分を不当労働行為にあたるとして救済命令を発令したが、一部取り消す。就業規則違反行為は約15年にもおよんで再三反復継続していたことからすれば業務に対する支障がない行為ではあるがそれに対する処分の加重性には合理的理由があり,さらに国労は昭和62年の会社発足以来組織的な組合活動としてバッジ着用行為を指示し,組織としても不当労働行為救済申立てを行うなどしてきたが,平成14年3月末以降は,組織として不当労働行為救済申立てを行うことはなくなり,平成18年11月には,バッジ事件を含む合計61件の不当労働行為救済申立事件を取り下げているのであって、平成15年7月以降は国労バッジ着用者が○○のみとなり,本件各処分の対象となった平成19年ころには,既にその組合活動としての色彩が後退し,個人的行為の側面が強く不当労働行為には当たらないとした。)

●JR東日本神奈川国労バッチ事件 東京高判25・3・27

(棄却。国労内少数派を嫌悪して本件警告文の掲出や国労バッジの着用に関しあえて過重な処分をしたとは認められない。)

△JR東日本神奈川国労バッチ減給処分等事件 東京地判平25・3・28

(救済命令取り消し訴訟、棄却。平成12年5月30日になされた四党合意について,国労は,平成13年1月27日,これを受諾し,さらに,平成14年3月末ころ,国労バッジ着用処分について,組織として救済申立てをしない方針に転換した。国労の上記方針の転換の時期と相前後する平成14年3月28日,原告は本件警告書の掲出を行い,国労バッジ着用行為に対し,従前行っていた1年度2回の訓告よりも処分を加重する旨を通告した。 6名はその後の調査期間(平成14年4月から同年6月まで)経過後も国労バッジ着用行為を続けたため,これを止めるまで減給以上の処分を受けた。

本件警告書掲出前にされていた処分と,掲出後にされた処分は,後者の方が格段に大きな経済的不利益をもたらすものと認められるが,この極端な厳罰化は,組合バッジ着用を継続する国労内少数派が組合活動を行うことを嫌悪していた会社が,組合執行部の方針転換を認識するに至り,これを機に,組合内少数派の組合活動を一掃しようとの意図に基づき行ったものであると推認することができることから,組合内少数派の勢力を減殺し,組合執行部の方針に加担したものと認められ,支配介入を構成し不当労働行為が成立するとした)。

△JR東日本国労神奈川国労バッチ減給処分等事件 東京高判平25.11.28

(棄却)

△JR東日本国労神奈川国労バッチ減給処分等事件  最一小決平27・1・22

(棄却、不受理)

△東京都立南大沢学園養護学校事件 東京地判平29・5・22

(都立学校教師が、卒業式において、校長の職務命令に違反し、国歌斉唱の際、起立しなかったこと、「強制反対 日の丸 君が代」又は「OBJECTION HINOMARU KIMIGAYO」等と印刷されたトレーナーの着用を続けたことによる停職6月の懲戒処分は、処分の選択が重きに失するものとして社会観念上著しく妥当を欠き、懲戒権者としての裁量権の範囲を逸脱し違法とした)

2018/03/19

貴公俊は軽微な処分で大目にみてやって

  とにかく相撲協会の処分厳しすぎる。伊之助のケースも1回こっきり胸をさわった云々程度で半年の停職は酷に思えた。有効期限切れの無免許運転にしても公務員なら免職にはならないと思う。くわしい経緯は知らないが廃業されたのは気の毒。昔はリンカーンコンチネンタルを乗り回すのが横綱のステータスだったのに車も運転できないなんて。
 そもそも相撲取りは相撲で結果的に相手にけがを負わせたとしても、刑法35条の正当な業務行為であるから違法性が阻却されるのだし、スボーツ庁や文部省のようなきれいごとはいいたくない。
 我が国でも昭和48年の久留米駅事件判決以前は、可罰的違法性論が有力だったので暴力にかなり許容的な社会だった。藤木英雄東大教授の刑法学説(可罰的違法性論)によって構成要件の縮小解釈を打ち出したことが、司法判断に影響を及ぼし、特に労働事件で犯罪構成要件の判断を縮小したり構成要件を曲解する傾向、外形的には構成要件に該当する行為があっても被害が軽微であるとか、許容されている限界を逸脱していないなどとして、刑事罰の対象としないおかしな判決が下されたものだ。
 世間一般も体育会系の上下関係を肯定し、野球部のけつバットのしごきは根性を注入するので良いというのが普通の認識だった。
 私は、可罰的違法性論にはもちろん批判的な見方だが、だからといってあらゆる暴力を根絶するというも極論であり、貴乃花親方は暴力だからいけないというきれいごとはいわず、有望で人気力士でもある弟子をかばうべきだった。
 今回は貴ノ岩事件とは違う、貴乃花親方をさしおいて、弟弟子でもないのに日馬富士が勝手に説教をたれ殴ったのは越権行為、今回は付け人の監督者は関取であり、体育会系の上下関係ではしばしばありうること。

2018/03/17

労働時間の把握義務付け反対

「厚労省、働き方法案修正へ 労働時間の把握義務づけ」 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180317-00000063-san-polこちらにも400字のコメント書きましたが、発売中の週刊アスキーに「働き方改革」を受難ととらえ、「思うように残業できず、仕事は山積」と愚痴に書かれていたが同じ心境である。

私は自由主義的な立場で政府が労働時間について労使関係が干渉すること自体、残業時間規制にも反対だが、いろんな事情で仕事を抱込んだり、業務量の発生が増大するのはやむをえないことで、その日のうちに始末しないとリカバリーが大変なのに残業禁止されるのはもうたくさん。ノー残業で、仕事に熱中できない、粉骨砕身働いた感もないので不満だらけ、そのうえ労働時間を客観的に把握されると、常に使用者や労組に気兼ねして仕事を中止し先送りさせることになるのでかえってストレスになる。

 いわゆる申告なしの残業で事実上、裁量労働制的に働いてきたまじめな人たちがたたかれるのはおかしい。

 会社への忠誠心や低賃金長時間労働でコスパの良さ、ハードワークだけがとりえで長期雇用されていた男性は居場所がなくなるだけでなく、ドラッカーのいう達成感のある仕事もできなくなる。

勤勉に働くことを奨励するのがコモンローのパブリックポリシーであり、営業の自由を基本とする近代市民社会の基本精神の崩壊を促す。

こんなことになるなら、サービス残業年間200時間あたりまえ。猛烈に働くことが美徳とされていた80年代のほうがよかったとさえ思う。

 勤勉に働くことを奨励するのがコモンローのパブリックポリシーであり、営業の自由を基本とする近代市民社会の基本精神の崩壊を促す。私は今回の「働き方改革」が事実上、労働時間規制に主眼をおいた反新自由主義、社会民主主義的性格のものであり、きわめて不快な政策である。

 私は、サッチャー・メジャー時代のイギリスのように児童労働以外の労働時間規制をなくし、最低賃金もなくす。オーストラリア自由党のように残業時間の働き方は労働者との個別交渉で自由にする安倍とは180度違う政策が望ましいと考えているので日本の社会主義的政治には絶望した。

 

 

 

2018/02/03

国会議員への意見具申 民法731条改正(女子婚姻適齢引上げ)、737条及び757条の廃止に強く反対し、修正案を提案する 要旨

国会議員への意見具申

 

 

 

民法731条改正(女子婚姻適齢引上げ)、737条及び757条の廃止に強く反対し、修正案を提案する 

 

  

 東京都水道局勤務58

 川西 正彦 (都立園芸高等学校園芸科卒)

 

 

 

 突然の不躾なメールをお許しください。軽輩にもかかわらず、厚かましくも長文で失礼しますが、虫けら同然の全く社会的地位も何もない一国民がたんに意見を具申(不特定多数の政治家に 非公式的に)するものです。先生方がご多忙なのは重々承知で、もし興味があればご覧いただきたい程度の趣旨ですので、他意はございません。ご笑覧いただければ幸甚に存じます。

 もちろん標記の件は政治家にとって何のメリットもないし、反対世論もない。こんなことにエネルギーをさくのは無駄と考えられるのが普通だとは思いますが、しかしながら婚姻の自由は核心的に重要な価値とする立場でこの問題にはこだわりがあるため事態を傍観できないため上記の件につき意見を上申します。(なお私自身は生涯未婚でその意欲もありませんが、自己の婚姻の自由、幸福追求権、配偶者選択の範囲が縮小する問題として利害を有しており当然発言権のある問題と考えます。)

 かなり前に既定方針化され今更修正などできないといわれるかもしれません。しかし土壇場の状況であってもそ政治にはハプニングがつきものなので全く無意味ではないと考えました。

 無論、情勢が不利であることはわかってます。私としては社会一般にもアピールしたいと考えますが、今のところ好意的な意見の一般人は少数で見込みがないです。とはいえ反対の声を出しておけば一応「婚姻の自由」という文明史的理念のために抵抗したというアリバイづくりになるので、人生に絶望せず自己同一性が崩壊しないですむため私の文書活動は自分自身が生き残るためのものでもあるので、文章上の失礼の段、ご海容願います。

 

 

私の修正案

 

 

 成人年齢18歳引下げに伴う関連法案として、政府は民法731条を改正するとし、女16歳から男女とも18歳として新成人年齢と一致させる。また未成年者の婚姻の父母の同意(737条)と、未成年者の婚姻による成人擬制(753条)を廃止する方針であるが、強く異を唱え反対する。

 私の修正案は、当事者の一方が18歳以上であれば、他方は18歳未満16歳以上で結婚できるように修正し、737条と753条も維持することを提案するものである。

 

 

731 条(婚姻適齢)修正案

 

 婚姻するには当事者の一方が満十六歳に達し、他方が満十八歳に達していることを要する

(男女取扱いの差異をなくしたうえ、1617歳女子の婚姻資格をはく奪する蛮行を避ける無難な法案である)

 

 

 737条(父母の同意要件-廃止せず維持)

 

 753条(成年擬制-廃止せず維持)

 

  

本音を言えば法改正それ自体反対である、しかし、男女別の取扱いの差異に固執するのは得策でないと考え、取扱いの差異をなくして平等を達成しつつ、古より婚姻に相応しい年齢とされてきた16歳・17歳女子の婚姻資格剥奪を避ける修正案を提案するものである。

 

 婚姻年齢の制限は、婚姻適応能力のない未熟な段階での婚姻がその者の福祉に反することが懸念されるということにあるといえるだろう。

 

したがって16歳・17歳女子の婚姻資格をはく奪するにあたっては、それが当事者の福祉に反する、あるいは当事者の最善の利益にならないもしくは、取り返しのない負担を課すという合理的な根拠がなければならない。

 

 しかし、これまで法制審議会その他が示した法改正趣旨に合理的なものがひとつもないのである。

 

 結婚し家庭を築き子供を育てる権利、婚姻の自由は、憲法一三条、二四条一項と密接な関連のある法的利益であり、安易に剥奪されるべきものではない。

 

 外国の立法例では、親・保護者の同意要件のもとでイングランドやアメリカ合衆国34州(2016年の段階、同意に加え補充要件規定では殆どの州)カナダの主要州が男女とも婚姻適齢を16歳と定めている。合衆国においても我が国の成年擬制と同様の未成年解放制度があるので婚姻適齢は男女共16歳でもよいと思うが、成年擬制との関連で反対論がより少ないと想定する、男女を問わず当事者の一方が新成人年齢の18歳なら、他方は16歳の結婚を認め、従前の1617歳女子の婚姻資格を喪失させない2016年までのドイツの法制を修正案のモデルとして採用した。

 

 以下修正案提案理由要旨 2つのバージョンを記載しております。 これより詳しい理由は添付ファイルのPDF(本文A416頁)、もしくは下記をご覧いただければ幸甚に存じます

 

 

(提案理由の詳細は特設ブログをご覧ください。川西正彦のこれが正論だ 民法731条改正、737条及び757条の廃止に反対し、修正案を提案する 、引用参考文献リストもあります。 動画も作っておりYOUTUBEチャンネルはmasahiko kawanishi、ニコニコ動画でもニックネーム「川西正彦」で公開してます)

 

 

 

 

 修正案提案の説明(要旨)

 

. 男女の取り扱いの差異を廃す立法目的は認めるが、16歳・17歳の婚姻資格を剥奪し婚姻の自由を抑制する立法趣旨は不当なもので論理性もない

 

 (1)男女の取り扱いの差異を廃し、形式的平等とする立法目的は認めるが、婚姻の自由を抑制しない在り方とすべきである。

 

 

 本音を言えば、現行法制のままでよいと考える。男女取扱いの差異については生理的成熟の男女差が基本にあり、事柄の性質に応じた合理的な根拠に基づくものとして憲法141項違反にはならない。1996年法制審議会答申の民法部会長の加藤一郎元東大総長の学説も合憲であった。なお女子差別撤廃条約(アメリカ合衆国が批准していないので、これが国際的スタンダードな考え方とはいえない)は人権条約の実施措置としてはもっとも緩い報告制度をとっている。締約国の義務は国連の女子差別撤廃委員会(CEDAW) に条約批准の一年後とその後は四年ごとに条約の実施のためにとった立法上、司法上、行政上のその他の措置の報告をするだけにすぎない。CEDAWの権限は弱く条約十八条で提案と一般的勧告をを行うことができるが条文の解釈は締約国に委ねられいるから(註1)、勧告に強制力はないので問題にせずともよいというのが私の主張である。

 

 我が国の婚姻適齢法制は次のとおりである。

●令制 養老令戸令聴婚嫁条 男15歳、女13歳(数え年 唐永徽令の継受、大宝令も同一、飛鳥浄御原令も一応同一というのが通説である。また戸婚律に罰則規定はない。十三鉄漿つけという語があるように江戸時代においても意味をもっていた)(註2

 

●明治初期~明治31年 成文法なし(ただし改定律例260条「十二年以下ノ幼女ヲ姦スモノハ和ト雖モ強ト同ク論スル」より13歳以上が婚姻適齢と解釈される 註3

 

●明治民法(明治31年施行) 男17歳、女15歳(母胎の健康保持の医学上の観点による)

 

● 戦後民法 男18歳、女16歳(米国で多くの州が採用していたため)

 

 

 婚姻適齢の文明史的グローバルスタンダードは、ローマ法、カノン法、コモン・ロー共通の男14歳・女12歳であり、唐永徽令、日本養老令の男15歳、女13歳も数え年なので実質的に同じと言ってもさしつかえない。これはほぼ自然法といってもよい。カノン法はもっとも緩く、合衾可能ならば早熟は年齢を補うという趣旨で婚姻適齢未満であっても適齢としたように、婚姻の自由が重視されている。

 いずれも2歳の男女差をもうけているから、男女取扱いの差異は合理的なものと判断する。

 ちなみに米国では、1970年代の統一婚姻離婚法のモデル立法(註4)が、男女共、親の同意要件による婚姻適齢を16歳としたことと、男女平等憲法修正条項(ERA)が1972年に議会を通過し、各州の批准の過程で、多くの州が男子の婚姻適齢を引下げて男女平等に法改正したが、結局憲法修正は頓挫したため、オハイオ州が男18歳、女16歳であるように差異のある州もあるのだから、男女平等になびく必然性はない。

 とはいえ、この土壇場の状況で男女取扱いの差異に固執するのは得策でないと判断し、形式的平等にする立法目的をあえて認めるものである。

 ただし従前の1617歳女子の婚姻資格を剥奪し、婚姻の自由を抑制することは、憲法13条、24 1項と密接にかかわる法益、幸福追求に不可欠な結婚し家庭を築き子供を育てる権利の侵害であるからこれに強く反対し、婚姻適応能力がないという決めつけも全く不当であるから政府案ではなく、次のような修正案が必要であると考える。

 

 A 英国(註5)やアメリカ合衆国の多くの州(註6)がそうであるように、男女共16歳を婚姻適齢とする

 B 東西統一から2016年までのドイツ(註7)のように、18歳を原則としつつも、一方の配偶者は1617歳であっても他方が18歳以上ならば婚姻可能とする

 

 私の修正案がBをとったのは、成年擬制を維持するので、より専門家の反発が少ないと想定する案を採用したものであるが、Aであってもさしつかえない。

 要するに、結婚する権利を剥奪、縮小せず、男女取扱いの差異をなくすことができるのだからより国民の権利に対してより弾圧的でない手段をとるべきである 

 日弁連女性委員会は均等法以前の70年代から男女平等のシンボルとしたいという意向で、女子婚姻適齢引き上げを主張してきており、それに法制審議会や法務省が追随したのが政府の改正案だが、女性政策は当時より格段に進歩した今日にあって、政治的スローガンの達成の意味は薄くなってきているにもかかわらず、国民の権利を剥奪する方向での男女平等には反対なのだ。平等を達成したい女性団体の言い分も聞いているのだから、反対する理由はないはずである。

 しかし、ジェンダー論者やマルクス主義フェミニズムの立場から次のような難色が示されるだろう。

 1617歳は男女を問わず条件つきで婚姻可能として婚姻適齢を形式的に平等としても事実上未成年者の方は女子が大多数となるはずで、1617歳女子の結婚は、男性側の稼得能力に依存するものとなりがちであり、女性の社会進出に有害であり、夫婦の役割分担の定型概念を助長し好ましくないというのだろう。

 しかしながら、民法750条は夫方の姓が大多数であっても、文面上平等な規定である以上法の下の平等に反しないとされたように、形式的平等以上に踏み込む理由はない。ジェンダー論やマルクス主義はわが国の公定イデオロギーではなく、民法を特定の思想による社会改革の道具とすべきではない。安倍首相が推進している政策も総じて社会主義政策であり、ジェンダー論者やマルキストに近い思想と考えられるが、だからといって国民が安倍首相の思想に染まる必要はないのである。

 家庭倫理 や夫婦の性的分業、役割分担は私的自治の領域であり、政府が左翼思想に基づきイデオロギー的に干渉するのは間違いであり、それは全体主義的統制だろう。

 男性側が主たる稼ぎ手となる伝統的な規範にもとづく性的分業の婚姻家族であれ、現代風の「あなそれ」夫婦であれ、法律婚として保護されるべきであり、この点政府は中立であるべきである。例えばチェコは1989年のビロード革命で、夫婦共働きが当然だったのが、専業主婦を選択する自由を得ることができたのであって、女優を捨てて家庭婦人を宣言した堀北真希、専業主婦の藤井聡太四段の母、敬語を使わない妻を叱るという亭主関白の太川陽介が、安倍首相は気に入らないかもしれないが夫婦役割分担の定型概念を助長し、女性活躍推進、ジェンダー論に反する不逞な輩として制裁される必要はないのであり、それと同じことである。

 

(註1)浅山郁「女子差別撤廃条約の報告制度と締約国からの報告 (女性そして男性) -- (外国における女性と法) 」『法学セミナー増刊 総合特集シリーズ 』日本評論社 (通号 30) [1985.07]

(註2)専論としては利光三津夫の「奈良時代の婚姻年令法について」『律の研究』1明治書院1961年、高島正人「令前令後における嫡長子相続制と婚姻年令」『対外関係と社会経済』塙書房1968

(註3)小木新造『東京庶民生活史研究』日本放送協会1979年 309頁 市川正一「男女婚嫁ノ年齢ヲ論ス」18816月『東京雑誌』第一号 

(註4 )村井衡平「【資料】統一婚姻・離婚法() : 一九七〇年八月六日公表第一次草案」神戸学院法学 5231974

(註5) 田中和夫「イギリスの婚姻法」比較法研究18号 25958 松下晴彦「グレトナ・グリーン「駆け落ち婚」の聖地」英米文化学会編『英文学と結婚-シェイクスピアからシリトーまで』彩流社所収2004 平松紘・森本敦「スコットランドの家族法」黒木三郎監修 『世界の家族法』 敬文堂所収1991

(註6)コーネル大学ロースクールのMarriage Laws of the Fifty States, District of Columbia and Puerto Rico https://www.law.cornell.edu/wex/table_marriage 2017年春の段階で大多数の州が(34) 男女とも16歳を法定婚姻年齢(ただし1617歳は親ないし保護者の同意を要する)とし、加えて16歳未満でも補充要件規定で裁判上の承認等により婚姻可能としている州が多い。(Pew Research CenterChild marriage is rare in the U.S., though this varies by stateNovember 1, 2016 http://www.pewresearch.org/fact-tank/2016/11/01/child-marriage-is-rare-in-the-u-s-though-this-varies-by-state/によれば、16歳と17歳は34州で親の許可を得て結婚することができる。と記載されている

(註7)岩志和一郎「ドイツの家族法」 黒木三郎監修 『世界の家族法』 敬文堂図書所収1991 ただし2017年になってhttp://www.afpbb.com/articles/-/3124128(ドイツ、18歳未満の婚姻禁止へ 難民流入で既婚少女増加)との報道がある。

 

 

 

2)「社会生活が複雑化・高度化した現時点でみれば、婚姻適齢は、男女の社会的・経済的成熟度 に重きを置いて定めるのが相当」という法改正趣旨に正当性はない

 

 これは1617歳女子の婚姻資格を剥奪する口実として全く不当な立法趣旨である。我が国の法律婚制度は、基本的に民間の慣習を尊重し自由主義的な性格のものである。届出主義により容易、挙式も要求していない。政府がライセンスを発行するものでなく、社会的地位や稼得能力を役所が審査するようなことは全くない。離婚も協議離婚により比較的容易。明治民法においても儒教道徳の立場から逆縁婚(亡兄の嫂を娶る)禁止の主張を排し、庶民の家族慣行を重視しており、結果的に戦争未亡人の多くが逆縁婚で再婚しており、無用の混乱を起こすことなく済んだように、自由主義的な性格を有していた。

 婚姻の自由とは当事者の合意を基本として、社会的・経済的条件・利害にかかわるハードルを設けないという理念であり、憲法241項の婚姻の自由の趣旨を重視するなら、婚姻適応能力の判定として適切でない漠然不明確な社会的・経済的成熟度なる概念を口実として結婚する権利を奪うのは全く不当であり、婚姻は、自由でなければならぬ」Matrimonia debent esse liberaMarriages ought to be free)という法諺(註8)にも反するのである。

 英国や、アメリカ合衆国の大多数の州、カナダ、オーストラリアなどで16歳で結婚可能であるが、英国人やアメリカ人は婚姻適応能力があると判定されている1617歳が我が国において婚姻適応能力がないものとみなすのは不合理であるし、例えばキリスト教における結婚の理由づけが、新約聖書コリント前書7279に根拠のある情欲の緩和(淫欲の治療薬としての結婚 註6)や、相互扶助の共同体(暖かい家庭)を築きたいという自然的欲求(16世紀のローマ公教公理 註7)だけで結婚の理由としてよいことになっており、近代個人主義的友愛結婚も、孤独から救済、慰めと平和を得るhappy conversationという個人的心理的充足を第一義とする結婚の理念(註8)であり、社会的経済的成熟度なるものを婚姻の要件とはしていないのである。

 むろん世俗的慣行として結婚の前提として所帯を構えるには経済力が必要と考える人は多くそれは普通のことだが、それぞれ境涯の異なる万人に適用される法は当事者の合意が第一義なのでであって、経済的・社会的条件は婚姻成立要件から捨象して結婚を妨げないものであるべきなのである。

 婚姻適齢は社会的・経済的成熟度に重きをおく政策というなら中国のように男22歳、女20歳に婚姻年齢を引上げる口実にもなりうるし、共産党独裁政権と大差ない政策と非難したい。

 しかも結婚は相互扶助の共同体であるから、当事者の一方が稼得能力に乏しくても可能なのである。この点当事者の双方に相当な稼得能力を求める理由はなく、幸福追求権を否定するにあたっては高すぎるハードルである。女性に男性に劣らぬ稼得能力を有する成熟度を結婚の条件として要求するというのは、先に述べたジェンダー論やマルクス主義フェミニズムであるが、男女の役割分担、性的分業は私的自治にかかわる領域で、この点国民が政府によってコントロールされ干渉される理由はないから、当事者の双方ともに社会的・経済的成熟なるものを求めるのは不当なのである。 

 もちろん結婚の目的は多義的であってよく、筧千佐子被告が何度再婚を繰り返そうと、木嶋佳苗死刑囚が獄中結婚しようと自由であり、成人であっても疾病や障害等で稼得能力の乏しい人は存在するが結婚する権利は奪われないし、第三者からみてそれが釣り合いのとれない結婚とみられるものであれ、結婚は自由なのであって、政府が干渉する余地はないのだ。一方で、切実な思いで結婚し相互扶助共同体である家庭を築きたい若い女性のカップルの幸福追求はなにがなんでも妨げ、結婚よりも教育だ経済的自立だという特定の価値観を押し付けようとする日弁連女性委員会や児童婚をなくす運動をしている日本ユニセフ協会のメンツをたてなければならないというのは大変意地悪な法改正だといわなければならない。

 1617歳女子は古より婚姻に相応しく婚姻適応能力のある年齢と認識されており、むろん義務教育修了後の就労は労働法で規制されてないから、稼得能力がないということはない。社会が複雑化・高度化することによって婚姻適応能力を喪失するという根拠はなにもない。国民の権利、自由、幸福追求権を奪い取るにあたっては、それが当事者にとって最善の利益にならないとか、取返しのつかない負担を課すことになることが立証されるべきであるが説得力のある説明は何ひとつないのである。

 1998年タレントの三船美佳16歳が40歳の歌手高橋ジョージと結婚し、鴛鴦夫婦として有名になったしマスコミ報道も好意的であった。2015 離婚したが、仮に18歳で結婚したとしても同じことだろう。三船美佳はタレントとしても成功しており、この結婚が当事者の最善の利益ではなかったと証明することは不可能であるし、そう言い募るのは高橋氏に失礼だろう。

 結局、なにがなんでも1617歳女子の婚姻資格を剥奪したいというのは、若い女性に求婚する男性に対する敵意と、早婚女性への軽蔑にもとづくものであるか、法務当局の日弁連女性委員会や日本ユニセフ協会への阿諛追従にもとづくものであり、正当な立法趣旨とはいえないのであります。 

 私が、18歳引上げを長年主張してきた、日弁連女性委員会を全く信用していないのは、この委員会の主張が偏っていること。例えばトルコ風呂における売春の摘発を強化すべきだという主張である。私はトルコ風呂で遊んだ経験がないので実態を知らないが、仮にそれがあるとしても本来フェミニストというのは社会的弱者として売春婦の生活圏を守るための運動からはじまったことからすれば、トルコ嬢(現在ではソープ嬢という)の生活権を否定したり、男性の性欲や風俗営業を敵視するような主張は偏っており、幅広い社会階層を含む国民の権利よりも自分たちの独善的な価値観や生理的嫌悪感が前面に出ていると思ったからです。

 婚姻適齢引上げについても、結婚より教育や経済的自立が重要という特定の思想ないし特定社会階層の独善的価値観にもとづくものであり、若くして事実上の関係ができてしまう女性に対する軽蔑を看取できるのであり、法制審議会や法務省は同じ身内、仲間の意見として尊重しているのかもしれないが、国会議員はより独立した立場であるから日弁連女性委員会のいいなりになることのないよう伏してお願いするものであります。

 1990年代に1617歳女子の結婚は年間3千組あった。20151350組程度に減少しているが、本来弁護士は少数者の権利を擁護すべき立場なのに、民法731条改正の目的が、男女平等のシンボルとしたいという政策的目的にあり、そのために年間3000組程度のカップルの幸福追求権は犠牲になって当然という冷淡さに私は嫌悪感をもつがゆえに、日弁連女性委員会に従うことはできないのであります。

 女性政策はこの2030年間に飛躍的に推進されており、いまさら民法731条を男女平等のシンボルにしなくても、女性団体の多くの主張が取り入れられている。このうえ民法731条もエリート女性団体のいいなりにというのはやりすぎである。女性活躍推進政策により高学歴エリート女子は、割り当て制などで昇進するのも、社会的威信のあるポストにつくのも俄然有利である。東大さつき会人脈といえば不倫も許される事実上の新特権階級だろう。エリート女性はなんでも優遇され得をしているのだからもうこれ以上の女性団体への迎合政策はうんざりなのだ。

 

 (註8)守屋善輝『英米法諺』中央大学出版部1973

 

 

2.良心的な女性法律家は改正案に反対している

 

 

 今回の民法731条改正は平成8年(1996)の法制審議会民法部会答申民法一部改正案要綱を下敷きにしており、16・17歳女子の婚姻資格を剥奪し、男女とも18歳に婚姻適齢を揃えるというものであります。

 これは70年代から日弁連女性委員会等女性団体が主張してきたもので、それに法制審議会が従ったものであります。男女共18歳婚姻適齢はソ連や東独で始まったものであり、社会主義国モデルを導入しようというものともいえます。均等法以降の女性政策が推進される前から主張されてきたことであり、これを男女平等のシン ボルにしようという意図が強かった。

 しかし法制審議会でも反対意見を述べる方がいて、故人ですが女性初の高裁長官である野田愛子氏(註9 東京高裁判事として男女定年差別は違憲と判決、札幌高裁長官、中央更生保護審査会委員を歴任) は家裁での実務経験が豊富な立場から、虞犯女子が結婚すると落ち着くといった多くの例を知ってますと述べられ、90年代当時は16・17歳で結婚する女子が年間3000人(2015年には1357人)ほどいて事実上の関係ができ妊娠する女子の手当が必要なことから、現行法制のままでよいとされてます。

 また民法学者では滝沢聿代氏(註10 元成城大学・法政大学教授) が、法制審議会が高校進学率の高まりを指摘し、婚姻年齢に高校教育終了程度の社会的、経済的成熟を要求することが適当であるとする法改正趣旨を論難され、中卒では婚姻適応能力がないとでもいうのかと非難されております。現実には、義務教育で終えるものも少なからず存在し、彼女たちこそ婚姻適齢法制の改正はより切実な問題といえます。また婚姻の自由の抑制も批判されております。

 このように女性法律家でも良心的な方がいて反対しておられるのです。

 今日では単位制高校など生徒の実態の多様性に応じて履修可能な高校もあり、家庭生活と両立も可能であり、婚姻適齢16歳が教育機会を奪うという主張に論理性はありません。実際16歳で結婚した三船美佳は横浜インターナショナルスクールを卒業してます。結婚のために義務教育以上の教育を要求するというのは全く論理性がありません。中卒の井山裕太囲碁七冠が離婚したのは婚姻能力がなかったとでもいうのか、これほど非論理的な立法趣旨は珍しい。

 また政府が考えるほど進学がよいことだとは思いません。高卒で必ずしも安定した就職が可能ではないし、進学のために適応障害になったり、自殺願望をもって被害者となった女子高生もいるわけですから、当事者にとっての最善の利益が学業とはいえない場合もあります。女子は男子と比較して高卒と大卒の賃金格差が大きく、高学歴を促す賃金経済学的要因となっているのは事実ですが、だからといってすべての女子が賃金の高い大卒を目指さなければならない理由などなく、若い女性の結婚を否定する理由にはならないのです。

 

(註9)野田愛子 「法制審議会民法部会身分法小委員会における婚姻・離婚法改正」の審議について」(上)」戸籍時報419 181993

(註10)滝沢聿代「民法改正要綱思案の問題点(上)」法律時報6612199411月号72

 

 

 

3.18歳婚姻適齢が世界的趨勢というのは虚偽

 

 

 又、1996年当時法制審議会は18歳婚姻適齢が世界的趨勢と言っておりましたが、これは全く虚偽です。

 英国が男女とも婚姻適齢16歳ですし、アメリカ合衆国は州ごとに婚姻法は異なりますが、私法統一運動があって、1970年代の統一婚姻・離婚法のモデル案(註11)では、16歳を親・保護者の同意要件のもとに婚姻適齢とし、16歳未満であっても補充用件規定の裁判上の承認によって婚姻を認めるものであります。

 これは Loving v. Virginia, 388 U.S. 1 (1967) https://supreme.justia.com/cases/federal/us/388/1/case.html という連邦最高裁判決の影響があります。ウォーレン長官による法廷意見は「結婚の自由は、自由な人間が秩序だって幸福を追求するのに不可欠で重要な個人の権利の一つとして、永らく認められてきた。結婚は『人間の基礎的な市民的権利』の一つである。まさに我々の存立と存続にとって基本的なものである」とし(註12)、 このために、米国では男18歳、女16歳とする州が多かったのですが、多くの州は統一婚姻法モデルに従って男子を16歳に引き下げる法改正を行いました。またカナダの主要州も16歳は婚姻適齢です。現行カトリック成文法典では男 16歳女14歳なので、14歳での結婚を認めている国も結構あります。

 虚偽を法改正の根拠としている。これほど悪質なものはありません。

 法制審議会だからといってなんでも信用しないようにしてください。合衆国各州の婚姻適齢法制一覧で、信頼できるものとしてコーネル大学ロースクールの https://www.law.cornell.edu/wex/table_marriage Marriage Laws of the Fifty States, District of Columbia and Puerto Ricoがあるのでみてください。

 

(註11)村井衡平「【資料】統一婚姻・離婚法() : 一九七〇年八月六日公表第一次草案」神戸学院法学 5231974

(註12)米沢広一 「家族と憲法(二)」法学雑誌(大阪市立大)361, 11989

 

 

4.近年攻勢を仕掛けている児童婚撲滅団体の主張は断固拒否すべき

 

 

 もっとも、その後2008年にフランスが女15歳だったのを男女とも18歳とする法改正を行い(註13)、2017年にドイツが、従前では原則として18歳としつつも、配偶者の一方が16歳以上で婚姻可能としていた法制を18歳を原則とする法改正がなされるとの報道があります(註14 

 これは近年児童婚撲滅運動が世界的に活発なロビー活動で攻勢を仕掛けていることと関連があります。フランスやドイツ の法改正趣旨はイスラム圏の移民・難民が多く、強制的な結婚、当事者にとって不本意な結婚から子どもの人権を守る趣旨だとされています。

 法務省などは、我が国もフランスやドイツに追随すべきとして国会議員を説得すると思いますが、イスラム系移民や難民の少ない我が国とは事情の異なることに留意してください。

 米国においても、2017年に児童婚反対運動のロビー活動によりクォモ知事が籠絡されニューヨーク州は最低婚姻年令を14歳から17歳に引上げてます。

 しかし、私は児童婚撲滅運動は過剰なパターナリズムであり、婚姻の自由という文明史的理念を否定し、個人の幸福追求権を否定し結婚させないというのも異常で全体主義平等をめざすものとして反対です。

 ちなみに教会法は結婚に関して中世より現代まで一貫して未成年でも親の同意要件を否定していて、結婚に関する自己決定権を重視し、当事者の合意を本質とする価値は一貫してます。スコットランドは16歳なら親の同意なく結婚できます。婚姻は、自由でなければならぬ」Matrimonia debent esse liberaMarriages ought to be free)という法諺があるように文明史的理念は婚姻の自由であって、結婚を悪とみなすカタリ派は異端で有り、アルビジョア十字軍によって徹底的に叩かました。。それと同じように、結婚を妨げることが人権だという思想は異端に属するものであり、児童婚撲滅運動は文明の敵とみなす。

 ニューハンプシャー州は男14、女13とほぼコモンローに近い婚姻適齢ですが、婚姻適齢引上げ法案は議会が否決しました。ニュージャージー州は婚姻適齢引上げ法案にクリスティー知事が拒否権を行使しました。こちらのほうが良識的対応であります。

 私としてはニューヨーク州の法改正はかなりショックでした。なんといってもニューヨークは大州ですから。しかし依然としてアメリカ合衆国の大多数の州は1 6歳が婚姻適齢であり、16歳未満でも多くの州で婚姻可能なことにかわりないことにご留意ください。

 ユニセフは児童ポルノ撲滅運動でも影響力があったように今回の改正の背後にいるものと考えられますが、憲法13条及び24条1項と密接にかかわる婚姻する自由の法益と児童ポルノとは同一の問題ではないので、この点国会議員の先生は籠絡されないようお願いします。

 我々は日弁連女性委員会やユニセフ、ヒューマンライツウオッチのようなこうるさい人権団体に従属しなければならない国民ではありません。この人たちのために国民の結婚の権利を縮小しなければならない理由はなにひとつないというのが私の主張です。

 我国には外国でみられる売買婚や強制結婚という問題はありません。未成年者の結婚の多くは、情緒的に依存し最大の共感的理解者が結婚相手なのであり、お互いに励まし、喜びと苦労をともにすることによって、結婚し相互扶助共同体を形成することが最善の利益と判断してのものだと思います。家庭を築くことにより喜びは倍に、苦労は軽減され、慰めと平安が得られるのです。それによって人生の困難が乗り越えられ救われることも多いのに、結婚を妨害しようとする、政府・法制審議会は糾弾に値する。むしろ、待婚、我慢を強いることが苛酷であり、虐待であります。

 

 是非とも国会議員に方々には結婚の価値を擁護していただきたい。未成年だからといって憲法13条、241項と密接なかかわりのある法的利益が一刀両断に切り捨てられるのは不当であります。女性団体や日弁連それに追従した法制審議会がすべて正しいのではないのです。また子供の人権擁護を標ぼうし、児童婚を撲滅せよと主張する人権団体が正しいわけでもないし、ユニセフが正しいわけでもない。私はこの問題があるからビタ一文ユニセフに募金はしません。

 経過的内縁関係まで否定していないというかもしれませんが、私通はよいが結婚はダメというのは性倫理、道徳に反するし、法改正ののちは婚姻不適齢とされるのだから、たんなる私通ではすまされず世間から白眼視されることになる。高橋ジョージ氏のように、16歳の女子と事実婚する人は、それこそ袋叩きになるでしょう。法律婚で保護されない不利益は大きいし、長男、長女となるべき子供も非嫡出子にされてしまうのは人情にもとるのではないでしょうか。

 政治家にとっては日弁連女性委員会様や日本ユニセフ協会様の主張に阿諛追従していくのが処世術としては正しいと思われます。1617歳女子婚姻資格を剥奪せよとの大合唱はあっても、婚姻の自由の抑制に反対という人は少ない。国民全体の利益や国民の権利の擁護より圧力団体に奉仕して票を獲得するのが国会議員の仕事であることはもちろんわかってます。だから議員のほとんど大多数は法制審議会や法務省が支持していることだから反対する理由はないと仰るものと思われます。

 しかし、そのために結婚し家庭を築き子供を育てる権利という、国民の幸福追求に欠くことのできない核心的権利が犠牲になってよいものだとは思いません。もし良心的な国会議員がおられるのなら是非とも憲法13条、24条1項と密接にかかわる法益の侵害に反対していただくことを伏してお願いします。

 

 

13)国会図書館調査及び立法考査局 佐藤 令 大月晶代 落美都里 澤村典子『基本情報シリーズ② 主要国の法定婚姻適齢』2008-b【ネット公開】

(註14http://www.afpbb.com/articles/-/3124128(ドイツ、18歳未満の婚姻禁止へ 難民流入で既婚少女増加)

 

 

 

5.成人年齢引き下げに便乗した国民の権利の縮小

 

 周知のとおり平成8年改正案要綱が棚ざらしになったのは、世論でも反対の多い選択的夫婦別姓(民法750条改正)とパッケージになっていたからであります。夫婦別姓は日本会議関連議員が多い限り進捗しないだろうし、私も強く反対ですが、今回の731条改正は、それと切り離し、 成人年齢18歳引下げに伴う関連法案としたものであります。

 いわば、成年引下げに便乗して婚姻の自由を抑制するものだから、余計にたちが悪い。平成8年の民法一部改正案要綱と異なるのは、当時は20歳成年が前提だったため、問題とされなかった未成年者の婚姻の父母の同意(737条)と、未成年者の婚姻による成人擬制(753条)を廃止するということですが、アメリカ合衆国では45州が18歳を成人年齢としているが、各州には我が国の民法753条(成年擬制)と似た未成年解放制度があります。婚姻、妊娠、親となること、親と別居し自活していること、軍隊への従事等を理由として原則として成年として扱うこととなってます(註15)。(原則としてというのは刑法上の成年とはみなさないこと、 選挙権、アルコール、タバコ、小火器の所持、その他健康・安全に関する規則では成年とみなされないという意味 

 民法学者には成年擬制制度に反対の立場から婚姻適齢引上げに賛成する人が結構多いようですが、米国では未成年解放制度は通例なのでありまして、事柄の性質がことなる成人年齢と無理やり一致させる必要はなく、753条は廃止せず維持を主張します。

 なお私はカノン法やコモン・ローマリッジが親の同意要件を否定している婚姻の自己決定権ないしその文明史的意義を高く評価していますが、西洋における婚姻法の還俗化の要因は、自由すぎる古典カノン法を非難し親の身上統制権を確立することにあったのであり、世俗国家の婚姻立法は、スコットランドの例外はありますが、未成年者の親の同意要件が通例のものとして重視しますので、737条は廃止せず維持するのが修正案であります。

 

15 永水裕子「米国における医療への同意年齢に関する考察」山口直也編著『子供の法定年齢の比較法研究』成文堂所収 2017

 

 

修正案を提案する理由の要旨(バージョン2

 

 

A 18歳未満の結婚を否定する法制は社会主義国モデルであり、児童婚撲滅運動の政治目標だが、それは正しくない

 

 18歳未満の婚姻を全面的に否定するのはソ連・東独の社会主義国モデルであり、婚姻の自由や個人の幸福追求権よりも、教育的・社会的平等の達成とマルクス主義の婚姻家族の止揚をめざすイデオロギーによる立法政策である。

18歳への適齢引上げ(婚姻の権利の剥奪)は日弁連女性委員会が70年代より主張してきたことだが、これは相互扶助共同体としての結婚願望が切実なカップル、幸福追求権に対するきわめて冷淡な考え方であり、虞犯少女などの扱いで家裁での実務経験が豊富で我が国初の女性高裁長官となった野田愛子氏(故人-現行法維持が妥当との見解を示した法制審議会委員)が指摘したような問題点があるにもかかわらず、法制審議会や法務省は女性団体等の圧力団体のいいなりになったのである。

 民法は、あらゆる国民の諸階層に対応できるものでなければならず、エリート女性団体主導のもと特定のイデオロギー的立場から、伝統的に認められてきた国民の権利を剥奪するにあたっては慎重にならなければならない。

近年では、ヒューマンライツウォッチやユニセフなどの児童婚撲滅団体が、世界的に早婚の弊害を主張し活発なロビー活動により法改正攻勢を仕掛けている。

 2017年にはニューヨーク州のクォモ知事が篭絡されて、最低婚姻年齢を14歳から17歳に引上げているが、他方ニューハンプシャー州議会は婚姻適齢引上げ法案を否決し、ニュージャージー州はクリスティ知事の拒否権行使がなされ、安易に「人権団体」の主張に同調しない良識的対応もみられるのであって、児童婚撲滅のための婚姻適齢引上げがトレンドになっているわけではない。

 

 

B 1617歳女子に婚姻適応能力がないとか、当事者にとって婚姻が最善の利益にならず有害であるということはありえない

 

 我が国では外国でみられる「児童」の売買婚、強制結婚は社会問題となっておらず、未成年者の結婚も成熟した男女の結婚なのであり、その多くが最大の共感的理解者が結婚相手なのであり、お互い励ましあい喜びも苦労も伴にして幸福追求のため相互扶助共同体としての家庭を築くことが双方にとって最善の利益と判断しての結婚であると推定できる。早婚の弊害の非難はあたらない。

 1617歳未満女子に婚姻適応能力がないという判断は間違っている。第三者が当事者にとって最善の利益ではないと勝手に判断することも間違いであり、離婚もできる以上、仮に結婚が破綻したとしても、それが当事者にとって取り返しのつかない負担を課すものではないから、法律婚資格をさしたる理由もなく剥奪するのは全く不当であるし、男性にとっても女性が最も美 しく肉体の輝きを謳歌する当該年齢の女子との結婚を禁止されることは、大きな不利益であり(私は神の像(似姿)としてつくられた男性に対する侮辱だと思う)。女子婚姻適齢の引上げは、男性の若い女性への求婚行動を委縮させ、結果的に生涯未婚率をより上昇させる要因になるだろう。

 なお私の修正案は、未成年者については世俗法の通例である親の同意要件を継続する穏健無難なものであって、私はスコットランド(16歳ならば親の同意なく婚姻可能)や現行教会法(婚姻適齢男16歳、女14歳で親の同意は不要)を尊重するけれども、修正案としては親の身上統制権も重視しておりそのような立場をとっていないことも付け加えておく。

 

C 英米などでは16歳が婚姻適齢であり、18歳が世界的趨勢にはなっていない

 

 米国では1970年代の統一州法委員会の推奨モデルが、婚姻の自由を基本理念として、男女とも親の同意要件により婚姻適齢としており、16歳未満でも補充要件規程で結婚可能とするものであり、多くの州がこのモデルを採用している。米国で我が国の成年擬制と同様の制度が健在である。英国やカナダの主要州でも16歳は婚姻適齢であり、法制審議会などの成人年齢と婚姻年齢を合致させるのが世界的趨勢という宣伝は全くの虚偽である。

 

D 婚姻の自由(=合意主義婚姻理論)がローマ法・カノン法・コモンローの基本理念であり西洋文明2000年の伝統的理念であり、これはわが国も憲法241項により継受しており忽せにできない

 

 婚姻は、自由でなければならぬ」Matrimonia debent esse liberaMarriages ought to be free)という法諺がある。

これはユスティニアヌス帝の学説類集(533年)が迎妻式や嫁資の設定を婚姻成立の要件から排除し、婚姻が当事者の合意によって成立するという古来の原則を確立したことに由来するが、婚姻の自由は、12世紀に成立する古典カノン法(=コモンローマリッジ)の緩和的合意主義諾成婚姻理論(民事婚)により、より徹底した理念となった。

 つまりカノン法は、主君、血族による意思決定の排除(親や領主の同意は不要)、儀式も不要、当事者の相互的誓約のみで(形式的要件では二人の証人・俗人でよい)婚姻が成立する(カノン法は婚姻適齢についてもローマ法の男14歳、女12歳をさらに緩め、早熟は年齢を補うとして合衾可能であれば適齢未満でも婚姻は成立するものと している)から、人類史上、当事者個人の自己決定を重視し婚姻成立が容易な個人主義的自由主義的な婚姻法はほかにない(もちろん婚姻非解消主義という点では厳格であるが)。このためカノン法は秘密婚の温床となったので、世俗社会から非難され、軋轢を生じた。

 しかし、数世紀にわたって教会は婚姻の自由のために世俗権力と抗争したのである。教会は秘密婚の非難をかわすため、16世紀のトレント公会議で婚姻予告と挙式を義務化して妥協したものの、親の同意要件は明確に否定したため、これがフランス王権による婚姻法の還俗化の端緒となったという歴史なのである。

 とはいえ近現代において婚姻法が還俗化しても、カノン法の単婚婚姻理念は底流にあるものだから、その影響力は甚大である。近代個人主義的友愛結婚もカノン法の自由主義的理念を淵源とみることができる。

特に英米では古典カノン法が「古き婚姻約束の法」(コモンローマリッジ)として近代まで生ける法だったため、婚姻の自由が法文化・習俗として色濃く継承され、我が国でも憲法241項によって継受している理念なのであって、そのように婚姻の自由は西洋文明の法文化の根幹にあるのだから忽せにできない価値なのである。

 また結婚し家庭を築く権利は近代の幸福追求権の核心的価値といえる。

 従って西洋文明二千年の歴史を背景とする婚姻の自由を否定し、結婚し家庭を築き子供を育てることを幸福追求に不可欠な権利として認めないのは、マルクス主義、アナーキズム、その他の反文明思想である。

 ユニセフなどが 「子供の人権」と称して児童婚をなくそうとする運動も余計なお節介だし、反文明的な思想と断言する。政治がこぞって反文明イデオロギーに走るのは異常なことだといわなければならない。

 

E 最高裁は「婚姻の自由」を憲法上の権利と認めており、憲法違反の疑いもある

 

 再婚禁止期間訴訟大法廷判決・最大判平271216民集6982427では、加本牧子調査官解説[法曹時報695号]が「『婚姻をするについての自由』の価値は憲法上も重要なものとして捉えられるべきであり、少なくとも憲法上保護されるべき人格的利益として位置付けられるべきもの」と記しているように、最高裁が初めて「婚姻の自由」を憲法上の権利であることを明らかにしており、1617歳女子の婚姻資格剥奪は、再婚禁止期間と同様、婚姻について直接的な制約を課す、婚姻の自由を抑制する法改正なのであるから憲法違反の疑いがある。

 法務省、国会は上記判決を受けて多数意見のみならず、共同補足意見の適用除外の法令解釈も汲んで、女性の再婚の自由を重視する法改正を行っているのに、一方で、政府が1617歳女子の婚姻資格剥奪は、未成年だから憲法上の権利は享受できないとし、日弁連女性委員会様その他の婚姻資格を剥奪したい圧力団体に逆らえないから権利の剥奪当然だとするのはダブルスタンダードとして糾弾に値するものといわなければならない。

 1617歳女子の結婚は1990年台は年間3000人ほどいたが、2015年には年間1357人まで減少しているのは事実であるが 、たとえ年間1300人程度であれ、少数者だからといって憲法13条や241項と密接なかかわりのある法益を奪い取ってさしつかえないというのは傲慢な考えで、再婚禁止期間の法改正で救われた離婚後直ちに結婚したい女性も全体の件数からすれば少数にすぎないのである。たとえ少数であっても、婚姻の自由を重視する趣旨での法改正なのであり、一方で、1617歳婚姻資格を叩き潰すというのは、異様に若い女性に冷淡な対応だといわなければならないし、若い女性に求婚し結婚する男性への敵意の表明である。

 政府や国会議員が親代わりになって未成年者だからなんでも自由を奪いとってよいとする考え方は、過剰なパターナリズムであり、過剰な私的領域・私的自治への介入、幸福追求権の軽視である。事実上の関係ができてしまう若い女性に対する軽蔑にもとづくものであり断じて容認できない。

 

2018/01/20

決定版・ 国会議員への意見具申 民法731条改正(女子婚姻適齢引上げ)、737条及び757条の廃止に強く反対し、修正案を提案する

 

国会議員への意見具申

 

民法731条改正(女子婚姻適齢引上げ)、737条及び757条の廃止に強く反対し、修正案を提案する 

 

  

                         東京都水道局勤務58

                             川西 正彦

                         (都立園芸高校園芸科卒)

 

 突然の不躾非礼なメールをお許しください。軽輩にもかかわらず、厚かましくも長文で失礼しますが、虫けら同然の全く社会的地位も何もない一国民がたんに意見を具申(不特定多数の政治家に 非公式的に)するものです。先生方がご多忙なのは重々承知で、もし興味があればご覧いただきたい程度の趣旨ですので、他意はございません。失礼の段ご海容願いご笑覧いただければ幸甚に存じます。

 もちろん標記の件は政治家にとって何のメリットもないし、反対世論もない。こんなことにエネルギーをさくことは馬鹿げたことでしょうが、しかしながら「婚姻の自由」は核心的に重要な価値であり、事態を傍観できないため上記の件につき意見を上申します。(なお私自身は生涯未婚ですが、自己の婚姻の権利、幸福追求権、配偶者選択の範囲が縮小する問題として利害を有しており当然発言権があると考えます。)

 かなり前に既定方針化され今更修正などできないといわれるかもしれません。しかし土壇場の状況であっても、政治には常にハプニングがつきもので無意味ではないと考えました。

 一般人でも今のところ私の意見に好意的な反応はきわめて少数で見込みがないです。とはいえ反対の声を出しておけば自分としては一応「婚姻の自由」という文明史的理念のために抵抗したというアリバイづくりで、人生に絶望せず自己同一性が崩壊しないですむから、この文書活動は自分自身が生き残るためのものでもあります。

 

私の修正案

 

731 (法定婚姻適齢)修正案

  婚姻するには当事者の一方が満十六歳に達し、他方が満十八歳に達していることを要する

(男女取扱いの差異をなくしたうえ、1617歳女子の婚姻資格を剥奪する蛮行を避ける無難な法案である)

 737条(父母の同意要件-廃止せず維持)

 753条(成年擬制-廃止せず維持)

 

 成人年齢18歳引下げに伴う関連法案として、政府は民法731条を改正するとし、女16歳から男女とも18歳として新成人年齢と一致させる。また未成年者の婚姻の父母の同意(737条)と、未成年者の婚姻による成人擬制(753条)を廃止する方針であるが、強く異を唱え反対する。

 私の修正案は、当事者の一方が18歳以上であれば、他方は18歳未満16歳以上で結婚できるように修正し、737条と753条も維持することを提案するものである。

 本音を言えば法改正それ自体反対である、しかし、男女別の取扱いの差異に固執するのは得策でないと考え、取扱いの差異をなくして平等を達成しつつ、古より婚姻に相応しい年齢とされ、疑う余地なく婚姻の意思を取り交わす、肉体的精神的能力を有し、婚姻適応能力のある16歳・17歳女子の婚姻資格剥奪を避ける修正案を提案することとした。

 結婚し家庭を築き子供を育てる権利、婚姻の自由は、憲法13条、241項と密接な関連のある法的利益であり、安易に剥奪されるべきものではない。

 外国の立法例では、親・保護者の同意要件のもとでイングランドやアメリカ合衆国34州(2016年の段階、同意に加え補充要件規定では殆どの州)カナダの主要州が男女とも婚姻適齢を16歳と定めている(スコットランドは同意要件なし)。合衆国においても我が国の成年擬制と同様の未成年解放制度があるので婚姻適齢は男女共16歳でもよいと思うが、成年擬制との関連で反対論がより少ないと想定する、男女を問わず当事者の一方が新成人年齢の18歳なら、他方は16歳の結婚を認め、従前の1617歳女子の婚姻資格を喪失させない2016年までのドイツの法制を修正案のモデルとして採用した。

 

以下修正案提案理由の要旨を述べます。下記ウェブサイトでも一般向けに別バージョンの意見書も公開しておりご覧いただければ幸甚に存じます(特設ブログ「川西正彦のこれが正論だ 民法731条改正、737条及び757条の廃止に反対し、修正案を提案する」。 動画も作っておりYOUTUBEチャンネルはmasahiko kawanishi、ニコニコ動画でもニックネーム「川西正彦」で公開しています)

 

 

 


 1617歳女子婚姻資格剥奪に強く反対し修正案を提案する理由(要旨)

 

 

-目次-

 

1 男女取扱いの差異をなくす立法目的は消極的に是認する3

 

2 圧力団体の政治的目標が優先され、国民の憲法13条・24条に密接にかかわる人格的利益が等閑にされている在り方は是正されるべき

1)圧力団体の政治目標が、法で保護されるべき自由より優先されている

2)夫婦の相互扶助共同体形成の意義の軽視

3)女性初の高裁長官野田愛子氏は反対していた

4)女性の再婚の自由は尊重されるのに1617歳女子婚姻の権利剥奪はダブルスタンダードで理不尽

 

3 1617歳女子の婚姻資格を剥奪せずとも法的平等を達成することは可能だから、憲法上保護されるべき人格的利益により弾圧的でない手段を選択すべきである

 

4 成人擬制制度は米国で通例であり維持されるべき

 

5 婚姻の自由(憲法241項と密接にかかわる法益)の不当な抑圧である

 

6 婚姻の自由とは実はローマ法・カノン法に由来する西洋文明二千年の根幹的規範であり、我が国も明治15年妻妾制を廃止し西洋の単婚理念を継受、戦後憲法241項によって合意主義婚姻理論を継受したので忽せにできない

 

7 婚姻の自由の神学的論拠は、世俗的にも妥当であり文明規範として最大限尊重されるべき

〇婚姻の自由の神学的な論拠

1)コリント前書72節,79節(淫行を避けるための手段としての結婚)8

2)秘跡神学

3)ローマ公教要理

 

8 幸福追求権(憲法13条の法益)の重大な侵害である 

〇婚姻の権利=幸福追求に不可欠とする理論

1)ミルトンの提唱した近代個人主義的友愛結婚(孤独からの救済・慰めと平穏と生きる力を得るための結婚happy conversationこそ結婚の目的)

2)連邦最高裁判例Meyer v. Nebraska, 262 U.S. 390 (1923)

3)連邦最高裁判例Griswold v. Connecticut, 381 U.S. 479 (1965)

4)連邦最高裁判例Loving v. Virginia, 388 U.S. 1 (1967

(我が国の婚姻適齢法制)

 

9 近年世界的に攻勢をかけている児童婚廃絶キャンベーン団体の主張は断固拒否すべき

 

 

付録 そもそも成人年齢引下げも反対だ

 

 

 

 

1 男女の取扱いの差異をなくす立法目的は消極的に是認する

 

 私は民法731条の婚姻適齢男18歳、女16歳という取扱いの差異については、生理的成熟の男女差が基本にあり、事柄の性質に応じた合理的な根拠に基づくものとして憲法141項違反にはならないと考えるし、1996年法制審議会民法部会長の加藤一郎氏の学説も合憲である。

また女子差別撤廃条約(アメリカ合衆国未批准のため国際的標準とはいえない)は人権条約の実施措置としては最も緩い報告制度をとっており、締約国の義務は女子差別撤廃委員会(CEDAW) に条約批准の一年後とその後は四年ごとに条約の実施のためにとった立法上、司法上、行政上のその他の措置の報告をするだけにすぎない。

CEDAWの権限は弱く、条約十八条で提案と一般的勧告を行うことができるが、条文の解釈は締約国に委ねられているから【註1】、提案や一般的勧告に強制力はなく問題にせずともよいというのが私の主張である。

したがって形式的平等の達成にも反対であり、現行法制のままでよいというのが私の本音である。

しかしながら価値観を共有する国会議員はかなり少ないと思うので、現行法制維持に固執するのは得策でないと判断しこの立法目的を認めることとする。

つまり形式的平等達成のため男女の取扱いで差異を設けないことについて消極的ながら賛同するものである。

ただし私が特に敵対視するユニセフの児童婚廃絶運動のようにジェンダー平等というイデオロギー的政策のもとに、18歳未満の結婚を有害と決めつけ、子供の人権の侵害だとする主張は、過剰なパターナリズムであり、憲法13条、241項、婚姻の自由と幸福追求に不可欠な結婚し家庭を築き子供を育てる権利の明確な否定なので強く反対する。

我国はユニセフやヒューマンライツウォッチ等の団体のいいなりになる必要は全くない。

 

 

 

2 圧力団体の政治的目標が優先され、国民の憲法13条・24条に密接にかかわる人格的利益が等閑にされている在り方は是正されるべき

 

 

1)圧力団体の政治目標が、法で保護されるべき自由より優先されている

 

 もともと女子婚姻適齢16歳より18歳に引上げて平等を達成する案は、均等法以前の1970年代から日弁連女性委員会やその他女性団体が主張してきたもので、法制審議会や法務省が無批判に従ったものである。

 この法改正を女性団体は男女平等のシンボルにしようとする政治的意図が強かった。

一方で、伝統的に婚姻に相応しい年齢とされてきた1617歳女子の婚姻資格を剥奪し、婚姻の自由の抑圧を躊躇しない姿勢は、女性団体の身勝手な政治目標が優先され、国民の憲法13条・241項に密接にかかわる法益(幸福追求権・婚姻の自由)を蔑ろにするものとして強い非難に値する。

最高裁は民法733条の憲法適合性を争点とした再婚禁止期間判決・最大判平271216民集6982427で初めて「婚姻の自由」を憲法上の権利として認めていることから、この観点での再考がなされるべきである。

婚姻年齢の制限の立法趣旨は、婚姻適応能力のない社会的・精神的に未熟な段階での婚姻がその者の福祉に反することが懸念されるということにあるといえるだろう。

したがって16歳・17歳女子の婚姻資格当事者をはく奪するにあたっては、それが当事者の福祉は反する、あるいは当事者の最善の利益にならないという合理的な根拠がなければならない。

しかし、これまで法制審議会その他が示した法改正趣旨に合理的なものがひとつもないのである。

 

 

2)夫婦の相互扶助共同体形成の意義の軽視

 

さらにいえば、「相互扶助の場としての夫婦の共同体への自然的欲求」【註2】という人格的利益を軽視していることが大問題である。

結婚相手となる人こそ最大の共感的理解者であれば、互いに励まし合い、感謝し合い、喜びと苦労を分かち合うことにより、喜びは倍増し生活の苦労は軽減され、人生に困難があっても乗り越えられる。孤独から救済し、慰めと平穏をもたらし生きる力を得る【註3その心理的充足により情緒的にも安定する。それは結婚以外に得難いものなのだ。結婚は幸福追求に不可欠な価値である。

法律婚の重要性はいうまでもない「法律婚は、安心、安全な安息地、人間として普遍的に有する結びつきを切望する気持ちを満たす」Goodridge事件440Mass.322,798N.E.2d,955頁【註4】。

 我が国では諸外国にみられる未成年者の強制結婚や詐欺的結婚は社会問題になっておらず、未成年者の結婚といってもそれは、当事者の合意が先行し、親権者が追認するケースと考えられ、結婚相手こそ最大の共感的理解者であることが多いと推定できるのである。

 早婚は離婚率が高い、DVを受ける可能性が高い、性病に罹患する可能性が高い、高校を中退する可能性が高い等の否定的言辞があるが、仮に統計的事実が認められるとしても、たんにそれだけの理由で、憲法上保護される人格的利益の享受が否定されなければならない理由にはならない。

当事者にとっての最善の利益にならない、あるいは当事者にとってとりかえしのつかない負担となり有害だと決めつけることは全くできないのであるから、婚姻の権利を剥奪する根拠にはならない。

 実際、筧千佐子被告が何度再婚しようと、木嶋香苗死刑囚が獄中結婚しようと自由であるのに、政府がユニセフなどの主張にへつらって、未成年者が配偶者となる結婚の自由を奪われるのは全く理不尽だ。

 タレントの三船美佳は199816歳の誕生日に24歳年上の歌手高橋ジョージと結婚した。「パートナー・オブ・ザ・イヤー2011」として鴛鴦夫婦として有名、年齢差のある結婚だが世間一般は好意的だった。三船美佳はタレントとしても成功している。2016年に離婚したとはいえ、世俗法では離婚を必ずしも否定的に評価する必要はないし、仮に18歳で結婚すれば離婚していなかったもいえない。16歳で結婚したことが、当事者にとって最善の利益ではなかったという評価はできないし、それが取り返しのつかない負担だったという評価は不可能である。

 ユニセフが宣伝しているように、未成年との結婚は子供の人権の侵害というのなら、高橋ジョージ氏は世間から非難されただろうが、そのようなことはなかった。

また、男女いかんにかかわらず性欲も人間性の重要な一部分との認識により、社会的に承認された性欲充足の手段としての結婚(キリスト教では原罪により人間の経験に入った淫欲の治療薬としての結婚【註5】が結婚の理由の第一義とする)の意義も2000年の文明の規範である以上重視されてしかるべきであると考える。

さらに本来、長男、長女となるべき子供もみすみす非嫡出子にしてしまう制度は法律婚制度の在り方として疑問をもつ。

にもかかわらず、1617歳女子という伝統的に結婚に相応しい年齢とされてきた女子とその配偶者となるべき男性に我慢を強い、待婚を強い法律婚をさせないというひどい嫌がらせをしようとするのが今度の法改正である。

――むろん、法改正されても周知期間と数年の経過措置がとられるから、現在結婚を考えている1617歳女子の結婚は妨げられるわけではない。従って1617歳での婚姻資格が剥奪され婚姻の自由が縮小する女子は現在の概ね小学生以下ということになるので声なき国民といってよい。しかし声なき国民だからその権利について不当に侵害されてよいわけではない――

我が民法においても、家庭は、相互に扶助協力義務を有する夫婦(民法752条)を中心として、未成年の子の監護養育(民法820条、8771項)や、他の直系血族の第一次的扶養(民法8771項)等が期待される親族共同生活の場として、法律上保護されるのであり、民法752条の軽視は非難に値する。

 にもかかわらず、相互扶助の共同体形成の意義が軽視されているのは、政府がジェンダー論者やマルクス主義フェミニスト等にへつらい、マルクス主義の勝利に導こうという隠された政策的意図があるとみてよいだろう。

民法752条(相互に扶助協力義務を有する夫婦)等を廃止すべしと主張する法律家としては、 例えば1993年の榊原富士子(日弁連家事法制委員会委員)・吉岡睦子・福島瑞穂『結婚が変わる・家族が変わる-家族法・戸籍法大改正のすすめ』日本評論社では次のように主張している。(72頁以下)。

 夫婦の同居・協力・扶助義務の規定もいらない(民法752条廃止)

 夫婦の日常の家事費用の連帯責任の廃止を(民法761条)

 近代家族は互いの人格の尊重を基礎とした性的分業なのであるが、上述の見解は性的分業を前提とする婚姻家族【註6】を崩壊させ、マルキストの意図する個別家政の廃止、家族死滅論に接近するものとして強く反対である。

 私は性的分業による相互扶助共同体としての婚姻家族の在り方から、男女双方の経済的自立を前提とした対等なパートナーシップに社会変革していくことには反対である。伝統的な婚姻家族を支持する。

いずれにせよ民法752条廃止の主張は先送りとされている以上、民法752条を前提とした伝統的な価値観にもとづく婚姻、性的分業による婚姻家族は依然として法律婚として保護されるべきものであるから、国会は「相互扶助の場としての夫婦の共同体への自然的欲求」という人格的利益も重視して法案を審議すべきなのである。なるほどジェンダー論者の主張は政府の政策に取り入れられる傾向はあるが、国会が民法の改正にあたってジェンダー平等論に与しなければならない理由はない。

未成年の結婚は有害とか子供の人権侵害と決めつけ当然に否定されなければならないという主張は幸福追求権を蔑ろにするのみならず人情にもとるので私は厳しく非難したい。

政府案によって婚姻資格が剥奪される1617歳女子に婚姻適応能力がないという判断は根拠がない。結婚することが当事者にとって最善の利益にならない、取り返しのない負担を課す有害なものという根拠は何もないにもかかわらず、伝統的に認められていた権利を否定するのは悪しきパターナリズムであり、ジェンダー平等という隠された立法目的によって、国民の婚姻関係を統制しようとする全体主義的政策として否定的に評価されるべきである。

要するに法によって保護されるべきは国民の婚姻の自由であって、圧力団体の政治目標や、ユニセフのキャンペーンの称揚が国民の利益より優先される民法改正には反対なのである。

国民の権利(男性側からすれば当該年齢の女性に求婚し、結婚し家庭を築く権利)が剥奪、縮小される必要は全くないのであります。

つまり男性にとっても、女性が最も美しく肉体の輝きを謳歌する1617歳に求婚し結婚する権利を剥奪されるのであるから、婚姻の自由の縮小、幸福追求権の否定であり、これは神の似姿として造られた男性に対する最大級の侮辱であると考えます。

 

 

3)女性初の高裁長官野田愛子氏は反対していた

 

 しかも女性の専門家でも良心的な方がいて婚姻適齢引上げに反対しておられたのである。

故人であるが女性初の高裁長官で、男女定年制差別を違憲と判決した野田愛子氏は、家裁での実務経験が豊富な立場から現行法制のままがよいとの意見を述べられていた。【註7】要所を引用します。

「‥‥現行法どおりでいいのではないか。つまり、婚姻適齢は男女の生理的な成熟度にあった規定であるからそれでいいという考え方と、いや、男女とも高校教育が一般化した今日、教育的、社会的平等に合わせて、年齢を男女とも一八歳にするべきという考え方があります。一八歳にしますと、女子の場合は一八歳未満で事実上の関係ができて、妊娠するという問題がある。ここに何か手当てが要るというと、むしろ一六歳に揃えたらどうか、という考え方もあります。しかし一六歳に揃えますと、婚姻による成年(民法七五三条)の問題があります。一六歳で成年となっては法律行為等においても問題ではなかろうか。それぞれにメリット、デメリットがございます。

そこで仮に一八歳に揃えた場合には、一六歳で結婚しようというときに婚姻年齢を下げて婚姻を許すような法律的な手立てが、どうしても必要になります。各国の法制を見ますと婚姻適齢を男女同年齢(一八歳以上)にした法制の下では、必ず要件補充の規程を設けて、裁判所が許可を与えるとか、行政機関が許可を与えるとか、そういうような条文を設けている国もございます。

そうなりますと、婚姻の問題に国家の機関が介入するということも問題ではなかろうかという議論もでてまいります。家庭裁判所の立場からは、婚姻を認めるとか認めないとか、いったい何を基準に判断するのかというようなことも一つの疑問として提議されましょう。統計的に、一六、一七歳で婚姻する者は、約三〇〇〇件あるそうです。私の家庭裁判所判事当時の経験に照らすと、一六、一七歳の虞犯の女子が、よい相手に巡り合って、結婚させると落着く、という例も多く経験しています。あながち、男女平等論では片付かない問題のように思われます」〔野田愛子「法制審議会民法部会身分法小委員会における婚姻・離婚法改正の審議について()『戸籍時報』41918頁〕

いかに婚姻適齢を引上げても1617歳女子は成熟に達した大人っぽい年齢ゆえ男女の事実上の親密な関係はできるし、妊娠もする。虞犯女子がよい相手と結婚して落ち着いた多くの事例を知っているとして、1617歳女子婚姻資格剥奪に反対している。

また民法学者では滝沢聿代氏(元成城大学・法政大学教授) が、法制審議会民法部会が高校進学率の高まりを指摘し、婚姻年齢に高校教育修了程度の社会的、経済的成熟を要求することが適当であるとする法改正趣旨を論難され、義務教育修了だけでは婚姻適応能力がないという主張に論理性がないことを指摘したうえ(中卒者に対するあからさまな軽蔑を看取できる)、現実には、義務教育で終えるものも少なからず存在し、彼女たちこそ婚姻適齢法制の改正が切実な問題といえると批判され、婚姻の自由の抑制も批判されている【註8】。

私は安倍政権の教育無償化政策にも反対であるが、そうなったとしても教育に熱心なのは特定の社会階層、生産機能を消失した家族に特有な現象なのであって、一億すべてが教育熱心になる必要などないし、教育投資が回収されるだけの成果を得られる保証などない。実社会から隔離し滞留させる施設としての学校教育それ自体信用していない。教育無償化が国民の幸福追求権縮小の口実にされるかもしれないが、きわめて不愉快である。

 もっとも1617歳女子の結婚は、1990年代に年間3000組あったが、2015年には1357組にまで減少している。しかし少数者であるために、憲法上の権利の享受が否定されてよいものではないのである。

 

 

4)女性の再婚の自由は尊重されるのに、1617歳女子の婚姻の権利剥奪はダブルスタンダードであり理不尽

 

 ところで再婚禁止期間訴訟大法廷判決・最大判平271216民集6982427は、民法7331項について、父性の推定の重複を防止するという立法目的を正当としつつ、立法目的と合理的関連性のない100日超の再婚禁止期間を違憲と判示したが、国会は平成28年に多数意見のみならず、共同補足意見の適用除外に関する提言も採入れた法改正を行った。

この法改正の受益者も結婚全体の件数からすれば少数にすぎないが、少数だからといって婚姻の自由が蔑ろにはされていない。

 このように離婚後ただちに再婚したい女性の「婚姻の自由」は憲法上保護されるものとして立法政策がなされる一方、未成年者の婚姻は婚姻適応能力があり切実な思いがあっても「婚姻の自由」が否定されなければならないというのは全く理不尽であり、権利剥奪を強行する政府案は人情にもとるということを重ねて述べておく。

 

 

 

3 1617歳女子の婚姻資格を剥奪せずとも法的平等を達成することは可能なのだから、より憲法上の権利に弾圧的でない手段を選択すべきである

 

 

 現行法制の男18歳・女16歳という婚姻適齢は、1940年代の米国の各州で多かったため採用されたものであるが、70年代以降、多くの州が男子の婚姻適齢を引下げて16歳を婚姻適齢の基準とする法改正を行った。

米国では、私法の統一運動があり統一州法委員会の1970年代の統一婚姻・離婚法のモデル案【註9】では、16歳を親・保護者の同意要件のもとに婚姻適齢とし、16歳未満であっても補充用件規定の裁判上の承認によって婚姻を認めるものとしたため、このモデル案に大筋で従った法改正がなされたことと、男女平等憲法修正条項(ERA)が1972年に議会を通過し、各州の批准の過程で法改正がなされたことによる。(規定に達せず憲法修正は頓挫しているので、オハイオ州のように男女差のある州も残っている)

コーネル大学ロースクールのMarriage Laws of the Fifty States, District of Columbia and Puerto Rico https://www.law.cornell.edu/wex/table_marriage  に合衆国各州婚姻適齢一覧表があるが、殆どの州 が男女とも16歳で婚姻可能な年齢(ただしは親ないし保護者の同意だけのところが約3分の2)であり、加えて16歳未満でも補充要件規定で裁判上の承認等により婚姻可能としている州が多い。

(なお直近のNY州の改正は反映されていない)

PewResearchCenterの http://www.pewresearch.org/fact-tank/2016/11/01/child-marriage-is-rare-in-the-u-s-though-this-varies-by-state/によれば、16歳と17歳は34州で親の許可を得て結婚することができると記載されている。

このように米国では、異人種間の婚姻を禁止する州法を違憲としたLoving v. Virginia, 388 U.S. 1 (1967)連邦最高裁判決【註10】が「結婚の自由は、自由な人間が秩序だって幸福を追求するのに不可欠で重要な個人の権利の一つとして、永らく認められてきた。結婚は『人間の基礎的な市民的権利』」と宣言したこともあり 、婚姻の自由を重視する立場をとるのが婚姻法制の基本なのであり、我が国もそれに倣うべきである。

英国も男女とも16歳が婚姻適齢(スコットランド以外未成年者は親の同意要件に要する)【註11】、カナダの主要州も同様である。また米国の各州では我が国の成年擬制と同じ、結婚に伴う未成年解放制度があるのから外国の立法例からみても事柄の性質が異なる婚姻年齢と成人年齢を一致させる必然性はない。

ただし、私の修正案が男女共16歳とせず、一方が成人なら他方は16歳以上で婚姻適齢(東西ドイツ統合から2016年までのドイツの法制とほぼ同じ。西独が男18歳・女16歳、東独は男女とも18歳が婚姻適齢だったのでその中間をとり、男女差をなくしたもの【註12】とした理由は、成人擬制(753条)を廃止したいという杓子定規な民法学者がけっこういるため、一方が18歳で他方が16歳という婚姻適齢なら、男女の差異を廃しただけで現行法制と概ね同じことであり、これまで未成年者の結婚による成年擬制が社会問題となったことがないから、より賛同が得やすいと考えたためにすぎず、国会議員が英米のように男女共16歳が良いというならそれでもさしつかえない。

 

 

4 成人擬制制度は米国で通例であり維持されるべきである

 

周知のとおり平成8年民法一部改正案要綱が棚上げ状態になったのは、選択的夫婦別姓(民法750条改正)とパッケージになっていたからであります。夫婦別姓は日本会議関連議員が多い限り進捗しないだろうし、私も強く反対ですが、今回の731条改正は、それと切り離し、 成人年齢18歳引下げに伴う関連法案としたものであります。いわば、成年引下げに便乗して婚姻の自由を抑制するものだから、余計にたちが悪い。

平成8年の改正案要綱と異なるのは、当時は20歳成年が前提だったため、問題とされなかった未成年者の婚姻の父母の同意(737条)と、未成年者の婚姻による成人擬制(753条)を廃止するということですが、アメリカ合衆国では45州が18歳を成人年齢としているけれども、各州には我が国の民法753条(成年擬制)と似た未成年解放制度があります。婚姻、妊娠、親となること、親と別居し自活していること、軍隊への従事等を理由として原則として成年として扱うこととなっています(原則としてというのは刑法上の成年とはみなさないこと、 選挙権、アルコール、タバコ、小火器の所持、その他健康・安全に関する規則では成年とみなされないという意味 )【註13】。

民法学者には成年擬制制度に反対の立場から婚姻適齢引上げに賛成する人が結構多いようですが、米国では未成年解放制度は通例なのでありまして、事柄の性質がことなる成人年齢と無理やり一致させる必要はなく、753条は廃止せず維持を主張します。

 

 

 

5 婚姻の自由(憲法241項の法益)の不当な抑圧である

 

 

女は前婚の解消又は取消から6か月を経過しなければ再婚できないとしていた民法733 1項の憲法適合性が争点となった、再婚禁止期間訴訟大法廷判決・最大判平271216民集6982427は、最高裁が初めて「婚姻の自由」が憲法上の権利であることを明らかにした先例である。

判決は、父性の推定の重複の防止という立法目的の合理性を認め、100日間の禁止を合憲としたが、100日超の禁止期間を過剰な制約として違憲とした。

加本牧子調査官解説【註14】は「『婚姻をするについての自由』の価値は憲法上も重要なものとして捉えられるべきであり、少なくとも憲法上保護されるべき人格的利益として位置付けられるべきもの」と評釈している。

1617歳女子の婚姻資格剥奪は、再婚禁止期間と同様、婚姻するについて直接的な制約を課す。しかも待婚を強いる期間が6か月より長いケースも想定され再婚禁止期間よりも過酷といえる。

再婚禁止期間判決は直接的制約の憲法適合性審査について、中間審査基準を示唆しており【註15】、つまり正当な立法目的と具体的な手段との間に実質的関連性がなければ違憲の疑いがあるということである。

(なお直接的制約か否かは重要な論点であって、最高裁は民法7331項が婚姻するについて直接的制約であるからこそ司法積極主義をとったのである。一方民法750条の憲法適合性が争われた夫婦同氏制訴訟最大判平271216民集6982586は、夫婦同氏制は婚姻するについて直接的制約ではなく、事実上の制約であるとして、結果的に立法裁量の範疇との判断をとっている)

この度の1617歳女子に直接的制約を課す政府案は、正当な立法目的か、又、立法目的と具体的な手段との間に実質的関連性とがあるかを精査していくと、違憲の疑いがあるとみてよいだろう。

まず、男女の取扱いの差異をなくし、法的平等を達成する立法目的それ自体は正当であっても、平等の達成について1617歳女子の婚姻資格を剥奪せずとも達成可能であることから、憲法上保護されるべき人格的利益である婚姻の自由を制約することは直ちに正当化できない。

また、成人年齢と婚姻年齢が一致しない諸外国(英米加豪等)や伝統的な教会法など多くの立法例があること。成年擬制も米国では通例であること。現憲法下で未成年どうしの例えば19歳と16歳の結婚であっても父母の同意要件のもとに長らく結婚が認められてきたことから、成人年齢に満たないことをもって、婚姻適応能力がないとの断定は不可能である。

18歳選挙権が世界的に広まり、成人年齢も追随したのは1960年代末期のベトナム反戦などの学生運動が契機で、18歳以上で徴兵され国のために働くのに選挙権がないのは不当だとの抗議であり、その懐柔のためだった。18歳で徴兵登録可能としたのはルーズベルト時代からということであるから、第二次世界大戦以後の徴兵可能な年齢が、18歳成人の根拠なのである。その米国ですら16歳を婚姻適齢の基準とする州が多いのであり、我が国で婚姻適齢を世界的な徴兵可能な年齢と一致させなければならない合理的理由は実は何もないのである。

したがって成人年齢と一致させる便宜が、婚姻の自由の抑圧を正当化するほど合理的なものかは疑問である。

1996年の民法一部改正案要綱の「社会生活が複雑化・高度化した現時点でみれば、婚姻適齢は、男女の社会的・経済的成熟度 に重きを置いて定めるのが相当」として婚姻適齢を引上げる立法趣旨を述べているが、漠然不明確で婚姻適応能力を否定する根拠に乏しいだけでなく、歴史人口学では、北西ヨーロッパは近代より前近代が晩婚であることを明らかにしたように【註16】、時代の進歩と晩婚化は必然ではない。社会の複雑化・高度化という抽象的な概念で憲法上の権利を奪い取る理由はない。また、未成年者であるからといって、憲法上の権利が享受できないというのは苛酷である。

 しかも我が国の法律婚制度は、届出により容易、挙式も要求せず、自由主義的で民間の慣習を重視している。政府がライセンスを発行するわけでもなく、婚姻当事者の社会的地位や、経済的習熟度を審査するものではない。

 当事者の合意を第一義とする婚姻の自由という法的理念では、法は結婚するための条件として社会的・経済的諸状況や利害を捨象するものでなければならないのである。

 したがって「婚姻の自由」とは、男女は婚姻の意思を取り交わすのに必要な肉体的精神的能力がありさえすればよいのであって、親密な男女が、結婚し家庭を築いて、相互扶助共同体を形成する権利は、たんに自然的欲求、個人の心理的充足だけが目的というだけでも認められるべき趣旨のものと解すべきであり、「社会生活が複雑化・高度化」云々「社会的・経済的成熟度」を要件とすべき云々は、婚姻の自由を否定する口実にすぎないのであって不適切である。

 後述するように「婚姻の自由」の理念的淵源としてカノン法があるが、カノン法はローマ法の親の同意要件を否定しただけでなく、男14歳、女12歳の婚姻適齢をさらに緩め、男女とも合衾可能な肉体的精神的能力があれば婚姻適齢未満であっても婚姻適齢とした。カトリック教会は1917年にカノン法を全廃して、新成文法典を定め、翌年より施行し婚姻適齢は男16歳、女14歳と改めているが「すべての人は、婚姻の意志を正当に取り交わすのに必要な肉体的および精神的能力を備えている限り、婚姻する権利を有する」【註17】という原則は変わらない。

 教会法でも20歳を成年としているが婚姻について、古法では、男子14歳、女子12歳未満でも婚姻が成立するとしていたのは、性交渉が可能か否かと心理的成熟(大人っぽさ)を重視し、それにし個人差もあり「婚姻‥‥‥に必要な肉体的および精神的能力」を未成年者はもたないという考え方をとって全くとらないのである。

 既に述べたように、1970年代に米国の各州の多くは、統一婚姻・離婚法モデルの推奨する、16歳を親の同意要件のもとに婚姻適齢とし、16歳未満であっても補充要件規定により婚姻可能とする法制を採用した。

 そのような、婚姻の自由を重視する法制との比較では、今回の政府案は18歳未満の結婚を全面的否定する

ソ連・東独等、家族死滅論を前提とする社会主義国モデルを採用するもので婚姻の自由に抑圧的なことは明白である。

 しかも、結婚とは相互扶助共同体の形成であるため、当事者の双方に高い経済的能力を要求する理由はなく、配偶者の一方が著しく稼得能力を欠いても結婚生活は可能なものである。玉の輿に乗れば幸運であり、そのような結婚が否定される理由もない。

したがって男女双方とも経済的習熟を要求する立法趣旨と婚姻適応能力との実質的関連はなく、中間審査基準に耐えられる立法趣旨とはとてもいえない。

 法制審議会が述べていた法改正趣旨「高校卒業程度の社会的・経済的成熟の要求」は噴飯もので、政府が結婚のために義務教育以上の教育を国民に要求するのは全く不当であり、これも婚姻適応能力との実質的関連はない。

 中卒でも井山裕太囲碁七冠や横綱稀勢のように成功者がいるように、義務教育だけで立派な大人になれるのだから、婚姻の要件として高卒程度の要求は不適切である。(もっとも井山七冠は離婚しているが中卒であることが原因ではない)

 仮に教育機会の平等を重視する観点をとるとしても、今日において生徒の実態の多様化に応じた単位制高校などの履修形態があり、学業と婚姻との両立も可能である。結婚が教育機会を奪うという論理性はない。なお16歳で結婚したタレントの三船美佳は横浜インターナショナルスクールを卒業している。

 ジェンダー論者は私の修正案のようにこれまでどおり未成年でも結婚の権利を有するかたちで形式的平等としても、年少者は女性となる蓋然性が高く、男子の稼得能力に依存することになるから、性的役割分担の定型概念を助長すると言うだろうが、夫婦の分業は私的自治であって、政府が干渉する領域ではない、専業主婦である堀北真希や藤井聡太四段の母は、伝統的な性的分業といえるが、政府から非難されるいわれはないのであって、それと同じように、どのような性的分業であれ婚姻する自由は保護されるべきものである。

 周知の通り、民法750条の夫婦同氏制は文言上差別がなく形式上不平等のない規定だが、結果的に圧倒的多数(96%程度)が夫側の氏を選択していることから憲法141項に反するという主張は、最高裁により斥けられている(夫婦同氏制訴訟最大判平271216民集6982586)。

同じように、文言上の差別がない私の修正案は女子が年少者側になる蓋然性が高いということをもって法の下の平等に反するものにはならない。

 しかも私の修正案では、男子が年少者のケースを許容し、定型概念を助長はしていないのである。

結論的にいえば「社会生活が複雑化・高度化した現時点でみれば、婚姻適齢は、男女の社会的・経済的成熟度 に重きを置いて定めるのが相当」という立法趣旨は、性的分業による婚姻家族を否定し、当事者の双方が経済的に自立していることを前提とした対等なパートナーシップとしての家内的集団に結婚を変質させようとする、ジェンダー論者等の野望の達成という真の目的のために口実とされたものにすぎず、その正当性はないというのが私の主張である。

 

 

 

6 婚姻の自由とは実はローマ法・カノン法に由来する西洋文明二千年の根幹的規範であり、我が国も明治15年妻妾制を廃止し西洋の単婚理念を継受、憲法241項によって合意主義婚姻理論を継受したので忽せにできない

 

 

 婚姻の自由は、以下列記する由緒により西洋文明2000年の歴史を踏まえたものなので、忽せにできない。

 

〇婚姻は、自由でなければならぬ」Matrimonia debent esse liberaMarriages ought to be free)という法諺がある【註18】。

〇ユスティニアヌス帝の学説類集(533年)が迎妻式や嫁資の設定を婚姻成立の要件から排除し、婚姻が当事者の合意によって成立するという古来の原則を確立した。このほか合意主義に言及した教父として、ティルトゥリアヌス、聖アンブロジウス、教皇ニコラウス1世が挙げられている【註19】。

〇ラテン=キリスト教世界では10世紀に婚姻は教会裁判所の専属管轄権となり、婚姻に積極的な意義づけがなされることとなり、1112世紀フランス学派により合意主義が理論化される

 シャルトル司教イヴォ(聖人、教会法学者、没1116頃)、ランのアンセルムス(没1117)、サンヴィクトルのフーゴー(10961141)、中世最大の教師ペトルス・ロンバルドゥス(没1160パリ司教)が合意主義婚姻論者として知られており、グラティアヌスらボローニャ学派の合衾論者と論争になった。

 秘跡神学はフーゴーとロンバルドゥスの議論で進展したのであるが、合意主義婚姻理論は名だたる神学者、教会法学者によって理論家されたがゆえに文明規範として最強のものといえるのである。

12世紀中葉、教皇受任裁判の進展により教皇庁が司法化し、法律と行政の天才たる教皇アレクサンデル3世(位11591181)により緩和的合意主義婚姻理論が決定的に採用されて古典カノン法の婚姻法が成立し、西方(ラテン=キリスト教世界)の統一法となる【註20】。

 古典カノン法の婚姻法は、主君、血族による意思決定の排除(親や領主の同意は不要)、儀式も不要であった。

現在形の言葉による相互的な婚姻誓約(suponsalia per verba de praesente『我は汝を我が妻とする』。I will take thee to my Wife 『我は汝を我が夫とする』I will take thee to my Husband)と言うだけで婚姻が成立し、合衾copula carnalisで完成婚となり婚姻非解消となる。未来形の相互的婚姻誓約は、合衾によって完成婚となる。2人の証人(俗人でよい)が必要だが、理論的には証人がなくても婚姻は成立する【註21】。

このように本来の教会法の婚姻とは当事者の合意としての民事行為(契約法)である。東方教会では、婚姻とは司祭の行為であり典礼儀式であったが、西方では合意説theria cosensusをとっているため司祭の祝福や典礼儀式は婚姻の成立とは無関係となった。

ちなみに中世英国で、花嫁の終身的経済保障となる寡婦産確定のため教会の扉の前の儀式を要求したのは世俗裁判所であり、金貨・銀貨や指輪の授与はゲルマン法に固有の婚姻契約の履行を担保するものとして 動産質 (E pledge, OE wedd)を与える儀礼(ウェディングの語源)が、教会の儀式にとりこまれたのであって【註22】、教会法が婚姻の成立のために要求するものではない。

つまり本来カノン法では、居酒屋であっても男女が握手し相互に現在形の言葉で誓約し、二人の証人がいれば有効な婚姻になるのであり、合衾により婚姻不解消な絆になった。

居酒屋の婚姻誓約でも、割れた銀貨などを授与する儀礼があるがこれもゲルマン法由来とみてよい。

12世紀の秘跡神学では婚姻の秘跡とは婚姻という一つの現実において表象されるキリストと教会の結合の秘儀というものであったから、司祭の祝福や典礼儀式と無関係なのである。教会儀式は神学的にも婚姻成立のために不要だった。

カノン法は婚姻適齢についてもローマ法の法定婚姻年齢男14歳、女12歳【註23】をさらに緩め、早熟は年齢を補うとして合衾可能であれば婚姻適齢未満でも婚姻は成立するものとしているから、人類史上、当事者個人の自己決定を重視し婚姻成立が容易な個人主義・自由主義的な婚姻法はほかに類例がない(もちろん婚姻非解消主義という点では厳格であるが)と評価できる。それゆえに「かけがえのない」文明遺産なのである。

古典カノン法は、社会的、経済的諸条件を婚姻成立要件とせず捨象する。とくに親権者の統制がきかないので秘密婚の温床となった。世俗社会から非難され、軋轢を生じたことも事実である。しかし教会は数世紀にわたって婚姻の自由のために世俗権力と抗争したし、教会法によって身分違いの結婚であれ家族が強く反対しても、自由な結婚を擁護した【註24】。

〇教権は秘密婚の非難をかわすため16世紀のトレント公会議で、婚姻予告と挙式の義務付けを行った(タメットシ教令)。しかし、フランスからの要求(親の同意要件)は拒否し、フランス王権が婚姻法を還俗化する【註25】。

〇英国は、宗教改革によりトレント公会議と無関係のため、教会裁判所は市民法律家に入れ替わっても、婚姻予告または許可証を要せず、教区教会の挙式も、親の同意を婚姻の成立要件としない古典カノン法が実務的には継承され、コモン・ローマリッジ(古き婚姻約束の法)として生ける法であった【註26】。イングランドは18世紀中葉まで、スコットランドは19世紀にいたっても継続したため、古典カノン法そのものの婚姻の自由の理念を色濃く継承する。フリート婚・グレトナ・グリーン結婚が著名である。

〇近現代にいたって婚姻法が還俗化したため親の同意要件は通例となるが、次章のとおりキリスト教では婚姻の自由の神学的根拠が明確にあるので、カノン法の理念は現代において色濃く継承されている。個人の心理的充足を第一義とする近代個人主義的友愛結婚はエンゲルスがいうように近代にはじまるものではなく、中世の神学やカノン法に由来するのである。 

 私が思うに、ローマ法やカノン法に根拠を持つ婚姻の自由は、近代の経済的自由・市民的自由や私的自治に先行するものであり、近代人の個人主義的自由主義の淵源としても重視されてしかるべきである。

 ちなみに合衆国最高裁判所において「結婚し家庭を築く」ことが修正14条に保護される自由と初めて述べたのは後述の1923年マイヤー判決マクレイノルズ法廷意見以降の展開であるが、もちろんこの時創造されたものではない。

19世紀アメリカ法学では、コモン・ローによって保護された市民的自由は同時に憲法上の自由と観念しており、ロックナー期の憲法判例の基礎となった19世紀後期随一の憲法体系書であるクーリの『憲法上の諸制約』(1880年)でも、次のとおり婚姻の自由は修正14条の「自由」の一部として保護されるとしている。

「婚姻は、異なる性の二人の同意によって形成される自然的な関係であり、一般的に言って婚姻をする権利は普遍的なものである。‥‥婚姻関係は、国家においても最も重要なものである。何故なら社会の繁栄はその保全と純粋性にかかっているからである」【註27】このように、婚姻の自由の理念は、ローマ法-古典カノン法-古き婚姻約束の法-コモン・ローによって保護される自由-憲法上保護される自由と継承された文明を貫徹する理念であり、とくに英米で色濃く継承されている法文化であるが、我が国においても憲法241項により継受しているというコンテキストから忽せにできないのである。

自由主義者にとってこの文明の遺産ほど重要なものはないとさえ思う。

 

 

 

7 婚姻の自由の神学的論拠は、世俗的理論としても妥当なものである、文明規範として最大限に尊重されるべき

 

 

〇婚姻の自由の神学的論拠

 ラテン=キリスト教世界では、カロリング朝が終焉した10世紀半ばに、世俗権力に対し教権が優位に立つようになり、婚姻を教会の霊的裁治権として教会裁判所の管轄権とした。

 人類史上最も個人の自己決定を重視し、婚姻成立が容易なのは中世教会法である。なぜならば以下のような明確な神学的論拠をもっていたからである。

 

1)コリント前書72節,79節(淫行を避ける手段としての結婚)

 

 初期スコラ学者は真正パウロ書簡のコリント前書72【註2879節(ふしだらな行為、姦淫を避け放埓さを防止するため、情欲に燃えるよりは結婚したほうがよいというもの、情欲の鎮和剤としての結婚【註29】)淫行を避けるためのとしての結婚を決定的に重視した。これが婚姻の自由の根拠の第一にあげてよいだろう。淫欲の治療薬Remedium Concupiscentiaeと公式化された教説である。

 古代教父では東方教会最大の説教者にして「黄金の口」と称されたコンスタンティノーブル司教ヨアンネス・クリュソストモス(407没、聖人・教会博士)はこう述べた。

結婚とは自然の火を消すために始められたものである。すなわち姦淫を避けるために人は妻をもつのであって、子どもをつくるためのものではない。悪魔に誘惑されないように夫婦が一緒になることを命じる。「一つの目的が残った。すなわちそれは、放埓さと色欲を防止することである」『純潔論』【註30】とパウロのテキストに忠実な解釈をしている。

 つまり性欲を自制できない大部分の男女は結婚しなければならない。そうしなければもっと悪いことをするだろう。人々は罪を犯し、子は私生児になるだろう。したがって婚姻は容易になしうるものでなければならぬ。合意主義の要請はここにもあった【註31】。

つまり人々に宗教上の罪を犯させたり、子を私生児にしないようにする配慮が婚姻の自由の第一義的文明史的理念なのである。

 新約聖書は古すぎるというかもしれないが、私は真正パウロ書簡のコリント前書や古代教父、初期スコラ学者は文明の規範提示者として最大限尊重する立場なのであって、それを否定することは文明からの逸脱として非難したい。 

 性欲というものを原罪により人間の経験に入ったものとする宗教的見解を離れて、世俗的な発達心理学的立場でも、性欲の充足のための結婚は認められなければならない。たとえば青年心理学者の次のような見解である。

結婚は性欲を社会的承認のもとに充足できる点において意義がある。‥‥‥‥性欲が適度に充足されない時、不眠症、機能低下、興奮症、頭痛等の症状や漠然としたヒステリー及び神経症の徴候をもたらすことがあり、更にせっ盗、放火、強姦、殺人等犯罪をひきおこすこともあるといわれている。尚性的欲求不満には性差があり、男性は身体的な不満、即ち射精が意のままになされ得ないときに不満を感ずるのであり、女性には感情的な不満、即ち愛情の損失や失望による不満が多い。故に男性は性交によらなくても自慰によって不満を解消できるが、女性は対人関係によるのであり自分には容易に解決できない場合が多い。そして以上のような性的不満の合理的な解決方法は性的夫婦が適合した結婚をすることである。‥‥‥」【註32

 

2)秘跡神学

 

 1112世紀に秘跡神学が進展し、婚姻は花婿キリストと花嫁教会の結合を象徴するしるしとして秘跡とされた。したがって、秘跡神学が夫婦愛を神聖視する根拠になっている。

 中世最大の教師ペトルス・ロンバルドゥスによれば結婚の秘跡は罪に対する治療薬であり、恩寵を仲介しないものとされた【註33】、中世秘跡神学では婚姻の秘跡は結婚相手(男は女から、女は男から)から与えられるのであって本来、司祭の干与は不要である。恩恵の効力について神学者において議論があるとはいえ、秘跡である以上、それが否定されるべきものではないから婚姻の自由との根拠ともいえる。

 秘跡神学において花嫁は母なる教会に擬され尊重されており、教会はゲルマン法のムント婚のように結婚を権力関係とはみなしていない。夫婦愛や性愛の神聖視は、近代個人主義的友愛結婚の淵源であり、恋愛結婚を基本とする現代人に通じているから、秘跡神学の理念は世俗的にも今日なお重視されてよい。

 

3)ローマ公教要理

 

  16世紀トレント公会議後の公式教導権に基づく「ローマ公教要理」Catechismus Romanusでは男女が一つに結びつかなければならない理由として第一の理由は、相互の扶助の場として夫婦の共同体への自然的欲求、第二の理由として子孫の繁殖への欲求、第三の理由として原罪に由来する情欲の緩和の手段を得るためである【註34】としている。 

また、1917年に公布されたカトリック教会成文法典は婚姻の第一目的を「子供の出産と育成」第二目的を「夫婦の相互扶助と情欲の鎮和」【註35】と明文化されている。

 結婚に際して、社会的・経済的諸条件を一切課さないのが特徴である。

 「相互の扶助の場として夫婦の共同体への自然的欲求」は結婚の理由付けとして世俗的にも適切なものだと考える。

それによって人生の困難が乗り越えられ救われるのに、婚姻資格を剥奪し結婚を妨害しようとする、政府・法制審議会は糾弾に値する。むしろ、待婚、我慢を強いることが苛酷であり、虐待であります。

世俗権力と教会法の対立、教会法が婚姻の意思を取り交わす肉体的・精神的能力のあるすべての人の権利として、親権干与を排除してきた歴史はこれまで述べたとおりであるが、私は親の同意要件の維持を主張しているので、教会法と立場が異なるが、大筋で教会法の理念に同意するものである。

婚姻の意思を取り交わす肉体的・精神的能力のある人に対して婚姻を直接制約しようとする、このたびの婚姻法改正は、神の法に反するというだけでなく、世俗的な観点でも不当な婚姻の自由の抑圧とみるべきである。

 

 

 

 8 幸福追求権(憲法13条の法益)の重大な侵害である

 

〇婚姻の権利=幸福追求に不可欠とする理論

 

  法律婚の重要性はいうまでもない「法律婚は、安心、安全な安息地、人間として普遍的に有する結びつきを切望する気持ちを満たす」Goodridge440Mass.322,798N.E.2d,955頁【註36】。そして結婚し家庭を築き子供を育てることは幸福追求に不可欠な核心的な権利といってさしつかえない。

 ここでは英米の思想を列挙し、直接の法源にはならないが、以下に述べる観点から日本国憲法においても241項の婚姻の自由だけでなく13条の幸福追求権からも結婚する権利は擁護されるべきなのである。

 

1)ミルトンの提唱した近代個人主義的友愛結婚(孤独からの救済・慰めと平穏と生きる力を得るための結婚 happy conversationこそ結婚の目的)

 

近代個人主義友愛結婚理念を提示したのが17世紀のジョン・ミルトンの離婚論であるが、結婚と幸福追求を結び付ける理論であり、幸福追求権の先駆として評価できるのである。

それは17世紀英国人の結婚観といってもよいものだが、婚姻とは孤独な生活に対して人を慰め生きる力を与えるものであり、夫婦間の相愛関係・幸福な交わり(happy conversation)こそ婚姻の「もっとも主要な高貴な目的」であるとする【註37】。

ここでいう「交わり」(カンヴァセーション)とは、魂のレベルにおける深い知的な交流、ともかく一緒にいて楽しいという感情的交流、手を握りキスをし体を触れあい感じあう体感の疎通、そこから一歩進んだ性交のエクスタシーまでも含んだ広い意味をもつのが、「交わり」である。交わりも結合もともに重要で、結婚の第一義だと説明している【註38】。

 一口でいえば結婚とはhappy conversation甘美な愛の巣をつくることを第一義とする価値観であるが、結婚の目的が、家系や財産の維持や親族の利害のためでもなく、子どもをつくることでもなく、当事者の心理的充足を第一義とする。

これは現代人の結婚観に通じており、現代人のかなりの部分がミルトンの結婚観を承認すると思う。

 しかし今回の政府案は、1617歳女子の婚姻資格を剥奪し、孤独な生活に対して人を慰め生きる力を与えるものであり、夫婦間の相愛関係・幸福な交わり(happy conversation)である結婚を正当な理由なく直接制限するものであるから、幸福追求権の侵害といえるのである。

 ちなみに、ミルトンの初婚の女性は16歳【註39】とも17歳ともいわれる。合衆国植民地時代の宗教指導者コトン・マザーの初婚の女性は16歳で結婚し【註40】。超絶主義哲学者ラルフ・ウォルドー・エマーソンの初婚の女性は17歳【註41】で婚約し、1年後に結婚した。合衆国最高裁PLESSY v. FERGUSON, (1896)判決の反対意見で著名な「偉大な少数意見判事」ジョン・マーシャル・ハーラン15歳の女性に求婚し2年半後に結婚している【註42】。

 尊敬すべき偉大な人物は1617歳女子と結婚している。私はそれゆえに、1617歳女子婚姻資格剥奪には反対なのである。

 

2)連邦最高裁判例Meyer v. Nebraska, 262 U.S. 390 (1923)

 

 憲法修正第14条が保障する自由とは「単に身体的な拘束からの自由のみならず、個人が契約し、なんらかの普通の生業に従事し、有用な知識を習得し、結婚して家庭を築いて子供を育て、自己の良心の命ずるところに従って神を礼拝する権利、および公民(freemen)が通常幸福追求にあたって不可欠なものとして コモン・ローにおいて長い間によって認められている諸特権(privileges を遍く享受する権利をさす。」「先例によって確立されている法理によれば、この自由は、州の権能内にある何らかの目的と合理的なかかわりをもたない立法行為によって妨げられてはならない。‥‥」【註43】。

 傍論ではあるが結婚して家庭を築いて子供を育てることが憲法上保護される自由であり幸福追求に不可欠と示したことで重要な先例として評価できる。

 

3)連邦最高裁判例Griswold v. Connecticut, 381 U.S. 479 (1965)

 

 「婚姻とは病めるときも健やかなるときも共にあることであり、婚姻とは大義名分ではなく人生を豊かにする助けとなる結びつきである、政治的信念ではなく人生に調和をもたらすものである、商業的・社会的事業ではなく二人の人間相互の忠誠である。婚姻は‥‥崇高な目的を有する結びつきである」Griswold v. Connecticut, 381 U.S. 479 (1965))【註44

 

4)連邦最高裁判例Loving v. Virginia, 388 U.S. 1 (1967

 

 「結婚の自由は、自由な人間が秩序だって幸福を追求するのに不可欠で重要な個人の権利の一つとして、永らく認められてきた。結婚は『人間の基礎的な市民的権利』の一つである。まさに我々の存立と存続にとって基本的なものである」とし、「結婚への権利を直接的かつ実質的に妨げる場合」厳格な審査テスト、もしくは厳格な合理性のテストの対象となるとしている【註45】。

 既に述べたように我が国でも再婚禁止期間訴訟大法廷判決・最大判平271216民集6982427で最高裁が初めて「婚姻の自由」を憲法上の権利であることを明らかにしており、米国判例の影響は当然あるものと考える。

 なお近年Loving判決が頻繁に引用された判例として、Obergefell v. Hodges, 576 U.S. ___ (2015)がある。54の僅差ながら、ある州で正式に結婚の認定を受けた同性のカップルには、他の全州でも正式に結婚の資格を認定することを義務付けた衝撃的な判例である。

私はLoving v. Virginia, 388 U.S. 1 (1967)に賛同しつつも、婚姻の自由を「重婚」する権利や「同性婚」に拡大することには反対なので同判決には反対であることを付け加えておく。

憲法上の権利というものは、いわゆる自治体が良く使う人権概念のようにむやみやたらと拡大すべきではなく、法によって保護されるべき自由としてとらえる。

この点で、私は1923年のマイヤー判決マクレイノルズ法廷意見(最も反動的な裁判官として知られる)や19世紀後期随一の憲法体系書のクーリに近い立場をとっているのである。

私は Loving の意義を認めつつ、憲法上の基本的権利はこの国の伝統に根ざし秩序づけられた自由の範疇でとらえるべきという限定を付するのが正当だったと考える。

 結婚はどう定義されるべきだろうか。西洋の単婚理念をあらわすものとしてひとくちでいえばユスティニアヌス帝の法学提要にある「婚姻を唯一の生活共同体とする一男一女の結合」といえるだろう【註46】。結婚とはあくまでも男と女の結合でなければならない。

 この点ではアリート判事のUnited States v. Windsor2013)の反対意見が妥当と考える。先例としてWashington v. Glucksberg, 521 U.S. 702 (1997)が長い歴史と伝統に支えられたものか否かを基本的権利を承認する判断基準としており、このグラックスバーグテストに照らせば同性婚を行う権利は「我が国の伝統に深く根差したものではない」としたのである【註47】。 

 

 他方、1617歳女子の婚姻資格は、下記のとおり歴史と伝統に根ざしていることは明白であるから、法によって保護されるべきものなのである。

 

 

(我が国の婚姻適齢法制)

 

〇令制 養老令(戸令聴婚嫁条) 男15歳、女13(数え年、唐永徽令の継受)

 令制の規定は明治時代まで意味をもっていた。

民間の習俗としては、子供から婚姻資格のある成女となる通過儀礼としては裳着、鉄漿つけ(お歯黒)、十三参り、十三祝、娘宿入り等がある。中世の武家は9歳で鉄漿つけ、眉毛を抜いて元服したというが、17世紀頃は、「十三鉄漿つけ」の語の伝存するように、満年齢の1112歳初潮をみるころが折目とみられる。十三参り、十三祝は初潮をみての縁起習俗とみられる【註48】。成女式は徳川時代においておよそ1314歳程度とみられる。令制の婚姻適齢は踏襲されている。ただし徳川時代の皇族の裳着は比較的高く16歳である。

〇明治初期より中期 婚姻適齢の成文法なし

 改定律例第260条「十二年以下ノ幼女ヲ姦スモノハ和ト雖モ強ト同ク論スル」により、12歳以下との同意性交を違法としていることから、内務省では12年を婚嫁の境界を分かつ解釈としていた【註49】。

〇明治民法(明治311898施行)は婚姻適齢男17歳、女15歳。15歳は母胎の健康保持という医学上の見地。

〇戦後民法(現行)男18歳、女16は、米国の多くの州がそうだったため米法継受である。

 

 文学においても江戸後期では南仙笑楚満人の黄表紙『敵討義女英』のヒロイン小しゅんは、「年のほど二八(二かける八で十六歳)ばかりの美しい娘」と紹介されている。為永春水の代表作で『春色梅児誉美」のお長は「湯あがりすごき桜色、年はたしかに十六七、ぞうとするほどの美しき姿」【註50】とされ、美人といえば1617歳が相場なのである。

1617歳は最も女性が美しく肉体の輝きを謳歌する年齢であり、古くから婚姻に相応しい年齢と考えられていたことはいうまでもない。

 

 

 

9 近年世界的に攻勢をかけている児童婚廃絶キャンペーン団体の主張は断固拒否すべき

 

 

 以上の意見に対する反論としては次のような見解が考えられる。

2008年にフランスが女15歳だったのを男女とも18歳とする法改正を行った【註51】。2017年にドイツが、従前では原則として18歳としつつも、配偶者の一方が16歳以上で婚姻可能としていた法制を、原則18歳とする旨の法改正がなされるとの報道があることをあげると思います。

 これは近年児童婚撲滅運動が世界的に活発なロビー活動で攻勢を仕掛けていることと関連があります。フランスやドイツ の法改正趣旨はイスラム圏の移民・難民が多く、強制的な結婚、当事者にとって不本意な結婚から子どもの人権を守る趣旨だとされています。

 イスラム系移民や難民の少ない我が国とは事情の異なることに留意すべきであり、フランスやドイツに追随するべきではないと申し上げます。

 米国においても、2017年に児童婚反対運動のロビー活動によりクォモ知事が籠絡されニューヨーク州は最低婚姻年令を14歳から17歳に引上げてます。

 しかし、私は児童婚撲滅運動は過剰なパターナリズムであり、婚姻の自由という文明史的理念を否定し、個人の幸福追求権を否定し結婚させないというのも異常で全体主義平等をめざすものとして反対です。

 ちなみに教会法は結婚に関して中世より現代まで一貫して未成年でも親の同意要件を否定していて、結婚に関する自己決定権を重視し、当事者の合意を本質とする価値は一貫してます。スコットランドは16歳なら親の同意なく結婚できます。

「婚姻は自由でなければならぬ」Matrimonia debent esse liberaMarriages ought to be free)という法諺があるように文明の中核にある理念は婚姻の自由であって、結婚を悪とみなすカタリ派は異端で有り、アルビジョア十字軍によって徹底的に叩かれました。それと同じように、結婚を妨げることが人権だという思想は異端思想であり、児童婚撲滅運動は文明の敵とみなす。

 ニューハンプシャー州は男14歳、女13歳ほぼコモン・ローに近い婚姻適齢ですが、婚姻適齢引上げ法案は議会が否決しました。ニュージャージー州は婚姻適齢引上げ法案にクリスティー知事が拒否権を行使しました。こちらのほうが良識的対応であります。

 私としてはニューヨーク州の17歳婚姻適齢引上げはかなりショックでした。なんといってもニューヨークは大州ですから。

しかし依然としてアメリカ合衆国の大多数の州は16歳が婚姻適齢であり、16歳未満でも多くの州で婚姻可能なことにかわりないことにご留意ください。

 ユニセフ【註52】は児童ポルノ撲滅運動でも影響力があったように今回の改正の背後にある圧力団体の一つと考えられますが、憲法13条及び241項と密接にかかわる婚姻する自由の法益と児童ポルノとは同一の問題ではないので、この点国会議員の先生は籠絡されないようお願いします。

 我々は未成年の結婚を禁止したい日弁連女性委員会やユニセフ、ヒューマンライツウオッチのような人権団体に従属しなければならないのでしょうか。とんでもありません。この人たちのために国民の結婚の権利を縮小しなければならない理由はなにひとつないというのが私の主張です。

 

 私の修正案は、男女取扱いの差異をなくし平等を達成したうえ、婚姻の自由を重視するもので客観的にみて実はもっとも無難なものであります。

 ただしジェンダー平等論はとらないのでありまして、結婚し家庭を築く権利を縮小してでも、児童婚は悪だから廃絶しようという考え方はとらないのであります。

しかし政府案に反対すると、1617歳女子婚姻資格剥奪を主張してきた女性団体やユニセフのメンツを潰すこととなりその方面から非難されるかもしれない。政治家の処世術としては得策ではないというのはわかります。

 だから私の意見に賛同される方はほとんどないでしょう。

 結局、思想的には、私の主張のように婚姻の自由あるいは、結婚を幸福追求権の核心とする文明の理念をとるか、政府案の隠れた立法目的である古典的一夫一婦制の止揚・個別家政廃止・家族死滅論のマルクス主義フェミニズムをとるか、たぶん国会議員は後者を選択して国民の結婚の権利の縮小は当然というのでしょうが、それはとても残念なことだと考えております。

 

(-完-やや失礼な表現もありましたがご海容願います)

 

 

 

付録 

 

 

そもそも成人年齢引下げも反対だ

 

 私は民法731条改正の修正1本に絞って抵抗するが、そもそも成人年齢引き下げも反対であることを説明しておく。

 

1. 安定している私法関係をいじる必要などなかった

 

 2016年5月12日読売新聞記事によると、同社世論調査で、成人年齢18歳に引下げに反対が54%、特に18・19歳の若者は反対が64%と高い。すでに18歳で選挙権を得ている時点にもかかわらず、反対が多いということは不人気政策といえる。学生運動で若者が要求しているわけでもない。明治九年の太政官布告で満20歳に定められてから、約140年間続いてきたもので国民に完全に定着し安定していた私法関係をあえていじくる必要はないし、大義もない。政治家の取引のためと自己満足のための政策にすぎない。

 しかも、政府部内では飲酒喫煙年齢や公営ギャンブルは現行どおりとする方向と報道されている。

 イングランドでは酒の購入は18歳以上であり、親の責任下で自宅での飲酒は16歳以上で合法、喫煙も購入は18歳以上だが喫煙自体は16歳以上で合法である[田巻帝子「「子供」の権利と能力-私法上の年齢設定-」山口直也編著『子供の法定年齢の比較法研究』成文堂2017所収]。

 我が国では宴会で酒も飲めない中途半端な「成人」になるため、イベントに人が集まらず、和装、振袖レンタルや美容院の仕事も減る見込みなので、業者からもブーイングがあるはず。

 

2. それは自民党と民主党の取引で決まった

 

 そもそも選挙権の18歳引下げの経緯は、2007年第一次安倍内閣で国民投票法を与野党合意で成立させるため当時の自民党の中川昭一政調会長が、民主党の公約だった18歳選挙権を丸呑みしたという政治的取引による。

 周知のとおり2014年に自公民三党は国民投票改正法案について合意がなされ、公職選挙法の選挙権年齢について「改正法施行後2年をめど」に18歳以上に引き下げるべきだとする民主党に配慮し、政党間のプロジェクトチームを設置し、改正され、さらに成人年齢も政治日程にのぼったという経緯である。

 もちろん国民投票法を成立させたかったのは安倍首相が自らの実績にしたいためである。そのために今日では分裂してしまった民主党の要求を呑んで取引したという経緯である。要するに政党の取引、政治家のメンツをたてることが目的で、私法関係をいじるという、不人気政策なのは当然のことである。

 世論調査結果にみられるように、国民の広範な支持は得られていないにもかかわらず、自公民三党の政党間の約束だから、不人気政策でも強行するというしろものだ。

自民党に投票した人は、民主党の公約の実現のために投票してはいないから、このような政治的取引は選挙民を裏切るものだといえる。私は憲法9条2項削除なら憲法改正に賛成するが、国民投票法のために私法関係に影響を及ぼし成人年齢まで引下げる必要はなかったと考える。

 

3. 18歳が徴兵対象の年齢だから選挙権が与えられただけ

 

 主要国についていえばアメリカ合衆国はコモン・ローの成年は21歳だが、ベトナム戦争の際、反戦運動や学生運動が盛んになり、18歳以上21歳未満の者は徴兵されるのに選挙権がないのは不当だとの主張がさかんになされ、1971年に投票権を18歳に引き下げた(憲法修正26)

 米国では成人年齢も18歳に引き下げたのは45州であるが、18歳を徴兵対象としたのはルーズベルトにはじまるから、18歳が大人という発想は比較的新しく第二次世界大戦が根本要因といってもよい。要するに国家総動員総力戦の「負」の遺産ですよ。

 ドイツも同じ事で、学生運動が激しくなり兵役義務が18歳からなのに選挙権が21歳なのは不公平だとの主張により1970年に18歳に選挙権が引き下げられた。政治不信を主張する激しい学生運動を緩和させるための政策だったのである。(国会図書館調査及び立法考査局「主要国の各種法定年齢」『調査資料』 2008-3-b 2008-12月参照)

 要するに60年代末期の学生運動を背景に、徴兵制(兵役義務)とのからみで、選挙権も引下げられたということである。それはあくまで、一時の社会現象にすぎないのであって徴兵制のない我が国で18歳に引下げる理由は見当たらない。若者が選挙権を求めていたのでもなかったのである。

 徴兵登録制度導入との引き換えならともかく、若者から要求もされてないのにタダでくれてやったのはばかげていた。

 

4.コロラド、ミネソタ州のように選挙権と成人年齢を無理に一致させなくてもよいのでは 

 

 選挙権はまだしも成人年齢引下げには若者の6割以上が反対しているのである。

 私は日本大学法学部民事法・商事法研究会「『民法の成年年齢引下げについての中間報告書」に対する意見」『日本法学』75巻2009年の結論に賛成である。「国民投票法の制定に伴い、成年年齢の引下げが議論されているが、私法においては、満二〇歳の成年制度で長い間安定しており、これを引き下げることは混乱を生じるだけではないかと思われる。‥‥立法趣旨についてきちんとした議論が全くなされてない状況において改正論議だけが先行することは、法改正のあり方として、あまりにも拙速である。」

 成人年齢と選挙権は一致しない例はある。アメリカ合衆国では45州が18歳成人年齢だが、コロラド、ミネソタ、ミシシッピが、コモン・ローと同じく21歳、アラバマ、ネブラスカが19歳である。

 私はコロラド、ミネソタ州のように選挙年齢と成人年齢が違っていてもよいと思う。

 

 

 

 

【註1】「浅山郁「女子差別撤廃条約の報告制度と締約国からの報告 (女性そして男性) -- (外国における女性と法) 」『法学セミナー増刊 総合特集シリーズ 』日本評論社 (通号 30) [1985.07]

【註2】 第73節参照

【註3】 第81節参照

【註4】 同性婚人権救済弁護団『同姓婚だれもが自由に結婚する権利』明石書店2006237頁オーバーガフェル判決2015年の翻訳

【註5】 第7章1節参照

【註6】社会人類学の大御所であり厳密な定義で定評のある清水昭俊『家・身体・社会』弘文堂1987  97頁によれば婚姻家族とは「家内的生活が主として夫婦間の性的分業によって営まれる家」と定義している。つまり夫婦の性的分業のない家内的集団はもはや婚姻家族ではないのである。例えばナヤール人、母子のみの家族等があげられる。ジェンダー論は婚姻家族を崩壊させ、マルクス主義の家族死滅論に親和性のある思想といえる。 

 【註7】野田愛子「法制審議会民法部会身分法小委員会における婚姻・離婚法改正」の審議について」(上)」戸籍時報419 18頁 1993

 【註8】滝沢聿代「民法改正要綱思案の問題点(上)」法律時報6612199411月号72頁)

 【註9】村井衡平「【資料】統一婚姻・離婚法() : 一九七〇年八月六日公表第一次草案」神戸学院法学 5231974

[本文の補足]

 合衆国で男女とも16歳としている州が多い理由の第一は、米国には私法の統一運動があり1970年代に統一州法委員会(各州の知事の任命した代表者で構成される) の統一婚姻・離婚法モデルが法定婚姻年齢を男女共16歳(18歳は親の同意を要しない法定年齢)とするモデル案を示していたことによる。

 米国では 16歳を親の同意があれば婚姻適齢とするのが標準的な婚姻法モデルなのである。 もっとも婚姻法はあくまでも州の立法権であり、統一婚姻・離婚法モデルは州権を拘束しないが、多くの州がモデル案に大筋で従った法改正を行った。

 ちなみに1970年公表統一婚姻・離婚法()は次のとおりである。 [村井衡平1974]

203

1 婚姻すべき当事者は、婚姻許可証が効力を生じるとき、18歳に達していること。 または16歳に達し、両親・後見人もしくは裁判上の承認(205条1項a)を得ていること。 または16歳未満のとき、双方とも、両親もしくは後見人または裁判上の承認(2052a)を得ていること‥‥

205 [裁判上の承認]

a 裁判所は未成年者当事者の両親または後見人に通知するため、合理的な努力ののち、未成年者当事者が、婚姻に関する責任を引き受けることが可能であり、しかも婚姻は、彼の最善の利益に役立つと認定する場合にかぎり、婚姻許可書書記に対し、

1 両親または後見人がいないか、もしくは彼の婚姻に同意を与える能力をもたないか、または彼の両親もしくは後見人が彼の婚姻に同意を与えなかった16歳もしくは17歳の当事者のため、

2 彼の婚姻に同意を与える能力があれば、両親が、さもなくば後見人が同意を与えた16歳未満の当事者のため、婚姻許可書‥‥の書式の発行を命ずることができる。 妊娠だけでは当事者の最善の利益に役立つことを立証しない。

 この案はアメリカ法曹協会家族法部会が関与しているので、アメリカの法律家の標準的な考え方としてよいだろう。

【註10】藤倉皓一郎「<論説>アメリカ最高裁判所の判例にみられる「家族」観」同志社法學 32(3/4)1980【ネット公開】、米沢広一「家族と憲法(二)」法学雑誌(大阪市立大)3611989

【註11】 田中和夫「イギリスの婚姻法」比較法研究18号 25958 松下晴彦「グレトナ・グリーン「駆け落ち婚」の聖地」英米文化学会編『英文学と結婚-シェイクスピアからシリトーまで』彩流社所収2004 平松紘・森本敦「スコットランドの家族法」黒木三郎監修 『世界の家族法』 敬文堂所収1991

【註12】 岩志和一郎「ドイツの家族法」 黒木三郎監修 『世界の家族法』 敬文堂図書所収1991 ただし2017年になってhttp://www.afpbb.com/articles/-/3124128(ドイツ、18歳未満の婚姻禁止へ 難民流入で既婚少女増加)との報道がある。

【註13 永水裕子「米国における医療への同意年齢に関する考察」山口直也編著『子供の法定年齢の比較法研究』成文堂2017年所収

【註14】 加本牧子(判解)法曹時報695208

【註15】犬伏由子(判批)「再婚禁止期間のうち100日超過部分を違憲とした事例」新・判例解説Watch(法学セミナー増刊)19号105頁2016

【註16】ミッテラウアー,ミヒャエル、 ジーダー,ラインハルト/若尾夫妻訳『ヨーロッパ家族社会史』名古屋大学出版会1993 16世紀末から18世紀末にかけてのイギリスの村落のサンプルでは2024歳の既婚者は男16%、女18%が既婚にすぎない。2529歳でも46%と50%であった。むしろ近代産業革命により女性が工場労働に進出したことが持参金効果をもたらし初婚年齢を低くした。

 【註17】 ルネ・メッツ/久保・桑原訳『教会法』ドン・ボスコ社1962206

【註18】 守屋善輝『英米法諺』中央大学出版部 1973356

【註19】船田享二『ローマ法第四巻』岩波書店 1971年改版

【註20】 カノン法において合意主義婚姻理論が採用された件について、主な参考文献

赤阪俊一「教会法における結婚」Marriage in the Canon Law埼玉学園大学紀要. 人間学部篇 8号【ネット公開】2008

枝村茂「婚姻の秘跡性をめぐる神学史的背景」アカデミア 人文自然科学編,保健体育編(南山大学) 251971975

柴田敏夫「「コモン・ロー・マリッジ」略史」A Concise History of "Common Law Marriage"大東法学 14 1987

島津一郎『妻の地位と離婚法』第42イギリスにおけるコモン・ロー婚の展開 有斐閣1974

直江眞一「アレクサンデル三世期における婚姻法 : 一一七七年六月三〇日付ファウンテン修道院長およびマギステル・ヴァカリウス宛教令をてがかりとして」法政研究. 81 (3)2014年【ネット公開】

波多野敏「フランス、アンシャン・レジームにおける結婚の約束と性関係」Promesses de mariage et relations sexuelles dans la France de l'Ancienne Regime京都学園法学 創刊号1990年【ネット公開】

福地陽子1956<論説>カトリック教婚姻非解消主義の生成と發展<Article>THE GROWTH AND DEVELOPMENT OF THE CATHOLIC PRECEPT AGAINST DIVORCE」法と政治 7(41956年【ネット公開】

ウタ・ランケハイネマン/高木昌史ほか訳『カトリック教会と性の歴史』三交社1996

18-4 : 1」紀要3 東京神学大学【ネット公開】

フレデリック・ジュオン・デ・ロングレイ/有地亨訳「フランス家族の成立過程 : フレデリック・ジュオン・デ・ロングレイ著"Le precede de la formation de la famille francaise" : F. Jouon des Longrais」法政研究 34(1) 1967年【ネット公開】

なお教会裁判所の民事裁判権について吉田道也「教会裁判所の民事裁判権の終末」The End of Civil Jurisdiction of the Ecclesiastical Court法政研究 22(1)1954年【ネット公開】

[本文の補足]

 教会婚姻法とは教皇に上訴された具体的な婚姻事件などについて教皇の教令などを採録した体系的集成のことで、1234年の教皇庁公認の『グレゴリウス9世教令集』に婚姻法関係が全21166条収録されているが、その三割強がアレクサンデル3世の教令であり[直江眞一2014]、同教皇が決定的な意味でパリ学派の合意主義婚姻理論を採用したのである。正確にいえば緩和的合意主義といい、現在形の言葉による約束で婚姻が成立し、合衾(床入り)で完成婚(婚姻の解消しえない絆)となるというもので、合衾以前に二人とも修道生活に入れば離別は可能としている。

 (もっとも教皇の免除により政略的な結婚も可能だった。例えばヘンリー2世の娘ジョーン10歳をシチリア王グリエルモ2世の妃にしたのは、皇帝とシチリア王国の同盟を阻止する目的で教皇が熱心に勧めた政略的縁談だった。教皇はオールマイティである。)

 直江眞一[2014]の学説史研究によれば、Ch・ドナヒューは1976年の論文でアレクサンデル3世の法理論の新しさは当事者の合意の強調にあったとした。そのような意味で文明史の方向性を定めた教皇といえるのである。しかし2012年にA・ダノンがドナヒューを批判し、1140年教皇インノケンティウス2世がウィンチェスター司教宛ての教令ですでにパリ学派の合意主義婚姻理論により裁決をしており、アレクサンデル3世登位以前から教皇庁内ではフランス学派の理論の影響があったとしているが、インノケンティウス2世の教令は偽書とする説もあり、決着はついていないが私は偽書の蓋然性が高いとの感想をもった。

 合意主義の理念は我が国でも基本的に継受している。憲法24条1項は「婚姻は両性の合意のみに基いて成立し」としているがもとをたどれば古典カノン法の無式合意主義婚姻理論に由来する。憲法24条起草者が西洋の法文化であるとしても古典カノン法を意識してはいないと思うが、その由来は教皇アレクサンドル3世の教令「ウェニエンス・アド・ノース」の婚姻理念にある。

 補足すると、教皇アレクサンデル3世は教令「ソレト・フレクェンテル」の中で、秘密結婚を契約した当事者たちは呪われるべきだし、結婚の合意は証人の前で交換されねばならないと規定したけれども、こうした要請の遵守を有効な結婚の条件とすることを差し控えた。

 一方教令「クォド・ノービス」の中で結婚は「合理的で合法的な理由があれば」秘密裡に契約しても構わないとした。

 教令「スペル・エオ・ウェロ」の中では、司祭の立会なく、あるいは厳粛さがなくても、現在形の言葉による合意によって契約された結びつきは、完全な拘束力を持つとした。[赤阪俊一2008

 このように秘密婚に対して批判的な教令と許容的な教令が混在しているのだが、1170年代の教令は無方式合意主義を確定したとされるのである。

 教会法はローマ法を継受し婚姻適齢を男14歳・女12歳としているが、教皇アレクサンデル3世は、婚姻適齢前であっても合衾により完成婚に至ったならば性関係を続けなければならないとしているので、合衾(床入り)が可能なら実質婚姻適齢といえる。

 ちなみに現在のカトリック教会は20世紀にカノン法を廃止し成文法典を定めているが「婚姻は法律上能力を有する者の間で適法に表示された当事者の合意によって成立する。この合意はいかなる人間の力によっても代替されえない」(第10571項)[枝村茂「カトリック教会法における婚姻の形式的有効要件とその史的背景」宗教法学3 1985]と合意主義婚姻理論を継承しており、婚姻適齢は男16歳女14歳としているものの古典カノン法の理念と本質的には変わってないといえる。

ではなぜ、グラティアヌスなどの合衾主義は採用されず合意主義となったのか。

 第一にヨゼフは許婚者とされるのがならわしだが、サンヴィクトルのフーゴーはマリアとヨゼフの間に真実の結婚があったと主張した。合衾がなくても婚姻が成立するとすれば処女懐胎と矛盾しないのである。[ランケ=ハイネマン1996

 第二はうがった見方だが、当事者の合意が決定的で、主君や血族のコンセンサスを排除したのは、強制的な結婚を否定することにより修道院に優れた人材を供給するためだったともいわれる。結婚の自由は、結婚せざる自由と裏表の関係にあり、独身主義優位思想が逆説的に結婚の自由を生んだともいえる。

 第三に合意主義はイギリスからの婚姻事件上訴による教皇受任裁判(アンスティー事件についてはわが国でも研究されている)の教皇の裁定により教令集に採録されたもので、基層文化として婚前交渉に許容的な北西ヨーロッパに合致していた。結婚において処女性を重視する地中海沿岸地域では合衾主義でもよかったが教会法はどの地域でも通用する普遍的な制度を採用したのである 

 第四に合衾(床入り)に証人を求めることが困難な場合があるが、言葉による誓約なら証人の存在により婚姻成立を確定できる。カノン法の証拠法は世俗法に先行した意義を有している。 

 【註21】塙陽子「カトリック教会婚姻不解消主義の生成と発展」『家族法の諸問題()』信山社1993

 【註22】 鵜川馨『イングランド中世社会の研究』聖公会出版1991531

 【註23】前掲リック・ジュオン・デ・ロングレイ34頁、滝澤聡子515世紀から17世紀におけるフランス貴族の結婚戦略 : 誘拐婚」人文論究5512005年【ネット公開】

 教会法学者はローマ法をさらに緩く解釈した例としてJL・フランドラン/宮原信訳

『性の歴史』藤原書店1992342頁。「要求される年齢はいくつか?女子は最低11歳半、男子は13歳半である‥‥ただし、法律のいう、早熟が年齢を補う場合は別である。その例=10歳の少年が射精、もしくは娘の処女を奪い取るに足る体力・能力を備えているならば、結婚が許されるべきこと疑いをいれない。‥‥男との同衾に耐え得る場合の娘についても同様であり、その場合の結婚は有効である」Benedicti, J1601. La Somme des péchés1601

【註24 一例として社本時子『中世イギリスに生きたパストン家の女性たち-同家書簡集から』創元社1999年 ノーフォーク    州の名家パストン家書簡集にある1469年の長女マージョリー20歳と家令リチャード・コール30歳代の秘密結婚をノーリッジ司教は正当な結婚とする。

【註25】枝村茂「カトリック教会法における婚姻の形式的有効要件の史的背景」宗教法学3 1985、前掲リック・ジュオン・デ・ロングレイ論文、滝澤聡子論文

【註26】英国の古き婚姻約束の法(コモン・ローマリッジ)の研究の参考文献としては、岩井託子『イギリス式結婚狂騒曲 駆け落ちは馬車に乗って』中公新書2002年、加藤東知『英国の恋愛と結婚風俗の研究 』日本大学出版部1927年、栗原真人「 <論説>秘密婚とイギリス近代 (1)」香川大学 11巻1号1991a【ネット公開】「〈論説>秘密婚とイギリス近代 (3) 香川法学 121 1992年【ネット公開】、「<論説>秘密婚とイギリス近代(4・完)」 香川法学 122 1992b【ネット公開】「 フリートとメイフェア : 一八世紀前半ロンドンの秘密婚」 香川法学 154 1996年、柴田敏夫「「コモン・ロー・マリッジ」略史」A Concise History of "Common Law Marriage"大東法学 14 1987年【ネット公開】、不破勝敏夫「Common Law Marriageについて-1-」山口経済学雑誌 8(31958年、「Common Law Marriageについて-2-」山口経済学雑誌 8(4)1958年、松下晴彦「グレトナ・グリーン「駆け落ち婚」の聖地」英米文化学会編『英文学と結婚-シェイクスピアからシリトーまで』彩流社所収2004

[本文の補足]

 ちなみに古典カノン法と、英国の「古き婚姻約束の法」「コモン・ローマリッジ」と称されるものは同じである。これはメイトランドが、イングランド婚姻法とはローマ教会婚姻法そのものだと述べているとおりである。

 当時の教会裁判所実務については栗原正人[1991]が、名誉革命後の権威書であった ヘンリ・スィンバーンH.Swinburne15511624)の「婚姻約束もしくは婚姻契約論」を検討している。

 同書は1686年に出版され、1711年重版となっているが、婚姻適齢について、7歳以上は「将来形の婚姻約束」ができる。法定婚姻適齢は男子14歳、女子12歳であり「現在形の婚姻約束」によって婚姻が成立する。「『我は汝を我が妻とする。I will take thee to my Wife 我は汝を我が夫とするI will take thee to my Husband』というような現在形の言葉を用いてなされた婚姻約束を結ぶ男女は、いかなる合意によってもこの婚姻約束を解消しえないし、実体の点でも夫婦そのものとみなされ、婚姻の解消しえない絆があるとみなされる。従って、彼らのいずれかが実際に第三者と結婚式を挙げ、その人と肉体関係を結び、子供ができたとしても、この婚姻は不法なものとして解消され、結婚した当事者は姦通者として罰せられる。その理由は、これは将来の行動の約束ではなく、現在の完全なる合意だからである。この合意だけが公けの挙式も肉体関係もなしに婚姻を創設する。公の挙式も肉体関係も婚姻の本質ではなく、合意こそが婚姻の本質なのである。現在時制の言葉によってこのように完全に保証された男女が神の前での夫婦である」

 この内容は、ロンバルドゥスの合意主義婚姻理論そのものであり、12世紀の教皇アレクサンデル3世のノーリッジ司教宛ての教令とも似ている。

 この権威書はイングランド婚姻法=古き婚姻約束の法=コモン・ローマリッジが、古典カノン法そのものだったという証拠といえる。

 古き婚姻約束の法は生ける法であり、英国教会主教の統治の及ばない、特別教区、特権教会、たとえばロンドンのメイフェア礼拝堂や、フリート監獄のような特許自由地域が秘密婚センターとなった。親の同意のない21歳未満であっても容易に婚姻することができた。主教(司教)の統治の及ばない、特別教区、特権教会の特権は12世紀のアレクサンデル3世の教令に由来する。理論上は教皇の直轄なのでカノン法がそのまま適用されるということである(英国教会は1604年法で、婚姻予告もしくは婚姻許可証による挙式と、未成年者の親の同意要件を定めていたが、それによらない自由な結婚が可能だったということ)。

 1740年のロンドンで結婚する人々の二分の一から四分の三は秘密婚であったとされる[栗原1996]。多くの人々が婚姻予告を嫌い、教区教会の挙式ではなく、結婚媒介所での個人主義的な自由な結婚を行っていたのだ。

 1753年「秘密婚をよりよく防止するための法律」(通称ハードウィック卿法)は、フリート街の居酒屋等における聖職禄を剥奪されたフリート監獄の僧侶による結婚媒介所が一大秘密結婚センターとなったことが国の恥と認識されたことにより、 反対意見も少なくなかったが、イングランドで500年以上継続した古き婚姻約束の法を議会制定法により無効としたものであり、死文化した1604年法をあらためて、世俗議会制定法としたものである。フランスより200年遅い婚姻法の還俗化であったが、皮肉なことに還俗化とは、クエィカーと、ユダヤ人を除いて教会挙式を強要することだった。 すなわち、国教会方式の教会挙式婚を有効な婚姻とし、21歳以下の未成年者は親ないし保護者の同意を要するとした。 [栗原真人1992b] 

しかし1753年法はスコットランドには適用されず、俗人の証人のもとでの現在形の言葉での合意で容易に婚姻が成立する古き婚姻約束の法(古典カノン法)はなお有効だった。 また協定によりイングランドの住民がスコットランドの婚姻法により結婚してもそれは有効とされた。 

 このため未成年者で親の同意のないケース、駆け落ちなど自由な結婚を求めるカップルの需要に応え、スコットランドの国境地帯の寒村に続々と結婚媒介所が営業するようになった(フリート婚に代わる秘密婚センターに)。 グレトナ、グリーンは西海岸で、東海岸ではコールドストリームが有名だが、スコットランド越境結婚を総称してグレトナ・グリーン結婚と言う。

 結婚に反対する親族の追跡を振り切るため、四頭立て急行馬車を雇い上げ、純粋な愛に燃えるカップルが胸を轟かせスコットランドを目指すロマンチックな風俗は、恋に恋する乙女たちの憧れとなり、18世紀の多くの文学作品で題材となっている。 このために、グレトナ・グリーンは純粋な恋愛結婚の聖地とされるのである。 西洋結婚風俗史のハイライトといえるだろう。 [加藤東知1927、岩井託子2002

 語り継がれる華麗な駆け落ち婚について一例のみ引用する。 1782年スキャンダルの元祖といわれる銀行家チャイルド家一人娘セアラ・アン15歳と金欠貴族ウェスモランド伯爵の駆け落ちである。 ロンドンのメイフェアからスコットランドまで凄まじい追跡劇となり、銃で馬を撃ち合い、四頭馬車が、三頭になったが無事スコットランドに越境して結婚した。 その孫娘のアディラ19歳も1843年士官と駆け落ちし、グレトナで結婚している。 この時代は馬車でなく鉄道であった。 [岩井託子2002 83頁]

グレトナ・グリーン結婚の斜陽化は過当競争で結婚媒介料が低廉化し、風紀が乱れ、有名人士が嫌うようになったこと。 鉄道の開通により馬車で駈ける風情がなくなったこと。 決定的には1856年のプールアム卿法で、スコットランド法による結婚はスコットランド人か、スコットランドに3週間居住した住民に限られるようにしたことである。

要するにイングランド人は、19世紀の半ばまで、古典カノン法が生きていたので、未成年であっても親の同意の必要ない自由な結婚が可能だった。

【註27 清水潤「コモン・ロー、憲法、自由(3)」中央ロー・ジャーナル14132017

【註28】第一コリント715節(田川建三訳)

「‥‥人間にとっては、女に触れない方がよい。しかし淫行(を避ける)ために、それぞれ自分の妻を持つが良い。また女もそれぞれ自分の夫を持つが良い。妻もまた夫に対してそうすべきである。妻は、自分の身体に対して、自分で権限を持っているのではなく、夫が持っている。同様に、夫もまた自分に対して自分が権限を持っているのではなく、妻がもっているのである。互いに相手を拒んではならない。‥‥‥」

 13世紀の組織神学者オーベルニュのギヨーム(11801249)は、若くて美しい女性と結婚することがより望ましいとした。その理由は、美人を見ても氷のようでいられるから。淫欲の治療薬、情欲の緩和としての結婚の意義を認めた。パウロのテキストに忠実な見解だと思う。私が1617歳女子の婚姻にこだわる理由はまさしくこのことである

【註29 第一コリント789節(田川建三訳)

「結婚していない人および寡婦に対しては、私のように(結婚せずに)いるのがよい、と言っておこう。もしも我慢できなければ、結婚するが良い。燃えさかるよりは、結婚するほうがましだからである。」

 【註30】ウタ・ランケハイネマン/高木昌史ほか訳『カトリック教会と性の歴史』三交社1996年 77

 【註31】 島津一郎『妻の地位と離婚法』有斐閣1974年 第42イギリスにおけるコモン・ロー婚の展開 240

 【註32】泉ひさ「結婚の意義と条件--心理学的調査及び考察」アカデミア 人文自然科学編,保健体育編(南山大学) 251975317

 【註33】枝村茂「カトリック教説における婚姻の目的の多元性」 アカデミア 人文自然科学編,保健体育編(南山大学)1980 311

 【註34】枝村茂前掲論文

 【註35】枝村茂前掲論文

 【註36】同姓婚人権救済弁護団前掲書2015

 【註37】 稲福日出夫5<論説>ミルトンの離婚論 : 法思想史におけるその位置づけ」同志社法學 371/21985年【ネット公開】

 【註38】鈴木繁夫「交わりの拡張と創造性の縮小 : ミルトンの四離婚論をめぐる諸原理について」言語文化論集 (名古屋大学)2612004年【ネット公開】

 【註39】平井正穂『ミルトン』研究社出版1958年。ただし17歳とする論文も多い。

 【註40】佐藤哲也「近代教育思想の宗教的基層(1) : コトン・マザー『秩序ある家族』(1699)) 宮城教育大学紀要 472012年【ネット公開】

 【註41】斎藤光『エマソン』研究社出版195739頁。

 【註42】桜田勝義『輝やく裁判官群像 : 人権を守った8人の裁判官』有信堂1973

 【註43】佐藤全『米国教育課程関係判決例の研究』風間書房1984年、中川律「合衆国の公教育における政府の権限とその限界(11920年代の連邦最高裁判例Meyer判決とPierce判決に関する考察」法学研究論集29 2008年【ネット公開】、「合衆国の公教育における政府権限の限界-ロックナー判決期の親の教育の自由判例/マイヤー判決とピアース判決に関する研究」憲法理論研究会編『憲法学の最先端』敬文堂2009年所収、マーネル.W『信教の自由とアメリカ: 合衆国憲法修正一条,十四条の相剋』新教出版社1987年、米沢広一 「子ども、親、政府-アメリカの憲法理論を素材として-1-」神戸学院法学 152

1984年。

 【註44】同姓婚人権救済弁護団前掲書2015237頁オーバーガフェル判決の翻訳

 【註45】藤倉皓一郎「<論説>アメリカ最高裁判所の判例にみられる「家族」観」同志社法學 32(3/4)1980年【ネット公開】、米沢広一「家族と憲法(二)」法学雑誌(大阪市立大)361

 【註46】船田享二『ローマ法第四巻』岩波書店1971年改版 24

 【註47】高橋正明『ロバーツコートの立憲主義』大林啓吾・溜箭将之編 成文堂 2017年第三章平等-ケネディ裁判官の影響力の増加

 【註48】渡邊昭五『梁塵秘抄にみる中世の黎明』岩田書院 2004142-143

 【註49】小木新造『東京庶民生活史研究』日本放送協会1979年 309頁 市川正一「男女婚嫁ノ年齢ヲ論ス」18816月『東京雑誌』第一号

 【註50】板坂則子『江戸時代恋愛事情』朝日選書2017

 【註51】 国会図書館調査及び立法考査局 佐藤 令 大月晶代 落美都里 澤村典子『基本情報シリーズ② 主要国の法定婚姻適齢』2008年【ネット公開】)

 【註52https://www.unicef.or.jp/about_unicef/about_act04_04.html ジェンダーの平等の達成のために児童婚は有害と主張、児童婚は子供の人権侵害と決めつける異常な思想。

 

2017/12/07

安倍も小池も自由主義の敵対者で憂鬱だ

 

  私は古典的自由主義者のリチャード・エプステインが好きだとか、コーク兄弟が好きだとか言ってきたとおりであり、政府が雇用判断・賃金・労働時間に介入するのに反対であり、20世紀以降で最も良い大統領はいうまでもなくクーリッジという考え方です。
 クーリッジは契約の自由を原則とする1923年の最低賃金制度を違憲としたアドキンス対小児病院連邦最高裁判決(1937年に判例変更)に賛辞を述べているし、私も同じ考えです。
 エプステインがいうとおり労働法や公民権法タイトル7などを全廃して、コモンローの契約法や不法行為法だけでよろしいというのにも賛成します。
  ところが我が国は自分が考えてる方向と全く逆の方向なので、毎日が憂鬱である。安倍が3%賃上げなら税制で優遇する政策を出すとという。自由市場論者なら絶対やりたくない政策だ。労働時間規制といい、とにかく安倍は、賃金、労働時間、雇用判断に介入する政策が好きで辟易する。幸福実現党の政権放送が言っていたように安倍は国家社会主義者だな。
 1990年代はまだ全ホワイトカラー裁量労働制とか、成果主義が強調されてまだまともだったが、いつのまにか働き方改革は労働組合寄り政策になった。。
 小池も残業ゼロ政策とかも受動喫煙とか国の政策を先取りしてやる政策が多いだけでなく、安倍と同じむじなか、都民ファーストは連合の支援もうけ新奇な政策を好むので危険な存在にみえる。
 今度の東京都のオリンピック憲章条例化は危険な政策に思え、本腰をいれて反対しないとだめだと思った。LBGT基本法の先取りかもっと踏み込んだものになると大変だ。東京がレインボーカラーの都市になったら逃げたくなってきた。
 オリンピックはたんに競技をやって国際交流するだけなら黒字にならなくても実害はないが、喫煙規制とかLBGTとか便乗して権利拡大されるのがいや。

 単に公共サービスの差別禁止ならさして問題はないとしても、民間の契約や雇用判断まで自治体が干渉してくると、近代市民社会の基本原則である契約自由や私的自治の否定になって怖い。
  大家さんが女を連れ込だりりペットを飼ったら、もう契約しませんよというのは勝手、人種や性的嗜好による差別とかいって、大家が嫌いな人とも契約しなきゃいけないようになったらそれはもう自由社会ではない。
ダイバーシティとかやりたい企業が勝手にやって宣伝するのはかまわないが、あらゆる企業におしつける必要はない。
 別に私は外国人を嫌ってはいませんよ。どんな人とでも衡平に接します。朝青龍の休場処分も重すぎるとしてモンゴルとの友好を優先すべきとこのブログにも欠いている。。
ただマイノリティは横の連帯、互助もあり、ほおっておいてもたくましく生きていくのだから、必要以上かまう必要はないというのが私の考え。
 マイノリティの権利拡充より近代市民社会の根幹である、契約自由、私的自治、自己責任の大原則は復権が望ましい。真のブルジョア革命、レッセフェールというのが私の考えです。

2017/11/30

この調子じゃ、羽生-藤井聡のタイトル戦もなさそう

 もう藤井四段を応援するのはやめて、豊島八段に乗り換えたい。同期生の大橋貴洸四段に先手なのに負けたんじゃ、相手もかなり強いとはいえ、序列下位の棋士に負けたのはまずいのでは、ベテランやロートル相手には安心してみていられるが、20代相手ではしばしば負けるのでがっかり。羽生棋聖が檜舞台でまってるぜとか言っていたが、これで棋聖戦は来年は無理、そのうち羽生も無冠になるだろうし、30年以上年齢差があるということは、中原永世名人よりも年の差があるということであり、中原-羽生のタイトル戦がなかったように、羽生-藤井聡のタイトル戦もないのみてよいでは。
 

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