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2018/06/17

東京都「人権尊重条例」に反対する下書き(2)同性愛を道徳的に承認しない市民を攻撃し、市民的自由を奪おうとする悪法

承前

(3)同性愛行為が自然法に反するというのは西洋文明規範なので否定することはできない

 

ユダヤ・キリスト教2500年の伝統にやいて次の夫婦が一体となるという思想もかなり重要であるが、これは同時に反自然的な性行為を悪とする根拠にもなっていた。

 

創世記2.23-24

 

これこそついに私の骨と骨、

わたしの肉と肉

彼女は女とよばれることになろう。

彼女は男より取られたのだから。

それゆえ男は彼の父母を離れて、彼の妻に結びつき、彼らはひとつの肉となるのである。

 

 

西洋文明の夫婦斉体思想の根拠は創世記だった。

それだけでなくユダヤ教のラビは、のこれらの数行を性的ふるまいの基準とした。「彼の父母を離れて」は近親相姦の禁止、たぶん父の後妻を娶ることの禁止の根拠に。

ラビ・アキバ(紀元後135年頃)「彼の妻に結びつき」の解釈として、それは隣人の妻でも男でも、動物でもないとして、姦淫、同性愛、獣姦禁止に決着をつけた。

ラビ・イシ(145年頃)は「彼らはひとつの肉となる」という婉曲な表現から、受胎を抑制する不自然な性行為や体位の禁止の根拠とした。[ぺイゲルス1988 55頁]。

 

 さらに私が反同性愛は西洋文明規範の核心と確信をもったのが、Bowers v. Hardwick (1986)のバーガー主席判事の補足意見に感銘したことである。 ジョージア州異常性行為処罰法(通称ソドミー処罰法)は1816年にコモン・ローの自然に反する罪という用語で制定され、1933年、1968年に自然に反する方法による性交等の文言が漠然性により無効との批判をかわすため具体的文言に修正され、一方の性器と他の人間の口または肛門とによる性行為を行なうか、合意した者を1年~20年の懲役刑と規定する。ただし州裁判所の解釈では、クリニングスについては異性愛者もレズビアンにも適用されないとされていた。全米では、1986年当時同様のソドミー処罰法が25州で存在していた。

 事案は大略して次のとおりである。アトランタ在住のハードウィックは別の容疑でベッドルームに侵入してきた警官に同性愛行為を発見され、ソドミー処罰法違反として逮捕された。州地方検事は、証拠不十分だとして不起訴処分としたが、同人が常習であったことから、将来逮捕の危険性を恐れ、同州法の違憲確認を求めて、訴えを提起した。1985年の第11巡回区連邦控訴裁判所判決は、私的な場所で成人が合意とてなされる同性愛行為は、憲法に明文の条文はないが、憲法修正9条と修正14条のデュープロセス条項に根拠をもつプライバシー権によって保障されていると判示した。

 連邦最高裁は54の僅差で控訴審の違憲判決を破棄した。ホワイト判事による法廷意見は、含羞国憲法は男色行為を基本的人権として承認していない。過去のプライバシー権判例で承認された権利は、家族関係・結婚・生殖に関するものが中心で、本件と類似性がない。被上告人の主張を承認することは我々が最もやりたくにいことである。男色行為が、アメリカの伝統と歴史に深く根ざしたものである、秩序ある自由の概念に黙示的に包含されるという被上告人の主張は『笑止千万お笑い草』であると述べた。

 ホワイト法廷意見には同性愛者に対する軽蔑を看取できるが、判決の日の夜、全米各地で虹旗を掲げる自然発生的なデモが起こったのである。

 バーガー主席判事と、パウエル判事の単独の補足意見がある。ブラックマン判事が反対意見を記し、ブレナン、マーシャル、スティーブンス各判事が同意し、スティーブンス判事は単独でも反対意見を記した。

 この判決は17年後のLawrence v. Texas539 U.S. 558 (2003))で判例変更されているが、裏話があり実は多数意見に賛同しているパウエル判事は、当初ブラックマンの陣営に与し違憲判決となるところだったが、決定票を握っていたパウエル判事が後悔し、主席判事に投票のやり直しを要請し、ひっくり返ったのである。

 私は、妥当な判決であり、国家・社会の擬集力となる道徳・倫理を重んじた共和主義的憲法理論として評価する。ホワイト法廷意見の論旨に問題はなく、判例変更した2003年の判決にかなり問題があると考えている。

 しかし、感銘を受けたのは、ユダヤ・キリスト教の伝統を継承する西欧文明諸国家の歴史においては、一貫して、男性同性愛行為は自然に反する忌まわしい醜悪行為と看倣され、宗教的、道徳的、法的規制の対象とされてきたのであって、同性愛行為を憲法上の人権として承認することは、西欧文明の至福千年の道徳的教訓を破棄するに等しいと断じた、バーガー主席判事の補足意見である。

 バーガー主席判事は、ニクソン任命の共和党員であり、ウォーレンコートの左傾化を正す期待から起用されたものの、ロー対ウエード判決の多数意見に与したため保守派からは期待外れと評される。しかし、私は同判事の「秩序を重んじたうえでの自由」という理念は賛同するものであり、特にアーミッシュやエホバの証人といった宗教上の少数派の思想の自由を擁護した判決を高く評価してよく、良心的な穏健保守派の裁判官といってよい。

 歴史と伝統を重視した見解は、国教樹立禁止条項が争点となった、クリスマスのキリスト生誕シーンの人形への公金支出、議会の牧師による祈祷を合憲としたて判決にもみられるが、この補足意見も同様であるが、もっとも強い印象をもつ。

 

バーガー主席判事(連邦最高裁長官)の凄みのある補足意見

「男性同性愛行為に関する個人の決定は西欧文明の歴史を通じて常に国家の規制に服してきた。その種の行為に対する非難はユダヤ・キリストの道徳的・倫理的規範に強固に根ざしている。男性同性愛行為は、ローマ法においても死刑に相当する犯罪だった。‥‥イギリス法でも、教会法の管轄権が国王裁判所の管轄権に移された宗教改革の時代に、男性同性愛行為をを刑法上の犯罪と定めた。最初のイギリス制定法(1533)が議会で制定されている。W・ブラックストンによれば、この男性同性愛行為という自然に反する破廉恥な行為"the infamous crime against nature"強姦よりも重大な悪行"deeper malignity"であって、その行為に言及することですら人間の本性に羞恥となるような極悪な行為"the very mention of which is a disgrace to human nature,"最も卑劣な犯罪"a crime not fit to be named."である。と述べられている。[ W. Blackstone4, Commentaries *215. The common law of England(179569)]イギリスのコモン・ローは、この男性同性愛行為

処罰を含めて、ジョージア州その他のアメリカの植民地の法として継受され‥‥‥そのような歴史的意味有する男性同性愛行為を、連邦最高裁判所が、ここで、合衆国憲法上の基本的権として保障されるのだと判示することは、至福千年の道徳的教訓aside millennia of moral teachingを棄て去ることになるだろう。‥」[松平光央1987]

 

(続く)

 

 

CHIEF JUSTICE BURGER, concurring.

 

I join the Court's opinion, but I write separately to underscore my view that in constitutional terms there is no such thing as a fundamental right to commit homosexual sodomy.

 

As the Court notes, ante, at 192, the proscriptions against sodomy have very "ancient roots." Decisions of individuals relating to homosexual conduct have been subject to state intervention throughout the history of Western civilization. Condemnation of those practices is firmly rooted in Judeao-Christian moral and ethical standards. Homosexual sodomy was a capital crime under Roman law. See Code Theod. 9.7.6; Code Just. 9.9.31. See also D. Bailey, Homosexuality [478 U.S. 186, 197] and the Western Christian Tradition 70-81 (1975). During the English Reformation when powers of the ecclesiastical courts were transferred to the King's Courts, the first English statute criminalizing sodomy was passed. 25 Hen. VIII, ch. 6. Blackstone described "the infamous crime against nature" as an offense of "deeper malignity" than rape, a heinous act "the very mention of which is a disgrace to human nature," and "a crime not fit to be named." 4 W. Blackstone, Commentaries *215. The common law of England, including its prohibition of sodomy, became the received law of Georgia and the other Colonies. In 1816 the Georgia Legislature passed the statute at issue here, and that statute has been continuously in force in one form or another since that time. To hold that the act of homosexual sodomy is somehow protected as a fundamental right would be to cast aside millennia of moral teaching.

 

This is essentially not a question of personal "preferences" but rather of the legislative authority of the State. I find nothing in the Constitution depriving a State of the power to enact the statute challenged here.

 

引用

 

イレイン・ペイゲルス.

1993『アダムとエバと蛇―「楽園神話」解釈の変遷』絹川・出村訳 ヨルダン社.

 

松平光央

1987「西欧文明,同性愛,バーガー・コート--アメリカ連邦最高裁判所の同性愛処罰法合憲判決を中心に」法律論叢(明大)

」60巻23

2018/06/10

東京都「人権尊重条例」に反対する下書き(1)同性愛を道徳的に承認しない市民を攻撃し、市民的自由を奪おうとする悪法

1. 「人権」よりも近代市民的自由が重要、特に、「人権」尊重政策として私人間の契約(雇用判断や住宅の賃貸等)の自由を規制、制約していこうとする指向の政策に強く反対する。

 (1) LBGTの人権という思想の過ち
 東京都は人権という概念をむやみに拡大しすぎる。東京都が非常にずるいのは人権それ自体が不確定概念、人格権をいっているのか人格的尊厳をいっているのか、厳密な定義もなく用い、たんに雰囲気でなんでも人権に祭り上げ、けっして憲法上の権利とはいわないところだ。憲法上の権利といってしまうと、私人間効力が否定されるので、都民や事業者に差別を禁止したり責務を課すことしが困難になるためと思われる。
 問題は、LBGTの人権尊重という思想のうちに、同性愛を道徳的に承認しない西洋文明の伝統的な規範意識をもつ人や、反同性愛の根拠となっている聖書思想やギリシャ哲学、保守的なクリスチャン等への敵意が看取でき、そうした人々、伝統的には正統的な立場にあるまともな人々の意識を変革しようという思想統制、全体主義の側面があるだけでなく、雇用判断(採用、昇進、解雇等)やその他契約の自由(大家さんが自由に賃貸人と契約する権利)をに干渉し、近代自由主義経済の原則である契約の自由の侵害を正当化させ、人権尊重の名のもとで近代的市民自由が規制、制約されていくことである。
 声を大にしていいたいのは、市民には、同性愛を道徳的に不承認とする価値観、信念をもつ自由があり、そのために市民的自由(契約の自由)が制約されるべきではない。小池都知事や都議会に、都民に道徳的選好を強要する権利などないということだ。
 文明規範の危機として憂う事態である。
 小池都知事や都民ファーストはLBGT運動が時流とみてたぶんロビー攻勢もあり、票になると踏んでやりたいのだろうが、競技スポーツで同性愛者を差別しないとことをオリンピックの政策とするのは運営者の勝手であるが、そのために一般社会も巻き込んでいくのはやり過ぎである。こんなことなら、オリンピックは招致しないほうがよかった。
 近年、残業時間規制や女性活躍のためのポジティブアクションなどもそうだが、雇用契約という本来自由主義では政府が干渉してはならない領域に干渉する準社会主義政策がはやっているが、近代市民的自由、自由企業体制の危機と訴えたい。
 票になることが正しい政治なのではない。一般に、真性に近い男性同性愛者は、人口の5~10%、女性は3~5%、バイセクシャルはその倍とされているので、選挙を左右するほどの勢力を有し、LBGT運動は近年急速に発言権を強くしているが、人権尊重と称して同性愛を道徳的に承認しない伝統規範を信奉する人々が攻撃されたり、多数者である異性愛者が肩身の狭い思いをさせられり、市民的自由を制約されるいわれはなく、ノイジーマイノリティに踊らされる政治ほど不愉快なものはない。
もとより、私は1980年代に広まったエイズ保菌者はすべて同性愛者であるというような誤解に与することはしないし、軽蔑するようなことはしない、むしろ有能な人物が多いことも知っている。合意のもとでの同性愛行為それ自体実害のないものであり、敵意もない。むしろその噂で歌手が紅白出場を降ろされたりするのは気の毒とさえ思った
 しかし東京都のような地方自治体であれ中央政府であれ、国民に特定の道徳的選好を強いることは全体主義であり許されない。同性愛が不道徳であるとい人々の信念を変えさせられたり、少数者によって多数者の価値観を覆させられるいわれはない。絶対反対である。

(2)欧米と比較して同性愛タブーの乏しい我が国で深刻な問題はない
 西洋文明圏では、ソドミー、男性同性愛行為は神の定め給う自然法の掟に反し、「自然に反する罪」「自然に反する性行為の罪」とされ、キリスト教徒にとっては異端であり、あるいは社会の存続にとって危険な行為とされてきた。
 欧米諸外国ではソドミー(男色行為)は刑罰の対象とされてきたが、見直しが行われるようになったのは、1954年英国のウォルフェンデン卿委員会の勧告がきっかけである。これは売春も含めて被害者なき犯罪の非犯罪化の提唱であった。道徳に対する罪と法律上の罪を区別するという基本哲学であるが、道徳の罪の非犯罪化は社会的・道徳的紐帯を崩壊させるという反対論も有力で 白熱した学術的論争がなされた。しかし英国では1967年に同性愛行為を合法化 (但しスコットランドは1980年)し、その後1980年代までに西欧諸国のの大多数が同性愛行為を合法化している(勿論バチカンは反対)。
 米国においてもアメリカ法曹協会が合意による男色行為は実害のない犯罪として、諸州の異常性行為(ソドミー)処罰法の廃止が提言されたが、連邦最高裁は Bowers v. Hardwick (1986)で5対4の僅差で、肛門性交(アナルセックス)、口腔性交(フェラチオ)といった異常性行為(適用の対象は男色行為)を処罰する州法を合憲として、男色行為はいわゆるプライバシー権によって憲法上保護されないことを明らかし、西欧の非犯罪化の趨勢とは一線を画した。米国は欧州ほど世俗化されておらず、社会の道徳的紐帯を重視する共和主義憲法理論を示した名判決である。
 ところが、連邦最高裁はLawrence v. Texas、539 U.S. 558 (2003))で先例を覆し、私的な空間での合意による性行為はそれが男色行為でれ、憲法の実体的デュープロセスによって保護されるという6対3の判決で、男色行為処罰州法を違憲としたので、全米で同性愛行為の非犯罪化がなされた。
 一方、我が国では、西洋と違って同性愛を自然に反する性行為として処罰するという法文化に乏しく、院政期より近世初期まで「待童」「小姓」「念友」といった男色行為の盛行がみられる。とくに室町から戦国時代が男色の極盛期とされる。左大臣藤原長が『台記』で同時精液発射は至高との快楽と記したように罪悪感は微塵もみられない。徳川時代に衆道禁止令、明治期に「鶏姦スル者ハ懲役九十日」等の処罰法の存在が指摘されているが、大筋において我が国には欧米諸国なら普通だったソドミー処罰法は存在していなかったといってよいだろう。米国では21世紀に入っても男色行為処罰法が生きていたという状況とは全然違うのであり、我が国は性的快楽追求を否定せず、オーラルセックス(フェラチオ、クリニン具すにも、アナルセックスにもそれが同性であっても罪悪感に乏しく寛容な文化といえるのである。
 要するに、アメリカ合衆国は2003年まで、同性愛行為を行う権利を憲法上の基本的人権と承認していなかったが、我が国はそうではない、同性愛行為を行う権利を認めていた。だからことさら同性愛者の人権を法制化する理由はないのである。
同性愛者に雇用、社会生活上の便宜供与や優先処遇を与えるとなれば、一般市民の私法上の権利、契約の自由といったものとバッティングすることになり、契約の自由を制限してまで同性愛者を厚遇しなければならない根拠というものも乏しいのである。
 実際、我が国は、西洋と違って同性愛タブーに乏しく格別同性愛者に憎悪や敵意をかきたてる文化的背景がないのが特徴といえる。実例ちとては、「おねえ系」タレントが人気がありメディアで活躍しているをあげてよいと思う。例えばカルセール麻紀、美川憲一、池畑慎之介、おすぎとピーコ、KABA.ちゃん、KINYA、 假屋崎省吾、クリス松村、IKKO、はるな愛、マツコ・デラックス。『2011ユーキャン新語・流行語大賞』でトップ10になった楽しんごの「ドドスコスコ‥‥ラブ注入」というギャグは肛門性交を連想させるが、賞を受けるたけでなく大手企業のCMにも起用されるタレントで、我が国では偏見がないことを証明している。
 私は、ウォルフェンデン卿委員会のリベラルな刑事政策に賛成であるゆえ、売春や賭博の非犯罪化も妥当と考えるから、もとより私的空間での合意による性行為の自由という価値判断も妥当と考えるものであるが、我が国には男色行為を処罰するという発想はもともとなかったので、この点で欧米の前世紀の状況のような深刻な問題はない。ことさら同性愛者の人権を強調する必要はないというべきである。
 もっとも、東京都教委は、青年の家利用拒否事件で同性愛団体から訴えられたことがある。府中青年の家利用申込不承認事件・東京地裁平6・3・30判決判タ859号163頁は、平成2年2月、動くゲイとレズビアンの会は、府中市是政にある府中青年の家(東都の条例により設置され、利用にあたっては教育委員会の承認を要する)において勉強会合宿を行った際、他の利用者から嫌がらせを受けたため、青年の家に対し善処を求め、更に5月にも宿泊使用すべく申込みをし、館長及び都教育長担当課長と交渉を重ねたが、教育委員会は最終的に東京都青年の家条例八条一号(「秩序を乱すおそれがある」)、及び二号(「管理上支障がある」)に該当するとして利用不承認処分とした。なお、青年の家は一室に複数の利用者が宿泊する形態であった。
 動くゲイとレズビアンの会は、不承認無処分が憲法21条、26条から導かれる施設利用権を違法に侵害しているその他の主張により損害賠償を請求した。
 判決は、都教育委員会にも職務を行うにつき過失があったものといわざるをえないとして損害賠償を認めた。
 東京都教育庁担当課長は、団体側の弁護士に対して、「まじめな団体だといってるけど本当は何をしている団体か分かりませんよね」「何のために青年の家を利用するか疑わしいですよね」「同性愛者がいっしょにいるというだけで、子供たちは悪い影響を受けますよ」などと発言していたが、初めからこの利用申込み者を軽蔑していたようにも思える。これは過失があったと指弾される心証を与えている。裁判所は教育委員会が、性的行為が行われるという具体的可能性もないのに、誤った予断にもとづいて不承認の判断を行ったとみたようだ。
 この問題は決着がついて、控訴審東京高判平9・9・16判例タイムズ986号206頁は、同性愛者の利用権を不当に制限し、結果的、実質的に不当な差別的取扱いをしたものであり、処分の裁量権の範囲を逸脱したものであって,違法であるなどとしたが,原判決を変更して、弁護士費用を認めず認容額を減縮して、請求の一部を認容した。都教委は上告せず確定判決となっている。判例によって同性愛者の公共施設利用が不当に侵害されることは違法であることは明白であり、東京都も反省していることだから、ことさら同性愛者の人権を強調する必要性はないというべきである。 
 
 (3)同性愛者に「人間の尊厳」は該当しない

 東京都は人格的尊厳という概念を勝手に人権としているようだが、「人間の尊厳」という思想は「人の血を流す者は、人によって自分の血を流される。人は神にかたどって造られているからだ」(創世記9・6)人間の生命の相互不可侵性の宗教的根拠づけに由来する。
 つまり人間の尊厳とは人間(男性)が神の似姿として造られたという神学的フィクションにすぎない。そんなものは虚構だ。その聖句がなければ所詮人間なんていうものは「糞が詰まった革袋」以外の何物でもないというほかない。
 勿論私は、イエスが人間の神的創造の基準だった完全な神の似姿であると言う新約聖書の思想、男性こそ神の似姿であり、女性より優位にあるという思想を否定することは絶対にしない。神の似姿性は、人間が自己の身体、能力を他者に侵害されることなく自由に処分するという自由主義の源泉でもあるから尊重するのである。
 しかし一方で、人間は原罪によって倫理性は致命的に腐敗しているというのも西洋文明1500年の正統的な思想であるから、「人間の尊厳」とか東京都が勝手に「人権」と称している思想それ自体懐疑的である。人間性やヒューマニズムを全く信用しないというのが正しい思想と考える。米国のバイブルベルトの保守的クリスチャンが「世俗的ヒューマニズム」を悪としていることに私は共鳴するものである。
  一方、人格とは理性的本姓をもつ個体のことで、人間を理性的動物 とするギリシア思想に由来するとする見方もあるが、古典古代の異教思想はキリスト教的に克服されなければならないというのが西洋文明の正統的な脈絡である。人格権概念のもとは聖書思想に由来するとみてよいのである。
 私が、同性愛を道徳的に承認しない理由の第一は、西洋文明2500年の伝統である。
 レビ記20章13節「女と寝るように男と寝るのは、ふたりとも憎むべきことをしたので、必ず殺されなければならない。その血は彼らに帰することになるであろう」同性愛を明確に悪とする根拠である。
 聖書思想は人格権の根拠でもあるが、男色行為を憎むべきことと教えているので、同性愛者に人間尊厳を認めることは神学的に論理矛盾でありえないことである。
(続く)
引用・参考 
W.パネンベルク
1990 佐々木勝彦訳『信仰と現実』日本基督教団出版局
東野治之
1979「日記にみる藤原頼長の男色関係―王朝貴族のウィタセクスアリス」ヒストリア84号
松平光央
1987「西欧文明,同性愛,バーガー・コート--アメリカ連邦最高裁判所の同性愛処罰法合憲判決を中心に」法律論叢(明大)
」60巻2・3号

2018/06/03

私鉄総連春闘ワッペン闘争の法的評価(下書きその3)

承前
3.最高裁は抽象的危険説を採用した
〔具体的な業務阻害がなくても企業秩序維持のために禁止できる〕



 日テレ報道番組コメンテーターとしても活躍された河上和雄氏(故人)による国労札幌地本ビラ貼り事件・最三小判昭54・10・30判批[河上和雄1980]は、「本判決が、具体的企業の能率阻害を判示せず、抽象的な企業秩序の侵害のおそれのみをもって、施設管理権の発動を認めている点は‥‥目黒電報電話局事件に関する最高裁判決(昭和五二・一二・一三)の延長線上にある判示として、あらためていわゆる抽象的危険説を確立したもの」と評されているが重要な論点である。
 目黒電報電話局事件・最三小法判昭52・12・13で決着をみるまで、企業施設内の政治活動に関して具体的危険説をとるものと抽象的危険説をとるものに下級審判例が分かれていた。
 
(1)具体的危険説
 具体的危険説とは「現実かつ具体的に経営秩序が紊され経営活動に支障を生じる行為」でなければ禁止できないというもの。
 ナショナル金銭登録機事件東京高判昭44・3・3労民集20-2-227、東洋ガラス事件横浜地川崎支決昭43・2・27労民集19-1-161、日本パルプ工業事件鳥取地米子支判昭50・4・22判時796-98、明治乳業事件福岡地判昭51・12・7判時855-110がそうした判例である[高木紘一1978]。
 例えば日本パルプ工業事件鳥取地裁米子支部判昭50・4・22は「ただ抽象的にそのような危険性があることのみを理由として企業内における政治活動の自由(表現の自由)を無条件、一般的に禁止することは、私的自治の許容限界を超越するものであり、民法九〇条の公序良俗に違反して無効であると解さざるをえず、私的自治の名のもとに右政治活動が禁止される範囲は、現実かつ具体的に会社業務が阻害される場合に限られるといわなければならない」と判示する。 
 具体的危険説が、事業所・職場という場所を公共に開かれた表現活動が可能なパブリックフォーラムのように解するのは適切でない。企業施設内に従業員が出入りが許されているのは、労務提供のためであり、表現する場所としての権利性はないというべきである。来客にしても事業所に用事があるため一時的に施設内の滞留が許されているにすぎない。具体的危険説は異様に政治活動をしたい労働者に有利な判断といえる。
 
(2)抽象的危険説


 これに対して、抽象的危険説とは作業能率の低下等の「おそれ」、すなわち、経営秩序の侵害に対する抽象的な危険が存すれば禁止しうるとするもので、この立場に立脚する判例として間谷製作所事件東京地決昭42・7・28労民集18-4-846、ナショナル金銭登録機事件東京地判昭42・10・25労民集18巻5号、横浜ゴム事件東京高判昭48・9・27判時733号104頁。目黒電報電話局事件・最三小法判昭52・12・13民集31-7-974である[高木紘一1978]。
 横浜ゴム事件東京高判昭48・9・27は「「企業と雇傭契約を締結した者(従業員)は職場の規律を守り、誠実に労務を提供すべき契約上の義務を負うものであり、企業の施設又は構内において労務の提供と無関係な政治活動を自由に行い得るものとすれば、もともと高度の社会的利害の対立、イデオロギーの反目を内包する政治活動の性質上、従業員の間に軋轢を生じせしめ、職場の規律を乱し、作業能率を低下させ、労務の提供に支障をきたす結果を招くおそれが多分にあるから、使用者が企業の施設又は構内に限ってこれらの場所における従業員の政治活動を禁止することには合理的な理由があるというべきであり、これをもって従業員の思想や信条の自由を侵し、又は思想、信条を理由として差別的取扱いをいい得ないことは勿論、言論その他の表現の自由に対する不当な制限ということもできないと解される。‥‥」と判示しており、これが目黒電報電話局事件・最三小法判昭52・12・13の基礎となった下級審判例と評価できる。
 目黒電報電話局最高第三小法廷判決は次のように判示した。
 「一般私企業においては、元来、職場は業務遂行のための場であつて政治活動その他従業員の私的活動のための場所ではないから、従業員は職場内において当然には政治活動をする権利を有するというわけのものでないばかりでなく、職場内における従業員の政治活動は、従業員相互間の政治的対立ないし抗争を生じさせるおそれがあり、また、それが使用者の管理する企業施設を利用して行われるものである以上その管理を妨げるおそれがあり、しかも、それを就業時間中に行う従業員がある場合にはその労務提供業務に違反するにとどまらず他の従業員の業務遂行をも妨げるおそれがあり、また、就業時間外であつても休憩時間中に行われる場合には他の従業員の休憩時間の自由利用を妨げ、ひいてはその後における作業能率を低下させるおそれのあることがあるなど、企業秩序の維持に支障をきたすおそれが強いものといわなければならない。したがつて、一般私企業の使用者が、企業秩序維持の見地から、就業規則により職場内における政治活動を禁止することは、合理的な定めとして許されるべきであり‥‥‥‥局所内において演説、集会、貼紙、掲示、ビラ配布等を行うことは、休憩時間中であつても、局所内の施設の管理を妨げるおそれがあり、更に、他の職員の休憩時間の自由利用を妨げ、ひいてはその後の作業能率を低下させるおそれがあつて、その内容いかんによつては企業の運営に支障をきたし企業秩序を乱すおそれがあるのであるから、これを局所管理者の許可にかからせることは、前記のような観点に照らし、合理的な制約ということができる。」と判示し抽象的危険説をとったものと評価されているが、表現者自身の職務専念義務違反というだけでなく、他の職員の職務専念義務履行妨害となるおそれがあることは企業秩序を乱すこととなると判示した点で新味といえる。
(3)政治活動も組合活動も同列に抽象的危険説を採用


 上記はいずれも政治活動に関する判例だが、国労札幌地本ビラ貼り事件・最三小判昭54・10・30は企業施設内の組合活動についても、目黒電報電話局事件・最三小法判昭52・12・13と同様の抽象的危険説を支持する判断をとったものといえる。
 したがって、政治活動と組合活動は表現活動であるとしても性質の異なる問題であるが、企業秩序論の観点では同列に論じてよいと考える。
 国労札幌地本事件でビラが貼られたロッカーとは国鉄札幌駅の小荷物、出札、駅務、改札、旅客などの各係事務室内、同駅輸送本部操連詰所および点呼場に、札幌運転区検修詰所に備え付けのロッカーであるが、ビラは貼付されている限り視覚を通じ常時職員等に対しいわゆる春闘に際しての組合活動に関する訴えかけを行う効果を及ぼすものである、最高裁判決はそれは直接かつ具象的に業務を阻害するものではないが、禁止できるとした。
 国鉄は鉄道事業等の事業を経営し能率的な運営によりこれを発展させ、もつて公共の福祉を増進するとの目的にかなうように、職場環境を適正良好に保持し規律のある業務の運営態勢を確保するという抽象的な理由でビラ貼付を禁止できると判示したのである。
 すなわち国労札幌地本ビラ貼り事件・控訴審判決札幌高裁昭49・8・28は「控訴人らが右ロッカーに本件ビラを貼付したことにより被控訴人の業務が直接阻害されあるいは施設の維持管理上特別に差し支えが生じたとは認めがたい等の諸般の事情を考え合わすと‥‥本件ビラ貼付行為は、正当な組合活動として許容されるべき」と判示し、具体的危険説をとってといるがこの判断は上告審判決で覆されたのである。
 上告審判決最三小判昭54・10・30民集33巻6号647頁は、「貼付されたビラは当該部屋を使用する職員等の目に直ちに触れる状態にあり、かつ、これらのビラは貼付されている限り視覚を通じ常時右職員等に対しいわゆる春闘に際しての組合活動に関する訴えかけを行う効果を及ぼすものとみられるのであつて、このような点を考慮するときは、上告人が所有・管理しその事業の用に供している物的施設の一部を構成している本件ロツカーに本件ビラの貼付を許さないこととしても、それは、鉄道事業等の事業を経営し能率的な運営によりこれを発展させ、もつて公共の福祉を増進するとの上告人の目的にかなうように、職場環境を適正良好に保持し規律のある業務の運営態勢を確保する、という上告人の企業秩序維持の観点からみてやむを得ないところであると考えられ、貼付を許さないことを目してその物的施設についての上告人の権利の濫用であるとすることはできない。‥‥‥剥離後に痕跡が残らないように紙粘着テープを使用して貼付され、貼付されたロツカーの所在する部屋は旅客その他の一般の公衆が出入りしない場所であり、被上告人らの本件ビラ貼付により上告人の本来の業務自体が直接かつ具象的に阻害されるものでなかつた等の事情のあることは‥‥‥うかがい得ないわけではないがこれらの事情は、いまだもつて上記の判断を左右するものとは解されないところである。従って被告人のらのビラ貼付行為は‥‥‥上告人の企業秩序を乱すものとして、正当な組合活動であるとすることはできず」上司が「中止等を命じたことを不法不当なものとすることはできない」と判示した。
(4)抽象的危険説は確実に維持されている


 抽象的危険説はその後の国労札幌地本判決を引用した判例で確実に維持されている。いずれも集会等無許可施設利用に関する事案だか゜゛、以下のような判例を挙げることができる。
イ..日本チバガイギー事件 最一小判平1・1・19労判533号7頁が容認した原判決である東京地判昭60・4・25労働判例452号27頁  http://web.churoi.go.jp/han/h00308.html
 組合の食堂利用の集会及び屋外集会の申し出の拒否を不当労働行為とした中労委の判断を否定したもので「‥‥本件食堂の使用や屋外集会を参加人の希望どおり許可したことによる現実の業務上の支障は必ずしも大きくなかったものと推認されなくもないが、他方工場部門とは別に本部の従業員の就業時間は午後五時四五分までであってその間に集会が行われるとすれば就業中の従業員が集会に気をとられ、職務に専念することができないなどの事態も予想しえないだけでなく‥‥そして参加人が集会の開催を午後五時に固執した理由は専ら組合員の帰宅時間の遅れを防ぐといった自らの結束力の弱さからくる事由であり、これに固執する合理性に乏しいこと‥‥、原告が参加人からの午後五時からの本件食堂の使用申出あるいは屋外集会を許可しなかったことについて、原告の権利濫用と認められるような特段の事情があったとはいえ‥‥ない」と判示。
 「就業中の従業員が集会に気をとられ、職務に専念することができないなどの事態も予想しえないだけでなく‥‥」というたんに抽象的なおそれがあるという理由で不許可が正当化されている。
ロ..済生会中央病院事件 最二小判平1・12・11 民集43-12-1796http://web.churoi.go.jp/han/h00554.html
 勤務時間内であるが事実上の休憩時間、業務に支障のない態事実上の休憩時間業務に支障のない態様様でなされた無許可組合集会に対する警告書交付は不当労働行為当たるとした、原判決を破棄自判。原判決の控訴審が是認している東京地判昭61・1・29労判467号18頁は「その開催された時間帯も事実上休憩時間と目される時間帯であり、業務や急患に対応しうるように配慮された方法で行われ、現実に業務に支障が生じていないこと、‥‥これら事情は、本件集会が就業時間後に開催しなかったのが外来看護婦の中に保育の必要性がいた者がいたにすぎないものであったとしても、‥‥特段の事由に該当するものというべきであり、本件職場集会をもって違法ということはできない。」と判示した。
対して最高裁判決は「一般に、労働者は、労働契約の本旨に従って、その労務を提供するためにその労働時間を用い、その労務にのみ従事しなければならない。したがって、労働組合又はその組合員が労働時間中にした組合活動は、原則として、正当なものということはできない。‥‥、本件職場集会(一)、(二)は、労働時間中に、病院の管理する物的施設(元空腹時血糖室、テニス・コート)を利用して開かれたものである。‥‥、労働時間中に職場集会を開く必要性を重視して、それが許されるとすることができないことも‥‥当然である。‥‥結局、病院が本件職場集会(一)、(二)に対して本件警告書を交付したとしても、それは、ひっきょう支部組合又はその組合員の労働契約上の義務に反し、企業秩序を乱す行為の是正を求めるものにすぎない‥‥」と判示しているが、業務を阻害しない態様であることは組合活動は勤務時間内の組合活動を正当化することできないことを明確にした判例ともいえる。
ハ. オリエンタルモーター事件 最二小判平7・9・8判時1546-130http://web.churoi.go.jp/han/h00640.html
組合に対する食堂利用拒否が不当労働行為とした原判決を破棄自判。「本件で問題となっている施設が食堂であって、組合がそれを使用することによる上告人の業務上の支障が一般的には大きいといえないこと。組合事務所を認められていないことから食堂の使用を認められないと企業内での組合活動が困難となること。上告人が労働委員会の勧告を拒否したことの事情を考慮してもなお、条件が折り合わないまま、上告人が組合又はその組合員に食堂の使用を許諾しない状況が続いていることをもって、上告人の権利の濫用であると認められるべき特段の事情があるとはいえず、組合の食堂利用拒否が上告人の食堂使用拒否が不当労働行為に当たるということはできない。」と判示し、やはり業務上の支障が一般的には大きいといえないことが組合活動を正当化する理由にはならないことを明らかにしている・
 業務に具たて意的な支障がないことは、特別の事情として組合活動を正当化する根拠にはならないことは、済生会中央病院事件判決で、オリエンタルモーター事件判決で重ねて示されているのであって。札幌地本判決の判例法理は変質することなく安定的に維持されていると理解してよい。
 必ずしも業務上の支障があったとはいえないということは企業施設内の無許可組合活動を正当化することにはならないという判断は一貫しているのである。
引用
河上和雄
1980企業の施設管理権と組合活動」「法律のひろば33巻1号
高木紘一
1978ジュリスト臨時増刊666号202頁 政治活動の禁止と反戦プレートの着用――目黒電報電話局事件

2018/05/20

麻生太郎財相がセクハラ認定を渋ったとの報道とについての感想

 麻生太郎財務大臣は、福田事務次官とテレビ朝日記者のケースについて、セクハラ罪はないと言ったこと、セクハラ認定を渋ったとか、「被害者」への謝罪がない配慮のない発言だとしてさかんに叩かれているが、セクハラ認定に慎重な姿勢をとることは正しいと考える。
 問題の事案について、全体像が不明なので総合的な評価ができないから安易にきめつけられない。
 報道によれば女性記者は以前にパジャマ姿を見せたりしている。性的挑発的な服装をしていたのかもしれないし、「おっぱい揉ませて」発言に至る前にも交際が有り良好な人間関係を築き、性的冗談や性的会話にも不機嫌にならず乗ってくる女性だったので、性的会話を歓迎せざる行為と相手は認識していないと思わす状況があったから、この女性が好みなので機を見てをみて口説いたということかもしれない。そもそも本当に嫌悪していたのかも本人の発言が直接ないからわからないのである。このときだけの口説きならば執拗性も感じない。性的誘いに応じないなら何か不利益をこうむるぞと威嚇されたというわけでもない。
 加えて、政治記者ならばたんに政策に通じ質疑ができるだけでなく、特ダネを得るために、取材対象にくらいつき取入っていく交渉術にたけているのがプロだろうから、一般のOLを比較すれば、大物に物怖じせずメンタル面の強い人がなる職種といえるので、世間でいわれているほど同情はしない。
 もっとも国の枢要な地位にある幹部としては録音をばらされたり脇が甘く、仮にセクハラではないとしても不倫に発展しうる行為であり、特定の政治記者を信用しすぎたのは軽率としてなにがしかの処分は免れないとしてもセクハラ認定は別問題にしてもよかったのではないか。

一.不快な言動はそれだけでセクハラ認定できないのは当然
(一)EEOCのガイドライン
 アメリカ合衆国ではセクハラはもっぱら、性別に基づく雇用上の差別を禁じた1964年タイトル7の性差別の問題なのだが、1980年EEOC(雇用機会均等委員会)のガイドラインを要約すると、歓迎せざる性的言動がセクシャルハラスメントとなる場合を次のように定義している。
(1) その言動に対する服従が個人の雇用の条件とする場合
(2) その言動に対するその言動に対するある個人の服従または拒絶が、その個人の雇用にに関する決定の起訴となる場合する決定の基盤となる場合
(3) その言動が個人の職務遂行を妨げたり、敵対的職場環境をつくり出した場合 (篠田実紀2004)
 敵対的職場環境型セクハラの定義は、
 「‥‥望まれない性的言い寄り、性的行為の要求、その他の性質を有する言葉又は身体的行為は、次の場合セクシャルハラスメントを構成する‥‥かかる行為が個人の職務遂行を不合理に妨げる又は脅迫的、敵対的もしくは侮辱的な職場環境を不合理に創り出す目的と効果を有する場合」(山崎文夫2004『セクシュアル・ハラスメントの法理』184頁)
 
(二)日本の労働省のガイドライン
 労働省の雇用機会均等法21条2項の管理上配慮すべき指針(平成10年労働省告示第20号及び通達女発第168号平成10年6月11日)の環境型セクシャル・ハラスメントの定義は「職場において行われる女性労働者の意に反する性的言動により当該女性労働者の就業環境が不快なものとなったため、能力の発揮に重大な悪影響が生じる等当該女性労働者が就業するうえで看過できない程度の支障が生じること‥‥‥‥」
 通達では指針を解説して「『女性労働者の意に反する性的言動により当該女性労働者の就業環境が不快なものとなったため、能力の発揮に重大な悪影響が生じる等当該女性労働者が就業するうえで看過できない程度の支障が生じること』とは、職場環境が害されることの内容であり、単に性的言動のみでは就業環境が害されたことにはならず、一定の客観的要件が必要である
 私はこのガイドライン自体もセクハラの定義が厳密でなく問題があると思っているが、単に性的言動のみでなく職場環境が害されたた客観的な条件が必要と明確に述べている。
(三)1998オンケール判決のスカリア判事法廷意見-公民権法Title7が職場における全ての言動や肉体的な嫌がらせを禁じてはいないと明言
 米国では1993年連邦最高裁ハリス対フォークリフトシステムズ判決Harris v. Forklift Systems, Inc., 510 U.S. 17 (1993)が敵対的環境型セクハラの判断基準を示した先例になっているが、要するに客観的に敵対的・虐待的職場環境が作出されているが認定され、被害者の雇用条件を変化させ、悪質な職場環境を創出するほど十分にひどく浸透している場合であり、且つ当該被害者によって主観的にいやがらせ行為であればセクハラと認定される。
 1998年のファラハー対シティオブボカラトン判決Faragher v. City of Boca Raton, 524 U.S. 775 (1998)、では「嫌がらせの客観的過酷さ」は、状況とかかる振舞いが行われた社会的文脈の全てを考慮に入れた上で、「合理的な通常人」が従業員の立場に置かれた観点から判断するべきものとされた。つまり合理的通常人テストプラス総合的判断としたのである。「単なるからかい、当てこすり、極度に重大な場合を除く単独の行為は、労働条件の差別的な変更にあたるものではない‥労働条件の変更にあたるほど極端なものでなければならない」と述べている。 
 同年のオンケール対サンダウン・オフショア・サービスィズ社事件Oncale  v. Sundowner Offshore Services,Inc, et al., 523U.S.75(1998)「Title7は、職場における全ての言動や肉体的な嫌がらせを禁じてはいない。それは、『性を理由とする差別』のみを指している。我々は、たとえ職場での異性間のいやがらせであったとしても性的な内容や暗示を含む言葉をつかったという事だけで機械的に性差別だとは決して判示してこなかった。」「Title7は礼儀作法規範でもない」としている。 
 敵対的環境型ハラスメントは、このような趣旨から突発的、1回性、散発的、間延びした行為ではセクハラと認定されないのである。但し、下級審判例で男性器より精液の発射を見せた事例で1回性のものでもセクハラと認定された例、管理職からレイプされた事例は重大だとされたが例外である。女性器を意味するスラング(日本語に訳すと「オマンコ」)をはいたケースではセクハラと認定されていない。
例えば式守伊之助が酔って若手の胸を触って云々というだけでかなり重い処分が下された、1回性のものである限りセクハラとはいえないと思う。
 要するに環境型セクハラとは
○客観的に敵対的・虐待的な職場環境と認定
○雇用状況の深刻な悪化
○当事者が主観的にも歓迎せざるいやがらせと認識
の3要件がそろわなければ公民権法違反にならない。我が国の労働省の基準も矮小化はされているが大筋では同じである
 ところが3条件でなく1条件未満でもセクハラにしてしまうのが人事院規則である。
 
二 セクハラとはいえないものセクハラとし違法性のないものもセクハラと定義する人事院の定義
 我が国のセクハラ概念は、対価型・環境型の区別について米国の定義を輸入しているものの、環境型の被害者の雇用状況を変え、 敵対的労働環境をつくり出すほど十分に深刻または蔓延的であるという定義は直訳されず、米国の判例では当然のように出てくる「敵対的」「虐待的」「濫用的」「威嚇、嘲笑、侮辱」「悪質な職場環境を創出する」「十分にひどく浸透」といった語が欠落しているのである。このためにセクハラ概念が拡大しやすい素地をつくっているといえる。
 人事院規則10-10及び運用について(通知)平成10年11月13日人事院事務総長における環境型セクハラ定義の問題点(東京都もほぼ同じ) セクシャル・ハラスメントを「及び職員が他の職員を不快にさせる職場外の性的言動」と異常に幅広く定義し、「セクシャル・ハラスメントに起因する問題」を「セクシュアル・ハラスメントのため職員の勤務環境が害されること及びセクシュアル・ハラスメントへの対応に起因してその職員が勤務条件につき不利益をうけること」とし、通知によると『職員の勤務環境が害されること』とは「職務に専念できなくなる等のその能率の発揮が損なわれる程度に当該職員の勤務環境が不快になることをいう」(山崎文夫『セクシュアル・ハラスメントの法理』2004 345頁以下)としているが、米国や労働省における環境型セクシャル・ハラスメントの成立要件になっている悪質な職場環境を作り出したという客観的な成立要件を外して、セクハラの概念規定ではなく「起因する問題」にすり替えたことにより、異常に拡散した概念となっていることである。これは本末転倒であり、労働省機会均等法ガイドラインの環境型セクハラ概念には、「敵対的・虐待的」といった言葉を欠いていることを疑問としても、一応、セクハラの概念規定として、「能力の発揮に重大な悪影響が生じ」「就業するうえで看過できない程度の支障」が生じなければそれはセクハラではないとしているし、例えば性的冗談は継続性、繰り返しが要件としているように、アメリカの基準を矮小化しているものの、一応限定的にセクハラ概念を規定しているが、人事院規則やそれに準拠した東京都のセクハラ概念にはそれすらなく、労働省がグレイゾーンとしていたものも含めてなんでもセクハラと言いつのるものとなっている。
  なお、山崎文夫2004『セクシュアル・ハラスメントの法理』348頁によると人事院規則の指針で例示されている、身体的特徴を話すこと、卑猥な性的冗談、性的からかいの対象とする等の行為には人格権侵害の不法行為が成立しない行為が多数含まれていると批判的なコメントを述べている。
 一口でいえば人事院規則はセクハラ概念をはみ出ており、一般には違法とされることのない行為を含み、事実上無害な行為も禁止し、エチケット規範のようになってしまっている。
 一般企業でも従業員とのデートを禁止する規則を制定する場合があるが、セクハラの芽をを摘む趣旨としての自主規制であり、これらの規則は人事院規則も含めてセクハラと認定されるにいたらない行為まで広範に禁止しているというべきである。むろん企業は企業秩序維持のために就業規則を定め実質的違反者を懲戒処分できるが、従業員は企業秩序遵守義務はあっても、一般的な支配に服するものではないから問題はある。
 要するに「他の者を不快にさせる職場における性的な言動」という漠然不明確なき規定はセクハラ認定の一要素ともいえない緩さがある。
 この規定は一般論にされやすい。正確には対象となった個人が主観的に歓迎されない行為と認識していることがセクハラと認定するための一要素である。一要素にすぎないものを十分条件にすることももちろん間違っている。
 3つの必要条件があるのに1つの必要条件かそれ未満でも十分条件にしてしまうのは非論理的なのである。
 マスコミ報道なども、不快な表現だからセクハラだと言いつのっているが、私には私鉄総連の春闘ワッペンはきわめて不快だが、不快でない人もいるように、セクハラはあくまでも当事者の問題であり、加えて、客観的な職場環境等の悪化等の認定が必要でそれだけではセクハラと認定はされないのである。 
 セクハラといっても、それはどの概念規定にもとづくのか、違法性がないものもセクハラとするような人事院の規則なのか、厳密ではないが一応限定的に概念規定をする労働省のものか、私のようにそもそもセクハラは合衆国の公民権タイトル7違反(性差別)の問題からはじまったから、その観点から厳密に概念規定すべきという立場によって、違ってくる性格のものであり、いわんやセクハラとはポリティカル・コレクトネスでもなければ、礼儀作法規範でもないのに、本件に限らずなにか一言言えばセクハラと糾弾するのは間違っているし、マスコミや野党議員から迫るからセクハラと認めるという性格のものではない。
 結局些細なことでもセクハラにしてしまう風潮は、ロマンチックパターナリズム、過剰な女性に対する心理的保護になっていると考え、有能な男性の働き手を貶める結果にもなることは社会にとっても損失であり、そのような見地からみて麻生大臣の一連の発言それ自体は非難するに値しないというのが私の意見です。
 
三、付録【本文と一部重複するが合衆国連邦最高裁主要判例の要点を以下述べます】
 
 ざっくりいえぱ対価型ハラスメントとは性的要求に応えることが雇用継続・昇給・昇進の要件とされること。敵対的環境型ハラスメント脅迫的・敵対的・侮辱的不良環境におかれ被害者の雇用条件を変化させ、悪質な職場環境を創出するほど十分にひどく浸透すること。性的誘い等を受けた側が歓迎せざる行為であることは前提条件である。
 対価型ハラスメントについてはわかりきったことなのでここでは言及しない、問題は敵対的不良環境型セクハラだが、以下アメリカ合衆国で判断基準を示した主要判列の要点を記す
 
(一)Meritor Savings Bank v. Vinson, 477 U.S. 57 (1986),

  連邦最高裁が初めてセクハラについて判決をくだし、敵対的不良環境型セクハラを当該行為 が「『被害者の雇用状況を変え、 敵対的労働環境をつくり出す』 ほど十分に深刻または蔓延的である」 (sufficiently severe or pervasive ‘to alter the conditions of[the victim’s]employment and create an abusive working environment)ことと定義した。
   事案は ヴィンソン女史は19歳の1974年にMeritor Savings銀行の金銭出納係訓練生として雇用され、係長にまで昇進したが1978年11月病欠を過度に使いすぎたために解雇された。上司Taylor氏に初めて誘われたのは彼女が訓練生の時だった。その後数年間にわたり、解雇を恐れるあまり上司Taylor氏と営業時間内外にわたって40~50回の性関係に陥ったという主張である。又、ある証言によればTaylor氏は他の従業員の前で彼女を撫でていた。又Taylor氏はトイレに入っている彼女をレイプしたという。事実審連邦地裁では相反する証言があって(彼女は性的挑発するドレス、音声の証言がある)それは自発的な関係で、銀行における継続的雇用と無関係という判断からセクハラとは認定しなかった。最高裁は二人の関係は 自発的ではなく要求がヴィンソン女史にとって歓迎されるものか否かという点を判断基準とした控訴審の判決を支持した。それが歓迎せざる行為だったのか事実審に差し戻す判決を下した。(平野晋1991、岡本幹輝2002。篠田実紀2004)
 もし連邦地裁の判断を支持していたなら、セクハラという言葉が世界的に広がることはなかったという意味で残念な判決だが、このケースでも40~50回の性行為が自発的な関係で歓迎せざる行為ではなかったなら当事者にとってはセクハラにはならない。
 問題は、 何を敵対的職場環境というか、被害者の精神的損害の査定の判断基準だが、下級審判例では、女性側に不利な基準と有利な基準とが現れたので混乱した状況となった。
 第6巡回区のRabidue v.Osceola Refining Co., 805 F.2d 611, 620 (CA6 1986)の厳格な判定基準で(環境型セクハラが成立する要件として、発言や行為で、他人を困らせたり、不愉快にさせただけでは救済を求めることはできないのであって、被害者は明確な、有形の被害Tangible Harmを被ったことを証明を要件とする。 有形の害とは、経済上の損害や、精神科医や分析医の診断によって認められた精神上の傷害である。神経症に陥るほどの深刻な精神的危害が客観的に立証されない限りセクハラで救済を求めることはできないとした。私はコモンローの不法行為法依拠した保守的な司法判断として優れていたと評価する。(平野晋1991)
 一方、第9巡回区のElison v ,Brady ,924F 2d.872(91hCir.1991)は Rabidue 判決に反対するとした上 で 、“reasonable woman ” 或いは” reasonable victim of the same sex” の基準を適用し、より女性固有の心理に焦点をあてるものであり、フェミニズムに近いこれは女性に有利な判断基準といえる。(篠田実紀2004)
 
(二)Harris v. Forklift Systems, Inc.,510 U.S. 17 (1993) 
 1985年4月から1987年10月までの2年半の間を通して女性マネージャーに対して,他の社員の前で何回か「君は女だ。なにが分かるというんだ。」「男のレンタル・マネージャーがほしい。」と発言し、一度は「ムレムレ尻女」と言うなど、しばしば女性であることを理由として侮辱し、また、他の社員の前で「君の昇給交渉のためにホリデーインに行かないか」、「顧客と週末にセックスすると約束したか」と言ったり,自分のズボンの前ポケットにコインを入れて女性社員にそれを取り出すよう要求したり,女性社員の前に物を投げてそれを拾わせて覗いたり、女性社員の衣服について椰楡するなど,しばしば女性社員を性的あてこすりのターゲットとした使用者(社長)の行為について、会社側勝訴の高裁判決を覆し、公民権法違反の環境型セクシュアル・ハラスメントが成立するとしたものであ
 ハリス判決は第六巡回区連坊高裁のラビデュー対オセオラ判決の判断基準により深刻な心理的傷害の立証がないとしてセクハラと認めなかった連邦高裁の判断を覆し環境型セクハラの判定基準を次のように示した。
『差別的な威嚇、嘲笑、侮辱などが、被害者の雇用条件を変化させ、悪質な職場環境を創出するほど十分にひどく浸透している場合には、Title7違反になる』When the workplace is permeated with discriminatory intimidation, ridicule, and insult that is sufficiently severe or pervasive to alter the conditions of the victim’s employment and create an abusive working environment, Title VII is violated.”
『客観的な敵対的、虐待的職場環境、すなわち合理的人間(道理をわきまえた通常人)ならば敵対的ないし虐待的であると認定できるような環境を作出するほどひどくはなくまた広範でもない行為は、Title7の適用範囲を超えている』“Conduct that is not severe or pervasive enough to create an objectively hostile or abusive work environmentan environment that a reasonable person would find hostile or abusiveis beyond Title VII’s purview.”
また「私たちは、環境が「敵対的である」か「虐待的であるか」が単にすべての事情を見ることによって決定できると言うことができる。これらは差別している行為の頻度を含むかもしれない。厳しさ。それは、物理的に険悪であるか、屈辱的であるか、単なる不快な発声か。そして、それは無分別に従業員の業務遂行を妨げるのであるかどうか。原告が、環境が虐待的であることが実際にわかったかどうか決定すると従業員の心理学的な幸福への効果はもちろん関連している。しかし、いかなる他の関連要素のようにも、精神的傷害は考慮に入れられるかもしれないが、どんなただ一つの要素も必要ではない。」と述べ、、客観的に敵対的、虐待的職場環境と形成していることが環境型セクハラの基準であって、深刻な心理的傷害の立証は不要であると結論した。
 私の見解は精神的傷害という医学的に客観的に判定ができるラビデュー判決の判断基準がコモンローの不法行為法に依拠した判断で安定的で、優れていたと判断するため残念に思う。この判断基準を退けた(コモンローの否定)ことで、ハリス判決は女性に有利な基準といえる。但し、本判決は敵対的職場環境の認定につき「合理的通常人」reasonable personテストを採用し、第9巡回区のより女性に有利な「合理的女性」テストはとらなかった。女性固有の心理理に配慮すべきとする下級審判例も退けられているからフェミニスト法学に迎合したわけではなく、中道的な判断基準と評価してもよい。
(三)Faragher v. Boca Raton, 524 U.S. 775 (1998)

 ハリス判決を踏襲し「嫌がらせの客観的過酷さ」は、状況とかかる振舞いが行われた社会的文脈の全てを考慮に入れた上で、「合理的な通常人」が従業員の立場に置かれた観点から判断するべきものとされた。つまり合理的通常人テストプラス総合的判断としたのである。「単なるからかい、当てこすり、極度に重大な場合を除く単独の行為は、労働条件の差別的な変更にあたるものではない‥労働条件の変更にあたるほど極端なものでなければならない」と述べている。 
(四)Oncale  v. Sundowner Offshore Services,Inc, et al., 523U.S.75(1998 )

 被害者が同性である場合にセクハラが認められるかが争われた容認した事件だが、スカリア法廷意見は次のように環境型セクハラの基準について述べた。
『Title7は、職場における全ての言動や肉体的な嫌がらせを禁じてはいない。それは、『性を理由とする差別』のみを指している。我々は、たとえ職場での異性間のいやがらせであったとしても性的な内容や暗示を含む言葉をつかったという事だけで機械的に性差別だとは決して判示してこなかった。』『我々が‥‥強調したように、この規定は、同性のあるいは異性との日常的なふれあいのなかの真正ではあるが害の無い相違には及ばない。職場での性を理由とするセクハラの禁止は‥‥ただ、被害者の職場環境を変えるのに十分な客観的いやがらせを禁じているだけである』『通常の職場における社交(男同士の馬鹿騒ぎや異性間でのいちゃつきであっても)を『職場の環境』に関する差別であると誤解しないことを保証する』『我々はさらに『全ての状況を考慮して』、原告の立場に置かれた合理的な人間という観点で、セクハラの客観的なひどさを判断すべきだということを強調してきた』『職場における行為の現実的影響は、しばしば、使用された言葉の詳細あるいは行われた肉体的行為の単なる再現によっては十分に把握されることのない周囲の環境、予期、人間関係の配置に依存している。良識や社会的背景に対する適切な感受性によって、裁判官や陪審は、単なるからかいや同性間での馬鹿騒ぎと、合理的な人間が原告の立場に立ったときに過度に敵対的で虐待的であると認識する行為とを見分けることが可能になるのである。』。などとして、単なるからかいや馬鹿騒ぎがセクハラにはあたらない。
 
参考文献
岡本幹輝
2002 「米国判例に見る教育現場での最近のセクハラ・性差別事例」白鴎大学論集,17(1)(ネット公開)
篠田 実紀
2004「アメリカ合衆国における職場のセクシュアル・ハラスメント : 救済から防止への道のり」神戸市外国語大学外国学研究 59 (ネット公開)
中野通明
1992「米国における雇用差別と最近の状況(上)」国際商事法務20巻6号1992
平野晋
1991「セクシャル・ハラスメント法入門」国際商事法務19巻12号
山崎 文夫
2004「セクシュアル・ハラスメントと企業内自主規制」比較法制研究 (27)(ネット公開)
2004『セクシュアル・ハラスメントの法理』労働法令)
ウェプサイト
米国におけるセクハラ問題(如水会ネット)
http://jfn.josuikai.net/ronbun/0011.html
ケネス J. ローズ米国の性的嫌がらせ法の法的遵守
http://rosegroup.us/files/Website--Sex%20Harassment--ILS--v.2%20Japanese%20version%20(00009052).PDF
 

2018/05/13

私鉄総連春闘ワッペン闘争の法的評価(下書きその2)

承前
 (3)国労札幌地本ビラ貼り事件昭和54・10・30民集33-6-647について
 事案は大略して次のとおりである。国労は昭和44年春闘に際して各地方本部に対してビラ貼付活動を指令した。原告らは支部・分会の決定を受けて「合理化反対」「大幅賃上げ」等を内容とする春闘ビラ(ステッカー)を勤務時間外に職員詰所等ににある自己又は同僚組合員の使用するロッカーに、セロテープ、紙粘着テープによって少ない者は2枚、最も多い者は32枚貼付した(原告以外の組合員も含めて総計310個のロッカーに五百数十枚のビラを貼った)。原告らは貼付行動の際、これを現認した助役ら職制と応酬、制止をはねのけた。
 この行為が掲示板以外での掲示類を禁止した通達に違反し、就業規則に定めた「上司の命令に服従しないとき」等の懲戒事由に該当するとして、戒告処分に付し、翌年度の定期昇給一号俸分の延伸という制裁を課したため、原告らは戒告処分の無効確認を請求して訴えたものである。
 一審(札幌地判昭47・12・22判時709)は被告国鉄勝訴、原審(札幌高裁昭49・12・28は一転して原告国労札幌支部組合員の請求を全面的に認めたが、最高裁第三小法廷は全員一致で原判決破棄自判して、原告の請求を終局的に斥けた。
 企業秩序論の3つめの最高裁判例である。富士重工事件は企業秩序違反行為の社内調査協力拒否に関して、目黒電報電話局事件は施設内での政治活動事案であったが、国労札幌事件は企業施設内での組合活動事案で、本件はロッカーのビラ貼りであるが、集会・演説その他企業施設を利用する組合活動全般の判断枠組みを示しており、多くの判例で引用される指導判例の位置づけにある。
 判旨は労働組合又はその組合員が使用者の許諾を得ないで企業の物的施設を利用して組合活動を行うことは、これらの者に対しその利用を許さないことが、使用者が有する権利の濫用であると認められるような特段の事情がある場合を除いては、物的施設を管理利用する使用者の権限を侵し、企業秩序を乱すものであつて、正当な組合活動にはあたらないとするものである。
 
 
A 国労札幌地本事件判決の意義
 
1. プロレイバー学説「受忍義務説」の否定
 
 判決は「労働組合が当然に当該企業の物的施設を利用する権利を保障されていると解すべき理由はなんら存しないから‥‥‥使用者の許諾なしに右物的施設を利用する権限をもっているということはできない。‥‥‥利用の必要性が大きいことのゆえに、労働組合又はその組合員において企業の物的施設を組合活動のために利用しうる権限を取得し、また、使用者において労働組合又はその組合員の組合活動のためにする企業の物的施設の利用を受忍しなければならない義務を負うとすべき理由はない」と判示し明確に受忍義務説を否定した。
 学説多数説であった受忍義務説とは、組合活動の場合は、施設利用について使用者に受忍義務があるとするものである(たとえば籾井常喜1965 183頁 片岡曻・大沼邦博1991 321頁)。立論の基礎は憲法28条の団結権、団体行動権をプロ・レ-バー的に広く解釈し、それは私人間効力の及ぶもので使用者の権利や自由(その中心は財産権、具体的には労務指揮権や施設管理権)を一定の制約の契機が含まれていると解する。その根底にある思想は、憲法28条を、近代市民法秩序の核心である財産権、所有権、営業の自由を制約する契機として理解し、市民法秩序を超克し階級闘争としての労働運動を支援するというイデオロギー的背景を持つ学説である。
 受忍義務説を採用した下級審判例としては、刑事事件で全電通東海電通局ビラ貼事件名古屋地判昭38・9・28判時359があり「使用者の施設管理権も労働者の団結権保障とのかねあいから、‥‥権利の本質的な意味で制約をうけ、そこから生じる使用者の不利益は使用者において受忍すべき場合がある。」と受忍義務を団結権保障のコロラリーとして承認する判断をとつている。
 事案は昭和34年年3月全電通役員が中心となって東海電気通信局庁舎の正面玄関やガラス窓等に、不当処分撤回、大巾賃上げ等を求める趣旨のビラ約四千枚を糊で貼付した行為が、庁舎の外観を著しく汚したものとして刑法260条の建造物損壊罪に問われたものであるが、同条の構成要件に至ってないとし、軽犯罪1条33号も労使の紛争状態の組合活動については同法は適用されないと断じ、仮に本件ビラ貼りが形式上建造物損壊に当たるとしても、それは組合活動の一環として合法的であり、違法性を欠き無罪であるとした(控訴審名古屋高判昭39・12・28判時407では破棄自判有罪)。
 しかしプロレイバー側でも、受忍義務説の論理に批判があって、団結権は施設管理権を当然に制約する明確な内容は与えられていない(小西国友1975)、使用者の団交応諾義務(労組法7条2項)や組合活動の妨害・介入の禁止(労組法7条3項)みと無関係に受忍義務を課す実定法上の根拠はなく、受忍義務とはすなわち便宜供与義務になるから、経費援助の肯定は経費援助禁止の原則((労組法2条但書3号、7条3号)と矛盾する(下井隆史1980)との指摘がある。(なお小西、下井が主張する違法性阻却説も、後述するがこの判決の判断枠組みでは排除するものであることが判例の蓄積によって明らかになっている)
 また下級審判例で受忍義務説を否定した判例としては、動労甲府支部ビラ貼り事件東京地判昭50・7・15判時784(中川幹郎チーム)が、「助士廃止粉砕」などと記載したビラ約三千五百枚を鉄道管理局庁舎内に貼った行為は、使用者の所有権や施設管理権「管理及び運営の目的に背馳し、業務の能率的正常な運営を一切排除する権能」を強調する一方、たとえ企業内組合の場合であっても組合活動のために企業施設を利用する「権限」を当然有するものではないとし、それが認められない以上、使用者が無断ビラ貼りを「受忍」すべきいわれはなく、当該のビラ貼りは使用者の所有権ないし施設管理権の侵害にあたるとして、ビラ貼り事件で初めて、労働組合や組合員に損害賠償責任を認め、ビラはがし代142,300円の支払いを動労側に命じ、明確に受忍義務を否定したリーディングケースである。
 ビラ配布事案であるが日本エヌ・シー・アール事件東京高判裁昭52・7・14判時86881は組合活動は原則として就業時間外に事業場外においてなすべきことを明確に述べ、受忍義務説を排除した判例と評価できる。
 「一般に事業場は、当然に使用者の管理に属し、労働者は、自己の労働力を使用者に委ねるために事業場に出入りを許され、就業時間中は使用者の指揮命令に従い労務に服する義務を負うものであり、労働組合は労働者が団結により経済的地位の向上を図ることを目的として自主的に結成加入した団体であって、使用者から独立した別個の存在である。従って、労働者の労働組合活動は原則として就業時間外にしかも事業所外においてなすべきであって、労働者が事業上内で労働組合活動をすることは使用者の承認のない限り当然には許されず、この理は労働組合運動が就業時間中の休憩時間に行われても、就業時間外に行われても変わりがないと解すべきである」と説いた。こうした下級審判例の説示を企業秩序論として構成しなおしたのが国労札幌地本判決といえるだろう。
 企業施設は使用者の所有管理に属し、市民法(私法)理論からすれば、労働組合の利用権は当然には認められないものである。したがって受忍義務説の否定は、労働組合に実定法で与えられたもの以上の、市民法秩序を超える権利を付与されるものではないことを示した判決と評価してもよい。
2 施設管理権の脆弱性の解消
 判決は、次のように企業秩序論を説示する。
「思うに、企業は、その存立を維持し目的たる事業の円滑な運営を図るため、それを構成する人的要素及びその所有し管理する物的施設の両者を総合し合理的・合目的的に配備組織して企業秩序を定立し、この企業秩序のもとにその活動を行うものであつて、企業は、その構成員に対してこれに服することを求めうべく、その一環として、職場環境を適正良好に保持し規律のある業務の運営態勢を確保するため、その物的施設を許諾された目的以外に利用してはならない旨を、一般的に規則をもつて定め、又は具体的に指示、命令することができ、これに違反する行為をする者がある場合には、企業秩序を乱すものとして、当該行為者に対し、その行為の中止、原状回復等必要な指示、命令を発し、又は規則に定めるところに従い制裁として懲戒処分を行うことができるもの、と解するのが相当である」
 この企業秩序論の判例法理が最高裁によってが案出された最大の理由は「施設管理権」の脆弱さと空隙を埋める必要性があったと解する。
 すなわち、終戦直後、経営者が直面した生産管理闘争のようなきわめて悪質な争議行為や経営内での団結示威その他無許可組合活動に対し、組合規制力を強化するための使用者は「経営権」を確立する必要があった。
 当初経営者は企業内組合活動を規制する根拠を、労働規律から施設利用までカバーする「経営権」に求めていたが、包括的な経営権の観念を裁判所が必ずしも受け入れなかったために根拠は「労務指揮権」+「施設管理権」であるとされるようになった。
 しかし、「労務指揮権」はその法的根拠を労務当事者の契約に求めざるをえず、「施設管理権」の主張も脆弱性を有していた。その根拠を所有権・占有権という物権的権利に求める限り、所有権の一部をなし、建物、敷地等の会社施設を維持、保全、改良する具体的機能として内容づけられることとなり、妨害排除の物権的請求権か、無権利者による無断利用、毀損行為をとらえて行う不法行為にともなう賠償請求という、民法上の主張にとどまり従業員懲戒の根拠としては難点があったのである。
 また労務指揮権+物的維持管理権限に限定された施設管理権の主張は、直接労務指揮権限をもって規律しえない時間帯である、休憩時間、就業時間前、就業後の組合活動について空隙を残すことになった(菊地高志1973)
 このことはプロレイバー労働法学につけ込む隙を与えた。受忍義務説の論理構成は「施設管理権」とは元来法律用語ではなく、昭和28・9年頃使用者側から主張された政策概念としたうえ、所有権・占有権の一つの機能として位置づけ、物的管理権に限定して承認するというものであった(西谷敏1980})。それゆえ「物的管理権である以上、施設管理権は組合活動に対して直接向けられるべきものではない」とされる。(峯村光郎1969 161頁、本多淳亮1964 21頁)。
 つまり受忍義務説に潰すには、施設管理権を侵害するような行為を懲戒するには理由づけが必要であり、それには施設管理権を企業秩序と関連づける必要があった。懲戒処分は企業秩序の維持の目的をもって制定されるからである。
  以下時岡肇調査官の判解をそのまま引用する。―ー本判決が「施設管理権」  という用語を用いずに  「職場環境を適正良好に保持し規律のある業務の運営態勢を確保しうるように当該物的施設を管理利用する使用者の権限」と判示したのは。以上のようにな理由から物的施設の管理運用を施設の所有権(物的管理権)のみから理論づけないで使用者の企業秩序維持のため必要な措置をとりうる機能も含む趣旨、すなわち人的・物的両面を含む使用者の権限として構成したことを明らかにしたものーーである。
 
  (つづく)
 
引用・参考
片岡曻・大沼邦宏
1991『労働団体法』青林書院
菊地高志
1973「組合のビラ配布と施設管理権-日本ナショナル金銭登録事件を中心として-ー」日本ナショナル金銭登録機事件横浜地裁昭43・2・9判決 労判172号
小西国友
1975「ビラ貼付と施設管理権」季刊労働法95号
下井隆史
1980「労働組合のビラ貼り活動に関する再論」判タ406号
時岡肇『最高裁判所判例解説民事篇昭和54年度』 339頁
西谷敏
1980「施設管理権の法的性格とその限界」『法学雑誌』大阪市立大学法学会26(3・4)
本多淳亮
1964『業務命令施設管理権と組合活動』労働法学出版 
峯村光郎
1969『経営秩序と団結活動』総合労働研究所
籾井常喜
1965『経営秩序と組合活動-不当労働行為の法理経営秩序と組合活動』総合労働研究所 

2018/05/06

私鉄総連春闘ワッペン闘争の法的評価(下書きその1)

 毎年恒例となっている2月中旬より3月中旬の私鉄総連春闘ワッペン着用闘争であるが、この行為は、私鉄労連組合員として春闘に参加していることを示す自己表示であり、団結内部で組合員相互の連帯感や、闘争意識を高める目的を有し、使用者に対しての団結示威である。のみならず、乗客に春闘への連帯を訴えかける教宣活動として絶大な宣伝効果をもち、私は春闘に連帯したくもない一利用客であるから、みせつけられるのは非常に不快であり、業務外の徽章の着用、勤務をしながら駅員や乗務員が団結示威ないし誇示する組合活動は、職務に専念せず債務の本旨を履行しない勤務態度として強い不快感をもつのであって、これを放置しているかにみえる各社の労務管理の緩いことにも強い不信感をもつ。
  会社側や国会議員等にこのことの苦情を出すための準備として服装戦術(リボン、プレート、腕章、ゼッケン、鉢巻、バッジの着用による訴えかけや団結示威)判例を検討する。
 このまま既成事実として放置してよいものではないからである。
 ここで問題とするのは民鉄の労務管理である。東京メトロ、東急、京浜急行、京成、東武、京王の各社である、上記の六社はいずれも駅員・乗務員の春闘ワッペン着用を私自身がこの目で見ている。関西その他の地方は現場を見てないので特に言及しないこととする。(なお組合が私鉄総連に加盟していない西武[コーポレートメッセージのワッペン着用を見たが会社の宣伝なのでもちろん問題ない]や新ダイヤを宣伝するプレート着用を見たが春闘ワッペンは見ていない小田急は対象外である。)
 むろん労務管理は経営者の裁量によるものであり、株主でもないのに文句をいう筋合いはないし、私鉄は国鉄のように公共の福祉を目的とする公法人ではない。
しかし鉄道事業は,国民の社会経済生活に不可欠の公共性の極めて高い事業であるとともに,乗務員、駅員の職務は不特定多数の利用客の生命、身体及び財産の安全に深くかかわるものであるから、職務規律が強く求められ、その労務の提供のあり方と企業秩序の乱れについては関心をもたれて当然なのであって、利用者の立場から従業員の職務専念義務の履行、服装の整正について相応の労務管理が求めてよいと考える。
とくに東京メトロは国と東京都が株主の公的資本会社でもあるから、国会や都議会で問題提議してよい事柄と考える。
 
一、判例法理では正当な行為とみなされる余地はかなり小さいが、実際に取り締まるには、就業規則や労働協約で会社が認めた腕章、胸章等の着用の禁止等を明示する必要があり、会社が事実上容認している慣行をあらためるには政治家の働きが必要に思われる
一) リボン闘争それ自体の判例法理は未解決な部分を残しているが、企業秩序定立維持権に関する判例の判断枠組、判断基準は安定して維持されており、勤務時間中の組合活動や企業秩序侵害の違反を、具体的な業務阻害から判断することを排除していることから、勤務時間中のワッペン着用闘争が正当な行為とされる余地はかなり小さい
 
 労働組合法第7条は、労働組合の正当な行為をしたことの故をもって、その労働者を解雇し、その他これに対して不利益な扱いをすること、 労働者が労働組合を結成し、若しくは運営することを支配し、若しくはこれに介入することなどを禁止しており、労働組合は労働委員会に救済申立を行うことができ、労働委員会は救済命令を発し、使用者側がそれに不服な場合は救済命令取消訴訟を起こすことができる。
 問題はワッペン闘争等の服装戦術が労働組合の正当な行為か否かであるか、これは労働委員会命令、多数蓄積している救済命令取消し訴訟等の判例及び学説で判断していくことになる。
 結論を先にいうと、ワッペン着用を勤務時間中の組合活動ととらえると正当な行為と評価される余地は小さいといえる。企業秩序論の観点からJRのようにしかるべき就業規則や労働協約があることを前提とすれば文句ないが、私は各社の状況を具体的に知らず民鉄では例えば会社で認めた胸章、腕章等以外の着用を禁止する規定がないとなると、企業秩序の定立のために規則から見直す必要がある。
 とはいえ将棋に譬えると、取締まる側のほうが初めから評価値で千点有利な形勢、積極的に攻めていけば負けることはない。ただやる気のなさだけの問題とさえいえるのである。
 
1.昭和57年大成観光リボン闘争事件最高裁第3小法廷判決までの判例の推移
 
(1)判例法理転換期の下級審判例について
 
 大局的見地から判例法理の推移を概観しておく。
  我が国では昭和40年代まで、階級闘争としての戦闘的な労働運動を支援する立場から労働基本権によって財産権や所有権という市民法秩序の侵害を正当化させようとする赤い思想にもとづいて、労働組合に通常なら犯罪とされる行為でも処罰されない特権を付与する可罰的違法論、企業内組合活動では、受忍義務説(法益権衡、法益調整論により使用者の権限の侵害を正当化)や施設管理権を物的管理権に限定する悪質なプロレイバー学説が司法にも影響力を持っていたため職場秩序の混乱をもたらしていた。
 リボン闘争についても、全逓灘郵便局事件・ 神戸地判昭42・4・6労民集18-2-302、国労青函地本事件・函館地判昭47・5・19労民集23-3-347が正当な組合活動としている。
  しかし、昭和48年石田和外コート末期の最高裁の構成の変化等で司法の左傾化に歯止めがかかったことにより、住居侵入罪、公務執行妨害に問われたマスピケ事犯で可罰的違法論を適用して無罪とした原判決を覆した国労久留米駅事件大法廷判決昭48・4・25刑集27-3-418を決定的なターニングポイントとしてプロレーバー学説は明確に否認の方向に舵がきられ、企業内組合活動についていえば、受忍義務説より許諾説に転換していった。
   服装戦術では、●ノースウエスト航空事件・東京高判昭47・12・21労判速805-9が初めて腕章着用の就労を職務専念義務違反と判示した。
三井鉱山賃金カット事件・福岡地判昭46・3・15労民集22-2-268は「不当処分反対、三川通勤イヤ!」「抵抗なくして安全なし」等と書きつけた組合員のゼッケンの着用が、就業時間中の会社構内における情宣等を禁止する労働協約の条項に違反し、正当な組合活動とはいえないと判示した。
●国労青函地本リボン闘争事件・ 札幌高判昭48・5・29
労民集24-3-257は、判断枠組みを提示し、理論的説示をしていることで、リーディングケースとなっている。
 国鉄職員が勤務時間中に職務の遂行に関係のない行為または活動をするときは、具体的な業務阻害がなくても、職務に対する精神的・肉体的活動の集中を妨げない特別の事情がある場合を除いて国鉄法32条2項の職務専念義務に違反するとしたうえで、本件リボンを着用することにより、勤務に従事しながら、青函地本の指令に従い、国労の組合員として意思表示をし、相互の団結と使用者に対する示威、国民に対する教宣活動をしていたものであり、組合活動を実行していることを意識しながら、その職務に従事していたものであるから、その精神的活動力のすべてを職務の遂行にのみ集中していたものでないことは明らかであり、職務専念義務違反とした。
 また服制及び被服類取扱基準規程の「被服類には、腕章、キ章及び服飾類であって、この規程に定めるもの及び別に定めるもの以外のものを着用してはならない」とする規定にも違反するとした。
 さらに国鉄職員がこれを着用して勤務していることに対し旅客公衆の中には不快感を抱く者があることは十分予想されると述べ、被控訴人らは、そのような不快感は反組合的感情で保護するに値しないと主張するが、しかし、その不快感が、本件リボンの内容である国労の要求内容に対する不満にあるのではなく、被控訴人らが職務に従事しながら本件リボンを着用して組合活動をしているその勤務の仕方に対する不信、不安によるものであるときは、国鉄が公共の福祉の増進を目的とする公法人で、その資本は全額政府が出資していることを考えると、右の趣旨の旅客公衆の不快感は十分理由があるものであつて、これを単なる反組合的感情にすぎないものということはできない。さらに、国鉄内には、国労のほか、これと対立関係にある鉄道労働組合があることは顕著な事実であり、本件リボンの着用が鉄労組合員その他組合未加入者に心理的な動揺を与え、国労の組合員の中にも指令に反し本件リボンを着用しなかつた者が相当数あったことが認められるが、これらの者にも精神的な重圧となったことも十分考えられ、勤務時間中の本件リボンの着用は、その勤務の場において、不要に職場の規律、秩序を乱すおそれのあるものというべきであると述べ、原判決中控訴人敗訴部分を取り消す。
神田郵便局事件・東京地判昭49・5・27労民集25-3-236も「全逓神田支部」と染め抜いた腕章を着用した行為は就業規則に違反し、職務専念義務に違反するとした。二審東京高判昭51・2・25訴務月報22-3-740も一審を支持。
大成観光事件・東京地判昭50・3・11労民集26-2-125は、中川幹郎チームの著名な判決である。リボン闘争はそれが争議行為であれ、その他の組合活動と評価されるものであれ違法と断じた。勤務時間の場で労働者がリボン闘争による組合活動に従事することは、人の褌で相撲を取る類の便乗行為であるというべく、誠意に労務に服すべき労働者の義務に違背し違法であり、使用者はそれを受忍する理由はないなどとして、労組の正当な行為とした東京都地労委の救済命令を取消す強烈な判決である。二審東京高判昭52・8・9労民集28-4-362もこの判断枠組を支持した。
全逓灘郵便局事件・大阪高判昭51・1・30労民集27-1-18は、一審判決の被告敗訴部分を取消し、本件リボン等の着用は、上司の取外し命令を拒否する決意の下に組合活動目的を客観的持続的に表明し、組合員が互いにこれを確認し、当局および第三者に示威する趣旨の精神的活動を継続したものにほかならないから、これによって具体的にどのような業務遂行上の支障を生じたかを問うまでもなく、右は、それ自体本来の職務遂行に属しないのはもちろん、郵便業務の秩序ある正常な運営と相容れぬところの積極的な職場秩序攪乱行為であつたと断ずるを相当とし、勤務時間内における組合活動禁止と職務専念義務を定めた就業規則の趣旨に抵触する。さらに「正しくない服装」を禁止する規則にも違反するとした。郵政省ではこれまで業務成績の向上を計る目的で職員に対し本件リボンとほとんど同形同色のリボンで「簡易保険新加入運動」「郵便貯金五千億円突破」等と記載したものを着用させたことがある。しかし、リボン等の着用が正しい服装であるかどうかは、単にその外形のみによって判断すべきものではなく、記載文字等によってその着用が一定の目的を持った意味ある行為であることを考えて綜合判断する必要があると判示した。
●沖縄全軍労事件・那覇地判昭51・4・2
1労民集27-2-228は在日米軍基地の従業員が赤布の鉢巻を着用して労務の提供することは、雇用契約上の債務の本旨に従った履行の提供とはいえないとして賃金カットを適法と認めた。二審福岡高那覇支判昭53・4・13労民集29-2-253も一審を支持。
全建労事件・東京地判昭52・7・25行裁集28-67-680 は、本件建設省職員のリボン闘争が職務専念を欠く結果を招く蓋然性の高い行為であり、職場全体においては違和感を生ぜしめ、国民に対しては国家公務員の信用を失墜するおそれを生み出す。リボン闘争に参加した原告らは全体の奉仕者たる国家公務員として規律保持に欠けるところがあつたものといわざるを得ないなどとして、リボン闘争の指導、着用を勤務成績評価のマイナス評価とすることを認めている。
 
  以上のリボン闘争等を違法ないし正当な行為とみなさない下級審判例を類型化すれば以下のとおりである。
●雇用契約上の債務の本旨に従った労務の提供ではない 
ノースウエスト航空事件・東京高判昭47・12・21
  沖縄全軍労事件・那覇地判昭51・4・21
誠意に労務に服すべき労働者の義務に違背する
  大成観光事件・東京地判昭50・3・11
職務専念義務に違反する
国労青函地本リボン闘争事件・ 札幌高判昭48・5・29
全逓灘郵便局事件・大阪高判昭51・1・30
(いずれも具体的にどのような業務遂行上の支障を生じたかを問わず職務専念義務違反とする)
●就業規則の服装整正規定や正しくない服装の禁止に違反する

 国労青函地本リボン闘争事件・ 札幌高判昭48・5・29
全逓灘郵便局事件・大阪高判昭51・1・30
●勤務時間中の組合活動を禁止する就業規則、労働協約に違反する

三井鉱山賃金カット事件・福岡地判昭46・3・15
全逓灘郵便局事件・大阪高判昭51・1・30
 
(2)昭和52年目黒電報電話局反戦プレート事件判決について
(要旨のみ)
  本件勤務時間中の反戦プレート着用行為に絞って就業規則違反か否かについて概略を述べれば、公社法三四条二項の職務専念義務規定について「規定の違反が成立するためには現実に職務の遂行が阻害されるなど実害の発生を必ずしも要件とするものではない」と述べているが、実はプレート着用は政治行為禁止の規則に違反したので戒告処分とされており、職務専念義務違反が直接の理由にはなっていない。
 この判決では、まず形式的な就業規則違反、実質的に局所内の秩序風紀を乱すおそれのない特別の事情が認められるときは規則違反にならないとする判断基準を示した。
  (これは、政治活動に関する下級審判例の具体的危険説を排除し抽象的危険説を採用した意味が含まれている。具体的危険説とは学説多数が支持した現実且つ具体的な経営秩序紊乱の結果を招来する場合のみ禁止できるとする立場だが、そうではなく何々のおそれというような抽象的危険であっても合理的理由とするのである)。
  そのうえで、本件は、就業規則の政治活動禁止規定違反とされるプレート着用行為が、同僚に訴えかける行動が職務専念に専念すべき規律秩序を乱しているだけでなく、他の職員の職務への集中を妨げるおそれがあるものとして、実質的に企業秩序を乱すおそれがない特別の事情があるものとはいえないから、就業規則違反とされた。  
  要するに抽象的危険、秩序を乱すおそれかがあるという理由づけで、就業規則違反-懲戒事由となりうることを示している。
  問題は、本件が職員単独の政治活動事案であり、組合活動ではない。このため組合活動としての団結示威であるリボン・ワッペン闘争の先例となりうるか、この点については大成観光リボン闘争事件・最三小判昭57・4・1の法的評価(理論的説示がないため評価が割れている)の項目で検討することだが、若干重複しても触れておく。
  目黒電報電話局判決は、ビラ配りも含めた本件政治活動禁止の合理性を説くにあたって、「企業施設‥‥管理を妨げるおそれ」「他の従業員の業務遂行‥‥妨げるおそれ」「他の従業員の休憩時間の利用を妨げ‥‥るおそれ」「企業秩序の維持に支障をはたすおそれが強い」と結論づけているが、これは政治活動に限ったことではなく、労働組合による無許可集会、演説行為、署名、募金活動等にもいいうるのであって、組合活動をも射程範囲とした判示と推測できる。
 加えて目黒電報電話局判決の職務専念義務の説示は、国労青函地本リボン闘争事件・ 札幌高判昭48・5・29の説示と同じであり、同判決の判断枠組みを大筋で支持していることとを推測できる。
 理論的な説示がなく、当該事案のリボン闘争を正当な行為ではないとした大成観光リボン闘争事件・最三小判昭57・4・1について、新村正人調査官解説(判解)は目黒電報電話局反戦プレート事件最高裁判決の先例としての意義につき次のように述べている。
「‥‥右事案におけるプレートの着用は組合活動として行われたものではないが、その判旨の趣旨を推し及ぼすと、同様に職務専念義務を肯定すべき私企業においてリボン闘争が就業時間中の組合活動としておこなわれたときは、労働組合の正当な行為とはいえないことになる。‥‥本件リボン闘争が組合活動として行われたものとの前提に立つ限り、その正当性を否定することは、判例理論上必然のことといってよい」
  調査官解説(判解)は公式注釈ではない。あくまでも私的見解にすぎないが、とはいえ判解は事情に通じている法律家の標準的な解釈とみてよい。調査官は暗に目黒電信電話局判決を引用することもなく、判決理由のないことで混迷を招いた多数意見を批判しているのだ。
  これは、当時この判決に関与した4裁判官のうち2人が目黒電報電話局判決に批判的だった特殊事情による。
(本文)
 
  プレート着用行為で最高裁判例では目黒電報電話局事件・最三小判昭52・12・13民集31-7-974がある。
先例として引用されることが多く、指導的判例といえる。
  事案は電電公社職員が、昭和42年6月16日から22日まで継続して左胸に青地に白色で「ベトナム侵略反対 米軍立川基地拡張阻止」と書かれたプラスチック製のプレートを着用して勤務した。その間目黒局の管理職により取り外すよう注意を受けたが従わず、6月23日の休憩時間に、管理職の態度に抗議し、ワッペン、ブレートの着用を呼びかけるビラ数十枚を配布した。
電電公社は、プレート着用行為が就業規則5条7項「職員は、局所内において選挙活動その他の政治活動をしてはならない」らに違反し、ビラ配布行為は5条6項「職員は、局所内において、演説、集会、貼紙、掲示、ビラの配布その他これに類する行為をしようとするときは、事前に別に定めるその局所の管理責任者の許可を受けなければならない」に違反し懲戒事由に該当するとして、戒告処分に付したが、被処分職員が戒告処分の無効確認を請求した訴訟である。
一審東京地判昭45・4・13労民集21-2-574は、公社就業規則の「政治活動」とは「政治目的の政治活動」のことであり一般職公務員の政治活動の制限と同趣旨と解釈し、本件プレート着用行為は懲戒事由として規定する「政治活動」に当たらないなどとして、戒告処分を無効とした。二審東京高判昭47・3・10労判速781-3一審の判断正当として控訴を棄却。
上告審は、原判決を破棄し、一審判決を取消して原告の請求を棄却(戒告処分を有効と)した。
多数意見はまず、電電公社の使用者と労働者の関係は私法上のものであるとして、就業規則制定の目的を論じ、本件政治活動禁止の就業規則は、私企業と同様に、企業秩序の維持を主眼とするものして、一般公務員と同趣旨とした一審の解釈を退けたうえで、次のように企業秩序論を展開し、企業秩序維持の見地から、就業規則により職場内における政治活動を禁止することは、当然許されるとする。
「一般私企業においては、元来、職場は業務遂行のための場であって政治活動その他従業員の私的活動のための場所ではないから、従業員は職場内において当然には政治活動をする権利を有するというわけのものでないばかりでなく、職場内における従業員の政治活動は、従業員相互間の政治的対立ないし抗争を生じさせるおそれがあり、また、それが使用者の管理する企業施設を利用して行われるものである以上その管理を妨げるおそれがあり、しかも、それを就業時間中に行う従業員がある場合にはその労務提供業務に違反するにとどまらず他の従業員の業務遂行をも妨げるおそれがあり、また、就業時間外であっても休憩時間中に行われる場合には他の従業員の休憩時間の自由利用を妨げ、ひいてはその後における作業能率を低下させるおそれのあることがあるなど、企業秩序の維持に支障をきたすおそれが強いものといわなければならない。したがって、一般私企業の使用者が、企業秩序維持の見地から、就業規則により職場内における政治活動を禁止することは、合理的な定めとして許される‥‥」
  そして、次のように形式的就業規則違反では懲戒処分に付すことはできない。実質的に秩序を乱すおそれのない特別の事情の認められるときは違反にはならないという、先例としてよく引用される判断基準が示される。
「それは社会通念上政治的な活動にあたり、しかもそれが目黒局の局所内で行われたものである以上、公社就業規則五条七項に違反することは、明らかである。もつとも、公社就業規則五条七項の規定は、前記のように局所内の秩序風紀の維持を目的としたものであることにかんがみ、形式的に右規定に違反するようにみえる場合であっても、実質的に局所内の秩序風紀を乱すおそれのない特別の事情が認められるときには、右規定の違反になるとはいえないと解するのが、相当である」
  そのうえで、勤務時間中におけるプレート着用行為が局所内の規律秩序を乱すおそれがあるか判断しているが、大筋以下の2点で実質的に局所内の秩序を乱すもしくは乱すおそれがあるので、就業規則違反として懲戒事由となると結論する。
 
○職務と無関係な同僚への訴えかれける行動は、職務の遂行と無関係な行動であり、職務に専念すべき局所内の規律秩序を乱している
○他の職員の注意力を散漫にし、あるいは職場内に特殊な雰囲気をかもし出し、よって他の職員がその注意力を職務に集中することを妨げるおそれがあることは局所内の秩序維持に反する
 
  公社法三四条二項が「職員は、全力を挙げてその職務の遂行に専念しなければならない旨を規定しているのであるが、これは職員がその勤務時間及び勤務上の注意力のすべてをその職務遂行のために用い職務にのみ従事しなければならないことを意味するものであり、右規定の違反が成立するためには現実に職務の遂行が阻害されるなど実害の発生を必ずしも要件とするものではないと解すべきである。本件についてこれをみれば、被上告人の勤務時間中における本件プレート着用行為は、前記のように職場の同僚に対する訴えかけという性質をもち、それ自体、公社職員としての職務の遂行に直接関係のない行動を勤務時間中に行ったものであつて,身体活動の面だけからみれば作業の遂行に特段の支障が生じなかつたとしても、精神的活動の面からみれば注意力のすべてが職務の遂行に向けられなかつたものと解されるから、職務上の注意力のすべてを職務遂行のために用い職務にのみ従事すべき義務に違反し、職務に専念すべき局所内の規律秩序を乱すものであつたといわなければならない。同時にまた、勤務時間中に本件プレートを着用し同僚に訴えかけるという被上告人の行動は、他の職員の注意力を散漫にし、あるいは職場内に特殊な雰囲気をかもし出し、よって他の職員がその注意力を職務に集中することを妨げるおそれのあるものであるから、この面からも局所内の秩序維持に反するものであつたというべきである。すなわち、被上告人の本件プレート着用行為は、実質的にみても、局所内の秩序を乱すものであり、公社就業規則‥‥所定の懲戒事由に該当する」と判示した。
 
A 目黒電信電話局事件最高裁判決の全般的評価
 プロレイバー学者がこぞって特異な判例として非難したため、左翼人士や組織労働者に評判が悪い。しかし私は含蓄の深い意義を肯定的に評価する。
  それは企業秩序論(企業秩序定立維持権ともいう)のリーディングケースとして、政治活動に関する先例としては、下級審判例の具体的危険説を排除し抽象的危険説を採用した意義が大きい。プレート着用に関する先例として、職務専念義務の先例として、いわゆる施設管理権の先例としても重要で、休憩時間自由利用原則は施設管理権の制約原理とならないことを示し「休憩時間中であっても、局所内の施設の管理を妨げるおそれがあり、更に、他の職員の休憩時間の自由利用を妨げ、ひいてはその後の作業能率を低下させるおそれがあって‥‥企業秩序を乱すおそれがある」行為は「管理者の許可にかからせる」ものであることを明らかにし、施設管理権を物的管理権に限定するプロレイバー学説を明確に否認したといいうる。ここで注意すべきことは、休憩時間の従業員の行動を規制する根拠として「施設管理権」だけではなく「企業秩序を維持するための規律に従うべき義務」を加えていることである。従業員には企業秩序遵守義務があるということは、本件決と同日の富士重工業原水禁事情聴取事件最大小判昭52・12・13民集31-7--1037でも説示している。
  またこの判決は真面目に働く勤労者にとって有益である。他の職員の注意力を散漫にし、他の職員がその注意力を職務に集中することを妨げる勤務時間中の行為は企業秩序を乱すもので排除されるべきとされている。
  なお菊池高志の判例批評は「多数労働者が密接な関連・協力関係にたって業務が遂行される近代的経営の現実に立てば、他の労働者の義務遂行の障害とならないよう配慮すべき義務を負うと考えることにも合理性がある」との評価である。
  本件は政治活動の事案であるしても、私企業一般の企業秩序論の先例でもあるという位置づけにあることから、勤務時間中のそれが政治活動であれ、組合活動であれ、職務専念妨害のおそれのある行為は、リボンやワッペン等の服装戦術のみならず、地声での演説行為いわゆる頭上報告、業務と関係のないマイク放送、署名募金活動、職場離脱を促す行為等、就業規則制定を前提とするが禁止されてしかるべきことを示唆しているとみてよい。企業秩序論判例法理を根拠に勤労者が使用者に職務専念妨害抑止義務の履行を主張しうるというのが私の見解である。
  また就業規則違反は形式的違反では足らず、実質的な違反でなければ懲戒事由にならないという判断基準は、先例として多く引用されており、懲戒処分が無効された例もある。全般的にいえば実はバランスの取れた判例法理であると私は評価する。
B 基本的な性格としては企業秩序論判例といえる。同日の富士重工事件判決とセットで把握する必要がある。
 企業秩序論とは、最高裁第三小法廷が案出した画期的な判例法理であり、企業運営の諸権利を統合する上位概念として形成された判例法理である。今日まで判例は安定的に維持されている
  リーディングケースは富士重工原水禁事情聴取事件最大小判昭52・12・13民集31-7--1037、と同日の目黒電報電話局事件・最三小判昭52・12・13民集31-7-974である。
代表的な判例を挙げるなら、
●国労札幌地本ビラ貼り事件昭和54・10・30民集33-6-647企業が職場環境を適正良好に保持し規律のある業務の運営態勢を確保するため、一般的規則を定め又は具体的指示、命令を発し、その違反者に対し、企業秩序を乱す者として所定の措置をとりうる旨を明らかにした。
●関西電力社宅ビラ配布事件・最一小判昭58・9・8
判時1094-21労働者は、労働契約を締結して雇用されることによって、使用者に対して労務提供義務を負うとともに、企業秩序を遵守すべき義務を負い、使用者は、広く企業秩序を維持し、もって企業の円滑な運営を図るために、その雇用する労働者の企業秩序違反行為を理由として、当該労働者に対し、一種の制裁罰である懲戒を課することができるとした。
済生会中央病院事件・最一小判平元・12・11民集43-12-1786労働者は、労働契約の本旨に従って、その労務を提供するためにその労働時間を用い、その労務にのみ従事しなければならない。したがって、労働組合又はその組合員が労働時間中にした組合活動は、原則として正当なものということができないとする。
 企業秩序論の案出は要だった。特に施設管理権の問題、ビラ貼り、無許可集会その他の企業施設内の組合活動が戦後状況から解決されておらず、この混乱を収拾する必要があった。あたかも労働組合に労働基本権を根拠として、使用者の所有権・財産権その他の権限を制約して、企業施設無断利用権があるかのようなプロレイバー学説である受忍義務説は駆逐されなければならなかった。
戦後の混乱状況における使用者の経営権確立運動は、企業内組合活動を規制する根拠として、当初は労働規律から施設利用までカバーする「経営権」に求めていたが、包括的な経営権の観念を裁判所が必ずしも受け入れなかった。そのために根拠は「労務指揮権」+「施設管理権」であるとされるようになった。
 しかし、「労務指揮権」はその法的根拠を労務当事者の契約に求めざるをえず、「施設管理権」の主張も脆弱性を有していた。その根拠を所有権・占有権という物権的権利に求める限り、所有権の一部をなし、建物、敷地等の会社施設を維持、保全、改良する具体的機能として内容づけられることとなり、妨害排除の物権的請求権か、無権利者による無断利用、毀損行為をとらえて行う不法行為にともなう賠償請求という、民法上の主張にとどまり、ビラ貼りや無許可集会等に対して、中止命令を行い従わない者を懲戒処分に付す根拠としては弱いという難点があり、プロレイバーにつけこむ隙を与えていた。
また労務指揮権+物的維持管理権限に限定された施設管理権の主張は、直接労務指揮権限をもって規律しえない時間帯である、休憩時間、就業時間前、就業後の組合活動について空隙を残すことになった。(註-このパートの出所が菊池高志だったのか出所が不明になってしまった)
 この空隙を埋めたのが、目黒電報電話局事件・最三小判昭52・12・13以降進展した「企業秩序論」と称される判例法理なのである。
 そのような画期的意義を有する企業秩序、目黒電報電話局事件判決は同日の同じ裁判体による富士重工原水禁調査事件・最三小判昭52・12・13民集31-7-1037とセットにして企業秩序論のリーディングケースとして捉えるのが適切である。
 富士重工原水禁調査事件は、人事課長らによる企業内原水禁実行委員会とはどういうものか。メンバー、資金カンパ、署名の集計状況などの質問に対して、回答せず会社の調査に協力しなかった社員に対する譴責処分を適法とした原判決を破棄し、違法無効とした事案であるが、次のように企業秩序論を説示した。
  「そもそも、企業秩序は、企業の存立と事業の円滑な運営の維持のために必要不可欠なものであり、企業は、この企業秩序を維持確保するため、これに必要な諸事項を規則をもつて一般的に定め、あるいは具体的に労働者に指示、命令することができ、また、企業秩序に違反する行為があつた場合には、その違反行為の内容、態様、程度等を明らかにして、乱された企業秩序の回復に必要な業務上の指示、命令を発し、又は違反者に対し制裁として懲戒処分を行うため、事実関係の調査をすることができる‥‥‥労働者は、労働契約を締結して企業に雇用されることによって、企業に対し、労務提供義務を負うとともに、これに付随して、企業秩序遵守義務その他の義務を負うが、企業の一般的な支配に服するものということはできない」
 この説示を目黒電報電話局事件に当てはめると、企業は企業秩序を維持確保するため、局所内での政治活動、無許可の演説、集会、貼紙、掲示、ビラ配布等を禁止する規則を定めることができ、違反者に中止命令、懲戒処分ができる。ただし実質的に企業秩序を乱すおそれのない特別な事情がある場合は規則違反にはならないと判示したということである。
(続く)
(引用・参考)
 
池田 恒男「国労札幌ビラ貼り事件」最高裁判決の「画期的」意義--現代日本法の一断面」『社會科學研究』33(5) 1981
石橋洋「企業内政治活動・ビラ配布の自由と企業秩序 : 目黒電報電話局事件・明治乳業事件判決を素材として」『季刊労働法』142 ?1987 http://hdl.handle.net/2298/14089
菊池高志「労働契約・組合活動・企業秩序法政研究 『法政研究』49(4) 1983 http://hdl.handle.net/2324/1792
喜多實 ?公社職員の反戦プレート着用と懲戒処分-目黒電報電話局事件 季刊労働法108号116頁
楠元茂「<論文>いわゆる服装斗争の法的考察 : 人権規定の第三者効力との関連において」『商経論叢』27 1978  http://ci.nii.ac.jp/naid/110000048788
越山安久・最高裁判所判例解説民事篇昭和52年度 362頁
中嶋士元也「最高裁における『企業秩序論』」『季刊労働法』157号1992年
中嶋士元也 就業時間中の組合活動(1)大成観光事件,(2)JR東日本(神奈川・国労バッジ)事件――別冊ジュリスト165 号200頁
新村正人・最高裁判所判例解説民事篇昭和57年度 373頁
西谷敏「施設管理権の法的性格とその限界」『法学雑誌』大阪市立大学法学会26(3・4), 1980)
西谷敏 リボン闘争と懲戒処分 大成観光事件 ジュリスト臨時増刊792 号226 頁
松田保彦 いわゆるリボン闘争の正当性-ホテルオークラ事件 法学教室22号
花見忠 リボン闘争の正当性-ホテル・オークラ事件最高裁判決 ジュリスト711号
宮本安美 〔労働判例百選 第6版〕 リボン闘争 大成観光事件 別冊ジュリスト134 号 182 頁
山口浩一郎 電電公社職員の反戦プレート着用と懲戒戒告処分(新判例評釈524 )判例タイムズ357号105頁
吉田美喜夫〔労働判例百選 第8版〕就業時間中の組合活動:大成観光別冊ジュリスト197号184頁

2018/04/02

鉄道会社等への苦情下準備 服装戦術(リボン・腕章・プレート・組合バッジ等)判例

最近はじめたTwitter https://twitter.com/kawanishimasahiで最も反応があったのが私鉄総連春闘ワッペン不快だとのメッセージであった。わたしの把握している範囲では2月の後半頃から東京メトロ・東武・京成・京急・東急が、少し遅れて2月下旬から京王でワッペン着用を見ている。各社とも3月15日の大手私鉄回答日あたりまで、乗務員・駅係員が着用していたとみられる。

これは例年のことだが、慣例化は望ましくない。今年は官製春闘ということもあり、赤色(直径7~8センチ目測)の目立つものだったのでより不快だった。 花粉症よりも不快だ。

もっともワッペンには「春闘」とはあるが「公共交通利用促進」という会社ぐるみと一見思わせる偽装的標語があるだけで、賃上げ等の要求項目が記されてないというのが巧妙だが、「春闘」が賃上げ要求を主とする闘争を意味することは間違いないから、組合活動を実行していることを意識しながら、その職務に従事していたものというべきであり、職務に専念せず職務と関係ない組合活動を行うことは、旅客公衆から不信感をもたれても仕方ないのである。

むろん私企業の労使関係に株主でもない住民が関与すべき事柄ではないが、ワッペンに書かれているようにまさしく公共交通事業だから旅客公衆の側から苦情をしてもよいはずである。

乗務員や駅係員は、その職務が旅客公衆の身体、財産の安全にかかわるものとして、特に強く要請される職場規律の保持を確保するためにも、業務と無関係な、徽章・腕章・服飾を禁止すべきであるし、特に東京メトロは、国と東京都が株主となっている特殊会社であるから、議会でとりあげてもよい問題なのである。

  ワッペン等の服装戦術は一般に労働者の団結を示威し、使用者に対し心理的圧迫を加え、労働者の要求ないし主張を貫徹する争議行為的側面と、組合員相互間において連帯感を触発し、団結をより強固にし、使用者との交渉に当たって士気を鼓舞する組合活動的側面の双方を有するものと考えられるが、私鉄総連のそれは、旅客公衆の多くの人々に目に触れるので春闘への連帯呼びかけの宣伝効果は絶大だといえる。

むろん春闘に連帯する組織労働者の乗客はワッペンに賛同するかもしれないが、連合の組織率をみても組織労働者が乗客の大多数であるうるはずはなく、春闘に連帯したくない乗客にとっては、目障りで血圧の上がるものをみせつけられて、受忍を強いられている状況にある。この状況をなんとか打開したいと思う。

  (なお、私鉄総連に加盟していない西武はコーポレ―トメッセージのワッペン、小田急は新ダイヤを宣伝するプレートを着用していたが、これは業務用だからもちろん問題はない)

いずれにせよ、Twitterで公言しているので、会社や議員に苦情は必ず出します。

そのための服装戦術判例研究ですが、以下の通りかなりの蓄積があります。ざっと要点だけ見ましたが、私の立場が有利であり、反論にあっても耐えられる準備は可能。将棋の評価値でいうと初めから1000点有利で、あとはどう詰めろをかけていくかを考えていくだけのように思えます。

もちろんその他の重要問題は山積しているが、できることから1つ1つやっていく。

明らかに私の立場が有利とはこういうことです。企業秩序論判例は抽象的危険説をとっているので、具体的に業務が阻害されていないから許容されるという考え方はとらないのである。それを禁止する理由として、例えば、業務を遂行しながら組合活動を意識して行っているのであり、職務に専念しない勤務態度は、旅客公衆の安全にかかわる職務遂行のあり方として不適切とみられ、会社に対して不信感をもたれるおそれがあるとか、業務と無関係な徽章や腕章等の着用を禁止するのは、能率的業務遂行のために必要であるとかそういう抽象的な理由で禁止を正当化できるのである。したがってそれができないということはない。

なおプロレーバーがよく引用する、大成観光リボン闘争事件最三小判昭57・4・13の伊藤正己補足意見の調整的アプローチ、使用者の業務を具体的に阻害しない行動は職務専念義務に違背しないという組合寄りの見解は、あくまでも伊藤判事単独の少数意見にすぎず、中川チームの一審判決の論理構成を批判するものとして重宝されているにすぎず、先例となる多数意見ではないのだから、ワッペン闘争を擁護する決め手にはならないと考える。

服装戦術判例

〇服装戦術許容

●服装戦術を正当な組合活動と認めない

△服装戦術を正当な組合活動と認めないが処分を無効とする

 または服装戦術は違法だが違法性を軽微なものとする

〇全逓灘郵便局事件 神戸地判昭42・4・6

(勤務時間中に「さあ!団結で大巾賃上げをかちとろう」と記載したリボン及び「全逓、灘郵便局支部」と記載した腕章を着用することは、就業規則に違反せず、訓告処分を違法無効とし、慰謝料請求も許容する。控訴)

●青葉学園事件 東京地判昭44・6・5

(私立中・高等学校の教師による授業中のリボン着用、生徒あての文書配布等を理由としてした懲戒免職を有効とする)

〇ノースウエスト航空事件 東京地判昭44・11・11

(スト終了就労申入れの際組合員らが腕章を着用し、使用者の取りはずし要求に応じなかったとしても、特段の事情が認められないかぎり、右就労申入れが債務の本旨に従わない履行の提供とはならないと判示)

〇目黒電報電話局事件 東京地判昭45・4・13

(勤務時間中に「ベトナム侵略反対、米軍立川基地拡張阻止」と記載したプレートを着用したことは就業規則で禁止する政治活動には当たらず、取外し命令不服従を理由とする戒告処分を無効とする。控訴)。

〇目黒電報電話局事件 東京高判昭47・5・10

(控訴棄却、「ベトナム侵略反対・米軍立川基地拡張阻止」なるプレートを着用して執務することは禁止された政治活動にあたらないと判示、控訴人上告)

〇国労青函地本リボン闘争事件 函館地判昭47年・5・19

(制服の左胸に「大巾賃上げを斗いとろう、16万5千人合理化粉砕」と書いたリボンを着用することは、職務専念義務・服務規程に違反しないとし、訓告処分を無効とし、慰藉料請求も許容。控訴)

●ノースウエスト航空事件 東京高判昭47・12・21

(腕章着用が職務専念義務違反と判示)

△中部日本放送リボン闘争解雇事件 名古屋地判昭47・12・22

(就業時間中、社内及び取引先において、リボン、腕章、はちまき等を着用したことは、懲戒事由に該当するが、懲戒解雇は苛酷にすぎ解雇権の濫用とした。控訴)

●国労青函地本リボン闘争事件 札幌高判昭48・.5・29

(制服の左胸に「大巾賃上げを斗いとろう、16万5千人合理化粉砕」と書いたリボンを着用したことは、職務専念義務に違反し、鉄道営業法第22条及び国鉄の服装に関する定めに違反し違法であり、取り外し命令に従わない職員の訓告処分を適法と判示。上告)

●神田郵便局腕章事件 東京地判昭49・5・27

(勤務中に赤地に白く「全逓神田支部」と染め抜いた腕章を着用した行為は就業規則に違反し、職務専念義務に違反する。取外し命令を拒否したことを理由としてされた郵便課窓口係から同課通常係への担務変更命令が適法としたうえで、担務変更命令を無視して職務放棄をしたことによる減給処分を適法と判示)

● 大成観光リボン闘争事件 東京地判昭50・3・11

(中川幹郎チームの判決として著名。花形から垂らした幅約2.5センチメートル、長さ約6ないし11センチメートルの白の布地に「要求貫徹」等の文字を記載したリボンを上衣の左胸部に着用した行為は、争議行為としても、その他の組合活動としても正当な行為に当たらないとして救済命令を取り消し、組合幹部に対する減給・けん責処分を是認。被告控訴。)

△中部日本放送リボン闘争解雇事件 名古屋高判昭50・10・2

(就業時間中、社内及び取引先において、リボン、腕章、はちまき等を着用したことは、懲戒事由に該当するが、懲戒解雇は合理的裁量の限度を超えて、過酷な処分であり無効とした。上告)

●全逓灘郵便局事件 大阪高判昭51・1・30

(勤務時間中に「さあ!団結で大巾賃上げをかちとろう」と記載したリボン及び「全逓、灘郵便局支部」と記載した腕章を着用したことは就業規則に違反し、取外し命令に対する不服従を理由とする訓告処分を適法と判示。確定)

●神田郵便局腕章事件 東京高判昭51・2・25

(棄却。腕章取りはずし命令に従わないことを理由とした郵便課窓口係から通常係への担務変更命令に従わず職務を放棄した郵便局職員に対する減給処分が適法とする。確定)

●大成観光リボン闘争事件 東京高判昭52・8・9

(棄却。花形から垂らした幅約2.5センチメートル、長さ6ないし11センチメートルの白の布地に「要求貫徹」等の文字を記載したリボンを就業時間中に上衣の左胸部に着用した行為がいわゆる組合活動の面においても、争議行為の面においても違法とする。控訴人上告)

●目黒電報電話局事件 最三小判昭52・12・13

(破棄自判、日本電信電話公社の職員が勤務時間中に「ベトナム侵略反対、米軍立川基地拡張阻止」と記載したプレートを着用してこれを職場の同僚に訴えかけることは、日本電信電話公社法34条2項所定の職務専念義務に違反し、局所内の秩序風紀の維持を目的とする日本電信電話公社の就業規則の政治活動禁止規定に違反する。)。

●大成観光リボン闘争事件 最三小判昭57・4・13

(ホテル内において就業時間中に組合員たる従業員が各自「要求貫徹」等と記入したリボンを着用するというリボン闘争を実施した場合において‥‥判示のような事情があるときは、右リボン闘争は、就業時間中の組合活動であって、労働組合の正当な行為にあたらない。

●東急電鉄自動車部淡島営業所事件 東京地判昭60・8・26

(「狭山差別裁判粉砕」等と記載した縦10センチメートル、横14センチメートルの硬質プラスチック製のプレートを制服の左胸部に着用してした就労申入れを拒否した会社の措置につき、右就労申入れは、債務の本旨に従った労務の提供であると解することはできず、不就労時間中の賃金請求を棄却)

△国鉄鹿児島自動車営業所事件 鹿児島地判昭63・6・27

(勤務中はバッチを外すべきことを命じうるが、7・8月という暑さの中、10日間もの間長時間にわたり広さ1200平方メートルの営業所構内の降灰除去作業を1人で行わせたことにつき、右作業命令は、組合員バッチの離脱命令に従わなかったことに対して懲罰的に発せられたもので、業務命令権行使の濫用であって違法とし慰謝料も認める。控訴)

△国鉄鹿児島自動車営業所事件 福岡高裁宮崎支判平元・9・18

(棄却。上告)。

△延岡学園事件 宮崎地裁延岡支部平元・11・27

(本件リボン闘争は、勤務規定に違反し、組合活動としても違法であるといわざるを得ない。 しかしながら、本件リボンの形状及び記載文言は無用な煽情的・刺激的効果を与えないようにかなり配慮されたものであると認められること、その着用時間は一時間半程度の短時間に過ぎず、職場の秩序規律及び生徒の心情に対する影響の度合いはかなり低かったといえること等総合考慮すると、本件リボン闘争の違法性の程度はかなり低いものであったというべきである。)

○本荘保線区国労ベルト事件 秋田地判平2・12・14

(羽越本線出戸駅信号場構内で作業を行っていた国労組合員が、上着を脱いだ状態で、バックルに国労マークの入ったベルトを着用していたところ、ベルトを取り外すよう命じ就業規則の書き写し等を内容とする教育訓練を命じた事案であるが、本件ベルトの着用は、広い意味における組合活動としての一面があることは否定できないけれども、具体的な主義主張を表示するものではなく、単に国労組合員であることを表示するものに過ぎず、ベルトの着用は、就業規則三条の職務専念義務に違反するものではないとしたうえで、本件教育訓練はしごきであって、正当な業務命令の裁量の範囲を明らかに逸脱した違法があるとし、20万円の慰謝料を認めた)

○本荘保線区国労ベルト事件 仙台高判秋田支部平4・12・25

(棄却。本件ベルトは、社会通念上その形状、意匠等の点で格別一般人に嫌悪感、不快感を与えたり、奇異な感を抱かせるようなものではなく、‥‥被控訴人に対して本件ベルトの着用を禁止する合理的理由は見い出し難い。上告)

●国鉄鹿児島自動車営業所事件 最三小判平5・6・11

(破棄自判。組合バッチ離脱命令に従わなかった労働者を本来の業務から外し、7・8月という暑さの中、10日間もの間長時間にわたり広さ1200平方メートルの営業所構内の火山灰除去作業を1人で行わせた業務命令につき、右作業が職場環境整備等のために必要な作業であり、従来も職員が必要に応じてこれを行うことがあったなどの事情の下においては、違法なものとはいえないとし、業務命令権の濫用に当たるとした原判決を破棄)

〇JR西日本国労広島地本事件 広島地判平5・10・12

(「国労の組合バッジは、縦約一・一センチメートル、横約一・三センチメートルの大きさであり、その表面には、黒地にレールマークが描かれNRUとローマ字が表示されていることが認められる。すると、右組合バッジは、いずれも小さく目立たないものであり、また、具体的な主義主張が表示されているものでもないから、その着用行為は、原告らの労働を誠実に履行すべき義務と支障なく両立し、被告の業務を具体的に阻害することのない行為であって、原告らの職務専念義務に違背するものではなく、更に、就業規則二三条‥‥が禁止する勤務時間中の組合活動にも該当しない」から、組合バッジ着用等を理由として夏季一時金の減率査定(5%カット)を行ったことが考課査定権の濫用に当たる)

△延岡学園事件 福岡高裁宮崎支判平5・10・20

(「本件リボン闘争は、勤務規定に違反するものであり、かつ、組合活動としても違法であるといわざるを得ず‥‥懲戒事由に該当する‥‥しかしながら、本件リボンの形状及び記載文言は無用な煽情的・刺激的効果を与えないようにかなり配慮されたものであると認められること、その着用時間は一時間半程度の短時間に過ぎず、職場の秩序規律及び生徒の心情に対する影響の度合いはかなり低かったといえることを考慮すると、本件リボン闘争の違法性の程度はあまり高くない‥‥」)

〇東洋シート警告書事件 東京地判平昭7・6・8

●西福岡自動車学校腕章事件 福岡地判平7・9・20

(自動車学校の労働組合員らがした腕章着用闘争につき、同闘争は、労働者の団結を示威し、使用者に対し心理的圧迫を加え、労働者の要求ないし主張を貫徹する争議行為的側面と、組合員相互間において連帯感を触発し、団結をより強固にし、使用者との交渉に当たって士気を鼓舞する組合活動的側面の双方を有するものであるが、業務を阻害しなくともその本来的な目的を達することができるから、特別な事情のない限り、本質的には争議行為ではなく組合活動であると解するのが相当であるとした上、就業時間中に組合活動を行うことはその具体的態様にかかわらず職務専念義務に反するもので、正当な組合活動ではないとして、腕章着用闘争を理由とする戒告処分は不当労働行為に当たらないとした)

●JR東海国労東京地本新幹線支部国労バッジ事件 東京地判平7・12・14

(組合バッヂを着用していた労働者に対して厳重注意や夏期手当の減額支給等の措置をしたため、不当労働行為であるとして東京都地労委が救済命令を発したので、原告JR東海がその取り消しを求めた事案において、再三の注意・指導を無視して組合バッヂを着用していた組合員等に対し厳重注意をしたことには何らの問題とされるところはなく、夏期手当の減額支給等の措置は、原告の裁量権の範囲を超えた措置であったということはできず、不当労働行為意思によるものとは認められないとして、救済命令を取り消した。)

〇本荘保線区国労ベルト事件 最二小判平8・2・23

(棄却)

〇JR東日本神奈川国労バッチ事件 東京地判平9・8・7

(組合バッジ着用を理由とする厳重注意、訓告処分、夏季手当減額、業務外し等の不当労働行為とした神奈川県地方労働委員会の救済命令の取れ消し請求訴訟で、本件バッジ着用が、形式的には就業規則に抵触するが、リボン、ワッペンと異なり抗議意思や要求が表示されていたわけではなく、また特段の身体的・精神的活動を必要とするものでないため、労務提供義務の誠実な履行を妨げるおそれがなく、職務専念義務に違反しないこと、及び、本件処分や減額措置は組合員らが受ける不利益がきわめて大きいため国労に対する特別の意図があったとの疑いを払拭できず、原告が嫌悪する国労所属の本件組合員らに対する不利益な取扱いを通じて国労に打撃を与え、その勢力を減殺し、組織を弱体化させることを主たる動機として行ったものであり不当労働行為意思が認められるとして労委命令を相当とする)

〇神戸陸運事件 神戸地判平9・9・30

(本件腕章着用乗務行為は、労務を誠実に遂行する義務に違反するものでなく、正当な組合活動の範囲内の行為とし、腕章着用等を理由に乗務を拒否(労務受領拒否)したことを不当労働行為と認め、バックペイ等を命じた地労委の救済命令を適法とする)

●JR東海新幹線支部国労バッジ事件 東京高判平9・10・30

(棄却。勤務時間中に組合バッヂを着用する行為は、それが労働組合員であることを顕示して組合員相互間の組合意識を高め、使用者及び他の労働組合に所属する社員との対立を意識させ、注意力を職務に集中することを妨げるおそれがあるものであったと認められる等判示の事実関係の下においては、当該行為により職務の遂行が阻害される等の具体的な実害が発生しないとしても、企業秩序の維持に反するものであり、職務専念義務、勤務時間中の組合活動の禁止、服装の整正義務を定める就業規則の各規定に違反するとし、厳重注意や夏期手当の減額支給等の措置は不当労働行為に当たらないとした。上告)

●JR西日本国労広島地本事件 広島高判平10・4・30

(原判決を取消し,一部を除き請求を棄却。組合バッジを着用することは職務専念義務違反とならない例外に該当する場合とはいえないが,組合バッジの着用行為のみを減率の理由とした者以外の減率査定には合理性が認められ,裁量権の濫用とはいえないとした)

●延岡学園事件 宮崎地裁延岡地判平10・6・17

(本件リボン着用、生徒配布文書の配布、本件申入書の県当局への提出及び父兄等配布文書の配布行為を懲戒事由とする解雇は不当労働行為にあたらない)

●JR東海新幹線支部国労バッジ事件 最三小判平10・7・17

(棄却、国労バッジ着用に対する厳重注意および夏期手当の5%減額の措置を支配介入の不当労働行為に該当するという都労委の救済命令を取り消した原審判断を特に説示なしで認める)

△JR東日本神奈川国労バッチ事件 東京高判平11・2・24

(棄却、国労バッジ着用を理由とする863名に対し厳重注意、訓戒、55名に対し夏季手当55%減額の措置を不当労働行為とする。国労バッジの着用は、就業規則の服装整正規定違反、就業時間中の組合活動禁止規定違反、職務専念義務規定違反であり企業秩序を乱すものであるとし、取外し命令、懲戒、不利益処分を禁止するものではない。しかしながら「使用者の行為が従業員の就業規則違反を理由としてされたもので,一見合理的かつ正当といい得るような面があるとしても,それが労働組合に対する団結権の否認ないし労働組合に対する嫌悪の意図を決定的な動機として行われたものと認められるときには,その使用者の行為は,これを全体的にみて,当該労働組合に対する支配介入に当たるものというべきである」と述べ、「敵意と嫌悪感を露骨に示す言動を繰り返し」バッジ取外しの指示・指導等は「執拗かつ臓烈なもので,平和的な説得の域を大きく逸脱するものであり」「就業規則の書き写しの作業などは,嫌がらせ」であり、「厳しい対決姿勢で臨んでいた国労を嫌悪し,組合から組合員を脱退させて,国労を弱体化し,ひいては‥‥排除しようとの意図の下にこれを決定的な動機として行われたもの」として不当労働行為(支配介入)に該当するとした。)」

△JR東日本神奈川国労バッチ事件 最一小決平11・11・11

(不受理)

●JR西日本大阪国労バッチ事件 東京地判平24・10・31

(国労バッチ着用を理由とする平成12年、13年の訓告と同年の夏季手当減額を不当労働行為とした大阪府労働委員会の救済命令につき、会社側は不服として中労委に再審査申し立てしたところ、初審命令を取り消したので、原告側が中労委の処分を取り消しを求めた事案で、東京地裁は本件組合バッジの取外しの注意・指導は,労働組合に対する団結権の否認ないし嫌悪の意図を決定的動機として行われたものであると認めることはできず,の不当労働行為に当たるということはできないとして、原告の請求を棄却)

●JR東日本神奈川国労バッチ出勤停止処分事件 東京地判平24・11・7

(救済命令取り消し請求訴訟。中労委は国労バッジ着用を続けたことを理由とする二度にわたる出勤停止処分を不当労働行為にあたるとして救済命令を発令したが、一部取り消す。就業規則違反行為は約15年にもおよんで再三反復継続していたことからすれば業務に対する支障がない行為ではあるがそれに対する処分の加重性には合理的理由があり,さらに国労は昭和62年の会社発足以来組織的な組合活動としてバッジ着用行為を指示し,組織としても不当労働行為救済申立てを行うなどしてきたが,平成14年3月末以降は,組織として不当労働行為救済申立てを行うことはなくなり,平成18年11月には,バッジ事件を含む合計61件の不当労働行為救済申立事件を取り下げているのであって、平成15年7月以降は国労バッジ着用者が○○のみとなり,本件各処分の対象となった平成19年ころには,既にその組合活動としての色彩が後退し,個人的行為の側面が強く不当労働行為には当たらないとした。)

●JR東日本神奈川国労バッチ事件 東京高判25・3・27

(棄却。国労内少数派を嫌悪して本件警告文の掲出や国労バッジの着用に関しあえて過重な処分をしたとは認められない。)

△JR東日本神奈川国労バッチ減給処分等事件 東京地判平25・3・28

(救済命令取り消し訴訟、棄却。平成12年5月30日になされた四党合意について,国労は,平成13年1月27日,これを受諾し,さらに,平成14年3月末ころ,国労バッジ着用処分について,組織として救済申立てをしない方針に転換した。国労の上記方針の転換の時期と相前後する平成14年3月28日,原告は本件警告書の掲出を行い,国労バッジ着用行為に対し,従前行っていた1年度2回の訓告よりも処分を加重する旨を通告した。 6名はその後の調査期間(平成14年4月から同年6月まで)経過後も国労バッジ着用行為を続けたため,これを止めるまで減給以上の処分を受けた。

本件警告書掲出前にされていた処分と,掲出後にされた処分は,後者の方が格段に大きな経済的不利益をもたらすものと認められるが,この極端な厳罰化は,組合バッジ着用を継続する国労内少数派が組合活動を行うことを嫌悪していた会社が,組合執行部の方針転換を認識するに至り,これを機に,組合内少数派の組合活動を一掃しようとの意図に基づき行ったものであると推認することができることから,組合内少数派の勢力を減殺し,組合執行部の方針に加担したものと認められ,支配介入を構成し不当労働行為が成立するとした)。

△JR東日本国労神奈川国労バッチ減給処分等事件 東京高判平25.11.28

(棄却)

△JR東日本国労神奈川国労バッチ減給処分等事件  最一小決平27・1・22

(棄却、不受理)

△東京都立南大沢学園養護学校事件 東京地判平29・5・22

(都立学校教師が、卒業式において、校長の職務命令に違反し、国歌斉唱の際、起立しなかったこと、「強制反対 日の丸 君が代」又は「OBJECTION HINOMARU KIMIGAYO」等と印刷されたトレーナーの着用を続けたことによる停職6月の懲戒処分は、処分の選択が重きに失するものとして社会観念上著しく妥当を欠き、懲戒権者としての裁量権の範囲を逸脱し違法とした)

2018/03/19

貴公俊は軽微な処分で大目にみてやって

  とにかく相撲協会の処分厳しすぎる。伊之助のケースも1回こっきり胸をさわった云々程度で半年の停職は酷に思えた。有効期限切れの無免許運転にしても公務員なら免職にはならないと思う。くわしい経緯は知らないが廃業されたのは気の毒。昔はリンカーンコンチネンタルを乗り回すのが横綱のステータスだったのに車も運転できないなんて。
 そもそも相撲取りは相撲で結果的に相手にけがを負わせたとしても、刑法35条の正当な業務行為であるから違法性が阻却されるのだし、スボーツ庁や文部省のようなきれいごとはいいたくない。
 我が国でも昭和48年の久留米駅事件判決以前は、可罰的違法性論が有力だったので暴力にかなり許容的な社会だった。藤木英雄東大教授の刑法学説(可罰的違法性論)によって構成要件の縮小解釈を打ち出したことが、司法判断に影響を及ぼし、特に労働事件で犯罪構成要件の判断を縮小したり構成要件を曲解する傾向、外形的には構成要件に該当する行為があっても被害が軽微であるとか、許容されている限界を逸脱していないなどとして、刑事罰の対象としないおかしな判決が下されたものだ。
 世間一般も体育会系の上下関係を肯定し、野球部のけつバットのしごきは根性を注入するので良いというのが普通の認識だった。
 私は、可罰的違法性論にはもちろん批判的な見方だが、だからといってあらゆる暴力を根絶するというも極論であり、貴乃花親方は暴力だからいけないというきれいごとはいわず、有望で人気力士でもある弟子をかばうべきだった。
 今回は貴ノ岩事件とは違う、貴乃花親方をさしおいて、弟弟子でもないのに日馬富士が勝手に説教をたれ殴ったのは越権行為、今回は付け人の監督者は関取であり、体育会系の上下関係ではしばしばありうること。

2018/03/17

労働時間の把握義務付け反対

「厚労省、働き方法案修正へ 労働時間の把握義務づけ」 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180317-00000063-san-polこちらにも400字のコメント書きましたが、発売中の週刊アスキーに「働き方改革」を受難ととらえ、「思うように残業できず、仕事は山積」と愚痴に書かれていたが同じ心境である。

私は自由主義的な立場で政府が労働時間について労使関係が干渉すること自体、残業時間規制にも反対だが、いろんな事情で仕事を抱込んだり、業務量の発生が増大するのはやむをえないことで、その日のうちに始末しないとリカバリーが大変なのに残業禁止されるのはもうたくさん。ノー残業で、仕事に熱中できない、粉骨砕身働いた感もないので不満だらけ、そのうえ労働時間を客観的に把握されると、常に使用者や労組に気兼ねして仕事を中止し先送りさせることになるのでかえってストレスになる。

 いわゆる申告なしの残業で事実上、裁量労働制的に働いてきたまじめな人たちがたたかれるのはおかしい。

 会社への忠誠心や低賃金長時間労働でコスパの良さ、ハードワークだけがとりえで長期雇用されていた男性は居場所がなくなるだけでなく、ドラッカーのいう達成感のある仕事もできなくなる。

勤勉に働くことを奨励するのがコモンローのパブリックポリシーであり、営業の自由を基本とする近代市民社会の基本精神の崩壊を促す。

こんなことになるなら、サービス残業年間200時間あたりまえ。猛烈に働くことが美徳とされていた80年代のほうがよかったとさえ思う。

 勤勉に働くことを奨励するのがコモンローのパブリックポリシーであり、営業の自由を基本とする近代市民社会の基本精神の崩壊を促す。私は今回の「働き方改革」が事実上、労働時間規制に主眼をおいた反新自由主義、社会民主主義的性格のものであり、きわめて不快な政策である。

 私は、サッチャー・メジャー時代のイギリスのように児童労働以外の労働時間規制をなくし、最低賃金もなくす。オーストラリア自由党のように残業時間の働き方は労働者との個別交渉で自由にする安倍とは180度違う政策が望ましいと考えているので日本の社会主義的政治には絶望した。

 

 

 

2018/02/03

国会議員への意見具申 民法731条改正(女子婚姻適齢引上げ)、737条及び757条の廃止に強く反対し、修正案を提案する 要旨

国会議員への意見具申

 

 

 

民法731条改正(女子婚姻適齢引上げ)、737条及び757条の廃止に強く反対し、修正案を提案する 

 

  

 東京都水道局勤務58

 川西 正彦 (都立園芸高等学校園芸科卒)

 

 

 

 突然の不躾なメールをお許しください。軽輩にもかかわらず、厚かましくも長文で失礼しますが、虫けら同然の全く社会的地位も何もない一国民がたんに意見を具申(不特定多数の政治家に 非公式的に)するものです。先生方がご多忙なのは重々承知で、もし興味があればご覧いただきたい程度の趣旨ですので、他意はございません。ご笑覧いただければ幸甚に存じます。

 もちろん標記の件は政治家にとって何のメリットもないし、反対世論もない。こんなことにエネルギーをさくのは無駄と考えられるのが普通だとは思いますが、しかしながら婚姻の自由は核心的に重要な価値とする立場でこの問題にはこだわりがあるため事態を傍観できないため上記の件につき意見を上申します。(なお私自身は生涯未婚でその意欲もありませんが、自己の婚姻の自由、幸福追求権、配偶者選択の範囲が縮小する問題として利害を有しており当然発言権のある問題と考えます。)

 かなり前に既定方針化され今更修正などできないといわれるかもしれません。しかし土壇場の状況であってもそ政治にはハプニングがつきものなので全く無意味ではないと考えました。

 無論、情勢が不利であることはわかってます。私としては社会一般にもアピールしたいと考えますが、今のところ好意的な意見の一般人は少数で見込みがないです。とはいえ反対の声を出しておけば一応「婚姻の自由」という文明史的理念のために抵抗したというアリバイづくりになるので、人生に絶望せず自己同一性が崩壊しないですむため私の文書活動は自分自身が生き残るためのものでもあるので、文章上の失礼の段、ご海容願います。

 

 

私の修正案

 

 

 成人年齢18歳引下げに伴う関連法案として、政府は民法731条を改正するとし、女16歳から男女とも18歳として新成人年齢と一致させる。また未成年者の婚姻の父母の同意(737条)と、未成年者の婚姻による成人擬制(753条)を廃止する方針であるが、強く異を唱え反対する。

 私の修正案は、当事者の一方が18歳以上であれば、他方は18歳未満16歳以上で結婚できるように修正し、737条と753条も維持することを提案するものである。

 

 

731 条(婚姻適齢)修正案

 

 婚姻するには当事者の一方が満十六歳に達し、他方が満十八歳に達していることを要する

(男女取扱いの差異をなくしたうえ、1617歳女子の婚姻資格をはく奪する蛮行を避ける無難な法案である)

 

 

 737条(父母の同意要件-廃止せず維持)

 

 753条(成年擬制-廃止せず維持)

 

  

本音を言えば法改正それ自体反対である、しかし、男女別の取扱いの差異に固執するのは得策でないと考え、取扱いの差異をなくして平等を達成しつつ、古より婚姻に相応しい年齢とされてきた16歳・17歳女子の婚姻資格剥奪を避ける修正案を提案するものである。

 

 婚姻年齢の制限は、婚姻適応能力のない未熟な段階での婚姻がその者の福祉に反することが懸念されるということにあるといえるだろう。

 

したがって16歳・17歳女子の婚姻資格をはく奪するにあたっては、それが当事者の福祉に反する、あるいは当事者の最善の利益にならないもしくは、取り返しのない負担を課すという合理的な根拠がなければならない。

 

 しかし、これまで法制審議会その他が示した法改正趣旨に合理的なものがひとつもないのである。

 

 結婚し家庭を築き子供を育てる権利、婚姻の自由は、憲法一三条、二四条一項と密接な関連のある法的利益であり、安易に剥奪されるべきものではない。

 

 外国の立法例では、親・保護者の同意要件のもとでイングランドやアメリカ合衆国34州(2016年の段階、同意に加え補充要件規定では殆どの州)カナダの主要州が男女とも婚姻適齢を16歳と定めている。合衆国においても我が国の成年擬制と同様の未成年解放制度があるので婚姻適齢は男女共16歳でもよいと思うが、成年擬制との関連で反対論がより少ないと想定する、男女を問わず当事者の一方が新成人年齢の18歳なら、他方は16歳の結婚を認め、従前の1617歳女子の婚姻資格を喪失させない2016年までのドイツの法制を修正案のモデルとして採用した。

 

 以下修正案提案理由要旨 2つのバージョンを記載しております。 これより詳しい理由は添付ファイルのPDF(本文A416頁)、もしくは下記をご覧いただければ幸甚に存じます

 

 

(提案理由の詳細は特設ブログをご覧ください。川西正彦のこれが正論だ 民法731条改正、737条及び757条の廃止に反対し、修正案を提案する 、引用参考文献リストもあります。 動画も作っておりYOUTUBEチャンネルはmasahiko kawanishi、ニコニコ動画でもニックネーム「川西正彦」で公開してます)

 

 

 

 

 修正案提案の説明(要旨)

 

. 男女の取り扱いの差異を廃す立法目的は認めるが、16歳・17歳の婚姻資格を剥奪し婚姻の自由を抑制する立法趣旨は不当なもので論理性もない

 

 (1)男女の取り扱いの差異を廃し、形式的平等とする立法目的は認めるが、婚姻の自由を抑制しない在り方とすべきである。

 

 

 本音を言えば、現行法制のままでよいと考える。男女取扱いの差異については生理的成熟の男女差が基本にあり、事柄の性質に応じた合理的な根拠に基づくものとして憲法141項違反にはならない。1996年法制審議会答申の民法部会長の加藤一郎元東大総長の学説も合憲であった。なお女子差別撤廃条約(アメリカ合衆国が批准していないので、これが国際的スタンダードな考え方とはいえない)は人権条約の実施措置としてはもっとも緩い報告制度をとっている。締約国の義務は国連の女子差別撤廃委員会(CEDAW) に条約批准の一年後とその後は四年ごとに条約の実施のためにとった立法上、司法上、行政上のその他の措置の報告をするだけにすぎない。CEDAWの権限は弱く条約十八条で提案と一般的勧告をを行うことができるが条文の解釈は締約国に委ねられいるから(註1)、勧告に強制力はないので問題にせずともよいというのが私の主張である。

 

 我が国の婚姻適齢法制は次のとおりである。

●令制 養老令戸令聴婚嫁条 男15歳、女13歳(数え年 唐永徽令の継受、大宝令も同一、飛鳥浄御原令も一応同一というのが通説である。また戸婚律に罰則規定はない。十三鉄漿つけという語があるように江戸時代においても意味をもっていた)(註2

 

●明治初期~明治31年 成文法なし(ただし改定律例260条「十二年以下ノ幼女ヲ姦スモノハ和ト雖モ強ト同ク論スル」より13歳以上が婚姻適齢と解釈される 註3

 

●明治民法(明治31年施行) 男17歳、女15歳(母胎の健康保持の医学上の観点による)

 

● 戦後民法 男18歳、女16歳(米国で多くの州が採用していたため)

 

 

 婚姻適齢の文明史的グローバルスタンダードは、ローマ法、カノン法、コモン・ロー共通の男14歳・女12歳であり、唐永徽令、日本養老令の男15歳、女13歳も数え年なので実質的に同じと言ってもさしつかえない。これはほぼ自然法といってもよい。カノン法はもっとも緩く、合衾可能ならば早熟は年齢を補うという趣旨で婚姻適齢未満であっても適齢としたように、婚姻の自由が重視されている。

 いずれも2歳の男女差をもうけているから、男女取扱いの差異は合理的なものと判断する。

 ちなみに米国では、1970年代の統一婚姻離婚法のモデル立法(註4)が、男女共、親の同意要件による婚姻適齢を16歳としたことと、男女平等憲法修正条項(ERA)が1972年に議会を通過し、各州の批准の過程で、多くの州が男子の婚姻適齢を引下げて男女平等に法改正したが、結局憲法修正は頓挫したため、オハイオ州が男18歳、女16歳であるように差異のある州もあるのだから、男女平等になびく必然性はない。

 とはいえ、この土壇場の状況で男女取扱いの差異に固執するのは得策でないと判断し、形式的平等にする立法目的をあえて認めるものである。

 ただし従前の1617歳女子の婚姻資格を剥奪し、婚姻の自由を抑制することは、憲法13条、24 1項と密接にかかわる法益、幸福追求に不可欠な結婚し家庭を築き子供を育てる権利の侵害であるからこれに強く反対し、婚姻適応能力がないという決めつけも全く不当であるから政府案ではなく、次のような修正案が必要であると考える。

 

 A 英国(註5)やアメリカ合衆国の多くの州(註6)がそうであるように、男女共16歳を婚姻適齢とする

 B 東西統一から2016年までのドイツ(註7)のように、18歳を原則としつつも、一方の配偶者は1617歳であっても他方が18歳以上ならば婚姻可能とする

 

 私の修正案がBをとったのは、成年擬制を維持するので、より専門家の反発が少ないと想定する案を採用したものであるが、Aであってもさしつかえない。

 要するに、結婚する権利を剥奪、縮小せず、男女取扱いの差異をなくすことができるのだからより国民の権利に対してより弾圧的でない手段をとるべきである 

 日弁連女性委員会は均等法以前の70年代から男女平等のシンボルとしたいという意向で、女子婚姻適齢引き上げを主張してきており、それに法制審議会や法務省が追随したのが政府の改正案だが、女性政策は当時より格段に進歩した今日にあって、政治的スローガンの達成の意味は薄くなってきているにもかかわらず、国民の権利を剥奪する方向での男女平等には反対なのだ。平等を達成したい女性団体の言い分も聞いているのだから、反対する理由はないはずである。

 しかし、ジェンダー論者やマルクス主義フェミニズムの立場から次のような難色が示されるだろう。

 1617歳は男女を問わず条件つきで婚姻可能として婚姻適齢を形式的に平等としても事実上未成年者の方は女子が大多数となるはずで、1617歳女子の結婚は、男性側の稼得能力に依存するものとなりがちであり、女性の社会進出に有害であり、夫婦の役割分担の定型概念を助長し好ましくないというのだろう。

 しかしながら、民法750条は夫方の姓が大多数であっても、文面上平等な規定である以上法の下の平等に反しないとされたように、形式的平等以上に踏み込む理由はない。ジェンダー論やマルクス主義はわが国の公定イデオロギーではなく、民法を特定の思想による社会改革の道具とすべきではない。安倍首相が推進している政策も総じて社会主義政策であり、ジェンダー論者やマルキストに近い思想と考えられるが、だからといって国民が安倍首相の思想に染まる必要はないのである。

 家庭倫理 や夫婦の性的分業、役割分担は私的自治の領域であり、政府が左翼思想に基づきイデオロギー的に干渉するのは間違いであり、それは全体主義的統制だろう。

 男性側が主たる稼ぎ手となる伝統的な規範にもとづく性的分業の婚姻家族であれ、現代風の「あなそれ」夫婦であれ、法律婚として保護されるべきであり、この点政府は中立であるべきである。例えばチェコは1989年のビロード革命で、夫婦共働きが当然だったのが、専業主婦を選択する自由を得ることができたのであって、女優を捨てて家庭婦人を宣言した堀北真希、専業主婦の藤井聡太四段の母、敬語を使わない妻を叱るという亭主関白の太川陽介が、安倍首相は気に入らないかもしれないが夫婦役割分担の定型概念を助長し、女性活躍推進、ジェンダー論に反する不逞な輩として制裁される必要はないのであり、それと同じことである。

 

(註1)浅山郁「女子差別撤廃条約の報告制度と締約国からの報告 (女性そして男性) -- (外国における女性と法) 」『法学セミナー増刊 総合特集シリーズ 』日本評論社 (通号 30) [1985.07]

(註2)専論としては利光三津夫の「奈良時代の婚姻年令法について」『律の研究』1明治書院1961年、高島正人「令前令後における嫡長子相続制と婚姻年令」『対外関係と社会経済』塙書房1968

(註3)小木新造『東京庶民生活史研究』日本放送協会1979年 309頁 市川正一「男女婚嫁ノ年齢ヲ論ス」18816月『東京雑誌』第一号 

(註4 )村井衡平「【資料】統一婚姻・離婚法() : 一九七〇年八月六日公表第一次草案」神戸学院法学 5231974

(註5) 田中和夫「イギリスの婚姻法」比較法研究18号 25958 松下晴彦「グレトナ・グリーン「駆け落ち婚」の聖地」英米文化学会編『英文学と結婚-シェイクスピアからシリトーまで』彩流社所収2004 平松紘・森本敦「スコットランドの家族法」黒木三郎監修 『世界の家族法』 敬文堂所収1991

(註6)コーネル大学ロースクールのMarriage Laws of the Fifty States, District of Columbia and Puerto Rico https://www.law.cornell.edu/wex/table_marriage 2017年春の段階で大多数の州が(34) 男女とも16歳を法定婚姻年齢(ただし1617歳は親ないし保護者の同意を要する)とし、加えて16歳未満でも補充要件規定で裁判上の承認等により婚姻可能としている州が多い。(Pew Research CenterChild marriage is rare in the U.S., though this varies by stateNovember 1, 2016 http://www.pewresearch.org/fact-tank/2016/11/01/child-marriage-is-rare-in-the-u-s-though-this-varies-by-state/によれば、16歳と17歳は34州で親の許可を得て結婚することができる。と記載されている

(註7)岩志和一郎「ドイツの家族法」 黒木三郎監修 『世界の家族法』 敬文堂図書所収1991 ただし2017年になってhttp://www.afpbb.com/articles/-/3124128(ドイツ、18歳未満の婚姻禁止へ 難民流入で既婚少女増加)との報道がある。

 

 

 

2)「社会生活が複雑化・高度化した現時点でみれば、婚姻適齢は、男女の社会的・経済的成熟度 に重きを置いて定めるのが相当」という法改正趣旨に正当性はない

 

 これは1617歳女子の婚姻資格を剥奪する口実として全く不当な立法趣旨である。我が国の法律婚制度は、基本的に民間の慣習を尊重し自由主義的な性格のものである。届出主義により容易、挙式も要求していない。政府がライセンスを発行するものでなく、社会的地位や稼得能力を役所が審査するようなことは全くない。離婚も協議離婚により比較的容易。明治民法においても儒教道徳の立場から逆縁婚(亡兄の嫂を娶る)禁止の主張を排し、庶民の家族慣行を重視しており、結果的に戦争未亡人の多くが逆縁婚で再婚しており、無用の混乱を起こすことなく済んだように、自由主義的な性格を有していた。

 婚姻の自由とは当事者の合意を基本として、社会的・経済的条件・利害にかかわるハードルを設けないという理念であり、憲法241項の婚姻の自由の趣旨を重視するなら、婚姻適応能力の判定として適切でない漠然不明確な社会的・経済的成熟度なる概念を口実として結婚する権利を奪うのは全く不当であり、婚姻は、自由でなければならぬ」Matrimonia debent esse liberaMarriages ought to be free)という法諺(註8)にも反するのである。

 英国や、アメリカ合衆国の大多数の州、カナダ、オーストラリアなどで16歳で結婚可能であるが、英国人やアメリカ人は婚姻適応能力があると判定されている1617歳が我が国において婚姻適応能力がないものとみなすのは不合理であるし、例えばキリスト教における結婚の理由づけが、新約聖書コリント前書7279に根拠のある情欲の緩和(淫欲の治療薬としての結婚 註6)や、相互扶助の共同体(暖かい家庭)を築きたいという自然的欲求(16世紀のローマ公教公理 註7)だけで結婚の理由としてよいことになっており、近代個人主義的友愛結婚も、孤独から救済、慰めと平和を得るhappy conversationという個人的心理的充足を第一義とする結婚の理念(註8)であり、社会的経済的成熟度なるものを婚姻の要件とはしていないのである。

 むろん世俗的慣行として結婚の前提として所帯を構えるには経済力が必要と考える人は多くそれは普通のことだが、それぞれ境涯の異なる万人に適用される法は当事者の合意が第一義なのでであって、経済的・社会的条件は婚姻成立要件から捨象して結婚を妨げないものであるべきなのである。

 婚姻適齢は社会的・経済的成熟度に重きをおく政策というなら中国のように男22歳、女20歳に婚姻年齢を引上げる口実にもなりうるし、共産党独裁政権と大差ない政策と非難したい。

 しかも結婚は相互扶助の共同体であるから、当事者の一方が稼得能力に乏しくても可能なのである。この点当事者の双方に相当な稼得能力を求める理由はなく、幸福追求権を否定するにあたっては高すぎるハードルである。女性に男性に劣らぬ稼得能力を有する成熟度を結婚の条件として要求するというのは、先に述べたジェンダー論やマルクス主義フェミニズムであるが、男女の役割分担、性的分業は私的自治にかかわる領域で、この点国民が政府によってコントロールされ干渉される理由はないから、当事者の双方ともに社会的・経済的成熟なるものを求めるのは不当なのである。 

 もちろん結婚の目的は多義的であってよく、筧千佐子被告が何度再婚を繰り返そうと、木嶋佳苗死刑囚が獄中結婚しようと自由であり、成人であっても疾病や障害等で稼得能力の乏しい人は存在するが結婚する権利は奪われないし、第三者からみてそれが釣り合いのとれない結婚とみられるものであれ、結婚は自由なのであって、政府が干渉する余地はないのだ。一方で、切実な思いで結婚し相互扶助共同体である家庭を築きたい若い女性のカップルの幸福追求はなにがなんでも妨げ、結婚よりも教育だ経済的自立だという特定の価値観を押し付けようとする日弁連女性委員会や児童婚をなくす運動をしている日本ユニセフ協会のメンツをたてなければならないというのは大変意地悪な法改正だといわなければならない。

 1617歳女子は古より婚姻に相応しく婚姻適応能力のある年齢と認識されており、むろん義務教育修了後の就労は労働法で規制されてないから、稼得能力がないということはない。社会が複雑化・高度化することによって婚姻適応能力を喪失するという根拠はなにもない。国民の権利、自由、幸福追求権を奪い取るにあたっては、それが当事者にとって最善の利益にならないとか、取返しのつかない負担を課すことになることが立証されるべきであるが説得力のある説明は何ひとつないのである。

 1998年タレントの三船美佳16歳が40歳の歌手高橋ジョージと結婚し、鴛鴦夫婦として有名になったしマスコミ報道も好意的であった。2015 離婚したが、仮に18歳で結婚したとしても同じことだろう。三船美佳はタレントとしても成功しており、この結婚が当事者の最善の利益ではなかったと証明することは不可能であるし、そう言い募るのは高橋氏に失礼だろう。

 結局、なにがなんでも1617歳女子の婚姻資格を剥奪したいというのは、若い女性に求婚する男性に対する敵意と、早婚女性への軽蔑にもとづくものであるか、法務当局の日弁連女性委員会や日本ユニセフ協会への阿諛追従にもとづくものであり、正当な立法趣旨とはいえないのであります。 

 私が、18歳引上げを長年主張してきた、日弁連女性委員会を全く信用していないのは、この委員会の主張が偏っていること。例えばトルコ風呂における売春の摘発を強化すべきだという主張である。私はトルコ風呂で遊んだ経験がないので実態を知らないが、仮にそれがあるとしても本来フェミニストというのは社会的弱者として売春婦の生活圏を守るための運動からはじまったことからすれば、トルコ嬢(現在ではソープ嬢という)の生活権を否定したり、男性の性欲や風俗営業を敵視するような主張は偏っており、幅広い社会階層を含む国民の権利よりも自分たちの独善的な価値観や生理的嫌悪感が前面に出ていると思ったからです。

 婚姻適齢引上げについても、結婚より教育や経済的自立が重要という特定の思想ないし特定社会階層の独善的価値観にもとづくものであり、若くして事実上の関係ができてしまう女性に対する軽蔑を看取できるのであり、法制審議会や法務省は同じ身内、仲間の意見として尊重しているのかもしれないが、国会議員はより独立した立場であるから日弁連女性委員会のいいなりになることのないよう伏してお願いするものであります。

 1990年代に1617歳女子の結婚は年間3千組あった。20151350組程度に減少しているが、本来弁護士は少数者の権利を擁護すべき立場なのに、民法731条改正の目的が、男女平等のシンボルとしたいという政策的目的にあり、そのために年間3000組程度のカップルの幸福追求権は犠牲になって当然という冷淡さに私は嫌悪感をもつがゆえに、日弁連女性委員会に従うことはできないのであります。

 女性政策はこの2030年間に飛躍的に推進されており、いまさら民法731条を男女平等のシンボルにしなくても、女性団体の多くの主張が取り入れられている。このうえ民法731条もエリート女性団体のいいなりにというのはやりすぎである。女性活躍推進政策により高学歴エリート女子は、割り当て制などで昇進するのも、社会的威信のあるポストにつくのも俄然有利である。東大さつき会人脈といえば不倫も許される事実上の新特権階級だろう。エリート女性はなんでも優遇され得をしているのだからもうこれ以上の女性団体への迎合政策はうんざりなのだ。

 

 (註8)守屋善輝『英米法諺』中央大学出版部1973

 

 

2.良心的な女性法律家は改正案に反対している

 

 

 今回の民法731条改正は平成8年(1996)の法制審議会民法部会答申民法一部改正案要綱を下敷きにしており、16・17歳女子の婚姻資格を剥奪し、男女とも18歳に婚姻適齢を揃えるというものであります。

 これは70年代から日弁連女性委員会等女性団体が主張してきたもので、それに法制審議会が従ったものであります。男女共18歳婚姻適齢はソ連や東独で始まったものであり、社会主義国モデルを導入しようというものともいえます。均等法以降の女性政策が推進される前から主張されてきたことであり、これを男女平等のシン ボルにしようという意図が強かった。

 しかし法制審議会でも反対意見を述べる方がいて、故人ですが女性初の高裁長官である野田愛子氏(註9 東京高裁判事として男女定年差別は違憲と判決、札幌高裁長官、中央更生保護審査会委員を歴任) は家裁での実務経験が豊富な立場から、虞犯女子が結婚すると落ち着くといった多くの例を知ってますと述べられ、90年代当時は16・17歳で結婚する女子が年間3000人(2015年には1357人)ほどいて事実上の関係ができ妊娠する女子の手当が必要なことから、現行法制のままでよいとされてます。

 また民法学者では滝沢聿代氏(註10 元成城大学・法政大学教授) が、法制審議会が高校進学率の高まりを指摘し、婚姻年齢に高校教育終了程度の社会的、経済的成熟を要求することが適当であるとする法改正趣旨を論難され、中卒では婚姻適応能力がないとでもいうのかと非難されております。現実には、義務教育で終えるものも少なからず存在し、彼女たちこそ婚姻適齢法制の改正はより切実な問題といえます。また婚姻の自由の抑制も批判されております。

 このように女性法律家でも良心的な方がいて反対しておられるのです。

 今日では単位制高校など生徒の実態の多様性に応じて履修可能な高校もあり、家庭生活と両立も可能であり、婚姻適齢16歳が教育機会を奪うという主張に論理性はありません。実際16歳で結婚した三船美佳は横浜インターナショナルスクールを卒業してます。結婚のために義務教育以上の教育を要求するというのは全く論理性がありません。中卒の井山裕太囲碁七冠が離婚したのは婚姻能力がなかったとでもいうのか、これほど非論理的な立法趣旨は珍しい。

 また政府が考えるほど進学がよいことだとは思いません。高卒で必ずしも安定した就職が可能ではないし、進学のために適応障害になったり、自殺願望をもって被害者となった女子高生もいるわけですから、当事者にとっての最善の利益が学業とはいえない場合もあります。女子は男子と比較して高卒と大卒の賃金格差が大きく、高学歴を促す賃金経済学的要因となっているのは事実ですが、だからといってすべての女子が賃金の高い大卒を目指さなければならない理由などなく、若い女性の結婚を否定する理由にはならないのです。

 

(註9)野田愛子 「法制審議会民法部会身分法小委員会における婚姻・離婚法改正」の審議について」(上)」戸籍時報419 181993

(註10)滝沢聿代「民法改正要綱思案の問題点(上)」法律時報6612199411月号72

 

 

 

3.18歳婚姻適齢が世界的趨勢というのは虚偽

 

 

 又、1996年当時法制審議会は18歳婚姻適齢が世界的趨勢と言っておりましたが、これは全く虚偽です。

 英国が男女とも婚姻適齢16歳ですし、アメリカ合衆国は州ごとに婚姻法は異なりますが、私法統一運動があって、1970年代の統一婚姻・離婚法のモデル案(註11)では、16歳を親・保護者の同意要件のもとに婚姻適齢とし、16歳未満であっても補充用件規定の裁判上の承認によって婚姻を認めるものであります。

 これは Loving v. Virginia, 388 U.S. 1 (1967) https://supreme.justia.com/cases/federal/us/388/1/case.html という連邦最高裁判決の影響があります。ウォーレン長官による法廷意見は「結婚の自由は、自由な人間が秩序だって幸福を追求するのに不可欠で重要な個人の権利の一つとして、永らく認められてきた。結婚は『人間の基礎的な市民的権利』の一つである。まさに我々の存立と存続にとって基本的なものである」とし(註12)、 このために、米国では男18歳、女16歳とする州が多かったのですが、多くの州は統一婚姻法モデルに従って男子を16歳に引き下げる法改正を行いました。またカナダの主要州も16歳は婚姻適齢です。現行カトリック成文法典では男 16歳女14歳なので、14歳での結婚を認めている国も結構あります。

 虚偽を法改正の根拠としている。これほど悪質なものはありません。

 法制審議会だからといってなんでも信用しないようにしてください。合衆国各州の婚姻適齢法制一覧で、信頼できるものとしてコーネル大学ロースクールの https://www.law.cornell.edu/wex/table_marriage Marriage Laws of the Fifty States, District of Columbia and Puerto Ricoがあるのでみてください。

 

(註11)村井衡平「【資料】統一婚姻・離婚法() : 一九七〇年八月六日公表第一次草案」神戸学院法学 5231974

(註12)米沢広一 「家族と憲法(二)」法学雑誌(大阪市立大)361, 11989

 

 

4.近年攻勢を仕掛けている児童婚撲滅団体の主張は断固拒否すべき

 

 

 もっとも、その後2008年にフランスが女15歳だったのを男女とも18歳とする法改正を行い(註13)、2017年にドイツが、従前では原則として18歳としつつも、配偶者の一方が16歳以上で婚姻可能としていた法制を18歳を原則とする法改正がなされるとの報道があります(註14 

 これは近年児童婚撲滅運動が世界的に活発なロビー活動で攻勢を仕掛けていることと関連があります。フランスやドイツ の法改正趣旨はイスラム圏の移民・難民が多く、強制的な結婚、当事者にとって不本意な結婚から子どもの人権を守る趣旨だとされています。

 法務省などは、我が国もフランスやドイツに追随すべきとして国会議員を説得すると思いますが、イスラム系移民や難民の少ない我が国とは事情の異なることに留意してください。

 米国においても、2017年に児童婚反対運動のロビー活動によりクォモ知事が籠絡されニューヨーク州は最低婚姻年令を14歳から17歳に引上げてます。

 しかし、私は児童婚撲滅運動は過剰なパターナリズムであり、婚姻の自由という文明史的理念を否定し、個人の幸福追求権を否定し結婚させないというのも異常で全体主義平等をめざすものとして反対です。

 ちなみに教会法は結婚に関して中世より現代まで一貫して未成年でも親の同意要件を否定していて、結婚に関する自己決定権を重視し、当事者の合意を本質とする価値は一貫してます。スコットランドは16歳なら親の同意なく結婚できます。婚姻は、自由でなければならぬ」Matrimonia debent esse liberaMarriages ought to be free)という法諺があるように文明史的理念は婚姻の自由であって、結婚を悪とみなすカタリ派は異端で有り、アルビジョア十字軍によって徹底的に叩かました。。それと同じように、結婚を妨げることが人権だという思想は異端に属するものであり、児童婚撲滅運動は文明の敵とみなす。

 ニューハンプシャー州は男14、女13とほぼコモンローに近い婚姻適齢ですが、婚姻適齢引上げ法案は議会が否決しました。ニュージャージー州は婚姻適齢引上げ法案にクリスティー知事が拒否権を行使しました。こちらのほうが良識的対応であります。

 私としてはニューヨーク州の法改正はかなりショックでした。なんといってもニューヨークは大州ですから。しかし依然としてアメリカ合衆国の大多数の州は1 6歳が婚姻適齢であり、16歳未満でも多くの州で婚姻可能なことにかわりないことにご留意ください。

 ユニセフは児童ポルノ撲滅運動でも影響力があったように今回の改正の背後にいるものと考えられますが、憲法13条及び24条1項と密接にかかわる婚姻する自由の法益と児童ポルノとは同一の問題ではないので、この点国会議員の先生は籠絡されないようお願いします。

 我々は日弁連女性委員会やユニセフ、ヒューマンライツウオッチのようなこうるさい人権団体に従属しなければならない国民ではありません。この人たちのために国民の結婚の権利を縮小しなければならない理由はなにひとつないというのが私の主張です。

 我国には外国でみられる売買婚や強制結婚という問題はありません。未成年者の結婚の多くは、情緒的に依存し最大の共感的理解者が結婚相手なのであり、お互いに励まし、喜びと苦労をともにすることによって、結婚し相互扶助共同体を形成することが最善の利益と判断してのものだと思います。家庭を築くことにより喜びは倍に、苦労は軽減され、慰めと平安が得られるのです。それによって人生の困難が乗り越えられ救われることも多いのに、結婚を妨害しようとする、政府・法制審議会は糾弾に値する。むしろ、待婚、我慢を強いることが苛酷であり、虐待であります。

 

 是非とも国会議員に方々には結婚の価値を擁護していただきたい。未成年だからといって憲法13条、241項と密接なかかわりのある法的利益が一刀両断に切り捨てられるのは不当であります。女性団体や日弁連それに追従した法制審議会がすべて正しいのではないのです。また子供の人権擁護を標ぼうし、児童婚を撲滅せよと主張する人権団体が正しいわけでもないし、ユニセフが正しいわけでもない。私はこの問題があるからビタ一文ユニセフに募金はしません。

 経過的内縁関係まで否定していないというかもしれませんが、私通はよいが結婚はダメというのは性倫理、道徳に反するし、法改正ののちは婚姻不適齢とされるのだから、たんなる私通ではすまされず世間から白眼視されることになる。高橋ジョージ氏のように、16歳の女子と事実婚する人は、それこそ袋叩きになるでしょう。法律婚で保護されない不利益は大きいし、長男、長女となるべき子供も非嫡出子にされてしまうのは人情にもとるのではないでしょうか。

 政治家にとっては日弁連女性委員会様や日本ユニセフ協会様の主張に阿諛追従していくのが処世術としては正しいと思われます。1617歳女子婚姻資格を剥奪せよとの大合唱はあっても、婚姻の自由の抑制に反対という人は少ない。国民全体の利益や国民の権利の擁護より圧力団体に奉仕して票を獲得するのが国会議員の仕事であることはもちろんわかってます。だから議員のほとんど大多数は法制審議会や法務省が支持していることだから反対する理由はないと仰るものと思われます。

 しかし、そのために結婚し家庭を築き子供を育てる権利という、国民の幸福追求に欠くことのできない核心的権利が犠牲になってよいものだとは思いません。もし良心的な国会議員がおられるのなら是非とも憲法13条、24条1項と密接にかかわる法益の侵害に反対していただくことを伏してお願いします。

 

 

13)国会図書館調査及び立法考査局 佐藤 令 大月晶代 落美都里 澤村典子『基本情報シリーズ② 主要国の法定婚姻適齢』2008-b【ネット公開】

(註14http://www.afpbb.com/articles/-/3124128(ドイツ、18歳未満の婚姻禁止へ 難民流入で既婚少女増加)

 

 

 

5.成人年齢引き下げに便乗した国民の権利の縮小

 

 周知のとおり平成8年改正案要綱が棚ざらしになったのは、世論でも反対の多い選択的夫婦別姓(民法750条改正)とパッケージになっていたからであります。夫婦別姓は日本会議関連議員が多い限り進捗しないだろうし、私も強く反対ですが、今回の731条改正は、それと切り離し、 成人年齢18歳引下げに伴う関連法案としたものであります。

 いわば、成年引下げに便乗して婚姻の自由を抑制するものだから、余計にたちが悪い。平成8年の民法一部改正案要綱と異なるのは、当時は20歳成年が前提だったため、問題とされなかった未成年者の婚姻の父母の同意(737条)と、未成年者の婚姻による成人擬制(753条)を廃止するということですが、アメリカ合衆国では45州が18歳を成人年齢としているが、各州には我が国の民法753条(成年擬制)と似た未成年解放制度があります。婚姻、妊娠、親となること、親と別居し自活していること、軍隊への従事等を理由として原則として成年として扱うこととなってます(註15)。(原則としてというのは刑法上の成年とはみなさないこと、 選挙権、アルコール、タバコ、小火器の所持、その他健康・安全に関する規則では成年とみなされないという意味 

 民法学者には成年擬制制度に反対の立場から婚姻適齢引上げに賛成する人が結構多いようですが、米国では未成年解放制度は通例なのでありまして、事柄の性質がことなる成人年齢と無理やり一致させる必要はなく、753条は廃止せず維持を主張します。

 なお私はカノン法やコモン・ローマリッジが親の同意要件を否定している婚姻の自己決定権ないしその文明史的意義を高く評価していますが、西洋における婚姻法の還俗化の要因は、自由すぎる古典カノン法を非難し親の身上統制権を確立することにあったのであり、世俗国家の婚姻立法は、スコットランドの例外はありますが、未成年者の親の同意要件が通例のものとして重視しますので、737条は廃止せず維持するのが修正案であります。

 

15 永水裕子「米国における医療への同意年齢に関する考察」山口直也編著『子供の法定年齢の比較法研究』成文堂所収 2017

 

 

修正案を提案する理由の要旨(バージョン2

 

 

A 18歳未満の結婚を否定する法制は社会主義国モデルであり、児童婚撲滅運動の政治目標だが、それは正しくない

 

 18歳未満の婚姻を全面的に否定するのはソ連・東独の社会主義国モデルであり、婚姻の自由や個人の幸福追求権よりも、教育的・社会的平等の達成とマルクス主義の婚姻家族の止揚をめざすイデオロギーによる立法政策である。

18歳への適齢引上げ(婚姻の権利の剥奪)は日弁連女性委員会が70年代より主張してきたことだが、これは相互扶助共同体としての結婚願望が切実なカップル、幸福追求権に対するきわめて冷淡な考え方であり、虞犯少女などの扱いで家裁での実務経験が豊富で我が国初の女性高裁長官となった野田愛子氏(故人-現行法維持が妥当との見解を示した法制審議会委員)が指摘したような問題点があるにもかかわらず、法制審議会や法務省は女性団体等の圧力団体のいいなりになったのである。

 民法は、あらゆる国民の諸階層に対応できるものでなければならず、エリート女性団体主導のもと特定のイデオロギー的立場から、伝統的に認められてきた国民の権利を剥奪するにあたっては慎重にならなければならない。

近年では、ヒューマンライツウォッチやユニセフなどの児童婚撲滅団体が、世界的に早婚の弊害を主張し活発なロビー活動により法改正攻勢を仕掛けている。

 2017年にはニューヨーク州のクォモ知事が篭絡されて、最低婚姻年齢を14歳から17歳に引上げているが、他方ニューハンプシャー州議会は婚姻適齢引上げ法案を否決し、ニュージャージー州はクリスティ知事の拒否権行使がなされ、安易に「人権団体」の主張に同調しない良識的対応もみられるのであって、児童婚撲滅のための婚姻適齢引上げがトレンドになっているわけではない。

 

 

B 1617歳女子に婚姻適応能力がないとか、当事者にとって婚姻が最善の利益にならず有害であるということはありえない

 

 我が国では外国でみられる「児童」の売買婚、強制結婚は社会問題となっておらず、未成年者の結婚も成熟した男女の結婚なのであり、その多くが最大の共感的理解者が結婚相手なのであり、お互い励ましあい喜びも苦労も伴にして幸福追求のため相互扶助共同体としての家庭を築くことが双方にとって最善の利益と判断しての結婚であると推定できる。早婚の弊害の非難はあたらない。

 1617歳未満女子に婚姻適応能力がないという判断は間違っている。第三者が当事者にとって最善の利益ではないと勝手に判断することも間違いであり、離婚もできる以上、仮に結婚が破綻したとしても、それが当事者にとって取り返しのつかない負担を課すものではないから、法律婚資格をさしたる理由もなく剥奪するのは全く不当であるし、男性にとっても女性が最も美 しく肉体の輝きを謳歌する当該年齢の女子との結婚を禁止されることは、大きな不利益であり(私は神の像(似姿)としてつくられた男性に対する侮辱だと思う)。女子婚姻適齢の引上げは、男性の若い女性への求婚行動を委縮させ、結果的に生涯未婚率をより上昇させる要因になるだろう。

 なお私の修正案は、未成年者については世俗法の通例である親の同意要件を継続する穏健無難なものであって、私はスコットランド(16歳ならば親の同意なく婚姻可能)や現行教会法(婚姻適齢男16歳、女14歳で親の同意は不要)を尊重するけれども、修正案としては親の身上統制権も重視しておりそのような立場をとっていないことも付け加えておく。

 

C 英米などでは16歳が婚姻適齢であり、18歳が世界的趨勢にはなっていない

 

 米国では1970年代の統一州法委員会の推奨モデルが、婚姻の自由を基本理念として、男女とも親の同意要件により婚姻適齢としており、16歳未満でも補充要件規程で結婚可能とするものであり、多くの州がこのモデルを採用している。米国で我が国の成年擬制と同様の制度が健在である。英国やカナダの主要州でも16歳は婚姻適齢であり、法制審議会などの成人年齢と婚姻年齢を合致させるのが世界的趨勢という宣伝は全くの虚偽である。

 

D 婚姻の自由(=合意主義婚姻理論)がローマ法・カノン法・コモンローの基本理念であり西洋文明2000年の伝統的理念であり、これはわが国も憲法241項により継受しており忽せにできない

 

 婚姻は、自由でなければならぬ」Matrimonia debent esse liberaMarriages ought to be free)という法諺がある。

これはユスティニアヌス帝の学説類集(533年)が迎妻式や嫁資の設定を婚姻成立の要件から排除し、婚姻が当事者の合意によって成立するという古来の原則を確立したことに由来するが、婚姻の自由は、12世紀に成立する古典カノン法(=コモンローマリッジ)の緩和的合意主義諾成婚姻理論(民事婚)により、より徹底した理念となった。

 つまりカノン法は、主君、血族による意思決定の排除(親や領主の同意は不要)、儀式も不要、当事者の相互的誓約のみで(形式的要件では二人の証人・俗人でよい)婚姻が成立する(カノン法は婚姻適齢についてもローマ法の男14歳、女12歳をさらに緩め、早熟は年齢を補うとして合衾可能であれば適齢未満でも婚姻は成立するものと している)から、人類史上、当事者個人の自己決定を重視し婚姻成立が容易な個人主義的自由主義的な婚姻法はほかにない(もちろん婚姻非解消主義という点では厳格であるが)。このためカノン法は秘密婚の温床となったので、世俗社会から非難され、軋轢を生じた。

 しかし、数世紀にわたって教会は婚姻の自由のために世俗権力と抗争したのである。教会は秘密婚の非難をかわすため、16世紀のトレント公会議で婚姻予告と挙式を義務化して妥協したものの、親の同意要件は明確に否定したため、これがフランス王権による婚姻法の還俗化の端緒となったという歴史なのである。

 とはいえ近現代において婚姻法が還俗化しても、カノン法の単婚婚姻理念は底流にあるものだから、その影響力は甚大である。近代個人主義的友愛結婚もカノン法の自由主義的理念を淵源とみることができる。

特に英米では古典カノン法が「古き婚姻約束の法」(コモンローマリッジ)として近代まで生ける法だったため、婚姻の自由が法文化・習俗として色濃く継承され、我が国でも憲法241項によって継受している理念なのであって、そのように婚姻の自由は西洋文明の法文化の根幹にあるのだから忽せにできない価値なのである。

 また結婚し家庭を築く権利は近代の幸福追求権の核心的価値といえる。

 従って西洋文明二千年の歴史を背景とする婚姻の自由を否定し、結婚し家庭を築き子供を育てることを幸福追求に不可欠な権利として認めないのは、マルクス主義、アナーキズム、その他の反文明思想である。

 ユニセフなどが 「子供の人権」と称して児童婚をなくそうとする運動も余計なお節介だし、反文明的な思想と断言する。政治がこぞって反文明イデオロギーに走るのは異常なことだといわなければならない。

 

E 最高裁は「婚姻の自由」を憲法上の権利と認めており、憲法違反の疑いもある

 

 再婚禁止期間訴訟大法廷判決・最大判平271216民集6982427では、加本牧子調査官解説[法曹時報695号]が「『婚姻をするについての自由』の価値は憲法上も重要なものとして捉えられるべきであり、少なくとも憲法上保護されるべき人格的利益として位置付けられるべきもの」と記しているように、最高裁が初めて「婚姻の自由」を憲法上の権利であることを明らかにしており、1617歳女子の婚姻資格剥奪は、再婚禁止期間と同様、婚姻について直接的な制約を課す、婚姻の自由を抑制する法改正なのであるから憲法違反の疑いがある。

 法務省、国会は上記判決を受けて多数意見のみならず、共同補足意見の適用除外の法令解釈も汲んで、女性の再婚の自由を重視する法改正を行っているのに、一方で、政府が1617歳女子の婚姻資格剥奪は、未成年だから憲法上の権利は享受できないとし、日弁連女性委員会様その他の婚姻資格を剥奪したい圧力団体に逆らえないから権利の剥奪当然だとするのはダブルスタンダードとして糾弾に値するものといわなければならない。

 1617歳女子の結婚は1990年台は年間3000人ほどいたが、2015年には年間1357人まで減少しているのは事実であるが 、たとえ年間1300人程度であれ、少数者だからといって憲法13条や241項と密接なかかわりのある法益を奪い取ってさしつかえないというのは傲慢な考えで、再婚禁止期間の法改正で救われた離婚後直ちに結婚したい女性も全体の件数からすれば少数にすぎないのである。たとえ少数であっても、婚姻の自由を重視する趣旨での法改正なのであり、一方で、1617歳婚姻資格を叩き潰すというのは、異様に若い女性に冷淡な対応だといわなければならないし、若い女性に求婚し結婚する男性への敵意の表明である。

 政府や国会議員が親代わりになって未成年者だからなんでも自由を奪いとってよいとする考え方は、過剰なパターナリズムであり、過剰な私的領域・私的自治への介入、幸福追求権の軽視である。事実上の関係ができてしまう若い女性に対する軽蔑にもとづくものであり断じて容認できない。

 

«決定版・ 国会議員への意見具申 民法731条改正(女子婚姻適齢引上げ)、737条及び757条の廃止に強く反対し、修正案を提案する

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