2008/08/16

構造的存在-私はバーチャルリアリティー以下の「非存在」か

   私は、毎日のように神に喜ばれる善行をなすことができず、むしろ反対のことを行っていることで悩んでます。それは深刻です。けれども、人間は善意があっても善を実行できなくて普通だという見方があります。「望む善を行わず、望まない悪を行っている(ロマ7:18~19)」という聖句が慰めになる。つまりパウロも悩んだ。アウグスティヌスも悩んだ。そしてルターも悩んだのである。要するに善をなす心的傾向性があっても、その人の行動様式、知力、素質、実行力と、状況、他者の予測不可能な思惑に影響される。政治や悪法により反倫理的な行為を強要されることもあるでしょう。人間は客観的条件がなければ、善意があっても反対のことをしてしまうものだ。そもそもやる気とか心的傾向性などの精神現象は、物理化学的過程ですし、人間の心も複合多元的な構造で、意思で制御できるものでもないから。
 
 しかし神の恩寵以外に救済はないという思想では、物足りない。救済の実質がみえない議論のように思える。そこで、この点で優れた救済論、存在論としてジョナサン・エドワーズの構造的存在論((バーチャル・リアリティー))を挙げたいと思います。決定的な意味で慰めになります。---森本あんりの『ジョナサン・エドワーズ研究』1995年(著者による概略 PDF http://subsite.icu.ac.jp/people/morimoto/Texts/Sobun95.pdf) 参照。
 エドワーズによると、バーチャルとは「あるものが実際に十全な意味で存在していないが、機会 が与えられれば必ず現実化するであろうような可能的潜勢的存在のことを意味している。」、神学者の森本あんりが、バーチャルリアリテイーを「構造的存在」と訳してますが適訳だと思いました。
 ウィキペディアによるとバーチャルリアリティーは、「形は異なるかも知れないが、機能としての本質は同じであるような環境を、ユーザの感覚を刺激することにより理工学的に作り出す技術およびその体系。 日本語では、『仮想現実』、『人工現実感』、『疑似体験』等と訳される」としており、もっと通俗的に言うと、ディズニーランドの疑似体験アトラクションのような現実とは違う虚構の空間の意味にも使われます。
 しかし、神学におけるバーチャルリアリティーは虚構ではなく、可能的潜勢的存在を言います。

 森本はエドワーズの救済論をひとくちにいって「存在の成就としての救済」と説明します。存在の成就を生物学的にどう定義できるでしょうか。
 そもそも生物とはどう定義され、構造的にいかなる存在なのか。
 あるブログhttp://blogs.yahoo.co.jp/under_the_shiny_sky/55205881.htmlによると
・自己増殖能力、
・エネルギー変換能力(呼吸・エネルギー摂取・老廃物の排出、等の代謝能力)
・恒常性(ホメオスタシス)
・維持能力

と説明してますが、この定義もかなり不満です。環境に適応して繁栄するという進化生物学的な事柄が説明されてません。生物は何を指向して何をなすために生きているのでしょうか。
 恒常性の維持は自己保存本能を満足させるものです。ホメオスタシスの三大機能は「自律神経系」「内分泌系」「免疫系」ですが、ホメオスタシスが快適さストレスのなさ健康と関連する概念とすれば人間的に言えばカンフォタブルな人生を指向するものと定義しても良いと思います。もちろん何がカンフォタブルかは個体がどのような価値観を持つか、あるいは性格で差異があります。リスクのない安定志向の人と、たくましく何かに賭ける人生、ギャンブルを好む人と様々でしょう。
 自己複製能力を有するということは、個体としては恒常性の破綻により死ぬが、動態的構造的には不滅の存在として解釈できます。個体は死にます。死の本能タナトスもあるから。しかしそれはドーキンスが個体を自己複製子の乗り物と言ったように、車の買い換えと同じことで、動態的構造的には耐用年数超過の生体を物理化学的に全面的に更新する自己保存欲求のためと解釈します。
 人間が存在を成就するということは、カンフォタブルな人生を維持し、自己保存欲求を満たすものと考えられます。以上のような構造を有しているのが生物としての人間だとすれば、非常に楽観的な世界観になりますが、バーチャルリアリティーとして構造的には救済が予定されていると理解することができる。

 ピューリタンにとってカンフォタブルな人生とは、快楽主義的人生や、金儲けのことではありません。神に喜ばれ、非難の余地のない正しい生活を送ることです。職業労働に励むこともそうです。宗教的・道徳的・審美的な価値観で満足できることです。
 
 ところで私はカンフォタブルな人生を送っていません。私は毎日不快で満足するようなことは全くありません。もっとも人生に楽しみはあります。ブログによって意見を伝達できます。ストリートビューで京都の名所を見て楽しんだり、アダルトビデオで美人の肛門を見てマスターベーションもできるわけです。だから自殺はしないわけです。

 しかしそれは私生活の自由という狭い領域のことであって、宗教的道徳的審美的価値に関する欲求、仕事と成果、公的生活、職業労働、自己の価値観に基づく行動様式を取っていないこと、性的欲求などは全く満足していません。であるから私は十全な意味での存在ではない。  
 
 例えば私は、法が誠実な労働と勤勉さを奨励するあり方でなければカンフォタブルではありません。エプステイン教授の言う自己自身の労働力処分の自由「何人も自分自身を所有し、自らの労働を自らの望む条件で自由に利用する権原を有する」法規範でなければカンフォタブルではありません。労働協約や労働基準法のような団体主義的労働関係(労働時間や業務遂行方法のジョブコントロール)の不当な共謀と圧力によって、自己自身の労働力処分の自由、黙示的誠実労働義務を遂行する自由、倫理的に正しい行動をする自由、財産権が侵害され耐えられない。そもそもコモンローでは労働組合は、「取引を制限するコンスピラシー」(doctrine of restraint of trade)ないし「他人の取引を侵害するコンスピラシー」(conspiracy to injure of another)の概念構成を利用し、労働者の団結というものが、コンスピラシー(共謀罪)の要件に該当するものとして把握され違法だった。制定法でも団結禁止法があったわけです。イギリス法では労働協約に法的拘束力という考え方はなじまず(それは個人の営業制限になリ本来違法)、あくまでも紳士協定です。労働基本権と言う最悪の制度により常に「取引を制限するコンスピラシー」(doctrine of restraint of trade)ないし「他人の取引を侵害するコンスピラシー」(conspiracy to injure of anotherの不当な圧力にさらされているわけです。
 さんざん書いていることですが、ニュージーランドの1991年雇用契約法(Employment Contracts Act)のように個人は企業と直接雇用条件を定め、労働協約や集団的労働関係に束縛されない個人の雇用契約(代理人を自由に選べる)が可能なようなありかた(その後政権交代で制定法は変更)でないとカンフォタブルではありません。
 つまり私にとって救済とは、労働組合と労働三法は駆逐し、自己自身の労働力処分の自由を他者や政府から害されない法規範の社会に居住することによってカンフォタブルな人生が歩めることです。他人の取引を侵害すること、階級立法を憎む社会に生きるということです。そしてその文化的社会的規範が維持される行動様式の社会を保存していくことです。
 現実にはそうなっていないわけですから、十全な意味で存在していない。自己は十全な意味で存在していない。バーチャルリアリティー以下の「非存在」なのです。     
 「非存在」と自虐的に言うのは、可能的潜勢的存在としても準備不十分だからです。つまり私は真の自己ではない、自己形成、自己実現にほど遠いので自虐的に言いました。もちろんニュージーランドの1991年雇用契約法は我が国でも、相当なエネルギーを要しますが、可能性はある。心的傾向性故にバーチャルな潜勢的存在とはいえるかもしれません。しかし、自己が自己であることを実感しにくい故に、真の存在ではないということです。
 


 

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2008/08/15

肛門「処理する」の具体的内容わからん

 8月15日付(14日発売)東スポ「ビデ倫に代わる新審査機関・日映審代表理事片山等国士舘大教授に聞く」という記事を読みました。片山等の論文は読んだことがある。たとえば片山等「公立学校における国旗敬礼と修正第 一条」(『宮崎産業経営大学法学論集』1989)です。かなり昔に読んだものですが、この方面の狭い分野の専門家で私の印象ではリベラルな心証だった。清水英夫の門下生ならたぶんリベラルだと思う。もちろん私は表現権はリベラルな見解なので、1940年ゴビティス判決Minersville School District v. Gobitis  310 U.S.586 のストーン判事の反対意見は高く評価しますし、1943年バーネット判決West Virginia State of Ed. v. Barnette 319 U.S. 624ジャクソン判事の法廷意見は文句なしに同調します。1989年テキサス対ジョンソン判決Texas v. Johnson のブレナン判事の法廷意見にももちろん同調します。保守派のスカリア判事やケネディ判事も同調してますから。
 誤解がないように断っておきますが、私は経済的自由についてシカゴ大学のエプステイン教授のリバタリアニズムを支持と言っておりますが、エプステイン教授は表現権について中間審査基準で良いという考え方です。私有地をパプリックフォーラムとすることに疑問を提示されてますが、しかし町全体が私有地の会社町もありますからどうでしょうか。私はパプリックフォーラムに好意的なので、意見が違いますね。私は表現内容に着目した規制は厳格司法審査が妥当という考えですからですから、この争点ではエプステイン教授よりずっと左寄りです。私がブレナン法廷意見を支持すると明言した以上、この争点に関しては左派(人権派)の思想にかなり近いことになります。エプステイン教授のほうが保守的なんです。私が表現権で保障する必要なしと考えるのはピケッティング、闘争的言辞あたりですね。もちろんヘイトスピーチ、鍵十字、焼かれた十字架が伝達する思想も保護する考え方です。ストロンバーグ判決で赤旗掲揚を認めるなら、ナチス旗も焼かれた十字架も当然認めるべきだということですよ。
 ということで表現権の専門家である片山等がアダルトビデオに関わるのはそれなりに面白いとは思いますが、--ビデ倫時代に解禁された「アナル」はどうなるかという東スポの質問に対し、「基準では『処理する』とある。人間で肛門がない奴なんて見たことないけどね(笑い)。つまり肛門の描写を処理する程度が問題なんです。議論の対象となっていくでしょう」と答えている。
 これでは具体的にどうなのか分かりませんね。私は肛門を描写したほうが人間的でよろしいかと思います。すかとろは見たくないですが、美人の肛門は見たいですから。

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2008/08/11

オグシオ-ボロ負けでストレス解消になった

 杜・于-オグシオ戦は、中国の杜・于ペアを応援しました。 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080811-00000030-maip-spo杜・于ペアが男性的なスタイルだったので、化け物が美女をいたぶるような反フェミ的展開でストレス解消になる試合展開。最高に面白かった。

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2008/08/10

感想 田口典男『イギリス労使関係のパラダイム転換と労働政策』(1)

 ミネルヴァ書房(京都)現代経済学叢書2007年12月出版。
 英国における1980年代以降の労使関係の団体主義から人的資源管理等の個別主義へのパラダイム転換は歴史的に重大な意義があるのに、我が国にはサッチャー及びメージャー政権の労働政策を紹介している良書が少ないというよりほとんどないことに不満をもっていたのが、この著作は、岩手大学の研究紀要などに掲載された論文をまとめたものだが、サッチャー政権以降のイギリスの労働政策と産業界の経営戦略を概観することができ資料的に便利な良書だと思う。
 とはいえ、この本にも強い不満がある。個別主義へのパラダイム転換を積極的に評価しているわけでないこと。なお労働組合主義に未練をもった記述に終始していることである。
 しかし私はそうではない。個別主義に転換し、労働組合を駆逐する政策提言と実現が人生目標だ。当ブログのスローガンにも掲げてあるとおりである。

 80年代以降の保守党労働政策は、団体交渉や労働協約を基盤とする労使関係をを不適当であると表明し、労働組合を攻撃し、ピケットの制限、クローズドショップを否定、二次的争議行為の非合法化等により、悪質なストライキ戦術を無効にするとともに、違法ストライキの免責の制限、ストライキ前秘密郵便投票の義務化その他の労働組合の内部的規制を強化して、労働組合の弱体化を図り、団体主義的労使関係を崩し、人的資源管理等の個別主義的労使関係への道を大きく開いた。イギリス病の停滞から、資本主義史上でも特筆すべき15年の景気拡大の要因の一つとしてその歴史的意義を高く評価したい。
 保守党政権の労働政策の仕上げである1988年雇用法は、ストライキに参加することを不当に強制されない権利、すなわちピケットラインを超えても組合に制裁されない労働者個人の権利(これは決定的意義あり)と、労働組合に訴訟を起こす権利、組合会計記録の閲覧権、チェックオフ停止権を労働者個人の権利として確立した。さらに1990年法でクローズドジョップは完全に禁止された。二次的争議行為の禁止、非公式ストライキの免責を拡大したのである。これらの政策はニュージーランドやオーストラリアの保守政党の政策とも共通点が多く、正当に評価されてしかるべきだ。
 当ブログのスローガンは決して孤立した見解ではない、英国、豪州、ニュージーランドの保守政党の労働政策を共有できる。米国でいえば労働組合なき南部の経営戦略、ケイトー研究所などのリバタリアニズム、ヘリテージ財団の労働政策とも一致点が多いのである。ただ私の力不足で、そう言う思想が広まってないだけ。

 もちろん我が国でも、保守党政権の規制撤廃政策、ニューパブリックマネージメント、PFI、市場化テストなど模倣した政策を実施している。しかし英国改革の核心部分を学んでいないのである。
 それは労使関係のパラダイム転換にあるのだ。団体主義労働関係の存在価値を弱める政策である。労使関係の個別主義と労働組合に対する労働者個人の権利の尊重の推進である。
 さらに、労働時間規制にしても、もともとイギリスでは成年男子には安全上規制が必要な業種に限定されていたこともあるが、保守党政権は児童年少者法以外の一切の労働時間規制を廃止したのである。
 また最低賃金制度、賃金審議会も廃止した。我が国では労働三法による団体主義的労働関係の抜本的見直し、労働基準法や最低賃金制度の廃止という真に自由主義的な改革がなされていないので、構造改革が中途半端というか、つまみ食い的政策の実施に終わってしまっている。そもそも小泉の民営化政策が新自由主義とは思ってない。連合のメーデーに来賓として招かれた喜んでいたように、深い思想性もない。単なる、思いつきだけのアジテーターに過ぎない。だからこれでは我が国はだめだと思う。従って、核心部分の自由主義的改革を望むものである。
 我が国には真の自由主義者が少ないのか、あるいはイギリスの60~70年代のような、ゴミも収拾せず放置する。死者の埋葬も放置される。ストライキによる労働組合の抗争で死者が出る。フライングピケットのような悪質にストライキの戦術の経験が少なく労働組合が巨悪であるという本質を知らないためか。あるいは自由国家から社会国家へという図式、憲法28条と労働三法という戦後レジームを自明とする非常に硬直的な思考が蔓延していためか。英国保守党政権の労働政策の核心部分の先見性を讃える声が少ないのは遺憾なことであると思うのである。
 最も、保守党政権は一つだけ失敗した政策がある。1894年に労働組合に政治資金支出の秘密投票を義務づけ、労働党との資金的繋がりを薄めようとしたことが逆効果になった。このことが労働党の労働組合離れ、中道穏健な政策へのシフトを促し、長期の労働党政権を許すこととなってしまった。党利党略と云ふ観点で失敗である。
 ブレア政権で若干の揺り戻し(労働組合に有利な政策、EU社会憲章の承認、最低賃金制度の復活、組合承認の法的手続き)を許した。このためにパラダイム転換と労働組合の駆逐にブレーキがかってしまった。イギリスは偉大な国家となる好機を逸したと思う(保守党政権が継続していれば2010年には労働組合は消滅するといわれていた)、ただ根幹部分の政策(非公式ストライキの免責の制限、労働組合の内部規制、労働者の個別的権利の尊重など)で保守党の政策は継承されたのである。ゆえに、労働党政権でも英国に対して好意的な見解を述べたい。労働党政権のもとでの景気拡大は、保守党政策の継承にあったのである。

 つづく

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潮田玲子は今夜登場だって

どうもバドミントン オグシオの女子ダブルス一回戦は夜に行われるようです。
 昼の12時20分登場という情報でふりまわされた。なでしこスポーツという女子選手応援サイトhttp://idolsukiotoko02.blog27.fc2.com/blog-entry-818.htmlによると1回戦は昼でなく夜だそうです。「放送は、21:40~ (LIVE) 22:20~ (録画) NHK総合 で放送です。」との親切な情報が流されてますが、一番期待している人気選手の種目の番組の時間が混乱してますね。北島はさわやかじゃないから嫌い。ヘルペスだの野郎の水泳なんて見てもしょうがねえ。

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«なんだ潮田玲子は地上波で見れないの