最悪だ!皇室典範に関する有識者会議は直ちに解散すべきだ
去る10月25日に「皇室典範に関する有識者会議」が開催されて、意見集約がなされ、皇位継承資格の女子や女系の拡大で全員が一致した。来月末にも最終報告をまとめ、来年通常国会で皇室典範の改正という政治日程が報道されている。
わたくしは、そもそも女性当主それ自体に反対なのですが、この方向では、非王姓継嗣による帝位の継承により事実上の易姓禅譲革命を是認する法制度となるため、日本国の終焉をもたらしかねない最悪の結論になった。このことは8月末以降の有識者会議の流れから予測していたこととはいえ、本朝の安否にかかわる重大問題についてこうもあっさりと易姓革命容認、異姓簒奪容認という結論が示されたことに、大きなショックを受けている。
しかし、わたしは女帝即位絶対反対論(第1回)で、この問題は最後まで頑張ると宣言していることである。女帝の次、非王姓継嗣の帝位継承になれば日本は王朝名であるから当然、国号を改めなければならないこと。異姓簒奪者を君主として戴く国家はもはや日本ではないから、それでも日本国号を継続する場合は、偽日本朝、偽皇朝である。異姓簒奪者に祖宗の神器を承継する資格はないこと。高御座での即位、大嘗祭の資格もないこと。結局は「魏武輔漢の故事」つまり魏晋南北朝時代等の易姓革命の禅譲形式を研究して、従来と違ったタイプの儀式体系を創出する必要が出てくるということを主張し筋を通すことになります。徹底的に反対なので暴徒にやられるか、簒奪王朝新政府に監獄にぶちこまれても、正論で貫徹する所存であることをあらためて宣言します。
重大な問題について思考停止してしまう有識者会議に答申の資格はない
東京新聞10月26日朝刊二面に「皇室典範に関する有識者会議」の吉川弘之座長の25日の記者会見要旨が載っていますが、「一部に女性の皇位継承者、女性天皇では結婚は、結婚問題を心配する声もあるが」との記者の質問について、
「女性の配偶者だと得られるのに、男性の配偶者だとどうして難しいのかわたしには分からない。女性天皇を日本として認めようと考えた際に当然、男性の配偶者が得られる日本になったという前提がある」と答えてますが、この発言から読み取れることは、皇位継承の正統性にかかわる本質的な問題に踏み込んだ議論がなされていないということである。
男性の配偶者についての深刻な問題。非王姓者が女性天皇の配偶者になると、継嗣は異姓であるから易姓革命(帝位の異姓簒奪)になります。我が皇朝、我が日本国は終焉することとなります。日本国を終焉させることとなりかねない重大な問題、男性配偶者の問題について、吉川座長は意図的に隠しているのか、もしくは言葉どおり問題意識をもっていないのか。
10月5日の有識者会議議事要旨に次の発言があります。
・ 皇位継承資格を女性・女系に拡大した場合、男性の配偶者を得るという非常に現実的な問題があるのではないか。
・ 一般論としては、男性の配偶者を迎えるということは経験のないことであり、難しい問題が生じる可能性がある。ただ、皇室に配偶者を迎えることについては、男性の方でも女性の方でも、いろいろな難しさがあるのではないか。男性の配偶者を迎えることと女性の配偶者を迎えることと、どちらが難しいかなどということは言えないのではないか。
・ 男性の配偶者を迎えることと女性の配偶者を迎えることと、どちらが難しいかなどということは、論じることのできないことのような気がする。
・ 一般の人々でも出会いのチャンスがなくて晩婚化しているのが現実であり、男性、女性にかかわらず、そのような面での工夫や配慮がなされることは必要なのではないか。
ある人から問題提議がされているものの、配偶者を迎えることについて、男性と女性を比較すること自体が議論すべき事柄でないみたいなラディカルフェミニストのような意見が突然出てきて、議論を深めようとしないのである。あるいは意図的に議論の深化を妨げているのかもしれない。もっとも深刻な問題について思考停止状態に陥っているといえます。ということで有識者会議では皇位の正統性にかかわる問題については思考停止してしまっており、出会いのチャンスを与えようみたいな薄っぺらな議論に終始し、易姓革命、異姓簒奪の危機という問題意識すらなく、国体の大変革という大それたことに断行してよいはずがない。このようにつまらない有識者では答申の資格はない。直ちに解散すべきである。
花園上皇の『誡太子書』の「吾朝は皇胤一統なり」を引き、易姓革命の懼れはないという観念に安住することなく君徳涵養の必要を皇太子の量仁親王(のち光厳天皇)に書き与えていたことは、PDF資料有識者会議第三回の資料2「皇位継承の考え方が記録されている例」で説明されていることで、皇位継承の正統性における血統原理、万世一系の皇位とは皇胤一統、男系継承であるということは、共通認識を持っているはずですが、女系継承が、皇位の正統性を揺るがす深刻な問題であるということに何の精査も行っていないどころか、有識者のなかには、東大名誉教授で二人、歴史の専門家が含まれており、当然こういうことはよく知っているはずなのに、議論を深めていない。こんなつまらない有識者では答申の資格はないと断定します。だから解散すべきです。
私はお妃選びは難しいとは全然思いません。そもそも皇后は皇親に限定されていたもので、奈良時代の光明立后(藤原不比等女安宿媛)で臣下の女子の立后という新例がひらかれたとはいえ、例えば近衛生母藤原得子のような中級貴族の出身のケースは例外的であって、后位にのぼせられるのはほぼ皇族か摂関・清華といった上流貴族に限定されていた慣例があった。しかし現代では、開かれた皇室ということで家格でお妃選びを限定していない。なにしろ学習院常磐会が何の影響力も行使できない有様ですから、障碍になるものは基本的にはないわけです。実際、秋篠宮ご夫妻は学生時代から交際があり恋愛結婚に等しいものであること。諒闇にもかかわらず婚約を発表したことは国民のほとんどが知っている。
しかし十代八方の歴史上の女帝というのは不婚独身(先帝皇后、先帝生母か生涯非婚内親王)で即位していますから、女帝が妊娠・出産したり、配偶者を得るということは、全く想定されてなかったことです。絶対的にありえないと考えられていた新例をひらくにあたっては宮中祭祀の在り方も含め相当な問題がありますが、そうしたことが精査されていないんです。いったん易姓禅譲革命を法制的に認めてしまうと、常に政権実力者が子孫をプリンスコンソートにして王権簒奪を可能にし不安定な国家になるだけでなく、場合によっては外国統治者の子孫をプリンスコンソートに迎えて国を売るということだって可能になります。世間には野望を懐いている人は沢山いるんです。プリンスコンソートを狙ってくる実力者は必ず出てくる。そういう危険性について何も議論していない。
本物の有識者なら、たとえ小泉首相が女性天皇実現の方針であるとしても、それが易姓革命-異姓簒奪を容認することに繋がるので、こういう大それたことは諫止する。敗戦によって現人神であることが否定されてしまったが皇位国体を護持できた。戦争に負けたわけでもないのにみすみす神聖不可侵の皇朝を滅ぼすようなことは無謀なやめてくださいと、つまりこれは敗戦責任に等しい結果をもたらす無謀なことである。フェミニズム迎合や安直な大衆世論迎合政治を誡めるということがあって良いと思いますが、ただ、既定方針どおり手続きをこなしているとしかみることができない。何のための有識者なのかわからない。
本物の有識者なら、大衆世論に対しても、内親王が継嗣であるべきだ。天皇に即位しなければならないみたいな勝手な思いこみが間違いだといことを国民に対して説輸すべきなのである。敬宮愛子内親王に勝手に感情移入している大衆世論を批判すべきなのである。このままでいくと異姓簒奪の合法化によって内親王が易姓禅譲革命を演出する役割を強要するということにもなりかねない。聡明な方なら耐え難い辛い役回りを強要することになります。後漢の献帝や、魏の元帝じゃないが、簒奪される側の皇帝というのは惨めなものですよ。そういう立場に内親王を追込む無謀な女帝待望論というもまのはまさに民をもって国を簒うことになるから誡めるべきなのに、ただ大衆世論に迎合する結論で満足するのは最低の有識者というほかない。事実上、民をもって国を簒う結論を出すに等しい有識者会議は有害であるから直ちに解散すべきである。
そもそも園部逸夫座長代理の持論は伝統否定容認論なので偏った人選だった
有識者会議の人選については発足当初から指摘されていたことだが、やはり偏っていると思います。例えば行政法の専門家で元最高裁判事の園部逸夫が座長代理として会議をリードしている。園部の『皇室法概論』(第一法規2002年)を読むと以下に引用するとおり憲法第二条の世襲規定には女系を含むとされ、もともと歴史・伝統的脈絡にこだわらない人であるということがわかる。
「歴史・伝統によって世襲制の在り方を決定すべきと考えるべきでなく、最終的には国民が世襲制の内容はどのようにあるべきと考えるかによって、決定されるべきもの」(40頁)と言い、また「第二条は『皇位は世襲のもの』と定めるのみであり、皇位継承資格を男子に限るか否かについては憲法で定めず、法律である皇室典範に委ねたというのが多数説」(317頁)と述べているが、引用されているのは佐藤功説と清宮四郎説だけである。
続いて「本書も多数説と同様に解するが‥‥皇位の世襲制を定めた同第二条は皇位継承の伝統を背景としたものであり、そこで定める『世襲』概念は女系を含まず、憲法が皇位継承資格者を男系男子に限っているという説もみられる(例えば小嶋和司「女帝」論議『小嶋和司憲法論集二 憲法と政治機構』四五頁)。‥‥憲法が皇位を世襲と定めている背景に我が国の歴史及び伝統があることは本書も認めるし‥‥歴史上、皇位が男系で継承されてきたことを否定するものではない。ただそのことをもって同第二条の「世襲」の意味内容をも、男女両方の血統を含むと考えられる一般的な世襲概念を離れ、男系による継承と解さなければならないということではない」(317~318頁)とする。
ということで憲法第二条の世襲規定には一般的な世襲概念があてはまるとされ、園部が引用しているのが、『広辞苑第五版』の「その家の地位・財産・職業などの嫡系の子孫が代々うけつぐこと」(324頁)なのです。この広辞苑の定義に皇位継承も無理矢理あてはめていいんだというのは不遜な考え方だなと私は思います。皇室の歴史的伝統的脈絡より広辞苑の一般的定義を重んじるなど本末転倒も甚だしい。
私は基本的に、園部も引用している以下に引用する「皇統を男系に限ることは憲法違反になるか」という昭和二十一年七月二十五日に高尾亮一(宮内省文書課長で皇室典範改正に携わった)が臨時法制調査会小委員会が提出した」文書で述べられている皇位における世襲概念を踏襲することでよいと思うんです。
「皇位の世襲と云ふ場合の世襲はどんな内容をもつか。典範義解はこれを(一)皇祚を践むは皇胤に限る(二)皇祚を践むは男系に限る(三)皇統は一系にして分裂すべからずことの三点に要約してゐる。さうしてこれは歴史上の一の例外もなくつづいて来た客観的事実にもとづく原則である。世襲といふ観念の内容について他によるべき基準がない以上これによらなければならぬ。さうすれば少なくとも女系といふことは、皇位の世襲の観念に含まれてゐないと云へるであらう‥‥」(園部前掲書370頁)
ところが園部逸夫はそうした歴史・伝統的脈絡による世襲概念にこだわらず、一般社会の慣行に基づく世襲概念にあたるならば改変していいんだと原理・原則にこだわらない考え方をとっております。園部説の大きな誤りは、皇位継承という国体・国柄の根幹にかかわる事柄を、一般的な世襲概念・家制度的な家業・家職・家産・爵位・特権の継承・相続に類比して改変させてかまわないという発想になっていることである。華道の家元で慣例を破って女性当主の例もあるということは知ってますが、そういう家職や名跡の継承と皇位国体とは全く次元が異なりますから、園部説というのはいいかげんなものであると私は考えます。つまり皇室の伝統を否定して、庶民の家職家業の継承(但し庶民の家制度においても女性当主はありえない)、華道の家元の女性当主みたいみたいなレベルに貶めて皇位継承を変えてしまうことを是認することになる。これは皇室の二千年以上の伝統と尊厳を貶めることにほかならないのであります。
出所が明示できず正確な記述とはいえないが、高群逸枝が皇室とは家でも族でもなく系であるというようなことを言っているとのを読んだ記憶があります。私がいいたいことは皇位継承を一般の家継承概念にあてはめることは大きな間違いだということです。
公家社会が限嗣単独相続といういわゆる日本的家制度に移行したのは、室町時代以降のことですが、そもそも、「家」の起源とは何かということを考えてみます。笠谷和比古は「在地領主起源説」「律令官人制起源説」「公家権門起源説」という先行学説を挙げています(註1)。
正確に引用するものではないが、各説の概要は大略次のようなことではないか。
「在地領主起源説」とは、11世紀に地方豪族が開発領主として開発地及び周辺の公領を囲い込むことによって自己所領を形成し、一族の者を統率して経営にあたり、父子のあいだで嫡々相承していく相続の形態を確立するとともに家が成立したという説である。
「律令官人制起源説」は家概念の起源が令制で規定された公的家であるという説です。すなわち三位以上(のちに五位以上に拡大)の官人は公的家政機関である「家」の設置が認められ、家令以下の職員が官から任命されるとともに位禄などの給与物が家政機関によって運営されたとするもので、家政機関それ自体は世襲ではない。
「公家権門起源説」は王朝国家における家格の固定、官職請負化の進展と家業の形成によるものですが、例えば弁官に任用される名家流の実務的中級貴族として、高藤(勧修寺)流藤原氏、内麻呂(日野)流藤原氏、高棟流平氏がありますが、内麻呂流藤原氏ですと、藤原広業・資業以来、紀伝道の家として文章博士などを歴任したとか、官務家小槻氏の先例勘申、局務家中原氏、清原氏といった明経道の博士家とか。
いずれにしても天皇は官位を授与する主体であり、皇室や天皇の内廷というのは貴族の家政機関や武家の所領経営と同列に論じることはできないのであって「家」という概念を安易にあてはめるのは間違いである。だからわたくしは天皇家ということばはできるだけ用いないことにしてます。とりわけ皇位継承を安易に家継承の概念と類比するのは間違いです。
日本的「家」制度の特徴は、その直系的性格といわれている。つまり中国の宗族や韓国の門中が傍系親を含む広がりをもつのに対し、日本の家継承は傍系の同姓養子を迎えるという宗法的な価値観念にこだわらず、むしろ相続が事実上傍系に流れていくことを好まず、入り婿による女系継承や、非血縁継承によって直系指向が強いことが特徴である。つまり傍系から養子を迎えるより、婿養子を人柄で選ぶ、商家であれば経営能力で選ぶとかそういう傾向が強いのが庶民の家制度である。庶民の家は、傍系親族の養取より婿養子が優先されるわけです。一般大衆は、日本的家制度の直系親族が系譜的連続を排他的に担うという、固定観念をもっているから、それを類比して、本来継嗣がない状況にもかかわらず、愛子さまを家連続者というアナロジーをもって感情移入をしてしまっている。それが女帝容認世論の要因のひとつだと私は思いますが、本物の有識者なら、それは皇室を庶民レベルの価値観、尺度に貶めるもので間違いなんだということを国民に説明すべきです。そういう最低限の仕事も行っていない有識者会議は有害なので解散すべきである。
(川西正彦 平成17年10月30日)つづく
(註1)笠谷和比古「序論「家」の概念とその比較史的考察」笠谷和比古編『公家と武家Ⅱ-「家」の比較文明史的考察』思文閣(京都)1999
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