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2005年12月の4件の記事

2005/12/29

補説「少子化」問題の分析と対策についての疑問

目次 (歴史人口学の理論)
   (社会経済的要因とその問題点)
   (文化的状況と問題点)

川西正彦(平成17年12月29日)

 皇室典範に関する有識者会議が「少子化」問題を持ち出しているため、「少子化」問題をフェミニストの図式に乗り、結婚観の変化や女性の社会進出にともなう時流とみなし、ひたすら働く女性の厚遇や子育て経済支援のような政策的議論になりがちな点について非難したうえで、私自身の意見を述べるともに、初婚年齢や出生力など人口統計上指標というものは、たんに時流とか単純に考えるのは誤りで、社会経済的状況、文化的状況によって変位する変数であることを強調するために若干コメントしておきたい。

(歴史人口学の理論)
 
 私は個人的に西欧の婚姻法制史に関心があり、家族史や歴史人口学は流行なので、ある程度の本は読んでいる。平均初婚年齢との関連で印象に残った理論についてまず述べる。
 歴史人口学ではヘイナルのライフサイクルサーバントの理論がよく知られている。西欧の晩婚型社会の説明であるが、日本の直系家族が親子共に汗を流して働く小農経営ですが、イギリスは伝統的に親子が同居しない絶対核家族社会である(むしろ老親と同居するようになったのは産業革命以後)。農村において子どもは男女とも十代前半までに両親と離れて奉公人になって技能を学ぶことになる。イギリスの伝統的な小農経営は赤の他人である奉公人をこき使って合理的な経営を行うのだ。親は子に経済的に援助もしない、奉公人が自力で世帯を形成できるようになるまで結婚は抑制されるので晩婚型で未婚率の高い社会になる。女子は年季奉公で持参金を蓄え、友人や場合によっては雇用主の援助も得て結婚するが、出産で費用がかさめば忽ち救貧民に転落した。しかし、産業革命で女子が工場労働に参入したことが持参金効果をもたらし初婚年齢が低下して人口増加になったものと私は理解している。
 我が国の歴史人口学(近世の宗門改帳・人別改帳の分析を基本とする)の代表的な業績についてもこの際、引用しておこう(註3)。速水融の美濃国安八郡西条村(現在の岐阜県輪之内町)の宗門改帳の家族復元による分析である。

 階層別の分家率と絶家率
(速水融『歴史人口学からみた日本』文春新書2001 125頁)

               分家率%   絶家率%
地主(持高10石以上) 29.4         0
自作(持高5~10石)  16.1      6.5
自小作(持高2~5石) 12.9      12.9
小作(持高2石以下)  15.8       35.0

女子の階層別平均結婚年齢( )人数
(速水融『近世濃尾地方の人口・経済・社会』創文社1992 230頁)
        奉公経験あり 奉公経験なし
地主     24.3歳(4)   21.2歳(26)
自作・自小作 27.1歳(24)   21.0歳(20)
小作      25.6歳(62)      22.3歳(22)
計        25.9歳(90)      21.5歳(68)
 
 地主層の絶家率ゼロに着目したい。小作層で戸主がいなくなった場合三回に一回は跡継ぎがいなかった。正確には跡継ぎを設けようとしなかった。これに対して地主は必ず跡継ぎがいて家の継承が行われた(註1)。なぜそうなるのか。地主の平均初婚年齢は21.6歳、小作層は24.7歳である。農民の上層と下層ではかなりの差があった。江戸時代においては4歳の年齢差は出生数に大きな影響を与えた。速水によると出産力が最も高いのが21~25歳層で婚姻内出生率0.319である。つまり3年結婚年齢が上昇すると出生数が1人減るという計算である。なおこのデータには史料に現れない乳児の死亡を含んでいないので、死亡率は25%として2.4年に1人の出産である。
 小作層の初婚年齢が高いのは出稼奉公による遅延により婚期が遅れるのである。これが決定的だった。出稼から帰った小作層の平均初婚年齢は25.6歳で、計算上求められる生涯出生数は4.2である(註2)。一方地主の平均初婚年齢だと5.3~5.4ぐらい(註3)。西条村の人口の置き換え水準4人の出生ということだが実際には夫婦のいずれかが死亡してしまうことがあり、初婚年齢25.6歳では人口を維持できない。速水によると西条村の場合24歳が再生産率をポジティブにする最も遅い年齢であるという(註4)。そのため小作層は絶家が多いのである。一方、上層農民は家系維持の戦略のためか比較的若い年齢で結婚して出生数も多い、その結果、絶家がないのである。貧乏人の子だくさんという俗諺は誤り(註5)だと速水融は言っています。
 京都所司代の板倉重宗だったか、女子奉公人は24歳になったら里へ帰したともいわれるが、適齢期信仰のクリスマスケーキ症候群というのは伝統的な感覚としてはそれなりに正しかったのである。これはあくまで西濃の一農村の事例であるが、江戸時代では家系維持のためには25歳以上の結婚はよくない。現代では置き換え水準が低くなっており20歳前半にこだわることもないのだが、私は人口問題という観点では、適齢期信仰を崩壊させたのは誤りだったし、高卒女子の安定的な就職により、適齢期までに退社するというパターンを崩さないほうがよかったと考える。 

このように、平均初婚年齢というものは、社会階層によっても異なるし、社会的経済的要因で変位する性格のもので、若年女子の労働市場、雇用構造、景気、賃金の男女差などによっても変位するものである。複雑なものであるから安易に女性の社会進出による時流などとして単純化してとらえるべきではない。

(社会経済的要因とその問題点)

 安藏伸治(註6)が、経済学の諸説を紹介しているのでいくつかを引用したい。女子の就業と結婚年齢に関しては、まずGoodeによると、女子の就業行動それ自体が持参金としての役割をもち、それゆえ女子の就業は結婚を早める効果がある。また、Sklarによると家計の一部として収入を得るという女子の能力や意欲を増加させることが、早期に結婚する決断を促す。従って女子の就業は初婚年齢には負の効果(引き下げる)を持つ。
 この観点から問題としたいのは1980代に大手都市銀行が高卒女子採用を短大卒にシフトしたことからはじまる若年女子労働市場の変化と、雇用構造の変化、とくに高卒就職が厳しさを増したことである。また高卒で就職して20年代前半に退職して結婚するという安定的パターンが崩れていったことが、初婚年齢の上昇と20代女性の未婚化の要因となっていると私は解釈する。1985年の男女雇用機会均等法は従来教員ぐらいしかなかなかとってくれないとされていた大卒女子の採用を促す(当時は好況期でニューメディア戦略などと称していた)一方、高卒女子と短大卒女子の労働市場における競合関係があり、短大卒と大卒の競合関係において、従来高卒女子を採用していた事務職が短大卒さらに大卒にシフトしていく傾向になった。それとともに大卒と高卒の賃金格差が男子以上に大きくなり、高学歴化を促した。大学進学率は経済学的には高卒との賃金格差が大きくなればなるほどが上昇する、経済学的現象なのあり、向学心が高まったとかそういう性質のものではない。そうしたことが、20代女子の未婚率上昇、晩婚化の要因となっていると思う。フェミニストの図式に乗り、結婚観の変化とか、男女役割分担意識の変化とか時流とみなすべきでないそういう若年女子労働市場における構造的要因があると思います。

 女子の就業は結婚を促すというのは持参金効果といって基本的には正しいのである。しかしそれと相反する見解がある。Preston and Richardsによると、「結婚生活における経済的な『割り当て(Sharing)』は、女子の稼得能力が高くなればなるほど、一般には、夫により多くの購買力が移譲することとなり、それゆえ妻の側により多くの結婚による犠牲を強いることとなる」とされ、結婚に関する決定権を女子が有し、家計のなかで購買力の男性への移譲を好まないならば初婚年齢は上昇するともいわれる。
 
 この論点に関して大橋照枝(註6)の1993年の著書がわかりやすく説明しており、我が国はこのパターンにはまってしまったのだと思う。
「(我が国の)女性の全年齢の雇用者の平均賃金は男性の57%(1991年)にすぎず‥‥男女賃金格差は、OECD諸国中最大である。ところが、同一学歴で卒業と同時に就職し、同一勤続年数で同一企業に勤務している標準労働者の場合には、大学卒の20代後半で男性の91・3%、30代前半で86.8%、高校卒では、20代後半で男性の84・5%、30代前半で80.0%であり」大橋氏の統計学的分析では男女賃金格差が少ないほど未婚率が高いとの結論である。「今日の女性は、学校卒業と同時に就職し、働き続けていれば20代~30代前半では男女賃金格差も少なく、ラクに経済的に自立できる」また社会通念であった適齢期プレッシャーがなくなった。「二五すぎたら売れのこる」「行かず後家」「オールドミス」「ハイミス」は死語になったとも述べている。
 ところで、わが国の企業は戦後、電産型賃金体系に象徴されるような生活年功給として再編されたが、1975年に高度成長が終焉し、雇用か賃金かの選択に迫られ、労使は年功主義を捨て能力主義に転換した、さらに90年代後半の低成長と高齢化により、再び雇用か賃金かの択一を迫られ労使は雇用の安定を求めて、上級職能に定昇がなく業績によってその都度リセットされる成果主義賃金を取り入れた。さらにリストラの進んでいる企業というのは、中核技術者は大切にしても、定型業務などは委託化・コンティンジェントワーカーへの置き換えが進んでいるのではないかと思うわけですね。
 これは私の考えですが従来の終身雇用生活年功給型の賃金体系というのは、女性の継続雇用や出産休暇・育児休業等のコストを見込んで成立したものではないから、女性を厚遇すればするほどコストは増大し歪んだ不健全なものになっていく。男女賃金格差が少ないほど未婚率が高いということは、フェミニストに迎合しないほうが健全だったということです。
 女子の25歳を曲がり角とする適齢期までの結婚退職という在り方のほうが人口問題からすればよかった。そのほうが未婚化を促すこともなかったと考える。諸悪の元凶のひとつは雇用機会均等法などフェミニストに迎合する政策だったと思います。
 いま外国との比較をする余裕がないですが、http://www8.cao.go.jp/shoushi/whitepaper/w-2005/17WebHonpen/html/h1410020.html をみますとイギリスでは合計特殊出生率は安定的に推移している。その水準は人口置き換え水準を下回ってはいるものの、1980年代後半以降、1.6前後の水準で推移している。2003年は1.71である。我が国と雇用構造が違って、若年男女の賃金格差が大きいためか、少子化は日本やドイツ・イタリアほど深刻なものではない。
 従って私の考えは、少子化対策というなら正規雇用において男女賃金格差を促す政策、女子の大卒と高卒の賃金格差の縮小により高学歴化に歯止めをかける政策が有効なのではないか。フェミニストの図式に乗りスウェーデンの政策のような女性の厚遇もってのほかだと思う。
 要するにやれ出産休暇だ育児休業だと働く女性の厚遇政策を疑問に思う。国立社会保障・人口問題研究所の第12回出生動向基本調査http://www.ipss.go.jp/ps-doukou/j/doukou12/chapter5.html#51aによると結婚5 年未満では就業している妻が45 %、専業主婦が54 %いるが、子を持ちながら就業するケースは全体の中で2割弱(18.1 %)、正規雇用に限ると約1 割(10.7 %)である。女性雇用のコストを増大させるばかばかしい政策によって、その分コンティンジェントワーカーへの置き換えが進み、高卒女子の採用を見送ることになってはいないか。前回ブログで言及したように20代前半の若い層で出産ペースが上がっているが、働く女性の厚遇とさほど関係がないのではないか。むしろ一部の女性を厚遇するために、他の女性にしわよせがかかっている方が問題だ。
 
 次に結婚市場の影響としては男子にとっての結婚相手の幅が広がると初婚年齢は低下するとされる。男性の適齢期人口が多く女性有利の結婚市場であったことも初婚年齢を上昇させた要因と考えられる。
 次に男性側の観点であるが、安藏伸治(註6)によると父親の世代と比較した青年期の所得水準、つまり「相対所得」が増加すれば結婚や家族形成を早める傾向があると考えられるとするが、私は逆説的に考えたい。親の世代が高度経済成長期で安定した長期雇用であったとしても、子どもの世代は産業構造・雇用構造の変化から、必ずしも親の世代のような雇用水準でなく不安定な状況にある場合が多いと考えられる。フリーターやニートがメディアでも喧伝されるように、親の世代よりも社会的地位が低下している子どもも少なくないのであるから、「相対所得」の低下は未婚化を促す要因とみてよいだろう。だからいくら女性を厚遇したり子育て支援をしても、男性が社会経済的要因で未婚化が促されれば「少子化」は歯止めがきかないと思うのである。
 

(文化的状況と問題点)

 これまで述べたように社会経済的な要因は大きいと思うが、文化的状況も無視できないものがある。アメリカ合衆国は教会の礼拝に出席する国民が半数近くいて、この比率は欧州よりもずっと高く、バイブルベルト-草の根の保守的基盤が健全である。米国はもともと西欧のように独身の奉公人を抱え込む構造と違うため、初婚年齢の低い社会ですが、初婚年齢上昇に歯止めがかかり合計特殊出生率も2.04と我が国の状況とは違う。晩婚化や少子化が先進国共通の現象なのではないし、雇用慣行、構造の違いだけでなく、宗教の影響力とか文化要因も無視できないのである。過当に晩婚化が趨勢と見なす見解は誤りである。我が国ではフェミニズムの影響が濃く良妻賢母教育は崩壊してしまっている。
 また我が国では、異性との出会いのきっかけが主流の三大パターン(職場関係・友人等の紹介・学校で七割以上)に偏りすぎている構造も問題だ。国立社会保障・人口問題研究所の第12回出生動向基本調査(2002年)http://www.ipss.go.jp/ps-doukou/j/doukou12/chapter2.html#22表Ⅱ-2-1をみてください。夫妻が出会ったきっかけは、職場・仕事関係が32.6%、友人やきょうだいを通じた出会いが29.7%、学校での出会いが9.8%となっている。この三大パターンで72%超です。見合い結婚は減少を続けており、2002年の調査で7.4%である。
 女性の側は三大パターンで相手をみつけられない非主流の男はもてない、要領が悪い、人脈がないダメ男とみなしています。残りものはペケと考えている。女性にはじめから嫌われているので私自身も含めてそういう男性は結婚を諦めざるを得ません。お見合いは25年前に3割をきり10年ぐらい前には1割をきっています。ノーベル化学賞の田中耕一フェローが見合い結婚できたのはそれなりに社会的に威信のある職業についていたから。財産持ちかステータスのある男性ならともかく、庶民の男性が見合い結婚することは統計的にみても難しくなったと認識している。私なんかは最初の1秒でもうこれは駄目だというのがわかる。
 米国ではコミュニティが健全で、例えば教会で知り合うケースは少なくないが我が国ではほとんどない。欧州のようにダンスホールのような娯楽施設で知り合うというケースがありますが、我が国ではほとんどない。
 
 結論をいえば男女交際文化の貧困が「少子化」のひとつの要因だと思います。つまり我が国ではアメリカのデーティングのような下位文化は水曜ガールとか木曜ガールとといっても意味がわからないように全く受容されていない。高校卒業時のダンスパーティとかカレッジにおけるフラタニティーパーティーとかそういう文化も全く受容されてない。音楽とかジーンズとか服装の文化はともかく、本当の意味でのアメリカ文化は全く受容されていません。
 私はコックスの『世俗都市』塩月訳・新教出版社1967年(原著は1965)という神学書を読んで初めてネッキングという言葉を知った。同書の311頁「キンゼー報告の内容は、アメリカの大学生活を知っている者には容易に実証されるだろう。全然ペッティングを行わない学生はほとんどいない。しょっちゅう、一歩手前までペッティングを行ったり、オルガスムスに達するまでネッキングを行っている者の数は、ますます増大している。あるキリスト教大学の小なまいきな生意気な女子学生がつい最近、この二年間、週末ごとにオルガスムスに達するまでネッキングをしたけれども、一度も『最後の線までいった』ことはなかった。と私に請け合った」と記されている。
 週末ごとのデートというのが羨ましいが、このデート文化には最後の一線までいかないという暗黙の了解があるようだ。我が国にはこういう下位文化が全くない。ネッキングとは首に抱きつくことのなのか我が国ではあまり聞きません。だからオルガスムスに達するネッキングとはどういうものかよくわからないんです。
 桃色遊戯とか不純異性交友という言葉は死語になりましたが、戦中・戦後男女交際が非行とされていた時代が長くあって、今日でも男女交際は抑圧されていると私は思うが、少なくとも70年代半ばまでについていえば、男女交際は非行だった。当時の高校生男子の23%くらいしか異性の友人がいなかった。交際文化が公式的には否定されている状況で、見合いが著しく衰退したし、女性の適齢期信仰の崩壊は、男性の未婚化も促した。まじめな男性が結婚しにくくなった。街中で女を捕まえられればいいが、まず無理です。結局、性欲は代償充足に向かうこととなる。性コミックなどが代償充足型の我国固有の洗練された文化だと思います。独身の奉公人を抱え込む構造になっている西欧が伝統的に男子の生涯未婚率の高い社会とされてきましたが、生涯未婚率の高い社会になる可能性があります。
 スーパーフリーのような若者主催のイベント事業による交流や集団見合い型の合コン文化に期待したいと思いますが、これは歌垣とか我が国の古くからの若者と娘の風俗文化を受け継ぐものだと思う-歌のかけあいで罰ゲームとして帯をほどいたりして乱痴気に突入するのも土俗的伝統としてあります。これは日本的文化ですね。私は合コンの経験がないんですが、これは乱痴気に突入しなければ意味がないと思う。不幸なことに悪者扱いされてしまいとても残念に思ってます。

(註1)速水融「序章 歴史人口学と家族史」速水融編著『近代移行期の家族と歴史』ミネルヴァ書房2002 10~11頁
(註2)速水融『近世濃尾地方の人口・経済・社会』創文社1992 279~280頁
(註3)同上 217頁表9-4を参照した。
(註4)同上 280頁
(註5)同上 217頁
(註6)安藏伸治「初婚年齢の決定因」『政経論叢』(明大)57巻5/6号 1989
(註7)大橋照枝『未婚化の社会学』NHKブックス1993 23頁

2005/12/26

出生数試算のインチキ-皇室典範に関する有識者会議報告書反駁-

目次 1.要旨
   (有識者会議の試算は結婚後5~6年ぐらいでの離別・離婚を前提としたもの)
     2.完結出生児数による試算のほうが合理的
     以上今回掲載
(次回予定)補説「少子化」問題の分析と対策についての疑問

川西正彦(平成17年12月26日)

 1.要旨

 皇室典範に関する有識者会議報告書はきわめて悪質なものである。人を騙そうとするインチキな論述がやたらと多い。順序にこだわらずその例を列挙し、一つずつ叩き潰していきたい。
 有識者会議は「少子化」(註1)問題を強引に結びつけて、男系継承では皇位が安定的に継承されていくことは極めて困難と断定しているが、その際出生数の試算に用いられているのが合計特殊出生率 1.29-2004年というデータである(註2)。報告書は「一般社会から配偶者を迎えるとするならば、社会の出生動向は皇室とも無関係ではあり得ない」として合計特殊出生率による確率論を展開するがこれは全くインチキだ。そもそも一般社会の出生動向と関連させて論じる前提についても疑問がないわけではないが、仮に有識者会議の発想を肯定して人口統計学上の指標を参考にするとしても、それは完結出生児数(結婚持続期間15~19年の夫婦の平均出生子ども数2.23-2002年)や、合計結婚出生率(夫婦の平均出生児数1.9水準といわれている)ではないのか。皇位継承資格者に限らず、ある社会階層に属するある家系(同族)の出生数試算としては、1.29という数値はあまりにも低すぎて合理的なものではない。
 合計特殊出生率は夫婦の出生力を示す指標ではない。非婚・既婚・離別者いかんにかかわらず女性の年齢別出生率を15~49歳にわたって合計した数値で、女性がその年齢別出生率にしたがって子どもを生んだ場合、生涯に生む平均の子ども数に相当するとされているが、結婚の動向により左右される。合計特殊出生率が低下している重要な要因は20代~30代の有配偶率の低下、独身者の割合が高くなっていることである。
 大江守之(註3)の分析では、「かつてクリスマスケーキに例えられ、『25を過ぎると売れない』などと言われた女性の結婚行動は近年大きく様変わりした。20代後半女性の未婚率は1975年までは20%前後で推移してきたが、1985年には31%、1990年には40%、そして1995年には48%まで上昇し、結婚適齢期概念は消滅したと言える。これに対応して男性の未婚率も、1975年から1995年にかけて20代後半では48%から67%へ、30代前半では14%から37%へと上昇している。なお、この晩婚化を牽引しているのが、1960年代以降に生まれた世代であることは重要なポイントである。」
 荻田竜史(註4)の分析によると、「1970年に初めて結婚した女性の65%は20歳代前半であったが、2000年には約半数が20歳代後半、28%が20歳代前半、15%が30歳代前半であった。この間に女性平均初婚年齢は24.2歳から27.0歳へ2.8歳上昇しているが、全体的に晩婚化が進んだだけでなく初婚年齢の分散が大きくなった。」つまり結婚適齢期信仰の崩壊があり、皆婚型の社会から、西欧型の未婚率の高い社会に変質してきたことである。地域的には東京都が1.0と低く、沖縄県は1.72(2003年)というように地域差もある。
 (どうして未婚化が進んだのかここでは論旨が錯綜するので、今回は立ち入らないが、社会経済的要因、とくに女子と労働市場の関連、見合い結婚の衰退などの文化的要因については次回以降分析しますのでみてください。)

 従って合計特殊出生率は人口予測に必要なデータであるが、たとえば皇位継承資格者の、あるいはこれこれの家系(同族)の、出生数を試算するためにこのデータを用いることに論理性は全くないと考える。

有識者会議に対抗して私も試算してみました。
有識者会議は男子の産まれる確率を2分の1で計算しているが、人口統計では正確にいうと男子の産まれる割合は女子の105~106%であるから、私の試算では0.513を掛けることとする。有識者会議〔参考15〕 PDFの試算と比較してください。
 
現世代を5人(男性)と仮定した場合に誕生する男系男子の子孫の数

有識者会議の試算-インチキ!
(合計特殊出生率1.29-2004年)
有識者会議報告書参考資料〔参考15〕PDF
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kousitu/houkoku/sankou.pdf
1世(子) 3.23 (5×1.29×1/2)
2世(孫)  2.08 (3.23×1.29×1/2)
3世(曾孫)1.34 (2.08×1.29×1/2)

私の試算
(完結出生児数2.23-2002年)

1世(子)  5.72(5×2.23×0.513)
2世(孫)   6.54 (5.72×2.23×0.513)
3世(曾孫) 7.48 (6.54×2.23×0.513)
(なぜ完結出生児数-国立社会保障・人口問題研究所第12回出生動向調査2002年の数値2.23かは次章で論述する)

有識者会議の試算は曾孫の世代で男系男子は1.34人 男系継承では皇位が安定的に継承されていくことは極めて困難と断定するが、私の試算では、確率論でいうと男系男子の皇位継承資格者は増加します。曾孫の世代で7.48人になります。
 巷で髪型が話題になっている姉歯秀次氏の証人喚問をニュースでみました。偽装の手口としてこういうことを言ってました。構造計算ソフトに通常1.0を入力するところを0.5とか0.6とか具体的な数字は失念しましたが、そういう数値を入力して偽装するのだと。
有識者会議の偽装の手口もそれと似てます。本来なら2.2ぐらいの数値を入力すべきところ、1.29というどう考えても小さな値を入力して偽装した。

 
 (有識者会議の試算は結婚後5~6年ぐらいでの離別・離婚を前提としたもの)

 1.29が小さすぎる理由をひとつ述べます。こういうことです。国立社会保障・人口問題研究所第12回出生動向調査2002年のⅢ夫婦の出生力「表Ⅲ-2-1結婚持続期間別にみた平均出生子ども数」をみてください。有識者会議の数値1.29は、結婚持続期間5~9年の夫婦の平均出生児数の1.71より小さく、結婚持続期間0~4年の夫婦の出生児数より0.75より大きい数値です。ということは有識者会議の試算はだいたい結婚後5~6年ぐらいで離婚又は離別することを前提とした出生数の計算になります。これはどう考えても合理的なものではありません。

結婚持続期間別にみた平均出生子ども数

出所-国立社会保障・人口問題研究所第12回出生動向調査Ⅲ夫婦の出生力表Ⅲ-2-1http://www.ipss.go.jp/ps-doukou/j/doukou12/chapter3.html#31

結婚持続期間 1982  1992 2002
 0~4年      0.80 0.80 0.75
 5~9年      1.95 1.84 1.71
10~14年     2.16 2.19 2.04
15~19年     2.23 2.21 2.23
20~24年     2.29 2.23 2.30

 このように皇室典範に関する有識者会議(座長吉川弘之元東大学長)は御皇室を、国会議員や国民をこのような見え透いたインチキで騙そうとしているのです。非常に悪質だと思います。

(註1)「少子化」の定義については大江守之「いま、なぜ少子化を考えるのか」参照。http://www.gpc.pref.gifu.jp/infomag/gifu/99/oe.html

(註1)有識者会議報告書http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kousitu/houkoku/houkoku.htmlはこうです。(私がインチキもしくは疑問視している部分が、赤色の部分とくに晩婚化に関する認識の問題など逐一反駁する予定だが、論点が錯綜するので今回は出生数試算のインチキに限定してとりあげる)。

「近年、我が国社会では急速に少子化が進んでおり、現行典範が制定された昭和20年代前半には4を超えていた合計特殊出生率(一人の女性が、一生の間に産む子供の数)が、平成16年には1.29まで低下している。皇室における出生動向については、必ずしも、社会の動向がそのまま当てはまるわけではない。しかし、社会の少子化の大きな要因の一つとされている晩婚化は、女性の高学歴化、就業率の上昇や結婚観の変化等を背景とするものであり、一般社会から配偶者を迎えるとするならば、社会の出生動向は皇室とも無関係ではあり得ない〔参考14〕。戦前、皇太子当時の大正天皇が結婚された時のご年齢が20歳、その時点で妃殿下が15歳、昭和天皇のご成婚時(同じく皇太子当時)には、それぞれ22歳と20歳であったことを考えると、状況の変化は明らかである。現に、明治天皇以降の天皇及び天皇直系の皇族男子のうち、大正時代までにお生まれになった方については、お子様(成人に達した方に限る。)の数は非嫡出子を含め平均3.3方であるのに対し、昭和に入ってお生まれになった方については、お子様の数は現時点で平均1.6方となっている。
 男子・女子の出生比率を半分とすると、平均的には、一組の夫婦からの出生数が2人を下回れば、男系男子の数は世代を追うごとに減少し続けることとなる(注)。実際には、平均的な姿以上に早く男系男子が不在となる可能性もあれば、逆に男子がより多く誕生する可能性もあるが、このような
偶然性に左右される制度は、安定的なものということはできない。
 このような状況を直視するならば、今後、男系男子の皇位継承資格者が各世代において存在し、皇位が安定的に継承されていくことは極めて困難になっていると判断せざるを得ない。これは、
歴史的に男系継承を支えてきた条件が、国民の倫理意識や出産をめぐる社会動向の変化などにより失われてきていることを示すものであり、こうした社会の変化を見据えて、皇位継承の在り方はいかにあるべきかを考察する必要がある。
(注)試みに、仮に現世代に5人の男系男子が存在するとして、現在の社会の平均的な出生率(平成16年合計特殊出生率1.29)を前提に、将来世代の男系男子の数を確率的に計算してみると、男子・女子の出生の確率をそれぞれ2分の1とすれば、子の世代では3.23人、孫の世代では2.08人、曾孫の世代では1.34人と、急速な減少が見込まれる(出生率を1.5としても、曾孫の世代では2.11人となる。)。〔参考15〕

(註3) 大江守之「いま、なぜ少子化を考えるのか」

http://www.gpc.pref.gifu.jp/infomag/gifu/99/oe.html
(註4) 荻田竜史 「コラム少子化対策において直視すべき不可避な未来」
http://www.mizuho-ir.co.jp/column/shakai040824.html

2.完結出生児数による試算のほうが合理的

 一般社会の人口動態、統計の指標、「少子化」問題を安易に皇位継承資格者問題にむすびつけるのは適切でない。
先に引用した国立社会保障・人口問題研究所の第12回出生動向基本調査(2002年)http://www.ipss.go.jp/ps-doukou/j/doukou12/chapter3.html#33aでは「1960 年代生まれの世代が20 歳代の終わりに達した頃から夫婦の出生力が低下していること」を指摘する(このことが合計結婚出生率の低下の要因となっている)一方、20 歳代の若い層では低下に歯止めがかかっていることも指摘されている。
 出産ペースが落ちているのは経済的理由であるとして、子育て支援が少子化対策とされることが多いが、一般社会の文化的・社会経済的状況と皇位継承資格者の出生数の予測とは基本的は無関係である。また一般社会では避妊や人口妊娠中絶により出生を抑制する傾向があるが、これも同列に論じられない。それでも、有識者会議は一般社会の出生の動向と結びつけたいというから、ここではその図式に乗って内容の是非を検討したいと思う。
 
 国立社会保障・人口問題研究所の少子化情報ホームページの「こちら」をクリックすると合計特殊出生率の説明があるのでみてください。http://www.ipss.go.jp/syoushika/
「女性の年齢別出生率を15~49歳にわたって合計した数値で、代表的な出生力の指標です。その値は、女性がその年齢別出生率にしたがって子どもを生んだ場合、生涯に生む平均の子ども数に相当します。(中略)、子どもを生む年齢に変化が生ずると、仮の生涯と実際の生涯の数値に違いが生じます。とりわけ最近の日本のように、女性の出産年齢が世代ごと遅くなっている場合には、仮の生涯の子ども数すなわち合計特出生率は、実際の生涯の子ども数より少ない値となることが知られています。それではなぜ、実際の生涯の子ども数を指標としないのでしょうか。それは、今子どもを生んでいる人たちの実際の生涯の子ども数は、最短でも15~20年待たなければわからないからです。昨年の出生指標が20年後に発表されても、統計としてあまり役に立ちません。合計特殊出生率がその年の子どもの生み方を示しているのは確かですから、上手に使えば年次比較や地域比較にとても役立ちます。ただし、「生涯に生む平均子ども数」という解釈をうのみにすると、実情に対する誤解の元となります。」
 「生涯に生む平均子ども数」という解釈をうのみにしないでとわざわざ書かれています。つまり誤解されやすいんです。たぶん報告書の原案をつくった官僚は誤解されやすいところを利用して人を騙す、官僚の悪知恵ですね。いかにも統計学的に合理性があるようにみせかけているが、実はこれほど非論理的な説明はないと思います。

 古川貞二郎有識者会議メンバーや柴田雅人皇室典範改正準備室長といった厚生省官僚はこのへんのことをよく知っているはずだ。もし古川や柴田が合計特殊出生率による試算が論理的とあくまでも強弁するなら、皇居は千代田区、赤坂御用地は港区、常陸宮邸は渋谷区東、桂宮邸は千代田区三番町だから東京です。皇后、皇太子妃をはじめ貞明皇后や香淳皇后も御実家は東京ですから、東京都の合計特殊出生率1.0で試算するのがより論理的ともいえます。5人の男系男子が現存したとしても、子の世代で2.5、孫の世代で1.25、曾孫の世代で0.625と言う試算になり、男系は駄目だというならこちらのほうが明確ですねという皮肉のひとつも言いたくなります。
 
 ちなみに国立社会保障・人口問題研究所の第12回出生動向基本調査(2002)のⅢ夫婦の出生力http://www.ipss.go.jp/ps-doukou/j/doukou12/chapter3.html#31aをみてください。平成16年の少子化白書http://www8.cao.go.jp/shoushi/whitepaper/w-2004/html-h/html/g1130050.htmlでもこう述べています「ほぼ子どもを生み終えた結婚持続期間15~19年の夫婦の平均出生子ども数(完結出生児数)は、戦後大きく低下した後、1972(昭和47)年調査(1950年代半ばに結婚した世代)において2.2人となり、以後30年間ほぼこの水準で安定して推移している。最新の第12回調査(2002(平成14)年)でも、結婚持続期間が15~19年(1980年代半ばに結婚した世代)の夫婦の完結出生児数は2.23人と、同様の水準を維持している。したがって、この間の合計特殊出生率の低下は、もっぱら初婚年齢の上昇や未婚化の進展によるものであり、すでに結婚した夫婦が一生の間に生む子どもの数には変化がなかったことがわかる」
 
 国立社会保障・人口問題研究所の第12回出生動向基本調査(2002)の完結出生力http://www.ipss.go.jp/ps-doukou/j/doukou12/chapter3.html#31a

 表Ⅲ-1-2の完結出生児数と図Ⅲ-2-1の結婚持続期間別にみた出生子ども数別子ども割合(2002年)をみてください。

 結婚持続期間と子ども数(2002年)
  年   0人 1人 2人 3人以上
 5~9 10   24  51   14  %
10~14  5   16   52   26  %
15~19 3.4  8.9 53.2   34.4  %

 夫婦の最終的な子ども数は2人または3人が8割以上を占めてます。一人っ子が増える傾向は指摘されていますが、合計特殊出生率が1.29とか東京の場合は1.0をきっているわけですが、一人っ子が普通になったということではないです。東京は未婚化が進んでいるから低い数値になる。私自身も人口統計学は素人ですから錯覚しやすい。錯覚しやすいのを承知で有識者会議は利用しているんです。この情報操作というかインチキによって出生数を試算し男系では安定性を欠くという結論を引き出している。日本の歴史人口学などは世界でも最高水準といわれてますので、できればそうした専門家に反駁してもらいたいのですが、しかし素人でも容易に見破ることのできる見え透いた実にいいかげんなものです。有識者も恥じることもなく、よくもこんないいかげな計算を出してきたなと思うわけです。
 
 そこで A 完結出生児数(註5) B 合計結婚出生率(註6) C 合計特殊出生率(註7)の数値を示します
       
         A        B        C

1940  4.27              4.12

1952  3.50              2.98

1957  3.60              2.04

1962  2.83              1.98

1967  2.65             2.23

1972  2.20              2.14

1977  2.19    2.17    1.80

1978            2.13    1.79

1981            2.16    1.74

1982  2.23    2.14    1.77

1983            2.16    1.80

1984            2.13    1.81

1985            2.24    1.76

1986            2.16    1.72

1987  2.19    2.08    1.69

1988            2.06    1.66

1989            2.05    1.57

1990            2.02    1.54

1991            1.95    1.53

1992 2.21     1.91    1.50

1993            1.91    1.46

1994            1.89    1.50

1995            1.93    1.42

1996                      1.43

1997  2.21              1.39

1998                      1.38

1999                      1.34

2000                      1.36

2001                      1.33

2002  2.23              1.32

2003                      1.29

     (27日に数値の誤植訂正)

   

   私は人口統計学は素人だから、統計学的に皇位継承者の出生数試算にどの数値をあてればよいかはわからない。たんに勘にすぎませんが、しかし常識的に考えて、あえて一般社会の出生動向と関連させるとすれば30年間2.2水準で安定した数値である完結出生児数による試算が合理的に思える。その理由を簡単に述べます。
  問題は合計結婚出生率が1.9水準に低下していることである。合計結婚出生率はある期間(通常は1年)に観察された夫婦の結婚持続期間別出生数を分子に、当該夫婦数を分母にして計算される結婚持続期間別出生数を合計したもので、その期間の夫婦の出生率を前提とした夫婦一組から生まれる平均出生児数にあたる。1.9水準に低下したというのは未だ完結出生力に達していない夫婦の出生ペースが落ちていることを示す。出産ペースが落ちているのは社会経済的文化的要因がありそれを分析しなければならないし、晩婚化による高齢出産忌避もあるかもしれませんが、一般社会の経済的文化的状況と皇室を同一視できないのでこの傾向を格別重視しなくてもよいのではないか。
 但し雅子妃が29歳半という高齢での結婚であることが問題になる。下記のデータのとおり1997年の調査で初婚年齢29~30歳の完結出生児数は1.78であり、置換水準を下回っている。歴史上、鳥羽后藤原泰子、堀河后篤子内親王といった高齢で初婚-立后のケースもあるがいずれも政治色の濃い立后例で、満29歳半は歴代后妃のなかでも晩婚といえる。

国立社会保障・人口問題研究所 『調査研究報告資料第13号(1997年人口問題基本調査)第11回出生動向基本調査-第Ⅰ報告書-日本人の結婚と出産』1998 18頁
第11回出生動向基本調査. 結婚と出産に関する全国調査PDF 9頁
http://www.ipss.go.jp/ps-doukou/j/doukou11/doukou11.pdf

妻の初婚年齢別完結出生児数
初婚年齢 1982 1987  1992  1997
19歳未満 2.50 2.46
19~20歳 2.34 2.38 2.51 2.35
21~22歳 2.27 2.28 2.25 2.34
23~24歳 2.25 2.15 2.27 2.21
25~26歳 2.22 2.15 2.15 2.24
27~28歳 2.09 2.03 2.20 2.15
29~30歳 1.89 1.85 1.81 1.78

妻の最終学歴別
         1982  1987 1992  1997
中学校   2. 24 2.22 2.22  2.19
(%)      39.5 27.2 13.8   5.8
高校     2.23 2.15 2.22 2.20
(%)      50.1   60. 6   64. 6  61. 5
短大高専 2. 26  2. 16   2. 20    2. 25
(%)          6. 3    7. 3   12. 2    21. 4
大学以上 1. 93  2. 32   2. 12    2. 19
(%)          2. 9   3. 8     6. 8    10. 3

夫の現在職業別完結出生児数
            1987  1992  1997
農林漁業      2.41  2.73   2.64
(%)            4.3  2.2  1.6
非農自営    2.46 2.27 2.27
(%)         19.1 15.8 16.3
ブルーカラー  2.18 2.25 2.26
 (%)        21.8 16.2 14.2
ホワイトカラー 2.08 2.18 2.17
 (%)        49.7 63.9 63.2

 八幡和郎氏は「皇室は親戚がほとんど東京大学出身といった、秀才のDNAを入れることにこだわりすぎているのではないか。」(註8)との婚姻政策に関する疑問が呈されているがが、よくぞ言ってくれたと思う。雅子妃以外で当時マスメディアでお妃候補として取りざたされていた、旧皇族の息女に関していえば年齢的にはかなり若かったように記憶している。どうして皇室は若い女性を選択しないのか不思議に思っていた。しかし、婚期が遅れたとも解釈できるし、いずれにせよお妃候補が29~30歳でなければならないという理由はなく、雅子妃のケースゆえ1.78まで下げる必要はないと判断した。
 家系維持の婚姻戦略としては20代前半の女性がより望ましい。しかし上記の初婚年齢別完結出生児数からすると27~28歳までの結婚なら2.1以上、25~26歳までの結婚なら、2.2以上の出生を想定できるのである。27~28歳の初婚年齢でも置換水準を上回っており、婚姻戦略としては29歳以上にならない、置換水準を上回る出生数を想定できる年齢の女性をお妃候補とすればよいということなので難しくはない。
 また雅子妃はハーバード卒、東大中退の超エリートですが、ダイアナ妃が保母だったように婚姻戦略として大卒にこだわる理由はないと私は考えるが、仮に大卒としても統計によれば 2. 19という置換水準以上の出生を想定できるのである。
 桂宮のように独身のケースもありうるし、不慮の事故により男系男子が確実に15年以上持続する結婚の保障はないという見方もできるが、一般社会の結婚というのは心理的充足が第一義の場合が多く、子づくり、家系維持の跡継ぎにこだわる結婚でないケースが少なくないこと、一般社会のように経済的理由による出生数調整、避妊や中絶による出生数のコントロールはあまり必要ないと考えられるから、平均値を採用することにより、そうした不確定要因を相殺できると判断した。もし皇室の出生力をホワイトカラーより非農自営に準拠できるとするならば2.27という数値でもよいわけである。いずれにせよ、有識者会議の1.29という数値に論理性はなく、出生数試算としては低すぎて説得力のある試算とは到底いえない。

(註5)国立社会保障・人口問題研究所第12回出生動向調査http://www.ipss.go.jp/ps-doukou/j/doukou12/chapter3.html#31b
(註6)国立社会保障・人口問題研究所 『調査研究報告資料第13号(1997年人口問題基本調査)第11回出生動向基本調査-第Ⅰ報告書-日本人の結婚と出産』1998 20頁
(註7)国立社会保障・人口問題研究所 一般人口統計 表4-3 女子の出生力及び再生産力に関する主要指標:1925~2003年
http://www.ipss.go.jp/syoushika/tohkei/Popular/P_Detail2005.asp?fname=04-03.htm&title1=%87W%81D%8Fo%90%B6%81E%89%C6%91%B0%8Cv%89%E6&title2=%95%5C%82S%81%7C%82R%81%40%8F%97%8Eq%82%CC%8Fo%90%B6%97%CD%8By%82%D1%90l%8C%FB%8D%C4%90%B6%8EY%97%CD%82%C9%8A%D6%82%B7%82%E9%8E%E5%97v%8Ew%95W%81F1925%81%602003%94N
(註8)八幡和郎『お世継ぎ◆世界の王室・日本の皇室◆』平凡社2005 235頁

2005/12/18

敵は本能寺!法案を叩き潰すために文化戦争に突入する

時間的猶予もないので、思いついたことから順不同になりますが軽い記事を書いていこうと思います。今回は報告書の中味については論じない。前置きになります。そのうえで正月休みまでに有識者会議反駁をまとめたいと思う。

川西正彦(平成17年12月18日)

11月25日のNHKニュース(正午)「皇室典範の見直しを話し合う政府の有識者会議は24日、女性とその子どもの女系にも皇位の継承を広げ、継承の順位は男女の区別なく、直系の第1子を優先させるとする最終報告をまとめ、小泉総理大臣に提出しました。これについて、小泉総理大臣は25日の閣議のあとの閣僚懇談会で、「妥当で意義深い内容だと思う。この最終報告に基づいて、来年の通常国会に皇室典範の改正案を提出したい」と述べました。そのうえで、小泉総理大臣は「いろいろな意見があるかもしれないが、国会で議論してもらい、国民の理解を得ることができるように審議の中で答えていきたい」と述べました。これについて、安倍官房長官は閣議後の記者会見で、「この報告を受け、政府部内でよく検討して法案化していきたい。法案の提出時期などのスケジュールはこれから検討する。与党側にも議論してもらうことになると思う」と述べました。」(当日のNHKニュースサイトから転載)。
 
 小泉首相は致命的に誤った政治判断を下しました。事実上易姓禅譲革命、異姓の帝位簒奪を是認し、日本国を終焉させることを合法化する、醜悪きわまりない、国を滅ぼすための政策について、「妥当で意義深い内容」とし、通常国会で成立をもくろむ意思を明確に示しました。

 また12月1日、内閣官房に「皇室典範改正準備室」が設置され、来年の通常国会に提出する皇室典範改正案の3月までに国会に提出するため法案作成作業に入っている。準備室は、内閣官房や宮内庁審議官ら15人で構成。室長には柴田雅人内閣総務官、副室長には内閣審議官2人が就任したと報道されている。

 敵は本能寺!。独裁者小泉による国体変更の恐ろしい野望を阻止すべく、文化戦争に突入します。皇族と姻戚の麻生外相や保守層に人気のある安倍官房長官も、独裁者のいいなりなら国体変更をたくらむ一味とみなすほかあるまい。
 このブログは寛仁親王殿下の「令旨」を奉じて、独裁者小泉とその一味(政府官僚-有識者ら女系推進主義者を含む)と対決する。しかし、それとともに女帝容認論の底意にある男女同権論・フェミニズムとも対決します(有識者会議の結論は要するに皇室典範の性差別撤廃である)。これは国制の根幹・文明理念・社会秩序観の争いだから憎しみあい、罵りあいのすさまじいものとなる。仕方ないですね。独裁者が皇朝・日本国を潰す、大義を棄て去る致命的に誤った決断をしたのだから。
 大義を重んじない女々しい腐った根性の小泉は史上最低の男です。フェミニズム迎合、大衆迎合政治で最低の政治家としか思えない。むろん内心は窺い知れないがこれだけ女系継承容認の皇室典範の改定を急ぐということは、例えば息子を眞子内親王あたりと結婚させ、まず女系秋篠宮家を乗っ取る。愛子内親王は政治力で婚期を遅らせるなどして、小泉の孫が帝位継承者とするように仕組んで、いずれは、小泉家が帝位簒奪、新王朝新国家をひらくという恐るべき野望でもあるのだろうか。いずれにせよそのような底意があろうとなかろうと、国を滅ぼす(易姓革命合法化)政治判断をとった首相は史上最悪です。
 
厚生省官僚-こちらこそ本物の悪のトライアングル

 一連の報道からみて小泉は本気とみなす。ブログでは書きませんでしたが、私は11月19日(土)に国士舘大学日本政教研究所の秋期シンポジウム「皇位継承をめぐって」を聞きに行きました(バネリストは嵐義人・高橋紘・所功・百地章で、コーディネーターが藤森馨)。主たる目的は女系継承を理論的に支えている所功の女系容認論を直にきいておくことでしたが、高橋紘がこういうことを言ってました。
 有識者会議の古川貞二郎前内閣官房副長官と羽毛田信吾宮内庁長官は共に厚生省出身で先輩-後輩の間柄ですが、内閣官房にも厚生省の後輩が実務を行っている。このため有識者会議-内閣官房-宮内庁の連繋はうまくいっているという趣旨のことを言ってました。要するに要所を厚生省官僚で固めており政府は本気である。羽毛田は古川に近い厚生官僚であるから、女性天皇を実現するために宮内庁次長より長官に起用されたと推測できる。高橋紘もその仲間なのだろう。羽毛田が神社本庁の批判や寛仁親王殿下のエッセーに不快感をみせるの古川の子分だからと推測できる。
 そこで経歴(要点のみ)を調べてみました。橙色は小泉の厚相在任時の厚生省での役職。

小泉純一郎首相 昭和17年生(横須賀)慶大経済学部卒
竹下内閣-厚生大臣 昭和63年12月~平成元年8月(平成元年6月再任)
橋本内閣-厚生大臣 平成8年11月~10年7月

古川貞二郎前内閣官房副長官 昭和9年生(佐賀県)九大法学部卒
 昭和9年生(佐賀県)九大法学部卒
(皇室典範に関する有識者会議メンバー)
昭和57年8月厚生省医務局総務課長
昭和59年7月厚生省大臣官房総務課長
昭和60年8月厚生省大臣官房審議官
昭和61年6月内閣官房主席内閣参事官・総理府大臣官房総務課長
平成元年6月厚生省児童家庭局長
平成2年6月厚生省大臣官房長
平成4年7月厚生省保険局長
平成5年6月厚生事務次官
平成6年9月厚生省顧問
平成7年2月内閣官房副長官

羽毛田信吾宮内庁長官 昭和17年生(山口県)京大法学部卒
昭和58年8月厚生省医務局管理課長
昭和59年7月厚生省保険医療局管理課長
昭和60年8月厚生省老人保健部計画課長
昭和61年6月厚生省保険医療局企画課長
昭和62年9月厚生省保険局企画課長
昭和63年6月厚生省大臣官房総務課長・官報報告主任
平成2年6月厚生省大臣官房審議官・内閣審議官(内閣官房内閣内政審議質併任)
平成4年1月内閣官房内閣参事官室主席内閣参事官・総理府大臣官房総務課長(併任)
平成7年7月厚生省老人保健福祉局長
平成10年7月厚生省保険局長
平成11年8月厚生事務次官
平成13年4月宮内庁次長
平成17年4月宮内庁長官

柴田雅人内閣官房内閣総務官・皇室典範改正準備室長
昭和23年生(東京都)一橋大法学部卒
昭和58年厚生省児童家庭局障害福祉課
昭和58年三重県福祉部児童老人課長
昭和61年厚生省保険局企画課長補佐
昭和63年厚生省大臣官房政策課長補佐
平成元年6月人事課秘書官事務取扱
平成2年1月政策課企画官
平成2年2月内閣官房内閣参事官
平成5年6月厚生省児童家庭局母子福祉課長
平成6年7月保育課長
平成7年6月社会・援護局施設人材課長
平成8年7月厚生省保険局国民健康保険課長
平成10年7月厚生省保険局企画課長
平成13年1月内閣官房内閣審議官
平成15年7月内閣官房内閣総務官

(引用-『全国官公界名鑑』同盟通信社2005)

 以上の経歴からみて、厚生省出身官僚三者がたんに先輩-後輩の関係で結びついているだけでなく、小泉ともたんに面識があるというより旧知の間柄だろう。従って、古川人脈を要所に配置して皇室典範改悪を進めているわけですが、小泉主導で旧知の厚生官僚を使って野望実現に狂奔しているという見方もできるのだ。有識者会議報告書が男系継承では皇位継承者が確保できないという勝手な理由として合計特殊出生率や一般社会の晩婚化を強調する奇妙な見解を述べている(この論点には明確に反駁する予定)のも厚生省官僚の着想を看取することができるだろう。
 もっとも八幡和郎『お世継ぎ』平凡社2005の259頁は、次のような少し別の見方を示している。「『皇室典範に関する有識者会議」の実質的とりまとめ役〔古川-筆者註〕は、妃殿下の父親とほぼ同じ時期の事務次官会議のメンバーで、妃殿下の母堂と同じ県出身者である〔佐賀-筆者註〕‥‥霞ヶ関高官たちの麗しい友情を出発点とした傲りにみえてしまう」。これは古川-小和田主導説なのだろうかいまいちはっきりしないが、いずれにせよ、有識者会議の結論を妥当とした独裁者の政治判断が致命的である。

最悪のシナリオ

 最悪のシナリオとしては、次のようなことが考えられる。有識者会議は女子差別撤廃条約との関連を皇室典範改正の理由としてあげていないが、条約とのからみで、男系継承から男女いかんにかかわらず第一子継承として憲法を改正したベルギーのような例を明らかに意識している。第一子優先にこだわったのも、国連の女子差別撤廃委員会(CEDAW)報告の実績づくりにするためだと思う。女子差別撤廃条約が人権条約の実施措置としてはもっとも緩い報告制度をとっていること。条文の解釈は締約国に委ねられており、条約が特定の女性政策を強要するものではないから、条約のために皇室典範を改正する必要はないということを前回のブログで示唆しておきましたが、小泉は担当大臣に猪口氏を起用するなど男女共同参画には熱心であるから、いずれ政府答弁で女子差別撤廃条約も皇室典範を改正の理由にされるのだと思う。
 それは最悪の事です。たいした権威もなく強制力もない女子差別撤廃委員会(CEDAW)の報告の実績づくりのために、国体を変更して易姓革命を是認し国を滅ぼす。腐った役人根性丸出しで、つまらない委員会のためにノルマとされているわけでもないのに大義を捨て去る。もし皇位国体護持よりフェミニストを喜ばす実績づくりが重要だという判断を小泉が持っているとしたら腐った最低の男ですね。
 ところがそれをやりかねないのが小泉だ。『週刊現代』2005年12月17日号(47巻48号)46頁以下、旧皇族子孫竹田恒泰vs.田原総一朗核心対談「愛子女帝を認めるのか」にこういうやりとりがあります。田原というのはかなり悪質な女系容認論者です。
 竹田 女系の天皇に対し、もはや尊敬できないという人が出てくるのが心配です。
 田原 それが女性蔑視なんですよ。女性天皇を尊敬できなくなるというのは、女性蔑視です。(中略)
 竹田 田原さんは、小泉首相と何度も会ってお話しされていますが、皇室観についてどうお考えですか。
 田原 僕と大して違わないと思う。民主主義のルールでは、女系天皇容認で第1子優先だと‥‥

 旧皇族の子息の面前で女性蔑視と一喝して偉そうにしている田原総一朗の発想と小泉はたいして違いないということは、小泉は万世一系男系論者は女性蔑視でけしからんから叩き斬るということなのか。

 田原みたいな攻撃的姿勢で野望実現に狂奔するかもしれない。例えば男系論者を時流に反する守旧派、大衆世論の敵、雅子妃を悩ます敵、愛子さまの敵、女性蔑視だとラベリングする手法で絶叫(私自身はラベリングされてもいっこうにかまわない。明確に自分は性差別主義と発言しているし、敬宮は本来、紀宮と同じような存在であるべきて、それ以上に特別視する必要もないことはこれまでのブログでも示唆ないし発言しております)、あるいは有識者会議報告書をくり返し引用する形式的な答弁でさっさと成立させるかもしれない。そのために報告書は旧皇族が属籍を復すことを明確に棄却する内容になっているのだと思う。旧皇族復帰は有識者会議でさんざん議論して明確に否定しているから駄目なものは駄目で押し切ってくると思います。であるから現状はきわめて深刻だ。
 
性差別撤廃で婦人道徳完全崩壊の懸念

 私は、たんに国体変更、易姓革命是認・異姓者の帝位簒奪に反対、保守主義の立場で女性天皇に反対なのではない。それはよその人も主張していることで、このブログでは特色を出すため、国を滅ぼしてもよいから性差別撤廃政策が優先するというのは無茶苦茶な政策で、フェミニズムの害毒の蔓延により、社会秩序・規範の崩壊とりわけ家族倫理の崩壊をおそれるゆえ反対ということも強調したい。夫が家長で妻が主婦という決定的な価値観を否定する。後家が子どもが成人するまで家長代行として家業を指揮するのはよくありうることだからそれはいいですよ。王権でいえば太后臨朝称制です。正統的な政治形態です。
 しかし女性当主で夫が添え物、たんに子づくりのための入夫というのは耐え難い男性を侮辱するものであります。そんないびつな婚姻家族を容認するわけにいかないです。この脈絡において私は女性天皇を尊敬できません。
 神聖不可侵の万世一系の皇位ですら性差別撤廃政策で崩壊させたとなると、フェミニストの歴史的大勝利となるので我慢ならないものがある。そうなると男性がますます卑屈な立場に追い込まれる。文明の崩壊です。

 私は歴史的な婦人道徳の意義を重んじます。それゆえに性差別撤廃に強い嫌悪観を持っている。
 
 節婦表旌

 律令国家の家族倫理に関する公定イデオロギーは孝子・順孫・義夫・節婦という儒教倫理です。総じて孝義という。節婦とは「願守其(夫)墳墓以終天年」「其守節而有義」「謂、夫亡後葬舅姑負土、営墓、慕思不止也」とされる。「賦役令」孝子条で課役免除や優賞の規定があるが、とりわけ節婦表旌は六国史(とくに九世紀)に多くの記事があり、婦人道徳の確立が律令国家の重要政策であったことがわかる。
 例えば三代実録、清和天皇、貞観七年三月廿八日巳酉条 近江国に言えらく、伊香郡の人石作部廣継女、生まれて年十五にして、初めて出でて嫁ぎ、卅七にして、夫を失ふ。常に墳墓を守り、哭きて声を断たず、専ら同穴を期ひて再び嫁ぐに心無し。其の意操を量るに節婦と謂ふべし』と。勅あり『宜しく二階を叙して戸内の租を免じ。即ち門閭に表すべし』
 節婦表旌は明治天皇の地方巡幸でもなされており、我が国の歴史に一貫する価値である。律令国家の公定イデオロギーがそういうものですから、律令国家においては女帝が出現することによってフェミニストが増長するとか社会規範の崩壊のおそれはないです。今回進められている皇室典範の改悪、女性天皇容認は歴史上の女帝とは全く意味が違う。国を滅ぼすうえに文明規範を崩壊させる最悪のものであります。
 
 我が国の婦人道徳の形成において特徴的なのは節婦にみられる儒教的倫理と仏教が混淆して、貴人の女性の出家がみられる(この慣例は九世紀に成立したとみてよい)。ここでは婦徳が讃えられている二人のキサキ、仁明女御藤原朝臣貞子と清和女御藤原朝臣多美子のエピソードを引用したいと思います。
 
 女御藤原貞子出家の女性史上の意義

 藤原貞子(仁明女御、父右大臣藤原朝臣三守、母不詳、成康親王・親子内親王・平子内親王の生母、天長十年十一月従四位下、承和六年正月、従三位、嘉祥三年七月、正三位、貞観六年八月薨。贈従一位、仁明天皇の深草山陵兆域内に葬られる)薨伝に「風容甚だ美しく、婉順なりき。仁明天皇、儲弐と為りたまふや、選を以て震宮に入り、寵愛日に隆し」と見え、仁明の東宮時代に結婚、年齢は不明。文徳実録仁寿元年二月丁卯条に「正三位藤原朝臣貞子、出家して尼となる。貞子は先皇の女御なり、風姿魁麗にして、言必ず典礼なり。宮掖の内、その徳行を仰ぎ、先皇これを重んず。寵数は殊に絶える。内に愛あるといえども、必ず外に敬を加う。先皇崩じて後,哀慕追恋し、飲食肯わず。形容毀削し、臥頭の下、毎旦、涕泣の処あり。左右これを見、悲感に堪えず、ついに先皇のために、誓いて大乗道に入る。戒行薫修し、遺類あることなし。道俗これを称す」とあり(註1)、天皇のキサキで崩後出家し尼となった先例として桓武女御橘朝臣常子の例があるが、貞子は序列筆頭の女御なので(仁明天皇は皇后を立てていないので貞子が序列最上位のキサキ。文徳生母つまり東宮生母の藤原順子より位階上位)貞子の出家は女性史的にみて決定的な意義がある。父藤原三守は崇文の治の大立者であり、仁明生母の太皇太后橘嘉智子の姉橘安万子を妻としていることもあり、仁明天皇とはミウチ同然であるが、三守がもう少し長命で(承和七年薨-不審説もある)、承和の変さえなければ恒貞親王の次の候補として成康親王の可能性もあったと私は考える。また歴史家のなかには仁明天皇の崩御について不審説(註2)もあり、藤原貞子の悲しみようから深い意味があったのかもしれない。それゆえに同情するものである。
 
 女御藤原多美子出家の意義と婦人道徳

 藤原多美子(清和女御、父右大臣藤原朝臣良相)薨伝は概ね次のとおり「性安祥にして、容色妍華、婦徳を以て称さらる。貞観五年十月従四位下、貞観六年正月清和天皇元服の夕選を以て後宮に入り、専房の寵有り、少頃して女御、同年八月従三位、同九年三月正三位、元慶元年十一月従二位、同七年正月正二位、仁和二年十月薨。徳行甚だ高くして中表の依懐する所と為る。天皇重んじ給ひ、増寵他姫に異なり。天皇入道の日(清和上皇の出家-元慶三年五月)、出家して尼と為り、持斎勤修す。晏駕の後、平生賜りし御筆の手書を収拾して紙を作り、以て法華経を書写し、大斎会を設けて恭敬供養しき。太上天皇の不眥の恩徳に酬い奉りしなり。即日大乗会を受く。聞きて聴者感嘆せざる莫し。熱発して奄ち薨じき」
 多美子は清和天皇の元服加冠の儀の当日に後宮に入って、そのまま入内、女御となった。帝最愛の寵姫であったが皇子女をもうけることができなかった。しかしそれは結果論だと思う。多美子は貞観八年の応天門の変の政治的敗者といえるだろう。応天門の変の背景に太政大臣藤原朝臣下良房の養女格であった高子の入内問題があったというのが角田文衛説である。『伊勢物語』の二条后と在原朝臣業平の恋愛事件について、多くの学者は消極的な姿勢で史実性を認めているが、角田文衛(註3)は物語文学を精査したうえ、高子は文徳生母皇太后藤原順子の東五条第に預けられていたが、貞観元年十二月~二年正月皇太后宮東五条第西の対に業平が忍び通いをしたと断定している。この時期藤原順子は弟の藤原良相邸を仮御所とされていたため、警備が手薄になっていたらしい。
 この事件は隠蔽されたがいかにひた隠しにしても業平は人気者だから、極限された貴族社会では忽ち電波のように噂が広まったに違いないとする。当時の太政官符の類を見れば明白なように、左大臣源朝臣信は名のみで、実際の政治は主として右大臣良相が施行していた。政権の主軸である良相が難色を示せば、いかに太政大臣良房と雖も持駒の高子入内を強行できなかった。あるいは清和祖母藤原順子が帝より八年も年長で派手な性格の高子を嫌って、行儀正しい多美子を推薦したとみられている。
 さて、貞観八年応天門の変直前の状況について武野ゆかり(註4)は太皇太后藤原順子-右大臣左近衛大将藤原朝臣良相-大納言民部卿太皇太后大夫伴宿禰善男の三者がむすびついていたとしているが、良相と伴善男は仁明の寵臣で同時期に参議に列し、民政重視で相通じる仲だった。しかも良相の嫡子常行は有能で、応天門焼失の直前に基経より上席で参議に列していた。むろん大納言平朝臣高棟や権大納言藤原朝臣氏宗は良房派で、両派閥は拮抗していたとみてもよいが、なんといっても良相女多美子は帝の寵姫で皇子誕生となれば、北家藤原氏嫡流は良房-基経ではなく良相-常行に移行する可能性があった。しかし角田文衛によると藤原良房は貞観八年閏三月の応天門炎上〈真相は不確定〉を奇貨として巧妙な陰謀を企て一気に巻き返しを図ったというのである。伴善男を斃すとみせかけて、弟良相の失勢(右大臣左近衛大将辞任)を図り、その嫡子で多美子の兄常行を挫折させ、無能だが嵯峨源氏長者たる左大臣源信を庇うとみせかけて賜姓源氏の信頼感を繋ぎ留め、良房は人臣初の摂政となった。
 清和天皇は九歳で即位して十六歳まで生母藤原明子(良房女)と東宮雅院で同居状態だったが貞観七年に内裏に遷御され、明子は東宮に止まり母と離れているのだが、応天門の変の後、皇太后藤原明子が後宮正殿常寧殿に移御されている。常寧殿は本来皇后の居所であって、天皇生母が後宮に入る必然性はないのである。これは良房が内裏をミウチで固めて帝を取り込み(当時後宮を差配していたのが尚侍源全姫で、良房の義妹、皇太后のおば)序列筆頭の女御の多美子を牽制する意図があったとみてよい。尚侍源全姫が藤原高子をはじめとしてやたらと多くの女御更衣を後宮に送り込んだのも多美子に里第へ退下を余儀なくするようしむけたものだろう。それゆえ藤原多美子に同情するものである。
 貞観18年清和天皇は二十七歳で上皇権を放棄するかたちで退位された。退位は藤原基経の策略とみなす説(註5)があるわけです。上皇の封戸は財政難のためか半減とされたのでり、出家せざるをえないようにしむけられたのかもしれないが、いずれにせよ清和上皇の出家に従って、女御藤原多美子は出家して尼となった。夫唱婦随これほど美しい婦人道徳はないと思います。出家されてほどなく元慶四年上皇は崩御になられたが、その後、多美子は平生天皇から賜った手紙を集めて漉き返し、その紙に法華経を写経して供養している。この時代には脱墨技術はないので、漉き返しを行う紙の色は薄い黒色となった。太上天皇の不眥の恩徳に酬い奉り、それを聞いた人々は感嘆したが、多美子は熱発して亡くなってしまったというのである。ここに貴人の女性の婦人道徳とはこうあるべきだということが示されている。しかし、皇室典範が性差別撤廃してしまうんじゃ、こういう婦人道徳を讃えたり、宮廷文化のおくゆかしいところもみな否定されてしまうのではないかと危惧します。
 
 七出・三不去の制
 
 関連して「戸令」二十八の七出・三不去の制も律令国家の公定イデオロギーであるから言及しておくと凡そ妻棄てむことは七出の状有るべしとされるのである。子無き。間夫したる妻。舅姑に事へず。心強き妻。ものねたみする妻。盗みする妻。悪疾。であるけれども子無きはさしたる咎にあらずともされている。
 このなかで最も重視したいのが「舅姑に事へず」この趣旨からいって現代のフェミニストの主張は公定イデオロギーに逆らっており容認しがたい叛逆である。つまり夫にも服従しない対等を要求。のみならず舅姑に仕えるのはまっぴらごめん。舅姑と同じ墓にはいりたくない。それでいて夫婦別姓導入で法定相続で夫家の家産は分捕りたい。欲の深い女どもだ。こういう我が儘で欲の深い主張がまかりとおっていることが間違いだと思います。
 神聖不可侵の万世一系の皇位、神聖不可侵の日本朝を性差別撤廃政策で終焉させたいと考えている、小泉とその一味、フェミニストとは妥協の余地などないのである。皇室典範の性差別撤廃は、たんに皇室の問題にとどまらず一般社会の影響も大きい。欲の深いフェミニストは増長する。その悪影響は甚大であり、強く反対する。

(註1)大江篤「淳和太后正子内親王と淳和院」大隅和雄・西口順子編『シリーズ女性と仏教1尼と尼寺』平凡社1989
(註2)谷下喬一「仁明天皇崩御事情に関する一考察(上)(下)-続日本後紀編纂に於けるおける藤原良房の政治的意図をめぐって-」『政治経済史学』58・59号
(註3)角田文衛「藤原高子の生涯」「良房と伴善男」『王朝の映像』東京堂出版 1970
(註4)武野ゆかり「中宮職補任-藤原順子・明子・高子の場合」『神道史研究』29-3 1981
(註5)太田英比古「清和太上天皇の出家事情と水尾山寺隠棲(Ⅰ)(Ⅱ)(Ⅲ)」『政治経済史学』107、108、109

2005/12/04

神の宣告(創世記3章16節)は決定的だ-反男女平等-文化戦争突入宣言-

     (目次)
    男性優位主義が文明社会の鉄則だ
   女子差別撤廃条約の締約国の義務はCEDAWへの報告制度だけ
     特定社会階層の利益のための女性政策
  「人間の尊厳」を否定するが、男性の尊厳の回復を求める
  合意主義婚姻理論は形式的には対等にみえるが
  夫は領主(lord)、バロン(balon)と尊称されて当然
  妻は奴隷のように夫に服従すべきだ

川西正彦(平成17年12月4日)

男性優位主義が文明社会の鉄則だ

  このブログはいきなり、女帝反対論から入ったため、わたくしの反フェミニズムという趣旨について述べていなかったので、ここでおおまかに説明しておきたいと思います。そのうえで、有識者会議報告書の反駁を開始するとともに、文化戦争に突入するものである。
  文明世界の規範とは明確な性差別、男性による女性の支配である。ここでは西洋文明的脈絡から述べます。すなわち神の宣告、神が女に下した罰「なんじは夫をしたい、彼はなんじを治めん」(創世記3:16)つまり男性による女性の支配をいう。神の宣告だから忽せにできない決定的な価値です。これが、文明世界の秩序、鉄則、社会的正義であります。この規範からの逸脱は文明から転落、反文明とみなさなければならない。
 またパウロが教えるように「男の頭はキリスト、女の頭は男、そしてキリストの頭は神である」(第一コリント11:3)「男は神のかたちであり栄光であるから、かしらに物をかぶるべきでない。女はまた男の光栄である。というのは、男が女から出て来たのではなく、女が男から出て来たのだし、男が女のために造られたのではなく、女が男のために造られたのだから」(第一コリント11:7~9)。「婦人たちは教会で黙っていなさい。婦人たちに語ることが許されていません。律法も言っているように、婦人たちは従う者でありなさい」(第一コリント14:34)
 私はコリント前書に忠実なんです。であるから真正パウロの勧告に従って独身だし、女どもの叛逆を許さない。女が男を貶めることは許さない。文明の規範提示者からの逸脱を絶対容認しない。男女平等とか同権とか、女子差別撤廃なんていうのは文明規範に対する叛逆です。秩序紊乱です。絶対容認しません。いわゆる男女同権論なるものはワイマール憲法あたりから、20世紀の新奇な思想なのであって、そんなのは鼻糞のように全く価値を認めないし、むしろ有害、環境ホルモンより恐ろしい害毒だ。現代社会はその反文明への堕落のただなかにあり、正気を失っている。大切な守らなければならない価値とはなんですか。それは西洋文明2500年の規範的価値であり、古代教父、古典カノン法、中世の聖人、神学者、教会法学者が提示する規範的価値、要するに私は文明の中核にある正統的な文化的伝統をあくまでも重んじる。そんなわけで、文明規範・社会秩序の回復と、『神のかたちと栄光を映す男性の尊厳の回復』という大義名分により、悪しき勢力、フェミニズム、男女同権論・平等論と戦う決意であります。
もっとも私は原初フェミニズム運動、19世紀だと思いますが、売春の国家的規制から売春婦を擁護する運動それ自体は否定しない。そもそも売春それ自体コモンロー上犯罪ではない。フェミニズムが社会的に汚名化された弱者としての女性を擁護する運動なら好意的にみることもできる。洗練したイギリス人は単婚主義の婚姻制度を維持するためのコストとして売春も必要と考える。だから非犯罪化論になる。
 しかし我が国のフェミニズムは社会的弱者としての女性の擁護というよりも、攻撃が男性に向けられ男性を貶めて喜ぼうとする極めて悪質なんです。中等教育(中学校の技術・家庭の家庭領域と高校家庭科)に男子生徒に家庭科履修を強要させたり、厚かましすぎる。男子生徒がフェミニストの我が儘な理屈のために人格形成に重要な青年期に無益でばかげた教育を時間をさいてしまっているのはあまりにも気の毒だし大きな損失だ。有害な教育政策を黙認してきた罪について、われわれ大人は子どもたちに懺悔しなければならないと思ってます。こんな男子への虐待に等しい教育課程は直ちに中止すべきだというのが私の意見ですが、女子差別条約との関連で学習指導要領が改訂されたわけです。しかし、女子差別撤廃条約というのは、これこれの教育政策を強要するものではない。条約の第三部一0条で教育における平等の達成を述べてますが、条文の解釈は締約国の自由ですから、条約の提案国であるソ連の技術教育は男子向きと女子向きで教育課程が異なるわけですが、ソ連が条約の批准で改めたわけでもない。別に条約のために高校女子のみ必修の教育課程を改定する必然性などなかったのです。職業教育や専門教育で女性の教育機会を閉ざしていなければ基本的に平等は達成されているということでもいいわけですよ。家庭科を選択科目にしても平等になりますが、選択科目という選択肢は家庭科教員の養成課程のある私大の経営を圧迫することもあり既得権益防衛のため採用されにくかったと考えられる。しかし家庭科教員の雇用を守るために男子生徒に無意味でばかげた授業をつきあわせているのは本末転倒である。学校教育の受益者が生徒でなく、既得権益のための学校教育に化してしまってます。男女平等もやかましくいえば、米国のように体育・スポーツも問題にしなければならない。皇室典範問題があったので公民権法タイトル9判例の研究をやってないので、最新の情報をみていませんが、米国ではカレッジの花形であるフットボールやバスケットボールなど男子スポーツに予算その他の権益が集中して女子スポーツをなおざりにしていることに非難があるようです。しかし、日本のフェミニストは男子に家庭科をおしつけて男子を貶めることに狂奔しましたが、体育では機能的にも視覚的にも優れていたブルマーをやめさせ、野暮ったい半ズボンにした程度であまりうるさくないのは矛盾しています。

女子差別撤廃条約の締約国の義務はCEDAWへの報告制度だけ

 女子差別撤廃条約(アメリカ合衆国が批准していないので、これが国際的スタンダードな考え方であるわけではない)は人権条約の実施措置としてはもっとも緩い報告制度をとっている。これは条約の趣旨ができるだけ多くの国に批准しやすいようにして、各国の義務については厳格に求める性格のものではないからです。あまり厳格にして、例えばイスラムのシャーリア法をやめろとか、あるいは女子割礼の慣習をやめさせろとか言ったら、多くの国が批准できませんからもともとぬるいんです。
 締約国の義務は国連の女子差別撤廃委員会(CEDAW) に条約批准の一年後とその後は四年ごとに条約の実施のためにとった立法上、司法上、行政上のその他の措置の報告をするだけ。要するに四年おきになんらかの報告のための実績づくりを政府にさせることによって、女性団体が監視して女性政策を促そうとするものです。
 浅山郁の1985年の論文(註1)によると、CEDAWの権限は弱く条約十八条で提案と一般的勧告をを行うことができるが、実際には「委員会の委員が度々、締約国による条約義務の不遵守(あるいは不十分な遵守)を認めたにもかかわらず、いかなる特定の締約国についてもその旨の意見発表は一度も行ってない」とのことです。もともと条文の解釈は締約国に委ねられているから、これこれの女性政策を締約国に強要というものではないです。例えばソ連の第一回報告では教育の分野について「憲法に基づいて教育の平等は完全に保障されている。なぜなら、教育は国家の手で行われているので、すべての男女に同一の授業内容をうけさせることが可能となる。教育上の男女差はすでに克服されてしまった‥‥」と説明してますが、中等教育の技術教育の男女別の授業内容を問うとか意地悪な質問もなく賞賛されるだけだったようです。そんなもんです。日本は1987年に第一回の報告を行ってますが、売春防止法を説明したところ、委員は「単純売春」に関心を示し、意味がわからないという質問が出たそうです。そんな程度のことです。たいした権威もない委員会です。
 いずれにせよ、女子差別撤廃条約は有害でした。米国のように批准しないほうがましでした。実際には条約の解釈はいかようにもなるんですが、フェミニストが勝手に条約違反とわめきたてることにより有害な政策が促されました。私は雇用機会均等法、男女共同参画社会基本法はむろんのこと、セクハラ規制、児童買春・ポルノ禁止法、ドメスティックバイオレンス規制など厚かましいフェミニストが推進してきた政策の全てに反対であります。強姦処罰の強化・集団強姦罪の新設もきわめて不愉快です。ここではセクハラ規制についてだけ簡単にふれておきますと、これは異常なロマンティック・パターナリズムです。女に言い寄った、王様ゲームに参加したというようなことで大学教員が不利益処分をうけたりする。コンパに参加するというのは親しみやすくて良い先生だと思うんですよ。エリートや教授のような有能な男性がこんなことで挫折させられてよいのか。社会的損失です。女どもに目上の男性に対するリンチ特権を与えているのは異常なことであり、男性に対する虐待です。断じて容認できません。
 民法改正問題、夫婦別姓・女子法定婚姻適齢の16歳から18歳への引き上げについてももちろん反対です。女性は16~17歳が最も美しいと昔から決まっている。女子の婚姻適齢法制をみてみると合衆国では大多数の州で16歳は婚姻適齢です。コーネル大学LII のMarriage Laws of the Fifty States を参照してください。英国は男女とも16歳ですが、スコットランドは親の同意も不要、フランスは女子15歳が婚姻適齢、ドイツは配偶者の一方が18歳以上なら16歳で結婚できるシステムなので法制審議会が18歳引き上げが世界的趨勢とかいっているのは事実に反しています(もっとも私はイタリア・オランダ・スペインなど婚姻適齢を引き上げた国があることも知ってます。しかし日本より格下の国じゃないですか。米英仏独が一国も該当しないのに世界的趨勢と強弁できるはずがない)。民法改正問題、とりわけ夫婦別姓ですが、国会議員の良識と健全な社会階層の抵抗があり、これだけは法制化に至ってません。推進派の野田聖子議員に刺客が送り込まれたのでこの問題は一息ついていますが、しかし女帝容認でフェミニストを増長させるとこれも危ないです。
 一連の政策をみていきますと、ここまでフェミニストを増長させた罪は重いです。こういうばかげた政策の推進を黙認して未来を背負う子どもたちに申し訳ないことをしてしまったと悔やんでます。男子を虐待することが公認され、息苦しい社会になりました。このままでよいわけがない。フェミニズムに対する敵意は募る一方です。いよいよ反撃を開始したいと思います。
 
  特定社会階層の利益のための女性政策
 
  だいたい雇用機会均等法の最大の被害者は女子短大生だともいわれています。80年代に大手都市銀行が高卒女子から短大卒の採用にに切り替えたといわれてます。当時はサービス経済化といわれ好況期で求人は多かったのですが、右に習え式に事務職が短大にシフトしていったと言われてます。
  私は1978年に都立園芸高校を卒業してますが、高卒女子の就職はまだ安定してました。成績上位の生徒は一流企業の事務職に就職できた。当時は三年間で三日以上休んだら、大手都市銀行に推薦しないとか、化粧やパーマをしたりする女生徒は事務職でなく、生産工程労働者にしか推薦しないということで教師の締め付けがききました。
  しかし90年代高卒就職が厳しくなって教師の締め付けがきかなくなると女子高校生は超ミニスカ・ルーズソックスのコギャル現象化していくわけです。しかるべき安定した企業・職種に就職を斡旋していたから教師の締め付けがきいたわけで、そうでなくなると教師の言いつけををきかなくなったと憶測します。生徒管理が難しくなった原因がそのへんにある。もちろん不況期においても就職実績の良い躾のゆきとどいた職業高校もありますし、そういう公立高校があることを私は知ってますから。地域差もありますし過当に一般化はしません。
  問題は70年代までは結婚適齢期信仰というものがあって女子は高卒でしかるべき企業に就職して持参金を蓄えたえうえで24~25歳ぐらいまでに結婚退職するという安定的なパターンがあった。これが80年代以降崩れてしまい、20代・30代の未婚率が、男女とも急速に上昇していったことである。
   その一つの要因がフェミニストが結婚退職けしからんとか当時四年制大学の女子の割合が低いことなどを問題にして、この安定的パターンを敵視し破壊したために、それが少子化の原因にもなっているし、コギャル現象にみられるように大きな悪影響を与えたと思います。それは安易に高卒採用を短大にシフトした大手都市銀行をはじめ企業側の責任もあるし、それをみのがしてきた文部行政にも責任があると思います。職業高校であれば産業教育振興法で施設・設備や教師の産振手当、たぶん今でもあるんだと思いますが、社会的投資がなされているのに、しかるべき就職先が確保できないというのは教育投資上損失でもあるわけです。
  ひとくちにいえば1980年代以降女子の事務職採用が高卒から短大、短大から四年制大学にシフトしていったということですが、この状況をフェミニストに迎合して追認したことが間違っていたというのが私の意見です。短大生にとって不運だったのは、男女雇用機会均等法でフェミニストから圧力がかかって、ニューメディア戦略と称して有名企業も四年制大学卒女子も積極的に採用することとなった。それで割を食ったのが短大女子です。女子は男子と比べて大卒と高卒の賃金格差が大きく、大卒にメリットがあるため、進学率が上昇しましたが、マスコミで喧伝された就職氷河期でより深刻だったのは四大卒女子より短大卒女子だったといわれてます。短大は就職実績で学生を集めていて、多くの女子短大生が事務職志望なんです。しかし事務職採用が四大卒にシフトしていったので短大の経営が厳しくなったといわれております。ところがフェミニストはそうは考えない。氷河期でも大卒女子さえ救えばいいんだとか、特定の社会階層の利益ばかり考えているわけですよ。四年制大学の女子大生は中規模企業の評価が高い。大企業はもっと大卒女子を採用せよとかマスコミがさかんに喧伝してましたが、それをやって割を食ったのは女子短大生。女性政策というものが必ずしも公正なものではなく、ある特定の社会階層の利益にすぎないこともあるということを述べました。
  (男女共同参画は政策・方針決定過程への女性の参画の拡大が重要政策とされているため、女性エリートが最大の受益者でしょう。女性エリートは厚遇して活躍の場を与えましょうという政策ですから政府から特権階級というお墨付があると同然なわけです。大分前ですがタッキーと細木数子の番組でゲストがタレントの菊川怜でした。細木数子がズバリ「あなたはえばっている」と言いました。でも威張って何が悪いんだと思います。菊川怜は桜蔭-東大卒で最強です威張って当然です。東大さつき会人脈、桜蔭人脈というのは実態は知りませんが、庶民の多くは新特権階級だと思っている。田中真紀子がさつき会人脈なら外務大臣を追われることもなかったでしょう。片山さつきの「コイツ」発言も悪いはずがない。天下の東大さつき会人脈を非難するほうがけしからんのじゃないですか)

 「人間の尊厳」を否定するが、男性の尊厳の回復を求める

  私は「人間の尊厳」という概念を安易に認めたくない。そんなのは神学的フィクションにすぎない。創世記1章26節や27節から「神の像」として人間はつくられたという解釈を根拠とする思想であるが傲慢な考え方になりかねない。もっともロマ書13章の趣旨から王権・君主・統治者の尊厳は当然でしょう。しかしアダムの罪により人間は致命的に腐敗しているのだから、人間一般に尊厳なんて認めるわけにはいかない。それは傲慢な思想ですよ。人間性というものを基本的に信用しない。人間の倫理的資質は致命的に腐敗しているとみなす価値観は、アウグスティヌス以来の西洋文明千六百年の伝統ですから。「人間の尊厳」なんて安易に認めてはいけないんです。
 教父学の伝統についてここで深入りしませんが、神学的に精査するならば「人間(男性)の尊厳」と言いだすのは慎重でなければならない。「人間の尊厳」ですら否定的なんだから、「女性の人権」なんて認めるわけないでしょ。
 人間は善意があっても善を実行できない。望む善を行わず、望まない悪を行っている(ロマ7:18~19)。このことでパウロも悩んだ。アウグスティヌスも悩んだ。ルターも悩んだ。良心的内省的な人はキリスト教徒に限らずロマ書7:18~と同様のことを悩んでいるはずです。なぜならば人間の自由意思という実体はなく、脳内の物理化学的過程にすぎないから。結局、神の恩寵の超越性にすがりつく以外救いようがないということです。人権なんていうのは神の似姿としてつくられた人間の尊厳という神学的フィクションにすぎない、そんなものを軽々しく認めるわけには断じていかない。
 にもかかわらず、以上の留保のうえであえて「尊厳の回復」を求めたいと思います。つまり、男性が、女性によって貶められることがあってはならないです。それは文明世界の規範に照らし容認しがたい叛逆だから。女性による不当な攻撃とそれに迎合する腐りきった世俗政府に対抗し「神の姿と栄光を映す男性」(第一コリント11:7)の尊厳を回復しなければならないと。

 合意主義婚姻理論は形式的には対等にみえるが

 誤解がないように言っておきますが、キリスト教には性差を否定していると解釈されうる思想もある、例えばガラテヤ書3章28節、この意義については別途検討したいが、フェミニズム的解釈は誤りである。
 また中世教会婚姻法、教皇アレクサンデル三世(位1159-81)が決定的に採用した緩和的合意主義婚姻理論にもとづく、我は汝を我が妻とする。我は汝を我が夫とするというような現在形の言葉による誓約は、それ自体男女は対等の形式のように思える。
 中世神学最大の教師ペトルス・ロンバルドゥス(歿1159)の婚姻成立の方式に付いては、民法学者の塙陽子(註2)が次のように説明しているので引用する。教皇アレクサンドル三世が採用した緩和的合意主義的婚姻理論とロンバルドゥスの理論にほとんど隔たりはないと思う。
「先ず、合意が『私は汝を娶ろう』の意味において、≪ego te accipiam in uxorem≫≪ego te accipiam in maritum≫なる言葉でなされたとき、sponsalia per verba de futuro(未来文言の約婚)として婚約が成立する。これに対し『私は汝を娶る』の意味において≪ego te accipio in uxorem≫≪ego te accipio in maritum≫なる言葉で交換された場合には、 suponsalia per verba de praesente(現在文言の約婚)であって、婚姻はただちに成立する。しかしこの婚姻は所謂matrimonium ratum(et non consummatum)(未完成婚)であって、信者間にのみ成立する婚姻であり、原則として非解消で在るが若干の例外を認めうる。 すなわち、夫婦の一方が婚姻に優る状態であるところの修道生活に入る場合、又は教皇の免除(despensatio)を得た場合には解消しうる。この未完成婚の状態にある夫婦にcopula carnalis(身体的交渉)を生じた場合、始めて『二人の者合して一体となり』(erunt duo carne una)、キリストと教会の結合を顕わし、秘蹟としてmatrmonium ratum et cosummatum(完成婚)が成立する。これは絶対に不解消である。また、婚約の場合において、当事者がverba de praesentiを交換した場合、これは婚姻に転換するが、単に未完成婚にすぎず、完成婚になるためには更にcopula carnalis(consummatio)を要する。唯、verba de futuroを表示した当事者間においてverba de praesentiを交換する前にcopula carnalisを生じたときは、直ちに完成婚を生じた。したがってconsummatioは婚姻の成立に不可欠のものではなく、単に婚姻を不解消とするものにすぎない」
 図式化すれば以下のようになる。ロンバルドゥスは合意主義婚姻理論とされ、合意主義にこだわった神学者といわれるが、合衾の意義もそれなりに重視されており、巧妙に折衷させた理論といえるだろう。
①現在文言での約言(婚姻成立)→合衾(完成婚)
②現在文言での約言(婚姻成立)→合衾の前に修道生活入り又は教皇の免除(例外的に婚姻解消)
③未来文言での約言(婚約)→現在文言での約言(婚姻に転換)→合衾(完成婚)
④未来文言での約言(婚約)→合衾(完成婚)
古典カノン法の「推定婚の法理」の神学的論拠が④にある。
 
 また初期スコラ学者は、結婚の目的として、生殖とならんで、淫欲(情欲)の治療薬としての意義を強調した。「もし自制することができなければ結婚するがよい。結婚するほうが情欲に燃えるよりも良いからである」(第一コリント7:9講談社訳)。真正パウロは結局それくらいのことしか、結婚の意義づけを語っていないのである。コリント前書は西暦53年秋に執筆された疑う余地のないパウロ自身による真正の手紙であるから決定的な意味で重視したい。もし‥‥ならば結婚したほうがよいという仮言命法的な結婚の是認である。
 ペトルス・ロンバルドゥスによれば結婚の秘跡は罪に対する治療薬であり、恩寵を仲介しないものとされましたが、秘跡神学では婚姻の秘跡は結婚相手(男は女から、女は男から)から与えられるのであって(註3)、これは教会挙式主義を採用したトレント公会議以後のカトリック教会も神学的理念としては同じで、それ自体一見して男女対等の理念のようにも思える。要するに同毒療法としての結婚の意義、単婚非解消主義の夫婦の性規範においては男女は対等のようにも思える。また教会婚姻法はローマ法のように婚姻を権力関係ともみなさなかったし、ゲルマン法のように経済行為ともみなさなかった。それは秘跡であるから世俗的な支配-被支配の概念を超越しているともいえる。

 秘跡神学の結婚理念(註4)についてはまだ研究中途なので、とくに合衾の意義について十分精査していないので、結論的なことを述べませんが、伝統的な秘跡神学は(花婿)キリストと(花嫁)教会の統一を象徴するしるしとされ、花嫁は母なる教会に擬され女性の立場は十分に尊重されている。もともとキリストの花嫁とは童貞女の奉献を讃えるものだったが、11世紀より12世紀の秘蹟神学の進展により、結婚の意義付けにもなされ、人妻もキリストの花嫁とされたのです。
 簡単に言ってしまえば、夫と妻が(花婿)キリストと(花嫁)教会の統一に類比されているのですが、教会はキリストの望むことを望むのであり、キリストが指導者であり審判者であります。だから夫と妻の関係もおのずと明らかなことでしょう。ペトルス・ロンバルドゥスはコリント前書の11章の意義も論じていることも付け加えておきます。

 
  夫は領主(lord)、バロン(balon)と尊称されて当然
    
  近世イギリス、アメリカ植民地時代において、夫は妻より領主(lord)もしくは
バロン(balon)と尊称されていた。私はこのならわしを支持する。復活させるべきです。。
 ブラックストーンは婚姻の一般的効果としての夫婦一体の原則について次のように説明する「婚姻によって、夫と妻は法律上一人格となる。すなわち、婦人(woman)の存在または法律上の存在そのものは、婚姻中、停止されるか少なくとも夫のそれに合体され、統合される。夫の翼、保護、そして庇護(cover)の下に、彼女はあらゆることを行う。したがって、われわれの法律用フランス語では、feme-coventと呼ばれ、covent-baronすなわち彼女のbaronないし領主(lord)である彼女の夫の保護と権力のもとあるといわれる」。『英法釈義』1巻15章「夫と妻について」(註5)
 コモンロー上の夫婦一体原則について、私は家長である夫の主権と夫婦の羈絆性を明確にしている点で優れた法原則だと思っているが、前世紀に制定法により実効性を失った。それは社会的経済的状況の変化による。しかし、ロードもしくはバロンと尊称されてよいと思います。これはゲルマン法のムント(後見権もしくは人的保護権と訳される)に由来する。婚姻を経済行為とみなすゲルマン法を普遍的価値とみなすことはできないし、教会婚姻法や秘跡神学は婚姻の本質をローマ法のように権力関係ともゲルマン法のように経済行為ともみなしてはいない。秘跡神学では婚姻を教会とキリストの一致に擬され、女性は母なる教会に擬され尊重されており、結婚を封建的擬制としてとらえるものではないから理念的に合致するものでは決してない。しかし、結論を先に述べると、夫婦倫理としては文明世界の規範に合致する。創世記3章16節「なんじは夫をしたい、彼はなんじを治めん」という神の宣告は決定的なのであり、夫婦一体原則、夫はロード、バロンと尊称されるべき根拠となっているのであるから、秘跡神学の理念とずれがあっても全く正しい婚姻理念なのである。
 私がなぜ、ロードやバロンという尊称にこだわるのか。それは「神の姿と栄光を映す男性」(コリント第一11:7)の尊厳を回復しなければならないと考えるからである。

 家長たる夫は領主さまでなければならないのです。フェミニストは濡れ落ち葉だ粗大ゴミ呼ばわりして夫を貶めていますが、最悪です。こんなことが罷り通っているのは異常な社会ですよ。技術革新により家事労働は著しく省力化しているのに、夫にやらせようなんていうのは容認できない。そのような底意をもって男子高校生にくだらない家庭科教育を強制履修させている。人格形成にとって決定的な青年期に無駄な時間とエネルギーをかけさせている。あまりにも厚かましいじゃないか。ゴミ出しを夫にさせる妻は最低だ。家長としての夫はゴミ出しなんてやる必要は全くありません。そんなのはズバリ言います。ゴミだしは女の仕事です。領主さまが手を汚す必要はない。今日ほど男性の尊厳が毀損されているひどい時代はないと思います。  
 
 妻は奴隷のように夫に服従すべきだ

 次に新約聖書の家庭訓ジャンルです。これはペテロの第一の手紙と第二パウロ書簡(エペソ、コロサイ、第一第二テモテ、テトス)にある家庭訓です。これも西洋文明世界の家族倫理となっている。
 ここではペテロの第一の手紙についてのみ、聖書学者の荒井献(註6)より引用して言及します。これはペテロが著者でないことは文献学的な常識であり、2章24節以下がパウロの思想に近いこと、3章18節の信仰義認論、さらにパウロの同行者シルワノや同労者マルコに言及していることから、パウロ系の教会で成立した文書とみなされている。家庭訓は3章1節以下です。「同じように、妻たる者よ、夫に仕えなさい。そうすれば、たとい御言に従わない夫であっても、あなたがたのうやうやしく、清い行いを見て、その妻の無言の行いによって、救に入れられるようになるだろう。あなたがたは髪を編み、金の飾りをつけ、服装を整えるような外面の飾りではなく、かくれた内なる人、柔和でしとやかな霊というという朽ちることのない飾りを身につけるべきである。これこそ神のみまえに、きわめて尊いものである。むかし、神を仰ぎ望んでいた聖なる女たちも、このように身を飾って、その夫に仕えたのである。たとえば、サラはアブラハムに仕えて、彼を主と呼んだ。あなたがたも、何事にもおびえ臆することなく善を行えば、サラの娘たちとなるのである」。
 聖書学者の荒井献氏は次のように説明する。「『仕える』と訳されているもともとのギリシャ語の言語はヒュポタッソーというギリシャ語でありまして、ヒュポというのは『何々の下に』を意味する前綴です。タッソーというのは『身を整える』。ですから『夫に仕えなさい』というのは夫の下に立ちなさい。夫に服従しなさいという意味です。(中略)もしもこの『同じように』が前の文脈の主人に対する奴隷の服従を受けるものとすれば、妻は主人に対する奴隷と同じように夫に服従せよということになります」。
 荒井氏がせっかく見事な訳出をされているのに、「もしも」と留保する意味がわからない。妻は主人に対する奴隷と同じように夫に服従せよという訳出でいいんじゃないですか。たんに夫に仕えるというよりは明確でわかりやすいです。それが西洋文明二千年の規範なのであります。東洋の三従の教えとはニュアンスが違いますが大きな隔たりはないともいえる。
 
 ここでは西洋文明2500年の伝統(旧約聖書)、2000年の伝統(新約聖書)、1600年の伝統(アウグスティヌス)、850年の伝統(古典カノン法-教会婚姻法)規範を逸脱しないことが原理原則であることを述べました。この文明規範の回復のためにわたくし川西正彦はフェミニズムとの文化戦争に突入することをここに宣言するものであります。
 そこでまず、時間的猶予のない皇室典範有識者会議の反駁に次回より着手したいと思います。

(註1)浅山郁「女子差別撤廃条約の報告制度と締約国からの報告 (女性そして男性) -- (外国における女性と法) 」『法学セミナー増刊 総合特集シリーズ 』日本評論社  (通号 30) [1985.07] 
(註2)塙陽子「カトリック教会婚姻不解消主義の生成と発展」『家族法の諸問題(上)』1993 信山社
(註3)ウタ・ランケ・ハイネマン著 高木昌史他訳『カトリック教会と性の歴史』三交社1996 20頁以下
(註4)枝村茂「婚姻の秘跡性をめぐる神学史的背景」  『アカデミア』 人文自然科学編,保健体育編   (通号 25) [1975.03] (南山大学創立25周年記念号)
(註5)上野雅和「イギリス婚姻思想史-市民的夫婦一体観の成立をめぐって」46頁 なぜか出所が不明になった。申し訳ない。
(註6)荒井献「新約聖書における女性の位置」『聖書セミナー』第1号1985日本聖書協会発行 162頁以下 『新約聖書の女性観』岩波セミナーブックス 1988も同内容。さらに『荒井献著 第8巻』岩波書店2001にも収録されているはず。

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