敵は本能寺!法案を叩き潰すために文化戦争に突入する
時間的猶予もないので、思いついたことから順不同になりますが軽い記事を書いていこうと思います。今回は報告書の中味については論じない。前置きになります。そのうえで正月休みまでに有識者会議反駁をまとめたいと思う。
川西正彦(平成17年12月18日)
11月25日のNHKニュース(正午)「皇室典範の見直しを話し合う政府の有識者会議は24日、女性とその子どもの女系にも皇位の継承を広げ、継承の順位は男女の区別なく、直系の第1子を優先させるとする最終報告をまとめ、小泉総理大臣に提出しました。これについて、小泉総理大臣は25日の閣議のあとの閣僚懇談会で、「妥当で意義深い内容だと思う。この最終報告に基づいて、来年の通常国会に皇室典範の改正案を提出したい」と述べました。そのうえで、小泉総理大臣は「いろいろな意見があるかもしれないが、国会で議論してもらい、国民の理解を得ることができるように審議の中で答えていきたい」と述べました。これについて、安倍官房長官は閣議後の記者会見で、「この報告を受け、政府部内でよく検討して法案化していきたい。法案の提出時期などのスケジュールはこれから検討する。与党側にも議論してもらうことになると思う」と述べました。」(当日のNHKニュースサイトから転載)。
小泉首相は致命的に誤った政治判断を下しました。事実上易姓禅譲革命、異姓の帝位簒奪を是認し、日本国を終焉させることを合法化する、醜悪きわまりない、国を滅ぼすための政策について、「妥当で意義深い内容」とし、通常国会で成立をもくろむ意思を明確に示しました。
また12月1日、内閣官房に「皇室典範改正準備室」が設置され、来年の通常国会に提出する皇室典範改正案の3月までに国会に提出するため法案作成作業に入っている。準備室は、内閣官房や宮内庁審議官ら15人で構成。室長には柴田雅人内閣総務官、副室長には内閣審議官2人が就任したと報道されている。
敵は本能寺!。独裁者小泉による国体変更の恐ろしい野望を阻止すべく、文化戦争に突入します。皇族と姻戚の麻生外相や保守層に人気のある安倍官房長官も、独裁者のいいなりなら国体変更をたくらむ一味とみなすほかあるまい。
このブログは寛仁親王殿下の「令旨」を奉じて、独裁者小泉とその一味(政府官僚-有識者ら女系推進主義者を含む)と対決する。しかし、それとともに女帝容認論の底意にある男女同権論・フェミニズムとも対決します(有識者会議の結論は要するに皇室典範の性差別撤廃である)。これは国制の根幹・文明理念・社会秩序観の争いだから憎しみあい、罵りあいのすさまじいものとなる。仕方ないですね。独裁者が皇朝・日本国を潰す、大義を棄て去る致命的に誤った決断をしたのだから。
大義を重んじない女々しい腐った根性の小泉は史上最低の男です。フェミニズム迎合、大衆迎合政治で最低の政治家としか思えない。むろん内心は窺い知れないがこれだけ女系継承容認の皇室典範の改定を急ぐということは、例えば息子を眞子内親王あたりと結婚させ、まず女系秋篠宮家を乗っ取る。愛子内親王は政治力で婚期を遅らせるなどして、小泉の孫が帝位継承者とするように仕組んで、いずれは、小泉家が帝位簒奪、新王朝新国家をひらくという恐るべき野望でもあるのだろうか。いずれにせよそのような底意があろうとなかろうと、国を滅ぼす(易姓革命合法化)政治判断をとった首相は史上最悪です。
厚生省官僚-こちらこそ本物の悪のトライアングル
一連の報道からみて小泉は本気とみなす。ブログでは書きませんでしたが、私は11月19日(土)に国士舘大学日本政教研究所の秋期シンポジウム「皇位継承をめぐって」を聞きに行きました(バネリストは嵐義人・高橋紘・所功・百地章で、コーディネーターが藤森馨)。主たる目的は女系継承を理論的に支えている所功の女系容認論を直にきいておくことでしたが、高橋紘がこういうことを言ってました。
有識者会議の古川貞二郎前内閣官房副長官と羽毛田信吾宮内庁長官は共に厚生省出身で先輩-後輩の間柄ですが、内閣官房にも厚生省の後輩が実務を行っている。このため有識者会議-内閣官房-宮内庁の連繋はうまくいっているという趣旨のことを言ってました。要するに要所を厚生省官僚で固めており政府は本気である。羽毛田は古川に近い厚生官僚であるから、女性天皇を実現するために宮内庁次長より長官に起用されたと推測できる。高橋紘もその仲間なのだろう。羽毛田が神社本庁の批判や寛仁親王殿下のエッセーに不快感をみせるの古川の子分だからと推測できる。
そこで経歴(要点のみ)を調べてみました。橙色は小泉の厚相在任時の厚生省での役職。
小泉純一郎首相 昭和17年生(横須賀)慶大経済学部卒
竹下内閣-厚生大臣 昭和63年12月~平成元年8月(平成元年6月再任)
橋本内閣-厚生大臣 平成8年11月~10年7月
古川貞二郎前内閣官房副長官 昭和9年生(佐賀県)九大法学部卒
昭和9年生(佐賀県)九大法学部卒
(皇室典範に関する有識者会議メンバー)
昭和57年8月厚生省医務局総務課長
昭和59年7月厚生省大臣官房総務課長
昭和60年8月厚生省大臣官房審議官
昭和61年6月内閣官房主席内閣参事官・総理府大臣官房総務課長
平成元年6月厚生省児童家庭局長
平成2年6月厚生省大臣官房長
平成4年7月厚生省保険局長
平成5年6月厚生事務次官
平成6年9月厚生省顧問
平成7年2月内閣官房副長官
羽毛田信吾宮内庁長官 昭和17年生(山口県)京大法学部卒
昭和58年8月厚生省医務局管理課長
昭和59年7月厚生省保険医療局管理課長
昭和60年8月厚生省老人保健部計画課長
昭和61年6月厚生省保険医療局企画課長
昭和62年9月厚生省保険局企画課長
昭和63年6月厚生省大臣官房総務課長・官報報告主任
平成2年6月厚生省大臣官房審議官・内閣審議官(内閣官房内閣内政審議質併任)
平成4年1月内閣官房内閣参事官室主席内閣参事官・総理府大臣官房総務課長(併任)
平成7年7月厚生省老人保健福祉局長
平成10年7月厚生省保険局長
平成11年8月厚生事務次官
平成13年4月宮内庁次長
平成17年4月宮内庁長官
柴田雅人内閣官房内閣総務官・皇室典範改正準備室長
昭和23年生(東京都)一橋大法学部卒
昭和58年厚生省児童家庭局障害福祉課
昭和58年三重県福祉部児童老人課長
昭和61年厚生省保険局企画課長補佐
昭和63年厚生省大臣官房政策課長補佐
平成元年6月人事課秘書官事務取扱
平成2年1月政策課企画官
平成2年2月内閣官房内閣参事官
平成5年6月厚生省児童家庭局母子福祉課長
平成6年7月保育課長
平成7年6月社会・援護局施設人材課長
平成8年7月厚生省保険局国民健康保険課長
平成10年7月厚生省保険局企画課長
平成13年1月内閣官房内閣審議官
平成15年7月内閣官房内閣総務官
(引用-『全国官公界名鑑』同盟通信社2005)
以上の経歴からみて、厚生省出身官僚三者がたんに先輩-後輩の関係で結びついているだけでなく、小泉ともたんに面識があるというより旧知の間柄だろう。従って、古川人脈を要所に配置して皇室典範改悪を進めているわけですが、小泉主導で旧知の厚生官僚を使って野望実現に狂奔しているという見方もできるのだ。有識者会議報告書が男系継承では皇位継承者が確保できないという勝手な理由として合計特殊出生率や一般社会の晩婚化を強調する奇妙な見解を述べている(この論点には明確に反駁する予定)のも厚生省官僚の着想を看取することができるだろう。
もっとも八幡和郎『お世継ぎ』平凡社2005の259頁は、次のような少し別の見方を示している。「『皇室典範に関する有識者会議」の実質的とりまとめ役〔古川-筆者註〕は、妃殿下の父親とほぼ同じ時期の事務次官会議のメンバーで、妃殿下の母堂と同じ県出身者である〔佐賀-筆者註〕‥‥霞ヶ関高官たちの麗しい友情を出発点とした傲りにみえてしまう」。これは古川-小和田主導説なのだろうかいまいちはっきりしないが、いずれにせよ、有識者会議の結論を妥当とした独裁者の政治判断が致命的である。
最悪のシナリオ
最悪のシナリオとしては、次のようなことが考えられる。有識者会議は女子差別撤廃条約との関連を皇室典範改正の理由としてあげていないが、条約とのからみで、男系継承から男女いかんにかかわらず第一子継承として憲法を改正したベルギーのような例を明らかに意識している。第一子優先にこだわったのも、国連の女子差別撤廃委員会(CEDAW)報告の実績づくりにするためだと思う。女子差別撤廃条約が人権条約の実施措置としてはもっとも緩い報告制度をとっていること。条文の解釈は締約国に委ねられており、条約が特定の女性政策を強要するものではないから、条約のために皇室典範を改正する必要はないということを前回のブログで示唆しておきましたが、小泉は担当大臣に猪口氏を起用するなど男女共同参画には熱心であるから、いずれ政府答弁で女子差別撤廃条約も皇室典範を改正の理由にされるのだと思う。
それは最悪の事です。たいした権威もなく強制力もない女子差別撤廃委員会(CEDAW)の報告の実績づくりのために、国体を変更して易姓革命を是認し国を滅ぼす。腐った役人根性丸出しで、つまらない委員会のためにノルマとされているわけでもないのに大義を捨て去る。もし皇位国体護持よりフェミニストを喜ばす実績づくりが重要だという判断を小泉が持っているとしたら腐った最低の男ですね。
ところがそれをやりかねないのが小泉だ。『週刊現代』2005年12月17日号(47巻48号)46頁以下、旧皇族子孫竹田恒泰vs.田原総一朗核心対談「愛子女帝を認めるのか」にこういうやりとりがあります。田原というのはかなり悪質な女系容認論者です。
竹田 女系の天皇に対し、もはや尊敬できないという人が出てくるのが心配です。
田原 それが女性蔑視なんですよ。女性天皇を尊敬できなくなるというのは、女性蔑視です。(中略)
竹田 田原さんは、小泉首相と何度も会ってお話しされていますが、皇室観についてどうお考えですか。
田原 僕と大して違わないと思う。民主主義のルールでは、女系天皇容認で第1子優先だと‥‥
旧皇族の子息の面前で女性蔑視と一喝して偉そうにしている田原総一朗の発想と小泉はたいして違いないということは、小泉は万世一系男系論者は女性蔑視でけしからんから叩き斬るということなのか。
田原みたいな攻撃的姿勢で野望実現に狂奔するかもしれない。例えば男系論者を時流に反する守旧派、大衆世論の敵、雅子妃を悩ます敵、愛子さまの敵、女性蔑視だとラベリングする手法で絶叫(私自身はラベリングされてもいっこうにかまわない。明確に自分は性差別主義と発言しているし、敬宮は本来、紀宮と同じような存在であるべきて、それ以上に特別視する必要もないことはこれまでのブログでも示唆ないし発言しております)、あるいは有識者会議報告書をくり返し引用する形式的な答弁でさっさと成立させるかもしれない。そのために報告書は旧皇族が属籍を復すことを明確に棄却する内容になっているのだと思う。旧皇族復帰は有識者会議でさんざん議論して明確に否定しているから駄目なものは駄目で押し切ってくると思います。であるから現状はきわめて深刻だ。
性差別撤廃で婦人道徳完全崩壊の懸念
私は、たんに国体変更、易姓革命是認・異姓者の帝位簒奪に反対、保守主義の立場で女性天皇に反対なのではない。それはよその人も主張していることで、このブログでは特色を出すため、国を滅ぼしてもよいから性差別撤廃政策が優先するというのは無茶苦茶な政策で、フェミニズムの害毒の蔓延により、社会秩序・規範の崩壊とりわけ家族倫理の崩壊をおそれるゆえ反対ということも強調したい。夫が家長で妻が主婦という決定的な価値観を否定する。後家が子どもが成人するまで家長代行として家業を指揮するのはよくありうることだからそれはいいですよ。王権でいえば太后臨朝称制です。正統的な政治形態です。
しかし女性当主で夫が添え物、たんに子づくりのための入夫というのは耐え難い男性を侮辱するものであります。そんないびつな婚姻家族を容認するわけにいかないです。この脈絡において私は女性天皇を尊敬できません。
神聖不可侵の万世一系の皇位ですら性差別撤廃政策で崩壊させたとなると、フェミニストの歴史的大勝利となるので我慢ならないものがある。そうなると男性がますます卑屈な立場に追い込まれる。文明の崩壊です。
私は歴史的な婦人道徳の意義を重んじます。それゆえに性差別撤廃に強い嫌悪観を持っている。
節婦表旌
律令国家の家族倫理に関する公定イデオロギーは孝子・順孫・義夫・節婦という儒教倫理です。総じて孝義という。節婦とは「願守其(夫)墳墓以終天年」「其守節而有義」「謂、夫亡後葬舅姑負土、営墓、慕思不止也」とされる。「賦役令」孝子条で課役免除や優賞の規定があるが、とりわけ節婦表旌は六国史(とくに九世紀)に多くの記事があり、婦人道徳の確立が律令国家の重要政策であったことがわかる。
例えば三代実録、清和天皇、貞観七年三月廿八日巳酉条 近江国に言えらく、伊香郡の人石作部廣継女、生まれて年十五にして、初めて出でて嫁ぎ、卅七にして、夫を失ふ。常に墳墓を守り、哭きて声を断たず、専ら同穴を期ひて再び嫁ぐに心無し。其の意操を量るに節婦と謂ふべし』と。勅あり『宜しく二階を叙して戸内の租を免じ。即ち門閭に表すべし』
節婦表旌は明治天皇の地方巡幸でもなされており、我が国の歴史に一貫する価値である。律令国家の公定イデオロギーがそういうものですから、律令国家においては女帝が出現することによってフェミニストが増長するとか社会規範の崩壊のおそれはないです。今回進められている皇室典範の改悪、女性天皇容認は歴史上の女帝とは全く意味が違う。国を滅ぼすうえに文明規範を崩壊させる最悪のものであります。
我が国の婦人道徳の形成において特徴的なのは節婦にみられる儒教的倫理と仏教が混淆して、貴人の女性の出家がみられる(この慣例は九世紀に成立したとみてよい)。ここでは婦徳が讃えられている二人のキサキ、仁明女御藤原朝臣貞子と清和女御藤原朝臣多美子のエピソードを引用したいと思います。
女御藤原貞子出家の女性史上の意義
藤原貞子(仁明女御、父右大臣藤原朝臣三守、母不詳、成康親王・親子内親王・平子内親王の生母、天長十年十一月従四位下、承和六年正月、従三位、嘉祥三年七月、正三位、貞観六年八月薨。贈従一位、仁明天皇の深草山陵兆域内に葬られる)薨伝に「風容甚だ美しく、婉順なりき。仁明天皇、儲弐と為りたまふや、選を以て震宮に入り、寵愛日に隆し」と見え、仁明の東宮時代に結婚、年齢は不明。文徳実録仁寿元年二月丁卯条に「正三位藤原朝臣貞子、出家して尼となる。貞子は先皇の女御なり、風姿魁麗にして、言必ず典礼なり。宮掖の内、その徳行を仰ぎ、先皇これを重んず。寵数は殊に絶える。内に愛あるといえども、必ず外に敬を加う。先皇崩じて後,哀慕追恋し、飲食肯わず。形容毀削し、臥頭の下、毎旦、涕泣の処あり。左右これを見、悲感に堪えず、ついに先皇のために、誓いて大乗道に入る。戒行薫修し、遺類あることなし。道俗これを称す」とあり(註1)、天皇のキサキで崩後出家し尼となった先例として桓武女御橘朝臣常子の例があるが、貞子は序列筆頭の女御なので(仁明天皇は皇后を立てていないので貞子が序列最上位のキサキ。文徳生母つまり東宮生母の藤原順子より位階上位)貞子の出家は女性史的にみて決定的な意義がある。父藤原三守は崇文の治の大立者であり、仁明生母の太皇太后橘嘉智子の姉橘安万子を妻としていることもあり、仁明天皇とはミウチ同然であるが、三守がもう少し長命で(承和七年薨-不審説もある)、承和の変さえなければ恒貞親王の次の候補として成康親王の可能性もあったと私は考える。また歴史家のなかには仁明天皇の崩御について不審説(註2)もあり、藤原貞子の悲しみようから深い意味があったのかもしれない。それゆえに同情するものである。
女御藤原多美子出家の意義と婦人道徳
藤原多美子(清和女御、父右大臣藤原朝臣良相)薨伝は概ね次のとおり「性安祥にして、容色妍華、婦徳を以て称さらる。貞観五年十月従四位下、貞観六年正月清和天皇元服の夕選を以て後宮に入り、専房の寵有り、少頃して女御、同年八月従三位、同九年三月正三位、元慶元年十一月従二位、同七年正月正二位、仁和二年十月薨。徳行甚だ高くして中表の依懐する所と為る。天皇重んじ給ひ、増寵他姫に異なり。天皇入道の日(清和上皇の出家-元慶三年五月)、出家して尼と為り、持斎勤修す。晏駕の後、平生賜りし御筆の手書を収拾して紙を作り、以て法華経を書写し、大斎会を設けて恭敬供養しき。太上天皇の不眥の恩徳に酬い奉りしなり。即日大乗会を受く。聞きて聴者感嘆せざる莫し。熱発して奄ち薨じき」
多美子は清和天皇の元服加冠の儀の当日に後宮に入って、そのまま入内、女御となった。帝最愛の寵姫であったが皇子女をもうけることができなかった。しかしそれは結果論だと思う。多美子は貞観八年の応天門の変の政治的敗者といえるだろう。応天門の変の背景に太政大臣藤原朝臣下良房の養女格であった高子の入内問題があったというのが角田文衛説である。『伊勢物語』の二条后と在原朝臣業平の恋愛事件について、多くの学者は消極的な姿勢で史実性を認めているが、角田文衛(註3)は物語文学を精査したうえ、高子は文徳生母皇太后藤原順子の東五条第に預けられていたが、貞観元年十二月~二年正月皇太后宮東五条第西の対に業平が忍び通いをしたと断定している。この時期藤原順子は弟の藤原良相邸を仮御所とされていたため、警備が手薄になっていたらしい。
この事件は隠蔽されたがいかにひた隠しにしても業平は人気者だから、極限された貴族社会では忽ち電波のように噂が広まったに違いないとする。当時の太政官符の類を見れば明白なように、左大臣源朝臣信は名のみで、実際の政治は主として右大臣良相が施行していた。政権の主軸である良相が難色を示せば、いかに太政大臣良房と雖も持駒の高子入内を強行できなかった。あるいは清和祖母藤原順子が帝より八年も年長で派手な性格の高子を嫌って、行儀正しい多美子を推薦したとみられている。
さて、貞観八年応天門の変直前の状況について武野ゆかり(註4)は太皇太后藤原順子-右大臣左近衛大将藤原朝臣良相-大納言民部卿太皇太后大夫伴宿禰善男の三者がむすびついていたとしているが、良相と伴善男は仁明の寵臣で同時期に参議に列し、民政重視で相通じる仲だった。しかも良相の嫡子常行は有能で、応天門焼失の直前に基経より上席で参議に列していた。むろん大納言平朝臣高棟や権大納言藤原朝臣氏宗は良房派で、両派閥は拮抗していたとみてもよいが、なんといっても良相女多美子は帝の寵姫で皇子誕生となれば、北家藤原氏嫡流は良房-基経ではなく良相-常行に移行する可能性があった。しかし角田文衛によると藤原良房は貞観八年閏三月の応天門炎上〈真相は不確定〉を奇貨として巧妙な陰謀を企て一気に巻き返しを図ったというのである。伴善男を斃すとみせかけて、弟良相の失勢(右大臣左近衛大将辞任)を図り、その嫡子で多美子の兄常行を挫折させ、無能だが嵯峨源氏長者たる左大臣源信を庇うとみせかけて賜姓源氏の信頼感を繋ぎ留め、良房は人臣初の摂政となった。
清和天皇は九歳で即位して十六歳まで生母藤原明子(良房女)と東宮雅院で同居状態だったが貞観七年に内裏に遷御され、明子は東宮に止まり母と離れているのだが、応天門の変の後、皇太后藤原明子が後宮正殿常寧殿に移御されている。常寧殿は本来皇后の居所であって、天皇生母が後宮に入る必然性はないのである。これは良房が内裏をミウチで固めて帝を取り込み(当時後宮を差配していたのが尚侍源全姫で、良房の義妹、皇太后のおば)序列筆頭の女御の多美子を牽制する意図があったとみてよい。尚侍源全姫が藤原高子をはじめとしてやたらと多くの女御更衣を後宮に送り込んだのも多美子に里第へ退下を余儀なくするようしむけたものだろう。それゆえ藤原多美子に同情するものである。
貞観18年清和天皇は二十七歳で上皇権を放棄するかたちで退位された。退位は藤原基経の策略とみなす説(註5)があるわけです。上皇の封戸は財政難のためか半減とされたのでり、出家せざるをえないようにしむけられたのかもしれないが、いずれにせよ清和上皇の出家に従って、女御藤原多美子は出家して尼となった。夫唱婦随これほど美しい婦人道徳はないと思います。出家されてほどなく元慶四年上皇は崩御になられたが、その後、多美子は平生天皇から賜った手紙を集めて漉き返し、その紙に法華経を写経して供養している。この時代には脱墨技術はないので、漉き返しを行う紙の色は薄い黒色となった。太上天皇の不眥の恩徳に酬い奉り、それを聞いた人々は感嘆したが、多美子は熱発して亡くなってしまったというのである。ここに貴人の女性の婦人道徳とはこうあるべきだということが示されている。しかし、皇室典範が性差別撤廃してしまうんじゃ、こういう婦人道徳を讃えたり、宮廷文化のおくゆかしいところもみな否定されてしまうのではないかと危惧します。
七出・三不去の制
関連して「戸令」二十八の七出・三不去の制も律令国家の公定イデオロギーであるから言及しておくと凡そ妻棄てむことは七出の状有るべしとされるのである。子無き。間夫したる妻。舅姑に事へず。心強き妻。ものねたみする妻。盗みする妻。悪疾。であるけれども子無きはさしたる咎にあらずともされている。
このなかで最も重視したいのが「舅姑に事へず」この趣旨からいって現代のフェミニストの主張は公定イデオロギーに逆らっており容認しがたい叛逆である。つまり夫にも服従しない対等を要求。のみならず舅姑に仕えるのはまっぴらごめん。舅姑と同じ墓にはいりたくない。それでいて夫婦別姓導入で法定相続で夫家の家産は分捕りたい。欲の深い女どもだ。こういう我が儘で欲の深い主張がまかりとおっていることが間違いだと思います。
神聖不可侵の万世一系の皇位、神聖不可侵の日本朝を性差別撤廃政策で終焉させたいと考えている、小泉とその一味、フェミニストとは妥協の余地などないのである。皇室典範の性差別撤廃は、たんに皇室の問題にとどまらず一般社会の影響も大きい。欲の深いフェミニストは増長する。その悪影響は甚大であり、強く反対する。
(註1)大江篤「淳和太后正子内親王と淳和院」大隅和雄・西口順子編『シリーズ女性と仏教1尼と尼寺』平凡社1989
(註2)谷下喬一「仁明天皇崩御事情に関する一考察(上)(下)-続日本後紀編纂に於けるおける藤原良房の政治的意図をめぐって-」『政治経済史学』58・59号
(註3)角田文衛「藤原高子の生涯」「良房と伴善男」『王朝の映像』東京堂出版 1970
(註4)武野ゆかり「中宮職補任-藤原順子・明子・高子の場合」『神道史研究』29-3 1981
(註5)太田英比古「清和太上天皇の出家事情と水尾山寺隠棲(Ⅰ)(Ⅱ)(Ⅲ)」『政治経済史学』107、108、109
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