公務員に労働基本権付与絶対反対-政府は巨悪と手を結ぶな

無料ブログはココログ

ニュース(豪州・韓国等)

« 称徳女帝の「皇后」表記問題について | トップページ | 政労協議に反対-公務員に団体交渉権を与えるな(1) »

2006/03/19

河田景与(佐久馬)・伊丹重賢・佐々木高行と伊地知正治-女系は我が伝統に反すると明確に否認した人物

(旧)皇室典範〔明治22年2月11日〕
第一条 大日本國皇位ハ祖宗ノ皇統二シテ男系ノ男子之ヲ繼承ス

(新)皇室典範〔昭和22年1月16日・同年5月3日施行〕
第一条 皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する。

  皇室典範が女帝否認となったのは、明治憲法・明治皇室典範の実質的起草者である井上毅が、伊藤博文宮内大臣に「謹具意見」(註1)という文書で唱えた「女帝廃止論」が決定的な役割を果たしたと、小林宏「井上毅の女帝廃止論-皇室典範第一条の成立に関して-」(梧陰文庫研究会編『明治国家形成と井上毅』木鐸社1992)により指摘されている。
    但し、「謹具意見」が抄出している女帝否定論者で民権派の島田三郎(註2)、沼間守一の意見以外にも、女系による継承は易姓を伴ない、わが伝統を破るとした見解が存在し、小林宏上記論文の註(5)において引用されており、井上毅は当然以下の意見・見解も参考にしていると考えられている。
   これは、やむをえざる場合の女統(女系)による継承を認める規定のある明治13年の元老院国憲草按に対する批判として元老院議官河田景与の意見がひとつ。
  またもうひとつは元老院国憲草按とは別個に、右大臣岩倉具視の意向で帝室制規の調査が行われたが、この脈絡において「諸規取調所」で調査にあたった宮内省一等出仕伊地知正治の見解である。
 
「国憲草按各議官意見書」(明治十三年)

末條ニ所謂女統ナル者、皇女他人ニ配シテ擧グル所ノ子若クハ孫ナルトキハ、則現然異姓ナリ。〔譬ヘバ仁孝天皇ノ皇女故将軍家茂ニ降嫁スルガ如キ若シ其所在アレバ即徳川氏ニシテ王氏ニアラズ王族ニアラザルナリ〕果シテ然ラバ大ニ第一章第一條ニ牴觸ス。如何トナレバ異姓ノ子ニシテ帝位繼承スルコトヲ得バ之ヲ萬世一系ノ皇統ト云可ラズ。故ニ其入嗣ノ文、男統全ク盡キ千萬止ムヲ得ザルノ際ニ備フル者ト雖ドモ、恐ル後來言フ可ラザルノ弊害ヲ生ゼン。因テ朱書ノ如ク修正アランコトヲ希望      議官河田景与意見

若シ以下ヲ刪除スベシ 議官伊丹重賢意見

若シ以下ヲ二十一字ヲ刪除スベシ   議官佐々木高行意見(註3)

 痛烈な批判であるが、小林宏は河田景与単独の意見と解釈しているようだが、藤田大誠(註4)の解釈のように河田景与意見は伊丹重賢・佐々木高行連名の意見とみてよさそうである。いずれにせよ、伊丹、佐々木も女系は否認している。下記に引用する第三次国憲草按は明治13年12月28日上奏されたものの、岩倉具視、伊藤博文の反対で不採択とされた。

 第一章皇帝
第一條 萬世一系ノ寶祚ヲ践タル皇帝ハ神聖ニシテ犯ス可カラズ。
 第二章
第一條 今上皇帝ノ子孫ヲ帝位繼承ノ正統トス。
第二條 帝位ヲ繼承スル者ハ嫡長ヲ以テ正トス。如シ太子在ラザルトキハ太子男統ノ裔嗣グ。太子男統ノ裔在ラザルトキハ太子ノ弟若クハ其男統ノ裔嗣グ。太子男統ノ裔渾テ在ラザルトキハ庶出ノ子及ビ其男統ノ裔親疎ノ序ニ由リ入リテ嗣グ。
第三條 上ノ定ムル所ニ依リ而シテ猶未ダ帝位ヲ繼承スル者ヲ得ザルトキハ、皇族親疎ノ序ニ由リ、入ラ大位ヲ嗣グ、若シ止ムヲ得ザルトキハ女統入テ嗣グコトヲ得。
上ノ定ムル所ニ依リ而シテ猶未ダ帝位ヲ繼承スル者ヲ得ザルトキハ、皇族親疎ノ序ニ由リ
入テ大位ヲ嗣グ。(註5)

 河田景与意見を重視したいのは、女系容認は「萬世一系ノ寶祚ヲ践タル皇帝ハ神聖ニシテ犯ス可カラズ」とする第一章第一条に抵触するというもので、自明の事柄ではあるが万世一系とは男系継承とする見解であるわけです。

次に参議・左院議長を歴任した伊地知正治の「諸規取調覚書」である。

「伊地知一等出仕口演筆記」(明治十五年十二月一日)

女帝 男院女院
皇國帝系ハ男統一系ナル故ニ、萬世無窮 皇統連綿セリ、若シ女統ヲ立ツ、皇統直チニ他系ニ移ル、此二是ヲ皇統ヲ滅絶スルト云フ。(註6)

短い文章だが皇国帝系ハ男統一系と明確に述べ、女統なら皇統ヲ滅絶スルとしている。

なお上記、意見・覚書は皇位の正統な継承の堅持を求める会のサイトにも掲載されている。
http://hw001.gate01.com/abc123xyz/jinjya.html
参考資料「皇位継承について考える」
出典 : 『神社新報』
第二七九六号・平成十七年七月十一日付~第二八〇七号・平成十七年十月十日付
全11回連載 神社新報編輯部 著
男統・女統の観念をめぐる関係資料【抜粋】

 今回の記事の趣旨はこういうことです。参議・左院議長伊地知正治は薩英戦争や戊辰戦争で大きな功績のある軍略家で、鳥羽・伏見の戦、白河攻防戦、母成峠の戦といった重要な戦を指揮して全て勝っている。明治天皇の侍講の一人でもあった。元老院議官河田景与は尊王攘夷の志士で剣術の達人、戊辰戦争などで活躍してますが、宇都宮城攻防戦では河田自身が突撃する白兵戦になり旧幕府軍を撃破したという。相当に気魄のある人物だと思います。命懸けで戦ってこれだけの修羅場を経験することは過保護に育った現代人では無理かもしれない。しかも彼等は皇位継承のような国制の根幹にかかわる問題でも正しい意見を出しているのだから立派なものだ。
 これだけの輝かしい軍歴のある維新の功労者が「女系はダメ」だと言っているんだから間違いないですよ。彼等に比べたら、男系潰しをやっている今の古川貞二郎とか柴田雅人とか厚生省官僚なんかつまらない小人物というほかない。国会議員に問いたい。どちらを信用しますか。

 川西正彦 (平成18年3月19日)

(註1)小林宏・島善高『日本立法資料全集16・17明治皇室典範(明治22年)』上、347頁以下
(註2)自由民権結社嚶鳴社・島田三郎の「皇婿」論(『嚶鳴社討論筆記』抄)
http://hw001.gate01.com/abc123xyz/jinjya.html
(註3)伊藤博文編 『秘書類纂 第13巻』 憲法資料 下巻   明治百年史叢書 原書房 1970  秘書類纂刊行会昭和10年刊の複製  404頁
(註4)藤田 大誠「近代皇位継承法の形成過程と国学者--明治皇室典範第一章成立の前提」『神社本庁教学研究所紀要』 10号2004.3 
(註5)註3前掲書 397頁 402~403頁
(註6)註3前掲書 499頁

元老院議官河田景与(河田佐久馬)の経歴
明 治 維 新 人 物 名 鑑
http://www006.upp.so-net.ne.jp/e_meijiishin/jinbutsu/kawadasakuma/kawadasakuma.htm
鳥取県立博物館デジタルミュージアムhttp://www.z-tic.or.jp/p/museum/digital/tayori/20040624/
鳥取(因幡)藩士尊王攘夷過激派。河田家は京都伏見鳥取藩邸の御留守居を代々世襲した家系で、彼の名を一躍有名にしたのは、文久三年(1863)八月本圀寺事件(尊皇攘夷派のテロ)、河田ら鳥取藩士22名が、藩の佐幕派重臣4人を暗殺、一躍鳥取藩を尊皇藩とする。文久4(1864)年の禁門の変の際は、藩の京都留守居役として、御所の裏手にある鳥取藩京屋敷から長州勢を御所に招き入れる旨、桂小五郎と密約を交わすものの、長州軍が御所に大砲を撃ったため「長州は賊軍である」と激怒、約束を反故にして長州敗北の一因になったといわれる。
慶応四年、鳥羽伏見の戦いに加わる。東山道総督府内参謀、大総督府参謀(新政府軍は薩摩の伊地知正治と土佐の板垣退助の両参謀が率いる東山道先鋒総督府が信州に進軍したが、近藤勇率いる甲陽鎮撫隊が甲府城を目指し行軍してくるという報告があり、板垣が本隊とは分離して、土佐や鳥取を主力にした別働隊を率いて甲府城奪取、さらに東山道総督府内参謀の河田左久馬と軍監の谷干城(土佐)の部隊は甲州街道を進軍し、勝沼・柏尾で甲陽鎮撫隊を撃破した。宇都宮城攻防戦などでも活躍)。
 明治二年戊辰の役の功により賞典450石を賜る。兵部大丞・京都府大参事兼留守判官・弾正大忠、明治三年民部大丞の河田景与は福岡藩大参事(家老格)に任命された。福岡藩は財政難から太政官札を偽造する贋札事件があり廃藩置県に先んじて、福岡藩をつぶすことになった。有栖川宮熾仁親王という超大物を知事にすえたのも、他に威圧できる者がいなかったため。河田景与は岩倉具視から「福島正則を改易したとき以来の大事件だ。受けてくれるか」と念を押されたのだという。明治四年鳥取県権令。明治十一年元老院議官。明治二十年特旨により子爵。明治三十年勲一等。

参考にしたウェブサイト

鳥取県広報課メルマガ 第303号(2003.09.02)
http://www.pref.tottori.jp/kouhou/mlmg/bnumber.cgi?p=303
山陰をゆく『狂気乱舞』
http://www2s.biglobe.ne.jp/~fdj/ryoko/sanin.html
続・はかた学 第6回イシタキ・ファイル 
http://monokatari.jp/isitaki/file002.php?itemid=2899
甲州柏尾戦争
http://haruna.on.arena.ne.jp/military/travelogue/kasio/main.htm
宇都宮城争奪戦
http://haruna.on.arena.ne.jp/military/travelogue/utunomiya/index.html

元老院議官伊丹重賢の経歴
(社)部落解放・人権研究所 書評 明治維新と京都―公家社会の解体―
http://blhrri.org/info/book_review/book_r_0117.htm

元老院議官佐々木高行の経歴

明 治 維 新 人 物 名 鑑
http://www006.upp.so-net.ne.jp/e_meijiishin/jinbutsu/sasakitakayuki/sasakitakayuki.htm

参議・左院議長伊地知正治の経歴 

明 治 維 新 人 物 名 鑑

http://www006.upp.so-net.ne.jp/e_meijiishin/jinbutsu/itijimasaharu/itijimasaharu.htm

戊辰戦争白河攻防の全容
http://www3.ocn.ne.jp/~zeon/bakumatu/sirakawa.htm

慶応四年 鳥羽伏見の戦で薩摩軍参謀、東山道先鋒総督府参謀を命ぜられ、宇都宮・白河口に転戦し、板垣退助と協力して会津若松城を落城させる。
明治三年 薩摩藩権大参事
明治五年 左院副議長
明治六年 制度取調御用兼務となり、参議兼議長
明治八年 一等侍講・修史局副総裁、宮内省御用掛
明治十七年 華族に列し伯爵
明治十九年 宮中顧問官

« 称徳女帝の「皇后」表記問題について | トップページ | 政労協議に反対-公務員に団体交渉権を与えるな(1) »

皇室典範問題」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

» なぜ私は女系天皇に反対なのか八 [川村けんとの「いい加減にします」]
旧暦二月廿一日、社日。如月きさらぎ、桜はじめて開く。 本日は「文藝春秋」平成十八年二月号、寛仁親王ともひとしんのう殿下の「なぜ私は女系天皇に反対なのか」から八回目。 皇統は神話の時代から数えて二六六六年、歴史的に異論のない範囲でも一五〇〇年以上、男系で...... [続きを読む]

« 称徳女帝の「皇后」表記問題について | トップページ | 政労協議に反対-公務員に団体交渉権を与えるな(1) »

最近のトラックバック

2019年8月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

世界旅行・建築