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2006/03/12

称徳女帝の「皇后」表記問題について

『日本霊異記』における称徳女帝(孝謙上皇)をさす「皇后」表記に関する解釈についての訂正


 私は1月25日ブログで成清弘和説に飛びつくかたちで次のように述べました。

成清氏の『日本霊異記』下巻第三八話の皇后の用法の引用を読んで、妊娠出産という次世代の再生産は皇后の役割であって、妊娠出産する天皇というのは論理矛盾でありえないという認識を示していることを知った。
「帝姫阿倍天皇御世之天平神護元年歳次乙巳年始、弓削氏僧道鏡法師、與皇后同枕交通 天下政相摂、治天下 彼咏歌者 是道鏡法師之與皇后同枕交通 天下政摂表答也」
 称徳女帝を天皇と記さずに皇后と記していることに着目したい。成清氏によると「弓削氏の道鏡と「交通」り、共に天下を治めているのは「皇后」である‥‥つまり「皇后」とは「交通」り、次代の継承者を再生産するものであり、ともに天下を治めるものである、という認識の存在の指摘が可能」(註7)とされるのであるが、裏返していうと天皇に次代の再生産を求めることはできない。その役割は皇后だということです。昔からそういうことに決まっているわけです。だから、配偶者が現存する状況での女帝即位は論理的にありえない。それはもはや女帝ではなく皇后というほかない。称徳女帝は独身だから天皇であって皇后ではありえないわけですが、道鏡と「交通」の局面においては理屈のうえで皇后になってしまうわけです。
(註7)成清弘和『日本古代の王位継承と親族』岩田書院1999「大后についての史料的再検討」101頁

川西正彦(平成18年3月12日)
 
 ところが、『歴史評論』の2005年12月号の佐藤長門の論文を読んだところ、「皇后」表記については成清弘和氏とは違った解釈が幾つもあること。『霊異記』下巻三八話における「皇后」表現は道鏡法師との対だけでなく「又宝字八年十月、大炊天皇〔淳仁〕、為皇后所賊、輟天皇位」という記述もあり淳仁天皇との対でも「皇后」と表現されていることを知りました。淡路廃帝と孝謙上皇は険悪な関係にあり、性的関係は想定できないので、成清氏の解釈は鋭いが、この解釈にこだわるのは得策でないと判断し、この解釈からさらに進んだ私独自の見解「称徳天皇は独身‥‥道鏡と「交通」の局面においては理屈のうえで皇后になってしまうわけです」をカットして無難な表現に訂正したいと思います。

 『霊異記』「皇后」表記に関する諸説

 『霊異記』とは正式名称を『日本国現報善悪霊異記』といい延暦より弘仁年間に薬師寺僧景戒が編纂した我が国最初の仏教説話集で、古代生活史、女性史でよく使われるが、1990年代以降の研究で長屋王家木簡などの出土資料や遺跡と『霊異記』の記述が一致し、史料性について従来よりも高く評価される傾向にあり、それゆえ無視できないのである。
 

1 義江明子説「古代女帝論の過去と現在」『天皇と王権を考える七』岩波書店2002所収

「下三八話は孝謙と道鏡の話で、「諾楽宮に廿五年天下を治す勝宝応真聖武太上天皇」が「阿倍内親王」と「道祖(ふなど)親王」の二人に天下を治めよと遺詔したが、「帝姫阿倍天皇並大后〔光明〕御世」に「道祖親王」は殺され、大炊天皇〔淳仁〕も「皇后」に討たれ、道鏡法師が「皇后」と「同じ枕に交通」して天下の政治を握る、という流れになっている。その中で、のちの道鏡巨根伝説につながる歌が予言と記され‥‥下一話から一四話までは孝謙(称徳)治世をを扱うが、「帝姫阿倍天皇御代〔世〕」で一貫している‥‥あくまでも「聖武太上天皇」の「帝姫」としての即位であり、母大后〔光明〕と並んでの統治である。しかも‥‥『霊異記』は「皇后」と表記する。これはたんなる間違いや伝承の混乱などではない。女性の国政統治を“キサキ”の行為としてのみ描こうとしているのである」
 要するに義江明子氏は「性差なき女帝論」の立場から『霊異記』著者景戒の記述を批判し、『霊異記』の「帝姫阿倍天皇」像はあくまでも『霊異記』成立の時代の新しい女帝観なのだという。しかし、野村育代氏(「『日本霊異記』の女と男」『歴史評論』668号2005-12)によると、『霊異記』には「穢」の観念が存在しない。また「五障」(女性は梵天・帝釈天・魔王・転輪聖王・仏になれない)「三従」(女性は父・夫・息子に従う)といった文言「変成男子」「龍女成仏」「女人成仏」の言及もない。仏教的女性差別文言がないだけでなく、女は愛欲深く、嫉妬深く、愚かで知恵がなく、男の往生や修行の妨げになるというような女性嫌悪の文言も全くなく、女性史家からみても性差別的でない説話集と評価されていることからみて、義江明子氏の論評は的外れのように思える。

2 仁藤敦史説 「皇位継承と宣命」平川・沖森・栄原・山中編『文字と古代日本1』吉川弘文館2004所収

 「淳仁の位置づけであるが「吾子為弖皇太子止定弖」光明→淳仁 第二十五詔「前聖武天皇乃皇太子定」聖武→淳仁 第二十五詔という宣命の呼びかけによれば、‥‥淳仁は光明子と聖武の子(皇太子)に擬制されている。『霊異記』下巻三十八話の「大炊天皇、皇后に賊たれ、天皇位をやめ」という表現とあわせ考えるならば、孝謙の皇太子ではなく聖武の皇太子としているのは皇統譜上の擬制として聖武の娘孝謙を「大炊天皇」(淳仁)の「皇后」格として位置づけていることになる‥‥『霊異記』には「朕が子阿倍内親王と道祖親王と二人を以ちて天下を治めしめむと欲ふ」「是れ道鏡法師の皇后と枕を同じくして交通ぐ」との表現もあり、孝謙と道祖王や道鏡ともそうした擬制関係を想定することが可能と思われる。」
 
 不婚の女帝は男帝・男性と擬制的婚姻関係を結ぶ存在だったというきわめて特徴的な見解。佐藤長門は仁藤説を批判し、「「朕が子阿倍内親王と道祖親王‥‥」は天皇と皇太子(あるいは太上天皇と天皇)として共同統治させるという意味」であって擬制的婚姻関係を抽出するのは強引な解釈とされ、又、「天皇ではない道鏡と「交通」したところで、称徳が「皇后」と称されるいわれはない」とされ、これは同時に成清説にも適用できる批判である。

3 佐藤長門説 「『日本霊異記』における天皇像」『歴史評論』668号2005-12

「正確には太上天皇(宝字八年)や天皇(神護元年)と記載すべき称徳(孝謙)をともに「皇后」と表現する『霊異記』の姿勢は、義江ならずとも不審に思うのは当然であろう。しかし聖武中心に編纂されている『霊異記』にとって、おそらく至高の存在としての「太上天皇」は聖武以外には考えられなかった(『霊異記』において「太上天皇」と表記されているのは‥‥聖武のみである)のであり、それと同程度の女性皇族を表現する言葉としては「皇后」以外みつけることができなかったのではあるまいか。ともかくその頻出回数からいって『霊異記』における称徳はあくまで「帝姫天皇」なのであって「皇后」は例外にすぎないことを銘記すべきであろう」

 『霊異記』の全116話のうち43話(三分の一強)が聖武天皇代に時期が設定されているらしい。聖武天皇がメインの存在だということはわかる。しかし、孝謙上皇が「太上天皇」と称されることがないのは、淳仁が「前聖武天皇乃皇太子定」とされていることもあり本当の意味での上皇権を有していない存在だからともいえるのではないか。いずれにせよ、孝謙が「帝姫阿倍天皇」あるいは「皇后」とされ、「太上天皇」と称されるのはあくまでも聖武ということは『霊異記』著者の男帝の皇位継承を基本とする考え方を示している。

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