政労協議に反対-公務員に団体交渉権を与えるな(1)
マッカーサー元帥書簡-政令201号体制は全く正しい(1)
はじめに
公務員制度改革とのからみで、下記のニュースのように労働基本権問題が急展開しているので、かなり心配だ。生きたここちがしない非常に嫌な気分である。このブログでこの問題を取り上げていなかったのは不覚だったし、これも国制の根幹にかかわる問題で、油断していたのが致命的なミスになるもしれない。
http://www.asahi.com/politics/update/0320/009.html
http://www.jtuc-rengo.or.jp/news/rengonews/2006/20060322_1142991458.html
川西正彦(平成18年3月26日)
公務員の身分保障をなくし労働基本権を付与するという政策は自民党の行政改革本部で2000年末頃から検討されていて、とくに野中広務幹事長や太田誠一党行革本部長(当時)の積極的な発言が報道されていた。2001年12月に公務員制度改革大綱が閣議決定されたが、労組は労働基本権問題の進展抜きで制度改革を許さないとしてILOに提訴、2002年1月21日ILO理事会の勧告は、日本政府に対し、第1に「公務員に対する労働基本権の現行の制約を維持する」考え方を再検討するよう求め、第2に「条約違反の法令を改正して、結社の自由の原則に適合させる観点から、全ての関係者と全面的で率直かつ有意義な協議が直ちに実施されるよう強く要請」して政労協議も行われた経緯があったが、政労協議は決裂し、いったんはほっとしていた。しかし、経営者団体が労働基本権付与に積極的な提言をしたり、政府・与党が人件費総額抑制を方針としているので、これまでの経過からその見返りに基本権付与というかたちで労働組合に接近する可能性も予測可能なことだった。朝日新聞によると今通常国会で一気にやる可能性もあるようだ。私が反労働を標榜しているにもかかかわらずこの問題をこれまでブログで取り上げなかったのは一生の不覚だ。しかし放心状態になるのはまだ早い。土壇場から反対していきたいと考える。
ILOの勧告に従う必要はないその根拠は6年前に研究していたことである。パソコンのクラッシュで草稿を失ったが、出していきたいと思います。ここではILOになめられるなということだけ述べます。例えば、週刊労働ニュースの何年何月号か忘れたが、福田官房長官との協議でILO側は、公務員の労働基本権と絡めて、ビルマへの制裁発動を持ち出した(ビルマ政府はILOからの勧告を10年来無視し続けたため2000年11月の理事会にてILO史上初の憲章33条に基づく制裁を発動した。ビルマでは、ILO87号条約(結社の自由)29号条約(強制労働の禁止)の批准国だが、強制労働が行われ、労働者の団結権は否定されているとされる)。我が国は大国であるからビルマのような小国と同列に置かれる筋合いなど全くない。ビルマ並みに扱ってやるぞとの脅しにびびる必要もない、ILOになめられているように思う。
又、ニュージーランドは1991年雇用契約法(Employment Contracts Act)により、個人は企業と直接雇用条件を定めなければならないとされ、労働組合が勤労者から委任された交渉当事者となる場合でも、使用者側の承認を必要とするとされた。その結果、組合の財政は破綻し、集団交渉権を有する勤労者も1991年以前の60%から25%へと低下。http://www.works-i.com/article/db/aid161.html。つまりこの法律は勤労者に集団的労働関係に縛られずに勤労できる権利を与えている。勤労者は組合に強制されない自由を享受した。私は個人主義的自由主義ですから、労働組合に干渉されることのない個別雇傭契約を使用者と結ぶ自由が夢のような世界に思えた。しかしニュージーランドの光は2000年の政権交代でこの法律は変えられた。再び集団的労働関係を基本とする制度にかわった。但し、勤労者には組合に加入しない権利は残された。
ILOはこの雇用契約法(Employment Contracts Act)のように団体交渉の否定を認めてない。この政策が普及すると労働組合が駆逐されるからだ。ニュージーランドの労働組合はILOに提訴して、政策をひっくり返したのである。ILOはけしからんことにニュージーランドの夢を潰しました。Dr. Charles Bairdのコラムもみてください。http://www.sbe.csuhayward.edu/~sbesc/00aprcol.html
団体交渉の普及による産業平和を確立する政策は、1935年の米国のワグナー法、ニューディール政策がそうですが、これはあくまでも20世紀型の社会政策にすぎないのであって、その善悪、経済政策として妥当性の評価は客観的に論じられてしかるべきあり、労働政策において所与の前提とする必要はない。その米国も民間の組織率は9%です。マイクロソフトやウォルマートに代表される非組合型の企業が主流になりつつある。従って国際労働基準なんていうものは普遍的価値でもなんでもないからこれにこだわるのは頭が古い人です。21世紀にはそれにふさわしい公共政策、労働政策が求められてしかるべきである。しかも我が国はニュージーランドのような小国ではない。国制の根幹にかかわる問題でILOによって政策にたがをはめられるの必要など全くない。
自民党の幹事長や行政改革本部が労働基本権付与に積極姿勢をみせていることに政策理念の問題として批判しておくと、例えば民間との競争入札による市場化テストというのはイギリスや合衆国の模倣だが、保守党政権の民営化政策というのは基本的に組合潰し政策であった。というのは、ブレア政権で組合承認制度が復活したため労組は生き残っているが、保守党政権はこれを否定して、組合が存在しても団体交渉するか否かは使用者の任意としたからである。さらにクローズドショップの否認、二次的争議行為や組合の内部運営への干渉的政策など、一連の反組合政策で組織率は著しく低下した。そのころは2010年頃までにイギリスでは組合が消滅して夢のような国になると期待したものだ。要するに労働組合は国家が労働者を組織強制し団体交渉を使用者に強要させる政策を棄てていくと消滅していく運命にある。イギリス保守党政権労働政策は思想的に一貫しており、サッチャーのように組合に敵愾心を燃やす指導者なら信頼できる。しかし小泉は表向き新自由主義的な改革を唱えながら、連合の大会やメーデーに顔を出して秋波をおくり、政労協議のような政府と組合幹部がつるむかたちで勝手に政策をきめ、労働組合権力を強化するやり方は、新自由主義的とはいえない。打算と政略だけの改革のように思える。
また追って掲載しますが国家公務員は取り締まりをしていても地方公務員はそうでない面が多い。明らかに正常な業務を阻害する事業所内・勤務時間内の集会やストライキの呼びかけ、闘争スケジュールの伝達、アジ演説、オルグ活動など解散命令を発出しないんです。東京都ではながら条例の改正があり、午後3時以降の組合活動のための離席自由の慣行とか、勤務時間内に組合役員が大声で組合員を召集して集団で所長を取り囲んで罵声を浴びせてつるし上げるかたちでの所長交渉はみられなくなったなど若干改善はありましたが、違法集会の解散命令を発出しないという点では前と同じです。庁舎管理規則は有名無実で赤旗や拡声器の庁舎内持ち込み示威行為などについても管理職は監視も解散命令も発出しません。すくなくとも東京都水道局はそうです。国家公務員はこういう点はきちんと取り締まっていると思いますが、いまだに勤務時間内の組合活動その他と、争議行為に巻きこむ圧力や威嚇、職務統制によって、一般の勤労者がどれだけ不愉快な思いをして働いているかも知ってほしいと思います。そもそも労働倫理と社会の一般的規範に反する団体行動を強制する権力というものは巨大な悪だという認識をもってもらいたいと思います。
私は比較的健康状態のよかった6年前にこの問題を研究して、それらの草稿はパソコンがクラッシュで失ったが復元ソフトで草稿を若干引き出せたし、資料もある程度整理してあるので、あまりにも遅くなったが反論を開始することとする。労働三権問題の研究を中断したことについて、言い訳するのは男らしくないが云わせてください。自分はもともと体質に合わないのにほとんど抗不安剤で中毒的に煙草を吸っていた。性格的に煙草を深く吸い込む癖があり、煙草の吸いすぎで2004年まで体調がかなり悪かったことなどがある。2003年に偏頭痛が起きて20年ぶりに医者にいったが、それは薬ですぐ直った。せっかくだから禁煙の貼り薬の処方箋をもらうことにした。「ニコチネルTTS」で禁断症状もほとんど出ないで煙草を完全に禁煙できたのはよかったんだけれども、論争的なテーマで作文したりすると煙草が欲しくなるから自重していて、やる気のない状態が続いた。ところが煙草をやめても気分が快活になれず、2004年に狭心症になってかなり長い間「救心」でしのいでいたが、発作が頻発してから別の近所の医者に通うことにした。ニトロがすぐなくなるからもっと出せと医者に催促したら、最高の薬を呑んでも症状が改善されないのは重症だ、大病院でカテーテル検査をして場合によっては手術したほうがよいといわれた。発作が夜中の2時頃に起きて、寝てまた発作が起きるようなことが続いたので、2004年11月紹介状をもらって大病院にいったところ、問診だけで重症と診断され2日後に検査、結果、その日の深夜に緊急に冠動脈バイパス手術をした。結果論をいうかなり前から動脈硬化が進行して心臓が弱っていたが、医者嫌いだったので放置していたことになる。術後は健康が回復したので積極的に労働問題にも取り組むべきだったが、心臓が弱ってたときの悪癖で自重したのが失敗だった。皇室典範問題を取り上げのはよかったし反響もあり今後も続行しますが、私にとって人生最大の敵は労働組合なのでこの問題を取り組まないとブログを創った意味もなくなる。このままでは腑抜けの女々しい男と罵倒されることになるから、もっと積極的にこちらの問題も取り上げるべきだった。しかし後悔してもはじまらない。取り返しのつかないというものでもないので、土壇場の状況で頑張りたいと思う。
自分はコモンローの誠実労働義務のような考え方を重んじる。自分が世の中で一番嫌悪するが団結。労働組合は仕事の抛棄や遅滞などの悪いことを人に威嚇をもって強要してきて個人の自己決定を徹底的に否定するが、これまで自分はパトロールで罵声を浴びせられたりしても怯むことなく、ストに参加せず真面目に仕事をしてきたことが唯一の誇りで、非組合員である。労働組合の職務統制や団結強制によって非能率的に働いたり、熱心に働くことを否定するような在り方に堪えられない性格だ。公務員については労働基本権付与は絶対反対だし、本質的に犯罪行為であるストライキの殺気だった状況を最も嫌うものである。
もっといえばそもそも憲法28条、ILOにかなり懐疑的、ノンユニオニズムを国家戦略として、最終的には労働組合を駆逐するのが理想。労働組合のない企業が勤労者にとっても最も働きやすく満足できるという考え方。勤労者に組合の団結強制から保護する権利の付与、すなわち団結否定権(団体行動せざる自由、ストに参加せず就労する自由)の付与(注1)。あるいは、米国のタフトハートレー法のように労働組合にも不当労働行為制度を適用して活動を制限すべきである。組織強制の規制、ユニオンショップの否定、エージェンシーショップの否定(合衆国南部を主として22州が自由勤労権を保障している)、ピケッティングの規制(英国では六人以下で平和的なものに限定、就労者の通行阻害の否定)、団結自治の否定、例えば公認ストライキ投票制度(英国のようにスト権投票を郵便投票により第三者の監査が入る制度)さらにストライキが公認されても勤労者の団結否定権を付与といった徹底的な反組合政策が理想と考え、極論すれば1800年の宰相小ピットの提案による団結禁止法(注2)が最善とすら思ってるくらい団結とストを嫌悪する。
当然職場では労働組合やそれと結託している管理職と軋轢を生じることになる。2001年に上司に出したこれでも比較的穏健な内容の苦情の草稿が復元できたので、一部省略のうえまず掲載します。いわんとすることは国会議員はストライキとか団結強制の恐ろしさをや労働組合の威嚇、職務統制や違法活動の悪質さというものをまだ十分認知していないのではないか。安易に労働三権を付与して、労組の権力を強くさせるような発想には大反対だということをまず述べておきます。そのうえで本論に入ります。
(註1)英国の保守党政権による労働改革で高く評価できるのは1987年英政府緑書『労働組合と組合員』で、個人が争議行為の呼びかけを無視して就労することは「欠くべからざる自由」との原則論を示し(古川陽二「翻訳と解説:英政府緑書『労働組合と組合員』」『沖縄法学』16号、1988)これは労働改革の仕上げであるメジャー政権において勤労者の権利として確定されたようだ。
(註2)神崎和雄「イギリス団結禁止法に関する試論」『 関東学園大学紀要経済学部編』第10集1985
これは労働組合の職務統制(業務遂行方法の統制)の悪質さの一例にすぎません。
2001年12月に上司に提出したものの草稿を掲載します。
労働組合の職務統制による非能率的業務遂行方法の強要についての苦情
川西正彦
「‥‥管理要領」の4頁「パーソナルコンピュータに搭載されたソフトウェアを削除・変更し、又は追加してはならない」には(設置されているときからインストール済の)搭載された文書作成用汎用ソフトの使用を明文上禁止していないのに、組合の職務統制と組合と結託した管理職により、使用する職員に陰険な攻撃が加えられる虐待状況にあるので、この点での解釈を明朗なものにしてもらいたい。
先進企業においては、イントラネット導入はもとよりペーパーワークの削減は至上命令になっている。合衆国連邦公務員でもペーパーワークの削減は業績評価の重点項目化されいるところが、我が水道局では労働組合が、OA化の推進に縛りをかけるとの方針により、ペーパーワークの削減に反対し、(事実上の)一人一台パソコン体制を許さないとしており、既にパソコンが専用(一人一台が机に設置されるがオンラインシステムのみ専用で使用-日立のロゴの上に野暮ったく専用のシールがはってあり、システムが導入されるのが半年遅れたため、何も使わないと組合の職務統制でただデスクトップパソコンが机の上に置かれていた)で使用できる環境にあるにもかかわらず、汎用ソフトとして搭載されているメモ帳、ワードパッド、マイクロソフトワード、ジャストシステムのワープロソフト(一太郎)を使用させないというきわめて非能率的な業務遂行方法を強要されていることに強い怒りを持つ。
パソコンがあるにもかかわらず、文書作成の汎用ソフトを使うことはまかりならんなどという、こんなばかげた業務遂行方法はなんとかしてもらえないのか。
そればかりか、管理職は組合と結託して執拗に文書作成ソフトを使わせないよう攻撃を繰り返し、非常に不愉快で敵対的な職場環境にある。離席して共用のパソコンで文書作成せよといっても、第一に離席によってその間電話をとることができない。、電話をとることがかなり重要な仕事なのである。他の係員に甚だ迷惑がかかるのみならず、自席の資料を参照できず著しく非能率である。さらに、共用パソコンは係長などがよく使用するので、かなり時間待ちになり甚だ非効率である。自席に専用のパソコンがあり、それを使用して弊害がないにもかかわらず、使用してはいけないなどというのは全く異常な状況というほかない。
ところで、「‥‥管理要領」が七月に配布され、第一次研修がなされたが、組合の意向に従って、4頁の保安管理「(4)パーソナルコンピュータに搭載されたソフトウェアを削除・変更し、又は追加してはならない」との項目を二度にわたって強調した。私は組合営業部会の‥‥が「文書作成用汎用ソフトを抜いてしまうこともある」と言っていたことから、組合の職務統制を非常に警戒していたことから、どういう文書作成ソフトが搭載されているかを質問したが、所長の××は何も答えず、従来どおりワープロは自席のパソコンではなく、ワープロ用の共用のものを使用することになるとした。
その後、この4度にわたって、所長の‥‥より一回はこちらからの抗議、一回は別室に呼び出し、一回は私が停職中にわざわざ押しかけ、一回は自席にきて叱責というように、執拗に文書作成ソフトを使用し、組合の職務統制・団結強制に従わないことに攻撃を仕掛けられおり、組合前役員の‥‥は各席を見回って、文書作成ソフトが使用されていないか、監視活動を勤務時間中に行っている。
しかし、上記「管理要領」の明文規定では、搭載ソフトの使用を禁じてはおらず、当局もペーパーレス化を目標として一人一台パソコンの配備を行ったわけである。11月9日に呼び出されたときは、10月29日付営業部管理課長よりの事務連絡「端末機器・情報管理の徹底について」に基づき、陰険に攻撃をされたわけだが(内蔵の搭載ソフトを使用するのは外部ソフトを入れるのと同罪との趣旨)、私は、(はじめから入っている)搭載ソフトを××××スケジュールや覚書、‥‥進行のメモ等、従来手書きだったものを、能率的に仕事をするために使用しており、従来より、共用パソコンの時間まちをしないことにより、より能率的に仕事ができるようになった。それを、やめさせようとしている。あくまで組合の職務統制に従って、非能率に仕事をやれと威嚇してきている。
ウイルス感染などのシステム破壊の虞があると攻撃しているが、フロッピーで共用パソコンから専用パソコンに移しただけである。‥‥業務以外では一切使っていない。「事務連絡」では外部ソフトをみだりに使用することが困ると書かれているが、内蔵されているソフトを使うことも同じと付記されていて、この事務連絡の意図が組合の職務統制に応じたものだということがわかる。外部ソフトはCDからインストールできないようになったおり、この趣旨は事実上、組合の職務統制に従い、非能率に仕事をすることを要求しているものたで到底納得できない。管理職の仕事は組合の既得権の確保にあるわけではなく、このような組合との結託は、公務員が能率的に仕事を行うことを妨げるもので極めて悪質であり、こうした姿勢を正してもらいたい。 1990年代以来、(民間では)成果主義的人事管理がかなり浸透するようになったが、ホワイトカラーの生産性を高めていくために、個々の職員にはエンプロイアビリティー(中長期的雇用に値する有用な実務能力)の向上を要求されるようになっている。そのためには、従来手書きで無意味に時間をかけたりしていたものはなくしていくことが良いのはあたりまえである。水道局でも一方では数値目標化により能率をアップしていくことが方針として伝えられており、そうした方向性と矛盾するだけでなく、ほとんど虐待状況といえるような異常な事態と認識している。
‥‥などはイントラネットや、ワープロは監督職員だけのものだという趣旨を述べているんだけれども、先進企業では、組織をフラット化するため、イントラネットによりプロジェクトの協同作業や、上層部との直接的やりとりを可能にして効率化を図ろうとしている。ヒューレット・パッカードの社内公募制でセルフアセスメントなどの仕組みはイントラネットであり、IBMでは福利厚生関係でイントラネットにより効率化を図ったことなど知られているように、イントラネットは監督職員だけが使うということでは意味が全くないのである。おまえたちは組合の職務統制に従って非能率に仕事をやれということだが、能率をあげて職務を遂行することが基本倫理であり、容認しがたいのみならず、こんなやりかたじゃ、事務職としてのスパンを拡げていくこともできない。
組合は昨年の年末闘争でも違法職場集会(勤務時間内事務室内)でも演説者(‥‥)がOA職場は非人間的、パソコンは仕事にのめりこませ悪であるとして攻撃していたが、今年も12月21日の職場集会で演説者(‥‥)が、同様に仲間の繋がりをなくすなどとして攻撃、必要以上なものを増やさない。今後も縛りをかけていくと強調。イントラネットも導入させないとしていた。これは組合の特殊な利害に偏向した意見であって、これと結託してペーパーワークを減らさせないよう仕向ける管理職による攻撃は今後も辛辣なものとなるはずで、職場における脅威になっている。組合の既得権維持に協力することに狂奔しペーパーワークを減らすことができない管理職は傾斜配分で減額するなり処分するが筋であって、むしろ一般職員を組合役員からの理不尽な攻撃から護っていくべきなのに、それと逆のことをやっている。こんな異常な職場環境は是非とも改善していただくよう希望いたします。
一人一台ということで、現在使用している日めくりの卓上カレンダーなどはなくなり、スケジュール表はパソコンに書いててはぱき仕事ができると期待していたのに、がっかりである。みだりに離席することなく能率的に職務を遂行するのが基本的な労働倫理であるし、いまや表計算ソフトやパワーポイントを使用してプレゼンテーションできることは事務職は必須とされている時代、できるだけ手書きを多くして非能率的に仕事をするということほどばかげたことはない。
この苦情は組合との協議事項なので却下。その後の経過については追って掲載するが、要するにこういうことである。私が総務部にきいたら一人一台が方針だというが営業部はまだ決まってないし、オンラインシステム専用にしているのは、技術的問題なのか労働組合の要請なのかもきいたが、なんともいえないとのことだった。局内でも見解が違うのである。一人一台は表向きの方針にすぎず、管理職は組合営業部会の下請け人となりで組合の業務遂行方法の統制に従って非能率に働くことを強いることが彼等の仕事であった。 私が自宅のパソコンのパソコンを購入したのは2000年で遅いほうだ。テキストエディターのグレッブ機能と翻訳ソフトに感激したし、自宅のパソコンには高性能のテキストエディターを多数備えていたので、もっとも初歩的なソフトであるマイクロソフトメモ帳を使うことはない。しかし職場ではそれさえも使わせないというのが腹立たしい。
自分の妹が民間で働いていたのできいたら、パソコンの共用は信じられない。ワードとエクセルとアクセスを使いこなすのはあたりまえだと言っていた。アクセスとは何かときいたらそんなのも知らないのかといわれた。
以上のことは、組合の職務統制の悪質な一面のごく一部にすぎない。私はそれによって非能率に無意味な仕事をすることを強いられてきたこと(労働倫理に反する悪い行為の強要である)を非常に不愉快に思っているのである。
マッカーサー元帥書簡-政令201号体制は正しい(1)(本文)
1 合衆国でも公務員に団体交渉権など与えてないのだからマ元帥書簡発出による軌道修正は当然
日本の戦前の官吏、待遇官吏、吏員はドイツ公法の考え方と同じ、公法上の勤務関係、特別権力関係にあると考えられ、官吏服務規律第一条は天皇陛下及び天皇陛下の政府に対し忠順勤勉を主とし、法令命令に従ひ各その職務に奉仕する旨規定し、私法上の契約雇用関係ではなく、官吏の俸給は労働の対価ではなく、「天皇の官吏」として社会的体面を保つにふさわしい身分給として、高等官は年俸、判任官は月俸、俸給表は天皇大権により勅令により、枢密院の諮詢事項として扱われ、官吏の待遇にかかわる勅令は法制局が、予算は大蔵省が所管した。天皇大権事項だから団体交渉などありえないし、争議行為などは無条件に否定される。
ところが終戦直後の官公労働はきわめて異常な無秩序、混乱に陥った。その要因は総司令部経済科学局労働課の指導により、憲法が制定されなかった段階において、逸早く昭和21年3月1日から労働組合法が、21年10月13日から労働組合調整法が施行され、官吏は労働組合法が一部の例外を除いて適用され、政府職員の組合は労働組合を結成し、非現業以外の職員には争議権が認められ、当局との間に労働協約が適用されることとなったことによる。これは合衆国本国の法制・判例法とも全く合致しない急進的で異常な政策で経済科学局労働課長キレンはAFL系労働組合副委員長であり、労働組合主義者である。このような人物によって労働政策が指導されたことが、終戦直後の混乱・無秩序をもたらしたいうべきである。
占領政策の転換は当然のことであり昭和23年7月22日マッカーサー元帥の芦田首相宛書簡の発出により、31日政府は政令201号により政府職員の団体交渉権、争議権の否認、既存の団体協約の無効化を定め、GHQとの協議により、11月に国家公務員法が改正された。労働課長キレンは団体交渉を否認する占領政策の転換についていけないとして、辞意を表明し帰国するが、実質的には追放されたわけで、アメリカ本国でも公務員の団体交渉や争議は認められてないのに、本国よりも急進的な政策を軌道修正したマッカーサー元帥の政治判断は全く正しかったと評価する。
ここではマッカーサー書簡がルーズベルト大統領が1937年連邦公務員全国連合のルーサー・スチュワードに宛た有名な書簡を引用している部分を中心に引いておく。いうまでもなくルーズベルトはニューディール政策の推進者だが、職員団体の論理的地位を認めつつも公務員の団体交渉の可能性についてははっきりとした限界(definite limits)があることを明確にしている。
昭和23年7月22日内閣総理大臣宛マッカーサー元帥の書簡(抄出)
( 松林・寺田編 労働基本権関係資料『法律時報』48巻8号)
……勤労を公務に捧げるものと私的企業に従事するものとの間には顕著な区別が存在する。前者は国民の主権に基礎をもつ政府によって使用される手段そのものであって、その雇用される事実によって与えられた公共の信託に対し、無条件の忠誠の義務を負う。‥‥公務員の上にはこの国民全体に奉仕する義務が負わされている。‥‥……労働者の権利の唱道者として第一人者であったかつての故米国大統領フランクリン・ローズベルト」の言葉によれば「国民はその利益と福祉の為に政府活動のうちに秩序と脈絡とが維持せられることを要求する。公務員の上にはこの国民全体に奉仕する義務が負わされている。これは最高の義務である。彼等自身の職務が政府の機能に関係するものである以上、公務員の争議行為は彼等自身に於て要求が満足せらるるまでは政府の運営を妨害する意図があることを明示するものにほかならない。自ら支持を誓った政府を麻痺せしめんと企図するこのような行為は想像し得ないものであると同時に許しえないものである。」
余はこの見解に全面的に賛成である。雇傭若しくは任命により日本の政府機関若しくはその従属団体に地位を有する者は、何人といえども争議行為若しくは政府運営の能率を疎外する遅延戦術その他の紛争手段に訴えてはならない。何人といえどもかかる地位を有しながら日本の公衆に対しかかる行動に訴えて、公共の信託を裏切るものは雇傭せられているが為に有するすべての権利と特権を抛棄するものである。
「ローズベルト」大統領は更に言っている、「すべての政府職員は普通に知られている所謂団体交渉の手段は公務員の場合は採用できないものであることを理解せねばならぬ。団体交渉は国家公務員制度に適用せられるに当たっては明確なそして変更しえない制限を受ける。政府の性質並に目的それ自体がその行政運営に当る官吏をして政府職員の団体との間の協議若しくは交渉に於て使用主を代表し又は拘束することを不可能ならしめている。使用主は全国民である。国民は国会に於けるその代表者により制定せられる法律によりその意志を表明する。従って行政運営の任に当る官吏も雇傭せられているものも、均しく人事に関し方針、手続並に規則を定める法律によって支配せられ、指導せられ又少なからざる場合に於て制約を受けている」と
然しながらこの理念は公務員たるものが、自ら若しくは選ばれた代表を通じ雇傭条件の改善を求めんが為に自由にその意見見解若しくは不満を表明する個人的若しくは団体的の妨げられることなき権利を有しない意味ではないことを明確に了解しなければにらない。この権利は民主主義社会に固有の権利であり奪うべからざるものである。而して余はこの権利は現に提案されている国家公務員法の修正案の中に十分規定せられていると信ずる。
勤務条件法定主義、財政民主主義、市場の抑制力論など持ち出すまでもなく、団体交渉権を与えることなど絶対できない。私はこのマッカーサー書簡の線を一歩も譲歩すべきでないと思います。米国でも団体交渉は否定され、職員団体が議員への陳情を通じて雇傭条件の改善を求めていた。そのレベルを超える必要など全くないということです。マッカーサーの政治判断は全く正しい。
マッカーサー元帥書簡の団体交渉権、争議権の否認については7月28日法務庁検察局より疑義が提示されたが、8月3日総理庁政策審議室より「違憲論に対する反駁」がなされている「いわゆる団体交渉権及び争議権を禁止することは決して日本国憲法に違反するものではないと確信している‥‥公務員の使用者は、国であり、民主国家においては、実質的には自己をも含む国民統合体であって私企業の労働者の場合のような対等な私人である資本家ではない。憲法第十五条第一項も、『すべて公務員は、全体の奉仕者であり、一部の奉仕者の奉仕者ではない』と規定としている‥‥したがって、勤労者としての一般的権利も、この公務員の性格によって、制限を受けることは、憲法自体が予定している」とする。
又、昭和24年の国鉄弘前機関区事件判決で最高裁大法廷は、政令201号がマ元帥書簡にも、また「日本国憲法にかかわりなく憲法外において法的効力を有する」勅令542号にも反しないとしたうえ、「国民の権利はすべて公共の福祉に反しない限りにおいて立法その他国政のうえで最大の尊重をすることを必要とするものであるから、憲法二八条が保障する‥権利も公共の福祉のために制限を受けることは己を得ないところである。殊に国家公務員は、国民全体の奉仕者として(憲法一五条)公共の利益のために勤務し、且つ職務の遂行にあたって全力を挙げてこれに専念しなければならない(国家公務員法九八条一項)であるから‥‥一般に勤労者とは違って特別の取扱いを受けることがあるのは、当然である」として、政令201号の適法性は確認された。
しかしながら、上記の総審の「反駁」や弘前機関区判決に示される「全体の奉仕者(憲法15条)」や「公共の福祉」論については、プロレーバーよりさかんに攻撃された事柄である。
従って、私の意見は総審の「反駁」や弘前機関区判決多数意見の論理に満足できないのであって、むしろリベラルな憲法解釈でありながら公務員の労働三権を否認する栗山茂判事の補足追加意見のほう明快のように思える。但し同補足追加意見の思想に全面的に賛同するものではなく、労働三権否認にもっていくテクニックについて評価する。
「多数意見は‥‥国家公務員はもともと憲法二八条の保障する権利を有しているけれども、これを政令二○一号が公共の福祉のため禁止したからとてこれを以て憲法二八条に違反するものということはできないとしている。しかし日本国憲法によればすべての基本的人権はそれを享有している個人の利益のためばかりでなく公共の利益のためにも保障されたものであるから公共福祉のために利用されるべき責務を伴っている。このことは個人の幸福と公共の幸福は共通のものであって相排斥する別異のものではないことを意味する。
後者が前者より重いときは後者に吸収されて前者が法律で否定してもやむを得ないという考え方は絶対主義的なものであって日本国憲法のものではない」とされ、公共の福祉に名のもとに権利・自由が奪われてよいというものでないとして多数意見の論法を批判する。
そこで同判事は、公務員はそもそも憲法二八条の「勤労者」ではないと言う。「憲法二八条が保障している権利は私有財産制を前提としていることは沿革上明である‥‥この労使(労資)の対等取引を前提として正義を分配しそれを保障したものが憲法二八条である。然るに国又は地方公共団体とその公務員との関係は毫も対等取引を前提とする関係でもなければ又もとより私有財産制度を前提とする労使の関係にかかわりないものである。それ故公務員は憲法二七条にいう勤労の権利を有する者であることは勿論であるけれども本質的に憲法二八条の勤労者でないのであって、同条が保障している権利はもともと享有していない」従って争議権付与か否かは立法政策の問題にすぎないとする。
同様のものとして宮沢俊義説がある。「憲法二八条は、一般に勤労者『団結する権利及び団体交渉その他団体行動をする権利』を保障しているが、ここに『勤労者』とは、主として、私の企業における勤労者を指すので、国又は地方団体の公務員はそれに含まれないと解すべく、また、純然たる公務員でなくても、公益的性格を持つ企業の勤労者については、純然たる私の企業とはちがって制約が、当然にみとめられるものとする解するのが、正しい解釈であろうと考える。(宮沢俊義「昭和23年政令201号事件」『公法研究』第1号1949)。
比較法制的にみても、占領下の経済科学局労働課の政策というものは、突出して急進的なものであった。
そもそも労働基本権というが、そんなものは本質的に人権でもなんでもない。アメリカはワグナー法による制定法上の団結等の保障である。英国はコモンロー上の共謀法理で団結もストライキも犯罪であったが、1875年共謀罪財産保護法で刑事共謀免責を定め、1901年のクィン事件判決でクローズドショップ争議の民事共謀性を確立したが、1907年の労働争議法により、不法行為免責を定めた。であるから制定法上不法行為免責という、消極的な保護であって、権利として保障するという性格のものではない。
アメリカでは1940年代に、郵政・TVA・全国労働関係局の組合との文書による協定があり、百以上の都市の自治体で職員組合との交渉があったとされているが、団体交渉と団体協約は疑いの目でみられていた。1940年代後半の多数の判決においては、公務員の賃金その他の勤務条件決定権限が立法機関にある以上、行政機関たる政府使用者は公務員と右事項につき団体交渉権をなす権限も義務もなく、締結された協約はいかなる意味でも法的拘束力をもたないと宣言され、公務員のストライキは、公僕たる公務員の主権者に対する叛逆として違法と取り扱われていた。
以上私は、マッカッサー元帥書簡、政令201号、総理庁政策審議室「違憲論に対する反駁」、弘前機関区判決の栗山茂補足追加意見、宮沢俊義説を支持することを述べたが、栗山補足追加意見や宮沢俊義説は入り口の議論で公務員の憲法28条の適用を排除する論理なので単純明快なのである。しかし判例はこのような説をとっておらず、栗山・宮沢説を継承している見解と思えるものとしては出所が不明になったが、井出成三説(法制局次長・文部次官・愛知学院大学教授)を見いだすことができた。要旨-公務員の任命就任は統治作用を担当する統治機構の一員としての組み入れであって、公法的な関係(任命行為説、公法上の契約説であれ)に立つ。官公労のいう国鉄ストと私鉄スト、市バスと民営バスのストでは利用者が迷惑を蒙る点では同じ言う論理については、公企業とするか私企業にまかせるかどうかは、立法政策上の問題であるが、国会・地方議会の議決により法律条例として公務として採り上げられた事業である以上、国会の議決-国民の総意としてスケジュールどおりの公務の提供を国民に約束したもので停廃は許されないのだとする。又、ストによる国民の不利益を過少評価できないとし、婚姻届の受理、不動産登記、供託受理、特許、許認可事務、助成金の交付業務等を羅列したうえで、これらの停廃が国民の身分上、財産的不利益をを蒙ることは警察や消防と同じ次元の問題とされ、さらに宮内庁式部職がストをやった場合、天皇の国事行為中の外国大公使の授受たる信任状の友好哩な受理が妨げられ、国交上深刻な悪影響をきたし、宮内庁職員がピケを張った場合、天皇の国事行為である法律政令の公布に支障をきたすとする。
しかし、判例理論は、このような見解をとってない。そこで判例分析の技術的な議論を行わなければならないが、今回は本質的な問題としてマッカッサー書簡の論理を墨守継承すべきであることをまず述べました。
2 マッカーサー元帥書簡発出の背景
GHQの占領政策は当初、軍人と財閥の解体に関心が集中し、官僚制改革は日程にのぼっていなかったのだが、憲法第五章「内閣」の起草に携わった民政局エマソン中尉の主張により、戦前の身分制的特権的な官吏制度を改革し、アメリカで発達したメリットシステム(資格任用制)や職階制を柱とした科学的人事行政制度を導入するため、昭和21年11月ブレイン・フーバーを団長とする対日合衆国行政顧問団が来日した。他方同年11月全官公庁労組共同闘争委員会が設置され、12月吉田反動内閣打倒国民大会が開かれ緊迫した情勢となっていた。政府は官公吏待遇改善委員会を設置し一人千円支給で組合と妥協しようとしたが、昭和22年正月吉田茂首相の「不逞の輩」発言に態度を硬化した組合側は「二・一ゼネスト」を宣言し、結局1月31日マッカーサーのゼネスト禁止令により事態の収束が図られた。この情勢における同年2月の吉田・フーバー会談で吉田はGHQに対し官公労対策を求めた。すなわち官公労がトラブルを続発させていること。しかも人員が多すぎ、勤務時間を組合の組織化やデモに費やし、我々は敗戦国民であり、倹約を必要とするが、彼らに悟らせることが困難であると説明、フーバーは初めて聞いて驚いた。今こそ政府を再編し健全なベースに据える好機であるという吉田の見解は正しいと応えたうえ、中央人事行政機関設置の勧告を考慮していると切り出し、吉田は一応理解したともいわれる。
フーバーは当時の官界の無規律・無秩序について次のように云ってます。
「‥‥某々省においては、数千という職員が、その勤務時間の全部を職員組合の仕事に費やしそれに熱中していました‥‥彼等は勤務時間中に数千人に及ぶ組合員の会合を開催していたので、そのあいだは役所の事務は全く停止されていました。彼等は建物の中で数個の最もよい室を占領してこれを職員組合の用に充てていました‥‥彼等は、勤務時間中に役所の費用をつかって、役所の仕事を犠牲にしながら、デモ行進やストライキをやりました。彼等は、その役所の業務管理の機能を奪ってしまったため、監督の地位にある上級官吏が自分の命令が確実に行われると自信を以て仕事を指揮している人はほとんどいない有様でした‥‥」(註1)
同年4月フーバーレポート(中間報告)は、ペンドルトン法等近代的公務員制度の沿革に言及し、中央人事行政機関の設置を強調、民主的方法での成績主義を確立し、公務員の能率を増進するため国家公務員法案が示され、公務員の政治活動の制限と争議権の剥奪を規定し、吉田・フーバー会談を反映したものとなった。むろん経済科学局は新憲法や極東委員会声明等の民主的保障と矛盾するなどとして反発した。
総指令部は5月、「中道」路線の片山首相誕生を祝福し、フーバーが帰国している間に日本政府と国会はスト権剥奪を白紙化し、政府部内で強い反発のあった人事院を総理府の外局である人事委員会に格下げし、国会の直接勧告や内閣の承認を得ない規則制定権を削除して昭和22年10月に国家公務員法を制定した。この背景には西尾末広官房長官が民政局ケーディス次長に社会党首班政権では公務員の争議権剥奪はできないと申し入れ、後にケーディスが「鬼のいぬ間に問題を片付けよ」と示唆を与えたため、渡りに舟となったとされる。
再来日したフーバーは激怒し、昭和23年1月29日ホイットニー民政局長に宛てたメモ及び4月のマーカムとの連名によるホイットニー宛要請では、経済科学局労働課によって進められた非アメリカ的政策の結果、公務員によるストライキ、座り込み、超勤拒否による政府の管理能力や権威の喪失の問題が生じたことを指摘し、民間企業の労働者から政府職員を区別し、アメリカにおける理念と実際に即して国家公務員法を改正することを要請し、タフトハートレー法にも言及したうえ、政府職員の労働基本権の制限を主張し、同年6月ストライキをなした者は雇用上の権利を失うものとするなどの、国家公務員法修正草案がフーバーによリ交付された。これに対して経済科学局は、民主的、能率的な職員関係の確立に配慮を欠く。独断的で自由裁量の権限を人事院に付与することを狙っている。現実的な団体交渉関係の確立こそ望ましいと反論し、両局が対立した。
同年7月6日マッカーサーの面前における「御前会議」においてフーバー民政局公務員課長とキレン経済科学局労働課長との間で七時間に及ぶ論争が闘われ、マッカッサーはその場で裁断を下さず、熟慮のうえ、結論として全ての政府職員に対し団体交渉権と争議権を否認するフーバー案は修正され、国鉄、塩、樟脳、タバコの専売事業は特別法により公共企業体を設置することとなったが、総じて言えばフーバーの主張に近い裁定であった。
ケーディス民政局次長は社会党首班政権に好意的だったが民政局内でのフーバ-との力関係を踏まえ、上官の信用を失いたくないという保身のために公務員課支持に回った。キレンは団交権を否定する新労働政策についていけないとして辞意を表明し帰国する。かれは論敵フーバーを出し抜くことを企図し、大蔵省給与局に団体交渉による給与決定の法案を作成させ西尾末広副総理か北村徳一郎蔵相を通じて提出するよう催促していたが、マッカーサー書簡による政策の転換で消散したとのことである。
この政策転換の背景について、タフトハートレー法の成立等共和党の進出にみられる本国の政治状況の変化、トルーマン・ドクトリンによるアメリカ外交政策の転換、日本共産党と密接な関係にあった労働運動の警戒などが指摘されているが、本質的意義は次の点にあると思う。フーバーは経済科学局労働課が非アメリカ的政策を推進したことにより、公務員がストライキをやっていると非難しているのである。さらにマッカーサー書簡に対する本国政府の反発、つまり極東委員会友好国代表から反対されている。政府職員のスト禁止は占領期間のみの暫定措置とすべき。争議権を伴わない団体交渉権が行使できる政府企業職員のカテゴリーを拡大し鉄道、専売以外にも拡げるべき等の見解に対し、10月21日マッカーサーは本国政府に返信を打電し、激しく拒否、反論していること。すなわち自己の政策と国家公務員法改訂案はアメリカ的政策に添っていることを繰り返し強調しつつ、本国政府は「アメリカ合衆国の法と判例、アメリカ合衆国の経験と慣行に完全に反する政策」に肩入れしていると非難した。さらに本国陸軍省から、郵政を除く電信電話と国鉄労働者に団体交渉権を付与するよう提案があったが、マッカーサーは、日本は軍隊を保持していないので、政府が通信手段を得るために、通信労働者に団体交渉権を付与すべきでないと反論しこれも拒否した。局面打開のため、急遽フーバーがワシントンに派遣され熱弁をふるった説得活動の結果、陸軍省、国務省はマッカーサー擁護の立場となり、極東委員会の運営委員会も態度を軟化、好意的でなかったのは労働省だけだった。本国政府はマッカーサーの反論を了解した。(註2)
つまり、マッカーサーはアメリカの伝統的な公務員の在り方を規律している主権理論(公務員の使用者は主権者たる全人民であり、公務員の勤務条件の決定は人民を代表する立法機関によってなされるべきとする)を言っている。私もこの大原則は譲れないと考える。
(註1)岡部史郎『公務員制度の研究』有信堂1955 200頁
(註2)井出嘉憲『日本官僚制と行政文化』東京大学出版会1982 210~225頁
参考文献 岡田彰『現代日本官僚制の成立戦後占領期における行政制度の再編成』法政大学出版局1994 遠藤公嗣『日本占領と労資関係政策の成立』東京大学出版会1989
つづく
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