公務員に労働基本権付与絶対反対-政府は巨悪と手を結ぶな

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意見具申 伏見宮御一流(旧皇族)男系男子を当主とする宮家を再興させるべき 伏見宮御一流の皇統上の格別の由緒について(その二)

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2006年4月の4件の記事

2006/04/26

仁藤敦史『女帝の世紀』批判(1)

 古代史専攻の仁藤敦史国立歴史民俗博物館・総合研究大学院大学助教授の『女帝の世紀-皇位継承と政争』角川選書平成18年3月30日初版発行を購入しました。パラパラっと読んだだけですが、放置できない。著者の女帝論に全面的に反対するので、さしあたり目についた1点のみ批判しておきたいと思います。
 まず、112頁以下の養老継嗣令皇兄弟子条本注「凡そ皇の兄弟、皇子をば、皆親王と為よ〈女帝の子も亦同じ〉」の解釈ですが、この問題について私は1月3日ブログで次のように書いてます。
 
 継嗣令皇兄弟子条の本註〔女帝子亦同〕も例外的規定ですが既に高森明勅の反駁でも述べたとおり
  義解は「謂。拠嫁四世以上所生。何者。案下条。為五世王不得娶親王故也。」
 
 「女帝子」とは四世王以上との婚姻の結果、生んだ子である。その根拠は下条つまり継嗣令王娶親王条「凡王娶親王、臣娶五世王者聴。唯五世王。不得娶親王」である。これは諸王は(内)親王を娶ることができる。臣下は五世(女)王を娶ることを許すが、ただ五世女王のみ。
五世王は二世(女)王を娶ることができるが、(内)親王を娶ることはあってはならないという皇親女子の皇親内婚規定です。
 《赤字部分は原文から欠落していた》

 私は男帝優先原則ということもさかんに言ってきましたが、皇親内婚で男性皇親をさしおいて女性皇親が即位することは絶対ない。但し、御配偶の草壁皇子が早世し、所生の文武天皇も早世し、先帝生母が緊急避難的に即位した元明女帝のケースや、斉明女帝のよう既婚歴があって皇后となり、さらに御配偶の舒明崩後即位した例もあるから、女帝の子が必ず男帝の子とはいえない。その場合でも、上記内婚規定により、必ず女帝の子は天皇か親王か四世王までの皇親男子の子になるから、女帝の子が即位したとしたも男系継承原理から逸脱することは全く想定されてない。ということをこのブログを通じて述べてきたわけです。関連して高森明勅説批判の8月27日ブログ以下もみて下さい。
 

 ところが仁藤敦史は律令の公定注釈書である「義解」の解釈を、それは平安初期の解釈であるなどとして否定し、「単独の法意としては、必ずしも皇親男性との婚姻に限定されていなかったとも考えられる」と言うのである。さらに「男帝以外の男性と女帝の即位後(あるいは即位前)における婚姻および出産の可能性を視野に入れての立法であった」などととんでもない解釈を導きだし、高森明勅説をさらに進めたような女系原理を展開している。
 仁藤説は継嗣令第四条(王娶親王条)では違法なのに第一条(皇兄弟子条)本注の「単独の法意」は違法とはいわないから混乱してます。整合性を無視した歪めた解釈である。、皇兄弟子条本注を王娶親王条とセットで解釈している「義解」が正しいんじゃないですか。王娶親王条は女皇親(内親王以下四世女王まで)は臣下に降嫁するを得ずとし、且つ五世王は二世女王以下を娶り得れども内親王と婚することを禁じ、臣下の男はただ五世女王のみを娶り得ると定めている。王娶親王条により男系世襲原理から明確に逸脱しないことになっているんですよ。
 仁藤が皇太后としての女帝即位だけなら本注は不要だ。なぜならばその場合は女帝の子は男帝の子であるから親王であることに変わりないから、ゆえに本注は女帝が男帝以外との男性との即位後の婚姻・出産の可能性を視野に入れての立法などというのは何の根拠もないんです。例えば史実は持統-文武-元明の皇位継承順ですが、仮に持統が長命でなかったと想定します。草壁皇子も薨じた。この場合持統-元明-文武という継承順もありえないわけではない。天武皇子の皇位継承争いによる混乱を回避するため緊急避難的に皇太子妃が即位する想定です。このようなケースで本注が生きてくる。文武が即位以前に親王の処遇となるということです。だから仁藤説は論理的でもないです。本注は令制成立期の政治的状況から緊急避難的な女帝の即位を想定していた程度のことしかいえないと思います。
 今江広道(「八世紀における女王と臣下の婚姻に関する覚書」『日本史学論集』上巻所収 吉川弘文館1983)によると奈良時代は王娶親王条の令意が比較的よく守られていた。明確に令条に反し皇親女子が臣家に嫁した例としては、藤原仲麻呂の息男久須麻呂と舎人親王系の三世女王加須良女王の結婚である。天下の政柄を握った仲麻呂にとっては問題ではなかったのだろうが、違法婚といっても三世女王である。もっとも斉明女帝は令制概念で三世女王にあたるが、斉明が母方も皇親で純血種皇親であること。聖徳太子の世代が即位しなかったため、舒明天皇も二世王であることから皇極即位は違和感がないとしても、加須良女王の即位はまず想定できない。
 なお、参議藤原房前に嫁し、左大臣藤原永手、大納言藤原真楯の母牟漏女王は敏達五世孫か六世孫である。慶雲の格制で皇親の範囲を五世王に拡大したことにより解釈の仕方もあるが、明確に違法とみなすことはできない。いずれせよ牟漏女王が女帝として即位することは全く考えられないのであって、本注の解釈から、女系継承を正当化しようとするのはナンセンス。
 
 川西正彦

2006/04/23

タイガー・ウッズのワコビアチャンピオンシップ不参加は残念だ

 やるべきことは山積している。深刻なものを書かなければいけないが、今月は事情により休日は休養をとることとした。焦っても仕方ないので、今日は遊びっぽい記事にします。
 タイガー・ウッズが父親の病気を理由に全米オープンまで試合に出場しないというニュースをみました。
 カロライナ贔屓の私としては5月第一週のワコビアチャンピオンシップに最も人気のある選手が出ないのはとても残念に思います。この試合はマスターズと全米オープンの中間に大型の試合をカロライナに持ってきたいということで、シャーロットのクエールハロークラブで三年前から始まりました。PGAツアーも大型の試合の新設を喜んでいるということでした。ウッズは2004年に3位でした。2005年はビジェイ・シンが優勝しましたが、大会を盛り上げるために是非出てもらいたかったです。
 でも公式ホームページhttp://www.wachoviachampionship.com/をみますと、タイガーを除くランキング11位までの選手のうち10人は出場するようで、ほっとしました。以下の選手です。Phil Mickelson, Vijay Singh, Retief Goosen, Ernie Els, Sergio Garcia, Jim Furyk, David Toms, Adam Scott, Luke Donald, and Chris DiMarco.
 この大会の慈善事業も評判になってますが、カロライナの宣伝と経済効果をもたらすことが期待されており、CBSで放送されカロライナを前面に出して知名度を上げることが狙いになってます。かつてカロライナは人口より豚が多い田舎とみなされてましたが、プロビジネスでハイテクを牽引する州としてのイメージをもってもらいたいということでしよう。2005年の人口推計ではノースカロライナは860万に達しており、これは日本の東北6県よりも大きな人口規模でしょうか。要するに私の関心としてはゴルフそのものよりこの大会が準メジャー級の権威をもつようになり客を集めてカロライナに貢献してもらえば満足です。
 ワコビア(ウィンストン)は2001年にファーストユニオン(シャーロット)と統合して全米第4位の銀行になりました。シャーロットを本拠地(シャーロットでは最大の雇用主で18,967人が働いてます)とし、東海岸方面を主として支店の数を積極的に増やしており、特にニューヨークとその周辺地域で積極的に展開しています。信金中金総合研究所の青木武氏がワコビアのリテール戦略について論評してますのでみてください。http://www.scbri.jp/HTMLcolumnNY/17/17-19.pdf http://www.scbri.jp/HTMLcolumnNY/17/17-21.pdf
 シャーロットは人口59万、メトロエリアで150万、バンカメ(全米第2位)の本拠地でもあります(なおノースカロライナにはもう一つ業績の良い銀行としてウィンストンセーラムにBB&Tがあります)。シャーロットの摩天楼の写真のサイトhttp://www.skyscraperpicture.com/charlotte.htmをみますと、もっとも高いビルがバンクオブアメリカコーポレートセンターです。三番目に高いビルがワコビアセンターです。都市の性格を象徴してます。よその州でシャーロット市民は芸術やコンサートより毎日儲けることばかり考えているという嫌みをいう新聞をみましたが、プロビジネスの都市というのがシャーロットの魅力なのであります。企業家にとってホットな大都市の第2位にランキングされております。http://www.entrepreneur.com/bestcities/0,5271,498-Large,00.html
 
 カロライナの産業風土の宣伝としてはシャーロット商工会議所のこの頁
http://www.charlottechamber.com/content.cfm?category_level_id=133&content_id=238
 

川西正彦

2006/04/02

政労協議に反対-公務員に団体交渉権を与えるな(3)

米国の公務員制度とその問題点
米国の有名企業の多くが組合不在型企業である

川西正彦(平成18年4月2日)

はじめに

 社会的正義とは何ですか。それは欲の深い人より、規範を重んじる人、勤勉な人にとって働きやすい社会であることです。悪事をあおり人に強要する労働団体は叩き斬るべきだというのが私の考え方です。社会的正義のために弾圧を躊躇すべきでない。
 政府だって勝手に市民に官製デモの動員を強要することは難しいんです。それやったら全体主義国家になる。学校教育を別問題として、基本的に政府は成人に対して良心に反する行為や社会規範に反する行為を強要することない。しかし労働組合は良心に反する行為を他人に強要します。かれらは他者を支配し違法団体行動を強要すること、組合費を収奪することが労働基本権と認識しているが、唯一、良心に反する行為を強制できる権力というのは組合だけなんです。一般社会ではピケ隊やパトロール隊のように通行を妨害されたり、罵声を集団で浴びせられるようなことはない。事務室内職場集会のように囚われの聴衆になってアジ演説や非組合員に対する攻撃を強制的にきかされることはない。私は駅頭の赤い羽根募金ですらうざいと思っているが、それは通り過ぎればすむことだ。客引きに強引に引っ張られた経験もない。そういう場所に行かなければよいだけ。町中では職場のように人に威圧、威嚇されたり、なじられたり、罵声を浴びせられることはない。街中のほうがよっぽど安全なのであって、逆に職場では規律ある秩序の保持と静穏な環境で職務に集中する環境は否定されるのである。強制的に大声をきかされるというやりかたは、耐え難いものである。これこそ敵対的・不愉快な職場環境である。
 労働組合は他者に倫理・規範に反する行動を強要し(パトロールによる威嚇、職場離脱の強要、勤務時間内職場集会への動員指令 少なくとも東京都水道局は勤務時間内庁舎敷地内あるいは事務所内の集会、組織活動、スト権投票、ストライキ、違法集会動員の呼びかけや指図に解散命令・就業命令を発出しないし監視も怠っている。ゼッケン、はちまき、拡声器、幟、組合旗等の持ち込みを実質的に規制しないので、実質的に当局が違法組合活動を助長し労働組合に権力を与えている)、高額の組合費を収奪する権力が与えられている。

 わたしはいわゆる「暴力団」より労働組合のほうがよっぽど悪だと思ってます。みかじめ料といった社会的慣行の是非について私はよく知らないので踏み込みませんが、仮にみかじめ料は慣行として認める立場をとるとしても、私は労働組合の団結強制と収奪は認めません。巨悪と手を結び、公務員に労働基本権を付与しようとしている政府の政策に強く反対します。

前々回の補足
 

 マッカーサー書簡発出による政策転換で、政府部内で強い抵抗があったにもかかわらず人事院(旧臨時人事委員会)は権限を強化された。総理府から内閣の所管に移した。他の政府機関がこの分野に介入させないようにした。国家公務員法の運用は、人事院と「任命権者」によって行われる仕組みになった。産みの親はB・フーバー(民政局公務員課長兼民政局長のスペシャルアシスタント兼総司令官のアドバイザー)であり、かれはアメリカ有数の人事行政のエキスパートという自負があり、人事権をもって「四権分立」とみなすほど、本国の制度以上に理想的なものをこしらえようという情熱、かれの態度の厳しさとキャラクター、マッカーサーの支持がものをいって強行されたという見方ができる。かれが指揮した公務員課は臨時人事委員会に非常な指導力を発揮し百円以上の物品購入にも承認を受けさせるような微に入り細をうがった指導をしていた。
 そもそもペンドルトン法で中央人事行政機関を設けた主要な眼目は猟官制(スポイルズシステム)の弊害を除去し行政腐敗を正すことにあった。それは米国が官僚制度の後進国であったためである。政党のボスによる縁故採用や無能職員の昇任とか政党主導による恣意的な人事をなくすため、独立した行政機関で公正な競争試験を実施し、成績主義を徹底し、行政のエキスパートをつくることだった。
 米国の判例理論に特権説というのがあって、公務員として雇傭されることは政府による恩恵であり特権であって権利ではない。政府による恩恵であって権利としての性格は有していないのである。つまり政策として行政法上の保護がされてるだけであって本質的にはコモンロー上の解雇自由原則と同じことであり、民間の被用者と本質的には変わらないのだと思う。公務員の行政法上の保護といったいわゆる身分保障というのは、あくまでも政策的なものである。
 フーバー自身が代償という言葉を新聞記者会見で口に出していることは事実ですが、論理的には間違ってます。米国ではワグナー法以前よりずっと以前に中央人事行政機関が存在していた、連邦公務員に限定的な団交が認められるようになったのはケネディ政権以降である。代償措置とする見方は人事院の組織防衛のための論理、もしくは人事院勧告の完全実施を迫るための方便であって、本質的に論理的には誤りであるということは重要な論点になるので後日歴史的経緯も含め述べたいと思います。

 
米国の公務員制度と問題点

 (1)米国の120年の近代的公務員制度はオーバーホールの時期に

 公務員制度における比較法制的観点から合衆国の連邦公務員制度と州公務員制度について簡単に述べます。 ルーズベルト大統領の書簡にもみられるように米国では伝統的に団体交渉およびストライキに対して否定的な考えが強く、裁判所は、コモンローにより公務員の団体交渉およびストライキを一貫して否定してきた。
 1940年代後半の多数の判決においては、公務員の賃金その他の勤務条件決定権限が立法機関にある以上、行政機関たる政府使用者は公務員と右事項につき団体交渉権をなす権限も義務もなく、締結された協約はいかなる意味でも法的拘束力をもたないと宣言され、公務員のストライキは、公僕たる公務員の主権者に対する叛逆として違法と取り扱われてきた。
 「主権理論」(統治論)とは、公務員の使用者は主権者たる全人民であり、公務員の勤務条件の決定は人民を代表する立法機関によってなされるべきとするもので、わが国の司法でもこの趣旨は採用され、全農林警職法事件最高裁判決で「公務員は……国民の信託に基づいて国政を担当する政府により任命されたものであり、その使用者は国民全体であり、公務員の労働提供業務は国民全体に対して負うのである」と判示している。従ってアメリカでは伝統的に勤務条件法定主義であった。
 州や自治体のなかには公務員の団結権を認める立法を持つものもあったが、交渉の多くは書面交渉を伴わず、集団陳情の域にとどまっていた。
   ところが1960年代AFL・CIO系を中心とする各種公務員組合による団交獲得 の運動が活発に展開され、この動きはウィスコンシン州の自治体雇用関係法の制定に開始したが、とくに1962年のケネディによる大統領命令10988号の制定(連邦被用者に一定の団交権を初めて保障)によりし、一部の州や自治体で団結権・団体交渉権(協議権)を保障する立法が相次いで制定されていくようになった。
 わたしはケネディ政権が一定の範囲で団交を求める政策が根本的に間違っていたと考える。だから私はケネディが嫌いです。
 1970年の郵便ストを契機としてニクソンが独立の公社の設立と完全な団体交渉制度保障を定めた郵便再組織法が制定された。
 1978年カーター政権での連邦公務員改革では、団結権と団体交渉権を定め、ストライキの参加や主張は欠格事項に該当し解雇される。ただし団体交渉範囲がきわめて限定されており、給与は法定主義が維持されており、民間企業との均衡達成は大統領の手に委ねられている。団体交渉になりえない事項として行政庁の任務、予算、組織、被用者数および機密保持措置を決定する権限、関係法令に従って被用者を採用し、配置し、指揮し、解雇し、または官職に留める、懲戒処分する権限、仕事を割り当てたり、下請けに出す権限、官職を補充するにつき人員を選定し任命する権限などがあり、なんらかの組織単位、作業プロジェクトまたは勤務割に割当てられる被用者の数、種類、等級、官職、および作業遂行の技術、方法または手段などは、当局の選択により交渉事項となしうるとされている。
 私が特に疑問に思うのは、連邦調停和解庁および連邦公務紛争解決委員会が設置され、協約上に強制仲裁を含む苦情処理手続を規定することが義務づけられ、従来排除されていた「勤務成績を理由とする解雇、免職、給与低下、休職、停職や昇進の遅れ、人員削減などが対象となっているらしい。この制度は組合に発言権を認めたことにより、連邦公務員改革は意図のとおり進まず、硬直したものになったのではないかということである。

 そこであらためて、米国連邦公務員制度の沿革を述べると、近代連邦公務員法制の基本法とされる1883年のペンドルトン法では、猟官制(スポイルズシステム)のもたらした政治・行政腐敗への改革と公職への情実任用の排除を課題として、独立行政機関として連邦公務員人事委員会(わが国の人事院のモデル)を創設し任用過程におけるメリット(資格)原則の採用-公開・競争試験制-一定の身分保障によって、職業的な行政公務員の創出・確保をめざし、1923年の職階法の制定を経て行政目的を能率と効率に求め、行政過程における労働=職務の技術的類型化である職階制にもとづいて、比較相対的な資格ないし実績を判定し、これを公務員の編成、規律の原理とした。
 行政機構の肥大・多様化によりメリット・システムは形骸化し、無能職員が解雇されないなどの世論の批判を受けて、1978年カーターは「廉潔で効率的な連邦政府」を求めてペンドルトン法以来の改革立法を成立させた。連邦公務員人事委員会は、人事管理庁とメリット・システム保護委員会とに分割され、能力と実績のみによる待遇というメリットシステムの原点に立ち返ろうとしたものである。
 7万人の中間管理職クラスに能力給が適用され、従来の定期昇給と官民格差を是正するための昇給ベースアップという自動昇給システムからはずされた。
 従来、成績不良者に対する降格や免職と勤務評定との関連が明確でなく、統一的基準規定がなく、メリットシステムが形骸化していた状況を改め、勤務評定・不利益処分・不服申立てを関連つけた制度整備が実施された。メリット・システム保護委員会というのがある。
 これは人事院公平局を独立させたような組織だが、任期7年の三名の委員と任期5年の法律専門家たる特別顧問により構成される。メリット・システムの原則を実現するための法律等による違反行為の有無を監視し、違反行為に対する不服申立てなどについて審査決定し、人事管理庁の制定する規則や細則の審査もできる。
 人事委員会を分割してこの組織を設けた眼目が、勤務成績不良者の降任、免職を容易にすることにあった。すなわち、成績不良職員は、自己改善のための援助を与えられることにはなっているものの、90日前の通告が必要だった免職等が、30日前の通告となり、不服申し立ての手続きは迅速化するということだったが、この制度でも硬直的と批判されている。また連邦調停和解庁および連邦公務紛争解決委員会が設置され、協約上に強制仲裁を含む苦情処理手続を規定することが義務づけられ、従来排除されていた「勤務成績を理由とする解雇、免職、給与低下、休職、停職や昇進の遅れ、人員削減などが対象となっているらしい。この制度は望ましくない。勤務成績を理由とする解雇に組合が口を出せる制度をつくったために、一層硬直したものになったという見方ができる。
 米国では、日本国憲法28条のように労働基本権を憲法で保障しているわけでもないし、もともと犯罪であったものを大恐慌と産業別組合の台頭によって産業平和の確立のために悪も是認するという社会経済政策として制定法により是認しているだけであり、それは正義ではない。私はコモンローも生ける法なのであり、制定法を潰せば生き返る性格のものと理解している。だから制定法なんていうものはあくまでも価値相対的なものとしか認識していない。しかも連邦公務員について団体交渉の政策の展開をみたのは60年代以降です。団体交渉は全く政策問題である。
 だから2002年11月の国土安全保障省創設にあたって大統領は、国土安全保障省の労働者の採用、解雇、異動について大きな権限を持つことになったが、この時も同省職員の行政法上の保護を剥奪しようとするブッシュの政策に労組は反発したが、民主党のプロレーバー議員への働きかけや、メールの大量送付などの反対運動であって、政労協議などしていない。また2002年ブッシュは連邦公務員業務の50%にあたる85万人を、競争入札により民間委託化させるという提案もぶちあげ、これは後に規模が縮小されたようだが、だからといって政労協議するわけではない。
 レーガン大統領が1981年にストを起こしていた航空管制官を1万人も一気に解雇したことがあるが、ILOが文句をいってもどうということはないのである。吉崎達彦の溜池通信July 23, 2004の記事によると当時の米国では失業率が高い中で「そんな贅沢なことを言っている人たちは許せない」という声が多く、世論はレーガン政権側を支持したのだという。
  アメリカでは国土安全省で実質的に団体交渉権を剥奪したとされている。これはテロ対策という名目で、トータルな改革とはいえない。しかしブッシュの助言者であるブルッキングス研究所のポール・ライトは「これが第二次世界大戦後、行政部法の最も重要な変化の最先端であると言うことはより正直でしょう。誰もそれを言っていません。」と述べており、その後の国防省の改革もあるが、潮流は公務員制度のトータルの見直しにある。その場合、解雇、昇進、配置転換を柔軟にして団体交渉権を排除する方向性での改革である。
 
 国土安全保障省と団体交渉権問題など
http://www.jil.go.jp/jil/kaigaitopic/2003_02/americaP01.html
http://www.govexec.com/dailyfed/1102/111202p1.htm
http://www.govexec.com/dailyfed/1102/112202b1.htm
http://www.usatoday.com/news/washington/2002-09-12-homeland_x.htm
http://www.csmonitor.com/2002/0905/p10s02-comv.html
http://www.brookings.edu/views/op-ed/light/20030509.htm
 連邦公務員の仕事の外注化
http://www.csmonitor.com/2002/1202/p16s02-wmgn.html
http://www.govexec.com/dailyfed/1202/120302p1.htm

連邦公務員制度について主要引用文献
菅野和夫「公務員団体交渉の法律政策」アメリカ(一)」『法学協会雑誌』98巻1号 1981
大久保史郎「アメリカ公務員制度改革改革詳論」『立命館法学』150-154号、1980
大河内繁男「アメリカにおける公務員制度の改革」『公企労研究』42号、1980
『欧米国家公務員制度の概要』財団法人社会経済生産性本部・生産性労働情報センター、1997

(2)団体交渉否認-勤務条件法定主義の州も少なくないし、団体協約には強い批判がある

 一方、州公務員については、反労働組合的気風の南部の各州のように勤務条件法定主義を墨守し団体交渉を制度化してない州も少なくない。ノースカロライナ、サウスカロライナ、ウェストバージニア、ルイジアナ、ミシシッピ、アーカンソー、コロラド州は全ての公務員がそうであり、消防士のみ団交立法を設けているのがジョージア、アラバマ、ユタ、ワイオミング州、消防士と警官のみ団交を認めるテキサス、ケンタッキー州、教員のみ団交を認めるノースダコタ、メリーランド州、教員と消防士のみ認めるアイダホ州、ネバダ州は州被用者のみ団交を認めてない(菅野和夫「公務員団体交渉の法律政策」アメリカ(一)」『法学協会雑誌』98巻1号 1981参照)。
 なお、上記の州においても任意的で法的拘束力のない団体交渉を認めている州がありますが、ノースカロライナ州は徹底していて、州、自治体政府と組合の全ての協定は州の公の政策に反し無効であり違反者の処罰を州法で定めている。もっとも州従業員協会というのがありますがもっぱら州議員への陳情である。むろん自由勤労権州であり、労働組織率4.46%(最新のデータではない)に示される独立心の強い労働力で国の内外に知られています。そういうことで組合嫌いの私としては同州に関心があるし、たまにローカル新聞をみますが、ウィンストンセーラムがデルのパソコン工場誘致に成功したニュースをみて自分のことのように嬉しく思いました。
 もちろんカロライナも産業構造上大きな問題をかかえている。90年代後半頃から繊維織物や家具産業が工場の外国移転、輸入製品におされて厳しい状況が伝えられており、とても気になっていた。2003年7月にカナポリスにあるピローテックスのタオル工場が閉鎖となり4500人が一挙に失職しました。http://blog.goo.ne.jp/old-dreamer/m/200504この工場は1999年に組合が組織されていましたhttp://www.jil.go.jp/kaigaitopic/1999_09/americaP03.htmが、カロライナでは異例とされている。もっとも繊維産業はリストラで収益は改善されているというニュースも読んでます。基本的には南北カロライナなど保守的な南部は組合嫌いの風土にある。勤勉に働く精神、公立学校でクリスマスを祝うのはカロライナだけといわれています。シャーロットはバンクオブアメリカやワコビアの本拠地がありニューヨークに次ぐ金融都市に成長したし、ハイテクも進展しており、繊維産業の雇傭の減少はやむをえないのであって全体としては悪くないと思ってます。
 
 私は組合の言い分をきいたケネディの政策を嫌悪する。純政策的には公務員の勤務条件法定主義墨守が最善。職員団体は陳情団体のひとつとして議員を通じて賃上げなどを陳情することを認めるだけでもよかったのである。なお、2000年頃に始まった景気後退期に各州の財政が厳しくなった。このなかでコネチカット州のローランド前知事(共和党)が、組合との対決路線をとり州公務員の千人以上の解雇を方針としていた。しかしローランド知事が辞職したのはとても残念です。その他の州でも州公務員解雇のニュースはみています。ローカルニュースなので詳しい分析をしていないが、そういう政策も十分ありうるということである。
 米国では公務員の団体交渉やストライキについては次のように強い批判があるのである。菅野和夫「外国における公共部門の争議と争議権Ⅷアメリカ」 兵藤釗編集代表『公共部門の争議権』 東京大学出版会1977に依存するが重要な論点なので言及しておく。
 第一に、1969年のウェリントン・ウィンター論文によって詳密化された「政治過程歪曲論」である。
 この説では公的雇用の団体交渉では利潤追求という企業目的による基本的枠(抑制)が存在せず、また過度の賃上げが需要の減少(ひいては雇用の減少)を招くという市場の抑制力も欠如するという「歯止めの欠如」論及び、公務員のストライキは代替性のない重要なサービスを中断させることにより、当局、住民にコストを無視した解決を強要する強力な武器となるとの「力のアンバランス」論を展開し、公務員の勤務条件の決定は、予算配分や行政内容決定に関する主権者たる住民の意思を尊重して行われるべき民主的政治過程であって、公務員のスト権はこの過程における単なる一利益グループに過度に強大な力を与えて政治過程の正常な姿を歪曲するとの主張を行った。
 ウェリントン・ウィンター論文はわが国の司法にも影響を及ぼした。全農林警職法最高裁判決では「一般の私企業においてはおいては、その提供する製品又は役務に対する需要につき、市場からの圧力を受けざるをえない関係上、争議行為に対しても、いわゆる市場の抑制力が働くことを必然とするのに反し、公務員の場合には、そのようなそのような市場の機能が作用する余地はないため……一方的に強力な圧力となり、その面からみも勤務条件決定の手続をゆがめることになり勤務条件決定の手続をゆがめることにもなるのである」と判示している。
 第二に70年代後半から始まった「納税者の叛乱」である。政府支出の膨張と租税負担の増大に業を煮やした住民が、財産税の税率や財産評価額に上限を設けたり、地方政府の歳出の増加率を一定限度内に押さえたりするする州憲法の修正運動が相当州で成功した。納税者の強硬姿勢は、公務員の団体交渉制度にも向けられ、成立した協定の住民投票による否決、当局による労働協約の不履行、仲裁裁定の不実施などの現象が顕著にみられた(菅野和夫「公務員団体交渉の法律政策」アメリカ(一)」『法学協会雑誌』98巻1号 1981)。なお、最近のニュースでニューヨークの地下鉄ストの批判もあるので、これらについては後日とりあげていきたい。
   

その他参考文献(私はコピー等を所持しているが、分析に着手していないものも含む)
レスリー・L・ダグラス 岸井貞男監修訳 『アメリカ労使関係法』信山社1999、菅野和夫「アメリカにおける公務員スト問題とその法規制(1)~(4)完」『ジュリスト』631、632、633、635号 1977。桑原昌宏「アメリカの公務員ストに関する州最高裁判決 上下 労働法律旬報1313,1314 1993。桑原昌宏「公務員スト権をめぐる日本最高裁判決とカリフォルニア最高裁判決の理論的比較」労働法律旬報1314 1993-6。神代和欣「アメリカ連邦公務員の新給与制度」『公労委季報』10号。菅野和夫「外国における公共部門の争議と争議権Ⅷアメリカ」兵藤釗編集代表『公共部門の争議権』東京大
学出版会1977。「1988年連邦公務員休暇融通法」外国法28-6 1989。内藤恵「アメリカにおける雇用契約理論と解雇法理におけるパブリック・ポリシー」季刊労働法146 1988。内藤恵「アメリカにおける解雇法理の基礎構造」慶應義塾大学法学研究科論文25号。内藤恵「アメリカ雇用契約における誠意義務」法学研究 慶大 63-12 1990。佐藤敬二 アメリカにおける公務員の争議権保障1980年代の展開 季刊労働法153 1989。竹地潔「アメリカ契約法における解約自由の原則の形成と修正」中大院研究年報21。加藤孝一「スト条項の削られるまで」(上・中・下の1・下の2)自治研究52-1、3,4,5 1976

 米国の有名企業の多くが組合不在型企業である

 ここで、公務員制度とはなれて民間企業における労働問題、私の米国の企業経営に関する関心を述べておきます。そもそもアメリカは反組合的な土壌にあり、コモンローの共謀法理により団結やストライキは犯罪であった。はっきり言っておくが、団結とストライキは本質的に犯罪である。しかし次第に刑事共謀法理が下火となり、民事共謀法理によって規律された。エクイティ上のインジャンクションよって使用者は救済されるのであり、1890年代から1920年代にかけてさかんに利用された。1920年代のデトロイトにしても健全なオープンショップの都市であり、自動車産業は組合の組織化を抑止していたのである。
  ところが、大恐慌と産業別組合の台頭によりこの国はおかしくなってしまった。1932年のノリス・ラガーディア法によりレイバーインジャンクションの濫発が抑止され、1935年ワグナー法により団結権等が明確に規定され、団体交渉の普及による産業平和の確立という誤った政策を国策にしてしまったのである。
 しかし1946年に大規模なストライキが続いたこともあり、世論の大勢を味方として、共和党が大勝し、1947年に労働組合の力の濫用を抑止するタフト・ハートレー法がトルーマンの拒否権発動を覆して成立したこと。全国労働関係局も保守化したことにより、まずは無難な在り方に回復することはできた。
 重要な歴史認識として述べますが、大恐慌と産業別組合の台頭による、1930年代のワグナー法等の労働立法、ニューディール政策は決して労働組合の不動の完全な勝利ではなかったということです。それは米国社会の基盤の健全さを示しています。
 S.M.ジャコービィの著作を読みましたが、米国における労働組合不在企業の意義にについて、シアーズ・ローバック、コダック、IBMという代表的な組合不在企業文化にの意義について肯定的に論じてます。例えば大規模小売店シアーズのジェイムス・ワーシィの考えによれば、人事担当者の管理者は「参加、人間の尊厳、および意見を述べる自由といった」従業員の「諸権利」の庇護者たらねばならない。つまり企業経営における従業員尊重という理念は非組合セクターのものである。コダックも代表的な組合不在企業ですが提案制度やオープンドア-という非組合企業が採用している制度や先進的な福祉給付、1年間に2週間の休暇などの従業員政策などにより組合の組織化を阻止してきたとしています。コダックの社風が典型ですが、ジャコービィはウェルフェアキャピタリズムと言っています(こうした企業にも従業員組織はあるだろうが、産業別組合の組織化を抑止している企業を非組合企業とする)。米国には組合嫌いの企業、風土が根強くあるわけで私にとってはとても参考になったので長文になりますが、要旨を述べたいと思います。
 S.M.ジャコービィによると1960年代にアメリカの労使関係論の研究者が考えていたこと。GMやUSスチールのような組合を持つ企業の雇用システムが規範になるだろうなどという見方が全く誤りであったと指摘している(註1)。今日では「拮抗力」としての労働組合を支持する理論は信用されていない。リベラル派の学者が組合不在企業を社会に逆行するものとして扱ったことは大きな誤りであったとしています。
 すなわち合衆国では80年代、90年代に産業別組合や職業別組合が他国を上回るスピードで縮小に向かい、組合セクターの雇用システムから、非組合セクターや日本企業のような柔軟性に富む雇用システムに移行した。
 日本の有力企業の場合多くのケースではユニオンショップの組合が存在するとされております。しかし、日本の企業内組合は労使協調的で、米国の産業別組合のような厳格な職務統制、分業組織の硬直化にはいたらず、新技術導入と人員配置に経営者が強い権限をもっているため(この点では日本では公務員の組合のほうが悪質)、S.M.ジャコービィは内部市場類型論から日本企業の経営は米国の組合不在企業の企業文化に近いとみる見方をとっている(だからといって私は、ユニオンショップや企業内組合を支持するものでは全くないし、米国の産業別組合も大嫌いだが、日本の労働組合も全て大嫌いなのである)。もし1920年代にアメリカ産業に発達してきた会社組合、労働力配置の柔軟なアプローチ、雇用の安定化、福利厚生と諸給付の連鎖という「アメリカン・プラン」の構成は、もし大恐慌と産業別組合主義の台頭さえければ、アメリカは日本に類似した様相になったとされるのである(註2)。
 
 米国のもうひとつの特徴は、銀行や金融などホワイトカラーの組織化がされていないということである。このことはホワイトカラーの生産性にかかわる問題である。米国では1940年代に建設業、製造業、公共部門の運輸、エネルギー部門が組織労働者の80%を占め、最も組織化しやすい労働者の加入は40年代に終わっていた。
 労働組合運動の最盛期だった50年代前半でさえ、合衆国の組織率は35%にとどまり、コダック、シアーズ・ローバック、トムソン・プロダクツ、デルタエアラインズ、デュポン、IBMやほとんどの大銀行、大保険会社では、一人も組合に入ってない、もしくはごく一部の工場のみで組合を持つ態様を維持してきた。さらに、アメリカは南部をはじめとして組合嫌いの広大な後背地を有し、これらの地域への産業の流動が組合組織率を低下させる要因にもなった。
 GEは30年代初めにひどい解雇をしたため、気がつくと従業員の多くが全国組合を支持してしまい、表向き組合を受け容れざるを得なくなったが、戦後組合潰しに転じ、地理的拡散戦略をとったのだという。戦闘的な組合のある北東部の主力工場の雇用を1954年から64年にかけて60%減らし、ノースカロライナ、バージニア、インディアナ等へプラントを移し、組合がこれまで組織されなかった会社デュポン、イーライ・リリー、IBM、プロクター・ギャンブル、SCジョンソン、スタンダード・オイル等の経営手法にヒントを得るようになった。我々もよく知っている企業である。
 アメリカで1970年代に非組合セクターの評価が高まったのは、新規労働力の最良の部分を採用し、最新技術を活用し習得させることを楽にやってのけたからだという。
 組合セクターは厳格な職務統制、団体協約で定めた分業組織が硬直的で新技術を導入することができず、新技術導入と人員配置に経営者が強い権限をもっている日本企業の方が競争力で優位にあった。むろんアメリカの組合セクターのレイオフは利点はあったが、下方賃金の硬直性、労働過程における厳格な職務統制はレイオフができるメリットを相殺して余りあるものだった。
 それゆえ組合不在の新しい工場群が増殖した。これを「工場革命」と呼ぶ。ゼネラル・ミルズ、モービル・オイル、カミンズ・エンジンは部分的に組合のある企業だが、インテル、デジタル・エキップメント、テキサス・インスツルメント、サウスウェスト・エアライン、ウォルマートは完全に組合不在の新興企業であった。また、高学歴労働者は、非組合企業における個々人の賃率決定や実績評価を公正なものとみなし、標準賃率、共通規則、先任権を強調する組合を嫌ったのであり(註1)、非組合企業こそ現代社会にふさわしいものと認識されるようになった。アメリカの労働組合組織率は2000年に民間で9%、公共部門が37.5%にまで落ち込んだ。今日ではマイクロソフトやウォルマートにみられるように非組合型企業が主流になりつつあるとみてよいだろう。非組合企業こそ最も現代的で働きやすいというのが私の考えでもある。
 イギリスでは従来のショップスチュワードによる間接管理からヒューマンリソースマネージメントや目標面接等の直接管理が普及し、個別の業績評価が普及するようになり、能率がよくなったのはサッチャー及びメジャー政権下の労働改革で組合との交渉を使用者と任意とするなど一連の反組合政策(註3)で労働組合の力が弱体化した状況によるものである。
 だから、団体交渉だ団体協約だとかわめいている人はもう古いんですよ。結局組合の強い国や、労働者保護法制の硬直している国はダメになってますよ。コモンローの解雇自由原則が最善だと思います。解雇自由でも非組合企業は長期雇用・ノーレイオフを暗黙の了解としてきた。90年代以降業績の悪化などから大きなレイオフやリストラがありましたが、それでも従業員にフレンドリーな企業文化は非組合企業のものであり、労働組合の威嚇、威圧、職務統制がなくて働きやすいし、仕事を非能率にやれと統制のかかる職場より、やりがいがあるし働きやすいのであるから、非組合企業が最善と私は信じる。
 
(註1)S.M.ジャコービィ著 内田一秀訳『会社荘園制-アメリカ型ウェルフェア・キャピタリズムの軌跡』北海道大学図書刊行会 1999
(註2)S.M.ジャコービィ著 荒又重雄他訳『雇用官僚制』北海道大学図書刊行会 1989

(註3)山田省三「一九九〇初頭のイギリスにおける労使関係と労働法の動向」『労働法律旬報』1370号、1995
鈴木隆「イギリス労使関係改革立法と労働組合改革」『島大法学』39巻3号

2006/04/01

政労協議に反対-公務員に団体交渉権を与えるな(2)

 地方公務員の労働組合が悪質であることを理解していただくために、2003年9月から書いた、東京都水道局長宛の要望書(実際には出してない)の草稿がみつかってでてきたので、書きかけのものですが、個人名が出ていた部分をカットしそのまま掲載します。勤務時間内活動についてはその後ながら条例の改正で改善された面がありますが、解散命令を出さないことは以前と同じです。
 
川西正彦(平成18年4月1日)

東京都の労働組合活動及び庁舎管理等の方針に関する根本的な疑問

 まず、国の九段第二合同庁舎(東京法務局・麹町税務署・中央労働基準監督署・関東運輸局東京分室等のある)正面玄関自動扉前に設置されている2個にある立て札について述べます。仕事上法務局の窓口に屡々訪問したので立て札のことをよく覚えているからです。

庁舎構内において次の行為を禁止すると書かれています。
1、凶器・危険物の持ち込み。2、腕章・はちまき・ゼッケン・旗・幟・プラカード・拡声器の着用又は持ち込み。3集会・演説・座り込み、及びこれに類する示威行為の禁止。4、面会の強要、・文書の頒布その他管理を妨げる行為。
 要するに国は、組合活動とは名指ししていないものの庁舎構内での職場集会や示威行為は明確に禁止しているわけです。
 
 私が職場で何が不満かといえば不適切な組合活動の規制がなされていないこと、特に郵便局など国の政策と比較して40年以上のタイムラグがあること。これが職場における大きな不満の一つである。
 まず庁舎構内で行われている、3割動員、2割動員と称する勤務時間内職場集会である。平成14年春の支所統合反対闘争では、中央支所の庶務課倉庫前の来客用駐車場のスペースで午後2時より集会がなされていたが、赤旗が何枚も貼られていてビラが集会場所だけでなく、階段の側面にびっしり貼られて(立て看板は1ヶ月以上放置)、200人ぐらいの人が集まってやっていましたが、ここは駐車場だから、水道局だけでなく、都税事務所の来客も含め迷惑がかかり、明白に正常な業務を阻害するものといえる。
 次ぎに平成6年から6年間勤務していた江東営業所(東一支所)の事例です。正面玄関前にお立ち台が置かれそこで職場集会がなされるのですが、赤旗が3~4本掲揚され、ビラはドア、窓部分とエトランスの壁面にびっしり貼られ、万国旗式のビラが天井に吊られて、終了後は、シュプレヒコールしながら、庁舎内を練り歩く態様のものですが、たぶん郵政や国であれば昭和40年代で完全に規制されたようなスタイルの示威行為がなされていた。この態様は明らかに業務を阻害し、営業妨害といってもよい。業務手当闘争の際は立て看も正面玄関脇の植え込み前に置かれたが、中央支所と違っては放置せず、引っ込めさせていた。引っ込めては出すという繰り返しだった。
 中央支所、東一支所いずれも管理職はいっさい監視活動も、解散命令も発することがないのである。組合との間で監視活動、解散命令を発しないと言う協定がなされているのですか、又その理由を説明してほしい。当局は賃金カットとはしている。3割動員を2割にするとか動員の規模を小さくしており、規制強化の努力をしているとか言うのだが、賃金カットすればよいというものではない、それはノーワーク・ノーペイということであって、適正良好な職場環境を維持し企業秩序に定立するためには、解散命令を発し、処分しなければ論理的一貫性はないわけです。郵政とか国では1960年代からやっていることを東京都はやっていない。それが非常に不満であると第一に申し上げたい。
 しかし、水道局の庁舎で私が知るかぎりこのような立て札をみることができません。千代田営業所では駐車場に来客以外の駐車禁止といった立て札があるだけです。国のように集会・演説等を禁止するという立て札を置くべきである。そうしないのは労働組合の示威行為を認めたいということですか。この点で国と都では政策に明確な差があります、国でやっていることをなぜやらないのか説明してください。
 

 郵便局であれば、昭和36年7月に『新しい管理者』というテキストにより、管理職の労務管理訓練を実施して、かなり徹底した組合活動の規制を実施してきました。不適切な組合の既得権、職場慣行の破棄、オルグの入局禁止、庁舎内の集会制限・禁止、掲示物の記載内容の規制、リボン・腕章着用者の処分、職場段階の交渉申し入は労基法上の三六協定・二四協定以外は団交事項として拒否。抵抗の強い職場には監視班の送り込んで、外勤者については局外の行動に同行するなどの監視の強化が行われた(座談会「全逓4.28処分の本質と人事院公平審査制度の意義」『労働法律旬報』1027)。無許可職場集会は解散命令を出します。拡声器を使うこともあります。それで当然だと思います。その結果として、全逓の闘争至上主義的組合活動は是正されていったものと理解している。水道局はそれに比べると非常にぬる過ぎると思うわけです。
 中労委命令も勤務時間内集会や無許可集会などは基本的に認めなかったし、水道局ではあたりまえとされている組合本部役員によるオルグ活動についても、組合事務所の立ち入りはよくても、事務所に入室することは許されない。また専売など国営企業についてはILOのドライヤー報告を受けて勤務時間内活動やチェックオフについて規制が強化されたといわれている。それに比べると、東京都の場合は組合活動の規制がぬるすぎてひどいと思うわけです。
 例えば全運輸近畿支部事件(最高裁第二小法廷昭和60年11月8日、棄却『最高裁民事判例集』39巻7号1375頁)、これは、勤務時間に15分から20分程度食い込む庁舎構内における職場集会の事例ですが、当局は事前に警告書を交付し、当日は口頭もしくは文書の手交もしくはプラカードにより再三解散命令を発した。そして分会長クラスが、集会での挨拶もしくは交渉経過報告もしくは頑張ろうの音頭とりなどの行為のため懲戒処分に付されたものでかすが、解散命令は再三行うよう管理職に指示されており、全運輸では昭和47年頃からは庁舎構内での集会は行わなくなったとされています。実際、仕事で霞ヶ関を通過したさい、全財務の職場集会を横目でみたことがありますが、敷地外の歩道であった。つまり国の場合は庁舎構内での集会は認めてないのです。江東営業所のように正面玄関で来庁者の出入りする場所はむろんのこと、構内での職場集会はきちんと監視して拡声器やプラカードを使って解散命令を出すべきです。のみならず、ビラ貼りも勤務時間中に堂々と貼られているのを私はみました。現行犯で処分すべきです。立て看板も同様に撤去されるべきものが撤去されずに一ヶ月も放置しているわけです。撤去命令に従わなければ処分すべきなのにそういうことをなにもやってません。つまり、東京都は組合の示威行為や争議行為に本質的に好意的なのです、これが我慢ならない点であります。
 なぜ、争議行為である集会の場所を提供し監視活動や解散命令をしないのか、この点について組合とはどういう取引になっているかを説明してもらいたいわけです。組合との交渉でいわゆる勤務時間内の動員決起集会について組合から自発的に賃金カットを申し出ることにより、庁舎構内の集会を事実上許可し監視活動や解散命令はしないで黙認する、そういう取引になっているんですか。これでは多額の組合費を収奪している労働組合にとってこたえるものではないし、むしろ解散命令を出さず事実上黙認することにより、組合の組織強制、団結強制の一翼を当局が担っているとみるほかない。
 つまりこうです。いわゆる所長席前に陣取ってなされている勤務時間内事務室内報告集会を当局は容認しています。これも中央委員会報告、書記長会議報告、交渉経過報告、それいがいにも突発的に行われることがあります。賃金カットしているといいますが、分会長・書記長クラスが司会・報告するものですが、いっさい解散命令を発することがない。事実上容認です。そこで、毎年年中行事のように闘争スケジュール、戦術、具体的には何月何日に何割動員をとか、この間ステッカー闘争をするとか、重要な闘争では総力戦として立て看闘争なども発表される。重要な闘争では組合本部からオルグ演説があり、千代田営業所の場合は、港分会からも団結のための演説があります。スト権投票の呼びかけが繰り返しなされ、高率の批准で闘争の意思を表そうとか呼びかける。それ自体が争議行為をあおっているわけので違法行為だと思いますが、スト権投票場所の便宜供与も含めいっさい管理職は容認するわけです。そこで、分会長・書記長クラスから、闘争期間につき必ず一回は職場離脱して動員集会に参加するよう指示が出される、所長席前での呼びかけにも、これを管理職はいっさい解散命令をいっさい発出しない。
 団結権とか労働基本権というものをどう定義するかが問題になりますが、たぶん労働組合の論理では団結権というのは他人を威圧して犯罪的反社会的行為(労働契約に反する行為)を強要する権利という考え方なわけです。例えば労働組合員の倫理についてプロレーバー労働法学者で沼田稲次郎はこういうことを言っています〔出所不明になったが探し出すようにします〕。労働者は階級の下の集合人格であって、個別人格というものを認めない。したがって労使関係における個人の自己決定は許されないとするのである。労働組合がストライキを構えたら階級の下の集合人格として吸収されている個別労働者がストライキに参加するのは当然だとするわけであります。こうしたプロレーバー学者の考えをつきつめていくと、労働組合というのは政府、暴力団と同様に他人に特定の行為を強制力を有する権力だということになりますし、実際、団結権というのは、組合幹部が組合員を労働契約違反行為を強制する権利を憲法によって認められている権利なんだという考え方をとっているのだと思います。
 だから、スト権一票投票が批准されれば、これは労働組合は個別労働者にたいして、威嚇、威圧により強制力として現れることになり、動員指令は事実上の命令ということになります。
 動員指令を割り振る回状が勤務時間中にまわされ、署名やカンパもそうですが、勤務時間中になされている。勤務時間中動員指示を所長席前から公然と発出しているの黙認することは実質的に当局が争議行為を支援しているわけです。
 わたくしは、囚われの聴衆の状況で、むりやり組合の主張や争議行為の呼びかけ指示を聴かされるというのは、相当な威圧になっており、争議行為に巻きこまれるように仕向けられているわけであります。無理矢理職場集会に参加させられているようなもので、これを容認している当局は組織強制、団結強制の一翼を担っていると理解してよいわけです。
 これは適正な職場環境とはいえない。しかし、これまで私が管理職や課長補佐級の監督職員に呼びつけられたさい、いわゆる頭上報告容認の当局の方針について抗議したところ、業務阻害であり争議行為の支援だということを絶対認めない。
 演説者もこちらに集中してくださいと言い、職務に専念することを否定するわけですが、大声での組合役員の指示は相当な心理的威圧効果がある。アジ演説中にも当然顧客から電話がかかってくる。演説の騒音で電話相手の声が聞き取れない。組合がアジ演説してるので大きな声でお願いしますとはいいにくいので難儀するわけです。たんにそれだけでも正常な業務を阻害しているといえるが、例えば江東営業所では、工務係の工事審査のために業者が待機するソファに工事係の技術員が占拠して職場集会がなされていたから、この時間帯は工事審査がなされないということで、業務を阻害しているわけです。といっても管理職はそれはおまえの解釈で、当局は業務阻害とは考えてないとのことであった。

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