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2006/04/26

仁藤敦史『女帝の世紀』批判(1)

 古代史専攻の仁藤敦史国立歴史民俗博物館・総合研究大学院大学助教授の『女帝の世紀-皇位継承と政争』角川選書平成18年3月30日初版発行を購入しました。パラパラっと読んだだけですが、放置できない。著者の女帝論に全面的に反対するので、さしあたり目についた1点のみ批判しておきたいと思います。
 まず、112頁以下の養老継嗣令皇兄弟子条本注「凡そ皇の兄弟、皇子をば、皆親王と為よ〈女帝の子も亦同じ〉」の解釈ですが、この問題について私は1月3日ブログで次のように書いてます。
 
 継嗣令皇兄弟子条の本註〔女帝子亦同〕も例外的規定ですが既に高森明勅の反駁でも述べたとおり
  義解は「謂。拠嫁四世以上所生。何者。案下条。為五世王不得娶親王故也。」
 
 「女帝子」とは四世王以上との婚姻の結果、生んだ子である。その根拠は下条つまり継嗣令王娶親王条「凡王娶親王、臣娶五世王者聴。唯五世王。不得娶親王」である。これは諸王は(内)親王を娶ることができる。臣下は五世(女)王を娶ることを許すが、ただ五世女王のみ。
五世王は二世(女)王を娶ることができるが、(内)親王を娶ることはあってはならないという皇親女子の皇親内婚規定です。
 《赤字部分は原文から欠落していた》

 私は男帝優先原則ということもさかんに言ってきましたが、皇親内婚で男性皇親をさしおいて女性皇親が即位することは絶対ない。但し、御配偶の草壁皇子が早世し、所生の文武天皇も早世し、先帝生母が緊急避難的に即位した元明女帝のケースや、斉明女帝のよう既婚歴があって皇后となり、さらに御配偶の舒明崩後即位した例もあるから、女帝の子が必ず男帝の子とはいえない。その場合でも、上記内婚規定により、必ず女帝の子は天皇か親王か四世王までの皇親男子の子になるから、女帝の子が即位したとしたも男系継承原理から逸脱することは全く想定されてない。ということをこのブログを通じて述べてきたわけです。関連して高森明勅説批判の8月27日ブログ以下もみて下さい。
 

 ところが仁藤敦史は律令の公定注釈書である「義解」の解釈を、それは平安初期の解釈であるなどとして否定し、「単独の法意としては、必ずしも皇親男性との婚姻に限定されていなかったとも考えられる」と言うのである。さらに「男帝以外の男性と女帝の即位後(あるいは即位前)における婚姻および出産の可能性を視野に入れての立法であった」などととんでもない解釈を導きだし、高森明勅説をさらに進めたような女系原理を展開している。
 仁藤説は継嗣令第四条(王娶親王条)では違法なのに第一条(皇兄弟子条)本注の「単独の法意」は違法とはいわないから混乱してます。整合性を無視した歪めた解釈である。、皇兄弟子条本注を王娶親王条とセットで解釈している「義解」が正しいんじゃないですか。王娶親王条は女皇親(内親王以下四世女王まで)は臣下に降嫁するを得ずとし、且つ五世王は二世女王以下を娶り得れども内親王と婚することを禁じ、臣下の男はただ五世女王のみを娶り得ると定めている。王娶親王条により男系世襲原理から明確に逸脱しないことになっているんですよ。
 仁藤が皇太后としての女帝即位だけなら本注は不要だ。なぜならばその場合は女帝の子は男帝の子であるから親王であることに変わりないから、ゆえに本注は女帝が男帝以外との男性との即位後の婚姻・出産の可能性を視野に入れての立法などというのは何の根拠もないんです。例えば史実は持統-文武-元明の皇位継承順ですが、仮に持統が長命でなかったと想定します。草壁皇子も薨じた。この場合持統-元明-文武という継承順もありえないわけではない。天武皇子の皇位継承争いによる混乱を回避するため緊急避難的に皇太子妃が即位する想定です。このようなケースで本注が生きてくる。文武が即位以前に親王の処遇となるということです。だから仁藤説は論理的でもないです。本注は令制成立期の政治的状況から緊急避難的な女帝の即位を想定していた程度のことしかいえないと思います。
 今江広道(「八世紀における女王と臣下の婚姻に関する覚書」『日本史学論集』上巻所収 吉川弘文館1983)によると奈良時代は王娶親王条の令意が比較的よく守られていた。明確に令条に反し皇親女子が臣家に嫁した例としては、藤原仲麻呂の息男久須麻呂と舎人親王系の三世女王加須良女王の結婚である。天下の政柄を握った仲麻呂にとっては問題ではなかったのだろうが、違法婚といっても三世女王である。もっとも斉明女帝は令制概念で三世女王にあたるが、斉明が母方も皇親で純血種皇親であること。聖徳太子の世代が即位しなかったため、舒明天皇も二世王であることから皇極即位は違和感がないとしても、加須良女王の即位はまず想定できない。
 なお、参議藤原房前に嫁し、左大臣藤原永手、大納言藤原真楯の母牟漏女王は敏達五世孫か六世孫である。慶雲の格制で皇親の範囲を五世王に拡大したことにより解釈の仕方もあるが、明確に違法とみなすことはできない。いずれせよ牟漏女王が女帝として即位することは全く考えられないのであって、本注の解釈から、女系継承を正当化しようとするのはナンセンス。
 
 川西正彦

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