公務員に労働基本権付与絶対反対-政府は巨悪と手を結ぶな

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2006/04/02

政労協議に反対-公務員に団体交渉権を与えるな(3)

米国の公務員制度とその問題点
米国の有名企業の多くが組合不在型企業である

川西正彦(平成18年4月2日)

はじめに

 社会的正義とは何ですか。それは欲の深い人より、規範を重んじる人、勤勉な人にとって働きやすい社会であることです。悪事をあおり人に強要する労働団体は叩き斬るべきだというのが私の考え方です。社会的正義のために弾圧を躊躇すべきでない。
 政府だって勝手に市民に官製デモの動員を強要することは難しいんです。それやったら全体主義国家になる。学校教育を別問題として、基本的に政府は成人に対して良心に反する行為や社会規範に反する行為を強要することない。しかし労働組合は良心に反する行為を他人に強要します。かれらは他者を支配し違法団体行動を強要すること、組合費を収奪することが労働基本権と認識しているが、唯一、良心に反する行為を強制できる権力というのは組合だけなんです。一般社会ではピケ隊やパトロール隊のように通行を妨害されたり、罵声を集団で浴びせられるようなことはない。事務室内職場集会のように囚われの聴衆になってアジ演説や非組合員に対する攻撃を強制的にきかされることはない。私は駅頭の赤い羽根募金ですらうざいと思っているが、それは通り過ぎればすむことだ。客引きに強引に引っ張られた経験もない。そういう場所に行かなければよいだけ。町中では職場のように人に威圧、威嚇されたり、なじられたり、罵声を浴びせられることはない。街中のほうがよっぽど安全なのであって、逆に職場では規律ある秩序の保持と静穏な環境で職務に集中する環境は否定されるのである。強制的に大声をきかされるというやりかたは、耐え難いものである。これこそ敵対的・不愉快な職場環境である。
 労働組合は他者に倫理・規範に反する行動を強要し(パトロールによる威嚇、職場離脱の強要、勤務時間内職場集会への動員指令 少なくとも東京都水道局は勤務時間内庁舎敷地内あるいは事務所内の集会、組織活動、スト権投票、ストライキ、違法集会動員の呼びかけや指図に解散命令・就業命令を発出しないし監視も怠っている。ゼッケン、はちまき、拡声器、幟、組合旗等の持ち込みを実質的に規制しないので、実質的に当局が違法組合活動を助長し労働組合に権力を与えている)、高額の組合費を収奪する権力が与えられている。

 わたしはいわゆる「暴力団」より労働組合のほうがよっぽど悪だと思ってます。みかじめ料といった社会的慣行の是非について私はよく知らないので踏み込みませんが、仮にみかじめ料は慣行として認める立場をとるとしても、私は労働組合の団結強制と収奪は認めません。巨悪と手を結び、公務員に労働基本権を付与しようとしている政府の政策に強く反対します。

前々回の補足
 

 マッカーサー書簡発出による政策転換で、政府部内で強い抵抗があったにもかかわらず人事院(旧臨時人事委員会)は権限を強化された。総理府から内閣の所管に移した。他の政府機関がこの分野に介入させないようにした。国家公務員法の運用は、人事院と「任命権者」によって行われる仕組みになった。産みの親はB・フーバー(民政局公務員課長兼民政局長のスペシャルアシスタント兼総司令官のアドバイザー)であり、かれはアメリカ有数の人事行政のエキスパートという自負があり、人事権をもって「四権分立」とみなすほど、本国の制度以上に理想的なものをこしらえようという情熱、かれの態度の厳しさとキャラクター、マッカーサーの支持がものをいって強行されたという見方ができる。かれが指揮した公務員課は臨時人事委員会に非常な指導力を発揮し百円以上の物品購入にも承認を受けさせるような微に入り細をうがった指導をしていた。
 そもそもペンドルトン法で中央人事行政機関を設けた主要な眼目は猟官制(スポイルズシステム)の弊害を除去し行政腐敗を正すことにあった。それは米国が官僚制度の後進国であったためである。政党のボスによる縁故採用や無能職員の昇任とか政党主導による恣意的な人事をなくすため、独立した行政機関で公正な競争試験を実施し、成績主義を徹底し、行政のエキスパートをつくることだった。
 米国の判例理論に特権説というのがあって、公務員として雇傭されることは政府による恩恵であり特権であって権利ではない。政府による恩恵であって権利としての性格は有していないのである。つまり政策として行政法上の保護がされてるだけであって本質的にはコモンロー上の解雇自由原則と同じことであり、民間の被用者と本質的には変わらないのだと思う。公務員の行政法上の保護といったいわゆる身分保障というのは、あくまでも政策的なものである。
 フーバー自身が代償という言葉を新聞記者会見で口に出していることは事実ですが、論理的には間違ってます。米国ではワグナー法以前よりずっと以前に中央人事行政機関が存在していた、連邦公務員に限定的な団交が認められるようになったのはケネディ政権以降である。代償措置とする見方は人事院の組織防衛のための論理、もしくは人事院勧告の完全実施を迫るための方便であって、本質的に論理的には誤りであるということは重要な論点になるので後日歴史的経緯も含め述べたいと思います。

 
米国の公務員制度と問題点

 (1)米国の120年の近代的公務員制度はオーバーホールの時期に

 公務員制度における比較法制的観点から合衆国の連邦公務員制度と州公務員制度について簡単に述べます。 ルーズベルト大統領の書簡にもみられるように米国では伝統的に団体交渉およびストライキに対して否定的な考えが強く、裁判所は、コモンローにより公務員の団体交渉およびストライキを一貫して否定してきた。
 1940年代後半の多数の判決においては、公務員の賃金その他の勤務条件決定権限が立法機関にある以上、行政機関たる政府使用者は公務員と右事項につき団体交渉権をなす権限も義務もなく、締結された協約はいかなる意味でも法的拘束力をもたないと宣言され、公務員のストライキは、公僕たる公務員の主権者に対する叛逆として違法と取り扱われてきた。
 「主権理論」(統治論)とは、公務員の使用者は主権者たる全人民であり、公務員の勤務条件の決定は人民を代表する立法機関によってなされるべきとするもので、わが国の司法でもこの趣旨は採用され、全農林警職法事件最高裁判決で「公務員は……国民の信託に基づいて国政を担当する政府により任命されたものであり、その使用者は国民全体であり、公務員の労働提供業務は国民全体に対して負うのである」と判示している。従ってアメリカでは伝統的に勤務条件法定主義であった。
 州や自治体のなかには公務員の団結権を認める立法を持つものもあったが、交渉の多くは書面交渉を伴わず、集団陳情の域にとどまっていた。
   ところが1960年代AFL・CIO系を中心とする各種公務員組合による団交獲得 の運動が活発に展開され、この動きはウィスコンシン州の自治体雇用関係法の制定に開始したが、とくに1962年のケネディによる大統領命令10988号の制定(連邦被用者に一定の団交権を初めて保障)によりし、一部の州や自治体で団結権・団体交渉権(協議権)を保障する立法が相次いで制定されていくようになった。
 わたしはケネディ政権が一定の範囲で団交を求める政策が根本的に間違っていたと考える。だから私はケネディが嫌いです。
 1970年の郵便ストを契機としてニクソンが独立の公社の設立と完全な団体交渉制度保障を定めた郵便再組織法が制定された。
 1978年カーター政権での連邦公務員改革では、団結権と団体交渉権を定め、ストライキの参加や主張は欠格事項に該当し解雇される。ただし団体交渉範囲がきわめて限定されており、給与は法定主義が維持されており、民間企業との均衡達成は大統領の手に委ねられている。団体交渉になりえない事項として行政庁の任務、予算、組織、被用者数および機密保持措置を決定する権限、関係法令に従って被用者を採用し、配置し、指揮し、解雇し、または官職に留める、懲戒処分する権限、仕事を割り当てたり、下請けに出す権限、官職を補充するにつき人員を選定し任命する権限などがあり、なんらかの組織単位、作業プロジェクトまたは勤務割に割当てられる被用者の数、種類、等級、官職、および作業遂行の技術、方法または手段などは、当局の選択により交渉事項となしうるとされている。
 私が特に疑問に思うのは、連邦調停和解庁および連邦公務紛争解決委員会が設置され、協約上に強制仲裁を含む苦情処理手続を規定することが義務づけられ、従来排除されていた「勤務成績を理由とする解雇、免職、給与低下、休職、停職や昇進の遅れ、人員削減などが対象となっているらしい。この制度は組合に発言権を認めたことにより、連邦公務員改革は意図のとおり進まず、硬直したものになったのではないかということである。

 そこであらためて、米国連邦公務員制度の沿革を述べると、近代連邦公務員法制の基本法とされる1883年のペンドルトン法では、猟官制(スポイルズシステム)のもたらした政治・行政腐敗への改革と公職への情実任用の排除を課題として、独立行政機関として連邦公務員人事委員会(わが国の人事院のモデル)を創設し任用過程におけるメリット(資格)原則の採用-公開・競争試験制-一定の身分保障によって、職業的な行政公務員の創出・確保をめざし、1923年の職階法の制定を経て行政目的を能率と効率に求め、行政過程における労働=職務の技術的類型化である職階制にもとづいて、比較相対的な資格ないし実績を判定し、これを公務員の編成、規律の原理とした。
 行政機構の肥大・多様化によりメリット・システムは形骸化し、無能職員が解雇されないなどの世論の批判を受けて、1978年カーターは「廉潔で効率的な連邦政府」を求めてペンドルトン法以来の改革立法を成立させた。連邦公務員人事委員会は、人事管理庁とメリット・システム保護委員会とに分割され、能力と実績のみによる待遇というメリットシステムの原点に立ち返ろうとしたものである。
 7万人の中間管理職クラスに能力給が適用され、従来の定期昇給と官民格差を是正するための昇給ベースアップという自動昇給システムからはずされた。
 従来、成績不良者に対する降格や免職と勤務評定との関連が明確でなく、統一的基準規定がなく、メリットシステムが形骸化していた状況を改め、勤務評定・不利益処分・不服申立てを関連つけた制度整備が実施された。メリット・システム保護委員会というのがある。
 これは人事院公平局を独立させたような組織だが、任期7年の三名の委員と任期5年の法律専門家たる特別顧問により構成される。メリット・システムの原則を実現するための法律等による違反行為の有無を監視し、違反行為に対する不服申立てなどについて審査決定し、人事管理庁の制定する規則や細則の審査もできる。
 人事委員会を分割してこの組織を設けた眼目が、勤務成績不良者の降任、免職を容易にすることにあった。すなわち、成績不良職員は、自己改善のための援助を与えられることにはなっているものの、90日前の通告が必要だった免職等が、30日前の通告となり、不服申し立ての手続きは迅速化するということだったが、この制度でも硬直的と批判されている。また連邦調停和解庁および連邦公務紛争解決委員会が設置され、協約上に強制仲裁を含む苦情処理手続を規定することが義務づけられ、従来排除されていた「勤務成績を理由とする解雇、免職、給与低下、休職、停職や昇進の遅れ、人員削減などが対象となっているらしい。この制度は望ましくない。勤務成績を理由とする解雇に組合が口を出せる制度をつくったために、一層硬直したものになったという見方ができる。
 米国では、日本国憲法28条のように労働基本権を憲法で保障しているわけでもないし、もともと犯罪であったものを大恐慌と産業別組合の台頭によって産業平和の確立のために悪も是認するという社会経済政策として制定法により是認しているだけであり、それは正義ではない。私はコモンローも生ける法なのであり、制定法を潰せば生き返る性格のものと理解している。だから制定法なんていうものはあくまでも価値相対的なものとしか認識していない。しかも連邦公務員について団体交渉の政策の展開をみたのは60年代以降です。団体交渉は全く政策問題である。
 だから2002年11月の国土安全保障省創設にあたって大統領は、国土安全保障省の労働者の採用、解雇、異動について大きな権限を持つことになったが、この時も同省職員の行政法上の保護を剥奪しようとするブッシュの政策に労組は反発したが、民主党のプロレーバー議員への働きかけや、メールの大量送付などの反対運動であって、政労協議などしていない。また2002年ブッシュは連邦公務員業務の50%にあたる85万人を、競争入札により民間委託化させるという提案もぶちあげ、これは後に規模が縮小されたようだが、だからといって政労協議するわけではない。
 レーガン大統領が1981年にストを起こしていた航空管制官を1万人も一気に解雇したことがあるが、ILOが文句をいってもどうということはないのである。吉崎達彦の溜池通信July 23, 2004の記事によると当時の米国では失業率が高い中で「そんな贅沢なことを言っている人たちは許せない」という声が多く、世論はレーガン政権側を支持したのだという。
  アメリカでは国土安全省で実質的に団体交渉権を剥奪したとされている。これはテロ対策という名目で、トータルな改革とはいえない。しかしブッシュの助言者であるブルッキングス研究所のポール・ライトは「これが第二次世界大戦後、行政部法の最も重要な変化の最先端であると言うことはより正直でしょう。誰もそれを言っていません。」と述べており、その後の国防省の改革もあるが、潮流は公務員制度のトータルの見直しにある。その場合、解雇、昇進、配置転換を柔軟にして団体交渉権を排除する方向性での改革である。
 
 国土安全保障省と団体交渉権問題など
http://www.jil.go.jp/jil/kaigaitopic/2003_02/americaP01.html
http://www.govexec.com/dailyfed/1102/111202p1.htm
http://www.govexec.com/dailyfed/1102/112202b1.htm
http://www.usatoday.com/news/washington/2002-09-12-homeland_x.htm
http://www.csmonitor.com/2002/0905/p10s02-comv.html
http://www.brookings.edu/views/op-ed/light/20030509.htm
 連邦公務員の仕事の外注化
http://www.csmonitor.com/2002/1202/p16s02-wmgn.html
http://www.govexec.com/dailyfed/1202/120302p1.htm

連邦公務員制度について主要引用文献
菅野和夫「公務員団体交渉の法律政策」アメリカ(一)」『法学協会雑誌』98巻1号 1981
大久保史郎「アメリカ公務員制度改革改革詳論」『立命館法学』150-154号、1980
大河内繁男「アメリカにおける公務員制度の改革」『公企労研究』42号、1980
『欧米国家公務員制度の概要』財団法人社会経済生産性本部・生産性労働情報センター、1997

(2)団体交渉否認-勤務条件法定主義の州も少なくないし、団体協約には強い批判がある

 一方、州公務員については、反労働組合的気風の南部の各州のように勤務条件法定主義を墨守し団体交渉を制度化してない州も少なくない。ノースカロライナ、サウスカロライナ、ウェストバージニア、ルイジアナ、ミシシッピ、アーカンソー、コロラド州は全ての公務員がそうであり、消防士のみ団交立法を設けているのがジョージア、アラバマ、ユタ、ワイオミング州、消防士と警官のみ団交を認めるテキサス、ケンタッキー州、教員のみ団交を認めるノースダコタ、メリーランド州、教員と消防士のみ認めるアイダホ州、ネバダ州は州被用者のみ団交を認めてない(菅野和夫「公務員団体交渉の法律政策」アメリカ(一)」『法学協会雑誌』98巻1号 1981参照)。
 なお、上記の州においても任意的で法的拘束力のない団体交渉を認めている州がありますが、ノースカロライナ州は徹底していて、州、自治体政府と組合の全ての協定は州の公の政策に反し無効であり違反者の処罰を州法で定めている。もっとも州従業員協会というのがありますがもっぱら州議員への陳情である。むろん自由勤労権州であり、労働組織率4.46%(最新のデータではない)に示される独立心の強い労働力で国の内外に知られています。そういうことで組合嫌いの私としては同州に関心があるし、たまにローカル新聞をみますが、ウィンストンセーラムがデルのパソコン工場誘致に成功したニュースをみて自分のことのように嬉しく思いました。
 もちろんカロライナも産業構造上大きな問題をかかえている。90年代後半頃から繊維織物や家具産業が工場の外国移転、輸入製品におされて厳しい状況が伝えられており、とても気になっていた。2003年7月にカナポリスにあるピローテックスのタオル工場が閉鎖となり4500人が一挙に失職しました。http://blog.goo.ne.jp/old-dreamer/m/200504この工場は1999年に組合が組織されていましたhttp://www.jil.go.jp/kaigaitopic/1999_09/americaP03.htmが、カロライナでは異例とされている。もっとも繊維産業はリストラで収益は改善されているというニュースも読んでます。基本的には南北カロライナなど保守的な南部は組合嫌いの風土にある。勤勉に働く精神、公立学校でクリスマスを祝うのはカロライナだけといわれています。シャーロットはバンクオブアメリカやワコビアの本拠地がありニューヨークに次ぐ金融都市に成長したし、ハイテクも進展しており、繊維産業の雇傭の減少はやむをえないのであって全体としては悪くないと思ってます。
 
 私は組合の言い分をきいたケネディの政策を嫌悪する。純政策的には公務員の勤務条件法定主義墨守が最善。職員団体は陳情団体のひとつとして議員を通じて賃上げなどを陳情することを認めるだけでもよかったのである。なお、2000年頃に始まった景気後退期に各州の財政が厳しくなった。このなかでコネチカット州のローランド前知事(共和党)が、組合との対決路線をとり州公務員の千人以上の解雇を方針としていた。しかしローランド知事が辞職したのはとても残念です。その他の州でも州公務員解雇のニュースはみています。ローカルニュースなので詳しい分析をしていないが、そういう政策も十分ありうるということである。
 米国では公務員の団体交渉やストライキについては次のように強い批判があるのである。菅野和夫「外国における公共部門の争議と争議権Ⅷアメリカ」 兵藤釗編集代表『公共部門の争議権』 東京大学出版会1977に依存するが重要な論点なので言及しておく。
 第一に、1969年のウェリントン・ウィンター論文によって詳密化された「政治過程歪曲論」である。
 この説では公的雇用の団体交渉では利潤追求という企業目的による基本的枠(抑制)が存在せず、また過度の賃上げが需要の減少(ひいては雇用の減少)を招くという市場の抑制力も欠如するという「歯止めの欠如」論及び、公務員のストライキは代替性のない重要なサービスを中断させることにより、当局、住民にコストを無視した解決を強要する強力な武器となるとの「力のアンバランス」論を展開し、公務員の勤務条件の決定は、予算配分や行政内容決定に関する主権者たる住民の意思を尊重して行われるべき民主的政治過程であって、公務員のスト権はこの過程における単なる一利益グループに過度に強大な力を与えて政治過程の正常な姿を歪曲するとの主張を行った。
 ウェリントン・ウィンター論文はわが国の司法にも影響を及ぼした。全農林警職法最高裁判決では「一般の私企業においてはおいては、その提供する製品又は役務に対する需要につき、市場からの圧力を受けざるをえない関係上、争議行為に対しても、いわゆる市場の抑制力が働くことを必然とするのに反し、公務員の場合には、そのようなそのような市場の機能が作用する余地はないため……一方的に強力な圧力となり、その面からみも勤務条件決定の手続をゆがめることになり勤務条件決定の手続をゆがめることにもなるのである」と判示している。
 第二に70年代後半から始まった「納税者の叛乱」である。政府支出の膨張と租税負担の増大に業を煮やした住民が、財産税の税率や財産評価額に上限を設けたり、地方政府の歳出の増加率を一定限度内に押さえたりするする州憲法の修正運動が相当州で成功した。納税者の強硬姿勢は、公務員の団体交渉制度にも向けられ、成立した協定の住民投票による否決、当局による労働協約の不履行、仲裁裁定の不実施などの現象が顕著にみられた(菅野和夫「公務員団体交渉の法律政策」アメリカ(一)」『法学協会雑誌』98巻1号 1981)。なお、最近のニュースでニューヨークの地下鉄ストの批判もあるので、これらについては後日とりあげていきたい。
   

その他参考文献(私はコピー等を所持しているが、分析に着手していないものも含む)
レスリー・L・ダグラス 岸井貞男監修訳 『アメリカ労使関係法』信山社1999、菅野和夫「アメリカにおける公務員スト問題とその法規制(1)~(4)完」『ジュリスト』631、632、633、635号 1977。桑原昌宏「アメリカの公務員ストに関する州最高裁判決 上下 労働法律旬報1313,1314 1993。桑原昌宏「公務員スト権をめぐる日本最高裁判決とカリフォルニア最高裁判決の理論的比較」労働法律旬報1314 1993-6。神代和欣「アメリカ連邦公務員の新給与制度」『公労委季報』10号。菅野和夫「外国における公共部門の争議と争議権Ⅷアメリカ」兵藤釗編集代表『公共部門の争議権』東京大
学出版会1977。「1988年連邦公務員休暇融通法」外国法28-6 1989。内藤恵「アメリカにおける雇用契約理論と解雇法理におけるパブリック・ポリシー」季刊労働法146 1988。内藤恵「アメリカにおける解雇法理の基礎構造」慶應義塾大学法学研究科論文25号。内藤恵「アメリカ雇用契約における誠意義務」法学研究 慶大 63-12 1990。佐藤敬二 アメリカにおける公務員の争議権保障1980年代の展開 季刊労働法153 1989。竹地潔「アメリカ契約法における解約自由の原則の形成と修正」中大院研究年報21。加藤孝一「スト条項の削られるまで」(上・中・下の1・下の2)自治研究52-1、3,4,5 1976

 米国の有名企業の多くが組合不在型企業である

 ここで、公務員制度とはなれて民間企業における労働問題、私の米国の企業経営に関する関心を述べておきます。そもそもアメリカは反組合的な土壌にあり、コモンローの共謀法理により団結やストライキは犯罪であった。はっきり言っておくが、団結とストライキは本質的に犯罪である。しかし次第に刑事共謀法理が下火となり、民事共謀法理によって規律された。エクイティ上のインジャンクションよって使用者は救済されるのであり、1890年代から1920年代にかけてさかんに利用された。1920年代のデトロイトにしても健全なオープンショップの都市であり、自動車産業は組合の組織化を抑止していたのである。
  ところが、大恐慌と産業別組合の台頭によりこの国はおかしくなってしまった。1932年のノリス・ラガーディア法によりレイバーインジャンクションの濫発が抑止され、1935年ワグナー法により団結権等が明確に規定され、団体交渉の普及による産業平和の確立という誤った政策を国策にしてしまったのである。
 しかし1946年に大規模なストライキが続いたこともあり、世論の大勢を味方として、共和党が大勝し、1947年に労働組合の力の濫用を抑止するタフト・ハートレー法がトルーマンの拒否権発動を覆して成立したこと。全国労働関係局も保守化したことにより、まずは無難な在り方に回復することはできた。
 重要な歴史認識として述べますが、大恐慌と産業別組合の台頭による、1930年代のワグナー法等の労働立法、ニューディール政策は決して労働組合の不動の完全な勝利ではなかったということです。それは米国社会の基盤の健全さを示しています。
 S.M.ジャコービィの著作を読みましたが、米国における労働組合不在企業の意義にについて、シアーズ・ローバック、コダック、IBMという代表的な組合不在企業文化にの意義について肯定的に論じてます。例えば大規模小売店シアーズのジェイムス・ワーシィの考えによれば、人事担当者の管理者は「参加、人間の尊厳、および意見を述べる自由といった」従業員の「諸権利」の庇護者たらねばならない。つまり企業経営における従業員尊重という理念は非組合セクターのものである。コダックも代表的な組合不在企業ですが提案制度やオープンドア-という非組合企業が採用している制度や先進的な福祉給付、1年間に2週間の休暇などの従業員政策などにより組合の組織化を阻止してきたとしています。コダックの社風が典型ですが、ジャコービィはウェルフェアキャピタリズムと言っています(こうした企業にも従業員組織はあるだろうが、産業別組合の組織化を抑止している企業を非組合企業とする)。米国には組合嫌いの企業、風土が根強くあるわけで私にとってはとても参考になったので長文になりますが、要旨を述べたいと思います。
 S.M.ジャコービィによると1960年代にアメリカの労使関係論の研究者が考えていたこと。GMやUSスチールのような組合を持つ企業の雇用システムが規範になるだろうなどという見方が全く誤りであったと指摘している(註1)。今日では「拮抗力」としての労働組合を支持する理論は信用されていない。リベラル派の学者が組合不在企業を社会に逆行するものとして扱ったことは大きな誤りであったとしています。
 すなわち合衆国では80年代、90年代に産業別組合や職業別組合が他国を上回るスピードで縮小に向かい、組合セクターの雇用システムから、非組合セクターや日本企業のような柔軟性に富む雇用システムに移行した。
 日本の有力企業の場合多くのケースではユニオンショップの組合が存在するとされております。しかし、日本の企業内組合は労使協調的で、米国の産業別組合のような厳格な職務統制、分業組織の硬直化にはいたらず、新技術導入と人員配置に経営者が強い権限をもっているため(この点では日本では公務員の組合のほうが悪質)、S.M.ジャコービィは内部市場類型論から日本企業の経営は米国の組合不在企業の企業文化に近いとみる見方をとっている(だからといって私は、ユニオンショップや企業内組合を支持するものでは全くないし、米国の産業別組合も大嫌いだが、日本の労働組合も全て大嫌いなのである)。もし1920年代にアメリカ産業に発達してきた会社組合、労働力配置の柔軟なアプローチ、雇用の安定化、福利厚生と諸給付の連鎖という「アメリカン・プラン」の構成は、もし大恐慌と産業別組合主義の台頭さえければ、アメリカは日本に類似した様相になったとされるのである(註2)。
 
 米国のもうひとつの特徴は、銀行や金融などホワイトカラーの組織化がされていないということである。このことはホワイトカラーの生産性にかかわる問題である。米国では1940年代に建設業、製造業、公共部門の運輸、エネルギー部門が組織労働者の80%を占め、最も組織化しやすい労働者の加入は40年代に終わっていた。
 労働組合運動の最盛期だった50年代前半でさえ、合衆国の組織率は35%にとどまり、コダック、シアーズ・ローバック、トムソン・プロダクツ、デルタエアラインズ、デュポン、IBMやほとんどの大銀行、大保険会社では、一人も組合に入ってない、もしくはごく一部の工場のみで組合を持つ態様を維持してきた。さらに、アメリカは南部をはじめとして組合嫌いの広大な後背地を有し、これらの地域への産業の流動が組合組織率を低下させる要因にもなった。
 GEは30年代初めにひどい解雇をしたため、気がつくと従業員の多くが全国組合を支持してしまい、表向き組合を受け容れざるを得なくなったが、戦後組合潰しに転じ、地理的拡散戦略をとったのだという。戦闘的な組合のある北東部の主力工場の雇用を1954年から64年にかけて60%減らし、ノースカロライナ、バージニア、インディアナ等へプラントを移し、組合がこれまで組織されなかった会社デュポン、イーライ・リリー、IBM、プロクター・ギャンブル、SCジョンソン、スタンダード・オイル等の経営手法にヒントを得るようになった。我々もよく知っている企業である。
 アメリカで1970年代に非組合セクターの評価が高まったのは、新規労働力の最良の部分を採用し、最新技術を活用し習得させることを楽にやってのけたからだという。
 組合セクターは厳格な職務統制、団体協約で定めた分業組織が硬直的で新技術を導入することができず、新技術導入と人員配置に経営者が強い権限をもっている日本企業の方が競争力で優位にあった。むろんアメリカの組合セクターのレイオフは利点はあったが、下方賃金の硬直性、労働過程における厳格な職務統制はレイオフができるメリットを相殺して余りあるものだった。
 それゆえ組合不在の新しい工場群が増殖した。これを「工場革命」と呼ぶ。ゼネラル・ミルズ、モービル・オイル、カミンズ・エンジンは部分的に組合のある企業だが、インテル、デジタル・エキップメント、テキサス・インスツルメント、サウスウェスト・エアライン、ウォルマートは完全に組合不在の新興企業であった。また、高学歴労働者は、非組合企業における個々人の賃率決定や実績評価を公正なものとみなし、標準賃率、共通規則、先任権を強調する組合を嫌ったのであり(註1)、非組合企業こそ現代社会にふさわしいものと認識されるようになった。アメリカの労働組合組織率は2000年に民間で9%、公共部門が37.5%にまで落ち込んだ。今日ではマイクロソフトやウォルマートにみられるように非組合型企業が主流になりつつあるとみてよいだろう。非組合企業こそ最も現代的で働きやすいというのが私の考えでもある。
 イギリスでは従来のショップスチュワードによる間接管理からヒューマンリソースマネージメントや目標面接等の直接管理が普及し、個別の業績評価が普及するようになり、能率がよくなったのはサッチャー及びメジャー政権下の労働改革で組合との交渉を使用者と任意とするなど一連の反組合政策(註3)で労働組合の力が弱体化した状況によるものである。
 だから、団体交渉だ団体協約だとかわめいている人はもう古いんですよ。結局組合の強い国や、労働者保護法制の硬直している国はダメになってますよ。コモンローの解雇自由原則が最善だと思います。解雇自由でも非組合企業は長期雇用・ノーレイオフを暗黙の了解としてきた。90年代以降業績の悪化などから大きなレイオフやリストラがありましたが、それでも従業員にフレンドリーな企業文化は非組合企業のものであり、労働組合の威嚇、威圧、職務統制がなくて働きやすいし、仕事を非能率にやれと統制のかかる職場より、やりがいがあるし働きやすいのであるから、非組合企業が最善と私は信じる。
 
(註1)S.M.ジャコービィ著 内田一秀訳『会社荘園制-アメリカ型ウェルフェア・キャピタリズムの軌跡』北海道大学図書刊行会 1999
(註2)S.M.ジャコービィ著 荒又重雄他訳『雇用官僚制』北海道大学図書刊行会 1989

(註3)山田省三「一九九〇初頭のイギリスにおける労使関係と労働法の動向」『労働法律旬報』1370号、1995
鈴木隆「イギリス労使関係改革立法と労働組合改革」『島大法学』39巻3号

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いやはやよくわかりました。
お宅が、資本や保守ブルジョアに気に入られる言説を書き連ねて、その分け前に預かっていることはよくわかりました。

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