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2006/05/05

仁藤敦史『女帝の世紀』批判(3)

承前
 仁藤敦史によれば、孝謙女帝には「直系として配偶者との関係によって連続していく可能性が残されていた」とされ「聖武が遺詔として新田部親王系の道祖王を立てたのも、孝謙の配偶者としての立場を考慮していた」と言います。
 道祖王が立太子した時点(天平勝宝八年)の年齢については渡辺晃宏(『日本の歴史04巻平城京と木簡の世紀』講談社2001年281頁)は少なくとも40歳としています。
 阿倍内親王(孝謙・称徳)は21歳で立太子、32歳で即位していますが、道祖王立太子の時点で孝謙女帝は39歳です。もし皇太子の道祖王が配偶者として想定されていたとしても婚期としては遅いと思います。
 他の皇位継承候補者の年齢もみていきます。天平勝宝九年道祖王廃太子後の皇嗣策定会議で、出席した貴族から推薦された皇位継承候補者ですが、まず塩焼王(父新田部親王、聖武皇女不破内親王の夫)は当時推定45歳、池田王(父舎人親王)は43歳、船王(父舎人親王)は51歳。これらの候補者を退けて皇太子に立てられた大炊王(のち淳仁天皇-父舎人親王)は25歳ということです(渡辺前掲書282頁)。
 仁藤によると女帝は不婚を強制されていたのではない「即位後(あるいは即位前)における婚姻および出産の可能性」があり「つまり女帝は婚姻により新たな女系を創出できる」と言います。だとするならば15歳年下の大炊王を別にして、塩焼王・道祖王・池田王・船王は阿倍内親王(孝謙)の結婚相手として年齢的には釣り合いがとれていると思います。
 しかし、女帝即位は不婚が前提であるからこそ、これらの皇親との結婚はなかったというのが常識的な見方です。もし配偶者も妊娠も可ということなら、もっと早い時期に天武系皇親と結婚してますよ。
 皇嗣策定会議で孝謙女帝の裁定はこうでした。「皇太子は皇族の長老格であった舎人・新田部両親王の子から選ぼうとして先に(新田部親王の子の)道祖王を皇太子に立てたけれども、私の命に従わず淫らな行い〔孝謙の侍童と密通していたらしい〕が収まらない。そこで今度は舎人親王の子から皇太子を選ぼうと思う‥‥」(渡辺前掲書より引用)と発言し、池田王、船王、塩焼王について資質においてそれぞれ難色を示したうえ、若いが悪い風評のない大炊王を皇太子としたいと裁定しています。

 消去法による選定ですが、孝謙女帝が禁欲的でないとしてもこれが配偶者選びであるはずがありません。

 もし配偶者選びだとしたら、不破内親王(母は県犬養広刀自、孝謙の異母妹)を妻としている塩焼王を藤原豊成、藤原永手という常識的な政治家が推薦していますが、 仁藤敦史の擬制的婚姻関係説をあてはめると、もし塩焼王が即位すると孝謙と不破内親王の二方が皇后格となるということですか。そんなばかなことはありえません。皇嗣策定会議に呼ばれた有力貴族はあくまでも非婚独身女帝を前提として次の皇位継承者を推薦しているのだと思います。

川西正彦

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