公務員に労働基本権付与絶対反対-政府は巨悪と手を結ぶな

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2006年7月の2件の記事

2006/07/23

鈴香事件に思う

 事情があって暫く更新がとだえてしまい、このためにランキングが落下してしまいました。このままだとランク外になりかねないので書きました。ブログをつくった理由の一つは、たまっているものを吐き出す精神衛生的なものでした。そこで方針を少し変えたいと思います。タイトルを「公共政策研究」としたためにきばりすぎていた。これからは気楽にばかばかしい雑感的なものも書いて行きたいと思います。
 政治・社会的なテーマでは、公務員の労働基本権付与反対、ホワイトカラー裁量労働制(時間外手当除外)全面支持など労働契約関係立法問題(法改正の方向が労組や従業員代表制(必要ないと思う)の集団的労働関係によって個別労働者の適用の可否が決められてしまうことに強い不満があるだけでなく、そもそも労働基準法それ自体不合理であり、少なくともオーバータイム法制は低賃金低所得者に苛酷な長時間労働を強いることを防止する立法趣旨に限定することを徹底して、一定の収入たとえば600万以上は時間外手当適用除外にするようでなければだめ。生産性の低いホワイトカラーはもっと長時間労働すべきなのに、少子化対策とのからみで時間外手当を増やすなんてもってのほか)。ウォルマート絶対支持論、少子化政策批判、皇室典範問題をやっていきたいと思ってます。
 そこで本題ですが、秋田の能代のような地方の事件のわりには東京のキー局のリポーターが現場実況したり、専門家も現場検証して凄いなあと思ってるんですが、犯罪心理学者のコメントを拝聴しなくても、私の一目みた勘では鈴香被告は悪女じゃない。ワイドショーをみた感じでは娘より母が美人だなと思う程度のことで子供に同情しません。むしろ鈴香被告がマスメディアに「鬼母」よばわりされるのが気の毒だ。そういう人もいるでしょうよ、それがどうしたと思うくらいです。悪女というのは、上品ぶってて実はおそろしく下品な女とかですよ。むしろ生活保護世帯でガス契約もしていないという侘びしい生活で鈴香被告に同情します。大人のおもちゃを所持して何が悪いんだ。米国の保守的な州では大人のおもちゃを規制しているところもあるようだが、日本は自由でしょ。世の中にはもっと我が儘やりたい放題で悪い女はうようよいます。男性に女性の役割分担を押しつけようとするインテリ女や、セクハラで男を刺したりするのが本物の悪女です。鈴香はそういうタイプじゃないから好意的、少なくとも鈴香被告は私に害を及ぼすことはないし、悪い思想を喧伝しているわけでもないので同情するわけです。
 だいたい世間はフェミニストに迎合して良妻賢母教育を否定し、某有名歌手みたいに育児は婚家をかえりみることもなく生家の老親にまかせっきり、仕事もしたい、外タレと不倫もしてみたいそういう勝手な生き方を推奨してきたんじゃないですか。鈴香被告を非難する筋合いはないです。ワイドショーで育児抛棄だの児童虐待だの言ってますが、ドメスティックな領域に政府の干渉を強化することは反対です。

 川西正彦

2006/07/02

小学校体育着替えは男女同室であたりまえ

文部科学省が体育着替えなどの男女同室の是正を指導するとか言ってますが、全く必要ないと思う。「<体育着替え>公立小学校の6割強で男女同室 文科省調査」という見出しですが、違和感は全くない。6割強の学校のほうが健全だと思う。へんに配慮してついたてを立てたりするほうがよっぽど不自然。小学校まで分けようとする発想は行き過ぎだ。こんなつまらないことにいちいち目くじらをたてるのは全くばかげている。だいたい小学校の同室着替えは昔からそうですよ。当局は勘違いしてるんじゃないか。別にジェンダーフリー思想の影響ということではないですよ。
 毎日の記事
http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20060701k0000m040095000c.html
 要するに 男女同一の指導計画を前提とするならば、小学校の着替えは男女同室で整合的である。体育の着替えはジェンダーフリー思想とは基本的に関係ない事柄でしょ。私は、家庭科共修、男女役割分担の定型概念の打破とか、女性にゲタをはかせて優遇する政策には反対だし、親の監護教育権も尊重しますが、施設設備の同一の便宜供与という意味での男女平等は賛成してもよいし、とくに着替えの男女同室は賛成する。
 
 着替えについて羞恥心云々とかいってますが、教育課程で宗教的良心にもとづく理由でない以上配慮する必要は全くない。そもそも日本の土俗的文化では男女入り乱れて雑魚寝状態になったり混浴に羞恥心をもたない文化であるから、そういう文化的伝統からいっても着替えや身体検査は鷹揚な考え方でいいんじゃないですか。
 そんなことより女子体育のハーフパンツをやめて、ブルーマーを復活すべきだ。学校体育は競技スポーツとは違うが、もし自分に娘がいたら、あんなだぼたぼした服装はださくて我慢できない。身体にフィットしていないとだめ。

 そこで私自身の経験を述べることとする。自分は著名人でいうとノーベル化学賞の田中耕一フェローと同じ世代、昭和47年中学1年で集合論を初めて履修するようになった「理数教育の現代化」学習指導要領世代で、あと著名人としては村上世影氏とも同い年ですが、株主主権論は正論だし、検察当局の国策捜査に疑問を持ちます。要するに谷間の世代ですが、それはともかく自分は世田谷区立烏山北小出身ですけど、小学校(昭和41~46年度)では水着の着替えも男女同室というか男女交互に座っている自席でそのまま着替えていた。だからそれがあたりまえだと思っている。当時は空き室もないしどの学校でもそうでしょ。6年生になるとタオルなどで隠して着替える児童が多かったが、自分はそういう面倒なことが嫌いなのでふるちんになってさっさと着替えてましたよ。女子もそれなりに隠してけっこう器用に着替えていたと思うし、みられないで着替える方法があるし、全員が黙々を短時間にさっさと着替えるだけだから、困惑している児童はいないし、児童同士でからかうようなことは一切ない。なんら問題はない。そういう経験から小学校の着替えまで分けたいという超アナクロな発想に強い疑問を持つ。
 烏山中学校(47~49年度)では男女いずれか一方が別のクラスの教室に出て行って着替えるスタイルだが、中学校では体育が男女別の指導計画を基本としていたので、2クラス合同だったのかな。たぶん隣のクラスで着替えたのだと思うがほとんど記憶がない。記憶として残っているのは教室廊下側の上部に通気用のガラス窓が斜めに半開きになっていて光の反射の具合で中の様子が覗けたこと。階段からかがみこむと女子の着替えを覗けるスポットもすぐ発見した。しかし実際に覗いてみる度胸はなかったな。
 脱線しますが中学校はものすごく不満が多かった。現代化っていうのは1957年のスプートニクショック以降、いわゆる生徒中心の進歩主義教育や陳腐化した教育内容が批判されて、現代的な教材をとりいれていったもので60年代から米国ではじまった、PSSC物理、ケムス化学、BSCS生物などの“学問性中心” のカリキュラム 改革運動です。日本でも文部省が模倣していった。
 当時マスコミは「詰め込み教育」とか「新幹線教育」と批判していましたが、本質はそういう問題じゃないです。小学生だから教育課程行政の詳細は知らなかったが、教育テレビで「新しい数学」という八木光生のナレーションの番組があって、昭和47年からカリキュラムが改訂されることは宣伝されていたし、現代化カリキュラムに期待して中学校に入学したのですが、実態としては教師がそれに対応できておらず旧態依然とした指導姿勢で現代化教材の教え方が下手というか、勝手に手抜きをしていたことが非常に不満でした。
 例えば数学に「図形の位相的見方」という指導項目があって、トポロジーっていうんですか。教師が勝手に教科書を飛ばしちゅうんですよ。それが都立高校の入試に出た(新指導要領の目玉だから、当然予想されていたことなのに)ので今でも怒ってます。30年たっても怒りが収まらない。教えてくれないのに試験で答えられるか。理科なんか当時の義務教育の到達目標ともいえる「運動の第一法則」はどうせ高校の物理でやるからとかいって教えてくれないんです。「現代化カリキュラム」以前の問題ですね。俺は園芸高校だから当時は「物理Ⅰ」という科目でしたが、高校3年の履修なんですよ。中学3年でやることが高校3年に持ち越しになったわけです。要するに問題は「詰め込み」じゃないです。教育課程改訂の趣旨が徹底してないし「手抜き」が問題だったんです。“学問性中心” のカリキュラムというふれこみが実際にはそうじゃないというのが非常に不満だった。
 公務員は無責任だしいいかげんだと思いました。必修クラブなんか出てこない担当の先生がいて、自然解散になったりしていた。そんなことに比べたら、体育の着替えのなんたらこうたらくだらないよ。どうでもよいことです。
 高校の試験で思い出したが、この際、30年以上溜め込んだ不満を吐き出しておきます。都立高校の合格発表の後に貸し切りバスに乗って向ヶ丘遊園のスケートリンクに行く行事があった。予想に反して出席者が全体(1学年10クラス)の半数かもっと少なかったかな。親しい友人も欠席していたので、時間をやりすごすこともできなくなって非常に困惑した。生徒を困惑させるというのはこういうことをいうんですよ。本当は行きたくなかったけどこれは公式の特別活動の学校行事というふれこみだったし教師も引率していて参加が義務づけられていたので出ていったんですが、後日欠席した友人から、全員参加は建前にすぎないのであって勝ち組が合格した後に滑って楽しもうという余興だから律儀に出る必要はないんだよといわれました。へぇ~と思ったわけです。どういう会計処理だったか忘れましたが、それだったら始めから勝ち組のごほうびにして任意参加にすればいいのに。
 スケート靴なんて履いたのははじめてだし、予想に反して指導してくれる教員もいないので、初めから興味もないし、けがしたら大変だから、一日動かないでじいっとしているだけでした。戸山とか青山とか有名高校に受かった人はいいんだろうけど、俺は「園芸高校」で非公式な格付けでいうと下位だったので、全く場違いな感じがして、女の子とはしゃいでいる野郎を見せつけられるのは面白くないし、逃げ出したくなったよ。そんなわけで、死角になるような陰に隠れて終了時間をじいっと待っていました。
 でも烏山中の学校行事でよかったのは、歌舞伎町ミラノ座の映画鑑賞会。大きな映画館に入るだけで嬉しかった。題名を忘れたがシドニー・ポアチエ主演でサンフランシスコを舞台とした映画をみた記憶がある。ミラノ座前の広場に集合して現地解散だったと記憶している。遠足は毎年西武沿線で正丸峠とか巾着田とかだったな。西武新宿から貸し切りの電車だった。河口湖の移動教室や、京都・奈良の修学旅行も疲れたが悪くなかった。なお2チャンネルの千歳烏山スレッドによると、荻野目洋子、男闘呼組の高橋一也(現和也)、黒田勇樹、脚本家の三谷幸喜が烏山中出身らしい。それなりにタレントを輩出していることになるが、これはたぶん教育の善し悪しとは無関係だと思います。

川西正彦
 
 
 

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