カラーブラインドとセックスブラインド
それはハプニングだった。1964年公民権法タイトル7は「報酬、労働条件、または雇用上の特典に関して人種、肌の色、宗教、性別、または出身国を理由に、どんな個人についても雇用を拒否したり、解雇したり、もしくは差別したりすることが、使用者による違法な雇用慣行になる」と規定するが、いうまでもなくこの主たる立法趣旨は人種差別禁止にあった。もともとジョンソン大統領の提案した原案に「性別」の規定はなかった。ところが公民権法の通過に激しく反対していたバージニアのハワード・スミス下院議員が法案通過を阻止する狙いで「性別」を加える修正がなされた。「性別」を加えれば可決されないだろうという判断だった。ところがその2日後に修正案が通過してしまい、ハプニング的に性差別禁止が盛り込まれてしまったのである(註1)。なんともばかばかしいが、これは意図せざる結果だった。政治というのは本当につまらないことで変な方向に進展してしまうからおそろしい。
1964年公民権法タイトル7の性差別禁止を決定的な意味で支持することはもちろんできません。ハプニングによって社会の進展は方向を大きく誤った。大きな過ちを犯したと思う。スミス下院議員のちよっとした判断ミスがアメリカ社会のみならず、性差別撤廃と言う考え方は米国の公民権法の運用実績により世界的に波及したから、国境を越えて我々の生活にまで害を及ぼすことになったのである。仮にリベラルな立場で人種・出身国・民族・宗教の違いによって人を差別しないと言う理念を好意的に理解するとしても、オマケのように付け足された性差別禁止は納得はしません。
ただ、雇用における人種差別禁止につるむかたちでハプニング的に性差別禁止が挿入されたため、法の理念としては公民権運動のスローガンだった「カラーブラインド」と相似形の「セックスブラインド」型の性的中立な理念となった。これはウーマンリブ運動の成果ではない。それは60年後半以降のことだ。フェミニズムを公定イデオロギーとするものではないので、その点が比較的良性のものと認識している理由である。そこで周知の事柄かもしれないが、「セックスブラインド」の由来について考えてみたいと思います。
「セックスブラインド」とは、個人について性はみえないものとして処遇し性別で分類しないことなのでこの絶対平等理論を貫徹することが真の平等になると思います。従って平等政策としてはもっともわかりやすい。これは公民権運動のスローガンだった「カラーブラインド」とパラレルな概念なのである。
「カラーブラインド」というのはプレッシー対ファーガソン判決PLESSY v. FERGUSON, 163 U.S. 537 (1896) http://caselaw.lp.findlaw.com/scripts/getcase.pl?court=us&vol=163&invol=537におけるJ・M・ハーラン判事(ヘイズ任命の先代、アイゼンハワー任命の同姓同名の判事とは祖父-孫の関係)の少数反対意見にある「Our constitution is color-blind 我が憲法は色盲である」というフレーズに由来するものである。この少数反対意見は白人と黒人の絶対平等を述べていて、「黒人解放の先駆として、ジェファーソンの独立宣言やリンカーンの奴隷解放宣言に比すべき卓見」として賞揚されたのみならず、約60年を経た1954年ブラウン対トペカ教育委員会判決BROWN v. BOARD OF EDUCATION, 347 U.S. 483 (1954) によって判例変更になって結実した。
事案は大略次のとおりであった(桜田勝義のハーランの伝記-註2より引用する)。1890年にルイジアナ州は鉄道内で白人・黒人は施設は平等だが、分離して使用することを定めた法律を作り、これに違反した者に25ドルの罰金を科すこととした。白人と黒人の混血であるホーマー・プレッシーが、ニューオルリンズから汽車に乗り、白人専用車に坐って再三車掌に黒人専用車に移るよう注意されたが、そのまま乗っていたところ、汽車から引きづりおろされ、監獄にぶちこまれたうえ、有罪判決で罰金を科せられた。プレッシーはルイジアナ州最高裁で敗訴したので憲法修正第13・14条に違反するとして連邦最高裁に上訴した。しかし最高裁はハーラン判事を除く全員一致で上訴を棄却した。
「憲法修正14条は、法の下における白人と黒人間の平等を実現しようとして作られたものである。しかしこの憲法は、事物の性質上、体色にもとづく区別を禁止したり、政治的平等以上の社会的平等までも実現したり、両種族が不満とする条件の下に混合したりすることまでも、意図して制定したものとは考えられない。したがって、白人・黒人両種族の接触する場所で、その分離を強制したり、許したり法律を作ることは決して一種族を劣後的地位におくことを意味するものではない‥‥したがって、その施設において平等であるが二種族を分離することを定めたルイジアナ州法は、修正14条に違反しない」
まず妥当な判決だと思うが、唯一人ハーラン判事が同州法は憲法に反するとして強硬な少数反対意見を記したのである。
「憲法修正13・14条は、体色による基づく人種間の差別をなくそうとするものである。しかるに問題のルイジアナ州法は、白人専用車から黒人を締めだそうとするものであって、これは明らかに、市民の個人的自由を侵害するものである。したがって、その州立法が、州の警察機能の合理的行使であるというのは当たらない。憲法の見地からも、法律の立場からも、わが国には特別の支配的市民はいない。わが憲法は色盲であってOur constitution is color-blind、市民間に階級のあることも知らないし、それを許さないのである。市民権については、一切の市民は法の下に平等である。最も卑しい者も、最も権力のある者も同輩である。法は人間を一個の人間とみなし、その体色を考えないのである。これに対して多数意見が、州が人種差別を規定する権限ありとしたことを悲しく思うものである。人種により市民を勝手に分離することは、憲法に定められた私的自由と、法の下における平等と矛盾するものであり、奴隷制度への束縛である‥‥」
我が憲法は色盲なので体色によって人を区別しないというのは一見奇妙な論法のように思える。当時は列車の黒白分離はあたりまえの時代なのであって、ジャーナリズムがハーラン反対意見を格別論評することもなかったらしい。
ところが20世紀なかばに公民権運動が盛り上がると、ハーラン判事は「偉大な少数意見裁判官」に祭り上げられ、人種別学を否定した1956年のブラウン事件で弁護人だったサーグッド・マーシャルが「カラーブラインド」を引用し瞳の色がブルーか茶色かで社会的に差別されないのと同じように体色を意識することのない社会であるべきだという「高邁な」理想論を述べ、「カラーブラインド」は公民権運動のスローガンとなった。
「分離すれども平等」という先例プレッシー判決を覆したブラウン判決はウォーレンコートにおける最も著名な判決であるが、平等保護条項の起草者の意思から導きだされたものではなく、人種別学の影響に関する社会科学的研究に依存したものであったため、学説では批判もある(註3)。私は裁判官の熱意や司法積極主義を決して否定はしないが、ブラウン判決は裁判官の社会改革に対する勝手な熱意と勝手な理想主義により先例を覆した点で司法部による公共政策形成のように思える。
ここで一つの疑問を持つものである。仮にリベラルな立場で「カラーブラインド」を好意的に理解するとしても、だからといって「セックスブラインド」に進展すべきものではないはずだ。合衆国において人種隔離政策は社会を引き裂きかねない深刻なものであった。これに対して性差別というのはそういう社会問題ではない。女性解放運動は60年代後半から盛んになりますが、公民権運動とは別の事柄である。
そもそも憲法修正第14条平等保護条項は「何人に対しても、法律の平等な保護を拒むことができない」とするが、この憲法修正は黒人を法律による差別から守るためのものなので、黒人男性は初めから、その規定の「人」personの範囲に含まれていた。しかし女性は修正14条の「人」の範囲には含まれていなかった。これは数々の判例で明白なことなので、後日具体的に述べる。
連邦最高裁は1971年のリード対リード判決で初めて州法中の性差別条項に違憲判断をとり、女性も修正14条の「人」の範囲に取り込まれた。1973年のフロンティエロ対リチャードソン判決で違憲論を連邦法に拡大させ、合衆国憲法には性差別禁止の明文規定がないにもかかわらず、性別による別扱いが、平等保護ルールにより違憲(連邦法の場合第5修正のデュープロセス・オブ・ロー違反)となる場合がありうるということになった。
私はリード対リード判決に反対である。ここで問題になったのは死亡した子どもの不動産管理に関する州法における男性優先であるが、これを違憲として叩き潰す必要などなかったし、女性を修正14条の「人」の範囲に取り込んだのは司法部の大きな過ちだと思うが、いずれにせよ1964年の段階では女性は修正14条の平等保護条項で守られる権利などなかったから、公民権法が性差別にまで及んだことは行き過ぎであったと考えるのである。
これは反女性・女性敵視宣言(3)に続く予定
川西正彦
(註1)C.S.ト-マス著 上野千津子訳『アメリカ性差別禁止法』木鐸社1997 200頁
(註2)桜田勝義『輝やく裁判官群像 - 人権を守った8人の裁判官』有信堂1973「ジョン・マーシャル・ハーラン-黒人解放の先駆者」66頁以下
(註3)松井茂紀『アメリカ憲法入門』第5版 有斐閣2004 292頁
« 妊娠・出産に関する3とおりの政策(1) | トップページ | 森田登代子論文を読んだ簡単な感想 »
「英米法」カテゴリの記事
- 連邦最高裁 ホワイトハウスがソーシャルメディア企業に「偽情報」を削除するよう圧力をかけることを容認 (2024.06.29)
- 旧統一教会の解散命令請求に反対します(2023.10.04)
- ジョン・ポール・スティーブンス元合衆国最高裁判事死去(2019.07.18)
- ケーキショップは宗教的信念により同性婚のウェディングケーキの注文を拒否できる(2019.06.18)
- 連邦最高裁開廷期末に反労働組合、リバタリアン陣営大勝利 Janus v. AFSCME判決 (2018.06.29)
コメント