公務員に労働基本権付与絶対反対-政府は巨悪と手を結ぶな

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2006年12月の7件の記事

2006/12/23

労働基準法の刑事罰規定は撤廃すべきだ

 労働基準法の刑事罰規定は以前から日経連が撤廃を要請していることだと思いますが、例えば年収700万とか結構給料を払っていて、本来なら時間外手当適用除外でもよさそうなのに、時間外手当を払っていないのが不払い労働だとしか、サービス残業だとかいって杓子定規に会社側が攻撃されるのは非常に不合理・正義に反するあり方であり、こういうあり方はもうやめようということでなければならないと思います。
 私は36協定みたいな労使協定による時間規制それ自体根本的に見直すべきで、ニュージーランドの国民党政権による1991年雇用契約法(Employment Contracts Act)のように個人は企業と直接雇用条件を定め、労働協約や集団的労働関係に拘束されない個人の雇用契約(代理人を自由に選べる)が可能なような(但しこの優れた立法は労働党政権とILOの批判により覆された)、真に自由な労働の在り方を希求するものであり、政府がパターナルセオリーによって時間規制する労働法制をなくす抜本的な改革が望ましいと考えるものであるが、少なくともアルバイト並みの時給ワーカーならともかく、中長期雇用が前提となってしかるべき給与をいただいている、あるいは年功序列の生活給が保障されているホワイトカラー、専門職は役職、ヒラいかんにかかわらず仕事の性格から時間外手当適用除外であるベキだし、そうして生産性と向上していかないと、レーバーコストで釣り合わないホワイトカラーの長期雇用は難しくなっていって、結局勤労者の身にはね返ってくる問題になるんじゃないかと考えます。
 割増賃金を容認するとしてもマニュアルワーカーなど作業労働や低賃金低所得者に苛酷な長時間労働を強いることを抑制する立法趣旨に限定していく方向がよりましだと考えます。
 
 ところが報道によると、厚生労働省は、ホワイトカラー・エグゼンプション導入にあたって、四週4日以上、年間週休2日相当(104日)の休日確保を企業に義務づけ、違反した場合、現行の法定労働時間違反の刑事罰規定より重く管理責任を強めるとしている(日経12月22日朝刊)。http://www.nikkei.co.jp/news/keizai/20061222AT3S2101Q21122006.html
 これではなんのための適用除外かわかりません。刑事罰規定は撤廃すべきなのに、形を変えて強化するのは矛盾してます。(なお関連して言いますが、自分は土曜が半ドンだった時代を知っています。週休2日は土曜の分を残業でカバーしなくてはいけないので困惑した。その週にかたずけるべき仕事が金曜までに終わらないときは労働協約による規制に遠慮することなく土曜も出てきたいと思っている人は少なくないはず。アメリカでは週休2日でも土曜は仕事がなくても会社に顔を出して挨拶するしきたりのある業界もあるようですが、土曜は休みでなく仕事のための予備日みたいな感覚で働ければずっと楽なんです。週休2日に拘る必要もないです)
 また厚生労働省は時間外手当適用除外の「『対象労働者は管理監督者の一歩手前に位置する者』と言及。年収要件を、「管理監督者一般の平均的な年収水準を勘案しつつ、労働者の保護に欠けないよう、適切な水準を定める」とする方向で調整している。』(朝日) http://www.asahi.com/business/update/1220/082.htmlと報道されてますが、当初は400万ということだったのに対象労働者の範囲を狭くしています。日経では800万~900万で調整と報道http://www.nikkei.co.jp/sp1/nt38/20061215NN003Y82915122006.htmlしてますが、バリバリ働いて成果を挙げたい一般社員は従来どおりの時間規制ではホワイトカラーの生産性を向上させて国際競争力に対応できるようにする改革とはならない。小幅なものにとどまった印象があります。大体、800万~900万以上に限定するんじゃ中小企業にメリットがないように思えますが。
 一方で、一定時間を超えた残業の割増賃金の引き上げもやるということですが、これはフェミニストの勝手な理屈、男性が長時間労働のために家庭や育児の責任を分担していないという。女性の勝手な理屈で、少子化対策の口実で導入されるようですが、ばかげてます。余計なお世話です。時短政策をやめてほっとしていたのに。日本は労働時間で米国や英国よりも短くなり、勤勉な国とはいえなくなった。ドイツみたいに時短が進んでレーバーコストが高くなるのは国際競争力という観点でも良くないです。シーメンスがアイルランドに逃げたいとか言っているんでしょ。クラインさんの雑誌記事で読んだことがありますよ。今度はフェミニズム迎合で割増賃金引き上げで残業を抑制して男にも家庭責任を分担させろみたいな偏った政策をやろうとしている。
 せっかく景気が回復して「上げ潮じゃー」とか言っているのに企業税減税に積極的な本間税調会長更迭に続いて、レーバーコストを増大させる政策なんかやったら企業はがっかりするんじゃないですか。
 結局、厚生労働省の政策決定のやり方は、労使合意が前提で、経営側と労働側の主張を折半させるようなやり方だから、どちらにも全面的には加担しないで妥協に妥協を重ねるので、抜本的な改革にならないのである。イギリスの保守党政権のような徹底した反労働組合政策とか、先ほど述べたニュージーランド国民党政権の労働改革のような、理念を貫徹する政策ができないから、中途半端で妥協的なものしか出てこない。自由主義的な政策のためにネオ・コーポラティズム的手法をとること自体矛盾である。せっかくホワイトカラー・エグゼンブションを導入しても、歪な形で小幅のものにとどまり、一方で割増賃金引き上げみたいなレーバーコストを増大させる政策では、効果が相殺されてしまうように思える。

川西正彦 

2006/12/21

こうなったらロックナー判決は正しかった-契約の自由の復権をぶちあげたい

 私はホワイトカラー・エグゼンプションは構想されている内容よりもっと広く導入されるべきだと思いますし、労働基準法は抜本的に見直し、時給ワーカーでない給与所得者であるホワイトカラーや専門職の労働時間規制は撤廃していくべきだと考えます。
 そもそも、労働慣習というのは家内労働が基本なんです。奉公人は家内のいっさいがっさいの仕事をこなさなくてはいけないのであって、アルバイトの時給ワーカーのように時間がきたらさっさと仕事をやめてよいものではないです。マニュアルワーカー、危険、汚い、きつい肉体労働は別としまして、もともと汚い仕事でもなく、中長期雇用を前提としている給与所得のホワイトカラーに時間規制をするという発想自体が間違いだったと考えます。何事も仕事へのコミットメント(責任感をもって励む)、熱意、献身、粉骨砕身働くことでなければ成功しません。
  ウォルマートを世界最大の小売業にした2代目のCEOデビット・グラスは1日16時間働いたそうです。ウォルマートのバイヤーは朝6時~7時からエンジン全開で働くそうです。献身的、勤勉に働くことは美徳だというエートスが生きているんですね。だから最強です。とても健全だと思いますしそれを復権すべきであると考えます。連邦最高裁のブラックマン判事(故人)は先例調べに十分な時間をかけて慎重な司法判断をとる人でしたが、彼の就任時の評判では、平日10時間、土曜7時間、日曜はメソジスト教会の礼拝の前後に4時間きっちり仕事につく人だということでした。週61時間ですが、知的職業なら当然ですね。平日10時間は少ないと思いますが、その分を土日でとり返してます。いや権限のない下っ端の人こそ、成果を挙げて仕事で成功するために時間規制がなくなることを歓迎するでしょう。時間規制で仕事の意欲を萎縮させるあり方のほうがよっぽど悪だと思います。
 
 そこで、労働契約法制の審議は紛糾してますが、ホワイトカラー・エグゼンプションがどう決着しようと、来年の通常国会での議論を睨み、私のブログでは、これは経営者だけでなく、労働者の立場でも歓迎しているものであること建前でなく本音で縷々述べていきたいと思ってますが、その前に根本的な法理念と歴史認識の問題で、合衆国最高裁ロックナー判決(1905年)は正しかったという主張から初めたいです。ロックナー判決は、パン製造業の被用者の1日の労働時間を10時間に規制する州法を憲法上明文の規定はない「契約の自由」の違憲的な侵害として叩き潰した悪名高い(1937年に判例変更)判決ということになってます。左翼だけでなく大抵の法学者はそう言います。しかし私は全く逆です。悪名高いのではなく、これこそ正しかったというのが私の主張になります。その含意は非常に深いです。労働者保護法だけの敵意にとどまるものではなく、ニューディーラーのつくった憲法体制に対する根本的な不信感、とくに労働基本権の根本的な不信感を前提とした思想になりますから。今、私はロックナー判決の契約の自由は正しいと公言しましたから、ロックナーマンセーで後戻りはしません。もう突っ込んでいくだけです。
  とは言っても少し猶予を下さい。ブログの連載ものでかたづけるものが幾つかあります。
 
  川西正彦

2006/12/20

本間税調会長がんばれ

 私は本間氏のことはよく知らない。不勉強で著書も読んでない。ただテレビの討論番組を見て論客であることは知っていた程度のことですが、少なくとも宿舎と愛人に関する報道には同情してます。
 元「北新地のクラブのママ」と同棲という記事は税調会長というから堅物なのかと思ったら意外性のある記事で下世話な話題としては面白すぎると思いました。しかしだからといって本間氏を追いつめることには反対なんです。
 本間愛人事件の続報を週刊文春・フライデー・週刊現代で読みましたが、宿舎を退去してけじめをつけたんだし、安倍総理と中川(秀)幹事長が言うとおり進退問題にする必要はないと思います。
 『フライデー』12月29日号によると、夫人の友人の話として本間氏は「‥『お茶がぬるい』と、茶碗を投げつけたり、‥‥『なんでワシが残り物を食べなあかんのや』」と怒るというエピソードが書かれていますが、こんなのあたりまえじゃないですか。ぬるいお茶が出されたら誰でも怒りますよ。茶碗を投げる程度のことは大抵の家庭でありうることですよ。こんなのは醜聞でもなんでもないです。こんなんで辞められたらフェミが増長して困ります。
 本間氏は経済財政諮問会議民間議員だけでなく税調の委員もやっていて、東京での用事がけっこう多かったんでしょう。いちいち豊中の「愛人」宅から新幹線で上京していられるか。宿舎が与えられたのは諮問会議議員という要職、ブレインとしてしかるべき待遇であって、いちいち目くじらをたてるようなことではないと思います。
 
 川西正彦

2006/12/17

妊娠・出産に関する3とおりの政策(2)

1978年妊娠差別禁止法とその解釈(1)
 
第1回http://antilabor.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/post_a84a.html

承前
 妊娠・出産に関する政策の3とおりのうちの第一は妊娠・出産・育児の負担は本来私的なものという伝統的な考え方に基づくものです。それが健全な社会の在り方だと思います。
 私は、連邦最高裁の判断、州の疾病保険の支給対象から妊娠を除外することは憲法の平等保護条項に反しないというアイエロ判決(1974)、GE社の運営する一時的労働不能に対する保険制度が通常分娩による一時的労働不能を適用除外としているのは1964年公民権法タイトル7(Title VII of the Civil Rights Act of 1964 )の性差別禁止に反しないというギルバート判決(1976)を支持することを述べました。女の我が儘を許さなかったという点でも気持ちの良い判決です。
 疾病保険で妊娠出産を除外することは性差別でないし、司法部が救済するような事柄ではない。立法政策も不要だ。ウーマンリブの前まではそれでやってきたわけですからそれでいいんですよ。もっともアメリカでは、70年代以降租税法の改正で保育にかかった費用の課税控除が拡大され、子育ては私的な事柄であるという伝統的な考え方が変化していったようだが、その程度のことはまだよいでしょう。

 しかし私は、妊娠出産のコストをあつかましくも企業や他人にしわよせさせて特定社会階層の女性を厚遇しようというフェミニストに強く反対する立場である以上、妊娠出産の負担は私的なものであるという伝統的な考え方が最善だと思います。しかし、アメリカではこの考え方が悪しき立法政策により潰されました。
 つまり1978年の公民権法タイトル7の改正(妊娠差別禁止法)により、ギルバート判決の意義は覆されることとなりました。この主たる立法趣旨は企業が採用している疾病保険などの給付から妊娠・出産を除外させないようにして、妊娠女性に便宜を図ろうとするものでありましたが、これが妊娠出産について3とおりの政策のうちの第二である。
 その解決方法の第一は公民権法タイトル7中の「性を理由とする」という文言は妊娠、出産、これらに関係のある状態を含むということ。第二はこのような状態にある女性は、このような状態にない者で労働能力の点で当該女性と同一状況にある者と同一に取り扱われることであった。
 つまり、妊娠・出産を一時的労働不能状況とみなし、疾病や傷害で一時的に労働不能な者と同等処遇をもって平等とする考え方である。
 この政策は、1978年に突然出てきたものではない。1970年のジョンソン大統領が設置した「女性の地位に関する市民諮問委員会」は妊娠・出産を他の一時的労働不能と同じように取り扱うべきで、すなわち不利にも有利にも扱わないという主張だった。これを受けて22州とコロンビア特別区で、妊娠・出産を一時的労働不能と同じに取り扱う法律が制定され、裁判所でも下級審でこうした公民権法タイトル7の解釈が受け入れられたが(註1)、連邦最高裁が真っ向から否定したのである。
 それがギルバート判決(1976)だった。既に憲法判例のアイエロ判決(1974)で妊娠による別扱いは妊婦と妊娠していない者を区別しているのであって、妊娠していないグループは男性だけでなく、女性も含まれることから男女の区別ではなく、性差別にはあたらないと判断しており、公民権法事件だからといって判断を変える必然性などなく、妊娠の別扱いは公民権法タイトル7の性差別禁止に反しないとして、6つの連邦控訴裁判所の判断を叩き潰したのである。これに驚いた連邦議会が制定したのが1978年妊娠差別禁止法であった。
 これは妊娠出産女性という特定の肉体的状態にある女性への利益誘導であって性差別禁止の脈絡とずれているし、基本的には私は批判的な見方をとる。賛同はしない。しかしながら、にもかかわらず、1978年妊娠差別禁止法は特に悪性のものとは考えないのでその理由を述べます。
 それは、女性の職場家庭両立支援のような厚かましくコストを他者に強いて特定の階層の女性だけの利益増進や、女性尊重という嫌悪する思想に偏った政策ではないから。
 妊娠差別禁止といっても母性保護という偏った思想がないこと。一時的に労働不能状況にある他の男性・女性よりも、妊娠女性が労働条件で有利に遇すればそれは差別ということである。妊娠女性がその他の医学的状態、疾病や傷害で一時的に労働不能な者より優遇はされないのであるならば、一応歯止めがきいていることになる。殊更妊娠・出産女性を優遇する趣旨ではない点については、女性尊重フェミニズムより良性であるという見方が可能なのである。

そこで、妊娠差別禁止法成立後の連邦最高裁判決をみていくことにする。

ニューポートニュース判決(1983年)
NEWPORT NEWS SHIPBUILDING & DRY DOCK v. EEOC, 462 U.S. 669 (1983) http://caselaw.lp.findlaw.com/scripts/getcase.dj.pl?court=us&vol=462&invol=669

 事案はバージニア州の大手造船会社で、従業員に設けていた健康保険の入院に対する給付制度が公民権法タイトル7の性差別禁止条項に違反するかが争われたものである。
 女子従業員の妊娠出産による入院は他の疾病の入院と同じく全額が保険から妊娠給付の形で支払われることになっていた。女子従業員の配偶者(夫)の入院費も全額支給であった。
 対して男子従業員の入院費は全額支給されるが、配偶者(妻)の妊娠出産の入院は500ドルを上限として支給され他の入院とは同じように扱わないものだった。
 この配偶者の性別による別扱いにつき、男子従業員が公民権法タイトル7の性差別禁止に反するとしてEEOC(平等雇用機会委員会)に提訴した。対して会社側はEEOCのガイドラインの執行停止を求める反訴を提起した。EEOCは後に会社に性差別行為ありという訴訟を起こしたものである。
 第1審バージニア東部地区の連法地裁は1978年法は女子従業員にのみ適用されるもので男子従業員の妻の別扱いはタイトル7違反でないとしたが、第2審第四巡回区連邦控訴裁判所は男子従業員の妻も適用ありとして原審を破棄した。会社側はタイトル7は雇用上の性差別を禁止しており、配偶者の妊娠には適用されないという主張で上告したが、それは当然のことで、第九巡回区連邦控訴裁は、第四巡回区と異なる判断をとっていたのである。連邦最高裁は7対2の票決で第2審第四巡回区連邦控訴裁判所判決を支持する判断を示した。
 スティーブンス判事による法廷意見は、当該会社の健康保険制度は男性従業員を差別していて1978年の妊娠差別禁止法に反する。奇妙な論理に思えるが、男性も妊娠差別禁止法の受益者という司法判断である。
 「‥‥健康保険その他の特別給付の給付は、賃金その他の雇用条件に当る。女子従業
員も男子従業員も差別から保護されている。ゆえに女子従業員の扶養家族に対しては全額健康保険を支給し、男子従業員の扶養家族に対しては全く支給はないような制度はTitle VIIに反する。このような制度は当法廷がManhart判決[LOS ANGELES DEPT. OF WATER & POWER v. MANHART, 435 U.S. 702 (1978)] http://caselaw.lp.findlaw.com/cgi-bin/getcase.pl?navby=case&court=us&vol=435&invol=702#711で述べたTitle VII差別判定の単純な基準を満たさない。1978年法は妊娠に関連した状態をその他の医学的状態と同等に扱わないことは差別であることを明らかにしている。したがって本件における制度は、既婚女子従業員に支給する扶養家族給付より少ない額の給付を、既婚男性に支給している点で同法に違反する。この制度は男性従業員を差別することによってTitle VIIを侵害している」(註2)
 なお、法廷意見は、脚注で労働者自身と労働者の配偶者の給付内容が異なっていても性差別にはならないとしている(註3)。
 
 実にわかりにくいです。奇妙だと思いますがこういう理屈でしょう。この給付制度では女子従業員の配偶者の入院費は全額支給である。しかし配偶者は男性であるから妊娠はない。一方、男子従業員の配偶者は、妊娠出産の入院費は500ドルの支払いを限度としている。その他の疾病・傷害は全額支給なので、疾病・傷害と妊娠は別という一般的な観念に従えば、一見して男子従業員の配偶者の不利益はないようにも思える。
 ところが1978年妊娠差別禁止法は妊娠に関連した状態をその他の医学的状態と同等に扱わないことは差別であるとしたために、妊娠出産の入院費も他の疾病・傷害と同等にみなす。ゆえに女子従業員の配偶者にはあらゆる入院費を全額支給するのに、男子従業員の配偶者の入院費は全額支給しない場合がありうるということで、男性差別だというのである。配偶者に対する別扱いが、従業員本人の差別とされているのである。
 レーンクィスト判事は1978年法は女子従業員のみ適用されるという解釈から反対意見を記した(パウエル判事同調)。
 釜田泰介(註2)によると立法意思はあいまいで、妊娠による別扱いを性差別とするのは従業員のみか、従業員の配偶者を含むものかはいずれも結論できることが可能であったが、最高裁は後者の解釈が正しいとしてEEOCの解釈を支持したということである。配偶者に対する別扱いが本人に対する差別になるという理屈は70年代から憲法判例にみられるので、その手法を公民権法の解釈にも適用したということのようである。
 そうするとEEOCの解釈に加担した技術的な判決ということで、あまり評価することはできない。私が裁判官ならレーンクィスト判事反対意見に与することになるだろう。会社側に負担をかけたくない。根拠はあいまいなのに適用範囲を拡大する解釈は反対だというのが本音である。
 とは思いつつも、本判決はセックスブラインド型の理念からずれていない点は評価してもよい。セックスブラインドだから、男性も妊娠差別禁止法の受益者となりうるのである。妊娠差別禁止法は、同じ一時的労働不能状態にある他の妊娠以外の労働者と妊娠を区別しないという点で妊娠を隠していることなるから、ある意味ではpregnancy-blindといってもよいのである。妊娠を隠して、一時的労働不能状態の他の疾病・傷害と同等にみなすという理屈に徹していることで、法の理念には忠実だということもできる。

川西正彦
つづく

引用文献
(註1)武田 万里子「アメリカ合衆国のフェミニスト法学における妊娠・出産と男女平等 (フェミニスト法学の現在<特集>)」 『法の科学』日本評論社 / 民主主義科学者協会法律部会 編
通号 22 [1994]

(註2)釜田泰介「Newport News Shipbuilding & Dry Dock Co.v.EEOC,103S.Ct.2622(1983)--妊娠に困る入院費に対する会社の健康保険からの支給額が女子従業員の場合と男子従業員の妻の場合とで異なるのは男子従業員に対する差別である」『アメリカ法』1985(1)最近の判例
(註3)根本猛「アメリカ、妊娠の取り扱いをめぐる法と判例」日本労働協会雑誌353号31(1) [1989.01]

 

2006/12/11

本間正明税調会長「愛人と官舎同棲」スクープ撮の感想

 本日発売の『週刊ポスト』12月22日号ですが、面白そうなので駅の売店で買いました。大阪大学大学院教授で経済学者の本間正明氏(62歳-政府税調会長)は大阪府内に本妻の住む自宅があるにもかかわらず、東京の原宿駅近くの公務員宿舎に2003年から住んでいて、「北新地の女性」(55歳)とされる愛人と同棲しているという記事ですが、愛人というからもう少し若くて派手な女性を想定していたので、少しがっかりしました。
 『ポスト』は政府の資産・債務改革で不要な政府資産の売却(官舎も含まれる)の方針を打ち出した経済財政諮問会議の民間議員であった本間氏に、「愛人と同棲」なのに官舎が与えられていることを皮肉り、経済財政諮問会議は平均して月3回弱程度の開催なのに本間氏に便宜が図られていることを批判的なニュアンスで報じている。
 しかし私は本間氏の仕事を批判する立場ではない。経済財政諮問会議は御用審議会ではなく政府の要職であるから、東京での予備的な会議、人づきあい、情報収集、政治討論などテレビに出演することも少なくなかったと思われるから、地方在住の本間氏には東京に宿舎が与えられる便宜は非難されることではないと思う。又、大阪大学の有力な教授なら白い巨塔じゃないですが、北新地に愛人がいてもある意味では当然じゃないかとも思うわけです。
 
川西正彦

2006/12/09

国民投票法案18歳引き下げに反対

  報道によると「 憲法改正手続きを定める国民投票法案を巡り、自民党の特命委員会(委員長・中川昭一政調会長)は6日、与党と民主党の実務者間で調整している同法案の修正内容について協議した。民主党の主張を受け入れ、投票できる年齢を原則18歳などとする調整案を基本的に了承した。今後の対応は中川氏に一任する。」日経ネット http://www.nikkei.co.jp/news/main/20061206AT3S0600C06122006.htmlとある。
私は、投票権の18歳に引き下げに大反対である。私がインターネットで調べたところでは、合衆国が選挙権を21歳から18歳に引き下げたのは1972年である。
当時ベトナム戦争があって、若者が国のために血を流して戦っているのに、21歳まで選挙権がないのは不合理だというような大衆世論により、男子の伝統的な成人年齢である21歳から引き下げたのである。しかし伝統的な成人年齢を安易に変えることに疑問をもつものである。合衆国に追随して諸外国も模倣したのだが、我が国も模倣する必要はない。18歳引き下げは徴兵制や戦争のために若者が血を流すことを前提としてのものであって、我が国には徴兵制度はないのだから、引き下げる必要性は全くない。

 特に警戒したいのが民法への波及である。読売12月3日記事によると、国民投票法案公布後3年を目処に公職選挙法、民法の改正など必要な法制上の措置を講ずるとしているが、民主党が以前から公約にしていた法定婚姻適齢の女子16歳を18歳に引き上げをやられてしまうんじゃないかと心配している。三船美佳が16歳の誕生日に入籍したことは有名ですが、16歳・17歳女子の婚姻資格を剥奪して、形式的平等を実現したいフェミニストにまた迎合するんじゃないか。私は強く反対しますが、またまた心配事が増えてしまった。

 なんでもかんでもピンク映画やパチンコにあわせて18歳にしてしまえばよいというものではないです。

川西正彦

2006/12/03

森田登代子論文を読んだ簡単な感想

 森田登代子大阪樟蔭女子大学非常勤講師(近世民衆史)の「近世民衆、天皇の即位の礼拝見」という論文が「幕府の政策で民衆から遠ざけられていたとされる従来の近世天皇像を覆すもの」として2006年11月19日読売オンラインで紹介されていたので、宣伝につられて、2006年11月刊行の笠谷和比古編『公家と武家Ⅲ-王権と儀礼の比較文明史的考察』思文閣出版という本を買って読みました。要旨は読売の記事から引用します。
 森田講師が、当時の京都で奉行所が高札などの形で出した膨大な数の「町触れ」を調べた結果、1735年の桜町天皇即位式前の町触れに御即位拝見之儀、此度者(このたびは)切手札(きってふだ)を以(もって)男ハ御台所門、女者(は)日之御門より入レ候之条」とあり、これは、観覧券に当たる「切手札」を発行し、男女別で御所のどの門から入るかを決めていたと判明。続く桃園天皇の即位式でも切手札を発行、事故防止のためか「男百人、女弐(二)百人」と制限し、老人や足が弱い人などの観覧を禁じた事実も分かった。‥‥森田講師は「民衆にとってごく身近で楽しみな行事だった。江戸時代になって急に公開したのでなく、中世以来の伝統ではないか」と語る。(引用終わり)
 このほか、『京都町触集成』によると朝廷行事に庶民参加が伝達された例として、元禄年間の元日の内侍所参詣、延享年間の節分参賀、弘化年間には禁裏で能狂言が開催された折、札を所持すれば観劇できる旨も伝達された例があり、庶民が御所へ伺候することはやぶさかではなかったということである。
 一方、大嘗会は公開されなかった。桃園天皇の大嘗会では寺院の鐘撞は自粛・禁止され、ただ火事の場合のみ鐘を撞くことが許されていた。又、後桃園天皇の大嘗会では、いつもどおりの火の始末の注意のほか11月18日から23日まで四条芝居と御所近辺の社寺境内の芝居の休演が要請されている。又、桜町天皇譲位桃園天皇受禅の当日においては煮焚きを禁止し前日までに食事の準備をするように指示され、当日火を使う商売は休むように命じられていた。森田は皮肉に言い方になるが、庶民は日常生活を規制する皇室行事を等閑視できようはずがないと述べている。
 そうすると女系論者高橋紘の発言「江戸時代以前には、多くの国民は天皇の存在すら知らなかった。つまり伝統といっても皇族間と幕府だけの狭い世界で続いてきたもの」(『週刊ポスト』37巻43号、2005年10月21日号 47~48頁』)などというのはやはり全く誤った歴史認識だということである。
 平興胤の『御即位式見聞私記』は庶民にも読まれていた。木版墨刷りの即位式図などは庶民も入手できたらしい。即位式には大坂から出かけてきた者がいたし畿内一円から参集していたらしい。大坂の商家では結婚前の娘を公家宅で行儀見習のため奉公させる習慣があったことを森田が記している。即位式などの京都の情報は各種のルートであっという間に各地に広まったとみてよいだろう。
 「御所千度参り」という天明年間の事件については藤田覚の著書で知ったが、これは京都御所の周囲を多数の人々が廻り、千度参りをしたというもの。「天明7年6月7日頃から始まった。初めは数人だったが、その数は段々増えて行き、6月10日には3万人に達し、6月18日頃には7万人に達したという。御所千度参りに集まった人々は、京都やその周辺のみならず、河内や近江、大坂などから来た者もいたという。‥‥‥この事態を憂慮した光格天皇が京都所司代を通じて江戸幕府に飢饉に苦しむ民衆救済を要求する。‥‥‥これに対して幕府は米1,500俵を京都市民への放出を決定」とウィキペディアにある。
 だから庶民が天皇の存在を知らなかったなどという、そんなばかなことはない。

川西正彦

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