こうなったらロックナー判決は正しかった-契約の自由の復権をぶちあげたい
私はホワイトカラー・エグゼンプションは構想されている内容よりもっと広く導入されるべきだと思いますし、労働基準法は抜本的に見直し、時給ワーカーでない給与所得者であるホワイトカラーや専門職の労働時間規制は撤廃していくべきだと考えます。
そもそも、労働慣習というのは家内労働が基本なんです。奉公人は家内のいっさいがっさいの仕事をこなさなくてはいけないのであって、アルバイトの時給ワーカーのように時間がきたらさっさと仕事をやめてよいものではないです。マニュアルワーカー、危険、汚い、きつい肉体労働は別としまして、もともと汚い仕事でもなく、中長期雇用を前提としている給与所得のホワイトカラーに時間規制をするという発想自体が間違いだったと考えます。何事も仕事へのコミットメント(責任感をもって励む)、熱意、献身、粉骨砕身働くことでなければ成功しません。
ウォルマートを世界最大の小売業にした2代目のCEOデビット・グラスは1日16時間働いたそうです。ウォルマートのバイヤーは朝6時~7時からエンジン全開で働くそうです。献身的、勤勉に働くことは美徳だというエートスが生きているんですね。だから最強です。とても健全だと思いますしそれを復権すべきであると考えます。連邦最高裁のブラックマン判事(故人)は先例調べに十分な時間をかけて慎重な司法判断をとる人でしたが、彼の就任時の評判では、平日10時間、土曜7時間、日曜はメソジスト教会の礼拝の前後に4時間きっちり仕事につく人だということでした。週61時間ですが、知的職業なら当然ですね。平日10時間は少ないと思いますが、その分を土日でとり返してます。いや権限のない下っ端の人こそ、成果を挙げて仕事で成功するために時間規制がなくなることを歓迎するでしょう。時間規制で仕事の意欲を萎縮させるあり方のほうがよっぽど悪だと思います。
そこで、労働契約法制の審議は紛糾してますが、ホワイトカラー・エグゼンプションがどう決着しようと、来年の通常国会での議論を睨み、私のブログでは、これは経営者だけでなく、労働者の立場でも歓迎しているものであること建前でなく本音で縷々述べていきたいと思ってますが、その前に根本的な法理念と歴史認識の問題で、合衆国最高裁ロックナー判決(1905年)は正しかったという主張から初めたいです。ロックナー判決は、パン製造業の被用者の1日の労働時間を10時間に規制する州法を憲法上明文の規定はない「契約の自由」の違憲的な侵害として叩き潰した悪名高い(1937年に判例変更)判決ということになってます。左翼だけでなく大抵の法学者はそう言います。しかし私は全く逆です。悪名高いのではなく、これこそ正しかったというのが私の主張になります。その含意は非常に深いです。労働者保護法だけの敵意にとどまるものではなく、ニューディーラーのつくった憲法体制に対する根本的な不信感、とくに労働基本権の根本的な不信感を前提とした思想になりますから。今、私はロックナー判決の契約の自由は正しいと公言しましたから、ロックナーマンセーで後戻りはしません。もう突っ込んでいくだけです。
とは言っても少し猶予を下さい。ブログの連載ものでかたづけるものが幾つかあります。
川西正彦
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