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2007/01/28

ILO87号条約批准問題をめぐる政策決定過程の問題点(2)

1 昭和30年代のILO87号条約批准問題の概略

川西正彦

(3)ストの脅しに屈した昭和30年代の労働政策に対する疑問
  (岸・鈴木会談、池田・太田会談は労働組合に甘い政策判断だと思う)

 前回述べたようにILO87号条約批准問題の発端は昭和33年に機関車労組と、全逓が非解雇役員を抱えていることを理由に当局が交渉に応じないことについてILOに提訴したことにはじまる。労働省当局の関心は職員でなければ組合員にも組合役員にもなれないとする公労法4条3項、地公労法5条3項の削除だけにありILO事務局が当初非現業公務員は考えなくてよいとしていたことから当局は条約批准を安易に考えていた。しかし、倉石忠雄労相(鳩山内閣)がILO総会で批准に前向きな発言を行うと、ILO事務局は掌を返して公務員も適用されると言いだしたため、ILO87号条約批承認案件にともなう関連法の改正案では国家公務員法や地方公務員法も改正や人事院の改組をともなう幅広い内容となった。昭和35年に岸内閣が提出した改正案ではつぎのような規定があった。
(1)管理、監督又は秘密を扱うカテゴリーに属する職員は、一般の職員が結成する組合に加入できないこと
(2)在籍専従は、法律施行後三年間に制限されること。この規定は公労法、地公労法、国公法及び地公法のすべてに設けること。
(3)職員は、違法な組合指令に従うことが禁止されること。
(4)総理府に設置される人事局は、人事院からその主要な機能を引き継ぐこと。
(5)人事院規則で規定している組合の登録に関する事項を法律で規定すること。
(6)国鉄の服務違反に関する罰則は強化すること

 組合側は公労法4条3項、地公労法5条3項の削除については賛成したが、残余の部分の多くは組合活動に制限を科すものであったから、これを批准承認にともなる便乗改悪として反対したため、国会では一度も審議されずに廃案となった。
 鈴木伸一によると公労法4条3項、地公労法5条3項は実質的には空文にひとしくなってから以降、社会党はILO問題の解決が組合の権利を一層制限するにすぎないという理由で、その解決に熱心でなくなったが、社会党は総評は未解決な問題の処理を延引させることでILOの制裁が一層厳しくなることを期待していたと言う。要するに組合側へ譲歩するよう要求を出して解決を延引してごたつくだけごたつかせて、日本政府への風当たりを強くしてILO制裁に期待するという作戦だった。それゆえにこの問題は複雑な政治過程を経ることとなったが、その前に本筋から離れるが昭和30年代の労働政策に私が疑問に思うことがあるのでそれを述べよう。

 昭和32年岸・鈴木会談-仲裁裁定完全実施の慣例化は実力行使の威嚇に屈したように思える

 昭和31年の公労法の改正で同法35条で「政府は仲裁裁定が実施できるようにできるだけ努力しなければならない」ことを法文で明確にしたが、これは明らかにプロレーバーの政策であり労働組合を増長させる要因になったと思う。なぜならば昭和24年公労法制定以後、仲裁裁定は15件に達したが、財政事情から実施されたのは専売の3件のみだった。この明文化は組合の闘争意欲をかきたてるものになったに違いない。公労法改正にともない予算中の給与総額制度に弾力を持たせるため、各公社法の一部改正がなされ、仲裁裁定があった場合、裁定を実施するに必要な金額は、予算の定めるところにより、主務大臣の承認または認可を受け、給与総額を超えて給与として支給することができるとしたのである。
 そこで問題の昭和32年である。これはILO87号条約批准問題の発端となった国鉄の争議行為により国鉄労組及び機関車労組の三役等二十三名を公労法十八条の規定に基づいて解雇されたという事件が起きた年なのですが、この年は春闘方式の2年目で神武景気を背景に労働側が高姿勢だった。その規模は前年を上回る320万人の参加があり、まず官公庁労組が2月中旬から下旬にかけて第一波、第二波の実力行使、炭労が3月7日から48時間スト、3月11日から15日を「高原闘争」として炭労、国労を中心にストライキを集中させた。国労、専売、全電通、全印刷は、前年の11月から12月に公労委に調停申請し、機労、全逓、全林野、全造幣、アル専は32年2月に入って要求を提出した。
 政府は2月、内閣に松浦労相を議長とする「労働問題連絡協議会」を設置、公労協の闘争について「公共企業体労組については、公労法所定の手続きに従って措置し仲裁裁定は尊重する。違法行為に対しては、当局においては厳正な措置をする」ことで対応する方針をとった。いわゆるアメとムチであるが、違法ストの処罰は当然のことだろう。
 公労委の調停は難航した。小倉国鉄副総裁は1200円に上積して解決するならそうして貰いたいという言質をとられた。藤林調停委員長が怒って退席したというのだが、国労の機関紙「国鉄新聞」の3月1日付によると、今国会で公務員は900円の給与改定が行われるため、これに合わせよという圧力が政府・日経連から藤林氏にかかっていたのだという。3月9日の公労委が提示した調停案は基準内賃金を1200円(専売は1100円)増額することとし、電電と郵政については使用者側委員が平均1100円を上回ることを承認されなかったことが少数意見として付記されるといった内容だった。公労協は10日の戦術会議で政府が調停案を受諾して予算措置を講じれば応諾することを公労委に回答した。
 政府は3月11日に官邸に、松浦周太郎労相、中村梅吉法相、水田三喜男通産相、宮澤胤勇運輸相、大久保留次郎行政管理庁長官兼国家公安委員長、石田博英官房長官、倉石忠雄自民党国会対策委員長、平田大蔵次官、斎藤労働次官、伊藤郵政政務次官、石井警察庁長官、公社側から十河国鉄総裁、入間野専売公社総裁、靫電電公社副総裁らが集まって協議したが、1200円の増給を32年度の予算の枠内で実施できるかはさらに検討を要する。1200円の数字の基礎が不明であるということで結論は出なかった。宮沢胤勇運輸相は小倉副総裁秘密書簡で国鉄当局が国労に確約した賃金確定32年1~3月分と3月末の業績手当に要する財源の移流用の了解を大蔵次官に求めたが了解はえられなかった。
 こうした情勢のため総評を中心とした官民労組の統一闘争は3月11日から実施され
国労が2日間にわたり1662箇所の駅、201箇所の客貨車区等で半日職場大会、遵法闘争を実施したため、大量の列車運休遅延を出し全国的に大混乱した。
 社会党は11日政府に対し「調停案を受諾せよ」との申し入れを行うとともに、政府・労組間の斡旋に乗り出した。
  政府は11日午後院内大臣室で、岸首相、池田蔵相、松浦労相、石田官房長官らが対策を協議した結果「公労協の実力行使を回避するため、公労協に対して時期をみて仲裁裁定を申請する」方針を決定し、同夜開かれた岸首相ら政府首脳と社会党浅沼書記長との会談で19日、20日に予定されている国労などの第四波実力行使を回避するため努力することで意見の一致をみた。
  ところが12日の閣議及び同日夕刻の労働関係閣僚懇談会では、「調停案の拒否理由や、仲裁裁定がなされた場合の態度については検討を要する」との態度をとったため、公労協は仲裁裁定を故意に遅らせているとして16日に第三.五波の実力行使を設定した。
 社会党は緊急国対会議を開き「仲裁裁定は4月1日から実施するよう、政府が確約する以外官公労の第四波を避ける方法はない」との態度を決定、14日に横路節雄国会対策委員長、池田禎二代議士らが石田博英官房長官と会見、15日に岸信介首相と鈴木茂三郎社会党委員長との会談を開くことを申し入れ、自民党、運輸省、国鉄総裁との折衝を開始した。
 政府は14日の次官会議、15日の閣議で各調停案を拒否して仲裁申請を行う方針を決定、石田官房長官は「仲裁裁定については公労法の精神にのっとり誠意をもってこれを尊重する。この際労使とも静かに仲裁裁定を待つことを希望する」との談話を発表。 16日午前零時20分~45分に岸・鈴木会談が首相官邸で開かれた、政府側は岸首相、松浦労相、石田官房長官、社会党は鈴木委員長、浅沼書記長、横路国対委員長、池田禎二代議士らが出席、会談後石田官房長官と浅沼書記長が共同発表を行った。
 石田官房長官は「社会党から仲裁裁定を尊重するとの申し入れがあったがこれは総理も今までにしばしば述べたところで、異論がないと回答した。また、政府機関を通じて下部に徹底せよとの申し入れもあったが、あらためて田中副長官をして徹底するよう答えた。‥‥争議の解決にあたり責任者の処分をしないとの申し入れについては慎重に考慮すると答えた」と述べた。
 浅沼書記長は「岸首相から仲裁裁定については誠意をもって尊重し、その実現のため努力すると述べられた」とした。
 この会談を受け公労協は実力行使回避に動いた。国労は年度末手当0.31月分と賃金確定にかえての一時金を3月22日に支給することで了解したが、しかしこの妥結は大蔵省の了解をえておらず、23日に支給困難となったため国労は午後から抜き打ち職場大会に入り、東京管内の主要線が運行困難となり、運輸大臣が午後3時50分に国鉄総裁に業績手当の支払いを命じ収拾されたが、ダイヤは終日乱れ、翌朝まで乗客の騒動が続く始末だった。
 この岸-鈴木会談は仲裁裁定の完全実施を定着させたものと評価されている。例えば全逓の宝樹委員長が「仲裁裁定の完全実施は英断だった」としているように公労協側の獲得物は大きかった(会談をお膳立てしたキーパーソンは石田博英官房長官だった。岸首相を説得したのが石田長官といわれている)。しかし、にもかかわらず、違法行為は続けられたし、安保闘争の集団行動で自信をつけた社会党、総評はスト権奪還のためのILO闘争を方針とするなどエスカレートしていった。岸-鈴木会談は客観的にみると第四波の実力行使を回避するための政治決着で、間欠ストの続行という脅しは相当にきいているとみることができるし、結果論として労働組合にアメを与え増長させる要因となったと思うからこの政策判断を疑問に思う。
 仲裁裁定完全実施定着の「立役者」石田博英氏は労働大臣就任4度に及ぶが、石田労政の組合に好意的な政策は日経連からも批判されている。昭和36年の春闘において、公労協が3月31日に半日ストを構えたが、石田労相はストを止めてもらうために、職権により公労委に仲裁請求を行った。
 その結果、公労委の定昇別10%(林野、アル専は12%)平均2300円の賃上げになったが、その後に妥結した民間の組合の賃上げも大幅で、結局この年の春闘相場は約3000円という大幅なものになったのである。
日経連の前田専務理事は「この大幅な賃上げは経営者の屈服賃金であり、その原因は人事院勧告ならびに公労委の仲裁裁定にある。公労協のスト宣言は法秩序の挑戦であるが、政府がこれに対し、調停段階をとばして仲裁請求を行ったことは、ストの圧力に屈して事なかれ主義に陥ったものだ」としているが、私もそのとおりだと思う。

 昭和39年池田・太田会談-民賃準拠ルールの確立 史上空前「陸海空統一スト」の脅しに屈した池田首相
 
39年春闘で総評はヨーロッパ並高賃金の獲得、大幅賃上げを目標にし、その前年に総評の太田薫議長、岩井章事務局長は高原闘争で執拗に闘う、25~30%賃上げをぶちあげていたが、4月17日に史上空前の「陸・海・空統一ストライキ」を構えた。これは公務員は日教組・自治労など5単産、公労協は国労・動力車・全逓・全電通など9単産、民間は私鉄など24単産386万人が17日に概ね半日以上一斉にストに突入するものだった。

 公労協は4月4日に「スト宣言」、大橋武夫労相は違法ストに対する反省を促すとともに各当局もそれぞれ警告を出したが、組合側は無視、国労は7日に全国35線区のスト実施地区を明らかにし、「ストダイヤ」を発表した。右派系組合員・共産党系組合はストに反対した。マスコミはこれを大々的に報道し固唾を呑んで事態の推移を見守ったが、池田勇人首相(この年の11月に喉頭癌の前がん症状で辞任)が事態の収拾に乗りだし15日に総評太田議長との直接会談でスト回避を説得することを決定し、NHKテレビに出て政府の立場を国民に説明するパフォーマンスをやってのけた。
 このお膳立てに奔走したのが池田番の政治記者だった田中六助氏(後の通産大臣・幹事長)とされる。
 16日午前9時40分総理官邸において、池田勇人首相、黒金泰美官房長官と太田総評議長、岩井事務局長、安垣政治局長が出席した行われた会談では、次の二点を文書で確認した。

1公共企業体と民間企業との賃金格差は、公労委が賃金問題を処理するに当たって、当然考慮すべき法律上の義務である。従って公労委における調停等の場を通じて、労使ともにこの是正に努力するものとする。
2公労委の決定についてはこれを尊重する。

 このほか、住宅、義務教育費などの負担問題、労働災害問題、公労委の組織、運営、公企体のありかた、最低賃金問題で首相が見解を述べ総評側が了承した。

 会談のなかで、池田首相は「私が一番申し上げたいことはストライキを止めてほしいということだ」云々と切り出し、太田氏が「明日のストライキを延期するよう努力するつもり」と答えたというのが会談の内容だった。こういう会談の設定は組合側に有利なのである。ストを止めてもらわないと首相のメンツを潰すことになるから、メンツを潰されないようにするため組合側にアメを与えなければならないからである。

 この会談により事態は収拾され17日のストは小規模のものになった。マスコミ・世論は史上空前のストを止めた首相に好意的だったが、その代償は大きかったと思う。5月19日に国鉄・林野9.5% 、郵政7.5%、電電・専売6.5%、平均2209円賃上げの仲裁裁定が出された。これは兼子公労委委員長の談話によると「民間賃金の引上げ趨勢がおおむね明らかになってきたので、これを裁定の内容に反映させた」としている。
 以後これが先例となって公企体等の春の賃上げについては、まず公労委の調停の中で、民間の春闘の賃上げを反映すべく努力がなされ、その上に立って仲裁裁定が出されることになった。いわゆる民間賃金準拠原則が確立されたのである。
 ストで脅した結果の組合側の獲得物は大きかった。民間並の生産性を有し、企業としての業績をあげているなら別だが、民賃準拠ルールを与えたことは今日的観点からすれば疑問に思える。またまた組合にアメを与える結果となったのである。
 池田・太田会談に対しては日経連あたりから、強盗が玄関の前に立っていて、中に入れてくれと言っておるのに戸をあけたようなものとの非難があり、自民党反主流派も批判していた。
 しかも、このことは非現業公務員の給与問題にまで波及したのである。社会党に公企体職員と非現業公務員の不均衡な給与政策、公企体には財政的に苦しくても仲裁裁定は完全実施できるのに人事院勧告は完全実施できないのかと政府を攻撃する口実を与えることになった(昭和29年から昭和34年まで人事院のベースアップ勧告は留保され、報告のみがなされていた。給与を決定すべき諸条件に幾多の不確定な要因を含んでいる現段階において単なる民間給与との較差をもって俸給表の改正を行うことは当を得た措置ではないとしていたのである。ところが昭和35年に春闘相場を上回る12.4%の給与改定を勧告した。これは調査時点を3月から春闘相場が反映する4月に変更したことと、ラスパイレス方式を採用したことによる。以後の人事院勧告は高率ベア勧告になるが、政策上の理由で昭和45年まで完全実施は見送られていた)。
 
 以上、私は昭和30年代の政策、その時期は労働運動の高揚期であったにせよ、岸-鈴木会談、池田-太田会談の政策判断を疑問とするものである。結局ストライキの圧力に政府は屈している。昭和32年に仲裁裁定完全実施慣行が成立し、39年に民賃準拠ルールが確立したのは、ストで脅して政府の政策を縛ることに成功したのである。結果、公共企業体はその生産性に釣り合わないレーバーコストを抱え込むことになったのではないか。公共企業体の組合にアメを与えて国鉄などの業績が良くなったいえるだろうか。そういうことはなかったわけである。スト権を付与することに慎重にならざるをえないのはこうした教訓にもよるものである。

引用参考文献
鈴木伸一「日本の労働立法政策-ILO八七号条約批准問題をめぐる政策決定過程」『季刊人事行政』19号1982-2
芦村庸介「裁定完全実施に道拓いた岸・鈴木会談の実現」『季刊公企労』70最終号
渡邊健二「池田・太田会談(1)民賃準拠の原則確立」『季刊公企労』70最終号
堀秀夫「池田・太田会談(2)労働事務次官の立場から」『季刊公企労』70最終号

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