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2007/02/04

ILO87号条約批准問題をめぐる政策決定過程の問題点(3)

1 昭和30年代のILO87号条約批准問題の概略

 今回はILO問題が動き出す昭和38年の経過にはふれず小幅の内容とします。

川西正彦
 
4)総評のILO闘争の強化と倉石忠雄ILO問題世話人会代表らによる社会党との窓口折衝の開始

第1回http://antilabor.cocolog-nifty.com/blog/2007/01/ilo871_cadb.html
第2回http://antilabor.cocolog-nifty.com/blog/2007/01/ilo87_06e8.html

 昭和35年岸内閣が提出したILO87号条約批承認案件にともなう関連法の改正案ではつぎのような規定があった。
(1)管理、監督又は秘密を扱うカテゴリーに属する職員は、一般の職員が結成する組合に加入できないこと
(2)在籍専従は、法律施行後三年間に制限されること。この規定は公労法、地公労法、国公法及び地公法のすべてに設けること。
(3)職員は、違法な組合指令に従うことが禁止されること。
(4)総理府に設置される人事局は、人事院からその主要な機能を引き継ぐこと。
(5)人事院規則で規定している組合の登録に関する事項を法律で規定すること。
(6)国鉄の服務違反に関する罰則は強化すること

 組合側は公労法4条3項、地公労法5条3項(職員でなければ組合員にも組合役員にもなれないことになっていた)の削除については賛成したが、残余の部分の多くは組合活動に制限を科すものであったから、これを批准承認にともなる便乗改悪として反対したため、国会では一度も審議されずに廃案となった。
 もちろん安保条約を批准したときのように野党にその意思を強要することも不可能ではなかったはずである。しかし、87号条約批准は政府にとって主要な緊急課題ではなかったし、自民党は国内法改正案のすべてに賛成というわけでもなかった。内閣もILO問題の解決の緊急性を感じておらず、国会の活動は延期され、対決が回避された。
 87号条約というのは労使おのおのによる団体設立・加入の自由、労使の各団体の代表者選任の自由、これらの団体の行政権限による解散からの自由を定めたものであるが、第1回で述べたとおり、ILO87号条約は争議権を扱うものではないから、公務員の争議権の否定を前提としての87号条約批准である。また日本が既に批准していた98号条約(団結権・団体交渉権についての原則の適用に関する条約)は「この条約は公務員の地位を取り扱うものではなく、また、その権利又は分限に影響を及ぼすものと解してはならない」とあるように、公務員は適用除外になっている(行政改革推進本部専門調査会12月資料27頁全農林警職法判決参照http://www.gyoukaku.go.jp/senmon/dai5/siryou2.pdf)。しかも岸内閣の提出した最初の法案には、違法な組合指令に従うことを禁止し、国鉄の服務違反の処罰強化がもりこまれていたわけです。
 また、岸首相は人事院の改組にも積極的な見解を述べているが、別にこれは今日よくいわれるような労働基本権の付与との引き替え、リンケージとかそういうことではない。公務員に労働基本権は付与することはしないで人事院を縮小・改組するという政策である。リンケージは組合側の発想である。後述する、倉石ILO問題世話人会代表と社会党との窓口折衝で38年の1月組合側から公務員に団体交渉を認めることを条件に総理府に人事局を設けることを受け入れるとしたことにはじまる発想だろう。
 労働省の政策がプロレーバー的色彩が濃いとしても政府においてはILO条約批准によって公務員に労働基本権を付与するという発想は初めから全くなかったし、それをやる義務など課されているわけでは全くない。
 
 前回仲裁裁定完全実施の慣行を確立させた昭和32年岸信介首相-鈴木茂三郎社会党委員長会談、政府自民党と社会党の合意による政治決着が労働組合を増長させる要因になったと述べましたが、これはILO提訴の前の事柄だからILO問題は関係ない。
 労働省のプロレーバー政策を石田博英官房長官の強力な説得により岸首相が追認したものである。要するに社会党とつるんだ合意というものは、石田氏個人の政治力によるところが大きいと考える。『石田労政』によると石田氏は「仲裁裁定の完全実施ををきめた時は、三日ほど池田蔵相に口をきいてもらえなかった」と述懐しているように、石田官房長官主導の政治判断については財政当局は不満があったことを看取することができる。
 岸内閣の方針は、仲裁裁定完全実施というアメを与えつつ、労働組合の違法行為には厳格に対処するというムチをともなうものだったということは、32年6月の岸内閣6月改造で石田官房長官が労相に就任し衆院社労委で「今後とも仲裁裁定については責任をもって対処したい。しかし労組の違法行為に対しては峻厳な態度をもって一貫する」としていることで明らかである。
 その趣旨は仲裁裁定は実施するから違法行為はやめさせ、労働運動の健全な発展と言うことになろうが、しかし、そんなものはしょせん幻想に過ぎなかったのである。
 社会党は安保闘争の集団行動で自信を強め昭和35年11月20日の総選挙で議席倍増により再び社会党の指導下で集団行動が再起することを期待していた。同年公務員共闘が発足した。国と地方公務員、教員の大衆的共闘組織が強化され安保闘争とも連動し、公務員共闘は数次の時限ストを行っているが、人事院勧告が12・5%引き上げという高率ベア勧告となった。闘争で味をしめていることになる。
 昭和35年10月に総評は、スト権奪還特別委員会を設置した。スト権は直接の標的ではなく窮極の目標であるとしても、ILO87号条約批准問題で組合側に譲歩を促し、組合活動に制限を加える法改正に反対していくための戦略とみることもできる。しかし、総選挙で社会党の議席は伸びず保革の議席の割合は変わらなかったのであり、国内政治だけで組合側に譲歩を迫ることはできなかった。
 そこでスト権奪還特別委員会はILO闘争を強化して、ILOに提訴するナショナル・ユニオンを支援した。国公共闘の申し立てからはじまり、日教組、国労、自治労が続いた。
 ここに至ってILO提訴の趣旨は変質した。1960年代は国際的にも公務員の労度運動が高揚した時期とされるが、公務員法制という国制の根幹にかかわる政策を国際機関への提訴によって圧力をかけ問題の解決を延引させることにより日本政府への制裁を期待し、政府を困らせて泥沼にはめてしまおうという悪質なものになっていった。
 そもそも89号条約条約批准の発端は労働組合員の役員選出の制限(公労法4条3項、地公労法5条3項)が労働組合権を否認しているという提訴からはじまり、労働省当局が推進した第一の目的は公労法4条3項、地公労法5条3項の削除であったことは第1回に述べたとおりであり、当初は批准にあたって公務員は考えなくてよいということだった。
 それが、87条約批准とは直接関係ない事柄である、公務員のスト権、団体協約締結権にまで提訴の内容が拡大していったのである。
 
 昭和38年までにILOに申し立てられた数は厖大なものになったが、鈴木伸一(人事院研修審議室参事官、筑波大学社会工学系教授を歴任)の論文によると次の15項目を列挙している。

(1)労働組合の組合員資格及び役員選出に対する制限(公労法、地公労法)

(2)スト権否認並びに調停及び仲裁制度の欠陥(公労法、及び地公労法)
(3)管理職員等の結社の権利の否認(公労法及び地公労法 )
(4)団体交渉の否認(地公労法)
(5)警察官、監獄職員といった特定の職務に従事する職員の結社の権利の否認(国公法) 
(6)在籍専従制度の削除
(7)団体交渉(国公法及び地公法)
 ⅰ団体協約締結権の否認(国公法及び地公法)
 ⅱ組合費のチェック・オフに関する団体交渉の法の干渉(地公法)
 ⅲ地方公務員の団結権によってカバーされている諸事柄の規制(地公法)
(8)地公法下の組織の登録と範囲
(9)スト権の否認及び代償的保障の欠如(地公法)
(10)国公法の改正
(11)警職法に関する陳述
(12)国労への干渉行為及び組合への労働者の加入に対する干渉行為
(13)日教組に影響を与えている反組合的差別待遇行為及び組合の否認行為
(14)政府職員で作られた特定組織への干渉行為及び否認行為
(15)自治労加盟組合に対する干渉行為

 池田勇人首相(在任昭和35年7月~39年11月)は87号条約の早期批准を考えていたとされる。自民党では福田赳夫政調会長がILO問題の解決のために倉石忠雄元労相(岸・福田派)を代表とする「ILO世話人会」という非公式な委員会を設けた。倉石忠雄氏は自民党右派とみなされるが、労働政策はリベラルで、岩井総評事務局長とのパイプがあり、社会党との合意による早期批准を目指す独自の立場をとっていた。倉石ILO世話人会代表が主として社会党との窓口折衝を行った。なお、この窓口折衝の幾つかには岩井章総評事務局長と宝樹文彦全逓委員長といった総評のリーダーも参加していた。
 一方、自民党内には文教部会・文教調査会及び治安対策特別委員会に拠っていた、文教・治安関係議員が組合との妥協によるILO問題の解決に強く反対していた。このグループの最有力者である荒木万寿夫文相(池田派)は昭和36年1月20日の会見で、仮に結社の自由委員会が日教組の申し立てに共鳴し日本政府を非難したときはILOを脱退すべきとまで述べた。
 自民党倉石忠雄元労相と社会党河野密議員の窓口折衝が軌道に乗ったのは昭和38年の通常国会であったが、窓口折衝の内容が朝日新聞にスクープ記事としてトップに掲載されたことから幾多の論議を巻き起こすことになった。「倉石問題点」という折衝のなかには、当時文部大臣が会見を拒否していた日教組とのいわゆる中央交渉の問題に触れられていたことから、自民党の文教関係議員の間に強硬な反対論を巻き起こすことになったのである。

 引用・参考文献
 芦村庸介「裁定完全実施に道拓いた岸・鈴木会談の実現」『季刊公企労』70最終号
 鈴木伸一「日本の労働立法政策-ILO八七号条約批准問題をめぐる政策決定過程」『季刊人事行政』19号1982-2
 堀秀夫「ILO八七号条約批准問題(1)「ドライヤー委員会」の思い出」季刊公企労70最終号

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