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2007年6月の10件の記事

2007/06/24

読書感想-松下憲一『北魏胡族体制論』

 一部のサイトで「電波」よばわりされてますが、当ブログでは女系容認の皇室典範改定で易姓革命合法化、異姓簒奪となり日本国は終焉する。たとえ日本と自称していも簒奪王朝は偽日本国になると書きました。この見解は変わりません。日本は王朝名だから、革命なら日本でなくなるのが筋目というものです。
 中国歴代の王朝名、国号の意味については渡辺信一郎『中国古代の王権と天下秩序』校倉書房2003年を引用し後漢初期の『白虎通徳論』-普通名詞である天下を、固有名詞化するための美称とする説と、同代の王充『論衡』の各王朝が興起、発祥した土地の名前とする説が対立しているが、王充『論衡』説が多数説であり、実際、秦漢以降、宋遼に至るまで主として王朝発祥の地が採用されていることを書きました。金元以降は美称が採用されているがここでは問題にしない。
 そこで王充『論衡』説に依拠し、日本も倭も内実は「やまと」であることから(日本を「にっぽん」と音読するのは平安時代以降)、『釈日本紀』にある藤原春海の「延喜開第記」延喜四年の見解は妥当なものであると評価し(すなわち他ならぬ大和国を取って国の名ととしたのは、神武天皇が大和国で王業を成就したからである。天皇の始祖は筑紫に降ったのに、その地の名をとらず、「倭国」を取って国号としたのは、周の王朝に関して、その祖先たちの拠った地でなく、武王が王業が定めた地である周をもって国号としたのと同じであるという説)、従って周王朝との類比で国号が成立しているわが国も国家を以て一姓の業とする中国の国家観念を継受しているのは確実で、要するに日本も中国歴代王朝も王朝が発祥した、あるいは興起した土地を、王朝名、国号とする構造では全く同じであり、国制とはそういうものだから事実上の易姓革命容認で日本国はおしまいと述べました。 
http://antilabor.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/post_6489.html
 松下憲一『北魏胡族体制論』北海道大学出版会2007年「第5章北魏の国号『大代』と『大魏』」に関心をもったのは、国号の意味について詳しく検討がなされているからです。
 松下氏は北魏時代の石刻資料について、国号として「大魏」「皇魏」の使用が大半だが、「大代」「皇代」の使用も散見し、道武帝が「代」から国号を「魏」に改易した後も北魏時代を通じて「大代」の使用を確認、碑・墓誌・造像記・写経題記には一般的通例として「大代」が使用されている。『魏書』では「代」は意図的に排除されているものの、実態として国号は「大代」と「大魏」が兼称され「大代大魏」と併用するものもあり、国家側もそれを認めていたことを考察している。
 北魏(386~534)とは、北方遊牧民族の鮮卑拓跋部によって中国華北地方に建てられた王朝で、鮮卑拓跋部を中心とする遊牧部族連合体の代国を前身としていた。戦国時代の大国魏、漢魏革命を成し遂げた曹魏と区別するため北魏という。
 310年西晋懐帝より君長猗廬が大単于・代公に封じられ、315年に西晋愍帝より代王に進爵。代郡・常山二郡を食邑として与えられた。「代」地域とは現在の山西省大同盆地のあたり。386年正月拓跋珪は代王に即位、4月に拓跋珪は魏王に改称。
 398年拓跋珪(道武帝)は群臣に国号を議定させ、群臣は「代」を国号とすべきと主張した。すなわち「我が国は万世に受け継がれる基礎を雲代にひらいた。周秦以前の例に倣うならば、まさに『代』を国号とすべき」との常識的見解だった。これは我が国が「倭国」を取って国号としたのは、神武天皇が大和国で王業を成就し、万世の基礎を築いたことと全く同じ論理である。
 ところが崔宏は受命思想にもとずいて天下国家の称号として「魏」を国号とすべきと建議した。「夫れ魏者大名、神州上国、斯れ乃ち革命の徴験、利見の玄符なり」というのである。結局、崔宏の建議が採用され国号を「魏」と定めたのである。拓跋珪(道武帝)が「魏」を採用した理由について松下氏は東晋の遣使に対し自国の正統性を主張するためだとしている。
 拓跋珪(道武帝)は天子の旌旗を建て、40万の国軍を率いて中原制覇に乗り出す状況にあった。東晋は江南方面の地方政権になってしまっている。中原を支配していなければ天下国家の実質を備えていないともいえる。代国がかつて曹操が後漢の献帝から事実上、冀州の魏郡など十郡を割譲させた魏公国の領土を加えたことの意義が大きい。魏郡のあたりから黄河の中流域が、地理的な意味での九州の中心部になるといってさしつかえな いと思いますが、つまり、殷の都安陽、黄河文明発祥の地鄭州、九朝古都洛陽そのへんの重要地域を支配してなければ天下国家とはいいにくい。「魏」は東晋に対してこちらこそ天下国家ということを誇示できる国号という意味だろう。崔宏の建議も『白虎通徳論』をふまえるならば理屈は通っている。
 もっとも崔宏は、国の由来を「代」に求めることを否定していない。「三皇五帝の立号は、或いは生まれた所に因りむ、或いは封国の名に即した。故に虞夏商周は始め皆諸侯であり、聖徳が隆盛し、万国が宗主として推戴するに及んでも、称号は本に随い新たに立てなかった。ただ、商人はしばしば移動し、殷に号を変えたが始封である商を廃していない」云々と述べているとおりである。ルールはそういうことだが、諸侯から天下国家へ転身を印象づけるには、対外的には、神州上国で価値のある「魏」国号が得策という判断があったということだろう。

 しかし、松下氏によると国内的には西晋から封建された「代」国をもって国号とする意識は継続していた。また432年の崔浩の建議から道武帝は「魏」を国号と定めた後も、「代」が始封であることを重視し、「代」は廃されず残し、古の殷商のように「代魏」が兼称されたことを松下氏は明らかにしており、これで「代魏」兼称の理由は明解である。
 始封が重視される意義については、松下氏は支配層の「代人意識」が深く関与しているとするが、国号とは各王朝が興起、発祥した土地の名前とする王充『論衡』説の流れをふまえて常識的なものであるといってもさしつかえないのではないだろうか。
 道武帝が天下国家の称号として「魏」を採用したとしても「代」国号を兼称したのは、王朝が興起、発祥した土地を国号とする基本的なルールに則ったものであり、それは歴史的に一貫したものと理解してよいのである。

川西正彦
 

2007/06/23

高業績業務システムと90年代以降の仕事遂行方法

 アメリカでは、90年代にドラマチックなダウンサイジングを続け、目立ったレイオフやリストラクチュアリングがあった。仕事の遂行方法も50~60年代のありようとは変化した。
 MITのポール・オスターマン教授(註1)によると、アメリカの企業が80年代から90年代の競争的課題に対応した重要な方法のひとつが、高業績業務システムであるという。つまり従来のシステムは、職場は厳密な分業と狭い範囲で設計された専門的な職務で編成され、意思決定や評価は監督者の手中にあったが、品質を改善し、顧客のニーズ応えることができないため、権限、裁量を下層部の従業員に移し、官僚的な階層を排除し、仕事の定義をフレキシブルにするのが高業績業務システムである。
オスターマンは具体的には、QCサークル/ラインを離れた問題解決グループ、ジョブ・ローテーション、自己管理型業務チーム、総合的品質管理、2つ以上(多数)の業務活動、具体的な企業名では、サウスウエスト航空(パイロットでも時には手荷物業務を行う)、ベルサウスのチーム方式、NUMMI、GMのフリモント工場を挙げているが、オスターマン教授の全米事業所調査によると1997年の調査では基幹従業員の半数が高業績業務活動のある企業の割合はQCサークル/ラインを離れた問題解決グループが57.4%、2つ以上の業務活動が70.7%に達していることからみて、アメリカでは高業績業務システムは90年代のリストラクチュアリングで相当に浸透しているのである。

 佐藤健司(註2)は高業績業務システムとヒューマンリソースマネジメントを結びつけた議論を展開し、新しいスキル獲得のための教育訓練、メール・グループウェア・ネットワークによる組織横断的で十分な情報共有・社内コミュニケーション、クロスファンクショナルチーム、エンパワーメントの組み入れ、煩わしいプロセスの簡素化、水平的な組織、節約型賃金分配制度、従業員持株制度、利益分配制度、チーム別業績給、能力給、インセンティブ報酬システム、雇用保障、献身的で生産性の高い従業員層を確保するための業務環境支援といったことも高業績業務システムだとしている。

ただ佐藤の議論は資源ベース型の企業の特徴とごっちゃになっている感がないでもないが、オスターマン教授と同じく、従業員のアイディアや創造性の活用がコミットメントを強めること。管理監督者が減ってコスト削減となること、ピーアプレッシャーが生産性向上となることを経営者は肯定的に評価していることを述べている。

 上記の事例はいわゆるフルタイム労働者のことをいっている。しかし私が思うには、ウォルマートのパート労働者も高業績業務システムだと思う。ウォルマートが現場主義で時給ワーカーのデパートメントマネージャーの裁量が大きい組織であることは既に述べたとおり。パート労働者はただタイムカードをパンチして箱から商品を出して陳列してといった与えられた作業をやるだけの時給ワーカーでなく、商人でもあるだ。デパートメントマネージャーをヘッドにしたストア・ウィジン・ア・ストアという戦略ユニットがある。これはQCサークルの応用ともいわれているが本部は徹底的にサポートする。数値は時給ワーカーにも公開していて、時給ワーカーでもエンパワーメントの思考をするようになっている。ウォルマートの現場人員は、自らの店舗を自らの頭で考え改善していくのだ(註3)。 
 高業績とはこういうことという見本のようだ。しかも低いレーバーコストで高いパフォーマンスなのである。そういう意味でもやっぱりウォルマートは偉大な企業だと思う。

 高橋俊介によるとアメリカの大企業は80年代から職務等級制度はそのままで、目標管理制度を組み合わせる成果主義を取り入れた。90年代になると職務等級制度の序列構造自体が問題視され、新しい成果主義の潮流となる。大企業は組織のフラット化、MBA取得者が幅をきかせるスタッフ官僚制の打破、顧客満足度の重視から官僚的体質の組織を解体され、職務等級がブロードバンド化され。職務評価を廃止してコンピタンシー(コンピタンシーという概念が多義的で難しいが、成果に結びつく能力全部を含む、行動特性、思考特性などと訳され、主体的ジョブデザイン行動やネットワーキング行動を含む)の重視、市場給与相場の重視、ハイテク企業や金融業界は職務等級なしで市場給与相場比較のみとなった(註4)。
 評価の仕方も行動評価やチームワークを重視し、管理監督者だけでなく、同僚・部下・顧客など360度多面評価を行う企業は97年で、フォーチュン500社の半数まで普及している。これは顧客ロイヤリティ経営、顧客満足度重視によるものである(註5)。もはやジョブコントロールなど時代錯誤、たんなるヒラメ人材は360度評価で生き残れなくなっているというべきだろう。

(註1)P・オスターマン著、伊藤・佐藤・田中・橋場訳『アメリカ・新たなる繁栄へのシナリオ』ミネルヴァ書房(京都)2003年
(註2)佐藤健司「高業績業務システムの展開と人的資源管理」伊藤・田中・中川編著『現代アメリカ企業の人的資源管理』税務経理協会2005年
(註3)鈴木敏仁『誰も書かなかったウォルマートの流通革命』商業界2003年
(註4)高橋俊介『成果主義』 東洋経済新報社、1999
(註5)高橋俊介『ヒューマン・リソース・マネジメント』ダイヤモンド社2004年

2007/06/20

非食品24時間営業は便利だ

きょう初めて知ったんだけど、西友で非食品、衣料品も24時間やってるんですね。これは便利だ。家に帰るのは10時以降がほとんどですが、コンビニは下着とか高くて品揃えがなく便利でなかったですから。
さっそく枕とタオルと靴下とビールを買いましたよ。独身だから洗濯が面倒なんで、枕はカバーなんて洗ってられないから使い捨て。靴下も3枚で600円弱だから使い捨てでももったいなくない。ダイソーで100円の靴下もありましたが、200円なら満足だ。
ロールバックの説明がありましたが、なじみがなくてわかりにくい。
雑誌の売り場もみましたが、エロ本系がないんで買いたいものはなし。

2007/06/18

『パブリックスの「奇跡」』について(4)

 パブリックスの特徴のもう一つは、従業員利益分配制度と持ち株制度である。つまりパブリックスはウェルフェア・キャピタリズムの経営手法を採用しているともいえる。ウェルフェア・キャピタリズム(産業温情主義ともいう)とは非組合型労使関係が浸透した1920年代の労務管理手法のひとつであリ、全米製造業協会の反労働組合の保守主義的な政策、レイバーインジャンククションで労働組合を抑え、アメリカンプラン(クローズドショップを雇用機会の自由を妨げる非アメリカ的なものとして徹底的に排除する)のオープンショップ運動とは対照的に、体系的管理運動、福利厚生事業や、雇用安定、内部昇進、労働組合に代わる従業員代表制などで労働組合主義を排除していく経営手法の系譜のことである。
 この点は古い経営手法といってよいと思う。つまり利益分配制とは会社の業績が良ければボーナスで従業員に分配するやり方だが、非組合企業が採用する手法のひとつで、もともと賃金問題から労働者の目をそらすことから始まったともいわれる。持ち株制度は1920年代には資本家と労働者に友好的な関係を構築し、ストライキの脅威をなくし、共産化を阻止する実用的な手段として賞賛されていたものだった。但しパブリックスで従業員持ち株制度をはじめたのが1958年からとされている。現在パブリックスの50~60%は従業員の持ち株といわれている。但し株式を売却する市場はない。会社が買い戻す先買権を有している。著者は従業員のやる気を刺激していると論じているが、会社への忠誠度を高めるための制度のように思える。
 パブリックスの管理職の給与は明らかに高い、従業員の提案についても金銭的報償で応えている、気前の良い給与と充実した福祉で、組合の組織化を阻止する非組合企業の手法は古臭いやり方で感心しないが、それでも非公開企業で株主から文句を言われる筋合いはないし、業績が良いから問題はない。フロリダという購買力のある環境で古い手法でも安泰なのは恵まれているともいえる。
 ウェルフェアキャピタリズムは別名雇用官僚制ともいわれるように、官僚制が肥大化する悪弊も見られるわけである。この点、パプリックスは州外に進出するまで60年もかかっており、本部体制がスリムなフラットな組織で企業哲学を経営者と従業員が共有する企業文化構築に成功したため、悪弊が見られないのだろう。

参考文献

スチュアート・D・ブレンデス、伊藤健市訳『アメリカン・ウェルフェア・キャピタリズム』関西大学出版部2004年

平尾・伊藤・関口・森川編著『アメリカ大企業と労働者-1920年代労務管理史研究』北海道大学出版会
1998年

2007/06/13

『パブリックスの「奇跡」』について(3)

 ということは、たぶんパブリックスには職務記述書はないのだろう。社内的に役職を笠に着た対人関係を構築しない方ということも著者は記しているが、従業員にフレンドリーで官僚主義的でない社風が成功している事例といえるだろう。 もっとも私は、職務記述書による管理を否定するものではない。よくアメリカでは、人に職務をつけるのでなく、職務に人をつけるとよくいわれますが、それ自体は理解できるし公正な在り方のようにも思います。日本的雇用慣行はフレキシブルな面もあるが人に仕事を与えるとかつけるやり方は後述するように恣意的になりがちで良くない面もあるから。
 高橋俊介(註1)によるとアメリカでは「職務記述書」はIT業界では使われなくなったが、古い業界では今でも使われていると言います。これは、それぞれのポストについてこの仕事はこういうことをやる。必要な能力は何である云々といったことが、4~5枚びっしり書かれていて、職務記述書により難易度、部下の数など職務評価していくやり方。特に1964年公民権法タイトル7で人種・民族・宗教・性による差別が禁止されたため、差別リスクが大きくなり、その対応策として、ジョブサイズを科学的に評価したポイントファクター型職務等級制度が普及したのだという。
 この制度では職務記述書の難易度、ジョブサイズからこれは253点とか182点とポイント化し、ポイントにより賃金から、自室の有無、机の大きさ、飛行機のクラス、ホテルのランクまであらゆることが決まる。人事院が昔やろうとした職階制というのも類似したものだろう。
 高橋は、この制度の欠点としてヒラメ人材、官僚的で内向きの組織になる。激しい変化に対応できない。職務分析し記述書を作成する人事課の仕事自体がコストになるといったことを挙げている。
 要するに従来の職務記述書管理のやり方では、ダイナミズムは生まれないし変化に対応できない。それで80年代から目標管理で自発性や意欲を引き出し、目標達成度を賞与や賃金にリンクする成果賃金が広がった。日本では90年代後半から民間から普及していったものである。
 一方、職務記述書とは対極的な業界もある。例えばIT企業で著名なサンマイクロシステムズの社風(註2)ですが、長時間勤務で永遠に終わらない仕事を抱え込むことを耐えられない人間は振るい落とされるハードワーク主義とみなされてますが、「全員がコピーとり、ホチキス留めから高度な判断までなんでもこなす」「ちゃんとしたプロセスを踏むことは反体制的とみなされる」「人を押しのけてもよいオープンな環境」「みんなプロセスを非常に嫌ってほとんどやりたい放題」「何かやる際にほとんど制約はないし、どうやってよいかという指針もない。中心になって影響を及ぼしたい人間にとっては最適の場所」とされている。
 要するに良い意味での放任主義ですが、本当にやる気のある人材はポストやジョブサイズにこだわらず仕事をしたいのであって、細かく職務を規定しないほうが活力になるようである。

(註1)高橋俊介『ヒューマン・リソース・マネジメント』ダイヤモンド社2006年
(註2)カレン・サウスウィック著山崎訳『サン・マイクロシステムズ-世界的ハイテク企業の痛快マネジメント』早川書房2000年

続く

2007/06/12

ゆうこりんより山田愛里アナが気になる

ニフティのトップニュース、ゆうこりんが年下サンジャポADと熱愛だって。勝手にやってろ。新聞は読む暇ないし、ゴミ捨てが面倒だから止めたんだ。終盤国会とか年金とかそういうニュースは疲れるので見たくないです。嘉門洋子SM云々とかこういうくだらないニュースしか見ませんね。それより山田愛里アナはどうしたのか。みのもんたの下ネタジョークが耐えきれず朝ズバを降板したらしいが、人妻とは知らなかったが、フェミニストは何故山田アナを応援しないのか冷淡じゃないか。
 

2007/06/11

『パブリックスの「奇跡」』について(2)

 ブラントンの方針は、パブリックスの全従業員の仕事は、「お客様を喜ばせる」ことだから、それ以外の職務を規定する必要はないというものである。
 著者はわかりやすい事例としてニューヨークタイムズの1995年4月25日の記事を引いている。これはアメリカの北東部のスーパーより、南東部のスーパーの方が経営状況もサービスも良い事実を分析した記事である。ジャムの瓶が落ちて売り場にこぼれたとき、グランド・ユニオンでは、清掃はメンテナンス担当の仕事であるので、他の担当はどんなに手が空いてもモップがけはしない。パブリックスではどの部門の床であれ気づいた人が掃除をする。なぜならば、パブリックスの従業員は「お客様を喜ばせる」ことが職務だから当然のことである。他部署で問題が生じた時に力を貸すのは当たり前というわけだ。組合セクターのようなジョブコントロールがないこと、役割分担を固めないことにより命令や指示がなくても自発的、積極的に貢献することが許される。組織もフラットで官僚主義的でない良さがある。

参考 

http://www.publix.com/

アメリカ流通業研究サークル 「アメリカ食品小売業プロフィール」

http://www.seisenkobo.co.jp/doc/us-retailer.htm

続く

2007/06/10

『パブリックスの「奇跡」』について(1)

 太田美和子『パブリックスの「奇跡」-顧客満足度№1企業の「当たり前」の経営術』PHP研究所2006年を読みました。パブリックスとはフロリダ州レイクランドを本拠とする、リージョナル食品スーパーマーケットチェーンで、フロリダを中心に合衆国南東部のジョージア、サウスカロライナ、アラバマ、テネシーで876店舗を展開する。組合不在企業で非上場企業でもある。パプリックスの創業は1930年と古く、1968年にはフロリダでウィンディキシー、フードフェアに続く三位のシェアだったが、右肩上がりで成長し続け、90年代より州外に進出した。2006年にはフロリダ南部で一位56%のシェアを誇る。
  僅か5州で展開するリージョナルチェーンなので食品スーパーでは全米で6位ではあるが、13年連続顧客満足度全米№1、地元では「清潔・親切・清算が速い」ことから圧倒的に支持されている優良企業だ。

全米食品小売(生鮮・グロ-サリー取扱)売上げランキング
1位 ウォルマート・ストアーズ 988億ドル
2位 クローガー       584億ドル
3位 アルバートソンズ    363億ドル
4位 セイフウェイ      327億ドル
5位 アホールドUSA       289億ドル               
6位 パブリックス・スーパー・マーケッツ185億ドル
7位 デルハイツ・アメリカ  165億ドル
8位 H.Eバット・グローサリー104億ドル
9位 スーパーバリュ     86億ドル
10位 ウィンディキシー   71億ドル
(太田 前掲書207頁-『プログレッシブ・グローサー』誌による)
 上記の表は古く、2006年に9位のスーパーバリュが3位のアルバートソンズを買収しています。  http://www.worldtimes.co.jp/news/bus/kiji/2006-01-24T072717Z_01_NOOTR_RTRJONC_0_JAPAN-200659-1.html .. 
 ところで2003年10月11日から5ヶ月近く南カリフォルニアの大手スーパーマーケット・チェーン3社で国際食品商業労組(UFCW)に所属する組合従業員〔アルバートソンズ、セイフウエイ(ボンズ、パビリオンズを経営)、クローガー(ラルフズを経営)〕のストライキがありました。852店舗、59000人の労働者による141日間のストライキは、アメリカスーパーマーケット業界史上、最も長期に及ぶものとなった、このストライキ自体、反ウォルマートの宣伝も兼ねていた訳である。http://www.jil.go.jp/foreign/jihou/2004_4/america_01.htm 
 しかしアメリカの小売業の組織率は4%台で低い。アメリカを代表するリテーラーといえば一昔前ならシアーズ・ローバック、今はウォルマートであるが、非組合企業である。非食品小売や外食産業はアンチ労働組合なので組織化されることはまずない〔アメリカでは排他的交渉代表制がとられ、適正な交渉単位において3割以上の署名を得て組合代表選挙により過半数の労働者の支持を得た労働組合のみが団体交渉権を取得できるシステム〕。
 ただ100年以上の歴史のあるグローサリーストアから発展した食品雑貨スーバーには組合がある。しかし食品小売でも組織化されているのは22%である。パブリックスのような非組合食品小売も結構多いのである。労組や左翼の反ウォルマート運動はウォルマートが非食品ディスカウントストアから食品スーパーを兼ねるスーパセンター業態に発展し食品スーパーと競合関係に入ったことがきっかけであることは既に陳べたとおりである。
 パプリックスは食品で非組合なので、攻撃対象になったこともあった。ジョージア州ではクローガーに次ぐ二位のシェアであるが、新店舗オープンの度に食品商業労組(UFCW)に購買ボイコット運動をやられたけれども、パプリックスの従業員が幸せそうだったのでUFCWのデモはいつの間にか退散したのだという。
 パプリックスは企業文化がしっかりしているし、従業員が愛社精神に溢れ福利厚生も充実しているので、特に組合対策をやらなくても心配のない企業と見て良いだろう。
 著者はオープンドアーポリシーで自由闊達に意見の言える社風、従業員にフレンドリーな企業文化に言及しているが非組合セクターなら当たり前のことである。技能・能力より人柄、つまりハードワークに耐え、チームワークを重視し会社への忠誠を期待できる人を採用するやり方や管理職は全て内部昇進ということにも言及されているが、それ自体日本的雇用慣行に良く似ているともいえる。親子・兄弟・夫婦で家族ぐるみ従業員のケースが多いというが、良き時代のコダックのような家族主義的雰囲気にも似ているとも思った。『ファミリーナイト』や『カーニバル』のような社内行事はサウスウエスト航空の社風にも若干似ているとも思った。以上のことは格別特徴的といえる事柄ではない。
 パブリックスに特徴的なこと。高業績の秘訣は従業員はコミットメントや士気が高さにあるとされている。ハードワーカーでもある。クリンリネスの良さはパブリックスの特徴だが、棚の拭き掃除ひとつにしても精魂込め気合が入っている。ハードワークを楽しめる社風である。パブリックスではレジで袋詰めした袋を車まで従業員が運ぶサービスを何十年もやっている。荷物を運んでもチップは一切受け取らない方針だが客は無理矢理チップを握らせることが多いという。客が店に満足している証拠だ。もっとも非公開企業だから企業哲学が浸透しているという面もあるだろう。競合店よりより良い店、お客に買い物を楽しんでもらうという企業哲学が従業員に浸透している。競合のウィンディキシーでもそれをやっているのでこのサービスをやめるわけにはいかないだろう。
 著者によると以外なことではあるが、アメリカのス-パーは袋詰係がいるのが普通だという。日本ではレーバーコストを理由に大手スーパーはセルフサービスが当たり前たが、少なくとも袋詰めをやってくれる点は、アメリカのほうがサービスが良いのでは。フロリダではその上に車にまで運んでくれるのだ。
 ではパブリックスが、従業員のコミットメントを引き出すその急所は何か。それは120頁以下にある「緩やかな組織づくり」にあると思う。企業文化の基盤を固めた三代目社長ブラントン(1973年社長就任)は『パブリックスは、今まで、各人の特定の職務を示す書類を持ったことはありません』と述べている。要するに職務記述書がないということのようだ。つまりポストモダニズムマネジメントを先取りしていた企業であるということである。

続く

川西正彦

2007/06/05

英国近世における反独占、営業の自由の確立の意義(2)

 今回も前置きです

ウォルマートの企業文化とポストモダニズムマネジメント(続)

「ポストモダニズム・マネジメント」の出典は石原靖曠の『最強のホームセンター ホームデポ』商業界1998の193頁です。これはこういうことです。70年代までのチェーンストア組織論は権限を本部に集中し、管理統制型でした。店舗の仕事は工場の生産ラインのように細分化・標準化され、マニュアル化され割り当てられただけ仕事をする、働く人間に求められたのは均一性でした。しかしウォルマートは違いました。ウォルマートは人間のもつ知恵や創造性、個性を尊重し、楽しさややりがいといった感情に基づくモチベーションを推進力とした「ポストモダニズム・マネジメント」を行い、お客に対して今までにない献身的な人的サービスをつくりだした。このことはアメリカ企業社会のモラールアップに与えた影響は小さくなく、そういう意味でもウォルマートは偉大な企業です。
 ウォルマートと同様にヒューマンウェアの活力で飛躍的な成長を遂げた企業としてホームデポがあります。深い品揃えと価格の安さだけでなく、好きなものを買って取り付けサービスを利用できます。素人に捕修の材料調達、道具の技能や知識を教える人的サービスもやります。場合によっては店員がお客の家で修繕してしまうサービスをしてもやりすぎととがめられることはない自由な社風があるということです。
 乗客を楽しませることで知られているサウスウエスト航空(組合があるが社風は非組合的)の社風も「ポストモダニズム・マネジメント」でしょう。
 高橋俊介(『ヒューマン・リソース・マネジメント』ダイヤモンド社2004)によるとスターバックスは80%ノンマニュアルなのだという。接客マニュアルがない。制服もなく、上衣は白か黒の襟付きというガイドラインがあるだけ。マグカップか紙コップかは店長の裁量だという。その意味はわかりにくいが、マニュアルで統制して縛るよりも従業員にスターバックスを好きになってもらって、スターバックスブランドへのコミットメントを引き出そうという戦略のようだ。

続く

2007/06/03

英国近世における反独占、営業の自由の確立の意義(1)

今回は本論に入らず前置きだけです。

職業労働義務の倫理

 所謂ウェーバーテーゼ、近代資本主義の精神態度(エートス)は禁欲的プロテスタンティズムに由来するという説ですが、ウェーバー学者の折原浩(元東大・名大教授)のホームページに平易簡潔に説明しているものをみつけました「即興の文化比較シリーズ2006年秋 北米東海岸の旅から――アメリカ建国の歴史と現状」http://www.geocities.jp/hirorihara/hokubeihigashi.htm
 米国史に関する記述は素人っぽく、その結論については疑問にも思いますが、中段以降に、ウェーバー説の説明があります

折原論文からの引用
 
カルヴァン派の宗教信仰から、どのようにして「禁欲」が生まれるのでしょうか。この観点から重要なのは、やはり「二重予定説」(註1)です。‥‥「神は、信徒のなかでも、一握りの少数者だけを、神自身の栄光を顕す道具として選び、来世で永遠の生命に予定し、人類の残余の者は、『滅びの群れ』として打ち捨て、あるいは罪を犯させて、『永遠死滅』に予定している」と説く、峻厳な教理です。(中略)この教理を真摯に受け止めた平信徒個々人は、「この自分は選ばれているのか、それとも捨てられているのか」という疑惑と不安から逃れ、現世で「選びの予兆」として「確証」をえるため、厳格な自己審査と熟慮によって、「神与の使命」を達成していく「生き方」、すなわち「禁欲」を、みずからに強いるよりほかはありませんでした。西洋中世には、十五分ごとに時間を区切って労働する、といった規律ある生活は、修道士が修道院のなかで実践しただけでした
禁欲的プロテスタンティズム」では、いまや平信徒が、「神与の使命」としての現世の職業において、そういう「禁欲」を生涯堅持しなければならなくなったのです。かれが、事業家になるとしますと、救いを求める「禁欲」が、規律ある計画的、組織的な事業経営に結びつけられ、そういう動機のない同業者との競争に打ち勝つにちがいありません。その「成功」は、翻って「神の祝福のしるし」と感得され、「神から託された経営」をいよいよ拡張していく動因として作用するでしょう。

 

  宗教に由来する職業労働へのコミットメントを「神与の使命」とする思想が近代資本主義の行動様式の原型とする見解です。経済史家などでウェーバーテーゼに批判的な見解がありますが、私の関心は経済史でなく法制史なのでウェーバーテーゼの検証はやりませんが、梅津純一聖学院大教授(『近代経済人の宗教的起源』みすず書房1989)がリチャード・バクスターを引用して説明しているように、ピューリタンが怠惰に打ち勝ち職業労働義務を欲したのみならず、合法的な営利追求を勧告し、「神のために富裕になること」も義務としたことは明らかな事柄であり、「市民的経営資本主義」-権力に頼ることのない自己の創意に基づく合理的合法的な営利への個人的機動力がピューリタニズムに由来することは疑う余地がない。

 ウェーバーの見解、神の栄光を増すためだけの人生論はこうです。「選ばれたキリスト者が生存しているのは、それぞれの持ち場にあって神の誡めを実行し、それによって現世において神の栄光を増すためであり--しかも、ただそれためだけなのだ。ところで神がキリスト者に欲し給うのは彼らの社会的仕事である。(中略)カルヴァン派信徒が現世においておこなう社会的労働は、ひたすら『神の栄光を増すため』のものだ。だから、現世で人々全体の生活のため役立とうとする職業労働もまたこのような性格をもつことになる。‥‥『隣人愛』は--被造物ではなく神の栄光への奉仕でなければならないから--何よりもまず自然法によってあたえられた職業という任務のうちに現れる‥‥」
 私もこの思想を受け容れます。ひたすら神の栄光に奉仕するだけの人生が正しいと思います。人生の目的はそれだけでいいんですよ。職業労働義務もそれ自体が目的であって、自己や家族の利得や打算のためでは決してありません。だから家族を犠牲にして働くのは当然のことであって、ワークライフバランスなんて最も憎むべきものです。
 

  そこで著名な説教者がどう言っているのかみていきます。改革派正統主義で二重予定論者のウィリアム・パーキンズ(1558-1602)はこう言います。「時計のようなこの偉大な世界は、すべての者に自己の運動と天職を付与している。その天職に彼の職責と役割がある」「われわれの職業生活の職業の実践において人間に奉仕し、神に奉仕することです。人間をお造りになった神は‥‥人間が神の道具となって相互の益のために奉仕することを喜ばれます。この理由のために神は行政官、牧師およびほとんど無数の多様な職業を定めております」(梅津前掲書159頁)
 

  内乱期には、議会派従軍牧師として、共和制期にはキダーミンスターの教区牧師として、王政復古期には「非国教徒」として生きたリチャード・バクスター(1615-91)の『キリスト教指針』の一部を引きます。
「質問五 労働はどのような理由で、可能なすべての者にとって必要なのですか
答、一、神は厳格にそれをすべての者に命令しております‥‥テサロニケⅡ3:10~12
二、自然法にしたがえば、活動〔労働〕はわれわれすべての能力の目的です。能力は行使しなければ空しいものです‥‥。
三、神がわれわれと、われわれの能力を維持したもう理由は、活動のためです。労働は自然の目的であるとともに道徳的目的なのです‥‥。
四、神は活動によってこそ奉仕され、尊敬されるのであり、単に善き業を行うことができるということではありません‥‥。
五、公共の福祉すなわち多数者の利益は、自己自身の利益以上に評価しなければなりません。それゆえすべての者は自分のやることを他人にむかってとりわけ教会とコモンウェルスのために行う義務があります‥‥社会的被造物である人間は、自分が属する社会のために労働しなければなりません‥‥。
六、七、八、九(略)
十、最後に労働は、われわれが日々の糧を得るために神が定めた手段なのです。
(梅津前掲書144頁以下)
 労働は神の命令に応え、神に与えられた心身の能力を発揮し、社会的被造物に相応しく互いに助け合う宗教的意義と道徳的意義を有します。日々の糧としての収入を得ることは最後の目的にすぎません。従って労働は経済的収入と打算のためのものでは決してないということです。労働はそれ自体価値があります。神の命令に従い非難の余地のなく労働義務を果たすことに大きな精神的利益がある。だから低賃金でも長時間でも喜んで働くことは個人の幸福追求の権利として尊重されるべきこと事柄であります。
 精神的利益より収入を優先することを否定されます。しかしバクスターは「合法的な営利追求」は神の与えた機会として積極的に追求することを勧めます。 
「箴言第二十三章四節に『富裕になるために働いてはならない』といわれますが、その意味は富をあなたの主要な目的にしてはならないということです。われわれの肉的な目的が究極的なものとして意図されたり追求されてはなりません。しかし高次の事柄に従属させればそれは可能です‥‥肉欲や罪のためではなく神のために富裕になるように労働することは可能なのです」さらに生産者が競争して有利な取引を実現することは「隣人のより大きな必要に対して供給を推し進める」こととして積極的に是認され、合理的経営による合法的な大きな利得は、誠実な職業労働の適正な果実として積極的に評価された。(梅津前掲書171頁)
 

このように、宗教的に熱心であることが経済的収益追求の動機づけになっている。宗教的熱意が希薄になっても、行動様式としては続いていく。近代資本主義の行動様式との親和性については明白だと思う。

ウォルマートの企業文化とポストモダニズムマネージメント

 いうまでもないが人間は経済的利得と打算が全てであるわけでは決してないのである。正しい人は、法と正義、宗教的価値、道徳的価値、私益・特殊利益より公益、自己や身内の利得より優先するのであって、そのような精神的態度が基本である。ニンジンをぶら下げないと人は働かないなどと思っている人は大きな間違いである。好ましいエートスは現代企業にも当然見いだすことができる、適切な例としてウォルマートの企業文化を取り上げたい。
  ウォルマートの企業文化が卓越したものであることはこれまでにも陳べましたが、サム・ウォルトンの10箇条というのがあります。その第一がコミットメント。仕事に励む、献身的に働く、、熱病のように仕事に専心する、粉骨砕身働く、仕事を愛して最善を尽くす、やり遂げなければならない責任感というように訳されますが、従業員のコミットメントが強いほど高業績を達成できるというのは基本でしょう。
 別にこれはカルロス・ゴーンが流行らせた言葉ではありません。コミットメント型の従業員関係、これは基本的には組合不在企業の文化です。組合セクターは、労働組合によってジョブコントロールにより仕事を制限するので、最低限の仕事しかしない。コミットメントが引き出せないです。しかし献身的に働く価値が正しいんですよ。一般法(コモンロー)は営業と勤勉さ誠実さを奨励するのです。それが法であるのに労働組合や不合理な労働者保護規制をする政府は法に反することをやっている極悪ですよ。この点ウォルマートのポリシー、企業文化は正しいし、最強である理由のひとつです。
 ウォルマートのバイヤーの交渉はハードでタフ、サプライヤーへの要求が厳しいと言われていわれますが、それは「お客に成り代わって仕入れる」顧客第一主義による。仕入れ値そのままに決まった荒利を乗せて売るだけという(仕入れ値の下げ分はポケットに入れず、全て売価に還元する-註2)ポリシーだから、自分たちが儲けるために厳しい要求を突きつけるのではない。バイヤーが頑張れば頑張るほど売価に反映し顧客の利益になることになっているのである。それはウォルマートの顧客だけの利益だけではない。よその店で買う人も、ウォルマートとの競争で売価を下げざるをえないので、消費者全体の利益になる。これほど公益に著しく貢献している企業があるのだろうか。全てはお客のためなのだ。これは「隣人愛実践」そのもののように思える。
 しかも、ウォルマートの取引は公明正大で合理的である。サプライヤーに対し、殆ど丸裸に近い生のデータをインターネットベースで提供している。情報をさらけだしているからカードを出し合うネゴシエーションはない。サプライヤーもスコアカードでリテーラーの販売努力を監視しているので、腹芸やドンブリ勘定の取引は行われない。ウォルマートのバイヤーはサプライヤーから一切供応接待を受けないし、棚もいじらせない(商品陳列は全て自前の従業員で対応する)。これは私情を交えないハードでタフな交渉を行うためであるが(註3)、接待する金があるならお客のために安くしろという意味でもあり、顧客第一主義にも繋がっている。「隣人愛実践」のために合理的な取引に徹していると解釈できる。
 ウォルマートには多くの従業員表彰があるが、一切金銭はでない。ただ心のこもった感謝の言葉を贈るだけである。ニンジンをぶらさげるような下品なことはしないのである。ウォルマートはモチベーションを高めることがうまいといわれているが、それは金品で釣るものでは決してないのである。
 流通専門家の鈴木敏仁氏はウォルマートは中央集権型チェーンストアオペレーションは持っていないとはっきり言っている。本部と店舗の力関係は拮抗しており徹底した個別店舗主義なのである。時給ワーカーのデパートメントマネージャーの裁量・創意工夫の余地が大きい。バイヤーは週に一度は現場に出るように義務づけられているが店長ではなくデパートメントマネージャーから情報を収集するよう言われている。実際に品揃えをして顧客と接しているからだ。カテゴリーマネージャーはデパートメントマネージャーのフィードバックをリストアップして利用するなどボトムアップ方式が主体となるという(註4)。
 デパートメントマネージャーは推定平均年収2万2千~3千ドル程度に過ぎないが、ウォルマートでは時給ワーカーにも数値を公開して商人として売場管理を行わせているのだ。幹部が頻繁に現場を訪問するだけでなく、オープンドアーポリシーにより幹部に直接意見を交換したり提案できる風通しの良い環境である。それだけにやりがいのある職場環境なのだ。
 国際食品商業労組(UFCW)や左翼はウォルマートの賃金は不当に安いと攻撃しているがそれは、レーバーコストの高い組織化されたスーパーマーケットとの比較であって、、ウォルマートは市場平均であると反論している。零細小売業従業員はもっと安く、ウォルマートの賃金が不当に安いということはない。
 しかし、仮に安いとしても、ウォルマートの時給ワーカーはチームワーク主義で良く働いている。だから初めに言ったように人間はゼニと打算だけで動くものではないのである。あり得ないことだが、もしウォルマートの従業員が組織化されストを打てば、時給3ドル賃上げすることができるかもしれない。しかし、従業員はそれを求めない。そうなれば卓越した企業文化は破壊され、築いてきたものを失うことになる。労働組合のジョブコントロールと組合不在企業のコミットメント型文化は正反対の文化であるから。レーバーコストの上昇で競合他社に出し抜かれ三流企業に転落することは容易に想像できることである。もし読者で賃上げよりも良い企業文化を望むことを理解できない人は余程欲の深い、根性の腐った人だと言わなければならない。

川西正彦
続く

(註1)この際言っておきますが、私は「二重予定説」を恐ろしい教説とする見方をとりません。人間は倫理的に致命的に腐敗しています。利害打算と処世術が全てみたいな根性の腐りきった人々しかいないように思えます。脅迫・共謀・悪意・敵意に満ちており、人の悪事や共謀や我が儘を尊重することが処世術だと思っている。具体的なことはいずれ書きます。見ゆる聖徒なんていませんよ。少なくとも面識の範囲で倫理的に尊敬できる人に遭遇することはないし、今後もないでしょう。大多数の人間は救いようがなく腐敗しており『滅びの群れ』として打ち捨られて『永遠死滅』に予定されていて当然でしょう。
 それはお前のルサンチマンの表明である。それならお前は何なんだと問われるでしょう。やはり腐ってますよ。神与の使命・善行の努力に欠いてます情けないです。毎日隣人愛実践・善行・職責を十分果たしてないことで悩んでます。甘い考えかも知れません。自分は滅びに定められているかもしれないと思いつつも、心的傾向性としては全く救いようがないわけではないとも思ってます。心的傾向性で救われるんですかと問われるかもしれませんが、大覚醒(信仰復興運動)の旗手で通俗的理解では厳格なカルヴィニストとされるジョナサン・エドワーズがそのようなことを述べてますよ。神学者の森本あんり『ジョナサン・エドワーズ研究』創文社1995を参照して下さい。バーチャルリアリテイー(構造的存在)について簡単な説明があります。PDFhttp://subsite.icu.ac.jp/people/morimoto/Texts/Sobun95.pdf。要するに神与の使命をなす心的傾向性はあっても客観的条件によって傾向性が発現しない状況の人にも思いやりのある神学です。もちろん機会があれば心的傾向性は発現しなければならないわけですから本物か偽物か見分けることはできます。
(註2)鈴木敏仁『誰も書かなかったウォルマートの流通革命』商業界2003年 96頁
(註3)鈴木前掲書110頁
(註4)鈴木前掲書131頁

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