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2007/06/24

読書感想-松下憲一『北魏胡族体制論』

 一部のサイトで「電波」よばわりされてますが、当ブログでは女系容認の皇室典範改定で易姓革命合法化、異姓簒奪となり日本国は終焉する。たとえ日本と自称していも簒奪王朝は偽日本国になると書きました。この見解は変わりません。日本は王朝名だから、革命なら日本でなくなるのが筋目というものです。
 中国歴代の王朝名、国号の意味については渡辺信一郎『中国古代の王権と天下秩序』校倉書房2003年を引用し後漢初期の『白虎通徳論』-普通名詞である天下を、固有名詞化するための美称とする説と、同代の王充『論衡』の各王朝が興起、発祥した土地の名前とする説が対立しているが、王充『論衡』説が多数説であり、実際、秦漢以降、宋遼に至るまで主として王朝発祥の地が採用されていることを書きました。金元以降は美称が採用されているがここでは問題にしない。
 そこで王充『論衡』説に依拠し、日本も倭も内実は「やまと」であることから(日本を「にっぽん」と音読するのは平安時代以降)、『釈日本紀』にある藤原春海の「延喜開第記」延喜四年の見解は妥当なものであると評価し(すなわち他ならぬ大和国を取って国の名ととしたのは、神武天皇が大和国で王業を成就したからである。天皇の始祖は筑紫に降ったのに、その地の名をとらず、「倭国」を取って国号としたのは、周の王朝に関して、その祖先たちの拠った地でなく、武王が王業が定めた地である周をもって国号としたのと同じであるという説)、従って周王朝との類比で国号が成立しているわが国も国家を以て一姓の業とする中国の国家観念を継受しているのは確実で、要するに日本も中国歴代王朝も王朝が発祥した、あるいは興起した土地を、王朝名、国号とする構造では全く同じであり、国制とはそういうものだから事実上の易姓革命容認で日本国はおしまいと述べました。 
http://antilabor.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/post_6489.html
 松下憲一『北魏胡族体制論』北海道大学出版会2007年「第5章北魏の国号『大代』と『大魏』」に関心をもったのは、国号の意味について詳しく検討がなされているからです。
 松下氏は北魏時代の石刻資料について、国号として「大魏」「皇魏」の使用が大半だが、「大代」「皇代」の使用も散見し、道武帝が「代」から国号を「魏」に改易した後も北魏時代を通じて「大代」の使用を確認、碑・墓誌・造像記・写経題記には一般的通例として「大代」が使用されている。『魏書』では「代」は意図的に排除されているものの、実態として国号は「大代」と「大魏」が兼称され「大代大魏」と併用するものもあり、国家側もそれを認めていたことを考察している。
 北魏(386~534)とは、北方遊牧民族の鮮卑拓跋部によって中国華北地方に建てられた王朝で、鮮卑拓跋部を中心とする遊牧部族連合体の代国を前身としていた。戦国時代の大国魏、漢魏革命を成し遂げた曹魏と区別するため北魏という。
 310年西晋懐帝より君長猗廬が大単于・代公に封じられ、315年に西晋愍帝より代王に進爵。代郡・常山二郡を食邑として与えられた。「代」地域とは現在の山西省大同盆地のあたり。386年正月拓跋珪は代王に即位、4月に拓跋珪は魏王に改称。
 398年拓跋珪(道武帝)は群臣に国号を議定させ、群臣は「代」を国号とすべきと主張した。すなわち「我が国は万世に受け継がれる基礎を雲代にひらいた。周秦以前の例に倣うならば、まさに『代』を国号とすべき」との常識的見解だった。これは我が国が「倭国」を取って国号としたのは、神武天皇が大和国で王業を成就し、万世の基礎を築いたことと全く同じ論理である。
 ところが崔宏は受命思想にもとずいて天下国家の称号として「魏」を国号とすべきと建議した。「夫れ魏者大名、神州上国、斯れ乃ち革命の徴験、利見の玄符なり」というのである。結局、崔宏の建議が採用され国号を「魏」と定めたのである。拓跋珪(道武帝)が「魏」を採用した理由について松下氏は東晋の遣使に対し自国の正統性を主張するためだとしている。
 拓跋珪(道武帝)は天子の旌旗を建て、40万の国軍を率いて中原制覇に乗り出す状況にあった。東晋は江南方面の地方政権になってしまっている。中原を支配していなければ天下国家の実質を備えていないともいえる。代国がかつて曹操が後漢の献帝から事実上、冀州の魏郡など十郡を割譲させた魏公国の領土を加えたことの意義が大きい。魏郡のあたりから黄河の中流域が、地理的な意味での九州の中心部になるといってさしつかえな いと思いますが、つまり、殷の都安陽、黄河文明発祥の地鄭州、九朝古都洛陽そのへんの重要地域を支配してなければ天下国家とはいいにくい。「魏」は東晋に対してこちらこそ天下国家ということを誇示できる国号という意味だろう。崔宏の建議も『白虎通徳論』をふまえるならば理屈は通っている。
 もっとも崔宏は、国の由来を「代」に求めることを否定していない。「三皇五帝の立号は、或いは生まれた所に因りむ、或いは封国の名に即した。故に虞夏商周は始め皆諸侯であり、聖徳が隆盛し、万国が宗主として推戴するに及んでも、称号は本に随い新たに立てなかった。ただ、商人はしばしば移動し、殷に号を変えたが始封である商を廃していない」云々と述べているとおりである。ルールはそういうことだが、諸侯から天下国家へ転身を印象づけるには、対外的には、神州上国で価値のある「魏」国号が得策という判断があったということだろう。

 しかし、松下氏によると国内的には西晋から封建された「代」国をもって国号とする意識は継続していた。また432年の崔浩の建議から道武帝は「魏」を国号と定めた後も、「代」が始封であることを重視し、「代」は廃されず残し、古の殷商のように「代魏」が兼称されたことを松下氏は明らかにしており、これで「代魏」兼称の理由は明解である。
 始封が重視される意義については、松下氏は支配層の「代人意識」が深く関与しているとするが、国号とは各王朝が興起、発祥した土地の名前とする王充『論衡』説の流れをふまえて常識的なものであるといってもさしつかえないのではないだろうか。
 道武帝が天下国家の称号として「魏」を採用したとしても「代」国号を兼称したのは、王朝が興起、発祥した土地を国号とする基本的なルールに則ったものであり、それは歴史的に一貫したものと理解してよいのである。

川西正彦
 

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