公務員に労働基本権付与絶対反対-政府は巨悪と手を結ぶな

無料ブログはココログ

ニュース(豪州・韓国等)

« 正常への復帰を渇望する-マンスフィールド卿マンセー論 | トップページ | 参院選の感想 »

2007/07/29

ロックナー判決マンセー論(1)

「契約の自由」の指導的判例であるロックナー対ニューヨーク判決マンセー論の長期シリーズをやります。LOCHNER v. PEOPLE OF STATE OF NEW YORK, 198 U.S. 45 (1905) http://caselaw.lp.findlaw.com/scripts/getcase.pl?court=us&vol=198&invol=45
 1897年ニューヨーク州労働法は、パン、ビスケット、ケーキ等の製造作業場の清潔さおよび健康的な作業環境を維持するため、排水設備等を規制すると同時に、被用者の労働時間を週60時間、一日10時間に規制した。上告人ロックナーは違法に1週間60時間を超えて就労させたため、郡裁判所において軽罪で有罪となり、州地裁、州最高裁もこれを維持したが、合衆国最高裁は当該州法の労働時間規制が「自己のビジネスに関し契約する一般的権利は、合衆国憲法第14修正によって個々人に保護されている自由の一部である」という実体的デュープロセスにより「契約の自由」の違憲的な侵害であるとして5対4の僅差で無効とした判決(「極保守派」の ペッカム判事が法廷意見を記し、フラー主席判事、ブールア、ブラウン、マッケナ各判事が同調した。ハーラン判事が反対意見を記し、E.ホワイト、デイ各判事が加わった。ホームズ判事が単独で反対意見を記した。1917年に黙示的判例変更、1937年判例変更)であるが、その評判の悪さ(それは財産権と契約の自由の強固な保障によるレッセフェール体制に対する左翼の攻撃である)にもかかわらず、これこそ称賛すべき判例であると確信します。

川西正彦

 今日ではホームズ判事の反対意見「第14修正はハーバード・スペンサーの『社会静態学』を制定したものではない、憲法は特定の経済理論を具体化するように意図されていない」というアフォリズムを支持する法律家が多いのです。しかしロックナー判決はアルゲイヤー対ルイジアナ判決の先例に基づくのであってスペンサーの思想と直接的には関係ない。アフォリズムによりホームズは名裁判官とされていますが、私はそう思いません。もともと労働者の闘争に好意的で、公序良俗の破壊の元兇となった憎むべき敵であると考えます。世の中を悪くした元兇がホームズだ。こいつさえいなければ世界はもっとまともだったと考えます。ノリス・ラガーディア法を推進したフランクファーターとともにイデオロギー上の敵であり私がもっとも嫌悪する法律家です。
 
 ロックナー判決は指導的判例となリ、1937年の憲法革命(ウエストコーストホテル対パリッシュ判決以後最高裁は「契約の自由」について厳格な司法審査をやらなくなった)とよばれる決定的な判例変更にいたるまで、労働法にとどまらず、多くの社会経済規制立法について、純粋な経済規制立法でも不合理に契約の自由を侵害し、デュープロセスに反するものとして違憲無効とする判断を下されることとなった。

  実体的デュープロセス

ここで実体的デュープロセスとは何か簡単に述べます。

合衆国憲法修正14条の 「いかなる州も、適正な(正当な)法の手続きによらないで、何人からも生命、自由または財産を奪われることはない」を適正手続条項、デュープロセス条項といいます。修正5条にもあります。英語が読めない私が英米法をとやかくいうのもなんですが、米国憲法史上、実体的デュープロセスの発展は特筆すべき重要な事柄ですので、まず簡単に説明します。

 合衆国憲法修正第5条
「何人も、大陪審の告発または起訴によるのでなければ、死刑または自由刑を科せられる犯罪の責を負わされることはない。ただし、陸海軍または戦時あるいは公共の危険に際し、現役の民兵の問に起こった事件については、この限りでない。何人も同一の犯罪について、再度生命身体の危険に臨まされることはない。また何人も刑事事件において、自己に不利な供述を強制されない。また正当な法の手続きによらないで、生命、自由または財産を奪われることはない。また正当な賠償なしに、私有財産を公共の用途のために徴収されることはない」
 
合衆国憲法修正14条(1864年確定)第1節
「合衆国において出生し、またはこれに帰化し、その管轄権に服するすべての者は、合衆国およびその居住する州の市民である。いかなる州も合衆国市民の特権または免除を制限する法律を制定あるいは施行してはならない。また正当な法の手続きによらないで、何人からも生命、自由または財産を奪ってはならない。またその管轄内にある何人に対しても法律の平等な保護を拒んではならない。」(在日米国大使館サイト和訳)

 修正14条デュープロセス条項の判例理論は、それは先ず手続きの保障であった。それも告知・弁護の機会という最小限の手続きだった。ところがその間に実体的デュープロセスが発展します。デュー・プロセス・オブ・ロ-、適正な法の過程とは法執行の手続きだけ関する概念ではなく、法の内容にも適正さを要求する概念と主張された。つまり生命・自由・財産を「適正な手続きによらずして」だけでなく「適正な法によらずして」剥奪してはならないとするのである。
 この理論により、個人から生命・自由・財産を奪うことになる実体法の内容の審査、政府の実体的行為が司法審査の対象とされ、裁判所が成文憲法中の特定の明文に依拠せずとも裁判所が基本的性質を有するとする価値を憲法中に織り込み憲法規範として宣言し、それを侵害する制定法は叩き潰されることになっていった

「契約の自由」という実体的デュープロセスを根拠に州法を無効にした最初の判例は アルゲイヤー対ルイジアナ判決ALLGEYER v. STATE OF LOUISIANA, 165 U.S. 578 (1897)   http://caselaw.lp.findlaw.com/scripts/getcase.pl?court=us&vol=165&invol=578であった。ルイジアナ州法は、州法に従って州内で事業を許可されていない海上保険会社との保険契約を禁じていた。ぺッカム判事による法廷意見は、州はその管轄内での州政策に反する契約や業務を禁止できても管轄外で締結・実施されるような本件のような契約を禁止できないとした。
  その際「修正第14条にいう自由とはただ‥‥単なる身体の物理的拘束から自由であることを意味するだけでなく、市民が彼のすべての能力の享受において自由である権利をも含むのである。すなわち、彼の才能をすべての合法的方法によって自由に使用すること、彼の欲する所に居住し、勤労すること、合法的である限りどんな職業によってでも彼の生計を立てうること、およびどんな生活でもできまたどんな職業にでも従事することができ、そのために適当、必要かつ不可欠なすべての契約をなすこと、を含むのである」と述べている。

 ロックナー判決はこの先例に拠っているのです。更に遡っていくと、「契約の自由」の法理は1873年の屠殺場事件判決における、フィールド判事とブラッドレイ判事の反対意見と、その10年後に判決が下された、食肉業組合対クレセント市商業組合事件における、フィールド判事とブラッドレイ判事の補足意見にその考え方が示されている。
  
BUTCHERS' UNION CO. v. CRESCENT CITY CO., 111 U.S. 746 (1884) http://caselaw.lp.findlaw.com/scripts/getcase.pl?court=US&vol=111&invol=746次のフィールド判事の補足意見は重要である。フィールド判事は闘争的で教条的とも評されるが傑出した名裁判官であり、明晰な文章と不屈の意志で正しいと考える法原則をたゆまず宣言した。
「かの偉大なる文書[独立宣言]において宣言されたこれらの不可譲の権利のうちには、人間がその幸福を追求する権利がある。そしてそれは‥‥平等な他人の権利と矛盾しない方法でなら、いかなる合法的な業務または職業にも従事しうる権利を意味するのである‥‥同じ年齢、性、条件のすべての人々に適用されるものを除き、いかなる障害もなしに職業に従事する権利は、合衆国の市民の顕著な特権であり、彼等が生得の権利と主張する自由の本質的な一要素である。[アダム・スミスは国富論において]『各人が自らの労働のうちに有する財産は、他のすべての財産の根源であり、それ故にもっとも神聖であり侵すべからずものである。貧者の親譲りの財産は、彼自身の手の力と才覚に存するのであり、彼がこの力と才覚とを彼が適当と思う方法で隣人に害を与えることなく用いることを妨げるのは、この神聖な財産に対する明らかな侵害である。それは、労働者と、彼を使用しようとする者双方の正しき自由に対する明白な干渉である。[そのような干渉]は、労働者が彼が適当と思うところに従って働くことを妨げるものである』と述べているが、それはまことにもっともなことである」
つまり契約の自由は独立宣言に示される不可譲の権利(自然権)個人の幸福追求の権利の一つだと言っている。自らの労働のうちに有する財産という考え方はジョン・ロックも言ってますが、財産という概念に自身が所有する身体を使って雇用される能力も含む概念になっていることに注意したい。

 ブラッドレイ判事の補足意見も同様であって「人生において通常の職業に就く権利は、不可譲の権利である。それは独立宣言における『幸福追求』の句の下で形成されたものである」とする。

 フィールド判事とブラッドレイ判事の補足意見は少数意見だったが、批判されることはなかったのである。 

続く

 
引用参考文献
別冊ジュリスト№139 32巻4号『英米判例百選』第三版 平成8年LOCHNER v.  NEW YORK
石田尚『実体的適法手続』信山社出版 1988
田中英夫『デュー プロセス 』東京大学出版 1987
町井和朗『権利章典とデュープロセス』学陽書房1995
ウイリアム・H・レーンクィスト著 根本猛訳 『アメリカ合衆国裁判所 過去と現在』心交社1992
スティーブン・フェルドマン著猪股弘貴訳『アメリカ法思想史』信山社出版2005
ラッセル・ギャロウェイ著佐藤・尹・須藤共訳『アメリカ最高裁判所200年の軌跡 法と経済の交錯』
八千代出版1994

« 正常への復帰を渇望する-マンスフィールド卿マンセー論 | トップページ | 参院選の感想 »

ロックナー判決論」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ロックナー判決マンセー論(1):

» 健康でいたい!! [健康でいたい!!]
健康でいたい!! [続きを読む]

« 正常への復帰を渇望する-マンスフィールド卿マンセー論 | トップページ | 参院選の感想 »

最近のトラックバック

2020年4月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    

世界旅行・建築