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2007/07/16

英国近世における反独占、営業の自由の確立の意義(4)

アウトラインなしに気分で書いているで今回は脱線しました。本題の1920年代は終盤の方でちょこっと言及しているだけです。

承前

非組合型労使関係台頭の意義

1920年代の遺産(2)

 前世紀の世界大戦の「負の遺産」とはなんでしょうか。原爆・アウシュヴィッツ・「南京大虐殺」とか定番的なことは言いません。
 私は全く別の考えです。20世紀の世界大戦の「負の遺産」とは第一に労働組合をやけぶとりさせたことですよ。これがえらい迷惑です。最大の負の遺産です。第二に女性解放の口実を与えたしまったこと(国家総動員総力戦になって、女性が重化学工業に動員され男性の職場に進出したことと、戦間期にスカートの丈が短くなった〔フラッパー娘という〕結果女性が活動的になった)ですよ。これも迷惑でした。現実に影響をひきづっているという点ではこの二点ですよ。
 例えば日本政府はILOに追従する労働政策をやってますが、ILOというのはイギリスやフランスの国内事情で第一世界大戦の戦後処理のためにつくった組織である。
 戦争の遂行には労働組合の協力体制が不可欠だった。戦時協力の見返りとして、また戦後兵員の復員、軍需産業の生産低下に伴う雇用の混乱に対処するために、国際労働・社会主義会議の要求に譲歩する必要があり(註1)、そういう勝手な都合でILOを設立したのである。
 だからILOは第一次大戦の「負の遺産」ですよ。我が国ではILOは自由党のロイド・ジョージがつくった組織だから、ボリシェヴィキよりましじゃないかとか思っている人が多いんですけど、もうそういう考えは古臭いです。
 そもそも我が国がILOに設立当初から係わっているのは、第一次大戦に名目的に参戦して経済利益を得、戦勝5大国の一つとしてパリ講和会議に参加したことによる(註1)。戦勝国とのつきあいで国際労働機構への参加を余儀なくされただけにすぎない。時代は変化しているのに、第一次大戦の戦後処理の都合でつくった組織にいつまでも引き面れる必要は全くないと私は思います。そろそろ手を切りましょう。

 実際、 イギリスでも非組合的労使関係へのパラダイム転換は相当に進んでいるわけです。もっとも2005年の統計でイギリスの組織率は29%もあり、12%にすぎないアメリカよりもかなり高い。しかしサッチャーが登場した1979年には57%の組織率があったことと比較すると衰退傾向は明白なのである。
 1992年保守党メージャー政権の白書『人、仕事および機会』では次のように述べてます。「‥‥団体交渉と労働協約に基づく労使関係の伝統的な形態は益々不適切になり、衰退してきた。多くの使用者は時代遅れの労務慣行を捨てて新たな人的資源管理を採用しつつある。それは個々の労働者の才能や能力の開発に力点を置くものである。使用者の多くは、労働組合や公式の労使協議会を仲介とするよりも、その被用者との直接のコミュニケーションを求めている。個々人の個人的技能、経験、努力及び成果を反映する報酬を個別交渉する傾向が増しているのである」(註2)
 もうはっきり団体交渉と労働協約に基づく労働関係をやめようと言っているわけですよ。(この点はニュージーランドの国民党政権の政策がもっとはっきりしています)
 サッチャー首相およびメージャー首相の保守党政権下では、漸進的かつ徹底した組合弱体化政策が繰り広げられたのである。①クローズド・ショップおよびユニオン・ショップの禁止、②チェック・オフの規制、③争議行為の批准投票の義務付け〔郵便秘密投票とし第三者が監査〕による公認ストライキ制度④ピケの規制と同情ストの禁止、⑤非公認争議行為参加者の不公正解雇救済の否定、⑥法定組合承認手続の廃止、⑦組合費、組合財政、幹部選挙を含む各種の組合内部問題の規制により組合活動を規制した。これらとともに採られた自由企業、公開競争、効率性を奨励する経済政策は、国家の歳出の削減、国営企業の民営化、公的サービスの規制緩和を促し、また、経済のソフト化とグローバル化によって、組合の弱体化は急速に進んだ。(http://www.jil.go.jp/institute/reports/2004/documents/L-9_06.pdfより引用-但し一部削除文字追加)
 クローズド・ショップ、ユニオンショッブの禁止、ピケの規制、二次的争議行為の規制は当然のこととして、ポイントになるのが組合自治の全面的否定です。組合内部で処理されていたスト批准投票や役員選出などについて、郵送による秘密投票、独立監視人による監査を要するものとした。従来の放任ではなく政府が干渉する政策なのです。
 もう一つは 1971年保守党ヒ-ス政権がつくった法定組合承認制度を廃止したことです。これにより経営者が組合を承認して団体交渉するか否かは全く任意ということになった。これはある意味で従来のボランタリズムヘの回帰ともいえますが、従来より厳しい組合活動規制と争議規制のうえに任意的交渉を行い、協約を自力で強制する強力な組合は次第になくなっていったため、労働組合の退潮傾向を決定的なものにしたとされています。
 民営化も組合を排除するための政策だった。民営化した後の企業は組合承認をやらなければよいわけである。
 もし、保守党政権が続いていれば2010年には労働組合は消滅するという予測すらあったのである。そうなればよかったのに。
 しかし皮肉なことに、労働組合の弱体化は労働党の組合離れを促し、大幅に組合の影響を排除したブレア政権を誕生させ、保守党の一連の反労働組合政策の成果に基づく経済成長により、労働党の政権長期化をもたらした。
 もっともブレア政権は大きな揺り戻しをしないで、保守党政権の労働組合規制立法の大筋の枠組みを継承したものの、組合保護政策も行った。1999年雇用関係法 (Employment Relations Act 1999)で導入された法定組合承認手続である。これはアメリカの組合代表選挙に似ているが、不当労働行為の規定はない。単位内に組合員が10%いることおよび単位内労働者の過半数の支持が投票の要件で、単位内の労働者の過半数が組合員であれば自動的に組合が承認され「賃金、労働時間および休暇」に関する交渉の前提とするものである。この制度によって労働組合は組織率の低下をくいとめ生き残るになった。とても遺憾です。イギリスは10年間の労働党政権で労働組合を駆逐して理想国家に飛躍できるチャンスをのがしました。
  
 しかし、いかに労働組合が生き残る政策をとる政権が続こうとも、そこに正義性というものはないと断言します。
 そもそも争議行為は、契約違反の誘致行為、契約の履行不能をもたらす行為、強迫、共謀、営業妨害など理由として、コモン・ロー上の不法行為を構成する。
 コモンローの理論を遡っていくと、営業制限の法理ににもとづく営業の自由のコロラリーとしての個人の労働の自由、労働力取引の自由を阻害するものとして、「取引を制限するコンスピラシー」(doctrine of restraint of trade)ないし「他人の取引を侵害するコンスピラシー」(conspiracy to injure of another)の概念構成により、労働者の団結というものが、コンスピラシー(共謀)の要件に該当するものとして把握されたのです。
 イギリスでは1875年の共謀罪及び財産保護法により、コモンロー上のコンスピラシーの法理で、団結行動を起訴できないものとし、平和的ピケッティッグの違法性を除去したとされる。いわゆる「刑事免責」がなされ、労働組合の「合法化」がなされたとされる。これに対抗するためにコモンローは民事共謀としての不法行為の共謀法理を案出されたが、1906年の労働争議法で、労働組合に関する不法行為の訴訟は受理されないとした。いわゆる「民事免責」がなされ、事実上、労働組合活動の「法認」というかたちにはなった。しかし私は制定法による免責というものが非常に不愉快である。
 1906年労働争議法は「ある人によって労働争議の企図ないし促進のためになされる行為は、それが誰かある他の人に雇用契約を破棄するよう誘導するとか、誰か他の人の営業、企業、または雇用の妨害になるとか、または誰か他の人が彼の資本あるいは労働を欲するままに処分する権利の妨害という理由だけでは起訴できない」)(註3)とすることによりストライキに付随する民事責任を免責する。雇用契約違反の誘導、営業・仕事・雇用の妨害、労働の自由の妨害といったコモンロー上の不法行為であっても制定法上免責するということになっている。個人の自由を犠牲にしているのである。
 このような他者の自由を侵害する悪も許容する人定法的秩序というものに本質的に正義性はないわけです。要するに我々が労働基本権と言っている組織労働者の権利なるものは本質的に正義性とか権利性とかいうものはないんですよ。ましてや憲法上の権利とか人権という性質のものではない。むしろ労働の自由を否定する悪しきものですよ。
 伝統的コモンローは営業と勤勉を奨励するパプリックポリシー(公序-公共政策)により、人々がそれぞれ自分の持っている財産(労働能力や信用という広い意味での無体財産を含む)を自由に取引する私的自治をサポートします。それが本来の在り方です。それを刑事免責、民事免責により否定したのがイギリスの19世紀後半より20世紀初期の労働組合法認政策です。そんなものを人権と認めることはできません。
 コモン・ローヤ-のニコラス・フラー(1626歿)は「神の法は『汝、六日、労働すべし』と定めている」がゆえに、「いかなるキリスト教の君主の認可、布告、法も臣民に労働を禁じるようなものは、神の法に直接反しているがゆえに違法であり、不条理な命令である」。そしてこれに従えば、国王が与える「特許」は人々の自由な労働を禁ずるものであり、違法なものと判断される(註4)、と述べているように、理論的に個人の自由な労働は神の法に基礎づけられていた。それを労働組合のために喪失させられるということほどばかなことはありません。
 
  
 さてアメリカ合衆国に話を戻しますが、第一次世界大戦参戦は労働組合を強力化した。ウィルソン大統領の政府は1918年全国戦時労働理事会(NWLB)を設置した。NWLBはストライキを禁止したが、組合結成権を認め1150件に及ぶ仲裁を行い、AFLの組合員数は戦中に100万人増加したのである(註5)。
 第二次世界大戦でも同じようなことが起きた。アメリカでは赤い30年代、1932年ノリス・ラガーディア法(反インジャクション法、平穏で暴力的でない労働組合活動を保護し、黄犬契約の裁判上強制力をもちえないこととし、特に労働紛争への連邦裁判所の差止命令を制限することにより、全米製造業者協会のオープンショップ主義とレイバーインジャンクションの多用により20年代に著しく衰退した労働組合を生き返らせた超悪法)、1935年ワグナー法(民間企業の団結権と団体交渉権を保障し、組織労働者保護のため雇用主による不当労働行為の禁止を規定した超悪法)のようなきわめて悪質で誤った労働政策がなされ、産業別組合を台頭させましたが、1942年に設置された全国戦時労働委員会は、労働組合にストライキを放棄させる一方、労働協約締結期間中の組合離脱を禁止し、それを保障するためのチェックオフを導入した。組合の組織維持と拡大は容易になり、労働組合員は1941年の1020万人から、1945年の1432万人に増加した(註5)。アメリカの産業別組合は、ニューディール立法で存立基盤を与えられ、戦時中の労働組合保護政策によりその地位を確立させたのである。
 世界大戦でやけぶとりしたのは労働組合だったわけですよ。
 ただ私がアメリカ社会がヨーロッパより健全だと思うのは、一貫して革新主義体制や労働組合に反発する反組織労働運動が存在し、戦後、戦時中に強力になった労働組合を放置せず、労組の強力化とコーポラテイズムへの移行を阻止し矯正していることである。
 20年代のオープンショップ攻勢がそれであり、1947年のタフト・ハートレー法がそうである。

つづく

(註1)大前 真 「 ILOの成立-パリ講和会議国際労働立法委員会 」『人文学報』京都大学 (通号 47) [1979.03]
(註2)小宮文人『現代イギリス雇用法』信山社2006年 28頁
(註3)中西洋『《賃金》《職業=労働組合》《国家》の理論》』ミネルヴァ書房(京都)1998年 143頁
(註4)土井美徳『イギリス立憲政治の源流-前期スチュアート時代の統治と「古来の国政」論』2006年 214頁
(註5)『世界歴史体系 アメリカ史2』山川出版社1998年 志邨晃佑「第二章革新主義改革と対外進出」
(註6)同上 紀平英作「第三章戦間期と第二次世界大戦」

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