ロックナー判決マンセ-論(2)
短文でもできるだけ毎日更新する方針にします。
中谷実はメンデルソンに倣って19世紀末期から1930年代にかけて実体的デュープロセス「契約の自由」理論を支持し経済的規制立法による積極国家を否定した裁判官を「レッセフェール・アクティビィスト」と分類している(註1)。フィールド、ブラッドレー、ハーラン、フラー、ブールア、E.ホワイト、ペッカム、ヴァンデヴァンター、マクレイノルズ、サザランド、バトラー、サンフォードの名が挙げられています。なおハーラン〔ヘイズ任命の初代〕はロックナー判決で反対意見に回っていますが、「契約の自由」のもうひとつの重要判例アデア判決ADAIR v. U S, 208 U.S. 161 (1908) http://caselaw.lp.findlaw.com/cgi-bin/getcase.pl?court=us&vol=208&invol=161 の判決文起草者であります。これは雇用条件として労働組合に加入しないことを要求するいわゆる黄犬契約を禁止する法律に反し、労働組合に加入したことを理由として解雇を行った使用者を処罰した下級審の判決を破棄したもので、ハーラン法廷意見は「労働者が適当と考える条件で労働の買手が買う条件を定める権利と異ならない。雇用者と被用者は平等な権利を有しており、この平等性を妨害する立法は、契約の自由に関する専断的な干渉になる」(註2)とした。今日、全国労使関係法により不当労働行為とされている組合に加入する被用者を解雇する雇用条件は「契約の自由」によって憲法上の権利だった。又、ハーランは、価格統制を違憲とする判決を下しており、「レッセフェール・アクティビィスト」に分類されるのである。
フィールド判事は先に述べたように「契約の自由」に関して言及している「極保守派」重量級裁判官です。 時代的にいうと、最高裁で経済的保守主義が強かったのは1890年代のフラーコート、フラー、ブールア、ぺッカムという「極保守派」の裁判官が支配した時代と、1920年代のタフト・コートです。マクレイノルズはウィルソン任命で、反独占政策の実績により最高裁入りしたのですが、大統領の期待に反し保守派のリーダーとなり「最も反動的な裁判官」といわれてたことはすでに述べました。ヴァンデヴァンター、マクレイノルズ、サザランド、バトラーは頑固な4人組といわれ『赤い30年代』においても「契約の自由」などを擁護し米国社会の左傾化の抵抗勢力となりました。
(註1)中谷実『アメリカにおける司法積極主義と消極主義』法律文化社1987
(註2)石田尚『実体的適法手続』信山社出版 1988
続く
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