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2007年10月の9件の記事

2007/10/30

ロックナー判決マンセー論(7)

ロックナー判決は中間審査基準だといわれる-4

 8月19日ブログhttp://antilabor.cocolog-nifty.com/blog/2007/08/post_40dc_1.html で書きましたが、
チャールズ・フィシュマン著中野雅司監訳『ウォルマートに呑み込まれる世界』ダイヤモンド社2007年によるとオクラホマで10店舗以上管轄する地区マネージャーはこういってます、「いい(ストア)マネージャーは、まず6時半に店に出て‥‥平均的な退社時間は午後5時ですが、週二回ほど午後9時半から10時まで残業します、休日は水曜と日曜が普通で‥‥土日を休めるのは月一度」つまり店長は平均して週60時間以上働いている。ちなみにウォルマートのストアマネージャーの年俸は2001年のデータで男性で平均105,700ドル(鈴木敏仁『誰も書かなかったウォルマートの流通革命』商業会2003年)です。
 地区マネージャーは男性で年俸は平均239,500ドルになりますが、朝6時半から夕方6時半まで働き、土曜も半日は出勤するという。但し、年3~4週間休めるが、一度に1週間以上は休めないという。意外にハードではないのでがっかりですが、週60時間は普通ということですね。
 ウォルマート本社ですが、バイヤーは6時半に出社する。トップの経営陣はそれより早い6時に出社するのがしばしばだという。退社は午後5時から7時の間ということです。またすべてのホワイトカラーは土曜は朝7時から午後1時まで働くという。
 仮に月~金に平均11時間、土曜に6時間なら、週61時間になります。
 つまり、優良企業のホワイトカラーは60時間働いて当たり前ということです。
 東京都では、「超過勤務縮減」とかいって管理職は率先して定時退庁というほんとにばかげた政策をやってますが、夏休みという有給休暇枠以外の5日の休暇は消化したうえで、有給休暇を最低10日消化することが方針となっています。管理職特別勤務手当といって、公務の運営の必要とか、臨時とか、緊急とかいった名目で、土日勤務で超勤手当も出ますので、管理職になっても組合員感覚の甘ちゃんです。
 ハードワーク主義といわれるウォルマートでも地区マネージャーは3週間ほど連続ではないが休暇は取れるのは意外でしたが、それは平時に土曜も出勤週60時間ペースで働いたうえでの休暇ですから、納得します。しかし東京都の管理職は平時も定時退庁で、要するに働かない、仕事をトッププライオリティにしない主義です。
 ウォルマートでは一番重要なことはコミットメント、献身的に熱病のように仕事に励むことと教えますが、東京都は逆です。反コミットメント型文化は最悪最低ですね。

2007/10/29

ロックナー判決マンセー論(6)

ロックナー判決は中間審査基準だといわれる-3

 そもそも所定時間外の割増賃金というのは、労働組合の要求だったわけですが、憲法革命後に制定された週40時間以上労働の割増賃金を定める公正労働基準法(1938年)は既に述べているように悪法であり廃止かオーバーホールの必要がある。ロックナー判決復権で中間審査基準を適用すれば当然違憲判断になるだろうが、本質論の前に近年の動向について簡単にふれておこう。
 ブッシュ政権は2004年に公正労働基準法を改正しましたが、当初の提案よりずっと小幅なものとなってしまいました。
 当初、チョー労働長官は公正基準法(1938年制定)は時代遅れでオーバーホールが必要だ。本来の立法趣旨は低所得層の低賃金による長時間労働を抑制する趣旨だったとして、年収$22,000以下の者は管理職であれ時間外割増賃金の対象とする一方、年収$65,000 の一般労働者を時間外割増賃金の対象から外す案でしたが、民主党系シンクタンクEconomic Policy Instituteが新しい超過勤務時間規則が800万人のホワイト・カラー労働者に影響すると法案を攻撃し、労働組合や民主党議員が反対しただけでなく、当時はまだ景気後退期で共和党議員からも異論が出て、結局、$22,000は$23,660に、適用除外の年収が$65,000から$100,000まで引き上げられることになり骨抜きになった感があります。私の民主政体の不信感はこういうところにもあります。如何に不合理な制度であっても、一旦既得権を与えてしまうと、廃止するのは大変だということです。
 『海外労働情報』http://www.jil.go.jp/foreign/jihou/2004_9/america_01.htmは結果論だけですが次のように伝えています。
 
「改正のポイントは、年収が2万3660ドル以下の者は、自動的に時間外割増賃金の対象となること。1970年に定められたこれまでの定めでは、年収8060ドル以下が基準であったため、今回の改正により約130万人の労働者が新たに割増賃金の対象になると計算されている。しかし、従業員が時間外割増賃金対象にならないように企業が時給を引き上げ、実際にはもっと少ないものになるであろうと予測する声もある。第2のポイントは、年収10万ドル以上で管理や経営に携わる者は、エグゼンプト(割増賃金対象外者)と見なされること。問題は、年収2万3600ドルから10万ドルの労働者であり、使用者側がどう彼らの仕事を定義するかにより、対象者になるのかエグゼンプトになるのかが決まるとされている。今回の改定により時間外賃金の適用から外れる労働者数について、労働組合側は600万人としているのに対して、政府側は10.7万人と推定している。時間外賃金の適用から外れる者として、正看護師、保育士、飲食店マネージャー、コンピュータ関連労働者、葬儀屋、調理師などがあげられている。とくに正看護師は、これまでプロフェッショナル職とみなされてきたが、給与体系が時間給の場合が多く、時間外割増賃金も適用されてきた。しかし改正法では、給与体系が時間給、日給、月給のいずれにかかわらず、プロフェッショナル職はすべてエグゼンプトとみなすとしているため、正看護師はエグゼンプトの扱いを受けることになる。残業が恒常化している多くの正看護師にとって、残業代は年収の2-3割を占めるとされ、改正法が適用されると大きな年収減となる。」

ニュース記事
CNN 2004-4-20
http://money.cnn.com/2004/04/20/news/economy/overtime/index.htm
ボストングローブ2004-4-21
http://www.boston.com/business/globe/articles/2004/04/21/overtime_plan_still_under_fire/

AP 2004-4-21
http://www.signonsandiego.com/news/business/20040421-0554-overtimepay.html

CBS.MarketWatch Jul 14, 2004

http://www.marketwatch.com/News/Story/Story.aspx?guid=%7BBCEC56AF-2FE1-4123-9D4A-9DA53D8C1089%7D&siteidD8C1089%7D&siteid

CBS 2004-9-15
http://www.cbsnews.com/stories/2004/08/20/politics/main637405.shtml

 公正労働基準法の抜本的見直しは、スモールビジネス、小売業やレストラン経営者などから要望されていたことですが、チョー労働長官は法改正の目的として、2004年1月の上院のヒアリングで、彼女は時代遅れの規則に「不必要な訴訟」と名付けたもののために年間ほぼ20億ドル訴訟費用が係っていることのコストも挙げています。
 ワシントンポストのApril 10, 2004Overtime-Pay Complaints End Up in Court More Oftenという記事にhttp://philebus.tamu.edu/pipermail/csps/2004-April/000232.htmlによるとウォルマートは時間外手当で、カリフォルニア、フロリダ、マサチューセッツ、オレゴン、インディアナおよびミネソタ等で3ダースを越える訴訟に面していました。2001年には、スターバックスが1800万ドルでカリフォルニアで州立裁判所事件を解決しました。パーデュー・ファームズ社は2002年に1000万ドルでデラウェアで連邦事件を解決しました。 また、バンク・オブ・アメリカは2003年に410万ドルでワシントン州の訴訟を解決しました。ダラーゼネラルはアラバマ州で訴訟に直面していると伝えてます。
 私は全面的に企業側を支持します。ウォルマート、スターバックス、バンク・オブ・アメリカ、ダラーゼネラルいずれもこのブログで言及してきた非組合の優良企業です。本当にばかばかしいです。こういう馬鹿げたコストはなくしましょうということです。

2007/10/25

ロックナー判決マンセー論(5)

ロックナー判決は中間審査基準だといわれる-2

「中間審査基準」で検索(グーグル)すると、日大法学部の甲斐素直教授の精神的自由権総論がトッブで出てくるんですが、
http://www5a.biglobe.ne.jp/~kaisunao/ken-kogi/04jiyu-ken.htm
こう説明してますね。

「1 厳格な審査基準(strict scrutiny test)

① 立法目的が正当であること、

② 立法目的を達成するために採用された手段が、立法目的の持っている「やむにやまれぬ利益 compelling interest)」を促進するのに必要不可欠であること、

③ そのことの挙証義務を立法者に負わせる という基準

2 厳格な合理性基準 strict rationality test(中間審査基準 intermediate standard)

① 立法目的が重要な国家利益 important government interest に仕えるものであり、

② 目的と手段の間に「事実上の実質的関連性 substantial relationship in facts」が存在することを要求⇒立法目的が、法によって用意された手段によって合理的に促進されるものであることを、国は事実に基づいて証明しなければならない。

 合理性基準を基本的に適用しながらも、事実上の実質的関連性の審査に当たって、問題の性質上、立法目的の合理性そのものの合理性に関しても審査できること、及びそれに当たって国家利益に適合するか否かを審査可能である点で、合理性基準よりも司法介入を強く認める点に特徴がある。」

 先に述べたクレイグ判決は中間審査基準(厳格な合理性テスト)でした。女性より男性を有利に扱わない法律は、重要な政府の目的に仕え、目的の達成に実質的に関連してなければならないというものです。交通安全が重要な政府の目的であることは認めます。その目的と手段において実質的関連が立証されなければ性差別は違憲となるというものです。当該年齢の男子が女子より飲酒運転を起こしやすい傾向にあるということだが、当該年齢男子の2%が飲酒運転で捕まっているという統計データは希薄な一致であり取るに足りない。しかもこの統計データは3.2%という薄いビールの飲酒効果を判定できない。男子に3.2%ビールを売る年齢を女子より3年高くすることと、交通事故防止効果との実質的関連はないと判断された。しかも、この州法はビールを当該年齢の男に売却することを禁止しても飲酒自体は禁止していないのでなおさら実質的関連はないということだった。

 とはいえ飲酒運転の理由で逮捕される全ての人のその93%は男だった。女性より男性が飲酒運転しやすい。特に若い男性はという資料解釈もあり得るわけで、性差別立法も不合理ではないというレ-ンキスト判事の反対意見は、多数派裁判官の主観的判定を批判しているようだが、中間審査基準はそれなりに厳格という心証であります。

 そこで ロックナー判決に戻しますが、労働者がビスケット、パン、ケーキの製造、製菓施設の労働において、週60時間、一日10時間を超える就労を要求され又は許されてはならないという労働時間規制は違憲ですが、ニューヨーク州が、ベーカリーの清潔さ及び健康的な作業環境を維持するため排水・換気設備を規制することは認めているわけです。
 各州は公衆の安全と健康を守るポリスパワーを持つことを認めている。その上で、労働時間規制立法でも、ユタ州の鉱山労働及び鉱山精錬労働を1日8時間規制を合憲としたHOLDEN v. HARDY, 169 U.S. 366 (1898)は、ベッカム判事とブリューワ判事が反対したにもかかわらず、私も多分反対します疑問にも思いますが、ロックナー判決では先例として是認します。それは労働者の肉体の酷使から守る合理的で適切な政府の介入だったとしています。
 それは長時間の鉱山労働が健康を害しやすいとの判断があると考えられます。要するに一般的な職業とは違って、きつい汚い危険な肉体労働だからです。
 しかし、パンやお菓子を製造するベーカリー被用者は一般常識として健康に悪い労働ではないとしています。鉱山労働とは全然違います。
 当時の労働時間はどうだったのでしょうか。まず岡田泰男(『アメリカ経済史』慶應義塾大学出版会2000年159頁)によると、南北戦争当時は、1日11時間が一般的、1890年頃は10時間、但し1903年製鋼工場は12時間だったし、南部綿工場は13~14時間としています。
この論点はもう少し精査しておきたいです。
 ベーカリーよりはるかにきつい労働と考えられる製鋼工場は1920年頃まで12時間労働でした。しかも休日なしですから週84時間労働です。1930年代のノースカロライナ、カナポリスの繊維工場は週66時間というのを読んだ記憶があります。
 1日10時間というのは普通の労働時間で長時間とはいえませんよ。
ベーカリーの仕事の歴史まで準備できなかったので、内容をよく知りませんが、格別汚いきつい仕事という認識はない。実際、今日ではケーキ職人はパティシエとか言って、憧れの職業です。雨宮塔子の夫は高収入で玉の輿というじゃないですが。汚い仕事ではない。パン屋さんは一般的な職業です。

続く

2007/10/24

ロックナー判決マンセー論(4)

ロックナー判決は中間審査基準だといわれる-1

 ロックナー判決は憲法の正当な解釈であり復活すべきだとするBernard H. Sieganを検索して知ったんですが、同教授は2006年春、サンディエゴで死去しました。81歳でした。財産権特に経済的自由擁護に熱心でした。一部の保守派は彼は極端だと言いました。主著は"Economic Liberties and the Constitution" (University of Chicago, 1980); "The Supreme Court's Constitution: An Inquiry Into Judicial Review and Its Impact on Society" (Transaction Books, 1987); and "Property Rights: From Magna Carta to the Fourteenth Amendment" (Transaction, 2001).とニューヨークタイムズ「Bernard Siegan, 81, Legal Scholar and Reagan Nominee, Dies」という記事は伝えてますが、ロックナー判決マンセーをやったわけですから大物だと思います。
 別のサイトで知ったんですが、同教授はロックナー判決は今日の中間審査基準だと言ってますね。
 そうするとロックナー判決が復活したら司法部優越の超司法国家になってしまい、社会労働政策や経済政策で議会の立法権が大きく制限されてしまうような漠然としたイメージは正しくないかもしれませんね。
 厳格司法審査とは、やむにやまれぬ高度の政府利益がなければ自由、権利の侵害を許さないということで、違憲が推定されますが、そうでもないということです。反対に緩やかな司法審査というのは立法目的と合理的関連性があればよくて議会判断尊重により合憲が推定されるものということかな。本を引用してないので正確に書けませんが。
 中間審査基準とはその中間のことですが、私がすぐ浮かぶ典型的な判例は男性差別事件で1976年のCRAIG v. BOREN, 429 U.S. 190 (1976)
http://caselaw.lp.findlaw.com/scripts/getcase.pl?court=us&vol=429&invol=190
 そもそも私は性差別を修正14条の平等保護条項に反し憲法違反と初めて認めた1971年のリード判決はウーマンリブに迎合したワースト判決と思ってますから、性差別事件に中間審査基準を適用するのは反対です。これはオクラホマ州法ですが、こんな法律にいちいち目くじらをたてて叩き潰すのは馬鹿げていると思うくらいですが、事案は大略こういうことです。20年くらい前に本を読んだときの記憶だけですが。
 オクラホマ州法ではアルコール3.2%以上のビールを購入できる年齢が男子が21歳、女子は18歳と定めていました。これが平等保護条項に反するかどうかが争われました。最高裁は「不愉快な差別」であるとして違憲判断を下しました。
 州の主張は、性差があるのは交通安全のためだと主張しました。これは取ったつけたもののようにも思えますが、統計データがありました。18-21歳の若い年齢で男性は人口の2%が飲酒運転で捕まってました。女子は0.18%でした。女子の20倍の男子が飲酒運転で捕まります。
 そもそも21歳と18歳というのは成人年齢の差違であったと考えられますが、成人年齢の性差別の違憲判断が出たためか、成人年齢はならすことになっても、酒類購入年齢は元のママ残っていたようです。
 法廷意見は左派(人権派の大御所と言ってもよい)のブレナン判事でした。ブレナンは、以前性差別事件で厳格司法審査を主張してました。当時の最高裁で性差別事件で大抵の場合違憲判断をとるのは、ブレナン、ホワイト、マーシャルの3人だけでした。男子のみの徴兵登録が違憲だと主張したのもこの3人です。しかし厳格司法審査基準の適用というのは多数派を形成できないので、この主張を引っ込めて、中間層の裁判官を取り込むために中間審査基準を採用しました。ブレナンは多数派形成の駆け引きの巧い裁判官でした。偉大なチームメーカーと呼ばれる本領が発揮された判決だと思います。
 中間審査基準では、交通安全という政府利益と実質的な関連が立証されなければ違憲というような審査基準です。緩やかな合理性テストなら合憲でしょう。実際男子の方が飲酒でよく捕まってますから。
 しかしブレナン判事は2%は希薄な相関性であって、交通安全とビール購入年齢の性差別は実質的関連がないと判定しました。私も純粋に資料解釈ならそう思います。人口の50分の1が飲酒運転で捕まったとしてもそれは大したことではないと思います。
 そう言う意味では、中間審査基準はそれなりに厳格でしょう。ただ中間審査基準は裁判官の主観によって左右されるという批判もあります。ブレナン判事は同一年齢で女はビールが買えるのに男は買えないのは「不愉快な差別」としましたが、私はそう思いません。英米における伝統的な成人年齢の性差を認めるからです。ビールが飲みたければ女に買い物させればよいだけです。

 続く

2007/10/21

ロックナー判決マンセー論(3)

 ロックナー判決マンセー論(1)http://antilabor.cocolog-nifty.com/blog/2007/07/post_4c1f.html
 ロックナー判決マンセ-論(2)
http://antilabor.cocolog-nifty.com/blog/2007/07/post_f883.html

承前

 ペッカム判事による法廷意見(LOCHNER v. PEOPLE OF STATE OF NEW YORK, 198 U.S. 45 (1905)別冊ジュリスト№139 32巻4号『英米判例百選』第三版 平成8年LOCHNER v.  NEW YORK74~75頁-フラー主席判事、ブリューワー、ブラウン、マッケナ各判事が同調)http://caselaw.lp.findlaw.com/scripts/getcase.pl?court=us&vol=198&invol=45
http://www.law.cornell.edu/supct/html/historics/USSC_CR_0198_0045_ZO.htmlは大略次のとおりである。

「‥‥職業に関して契約を結ぶ一般的権利は、合衆国憲法第14修正の保障する個人の自由の一部であり、同法は使用者と労働者の契約の権利に干渉するものである。第14修正は、いかなる州も法の適正な手続なくして、いかなる人からも生命、自由、財産を奪いえない。と規定している。労働力を売り、又は買う権利は、その権利を排除する事情がない限り、第14修正が保障する自由である。
 〔もっとも〕各州は公衆の安全、健康、道徳、及び一般福祉を守ることを内容とするポリス・パワーを持ち、第14修正に違反することなく個人の契約の自由を規制する権限を有する。当裁判所は‥‥例えば、鉱山労働及び鉱山精錬労働を緊急の場合を除き1日8時間以内に制限するユタ州法は、労働者を鉱山事業者の就業規則による肉体的酷使から守るために合理的で適切な介入であると支持されたHOLDEN v. HARDY, 169 U.S. 366 (1898)
http://caselaw.lp.findlaw.com/cgi-bin/getcase.pl?court=us&vol=169&invol=366  http://www.law.cornell.edu/supct/html/historics/USSC_CR_0169_0366_ZS.html〔但しブリューワー判事とペッカム判事は反対〕。
 〔しかしながら〕ポリスパワーには限界があり、その行使は公正、合理的、適切、必要なものでなければならない。また労働力を売る者も買う者も雇用契約に関し同様の権利を持つ‥‥州のポリスパワーの範囲内か否かは、裁判所が判断しなければならない。
‥‥製パン業の労働者が‥‥他の産業の労働者より知性及び能力の点で劣っているという主張はないし、州が彼らの独立した判断と行動に介入し保護しなければ、彼ら権利の行使も自らを守ることもできないという主張はない。本件の製パン業の労働時間規制法には人身の自由あるいは自由契約の権利に介入する合理的な根拠は何ら存在しない。‥‥
‥‥一般常識として製パン業は健康に悪いとは考えられていない。統計を見ても製パン業はある職業より健康的でないが、別の職業より健康的であるといえる。‥‥立法府が雇用契約の自由に介入する契約の自由に介入する根拠としては、その職業が少しばかり健康に悪いかもしれないという事実では不十分である。いかなる分野にせよ労働は健康に悪い芽を伴うことは残念ながら事実である。しかし、全て我々は立法府の慈愛によって悪い芽から救ってもらうべきであろうか。それでは全ての職業が立法府の権力から逃れられなくなってしまう。労働時間の制限は、労働者自らとその家族の生計を支える能力を損なうかもしれない。労働者の健康とその関連を言及するだけで、全ての雇用における労働時間規制法は有効になってしまう。‥‥この論法が正しいなら、合衆国憲法の保護する人身の自由及び契約の自由は幻想となり、ポリスパワーを口実に、契約の自由だけでなく、人の行為そのものが
立法府の支配を受けることになる。‥‥公衆の健康を理由にすれば州の介入が認められる、との前提に立つ本件立法は、保健立法の公正な意味を逸脱しており、労働者と使用者が最善と考え合意した労働条件で、契約を結ぶ契約当事者の権利の違法な介入である。‥‥生計のために知性ある成人男性が合意した労働時間を制限する規定は、個人の権利への単なるお節介な干渉である。もし、労働時間を制限したければ公衆の健康又は労働者の健康に重大なる危険が生じる、という公正で合理的な根拠がない限り、この規制法はポリスパワーの規制としては支持されない。‥‥このような事情の下で、使用者と労働者が契約を結び労働内容を定める自由を禁止し、又は干渉することは、合衆国憲法に反する。原判決を破棄し、審理を県裁判所に差し戻す。」

 私はベッカム法廷意見に全面的に賛同します。だたベッカム判事より掘り下げて多面的に論じたいと思います。ベッカム判事が述べていない別の観点からも労働時間規制立法を17世紀以来の営業と勤勉さの奨励というコモンローの公序(公共政策)に反する悪と断定するので、私なりに補足同意意見を述べたいと思います。いうまでもなくロックナー判決支持は少数意見でしょうが、こちらが正義・王道と自信を持って言います。王道を歩みましょう。
 私のロックナー判決支持は宿命のようなものです。都立園芸高校が母校ですが稲垣実男校長が朝礼で繰り返し述べた教えとは、あなたがたは知力に乏しくてもハードワークで誰にも負けない人間になりなさい。きつい仕事や長時間労働に耐える根性を持てと育てられたから、仕事に熱心で献身的であることしか取り柄がないわけです。時間規制立法は絶対悪以外の何物でもありません。
 本判決は 1917年のバンティング対オレゴン判決BUNTING v. STATE OF OREGON , 243 U.S. 426 (1917) http://caselaw.lp.findlaw.com/scripts/getcase.pl?court=us&vol=243&invol=426で黙示的判例変更、これはオレゴン州で工場労働で一般的に一日10時間労働を定める進歩主義的政策の悪法について、ロックナー判決に言及せず、合憲判断とした致命的に誤った判決(法廷意見は何とロックナー判決で多数意見に与したマッケナ判事、ホームズ、クラーク、デイ、ピットニーが同調、反対-E.ホワイト主席判事、ヴァン・デヴァンター、マクレイノルズ、なおブランダイスはこの訴訟に係わっていたことから審理不参加)。私はこれこそワースト判決だと思います。
 そして1936年のルーズベルト圧勝後の、1937年ウェストコーストホテル対パリッシュ判決WEST COAST HOTEL CO. V.PARRISH , 300U.S. 379 (1937)

http://caselaw.lp.findlaw.com/scripts/getcase.pl?court=us&vol=300&invol=379

でロックナー判決は明示的に判例変更されます。
 これはウェストコーストホテル社がワシントン州の女性労働者に対する最低賃金制に反し、客室係のメイドであるパリッシュに最低賃金に満たない額の賃金を支払っていたところ、パリッシュが最低賃金との差額の支払いを要求、ホテル側はアドキンス対児童病院判決ADKINS v. CHILDREN'S HOSPITAL OF DISTRICT OF COLUMBIA, 261 U.S. 525 (1923) http://caselaw.lp.findlaw.com/cgi-bin/getcase.pl?court=US&vol=261&invol=525などを引用し、最低賃金を定めた州法が実体的デュープロセスに反し違憲であると主張して争った事件ある。先例拘束の原則からすれば、ホテル側の主張が正しかった。
 アドキンス対児童病院判決(法廷意見サザ-ランド判事)は最低賃金立法は雇用者及び被用者の雇用契約交渉の自由に対する違憲な侵害であり、雇用契約中に包含する仕事の内容に注目せずに賃金の支払いを強制する法律は立法権の根拠のない専断的行使とした。
「自分の事柄について契約する権利は、修正第5条によって保護された個人の自由の一部である。絶対的な契約の自由のようなものは存在しないが、自由が原則で制限が例外である。」とのサザーランドの見解は名文句として記憶に残しておきたい。
 ところが、最高裁は5対4の僅差で先例を覆してワシントン州法を合憲とした(法廷意見ヒューズ主席判事、ブランダイス、ストーン、カードーゾ、ロバーツ各判事同調、反対意見サザーランド判事、ヴァン・デヴァンター、マクレイノルズ、バトラー各判事同調)

 同判決を憲法革命という。個人の自由が原則で、制限が例外だったものが、立法府の専断で自由は制限されなければならないと価値観をひっくり返したからである。保守的実体的デュープロセス積極主義時代はこの判決をもって幕を降ろした決定的な判例となった。
  ヒューズ主席判事は革新主義、左翼急進主義に迎合し、誤った判断を下した。たとえそれが雇用者と被用者の賃金と雇用時間を定める自由を制限するものであっても、雇用契約を規制する制定法に強力な合憲性の推定が適用されると判示した。経済的自由規制立法のいわゆる合理関係の判定基準というものですが、ロックナー判決のような厳格司法審査を放棄して、立法目的と合理的関連を有し、かつ恣意的でもまた差別的でもない場合には、適正手続の要件を満たされるという、大変緩やかな司法審査として、事実上立法府の専断、専制を容認するものであります。立法府に強大な自由侵害の権限を許すことになるのですが、これにより、左翼急進主義に迎合し階級的利益により個人の幸福追求の価値の否定が当然とされたのです。個人が階級的集合人格に吸収されるべきだとされたこと。民主政体への不信感の根本はここにあります。現代とは自由が否定された暗黒の時代なのであります。
 
  私は近代市民社会において、営業の自由、労働の自由(労働力取引の自由)は核心的に重要な価値だと思います。正確に言うと営業の自由と契約の自由は概念が違いますが 19世紀の名裁判官 フィールド判事のBUTCHERS' UNION CO. v. CRESCENT CITY COの補足意見を想い出して下さい。
  「かの偉大なる文書[独立宣言]において宣言されたこれらの不可譲の権利のうちには、人間がその幸福を追求する権利がある。そしてそれは‥‥平等な他人の権利と矛盾しない方法でなら、いかなる合法的な業務または職業にも従事しうる権利を意味するのである‥‥同じ年齢、性、条件のすべての人々に適用されるものを除き、いかなる障害もなしに職業に従事する権利は、合衆国の市民の顕著な特権であり、彼等が生得の権利と主張する自由の本質的な一要素である。[アダム・スミスは国富論において]『各人が自らの労働のうちに有する財産は、他のすべての財産の根源であり、それ故にもっとも神聖であり侵すべからずものである。貧者の親譲りの財産は、彼自身の手の力と才覚に存するのであり、彼がこの力と才覚とを彼が適当と思う方法で隣人に害を与えることなく用いることを妨げるのは、この神聖な財産に対する明らかな侵害である。それは、労働者と、彼を使用しようとする者双方の正しき自由に対する明白な干渉である。[そのような干渉]は、労働者が彼が適当と思うところに従って働くことを妨げるものである』と述べているが、それはまことにもっともなことである」(註1)
  労働のうちに有する財産ということは、ジョン・ロックも言ってますね。ここで言う財産とは金品、動産、不動産だけの概念ではないです。ボクシングの選手で言えば、その運動能力、技術、キャリアと実績そういうものも財産です。労働者であれば、雇用される能力、エンプロイアビリテイー、仕事への熟練度、使用者に誠実な信用なども財産に含めてよいでしょう

 またペッカム判事がオールゲイヤー判決で述べたことを想い出して下さい。
  「修正第14条にいう自由とはただ‥‥単なる身体の物理的拘束から自由であることを意味するだけでなく、市民が彼のすべての能力の享受において自由である権利をも含むのである。すなわち、彼の才能をすべての合法的方法によって自由に使用すること、彼の欲する所に居住し、勤労すること、合法的である限りどんな職業によってでも彼の生計を立てうること、およびどんな生活でもできまたどんな職業にでも従事することができ、そのために適当、必要かつ不可欠なすべての契約をなすこと、を含むのである」
  我が国では狭義の職業選択の自由に矮小化されがちな議論になりがちですが、何人も自分自身を所有し、自らの労働を自らの望む条件で自由に利用する権原 を含む概念でなければ、真に自由とはいえませんし、幸福追求の権利とはいえません。それを否定したのが、ウェストコーストホテル対パリッシュ判決です。最悪のワースト判決の一つとといって言っていいでしょう(但し、私は柔軟な考え方もあります。もしロックナー判決を維持して、女性は憲法の下での人格と認められず契約の自由を保障するものではないという理由だったなら合憲判断をとってもよい)
  1938年には我が国の労働基準法の母法、公正労働基準法が制定されました。憲法革命さえなければこういう悪法は違憲であったはずです。

 脱線しますが、2003年に成人間の私的空間における同意にもとづく性行為が憲法修正14条の実体的デュープロセスにより保障される自由と判示したローレンス対テキサスという重要判決LAWRENCE et al. v. TEXAS http://caselaw.lp.findlaw.com/cgi-bin/getcase.pl?court=US&navby=case&vol=000&invol=02-102

(6対3法廷意見ケネディ判事、反対スカリア、トーマス各判事、レーンキスト主席判事)がありました。これは先例1986年のバウワーズ対ハードウィック判決BOWERS v. HARDWICK, 478 U.S. 186 (1986) http://caselaw.lp.findlaw.com/cgi-bin/getcase.pl?navby=case&court=US&vol=478&invol=186

を覆して、同性愛者のアナルセックスを禁じたテキサス州刑法に違憲判断を下したものですが、ここで掘り下げて検討する余裕はありません。いずれ独立したテーマでとりあげてもよいが、ここでは率直な感想だけ述べます。率直にいえば行き過ぎだと思います。ワースト判決です。
 ジョージア州の当時の異常性行為禁止法(実質的には男色行為処罰法)につき合憲判断をとった1986年のバウワーズ対ハードウィック判決(5対4法廷意見ホワイト、反対ブラックマン、プレナン、マーシャル、スティーブンス)は共和主義憲法理論として一部の憲法学者から高く評価されてました。僅か7年で覆されたのは安易でした。遺憾であります。
 法廷意見のホワイト判事は、被上告人の主張(男同士でアナルセックスやフェラチオをやる自由が憲法上保護される権利だという)は笑止千万お笑い草だと言ってのけました。その見解は同性愛者を軽蔑し感情的ですが正しいです。
 バーガー主席判事の同意意見はもっと立派でした。もし被上告人の主張を認めたら「至福千年の道徳的教訓を棄て去ることになる」と言いました。強姦より悪質な重罪というブラックストンも引用してます。「至福千年」という宗教的理念を持ち出してきたところに凄味を感じます。西欧では同性愛処罰の被犯罪化が進んでました。しかしアメリカはヨーロッパのように堕落してない。西洋文明の道徳的価値を断乎防衛するということでしょうか。絶賛したいです。

  実は決定票を握っていたパウエル判事は裁判官会議で違憲判断のブラックマン判事の陣営に投票し、5対4で当時としてはあっと驚く違憲判決が出るところだったんですが、パウエル判事は後悔し、全裁判官に手紙を書いて、裁決のやり直しを提案、パウエル判事の態度変更により、5対4の合憲判決となったという裏話があります。パウエル判事の良心と熟慮でアメリカは救われたと思いましたから、判例変更は遺憾です。
 とはいえ、私は被害者なき犯罪の非犯罪化、コモンローでは犯罪ではなかった売春はもちろんのこと、大麻、賭博、男色行為の非犯罪化といったリベラルな刑事政策にも好意的な見方をとりますし、法定強姦罪は悪法だと思いますよ。しかしそれは、立法政策の問題です。埋め合わせる価値のない男色行為(異性愛者のオーラルセックスなら生殖のための性行為の前戯として、妻を喜ばす夫の義務として価値を有するが、男色行為には埋め合わせとなる何らの価値を見いだすことができない)を含む私生活における性行為の自由を憲法上の権利にしてしまうのは行き過ぎのように思います。
 何故ならば、各州は道徳及び一般福祉を守ることを内容とするポリス・パワ-を持ちます。道徳・倫理的価値が社会統合の凝集力となっているわけですから、揺るがせにできません。
 REYNOLDS v. U.S., 98 U.S. 145 (1878)で連邦最高裁は当時のモルモン教の一夫多妻の教義に基づいて二人の女性との婚姻関係を宗教の自由ゆえ修正1条によって保障されるべきであるという主張を斥けた。重婚を罪とする法律は政府の権限ということです
 要するにアメリカ社会では重婚は罪であるというのは揺るがせにできない確固たる価値です。それはキリスト教に由来するものです。重婚は否定するが、男色行為は権利として認めるというのはおかしいですね。
 私は、反対意見を記したスカリア判事やトーマス判事とはかなり違ってプライバシー権を容認してもよいが、男色行為はダメだという見解です。プライバシ-権を性行為について容認するとしても
異性愛者のオーラルセックスまでですね。
 私は避妊具の使用を禁止した州法に違憲判断をとったグリズウォルド対コネチカット判決GRISWOLD v. CONNECTICUT, 381 U.S. 479 (1965) http://caselaw.lp.findlaw.com/scripts/getcase.pl?court=us&vol=381&invol=479を肯定します。夫婦の寝室の営みに世俗政府が干渉するべきではない。そもそも生殖を目的とした性行為しか認めないというのはジャンセニストとか、一部の禁欲的宗派の価値観にすぎないのであって、キリスト教性道徳については誤解があります。中世より宗教改革期の神学者の主流は、相手の求めに応じる性行為、ふしだらな行為を避ける同毒療法としての夫婦生活の価値を認めておりまして、埋め合わせのある価値があれば快楽追求も是認する神学理論もあります。世俗政府が干渉すべきでないというのは特定の宗派の夫婦倫理を強要することになるから反対だという意味です。
 結婚し家庭を築くことは幸福追求にとって核心的な価値でもありますから政府が干渉すべきでない。ダグラス判事のペナンブラ(半影)理論はわかりにくいが、プライバシー権を認めてもいいですよ。しかし、口にするのも憚る
男同士のアナルセックスやフェラチオを、実体的デュープロセスの先例である結婚する自由や親の監護教育権といった重要な価値と同列に論じ憲法で保障される自由というのはいかがなものかと思います。
 もっともケネディ法廷意見は、ずばり、アナルセックスを支持するとは言ってない。成人間の私的空間における同意にもとづく性行為を憲法上保護するということですが、アメリカの保守派ではこの判決の評価が分かれていて、私がインターネットを見た限りでは、明確に判決に批判的だったのは主要紙ではワシントンタイムズだけでした。USAトゥデイにも批判的な専門家の見解が掲載されましたが、リバータリアンのシンクタンク、ケイトー研究所は同性愛者側支持だったわけです。しかし私は、至福千年の道徳的教訓
を棄て去るべきでなかったということでリバータリアンには批判的な見方をとります。
 
 もっとも私は日本人ですから、我が国において戦国時代の念友をピークとして摂関期から近世初期において男色行為に許容的な文化が存在したことは知ってます。院政期の左大臣藤原頼長の『台記』に讃丸と滅多にない同時発射が実現して、これぞ至高の快楽みたいなことが書かれていることも知ってますよ。我が国においては大グレゴリウスの快楽は罪であるみたいな思想はないですから、相手が女であれ男であれ性的快楽追求に貪欲な基層文化があると評価してよいです。しかし私は現代人ですから西洋文明的価値を受容しているんです。男が女のように犯されることを容認できません不愉快です。若いとき日比谷図書館の便所でお金を出すからしゃぶらせてとか言うおじさんと遭遇したことがありますが不愉快です。同性愛者は嫌いです。レインボーカラーを見るだけで不愉快です。

 ユダヤ-キリスト教2500年の西洋文明の価値基準は揺るがせにできません。この世界は異性愛男性が支配者たるべき世界なのであって、私は女性の尊厳も認めませんが、同性愛者の尊厳も認めません。ローレンス判決は容認できません。
 私的空間での成人間の性行為の自由を保障するくらいだったら、ロックナー判決の実体的デュープロセスを復活した方がよっぽどましというものです。
 こういう言い方もできます。仮にリバータリアン的に本判決を支持するとしても、如何なる性的嗜好による性行為でも成人間の合意によるものは憲法上保障されるといっても、それは単なる私生活の自由にすぎない。小さな慰めにすぎないのです。みみっちい。
 それよりもその人の社会的評価は職業上の地位であるから、思う存分勤勉に働いて、努力が報われて人生で成功するためには、雇用契約の自由を復権させることの方が、幸福追求の価値としてはずっと大きいのである

 もちろん、ロックナー判決支持という私の見解は孤立しているわけでは決してありません。ロックナー判決が憲法の正当な解釈で復活すべきだという学説はあります。University of San Diego School of Law のBernard H. Siegan教授、Princeton UniversityのStephen Macedo教授がそうです(註2)。
 
 ニューディール労働立法批判も当然あります。
 例えばUniversity of Chicago Law Schoolのリチャード・A・エプステインRichard A. Epstein が1983年「労働関係のコモン・ロー:ニューディール立法批判」という論文で、1932年ノリス・ラガーディア法、1935年ワグナー法を柱とする労働法の構造を徹底的に批判し、「何人も自分自身を所有し、自らの労働を自らの望む条件で自由に利用する権原を有する」という個人の自由から「ニューディール立法は多くの点で誤りであり、可能ならばこれをスクラップして不法行為法と契約法に依拠した賢明なコモン・ロー制度にとって代わられるべきである。不法行為法の諸原則は暴力・脅迫・そして契約違反の誘致から個人を保護する。契約法の諸原則は、諸個人がその権原の社会的枠組みのなかで、自ら望む人と自ら望むものを取引することを可能とする」(註3)としている。
 だから、戦後レジームにすぎない労働三法を自明の前提とするような議論が誤りです。多分、憲法学者や弁護士に訊けば100人中99人がロックナー判決はワースト判決と言うでしょうが、そいつらはつまらない人間です。亀田流にいえばゴキブリ野郎です。

(註1)田中英夫『デュー プロセス 』東京大学出版 1987
(註2)松井茂記『二重の基準論』有斐閣1994
(註3)水町勇一郎『集団の再生―アメリカ労働法制の歴史と理論』有斐閣2005 120頁以下

その他引用参考文献
ラッセル・ギャロウェイ著佐藤・尹・須藤共訳『アメリカ最高裁判所200年の軌跡 法と経済の交錯』
八千代出版1994

石田尚『実体的適法手続』信山社出版 1988

2007/10/17

亀田の親父を見習いたい

  亀田大毅みたいに包丁をみつめるほどではないが、自分も意気消沈してます。アイデンティティクライシスといいますか。人生かなり甘かったかなと深く反省してますが、他人の悪意にはまったのも大失敗でしたね。自滅状態です。
 そこで自慰行為になりますが、言い訳をしますと、自滅状態になってしまうのそれなりの理由がありまして、精神医学の福島章の著作で昔読んだなかで「成功するまさにその時破滅する人」というタイプがあります。あと1日無事故なら念願の個人タクシーのライセンスが取得できた、タクシー運転手が、最後の一日に滅多にない長距離の上客を乗車させたところまではよかったのですが、とんでもない事故をやってしまいライセンスがご破算になってしまう。それなりに努力して頑張った。成功が得られるその一歩手前で、自分は成功にふさわしくない人間だという「無意識」が持ち上がって台無しにしてしまうというような話でした。要するに無意識のうちに破滅指向というものがある。サナトスが持ち上がってくるということでしょうか。
 人生は何物かに賭けなければならないし、勝負を賭ける時にそれをなしえないことことほど恥はないと思いますが、ブログでも若干ほのめかしてますけど、私は人生の中で成功経験というのは1回もない。巧くいったと言うことが一度もないんです。勝負を賭けるべき時に賭けなかった後悔だけが残ってます。
 無意識の内に自分は破滅しなきゃいけないんじゃないかというものが多分あるんでしょうね。ニコチン中毒から狭心症、心筋梗塞までいったのは、自傷衝動みたいなものが無意識にあったと考えてます。モーツァルトは「死は最善の友である」と言ったそうですが、
気持ちはわかります。
 精神的な健康の目安というのは、仕事をすることと愛することと言ったのはフロイトだと思いますが、仕事をさせない、やらせないと、ヤッチャいけない、やっちゃいけないと攻撃されることほど辛いことはないです。愛する物は何もないです。女性関係は25年前に新大久保のホテトル嬢とみこすり半で終わってから何もないですから。
 後者の方はどうでもいいです。生涯未婚率の高かった西欧型社会では住込みの奉公人とか生涯未婚者は少なくなかったわけで、日本も西欧型になったというだけですから。
 ここまでヘコンだら、根本的に考え方を改めなきゃ駄目かな。そこで亀田の親父に見習いたい。この勝負に賭けたら例え汚い手段を使っても勝ちに行く。それくらいの根性、執念深さがなきゃ駄目だな。ある意味では爽快なものを見せてもらった感じもする。スポーツマンシップなんてきれいごとでしょう。反則行為でも闘志の表れと言ってのける図太さにも感心しました。自分には亀田の親父みたいな根性も迫力もなくどうしようもないですね。勝たなきゃ意味がないという価値観はわかる。亀田史郎氏もセレブの一人ですから凡人にはないオーラのある一廉の人物と認めますよ。
 神が認めないペラギウス派を叩くために、皇帝に賄賂を贈ったとされるアウグスティヌスですが、それは全く正しいことです。敵を叩くためには、賄賂も正しいのです。汚くてもいいんですよ。
 ルターによればキリストは「悪魔に対する悪魔」であったといいます。キリストに倣って悪魔になる人が正しいんです。善人は駄目なんですよ。悪魔に嫌われる悪人になりきれる人が真に尊敬されるべきです。
 でも、根が悪人でないので、悪人になりきれなくてどうしようもないですね。

2007/10/15

ボクシング界はまともだった

  亀田史郎トレーナー無期限のセコンド資格停止とのニュースを見ました。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071015-00000012-yom-spo
 9時のNHKのニュースを見ましたが亀田史郎トレーナーの処分理由は反則行為の指示ではなく、試合前の威嚇行為ということでした、脅しを認めないということですね。事情聴取をしないのを疑問に思いますが、次のような感想を持ちます。

私は都水道局職員ですが、労働組合からストライキのビケラインを突破するなと再三脅迫されるだけでなく、仕事の協力を依頼するだけで、何様と思っているんだ。このままで済むと思うなよと脅迫され、脅しを抗議するとおまえが悪いということにされますが、事実上脅迫容認の地方法務員より脅しを容認しないボクシング界のほうがよっぽど健全でまともだと思いました。具体事例は追って掲載します

2007/10/14

ガッツ石松氏のルール違反指摘についての感想

 拳闘は関心がないし、内藤大助-亀田大毅戦も見ていない。第一、ポンサクレックからタイトルを奪取した中継が東京ローカルMXテレビで、都職員ですがMXテレビを見ることはまずありませんから内藤の顔も名前も知らなかった。ということで素人ですが、反則問題についての感想を書きます。
 翌日の朝、パソコンを起動したら、MSNのトップニュースが「亀田“投げ技”で減点、最後は自暴自棄」「切腹しろ云々」というバッシング報道だったので関心を持ちました。
 

 まず私が気になった報道は12日の記者会見です。

 内藤「反則の域を越えている。試合前にお父さん(史郎トレーナー)が、『しゃー、なんやこらー』、って会長に怒鳴ったでしょ。スポーツマンシップじゃない。脅しですよ」
 宮田会長「猫じゃないんだから、何が『しゃー』だよって」

 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071012-00000920-san-spo
 私の職場、東京都水道局は具体的例は「脅迫者優位・反コミットメント型企業文化論」で後述しますが、すべてが脅迫者優位なんですよ、脅迫者に従え、脅す人を厚遇するのが常識なんです。脅迫者が非難されることはない。脅迫者の論理と反コミットメントが企業風土となっておりますが、この程度のことでもボクシング界はきちんと抗議する。反則行為にしてもうやむやにしないで要望書を出すということで、結構まともな社会だな。規律・規則違反や業務妨害は容認が原則の地方公務員よりずっとまともな世界だなとの心証をもちました。
 世間も本音はスポーツマンシップとかくだくだ言う内藤より喧嘩腰の亀田スタイルが爽快で好みなのかもしれませんが、亀田派メディアも建前として反則擁護はできないということでしょう。
 ユーチューブで減点を取られた場面を見ました。インターバルにセコンドから「タマ、打ってまえ」「目に入れたれ」という反則指示があったされるニュースを読みました。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071013-00000008-ykf-spo
 ユーチューブで「目ぇもっと打てよ、目もっと重点的に」という音声も確認しました。「投げろ、投げろ!」 というのは報道されていないので真偽不明ですがウィキペディアには載ってますね。
 13日発行の夕刊フジにガッツ石松のコメントがあります。
 ---WBC世界ライト級元王者のガッツ石松氏は「これはボクシング界の朝青龍問題といえる。反則指示が本当ならば、協会やJBCなどが厳正な対処をしないと大変な問題になる」と指摘し、「興毅や史郎氏がセコンドにつくこと自体がWBCのルール違反だろう。今回はJBCが例外として認めたが、それ自体が甘かったのではないのか」とも述べた---また同記事によると---WBCルールは原則的に親兄弟がセコンドにつくことを認めていないが、JBCはこれまで、史郎氏ばかりかセコンドライセンスのない興毅のセコンド入りまで容認してきた--とあります。
 私は全く素人だから、ルールとその解釈は全くわかりません。現実問題、亀田は人気があるし視聴率もとっている。内藤の防衛戦が亀田以外なら大して話題ならなかったろう。昨年8月の試合でWBAは、亀田史郎氏に対する特製チャンピオンベルトを事前に用意ことからも明らかなように特別待遇もアリということです。興業的には亀田トレインの演出とか、ルールの柔軟な解釈があってもよいと思いますが。
 ガッツ石松は亀田史郎トレーナーと場外戦をやっていたからhttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071010-00000036-sph-spoとりわけ批判的なのかもしれませんが、ルール違反はルール違反として指摘しているのは立派だと思いました。公務員にはできないことです。バラエティー番組でとぼけているのは演技で、本当は論理的で聡明な人物だとウィキにありましたが、なるほど政治家を志すほどの人物と感心しました。

2007/10/10

沢尻事件の感想-司会者は女王様に選ばせるべきだった

 「今年最大の芸能界バッシング」沢尻エリカ舞台挨拶をユーチューブで見ましたが、主役を持ち上げることができない富永美樹の司会が下手なんじゃないかと感じました。不機嫌だった本当の理由はよくわかりませんが、10月9日発行の東スポ1面アルジェリア系フランス人の沢尻の母の独占直撃取材で「あの司会のアナウンサーのこと、エリカは嫌い‥‥」と発言していることから、司会者との相性の悪さが原因の一つではないかと憶測する。

 だとすれば、事前に嫌われている富永美樹を下ろすべきだった。エリカ様ほどの人気トップクラスの女優なら我が儘にしてよいように思います。竹内結子と冷戦状態云々、先輩女優にタメ口云々との記事も読みましたが、そんなのたいしたことないでしょ。
 6日のスポニチ終面によると騒動にもかかわらず「クローズド・ノート」の集客は上々で、配給の東宝は興収15億円を見込んでいるという。この面では影響なさそう。
 ただ『女性セブン』10月18日号「沢尻エリカ、ガンたれ、ブーたれ、へたれな素顔-芸能界、広告業界は大激怒」という記事を読みましたが、広告業界に嫌われるのは痛手のようです。
「沢尻、ナニワでも“エリカ節”が冴えわたる!」
http://www.oricon.co.jp/news/movie/48003/という記事がありますが、9月13日大阪の試写会での挨拶では気の利いた話で、観客を喜ばせたと報道されてます。監督とのツーショットの写真がありますが愛想よく、29日の舞台挨拶とは別人のようです。この時は、竹内結子も、富永美樹もいないので機嫌がよかったのしょうか。

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