亀田の親父を見習いたい
亀田大毅みたいに包丁をみつめるほどではないが、自分も意気消沈してます。アイデンティティクライシスといいますか。人生かなり甘かったかなと深く反省してますが、他人の悪意にはまったのも大失敗でしたね。自滅状態です。
そこで自慰行為になりますが、言い訳をしますと、自滅状態になってしまうのそれなりの理由がありまして、精神医学の福島章の著作で昔読んだなかで「成功するまさにその時破滅する人」というタイプがあります。あと1日無事故なら念願の個人タクシーのライセンスが取得できた、タクシー運転手が、最後の一日に滅多にない長距離の上客を乗車させたところまではよかったのですが、とんでもない事故をやってしまいライセンスがご破算になってしまう。それなりに努力して頑張った。成功が得られるその一歩手前で、自分は成功にふさわしくない人間だという「無意識」が持ち上がって台無しにしてしまうというような話でした。要するに無意識のうちに破滅指向というものがある。サナトスが持ち上がってくるということでしょうか。
人生は何物かに賭けなければならないし、勝負を賭ける時にそれをなしえないことことほど恥はないと思いますが、ブログでも若干ほのめかしてますけど、私は人生の中で成功経験というのは1回もない。巧くいったと言うことが一度もないんです。勝負を賭けるべき時に賭けなかった後悔だけが残ってます。
無意識の内に自分は破滅しなきゃいけないんじゃないかというものが多分あるんでしょうね。ニコチン中毒から狭心症、心筋梗塞までいったのは、自傷衝動みたいなものが無意識にあったと考えてます。モーツァルトは「死は最善の友である」と言ったそうですが、
気持ちはわかります。
精神的な健康の目安というのは、仕事をすることと愛することと言ったのはフロイトだと思いますが、仕事をさせない、やらせないと、ヤッチャいけない、やっちゃいけないと攻撃されることほど辛いことはないです。愛する物は何もないです。女性関係は25年前に新大久保のホテトル嬢とみこすり半で終わってから何もないですから。
後者の方はどうでもいいです。生涯未婚率の高かった西欧型社会では住込みの奉公人とか生涯未婚者は少なくなかったわけで、日本も西欧型になったというだけですから。
ここまでヘコンだら、根本的に考え方を改めなきゃ駄目かな。そこで亀田の親父に見習いたい。この勝負に賭けたら例え汚い手段を使っても勝ちに行く。それくらいの根性、執念深さがなきゃ駄目だな。ある意味では爽快なものを見せてもらった感じもする。スポーツマンシップなんてきれいごとでしょう。反則行為でも闘志の表れと言ってのける図太さにも感心しました。自分には亀田の親父みたいな根性も迫力もなくどうしようもないですね。勝たなきゃ意味がないという価値観はわかる。亀田史郎氏もセレブの一人ですから凡人にはないオーラのある一廉の人物と認めますよ。
神が認めないペラギウス派を叩くために、皇帝に賄賂を贈ったとされるアウグスティヌスですが、それは全く正しいことです。敵を叩くためには、賄賂も正しいのです。汚くてもいいんですよ。
ルターによればキリストは「悪魔に対する悪魔」であったといいます。キリストに倣って悪魔になる人が正しいんです。善人は駄目なんですよ。悪魔に嫌われる悪人になりきれる人が真に尊敬されるべきです。
でも、根が悪人でないので、悪人になりきれなくてどうしようもないですね。
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