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2007/10/21

ロックナー判決マンセー論(3)

 ロックナー判決マンセー論(1)http://antilabor.cocolog-nifty.com/blog/2007/07/post_4c1f.html
 ロックナー判決マンセ-論(2)
http://antilabor.cocolog-nifty.com/blog/2007/07/post_f883.html

承前

 ペッカム判事による法廷意見(LOCHNER v. PEOPLE OF STATE OF NEW YORK, 198 U.S. 45 (1905)別冊ジュリスト№139 32巻4号『英米判例百選』第三版 平成8年LOCHNER v.  NEW YORK74~75頁-フラー主席判事、ブリューワー、ブラウン、マッケナ各判事が同調)http://caselaw.lp.findlaw.com/scripts/getcase.pl?court=us&vol=198&invol=45
http://www.law.cornell.edu/supct/html/historics/USSC_CR_0198_0045_ZO.htmlは大略次のとおりである。

「‥‥職業に関して契約を結ぶ一般的権利は、合衆国憲法第14修正の保障する個人の自由の一部であり、同法は使用者と労働者の契約の権利に干渉するものである。第14修正は、いかなる州も法の適正な手続なくして、いかなる人からも生命、自由、財産を奪いえない。と規定している。労働力を売り、又は買う権利は、その権利を排除する事情がない限り、第14修正が保障する自由である。
 〔もっとも〕各州は公衆の安全、健康、道徳、及び一般福祉を守ることを内容とするポリス・パワーを持ち、第14修正に違反することなく個人の契約の自由を規制する権限を有する。当裁判所は‥‥例えば、鉱山労働及び鉱山精錬労働を緊急の場合を除き1日8時間以内に制限するユタ州法は、労働者を鉱山事業者の就業規則による肉体的酷使から守るために合理的で適切な介入であると支持されたHOLDEN v. HARDY, 169 U.S. 366 (1898)
http://caselaw.lp.findlaw.com/cgi-bin/getcase.pl?court=us&vol=169&invol=366  http://www.law.cornell.edu/supct/html/historics/USSC_CR_0169_0366_ZS.html〔但しブリューワー判事とペッカム判事は反対〕。
 〔しかしながら〕ポリスパワーには限界があり、その行使は公正、合理的、適切、必要なものでなければならない。また労働力を売る者も買う者も雇用契約に関し同様の権利を持つ‥‥州のポリスパワーの範囲内か否かは、裁判所が判断しなければならない。
‥‥製パン業の労働者が‥‥他の産業の労働者より知性及び能力の点で劣っているという主張はないし、州が彼らの独立した判断と行動に介入し保護しなければ、彼ら権利の行使も自らを守ることもできないという主張はない。本件の製パン業の労働時間規制法には人身の自由あるいは自由契約の権利に介入する合理的な根拠は何ら存在しない。‥‥
‥‥一般常識として製パン業は健康に悪いとは考えられていない。統計を見ても製パン業はある職業より健康的でないが、別の職業より健康的であるといえる。‥‥立法府が雇用契約の自由に介入する契約の自由に介入する根拠としては、その職業が少しばかり健康に悪いかもしれないという事実では不十分である。いかなる分野にせよ労働は健康に悪い芽を伴うことは残念ながら事実である。しかし、全て我々は立法府の慈愛によって悪い芽から救ってもらうべきであろうか。それでは全ての職業が立法府の権力から逃れられなくなってしまう。労働時間の制限は、労働者自らとその家族の生計を支える能力を損なうかもしれない。労働者の健康とその関連を言及するだけで、全ての雇用における労働時間規制法は有効になってしまう。‥‥この論法が正しいなら、合衆国憲法の保護する人身の自由及び契約の自由は幻想となり、ポリスパワーを口実に、契約の自由だけでなく、人の行為そのものが
立法府の支配を受けることになる。‥‥公衆の健康を理由にすれば州の介入が認められる、との前提に立つ本件立法は、保健立法の公正な意味を逸脱しており、労働者と使用者が最善と考え合意した労働条件で、契約を結ぶ契約当事者の権利の違法な介入である。‥‥生計のために知性ある成人男性が合意した労働時間を制限する規定は、個人の権利への単なるお節介な干渉である。もし、労働時間を制限したければ公衆の健康又は労働者の健康に重大なる危険が生じる、という公正で合理的な根拠がない限り、この規制法はポリスパワーの規制としては支持されない。‥‥このような事情の下で、使用者と労働者が契約を結び労働内容を定める自由を禁止し、又は干渉することは、合衆国憲法に反する。原判決を破棄し、審理を県裁判所に差し戻す。」

 私はベッカム法廷意見に全面的に賛同します。だたベッカム判事より掘り下げて多面的に論じたいと思います。ベッカム判事が述べていない別の観点からも労働時間規制立法を17世紀以来の営業と勤勉さの奨励というコモンローの公序(公共政策)に反する悪と断定するので、私なりに補足同意意見を述べたいと思います。いうまでもなくロックナー判決支持は少数意見でしょうが、こちらが正義・王道と自信を持って言います。王道を歩みましょう。
 私のロックナー判決支持は宿命のようなものです。都立園芸高校が母校ですが稲垣実男校長が朝礼で繰り返し述べた教えとは、あなたがたは知力に乏しくてもハードワークで誰にも負けない人間になりなさい。きつい仕事や長時間労働に耐える根性を持てと育てられたから、仕事に熱心で献身的であることしか取り柄がないわけです。時間規制立法は絶対悪以外の何物でもありません。
 本判決は 1917年のバンティング対オレゴン判決BUNTING v. STATE OF OREGON , 243 U.S. 426 (1917) http://caselaw.lp.findlaw.com/scripts/getcase.pl?court=us&vol=243&invol=426で黙示的判例変更、これはオレゴン州で工場労働で一般的に一日10時間労働を定める進歩主義的政策の悪法について、ロックナー判決に言及せず、合憲判断とした致命的に誤った判決(法廷意見は何とロックナー判決で多数意見に与したマッケナ判事、ホームズ、クラーク、デイ、ピットニーが同調、反対-E.ホワイト主席判事、ヴァン・デヴァンター、マクレイノルズ、なおブランダイスはこの訴訟に係わっていたことから審理不参加)。私はこれこそワースト判決だと思います。
 そして1936年のルーズベルト圧勝後の、1937年ウェストコーストホテル対パリッシュ判決WEST COAST HOTEL CO. V.PARRISH , 300U.S. 379 (1937)

http://caselaw.lp.findlaw.com/scripts/getcase.pl?court=us&vol=300&invol=379

でロックナー判決は明示的に判例変更されます。
 これはウェストコーストホテル社がワシントン州の女性労働者に対する最低賃金制に反し、客室係のメイドであるパリッシュに最低賃金に満たない額の賃金を支払っていたところ、パリッシュが最低賃金との差額の支払いを要求、ホテル側はアドキンス対児童病院判決ADKINS v. CHILDREN'S HOSPITAL OF DISTRICT OF COLUMBIA, 261 U.S. 525 (1923) http://caselaw.lp.findlaw.com/cgi-bin/getcase.pl?court=US&vol=261&invol=525などを引用し、最低賃金を定めた州法が実体的デュープロセスに反し違憲であると主張して争った事件ある。先例拘束の原則からすれば、ホテル側の主張が正しかった。
 アドキンス対児童病院判決(法廷意見サザ-ランド判事)は最低賃金立法は雇用者及び被用者の雇用契約交渉の自由に対する違憲な侵害であり、雇用契約中に包含する仕事の内容に注目せずに賃金の支払いを強制する法律は立法権の根拠のない専断的行使とした。
「自分の事柄について契約する権利は、修正第5条によって保護された個人の自由の一部である。絶対的な契約の自由のようなものは存在しないが、自由が原則で制限が例外である。」とのサザーランドの見解は名文句として記憶に残しておきたい。
 ところが、最高裁は5対4の僅差で先例を覆してワシントン州法を合憲とした(法廷意見ヒューズ主席判事、ブランダイス、ストーン、カードーゾ、ロバーツ各判事同調、反対意見サザーランド判事、ヴァン・デヴァンター、マクレイノルズ、バトラー各判事同調)

 同判決を憲法革命という。個人の自由が原則で、制限が例外だったものが、立法府の専断で自由は制限されなければならないと価値観をひっくり返したからである。保守的実体的デュープロセス積極主義時代はこの判決をもって幕を降ろした決定的な判例となった。
  ヒューズ主席判事は革新主義、左翼急進主義に迎合し、誤った判断を下した。たとえそれが雇用者と被用者の賃金と雇用時間を定める自由を制限するものであっても、雇用契約を規制する制定法に強力な合憲性の推定が適用されると判示した。経済的自由規制立法のいわゆる合理関係の判定基準というものですが、ロックナー判決のような厳格司法審査を放棄して、立法目的と合理的関連を有し、かつ恣意的でもまた差別的でもない場合には、適正手続の要件を満たされるという、大変緩やかな司法審査として、事実上立法府の専断、専制を容認するものであります。立法府に強大な自由侵害の権限を許すことになるのですが、これにより、左翼急進主義に迎合し階級的利益により個人の幸福追求の価値の否定が当然とされたのです。個人が階級的集合人格に吸収されるべきだとされたこと。民主政体への不信感の根本はここにあります。現代とは自由が否定された暗黒の時代なのであります。
 
  私は近代市民社会において、営業の自由、労働の自由(労働力取引の自由)は核心的に重要な価値だと思います。正確に言うと営業の自由と契約の自由は概念が違いますが 19世紀の名裁判官 フィールド判事のBUTCHERS' UNION CO. v. CRESCENT CITY COの補足意見を想い出して下さい。
  「かの偉大なる文書[独立宣言]において宣言されたこれらの不可譲の権利のうちには、人間がその幸福を追求する権利がある。そしてそれは‥‥平等な他人の権利と矛盾しない方法でなら、いかなる合法的な業務または職業にも従事しうる権利を意味するのである‥‥同じ年齢、性、条件のすべての人々に適用されるものを除き、いかなる障害もなしに職業に従事する権利は、合衆国の市民の顕著な特権であり、彼等が生得の権利と主張する自由の本質的な一要素である。[アダム・スミスは国富論において]『各人が自らの労働のうちに有する財産は、他のすべての財産の根源であり、それ故にもっとも神聖であり侵すべからずものである。貧者の親譲りの財産は、彼自身の手の力と才覚に存するのであり、彼がこの力と才覚とを彼が適当と思う方法で隣人に害を与えることなく用いることを妨げるのは、この神聖な財産に対する明らかな侵害である。それは、労働者と、彼を使用しようとする者双方の正しき自由に対する明白な干渉である。[そのような干渉]は、労働者が彼が適当と思うところに従って働くことを妨げるものである』と述べているが、それはまことにもっともなことである」(註1)
  労働のうちに有する財産ということは、ジョン・ロックも言ってますね。ここで言う財産とは金品、動産、不動産だけの概念ではないです。ボクシングの選手で言えば、その運動能力、技術、キャリアと実績そういうものも財産です。労働者であれば、雇用される能力、エンプロイアビリテイー、仕事への熟練度、使用者に誠実な信用なども財産に含めてよいでしょう

 またペッカム判事がオールゲイヤー判決で述べたことを想い出して下さい。
  「修正第14条にいう自由とはただ‥‥単なる身体の物理的拘束から自由であることを意味するだけでなく、市民が彼のすべての能力の享受において自由である権利をも含むのである。すなわち、彼の才能をすべての合法的方法によって自由に使用すること、彼の欲する所に居住し、勤労すること、合法的である限りどんな職業によってでも彼の生計を立てうること、およびどんな生活でもできまたどんな職業にでも従事することができ、そのために適当、必要かつ不可欠なすべての契約をなすこと、を含むのである」
  我が国では狭義の職業選択の自由に矮小化されがちな議論になりがちですが、何人も自分自身を所有し、自らの労働を自らの望む条件で自由に利用する権原 を含む概念でなければ、真に自由とはいえませんし、幸福追求の権利とはいえません。それを否定したのが、ウェストコーストホテル対パリッシュ判決です。最悪のワースト判決の一つとといって言っていいでしょう(但し、私は柔軟な考え方もあります。もしロックナー判決を維持して、女性は憲法の下での人格と認められず契約の自由を保障するものではないという理由だったなら合憲判断をとってもよい)
  1938年には我が国の労働基準法の母法、公正労働基準法が制定されました。憲法革命さえなければこういう悪法は違憲であったはずです。

 脱線しますが、2003年に成人間の私的空間における同意にもとづく性行為が憲法修正14条の実体的デュープロセスにより保障される自由と判示したローレンス対テキサスという重要判決LAWRENCE et al. v. TEXAS http://caselaw.lp.findlaw.com/cgi-bin/getcase.pl?court=US&navby=case&vol=000&invol=02-102

(6対3法廷意見ケネディ判事、反対スカリア、トーマス各判事、レーンキスト主席判事)がありました。これは先例1986年のバウワーズ対ハードウィック判決BOWERS v. HARDWICK, 478 U.S. 186 (1986) http://caselaw.lp.findlaw.com/cgi-bin/getcase.pl?navby=case&court=US&vol=478&invol=186

を覆して、同性愛者のアナルセックスを禁じたテキサス州刑法に違憲判断を下したものですが、ここで掘り下げて検討する余裕はありません。いずれ独立したテーマでとりあげてもよいが、ここでは率直な感想だけ述べます。率直にいえば行き過ぎだと思います。ワースト判決です。
 ジョージア州の当時の異常性行為禁止法(実質的には男色行為処罰法)につき合憲判断をとった1986年のバウワーズ対ハードウィック判決(5対4法廷意見ホワイト、反対ブラックマン、プレナン、マーシャル、スティーブンス)は共和主義憲法理論として一部の憲法学者から高く評価されてました。僅か7年で覆されたのは安易でした。遺憾であります。
 法廷意見のホワイト判事は、被上告人の主張(男同士でアナルセックスやフェラチオをやる自由が憲法上保護される権利だという)は笑止千万お笑い草だと言ってのけました。その見解は同性愛者を軽蔑し感情的ですが正しいです。
 バーガー主席判事の同意意見はもっと立派でした。もし被上告人の主張を認めたら「至福千年の道徳的教訓を棄て去ることになる」と言いました。強姦より悪質な重罪というブラックストンも引用してます。「至福千年」という宗教的理念を持ち出してきたところに凄味を感じます。西欧では同性愛処罰の被犯罪化が進んでました。しかしアメリカはヨーロッパのように堕落してない。西洋文明の道徳的価値を断乎防衛するということでしょうか。絶賛したいです。

  実は決定票を握っていたパウエル判事は裁判官会議で違憲判断のブラックマン判事の陣営に投票し、5対4で当時としてはあっと驚く違憲判決が出るところだったんですが、パウエル判事は後悔し、全裁判官に手紙を書いて、裁決のやり直しを提案、パウエル判事の態度変更により、5対4の合憲判決となったという裏話があります。パウエル判事の良心と熟慮でアメリカは救われたと思いましたから、判例変更は遺憾です。
 とはいえ、私は被害者なき犯罪の非犯罪化、コモンローでは犯罪ではなかった売春はもちろんのこと、大麻、賭博、男色行為の非犯罪化といったリベラルな刑事政策にも好意的な見方をとりますし、法定強姦罪は悪法だと思いますよ。しかしそれは、立法政策の問題です。埋め合わせる価値のない男色行為(異性愛者のオーラルセックスなら生殖のための性行為の前戯として、妻を喜ばす夫の義務として価値を有するが、男色行為には埋め合わせとなる何らの価値を見いだすことができない)を含む私生活における性行為の自由を憲法上の権利にしてしまうのは行き過ぎのように思います。
 何故ならば、各州は道徳及び一般福祉を守ることを内容とするポリス・パワ-を持ちます。道徳・倫理的価値が社会統合の凝集力となっているわけですから、揺るがせにできません。
 REYNOLDS v. U.S., 98 U.S. 145 (1878)で連邦最高裁は当時のモルモン教の一夫多妻の教義に基づいて二人の女性との婚姻関係を宗教の自由ゆえ修正1条によって保障されるべきであるという主張を斥けた。重婚を罪とする法律は政府の権限ということです
 要するにアメリカ社会では重婚は罪であるというのは揺るがせにできない確固たる価値です。それはキリスト教に由来するものです。重婚は否定するが、男色行為は権利として認めるというのはおかしいですね。
 私は、反対意見を記したスカリア判事やトーマス判事とはかなり違ってプライバシー権を容認してもよいが、男色行為はダメだという見解です。プライバシ-権を性行為について容認するとしても
異性愛者のオーラルセックスまでですね。
 私は避妊具の使用を禁止した州法に違憲判断をとったグリズウォルド対コネチカット判決GRISWOLD v. CONNECTICUT, 381 U.S. 479 (1965) http://caselaw.lp.findlaw.com/scripts/getcase.pl?court=us&vol=381&invol=479を肯定します。夫婦の寝室の営みに世俗政府が干渉するべきではない。そもそも生殖を目的とした性行為しか認めないというのはジャンセニストとか、一部の禁欲的宗派の価値観にすぎないのであって、キリスト教性道徳については誤解があります。中世より宗教改革期の神学者の主流は、相手の求めに応じる性行為、ふしだらな行為を避ける同毒療法としての夫婦生活の価値を認めておりまして、埋め合わせのある価値があれば快楽追求も是認する神学理論もあります。世俗政府が干渉すべきでないというのは特定の宗派の夫婦倫理を強要することになるから反対だという意味です。
 結婚し家庭を築くことは幸福追求にとって核心的な価値でもありますから政府が干渉すべきでない。ダグラス判事のペナンブラ(半影)理論はわかりにくいが、プライバシー権を認めてもいいですよ。しかし、口にするのも憚る
男同士のアナルセックスやフェラチオを、実体的デュープロセスの先例である結婚する自由や親の監護教育権といった重要な価値と同列に論じ憲法で保障される自由というのはいかがなものかと思います。
 もっともケネディ法廷意見は、ずばり、アナルセックスを支持するとは言ってない。成人間の私的空間における同意にもとづく性行為を憲法上保護するということですが、アメリカの保守派ではこの判決の評価が分かれていて、私がインターネットを見た限りでは、明確に判決に批判的だったのは主要紙ではワシントンタイムズだけでした。USAトゥデイにも批判的な専門家の見解が掲載されましたが、リバータリアンのシンクタンク、ケイトー研究所は同性愛者側支持だったわけです。しかし私は、至福千年の道徳的教訓
を棄て去るべきでなかったということでリバータリアンには批判的な見方をとります。
 
 もっとも私は日本人ですから、我が国において戦国時代の念友をピークとして摂関期から近世初期において男色行為に許容的な文化が存在したことは知ってます。院政期の左大臣藤原頼長の『台記』に讃丸と滅多にない同時発射が実現して、これぞ至高の快楽みたいなことが書かれていることも知ってますよ。我が国においては大グレゴリウスの快楽は罪であるみたいな思想はないですから、相手が女であれ男であれ性的快楽追求に貪欲な基層文化があると評価してよいです。しかし私は現代人ですから西洋文明的価値を受容しているんです。男が女のように犯されることを容認できません不愉快です。若いとき日比谷図書館の便所でお金を出すからしゃぶらせてとか言うおじさんと遭遇したことがありますが不愉快です。同性愛者は嫌いです。レインボーカラーを見るだけで不愉快です。

 ユダヤ-キリスト教2500年の西洋文明の価値基準は揺るがせにできません。この世界は異性愛男性が支配者たるべき世界なのであって、私は女性の尊厳も認めませんが、同性愛者の尊厳も認めません。ローレンス判決は容認できません。
 私的空間での成人間の性行為の自由を保障するくらいだったら、ロックナー判決の実体的デュープロセスを復活した方がよっぽどましというものです。
 こういう言い方もできます。仮にリバータリアン的に本判決を支持するとしても、如何なる性的嗜好による性行為でも成人間の合意によるものは憲法上保障されるといっても、それは単なる私生活の自由にすぎない。小さな慰めにすぎないのです。みみっちい。
 それよりもその人の社会的評価は職業上の地位であるから、思う存分勤勉に働いて、努力が報われて人生で成功するためには、雇用契約の自由を復権させることの方が、幸福追求の価値としてはずっと大きいのである

 もちろん、ロックナー判決支持という私の見解は孤立しているわけでは決してありません。ロックナー判決が憲法の正当な解釈で復活すべきだという学説はあります。University of San Diego School of Law のBernard H. Siegan教授、Princeton UniversityのStephen Macedo教授がそうです(註2)。
 
 ニューディール労働立法批判も当然あります。
 例えばUniversity of Chicago Law Schoolのリチャード・A・エプステインRichard A. Epstein が1983年「労働関係のコモン・ロー:ニューディール立法批判」という論文で、1932年ノリス・ラガーディア法、1935年ワグナー法を柱とする労働法の構造を徹底的に批判し、「何人も自分自身を所有し、自らの労働を自らの望む条件で自由に利用する権原を有する」という個人の自由から「ニューディール立法は多くの点で誤りであり、可能ならばこれをスクラップして不法行為法と契約法に依拠した賢明なコモン・ロー制度にとって代わられるべきである。不法行為法の諸原則は暴力・脅迫・そして契約違反の誘致から個人を保護する。契約法の諸原則は、諸個人がその権原の社会的枠組みのなかで、自ら望む人と自ら望むものを取引することを可能とする」(註3)としている。
 だから、戦後レジームにすぎない労働三法を自明の前提とするような議論が誤りです。多分、憲法学者や弁護士に訊けば100人中99人がロックナー判決はワースト判決と言うでしょうが、そいつらはつまらない人間です。亀田流にいえばゴキブリ野郎です。

(註1)田中英夫『デュー プロセス 』東京大学出版 1987
(註2)松井茂記『二重の基準論』有斐閣1994
(註3)水町勇一郎『集団の再生―アメリカ労働法制の歴史と理論』有斐閣2005 120頁以下

その他引用参考文献
ラッセル・ギャロウェイ著佐藤・尹・須藤共訳『アメリカ最高裁判所200年の軌跡 法と経済の交錯』
八千代出版1994

石田尚『実体的適法手続』信山社出版 1988

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