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2007/11/03

中日ドラゴンズ優勝の思い出

 
日本シリーズは見ませんでしたがスポーツ新聞が落合監督の非情采配で盛り上がってるhttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071102-00000000-spn-spoので感想を書きます。
交代させて正解。引っ張りすぎて負ける不愉快な試合は後味が悪い。信頼できる抑えがいるなら当然だと思う。
中日の日本一は昭和29年の天知監督以来ということですが、私がよく知っているのは昭和49年の与那嶺監督時代のセリーグの優勝です。中学校三年生でした。
あれは33年前の10月8日ぐらいだったかな。西武沿線吾野の少し手前の駅でしたか。高麗川の巾着田のハイキングコースで宮沢湖から帰りの駅は飯能だったかな。遠足の日だったんですが、それはつまらなくて西武新宿で解散になったんですが、というのも僕はくそ真面目だから学校行事は無欠席ですが、ずる休みは絶対ない。しかし三年生になると出てこない生徒も多かったんじゃないかな。飯も食わないで、1人で信濃町に向かったように覚えてます。残り3試合を残してマジック1にした試合、神宮球場のヤクルト-中日最終戦を三塁側で見ました。用意周到でナイターは涼しくなるので、カーディガンを持ってました。優勝を決めたのはその次の中日球場の大洋戦のダブルヘッダ-ですが、マジックを減らしたことで事実上優勝を決めた重要な試合でした。引き分けだったかな。大抵のクラスメイトは高校受験を控えて2学期の成績が内申書にかかるってんでピリピリしちゃって遠足どころじゃない感じでしたが、私は受験なんか初めから棄ててたから呑気に野球観戦でした。
その前日の試合は、確かNHKで加藤進の解説でラジオがあったんですが、この日は東京ではラジオ中継がなく、見にいこうということになったわけです。
観衆は4万5千。打順はたぶん高木守、広瀬、井上、マーチン、谷沢、木俣、島谷、正岡だったと思いますが先発投手を失念しました。中学生だったので入場料350円だったかな。それでもコーチャーズボックスより少し外側の席で見れました。神宮は見やすい球場だと思います。名古屋から来た板東英二の「燃えよドラゴンズ」のカセットを持ってきた客もいましたが、純粋中日ファンというよりたぶんアンチ巨人ファンが多かったと思います。初回から異常に盛り上がっていて、一投一打に声援の沸いた珍しい試合でした。よくとおる声で「アイスクリームなんか売ってる場合じゃない」という野次が飛んだんですが、ドット笑い転げました。自分の人生で腹の底から笑った経験はこの時だけです。ヤクルトは荒川監督でしたか。残り試合がないですから、いいピッチャーを繰り出してきたのでなかなか点の入らない試合だったように思います。一塁側も結構客がはいっていて、巨人ファンが集結してたんじゃないかな。
高木守道が同点打、最終回に星野仙一が出てきてピシャリと締めたのを覚えてます。三塁側は自然発生的に万歳三唱になり、見ず知らずの他人なのに握手したり抱き合って喜んだりしてました。巨人10連覇阻止で観客は異常に興奮してました。これほどストレス発散になった野球観戦はなかったので強く印象に残ってます。
四番打者「マーチン・マーチン」と連呼した記憶があります。選手名を連呼する応援スタイルは多分マーチンからです。この時代はまだトランペットのやかましい応援もなく、愉快に野球を観戦できた時代だったように思います。
  実はクラスメイトの親友もこの試合を見にいったそうです。彼の受験勉強を妨げちゃ悪いと思って誘うのを遠慮していたのに。

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