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2007/11/04

ロックナー判決マンセー論(8)

ロックナー判決は中間審査基準だといわれる-5

東京都は超過勤務縮減方針のためにノー超勤ウィークとか、水曜日の定時一斉退庁とかやっているわけですが事実上、労働組合の超勤拒否闘争を組織ぐるみでやるようなもので、労働意欲を萎縮させて、仕事をさせない、やるなという悪質なものになってます。純粋に人件費削減ということでなく、ワークライフバランス推進、子育て支援を名目にしているからたちが悪い。
私の場合は、黙示的誠実労働義務でやっている。自発的なものだからコストにならないです。電気を消して追い出すとか言ってますが、電気代を払ってもいいんですよ。管理職・監督職員の仕事させない攻撃も我慢の限界なので意見書を上申する予定です。
 
労働基準法の法定労働時間は不合理だということはさんざんいわれていたことで、日経連が全ホワイトカラー裁量労働制や刑事罰規定の撤廃という提言もあったし、ホワイトカラーの働き方について相当な議論があったわけですよ。
アメリカでは公正労働基準法の適用除外、通常「ホワイトカラーエグゼンプション」と呼ばれる制度であるが、 労働時間に係わる規定を適用されない、自律的な働き方を行っている。その背景には、ホワイトカラーの仕事の評価について、労働時間の長さに囚われず成果を重視することによってホワイトカラーの十分な能力の発揮や質の高い仕事の遂行につながるとの考え方があるとされ、公正労働基準法の労働時間制度の適用除外は、主に管理的被用者、運営的被用者、専門的被用者、外勤セールスマン、農業、水産業、船員、ITプログラマー、ニュース編集者、タクシー運転手などであるが、http://www.jil.go.jp/foreign/labor_system/2004_5/america_01.htmその範囲を拡大させようとしたのがブッシュ政権のチョー労働長官による2003年の改正だったわけですが、公正労働基準法のオーバーホールをぶちあげたわりには目論見よりかなり小幅の改正になったということで、これは失敗ですね。ロックナー判決マンセー論(6) http://antilabor.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_5fdc.htmlに 記したとおりである。
私はイレイン・チョー労働長官より抜本的な改革を望みますが、基本構想自体はそれなりに評価してもよいです。公正労働基準法は低所得者はこれまで以上に保護しましょうということで、管理職でも年収が2万3660ドル以下は割増賃金支払義務を課す一方、適用除外基準の収入要件等を前面に出し明確化・簡略化を目指す戦略は漸進的改革として認めてもいいです。本当は低所得者保護立法も反対ですが、残業代は低所得者に絞っていく戦略は認めてもいいということです。
そこで最初の法案は収入要件年収6万5千ドル以上で適用除外ということでした。結局1万ドルになってしまいましたが、私の年収が税込みで700万円近くあるわけですよ。700万がアメリカで何ドルになるかわかりませんが、たぶんアメリカなら中間層以上の9収入でしょう。ウォルマートでなくターゲットで買い物をする層になります。

 チョー労働長官の考え方では、私は格差拡大といわれる世間の平均よりもかなり良い収入を得て、きつい汚い仕事やっているわけじゃないですから、残業代無しでも当然だということです。実際、週55~60時間ペースは黙示的誠実労働義務として自発的に当たり前でやってきたし、今年だって夏休み無し、有給休暇は病院の診察、検査に通うときぐらいですよ。
アメリカでは正看護師はプロフェッショナル職とみなされて、割増賃金適用除外、残業代無いです。正看護師は他人の命を預かる仕事で、決して楽勝の仕事でない。私はそれほどきつい仕事をしているわけでもないのに、欲深く割増賃金を得ようという考えはさらさら無いわけです。我が国では財務省が教師に残業代をとか馬鹿げたことを言ってますが、師がつく以上プロフェッショナルでしょう。そんなもの必要無いですよ。ただ私が思うには、管理的被用者、運営的被用者、プロフェッショナル職とそれ以外を分ける論理性も無いです。むしろ、労働意欲のある平社員の方が、実績、成果を挙げるために、時間規制無く、土日も出てきて働きたいです。何事も思ったより時間はかかるものだ。熱中して熱病のように励まないととモノにならないから。正看護師はプロフェッショナルとして誇りを持って仕事をしているかもしれないが、我々ペイペイのひらだって、仕事に対するコミットメント、熱意自体は変わりないわけですから。
ということで私はホワイトカラーエグゼンプションを管理職以外にも拡大させることに当然賛成です。民間だけでなく特に公的被用者に導入も検討すべきだ思いますけど。しかし、本質的な問題をいうと公正労働基準法(週40時間以上に割増賃金支払義務を課すことにより、労働時間を間接的に規制する)自体が、個人の労働力取引の自由を侵害する法的正義に反するものだとの認識ですよ。
法的正義に反する「制定法」と闘うということになります。
「正常への復帰を渇望する-マンスフィールド卿マンセー論」http://antilabor.cocolog-nifty.com/blog/2007/07/post_e9af.htmlで書きましたが。
 英国一般法は営業と誠実な勤勉さを奨励することをパプリックポリシー(公序)とするというものです。誠実な勤勉さの奨励に反する政策は公序良俗に反するということです。
 営業制限について全般的考察を試みた指導的判例ミッチェル対レイノルズ事件判決(1721年)でパーカー裁判官は次のように述べました。
「非任意的制限(当事者の合意に基づかないもの)に関して、国王の権利附与および特許状ならびに定款による制限が一般的に無効であるという第一の理由は、法が営業および誠実な勤勉さに与えている奨励に由来し、臣民の自由に反するからである。もう一つはマグナ・カルタに由来し‥‥[その第29条は]これまで常に営業の自由にまで拡大されるべきものと解釈されていた」(註1)
 マグナカルタを営業の自由の論拠としたのは、17世紀のエドワード・コークの近世的解釈であるとしても、ニコラス・フラー(1626歿)は次のように述べました。「神の法は『汝、六日、労働すべし』と定めている」がゆえに、「いかなるキリスト教の君主の認可、布告、法も臣民に労働を禁じるようなものは、神の法に直接反しているがゆえに違法であり、不条理な命令である」。そしてこれに従えば、国王が与える「特許」は人々の自由な労働を禁ずるものであり、違法なものと判断される(註2)と述べているように、理論的に個人の自由な労働は神の法に基礎づけられていた。
 近代において最も偉大な法曹の一人マンスフィールド卿(King,s Bench主席裁判官)は、1783年のエックレス判決において労働者の団結を共謀法理により犯罪であると明白に述べました。
「商品を所有する者は個人として自己の欲する価格でそれを販売し得る。しかし彼等が一定価格以下では販売しないことを共謀し、合意するならば、それはコンスピラシーである。同様にあらゆる人間は自己の好む場所で労働できる。しかし、一定価格以下では労働しないとして団結することは、起訴さるべき犯罪である」(註3)
 英国で19世紀において労働組合活動を違法とした判例は、「取引を制限するコンスピラシー」(doctrine of restraint of trade)ないし「他人の取引を侵害するコンスピラシー」(conspiracy to injure of another)の概念構成を利用し、労働者の団結が、コンスピラシーの要件に該当するものとして把握された。「営業=取引の自由」のコロラリーである「労働の自由」を媒介として労働力取引の規制に適用され、コンスピラシーの法理は制定法にかかわりなく、純粋にコモン・ローに基礎をおく法理として展開していったのである(註4)。
 以上はコモンローの「営業制限の法理」であって、アメリカ憲法判例理論の「契約の自由」とは別系統の法理論ですが、そもそもオーバータイムの割増賃金という労働組合の要求だった。
 割増賃金支払いがなければ働かないとして団結により労働力取引を規制すること自体、マンスフィールド卿の趣旨からすれば共謀するだけで犯罪なのである。公正労働基準法は未組織労働者にも、「労働力取引の自由」を制限するもので、営業と誠実な勤勉さを奨励するコモンローのパプリックポリシーに反する、不正義であり不条理なものだと言わなければならない。
 労働の自由が、神の法に基礎づけられている以上妥協の余地は全くなし。私は、春闘、年度末の超過勤務拒否闘争時に、管理職と組合役員から帰れと、攻撃されたことがあるんですが、こちらは黙示的誠実労働義務として、年度末の繁忙期に業務が遅滞することないよう自発的に残業しているだけですから、賃金支払いを要求するような欲深爺さんみたいなことではないんです。当局のコストにはならない。
 しかも超勤拒否闘争というのは争議行為と私は認識してますが、当局は合法としていて見解が違う。管理職が認めないというなら、引き連リ出すなら、引きづり出せと言ったんですよ。実際、組合のビラをはがしたときに管理職はタックルして仰向けに倒した引きづったケースもあったし。
 プロレーバー法学では、労働組合の指令に従わない労働者ヘの実力行使や人身拘束を容認する説があるわけですが、管理職は事実上争議行為支援なんですね。こちらは極めて良心的に黙示的労働義務で途中で放り出すわけにはいかない仕事を責任感をもってやるまともなものなのに、それは反労働組合だから認めない。けしからんというならかかってこいと言ったんですよ。人身拘束でも拉致でもやってみろということです。
 今度は、争議行為でなくて、ノー超勤ウィークとか水曜日の一斉定時退庁とかで、組合に代わって管理職が事実上の超勤拒否闘争を煽っているわけですが、最近では、10月24日に八都県市(東京、神奈川、埼玉、千葉と四政令指定都市)に定時一斉退庁などというふざけたことをやりましたが、その理由がライフワークバランスと、父親が積極的に子育てに関われるようにするための定時退庁というんですが、フェミニストの主張の公定イデオロギー化ですよ。そのために仕事を放り出して止めろというんですね。仕事がトッププライオリティというのはけしからん、本来私事にすぎない女性の育児支援に反する憎むべき敵だと言うことになっているんですね。仕事に対するコミットメントが悪だ。仕事させない。仕事しちゃいかんなんていうのは最低だと思います。これは営業と誠実な勤勉さの奨励という法的正義に反するもので容認しません。
 労働の自由が神の法に論拠をおくものである以上、妥協の余地なし。こちらはマンスフィールド卿のエックレス判決マンセー、ロックナー判決は正しかったというBernard H. Siegan教授、Stephen Macedo教授、Richard A. Epstein 教授の学説を支持するんですよ。プロビジネスな政策、アメリカで言えば、ケイトー研究所とかヘリテージ財団、最低賃金・超過勤務手当・安全衛生・福利厚生などの規制に反対している全米独立企業連盟(NFIB National Federation of Independent Business)に好意的な見解です。ブログでロックナー判決マンセーと公言している以上、労働組合や共産党みたいに不払い労働、サービス残業は犯罪だという主張とは180度違うわけです。神律、神の法に従うのであって、労働組合や共産党やフェミニストに従うわけにはまいりません。有言実行しないとヘタレとか言われて自己の立場を失いますから。
 東京都の管理職によって迫害される可能性が高いけど、真正クリスチャンは艱難に耐えなければならない。実際私は、正義のために血を流してきましたから。ただ殉教者になるとはいいません。素心はまだ死にたくない。切腹といって切腹しないと亀田大毅のように叩かれますから。そこで、こちらもカタログ式に労働の自由の論理を並べ立てて抗議し、最も深刻な事態(殉教)は回避しようということですね。
 
(註1)松林和夫「イギリスにおける「団結禁止法」および「主従法」の展開」高柳信一,藤田勇編『資本主義法の形成と展開. 2 』東京大学出版会1972
(註2)土井美徳『イギリス立憲政治の源流-前期スチュアート時代の統治と「古来の国政」論』2006年 214頁
(註3)片岡曻『英国労働法理論史』有斐閣1952
(註4)石井宣和「営業の自由」とコンスピラシー高柳信一,藤田勇編『資本主義法の形成と展開. 2 』東京大学出版会1972
  

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