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2007年12月の13件の記事

2007/12/31

NHK紅白歌合戦の男女混合演出非常に不愉快だ

 モーニング娘から北山たけしまで、実家で見て、移動、自宅に戻って徳永英明から見てるが、男女混じって応援している演出がやたらに多く、フェミニズム、男女共同参画を意識しすぎ、非常に不愉快だ。審査員の坂東真理子なんて顔も見たくねぇ-。うせろ。
 これでは女性歌手対男性歌手の対抗戦の意味が薄れてしまう。
 男性と女性が唯一対抗できる職域、それが歌手なんだと思う。そもそも男性の声質と女性の声質が異質だから、どっちが勝とうとイデオロギーとは無関係。私は徹底的に女性蔑視主義だけど常に紅組応援してますよ。歌手ぐらいは男性と張りあえる職域と認めてやるという思想だから。
 いずれにせよ、どっちが勝とうと性の優劣の問題にならないから娯楽番組として成立しているのにくだらないイデオロギーを持ち込むな。
 中村中の性同一障害の注釈必要ねぇー。紅組から出してやるのが思いやりとでも言いたいだろうが、娯楽として見てるのに厚かましい人権教育みたいなばかなことやるな。その前の徳永英明と比較すると歌が上手いと思えなかった。ミニスカートはキモかった。中村中は人権枠で出てるのかよ。オマケにイッコーが出てきて「桃組」とかくだらないギャグを見せられて不愉快だ。

2007/12/27

暖房が熱くて耐えられない

  2週間ほど前に設備管理のセクションで温湿度を測っていたところ、21度ときいた係長がなんでこんなに寒いんだとかギャーギャー騒ぎ出して自分勝手に24度にあげろとか命令して、21度じゃないまずいよといっても一切きかない。
 公式の通達は暖房室温は19度設定でウォームビズでやれって供覧文書で回しているから、係長も見てるんですよ。それでもお構いなしにやったもんだから、暑くて暑くて熱が籠もって今日なんかうだって気分が悪くなったわけですよ。
 明日朝、元の設定に戻せと強く言う。環境計画と省エネのためという名目で昼休み仕事させないために電気消したり、ノー超勤ウィークは電気を消すとか言って脅して、仕事をさせないいやがらせをやっていながら、暖房はお構いなしは矛盾しているし、前の係長は換気が好きで春先なんか窓開けっ放しで寒くても全然平気だったし、暖房なんてなにも言わないから、元の設定に慣れてるし、寒いなんて一言も言ってないのに、自分勝手に24度じゃなきゃいかんとか基準をつくってるけしからんですよ。21度でも本当はルール違反ですから。21度でも妥協ですから、それでも寒がりの人に合わせろっ言うだろうと思うけど、24度と言い張るようだったら、管理職に苦情を言うつもり。
 こっちは動脈硬化で心臓も悪いし、外気と差があるとこたえるんですよ。暑いのがいやだっていう人の意見もきいてくれって言いますよ。
 前の職場、このブログでもかきましたが、公式方針は冷房28度設定、私が伊東屋で買った2800円の温度計で図ったら23.5度で風が当たるから、低すぎると苦情いっても絶対ダメ。おまえが人に合わせないから傍若無人だとか言われる。勤務時間中も仕事しないで、冷房の風にあたってふんぞり返ってる職員が勝手に人の迷惑も考えず冷房最強にするんですよ。俺のこと馬鹿とか、ののしってくるのに、先方が喧嘩売ってるのに、逆に私が大声で怒鳴ったとかいってけしからんということで非行職員にされたんですよ。その時は外回りの仕事やってて外気35度だったら12度差だからこたえるんですよ。その翌年に狭心症心筋梗塞で手術しましたから。
 健康管理上のことをいっても絶対ダメ、脅す側、声の大きい人、その男は組合役員やってましたから、余計従いなさいということになった。東京都水道局っていうのはなんでも我が儘な人、脅迫者側に従えという企業風土ですから。正月休めるんで後日書きますが、例えばこういう例ですが、半日以上新聞みてインターネットみてるだけの人、インターネットは業務上必要でないものはみてはいけないルールなのに、それを言うと、逆に叩かれる。忙しいんで仕事手伝ってくれっていったら、ギャーギャー文句言って、後で覚えてろ、何様だとかいって、悪態つくんでずか、いっさい協力、コラボレーションの精神がなく、雑務はやりたがらない。できるだけ他人に仕事をおしつける自発的には何も仕事をしない良心のかけらのない人が絶対的に尊重されますから。監督職員は脅す側に絶対的に加担しますから。そういう非常に悪い企業風土です。それはなぜか後日論文で解明します。
 つまらないことですが、冷暖房の温度も絶対、暖房は暑く、冷房はより涼しくに従わないと叩かれる運命になりますから。今度は妥協しないですよ。東京都水道局総務部調査課がけっこううるさく環境計画とかやってるくせに、組合ならともかく監督職員が冷暖房で公式の方針と違うことを平気でやるのはそれこそルール違反じゃないですか。それこそ傍若無人ですよ。21度ですら良心がとがめるのに24度は許せない。公式の方針と5度もちがうんだから。

 それで、話は戻って冷房23度を強要する男ですがほとんど毎日30分近く浴室に入るために午後4時台勤務時間中離席するから、内規違反だと指摘したら、湯舟にはいってないから入浴じゃないんだ。シャワーだからいいんだとかいって、管理職があくまでも正当化しますから。内規を読むと汚れたときに上司の承認を得れば、シャワーは勤務時間中良いとなっているんですが、汚れてもいない。上司の承認も得てないからルール違反であることは間違いないんですよ。

 水道局っていうのは脅迫者、声の大きい人のためならルールはどうにでもねじまげますから。本当に不愉快なところですよ。
 SASインスティチュートとか、ウォルマート、パプリックス、米国の非組合の優良企業ならどこでもやっているオープンドアーポリシー(提言や苦情を直に上層部やトップに申し出ることができる制度)みたいな風通しのいい制度はない。やっても無視されるわけですから。問題があれば上司との間で解決させるという方針だから、上司がたとえ都庁のルールが28度でも23度と言えば、23度でかまんしなきゃいかん。今度はどうなるかしれませんが、杓子定規に19度なんてやってられるかバカ野郎といわれるかもしれませんが、せめて21度といいます。それで去年までずうっとやってきたんだから。それを人の意見もきかないで勝手に変えるのはおかしいといいます。21度を19度に下げるのはいいけど、暑いのがいやだという人もいるのに一切無視して暖房は暖房らしくやらなきゃいかん方針だと、こっちは厚着してきているから、汗かいてたまらんですよ。
 

2007/12/24

SASインスティチュートの企業文化との比較(5)

 先述した、リテンションに成功しているIT企業4社、すなわちシスコシステムズ、SASインスティチュート、マイクロソフト、クアルコムでありますが、そんなの当たり前だろう超一流企業だからといわれるかもしれない。仰せの通りでございます。しかし人間は常に卓越性を目指すべきだ。たとえ三流四流企業に勤めていたとしても超一流の文化を学んでいきたいわけです。
 コーヒーやソフトドリンクを無料提供するのはマイクロソフトがはじまりだといわれている。それは家庭のような環境で知識労働者に仕事に集中して働いてもらうためだ。小銭を取り出して、販売機にコインをチャリンと入れた瞬間に集中がとぎれてしまう。操作を誤って機械に毒づいていらいらしたらもっと悪い。無料提供で飲み放題にしても大したコストにならないという判断のようだ。ノーワーク・ノーペイとか職務専念義務に反するとか形式にこだわると導入できないかもしれないが。
 SASインスティチュートはキャンパスといわれる構内にフィットネスセンター、プール、ビリヤード、卓球、テニスコート、サッカー、ゴルフのパット練習場がある。無料でテニスのラケットの弦の張り替えのサービスもある(註1)。
 クアルコムは夜食の提供、コインランドリーサービスもあるらしい。
 グーグルhttp://www.itmedia.co.jp/news/articles/0701/09/news032.htmlにスイミングスパがあるのはたぶんSASインスティチュートの模倣だろう。カフェテリアは飲み物だけでなく食事も無料提供。マイクロソフトが無料ドリンクをやったからこっちは食い放題にしようという発想だろう。住み込みの奉公人に食事を提供するのはあたりまえだから古風な政策ともいえる。会社に愛犬を連れてくるのも自由だとか。タダ飯が食えて、スイミングスパで楽しめるんだったら一日中会社にいても楽しいということになる。これも仕事を存分にやっていただくための政策だろう。
 私は、グーグルみたいな遊び心のある会社が良いとは言ってない。それは優秀な社員を雇っているからタダ飯でもペイできるということだろう。しかし従業員ができるだけ仕事にエネルギーと時間を投入しやすい環境と企業文化は望ましいものである。
 時短やワークライフバランスなんて全くばかげている。超一流企業は、激しい競争の重圧をはね除けるために、仕事が大好きで仕方ない。会社に一日中いても楽しい仕事中毒的な人を欲しているとみるべきである。
 もちろんSASインスティチュートはファミリーフレンドリーな政策で有名ですが、それは他のIT企業との差別化政策でしょうし、生産性が高いから週35時間ということもできる。コラボレーション(協同)の精神が社是になっている。社員は協力的でとても親切だ。そういう特別の企業風土だからできるのである。
 政府の「子どもと家族を応援する日本」重点戦略のように生産性や企業風土を度外視して、男性の長時間労働を攻撃し、有給休暇完全消化とか、育児休業の男性取得率の数値目標とかいうのは、できるだけ仕事をしない主義を奨励しているのも同じ。これは社会主義的な政策でほんとうにばかげている。フェミニストは国を滅ぼしても我が儘を通したいと思っているが、こんなことではいずれ、国際競争力で中国や韓国にも負けてしまうんじゃないか。
 そういう意味ではシスコの企業文化を見習いたい。 シスコは人間の能力に限界を設定しないというのが企業文化である。「ここまではやるべきとか、そこまではできないとか、過去の物差しで仕事はしない」(註2)という。それは優秀な社員に存分に仕事をしてもらうためだろう。
 シスコは、一時時価総額世界一になり、2000年にフォーチューンの「最も称賛される企業」の4位にランクされた卓越した企業であることは言うまでもない。それはチェンバースの手腕によるところが大きいと考えるが、自発的離職率の低い働きがいのある企業とされている。
 しかし、基本給は業界の65%といわれる。それ以外はインセンティブ給。ボーナスは「業績と顧客満足度」に基づいて支払われる(註3)。また、成績下位5%は解雇される(註4)。
 基本給が業界の65%ということは、それだけリスクが少ない。業績本位だから本当に才能ある人材が会社を引っ張っていくことになる。貢献できない人はお引き取りいただくので、安全志向の人には居心地が悪く、社員間の競争を促すシステムになるが、そういうシステムのほうが本当に仕事が好きな人には働きやすく良い環境ということだ。
 そういう会社は今日では決して少なくないと思う。男なのに育児休暇を取ったり、有給休暇を存分に取っていられるか。社員間競争も激しいんだ。猛烈に働いて、業績をあげなければいけないんですよ。会社のためには頑張りたい。フェミニストに隷属して働かない主義をやっていたらそのうちクビになりますよ。

 マイクロソフトの社風については、『巨大ソフトウエア-帝国を築いた男 』ジェームス・ウォレス、ジム・エリクソン著. 奥野卓司監訳 翔泳社に次のように述べられている「企業文化はほぼ変わらないまま受け継がれた。勤労を貴ぶ気風、集中力、過酷な要求、創造性、若々しさ、気さくな人間関係、それが溶け合いマイクロソフトの社風をつくり上げた。好みの服装で出社し、自分で勤務時間を決めむ、一歩会社を出ればやりたいことをやる。それでいてだれもがチームの一員であり、家族的絆で結ばれていた」

 マイクロソフトも業績至上主義である。「マイクロソフトでは立ち止まることも休むこともできないのである。もし休んだり立ち止まったりしていると別の社員が横を通りすぎて、自分は不要な人間になってしまうかもしれない。企業というのは無慈悲である。仮に10年間献身し続けたとしても、そこには何の意味もない。毎日、自分は価値ある人間であることを証明し続けなければならない。だから、すべての社員は、企業のために絶えず最高の仕事を成し遂げようとするのである」(註5)とされる。
 評価はプロジェクトの成功いかんである。同僚のプレッシャーがメンバー全員の成果を高めるのである。プロジェクトの成功はメンバーにかかっているから。従って、メンバーの足を引っ張るようなことはしない。勝手に休んだり、育休をとることはできないのではないか。それがあたりまえだろう。
 政府のやっているワークライフバランス、それは特別生産性が高く、かつあまり業績本位主義でない会社でないと無理である。にもかかわらず、意識改革して男も育休を取り、休みまくって、家庭指向の女性社員の低い生産性に合わせることを強要するものである。こんな愚かで馬鹿げた政策はない。無為と怠惰は悪の根源である。誠実な勤勉さと、コミットメントを阻害するから反倫理的、これこそ悪魔のような政策だ。

 ではワークライフバランスを重視する典型企業、
SASインスティチュートの制度はどうだろう。報酬に直結する業績評価制度は見直され、実績によって若干差がつく報酬体系といわれる。従業員の報酬は、職務グループ内に設定される5~6のレベルで決定される。それぞれのレベルは職務期待値、スキル、経験、コンスピラシーを基準にしている。昇給はマネージャーが裁量権を持っており、年1回市場水準データと目標管理による業績評価をベースに決定される(註1)。人的資源管理で長期雇用を前提としているので、さほど業績至上主義ではないかもしれない
 しかし会社全体の自発的離職率は4%といっても、営業部門は18%と高く、これは能力のない社員の辞職が促されている結果とみられている。
 業績主義についてはシスコに比較するとぬるいかもしれないが、成果主義的な制度であることに変わりない。

(註1)伊藤健市「SASインスティチュート社の人的資源管理」伊藤・田中・中川編著『現代アメリカ企業の人的資源管理』税務経理協会2006年
(註2)デービッド・スタウファー(金利光訳)のワールドビジネスサクセスシリーズ『E・コマースで世界をリードするシスコ』三修社2004年 44頁
(註3)伊藤健市「賃金システムの変遷と人的資源管理」伊藤・田中・中川編著『現代アメリカ企業の人的資源管理』税務経理協会2006年
(註4)、デービッド・スタウファー(金利光訳)のワールドビジネスサクセスシリーズ『E・コマースで世界をリードするシスコ』三修社2004年 109頁
(註5)デビッド・シーレン著、成毛・岩崎訳『マイクロソフトのマネジメント』2000年日本能率協会マネジメントセンター 110~111頁

参考 遠竹智寿子 グーグル訪問記「グーグルは想像以上にグーグルだった」http://ascii.jp/elem/000/000/032/32386/

2007/12/23

読書感想 小野功生・大西晴樹編『〈帝国〉化するイギリス 一七世紀の商業社会と文化の諸相』その1

読書感想といいながら、上掲の図書とは直接無関係ないことも冗長に述べます。

 小野功生・ 大西晴樹編『〈帝国〉化するイギリス 一七世紀の商業社会と文化の諸相』彩流社2006年は6人の著者によるミルトン研究の論文集である。ここでは主として 第一章 大西晴樹「商業革命とミルトン」を取り上げる。昨年刊行の本ですが、神田神保町の書泉グランデでぱらっとみたところ、面白そうだと思って買いました。
 序論で「宗教的・市民的・政治的自由の擁護者であることを自他ともに認めてきたジョン・ミルトン。自由を基本理念とする西欧近代市民社会誕生を準備した重要人物」と述べられている。大筋で異論はない。
 ミルトンが同時代人のロジャー・ウィリアムズとともに良心の自由・宗教の自由に貢献した偉大な人物であるということは間違いない。
 但し、私は精神的自由も重視するが、歴史的には、コモン・ローの営業制限の法理に基づく、トレイド(営業)の自由の確立が先行している。そちらの方に決定的な意義があると考える。近代的自由の根源は歴史的にみて「営業制限の法理」だろう。精神的自由は経済的自由という前提がなければ、それも確立されない。今日、大多数の憲法学者が支持している個人の経済的自由と精神的自由についてのダブルスタンダードは全く不当なものであるいうのが私の主張になります。

本書を読む前提として反独占の法理とトレイドの自由について

 中世以降の欧州では国王が特定の者に対して特定の商品の国内での一手販売権を付与するという「特許独占」が行われていた英国においては16世紀末より国王(女王)の特許状による営業独占に反対する議会と王権との間で激しい抗争があった。この問題は国王大権にかかわり、国王の権力を制限する微妙な問題があったが、裁判所は反独占権の法理を展開し特許状による営業独占をコモン・ロー、臣民の自由に反すると判示した。法の支配とはまさにこのことである。
 1599年のディビナント対ハーディス判決Davenant v.Hurdisは「あらゆる臣民は、法によってみずからが好むいかなる織物職工であれ、自己の織物を仕上げさせる自由をもっているのであって、一定の者に限定することは事実上独占になるので……特許状に名をかりたそのような条令、または特許状によるそのような効果をもついかなる権利付与も、無効になる」と判示された。
 16世紀末、財政悪化により女王の独占特許状が濫発されていた。特許状発行に伴うリベートを財政上の手段としたのである。これは国王大権事項のため議会の承認は不要だった。また廷臣に与えるべき利権が少なくなり、廷臣への報酬としても特許状が発行された。そうしたことで、鉄、ガラス、石炭、鉛、塩といった物資にまで独占が及び、独占価格により商品の価格もつりあがった。
 1601年の議会は独占批判で荒れ模様となり、下院では国王の特許状発行を制限する法案が検討された。女王エリザベス1世は批判の高まりに衝撃を受け、国王大権の優越を明言しつつも親愛なる臣民の一般的善のために一定数の特許を廃止するとともに、独占付与による損害について通常の救済方法に訴えることを臣民の自由とする譲歩により収拾を図った。
 1602年ダーシー対アレン判決Darcy v.Alleinは、独占権が有害であるという法廷による決定的なステートメントとしてコモン・ロー史上著名な判決である。1598年原告エドワード・ダーシーは、女王から英国の市場でトランプの全てを輸入し販売する開封勅許状を受け取っていた。ところがロンドンの小間物商が女王と原告の許可なしにトランプを販売したため訴えられた。

 王座裁判所全員一致の意見は「原告にたいする……前記の権利付与はまったく無効である……コモン・ローには、四つの理由で反する。第一に、すべての営業は……国家にとって有益であり、したがって、トランプの独占権を原告に付与したことは、コモン・ロー、および臣民の利益と自由に反する。……第二に……おなじ営業を営む者に損害と侵害をあたえるばかりでなく、その他のすべての臣民に損害と侵害をあたえるというのは、それらのすべての独占は、特許被授与者の私的な利得を目的としているからである。……第三に、女王は、権利付与によって欺かれた……女王は権利付与が公共の福利となることを意図していたのである。それが特許被授与者の私的な利得のため、および公共の利益の侵害となるように使われるからである。第四にこの権利付与は先例のない事例である……」
 エドワード・コーク卿は後にこれをマグナ・カルタに基礎づけた「もし誰かある人にトランプ製造なり、そのほかどんな商売を扱う物であっても独占の許可を与えるとすれば、かかる許可は……臣民の自由にそむいている。そして結果的には大憲章に違反している」

 ジェームズ1世の時代には反独占運動が激烈となり、国王は1604年の「自由貿易のための法案に関する指示」において「すべての自由な臣民は、かれらの土地に対するのと同様に、かれらみずからそれに従事し、かつそれによって生活しなければならない営業(trades)に自由に精励するという〔権利を〕承継して生まれている。商業は、他のすべてのなかでも最も主要なまた最も裕福なものであり……それを少数者の手中にとどめておくことは、イギリス臣民の自然権と自由に反する」と理由を述べた。

 1624年には「独占および刑法の適用免除ならびにその没収に関する法律」が制定されたが、独占権の全ての問題を解決はできなかった。
 1625年のイプスウィッチ仕立屋判決Ipswich Tailors Case http://oll.libertyfund.org/?option=com_staticxt&staticfile=show.php%3Ftitle=911&chapter=106357&layout=html&Itemid=27は重要に思える。原告イプスウィッチテーラーズは国王の開封勅許状により設立され、イプスウィッチの町で仕立業を営む者は、原告団体の親方、管理人のもとヘ出頭するまでは、店舗や部屋をもち、徒弟やジャニーマンを雇ってはならず、少なくとも7年間徒弟として奉公したことを証明しなければならなかった。これは違反者に3ポンド13シリング4ペンスを請求した金銭債務訴訟だが、判決はこうなった。
 「第一に、コモン・ロー上、何人も合法的な営業に従事することを禁止されることはできない。というのは、法は怠惰、悪の根源……を嫌うからである。……したがってコモン・ローは、人が合法的な営業に従事することを禁止するすべての独占を禁止するのである。第二に、被告に制限を加えることは、法に反する。…というのは、臣民の自由に反するからである……」
法が独占を禁止する意味として、法は無為、怠惰、悪の根源を嫌うとしているのである。営業制限の法理はたんに自由のためではなく、道徳的・倫理的に行動する価値観を支えているのである。美徳ある自由を意味する。
 これは営業制限について全般的に考察した指導判例ミッチェル対レイノルズ判決Mitchel v. Reynolds(1711年)「非任意的制限(当事者の合意に基づかないもの)に関して、国王の権利附与および特許状ならびに定款による制限が一般的に無効であるという第一の理由は、法が営業および誠実な勤勉さに与えている奨励に由来し、臣民の自由に反するからである。」に繋がる意義を有する。
 コモン・ローは無為と怠惰と悪の根源を嫌い、営業と誠実な勤勉さを奨励する公序良俗を守るためにも一般的な営業制限を無効とするということだ。美徳を保持・奨励するためにも自由が必要なのです。

 ここではチャールズ1世の時代と内乱期の独占権問題については省略するが、このように法の支配の下に営業制限の法理が発展してきた意義は大きい。

 「法の支配」によって守られるべき自由はまずトレイドの自由ということである。
 トレイドの自由からさらに進んで、キリスト者の自由と総括されているが、良心の自由を確立しようとしたのがミルトンと考えて良いだろう。
 私はイェリネックなどの通説、宗教の自由や良心の自由という「近代的人権」の起源が、ヴァージニア信教自由法のような北米植民地憲法にはじまったという説に懐疑的であり、精神的自由というものも、コモン・ローの営業制限の法理によりトレイドの自由が、法の支配の下で確立され、その概念のバリエーションとして発展したと考える。この重要な論点について大西晴樹が言及しているので本書を価値があるものと見なしたのである。
 トレイドの自由が精神的自由の母体だから、経済的自由を蔑ろにしている現代は、本質的な意味で精神的自由も権力の横暴により否定されているとみなす。トレイドの自由の重要性を述べるために読書感想を述べるものである。
 
ミルトンを尊敬する本当の理由

 自分は、教会婚姻法や古典カノン法の価値を高く見ているので、ミルトンのような反教皇主義者ではもちろんなく、共和政の信奉者でもない。ミルトンよりもずっと穏健な考え方ですから思想的には違う面も多分にあるが、ミルトンは好きな思想家です。それは人柄の純粋さである。厳格なピューリタンであり思想的に首尾一貫していること。王政復古期にも共和政の支持者として最後まで転向しなかった数少ない1人である。しかし本当の理由は美少女好きという1点にある。そこに人間味を感じます。
 初婚の相手、メアリー・パウエルは16歳の美少女だった。むろん教会法(古法-コモン・ローも同じ)はローマ法をほぼ継承して12歳(正確には11歳半)が女子婚姻適齢(現在の教会法は14歳)という意味では大人ではありますが、ここでは少女と表現します。そもそもミルトンは詩人としての才能を神に捧げるため独身と男子の貞操を守っていました。厳格な清教徒ですから、私のように新大久保のホテトルで童貞を棄てるようなことはしないです。ところが30代の壮年になってから、美人に酔って、一目惚れして電撃的に求婚したのです。パウエル家は宴会などの浪費癖で主要財産であるマナ-(荘園)をロバート・バイに担保として莫大な借財があり、利子の支払いに窮々としていた。ミルトンは貸金の取立てのため偶々パウエル家を訪問したが、そこでメアリーと出会った。メアリーの父はマナーを取られないようにするため、ミルトンに借金返済を猶予してもらうことを条件に結婚を許した。メアリーは持参金の無い裸同然の花嫁だった。この結婚は変だという人も多い。当事者の真の合意はあったのか。婚前の交際がない。取引のような結婚。しかしどういう事情であれ、16歳の美少女と結婚できることほど幸運なことはないと私は考える。
 学者とりわけ高邁な理想を掲げる学者ほど美少女が大好きなのである。超絶主義の思想家ラルフ・ウォルドー・エマソンは17歳の美少女エレン・ルィーザ・タッカーと結婚しました。彼女は婚約後に血を吐いて19歳で亡くなりましたが。メソジスト運動と呼ばれる信仰覚醒運動を指導したジョン・ウェスレーはジョージア伝道でフランス語を教えていた18歳の美人と恋愛事件を起こしてます。彼女は結婚を望んでいましたが、ウェスレーは伝道者としてパウロに倣い独身を理想としていたので煮え切らなかったといわれてます。女性は16~17歳が一番美しい。利害や打算で結婚する人より、美少女に酔ってしまう人のほうが、正直で裏表のない人と評価するものである。たとえ半病人であれ、美少女と結婚できればこれほど幸運な事はない。
 実は自分も美少女が大好きだ。高校生以下しか関心ないですね。ガッキーブログがアクセスダントツというが私は関心ないね。もう19歳だから。フライデ-で透けTシャツ・ダボダボジーンズの普段着写真を見ましたが、長めのスカートをはいてる清楚なイメージとは違うので少しがっかりした。やっぱり純粋さと美しさでは16歳以下ですよね。
 確か13世紀の組織神学者オーヴェルニュのギヨームが言ってました。この人はパリ大学の学長ですね。優れた神学者ですよ。淫欲の治療薬としての結婚の意義を強調しました。「若くて美しい女性と結婚した男は美人を見ても氷のようでいられる。」従ってこれほど道徳的で望ましいことはないのです。だから16歳の娘に一目惚れして結婚したのは神学的な意味で正しいことです。
 16歳の美少女と結婚した詩人だからこそ、宗教的・市民的・政治的自由のチャンピオンとしてミルトンを讃えたいのである。
 
思想交換の自由の概念はトレイドの自由のアナロジー
(営業の自由から派生した精神的自由)

 17世紀でトレイドという言葉の意義については大塚久雄の先行研究があるのは知ってるが、私は不勉強で読んでない。しかし今日より広範囲の意味で用いられていたらしい。この点について大西晴樹によると「経済活動を表現する言葉はおおよそ『トレイド』という語彙のなかに収斂された。たとえば、貿易、植民地建設のみならず、富、通貨、商品生産と交換、労働と職業、蓄積と支出のパターン、課税方法、人口、等々」としている。
 大西晴樹は「『トレイド』の発展による独占批判は物質的世界のみならず、精神的世界の自由の主張となって爆発した」ことを明快に述べている。
 ミルトンの著名な著作『アレオパジティカ』では言論出版の自由が主張されたが、明らかにトレイドの自由の類比を用いているのである
「真理と理性は貿易特許証、商売規制法、度量衡標準規格によって買い占められ、売り捌かれる商品ではない。われわれは国内におけるすべての知識が、官許の商品であって、幅広ラシャ紙や羊毛のように検印を押されて許可されるものと考えてはならない。」
 パティキュラー・パプテイストの牧師は「説教の自由」を市場における「交易の自由」になぞられたように、ミルトンのみならず、同時代の知識人が、同様の主張を行っていた。
 ここにトレイドの自由-交易の自由-思想交換の自由-説教の自由-良心の自由-宗教の自由という経済的自由より精神的自由への深化をみてとることができるだろう。

続く
  
 引用文献
 青木道彦『エリザベスⅠ世』講談社現代新書2000年

 ディビナント判決よりイプスウィッチ判決の部分
堀部政男「イギリス革命と人権」東大社会科学研究所編『基本的人権2』東京大学出版会1968所収
 

 ミッチェル対レイノルズ判決の部分
松林和夫「イギリスにおける「団結禁止法」および「主従法」の展開」高柳信一,藤田勇編『資本主義法の形成と展開. 2 』東京大学出版会1972
 

 ミルトンの結婚については上野雅和の論文(題名失念)

  審査報告 谷原修身 独占禁止法の史的展開と改革の論理http://warp.ndl.go.jp/REPOSWP/000000001682/00000000000006346/www.hit-u.ac.jp/law/thesis/h091008a.htm

2007/12/20

SASインスティチュートの企業文化との比較(4)

政府の「子どもと家族を応援する日本」重点戦略検討会に全面的に反対する。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071218-00000028-jij-pol http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071218-00000029-jij-pol 「就労か出産・子育ての二者択一構造の解消」に大反対、事実上特定階層の女性を優遇する政策だ。二者択一でいいんですよ。
 某ママドル歌手みたいに、結婚したい。子どももほしい。仕事も続けたい。外タレと不倫もしたいこれもあれもというのは女の欲張り。底なし沼のようなも女の欲望を許すわけにはいかない。
 1970年代までは、女性は多くの場合、高卒で就職しと持参金を蓄えたうえ、25歳を曲がり角として寿退社していたわけですが、その時代は少子化の懸念はなかったわけです。
 70年代は大手都市銀行は高卒女子を採ってたんですよ。それが80年代になって短大卒にシフトしたこれが大きな間違いでした。少子化の要因の一つだと思います。高卒就職、25歳を曲がり角にして退職、結婚生活にはいるのがあたりまえだった時代に戻せば少子化なんて一発で解決します。二者択一にした方が問題は解決する。
 アメリカは1993年家族・医療休暇法(50人以上雇用する使用者は出産、養子の受け入れ、子・配偶者・親の重大な疾病、本人の重大な疾病のために1年間に12週の無給休暇取得を与えるもの)だって猛烈な反対があって、ブッシュ父が2回拒否権を発動して、クリントン政権になってようやく立法化したんです。
 それ以上に女性を甘やかすことは全米女性機構もたぶん反対すると思いますよ。だって全米女性機構は男性と同じ土俵で働きたい主義ですから。あまり女性を保護・優遇すると、会社は女性の雇用を控えるようになりかえって不利益という主張です。そちらのほうがまともでしょう。
 ところが我が国では男も育休を取れとか有給休暇完全消化せよとか異常にあつかましいです。それを数値目標にするとか言ってますが、規制廃止の数値目標ならともかく、特定の偏った価値観にもとづく働き方を強要することを数値目標とする政策ほど不愉快なものはありません。
 有給休暇完全消化なんてふざけるな。そんなとろいことで競争環境を生き残れるか。東京都のような地方公務員はぬくぬく完全消化する人が多いですが、民間では40代になって成果も出せない人は会社で居場所がなくなるようなところだつて少なくないはず。本当に一生懸命仕事に励まなければならないのですよ。大体、日本人はアメリカ人より働くなくなった、(鈴木敏仁氏の「仕事中毒のアメリカ人」を見て下さいhttp://www.retailweb.net/2005/09/)。私がウォルマートの企業文化を称賛するのは、コミットメント、仕事に励むこと、粉骨砕身働く価値、モラールを再興させた意味です。仕事中毒でで正しいんですよ。
そういう価値観を否定するのは、反道徳、反倫理的なものであるから絶対容認できません。

 そもそも有給休暇は米国では1920年代のウェルフェア・キャピタリズム、従業員福祉の重視で組合の組織化を防止しようという、組合不在企業の政策の一つとしてはじまりました。しかし1980年代になると、株主主権論、リエンジニアリング、ダウンサイジングの流れがあって、90年代には従来なかったホワイトカラーのレイオフも行われるようになった。有給休暇のような福祉は縮減がトレンドと見てよいでしょう。有給休暇は減らして労働時間は増やすべきです。
 従業員に優しい企業の典型とされ、エンジニアのパラダイスとも言われるSASインスティチュートでも「平均勤続年数16.7年で24.5日の休暇を取ることができ、そのうち9日は有給で、それ以外に2.7日の休みを取れた」(伊藤健市「SASインスティチュート社の人的資源管理」伊藤・田中・中川編著『現代アメリカ企業の人的資源管理』税務経理協会2006年)とされ、有給は9日ということです。
 アメリカではファミリーフレンドリーとされる企業でもそんなもんだということです。
 SASインスティチュートみたいに卓越した特別の社風で知的財産の蓄積で生産性の高い企業でもその程度ということですよ。国を挙げて意識改革、有給休暇を完全消化なんて狂気の沙汰としか思えません。

2007/12/16

読書感想 中川八洋『保守主義の哲学』

  自由は「法の支配」の下で最も確実に保障される。
  中川八洋教授の『保守主義の哲学』PHP 2004年ではコーク卿型「法の支配」の系譜、マグナカルタからブラクトン等-コーク卿-ヘイル-ブラックスト-ンの18世紀末まで続いた伝統、これはアメリカに引き継がれ19世紀末まで堅持されたが、20世紀初頭からの社会主義と人定法主義(legal positivism)の跋扈、デモクラシーの発展による「社会正義」という魔物のような新しい概念により衰退したと述べられてます。(346頁)
  ハイエク型「法の支配」の思想はヒューム/アダム・スミス/アダム・ファーガソンらのスコットランド哲学者の法思想を源流としており、コーク卿型のコモン・ロー法曹家直系の系譜とは違うということです。
いずれにせよ、私は中川教授の保守主義哲学に基本的に同意します。中川氏が引用している中世ゲルマン法思想や、中世史の R.W.サザーンの著書も読んだことがあるし、元々中世的な思考が好きだし、中川教授の皇位継承学三部作で女帝反対で論陣を張ったことでも尊敬してますし、当然のことです。ただ自分の立場は中川氏よりずうっ-と寛容主義です。中川氏のように援助交際を非難するような堅苦しいことは口が腐っても言いたくない。被害者なき犯罪(大麻、賭博など)の非犯罪化にも好意的ですから。
  「法の支配」というのは昭和30年代の学習指導要領でも高校社会科にも項目にあったんですよ。ところが「法の支配」を理解する法曹家や法学者が日本にはほとんどいないとされています。支配者が自らの支配意思を法律の形で制定して、法律で総括するという 「法治主義」と混同、同一視している人も結構多い。 中川氏は「法の支配」の法とは、人間の意志から超越した古来の神聖な真理のことを意味し、法はつくるものではなく、祖先の叡智のなかに発見するものであるから、つくる(制定する)ものである法律は「法の支配」の法とはなりえない(前掲書78頁)。と説明されてますが、これは奥が深いので別途検討したいと思いますが、J.オースティンに代表される法命令説のような意味の法とは全然違います。法命令説の法とは「主権者、あるいは主権者に服従する従属者によって発せられた威嚇を背景とする一般的命令」http://homepage3.nifty.com/martialart/inoue5.htm(井上彰「H.L.A.ハート『法の概念』をめぐって」)とするものです。
要するに法秩序維持、法の遵守といっても、「法の支配」を前提したものか、支配者のコマンドに過ぎない「法命令説」的法令遵守かで意味が全然異なってくる。

 我が国の憲法学界、法曹界の風土のように「法の支配」なき「法治主義」は馬鹿げた「社会正義」を振りかざすことにより全体主義になだれ込む危険性を常に持っているということである。
 自由を侵害する立法(法律)万能-それは実質的に権力者(国会)の命令-思想に汚染されているのが現代社会だと言うことです。日本の国会議員は「主権者である国民」に選出されたという虚構を根拠に、思いつきのまま、やりたい放題に法律(命令)を制定していると中川氏は言います。つまり圧力団体の利害調整や政党の取引、官僚の思いつきのために自由はどんどん侵害されていくということです。

 中川氏の著作は正邪善悪をはっきりさせるからわかりやすいです。「法の支配」を破壊した思想、煽動家をこき下ろします。イギリスではホッブス-ベンサム-オースティンは悪、ドイツでは「法の支配」を理解したサヴィニーを評価するが、カール・シュミットや人定法主義のハンス・ケルゼンは悪、フランスでは、テュルゴー、ヴォルテール、ルソー、ベッカリーアは悪とはっきり言うので気持ちいいですね。
  米国にケイトー研究所http://www.cato.org/researchareas.phpというリバータリアンのシンクタンクがありますが、『カトーの書簡』第60番の「国会議員の立法を自制する心得」に由来することが、この本を読んで初めて知りました。(360頁)

グーグルのページランクというのがあるのを最近知ったんですが、現在このブログは10段階の2の評価になってます。あっちこっち見たんですが、2でも質のよいサイトはありますが、アクセス数が少ないもんで、多くしないと3にはならないようですね。職場では私は人を肋骨骨折させた狂暴な人間として否定的評価しかされません。たとえ2でも客観評価をもらえるのはうれしい。インターネットの世界のほうが公正でしょう。

2007/12/15

コンプライアンスいい迷惑

  コンプライアンス倒産とか報道されてます。http://news.www.infoseek.co.jp/fuji/society/story/13fuji320071213017/、6月の改正建築基準法の施行以来、建築確認の手続きが長期化するようになり、住宅着工が大きく減少、建設業界に深刻な事態を生じているという。くだらないコンプライアンスで迷惑かかっている人がたくさんいるわけだ。ばかげてますよ。
私は専門家でないから構造のことはわかりませんが、そんなに姉歯事件は重大な問題だったのでしょうか。実際に壊れたマンションなんてないじゃないの。素人了見ですが過剰反応のようにも思える。とにかく役人は法律で縛りたがる。経済活動を規制する法律万能主義はろくなことないですよ。髪型と鬘で茶の間に笑いと話題を提供してくれた姉歯さんより国の規制のほうがよっぽど人に迷惑かけてるし悪だと思います。
今となっては遅いがヒューザーの小島社長に同情したいです。社長が力説していた、安くて広くて住みやすいマンションをコストダウンで顧客に提供するサービスは立派なものですよ。「吠える参考人」といわれ、ギャグも連発して面白いキャラでもあつた。
安かったら姉歯物件に住みたいとも思うくらいだ。建築基準違反でマンションが損壊する可能性より心臓病と糖尿病の合併症で早死にする確率のほうが圧倒的に高いんですから。構造なんて全然気にしませんね。

2007/12/10

SASインスティチュートの企業文化との比較(3)

 前掲の斎藤智文の論説http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20070608/274140/でリテンションに成功しているIT企業としてシスコシステムズ、SASインスティチュート、マイクロソフト、クアルコムが挙げられているので4社の企業文化の共通点を探っていきたい。
 基本的にはよく似た企業風土といえる。まずシスコシステムズ(サンノゼに本拠のある)、デービッド・スタウファー(金利光訳)のワールドビジネスサクセスシリーズ『Eコマースで世界をリードするシスコ』三修社2004年でシスコの企業文化を一言で言っている箇所がある「『社員は自分の大好きな仕事をやりなさい。会社は社員が仕事が好きでいられるようにしてやりなさい』がシスコ・モデル、チェンバース・モデル」ということです(34頁)。激しい競争の重圧をはね除けるために、自分の仕事が大好きでなければならないというのが理由です。また「存分に力を発揮できる環境を整える」「目に見えない報酬でやる気を刺激する。たとえば、仲間内での正当な評価、学習機会、裁量権の拡大など」(106~108頁)もなるほどなと思います。そもそもシスコを時価総額世界一にした男、チェンバースは世界一勤勉な男だといわれているのです。
 シスコが官僚主義的な組織でないことはいうまでもない。チェンバースはIBMとWangで営業畑を歩んだ人物ですが、IBMでは反面教師として官僚機構と横並び精神、肥大化して垂直的な組織が企業の成長を阻むということをしっかり学んでいる。http://www.president.co.jp/pre/20000703/03.html

  SASのCEO「National Winner」を受賞 という記事を読みますとhttp://www.sas.com/offices/asiapacific/japan/news/press/200512/08b.html「グッドナイトは、1970年代に大学でのプロジェクトからSASを立ち上げ、『イノベーション(革新)』、『コラボレーション(協調)』、『ディスカバリー(発見)』の精神を育み、浸透させました。グッドナイトの指揮下で、SASは常に変化するビジネス環境に適応する一方で、肩書きに関わらず社員が平等の権限を共有する社風を創り上げ、維持してきました」と述べています。フラットで官僚主義的ではない社風ということです。グッドナイト氏はインタビューで 「何事においても常にチャレンジすることだ。それと自分の仕事を常に楽しむこと。私はプログラミングをしているときが何よりも楽しい時であり、だからこそ30年間、SASという会社を続けることができた。あと20年は続けるつもりだよ」http://japan.zdnet.com/news/ir/story/0,2000056187,20116592,00.htmと話してますが、シスコとニュアンスが異なるにせよ、仕事を楽しむという発想はよく似ていると思う。
 

 クアルコム(サンディエゴに本拠のある)については稲川哲浩『21世紀の挑戦者クアルコムの野望』日経BP社2006年という事例研究があります。この本は技術戦略・開発の記事が主体ですが、企業文化についても言及してます。
「組織は完全にオープンでフラット、誰でもが、いつでも、何にでもイニシアチブをとっていくことが奨励されている」(132頁)
 積極的に率先して思う存分に働けるよい社風だと思います。
 会長のアーウィン・ジェイコブス氏のインタビューでは「何事につけ気軽に質問ができるオープンな環境……新しいアイデアを促し、どんなアイデアでもオープンに接し、そして何よりも個人を尊重する企業文化」と言ってます。それが独創性を発揮できる環境だということらしい。(161頁)
 水道局にも目標管理制度が形骸化しつつもあるわけですが、次のように不満をぶちまれたことがあります。余裕がなくて手をつけてなかったけど、経験をふまえてこういう事態に対してこういう準備をしておきたいとか、監督職員に提案したけども勝手にやるなとか怒って無視されるんで、決して無理難題じゃない。目標管理制度があっても、コミットメントを認めない。自己裁量で仕事ができないから、これじゃ成果も実績も出せないと言ったんです。仕事するなとか、口を出すな、やるな、やるなと意欲を萎縮させることばっかりやっている企業文化とは全く逆ですね。 

2007/12/09

極保守派主導による1895年判決の意義(1)

 ブリューワー判事の有名な講演
 
 合衆国最高裁で極保守派といわれたDavid Josiah Brewer判事(任1889~1908)は1891年のイェール大学の講演で次のように述べました。
「イヴが禁断の果実さえ欲して占有をした、その記録に残る最初の時代から、財産の観念とその占有権の神聖さとは、一度も人類から離れたことはなかったのである。理想的人間性についていかなる空想が存在しえようとも‥‥歴史の夜明けから現代の時代にいたるまで、現実の人間の経験は、占有の喜びと一緒になった獲得の欲求が、人間活動の現実的な動機となっていることを明らかにしている。独立宣言の断定的な表現のなかで、幸福の追求は譲渡することのできない権利の1つであると断言されているとき、財産の獲得、占有、及び享有は、人間の政府が禁ずることができず、それが破壊することのない事柄であることが意味されているのである。‥‥永遠の正義の要請は、合法的に取得され合法的に保有されたいかなる私的財産も公衆の健康、道徳あるいは福祉の利益のために、補償なく略奪されあるいは破壊されることを禁ずるものである」(註1)。
 「イヴが禁断の果実さえ欲した」のフレーズが印象的です。私的財産権保護のチャンピオン的見解としてブリューワー判事は永遠に記憶に残ることになるだろう。
 この価値観は人類に普遍的な価値観といえるだろうか。母系社会においてはそういえないだろう。父から子に遺産を継承できないのである。獲得した財産は母方親族の共有財産に吸収されてしまうから、財産を蓄積する動機づけに欠いているのである。ゆえに母系社会は多くの場合、生産力の低い未開社会にとどまるのである。母系社会では高度文明が発達しないのはそういう理由である。例えばメラネシアのトロブリアンド諸島民、アメリカインディアン。
 また、宗教的に財産を放棄する思想もあるだろう。例えば聖フランチェスコの戒律は全ての財産を放棄して福音を説くものであった。だから私は信仰に基づく財産放棄思想そのものを否定するわけではない。
 しかし、文明が発達した世俗社会においてはブリューワー判事の見解は正しいと考える。
私的財産権が重要な価値として保護される社会、それは善い社会である。

1895年の重要判決

 フラー主席判事、ブリューワー判事、ペッカム判事の3人が極保守派といわれるのは、この3人が主導権を握った最高裁で改革運動に打撃を与えた1895年の3つの重要判決についての後世の評価なのです。革新主義者は保守反動と評価しますが、私は逆に高く評価する立場です。
 第一に合衆国対E. C.ナイト社判決U. S. v. E. C. KNIGHT CO., 156 U.S. 1 (1895) 156 U.S. 1 http://caselaw.lp.findlaw.com/scripts/getcase.pl?court=us&vol=156&invol=1である。1890年合衆国議会はシャーマン法(反トラスト法)を制定した。これは州際通商の独占を共謀することを違法として、各州の独占禁止法を補完するものであったが、最高裁は、経済活動に対する連邦政府の権限に歯止めをかけることとしたのが同判決の意義である。
 1892年アメリカン製糖会社は、フィラデルフィアにある製糖会社4社の株式を取得する合意を締結した。この株式の取得が完成すれば同社は合衆国内の製糖事業の98%を支配することになった。合衆国はシャーマン法に基づいて、この株式取得を差し止める訴訟を提起したが、最高裁はシャーマン法は製造における独占に適用がないと判断した。
 フラ-主席判事による法廷意見は製造と通商を区別した。通商に属するものは合衆国の権限内にあるが、通商に属さないものは州の内部事項管理権限にある。製造はたとえそれがいかに全国の経済や他州の経済に影響を及ぼそうとも、製造を規制することは州の内部事項の管理であるとしたのである。従って連邦政府は98%を支配する製糖会社をシャーマン法によって解散することはできないとした。この判決によって、農場や鉱山、工場における労働条件を規制する立法は州のみであるとされたのである。
 この判決はポピュリストの怒りをかった。最高裁は大企業に甘いというわけだが、保守的な裁判官は改革派への批判を一層強めた(註2)。
 
改革派に打撃を与えた第二の判決はポロック対農場経営者信託貸付会社判決POLLOCK v. FARMERS' LOAN & TRUST CO., 157 U.S. 429 (1895) 157 U.S. 429 http://caselaw.lp.findlaw.com/scripts/getcase.pl?court=us&vol=157&invol=429で、これは連邦所得税法の違憲判断である。合衆国憲法第1条、第2項の3は「下院議員および直接税は、連邦に加入する各州の人口に比例して、各州の間に配分される」と規定されており、直接税は州の人口に比例して割り当てられた場合にのみ課税されるというものである。
 課税反対側の主任弁護士は、同法(累進所得課税)は共産主義的であり、人民主義的な原理に基づいており、私的財産権の保護という根本原理を否定するものと非難した。
 この違憲判断により、最高裁は累進所得課税を妨げた。進歩派は所得税を徴収するために憲法の修正を要した。1913年の憲法修正第16条「連邦議会は、いかなる源泉から生ずる所得に対しても、各州の問に配分することなく、また国勢調査あるいは人口算定に準拠することなしに、所得税を賦課徴収する権限を有する」である。
 
 これは不人気な判決でしたが累進所得課税がない国家は、国民に経済的に成功すれば富裕となる夢を与えると私は考えます。

改革派に打撃を与えた第三の判決これがもっとも重要ですがデブス判決です。(続く)

(註1)ラッセル・ギャロウェイ著佐藤・尹・須藤共訳『アメリカ最高裁判所200年の軌跡 法と経済の交錯』 八千代出版1994年 89頁
(註2)M.L.ベネディクト著常本照樹訳『アメリカ憲法史』北海道大学図書刊行会1994年 128頁
 木南敦『通商条項と合衆国憲法』東京大学出版会1995年 152頁以下

ロックナー判決マンセー論(14)

今回は技術的な議論に深入りせず、原理原則論にとどめます
 
法は自由を支持するという指導原則

 私が英米法の伝統を好む理由、法は個人的自由を支持してきたことが一つの理由である。直接的には経済的自由に関係するものではないが、新刊書(註1)でJ.H.ベイカー(川添美央子訳)「1200年から1600年におけるイングランドのコモン・ローにおける個人の自由」を読みました。それによるとイギリスでは隷農階級は遅くとも15世紀末までに消滅した。イギリス人は1600年には全て「自由人」になっていた。それはコモン・ローが自由を支持してきた帰結だったというのである。制定法によるものを除いてローマ法では奴隷身分を徹底的に固定するのに対し、コモン・ローは自由を確保するための訴訟手続きの多くを備えていたために、個人に対して平等な保護と近代的自由の形成を促し、17世紀の国制論争に教養的武器を与えたということが書かれている。臣民の自由(とりわけ営業の自由が重要だが)を擁護する基盤もそこにあったわけだ。
 既に13世紀の『ブラクトン法令集』に隷農制を脅かす理論的前提があった。その指導原則は法は自由を支持するゆえに、隷農は領主に対してのみ隷属的なのであって、この世の他の人々に対しては自由だと主張した。領主によって隷農身分から解放されれば血統の定めから完全に自由になる。そのうえ、隷農は国王裁判所において領主以外のどの人間も訴える権利があったいう。15世紀の国王裁判所主席裁判官であるフォーテスキューは次のように述べた。「……それが隷属が増加せしめ、人間本性が絶えず欲するところの自由を減少させるようであけば、必ず残酷だと見なされるであろう。隷属は人間にとって邪悪な目的によって導入されるが、しかし自由は神によって人間本性に刻み付けられているからである。……自由を支持しない者は神をも恐れぬ残酷者と見なされるであろう。こうしたことを考えると、イングランドのもろもろの法はいかなる事例においても自由を支持するのである」(註1)。
 いかなる事例においても法は自由を支持すると断言した。私は教会法の結婚の自由の理念も重視したいが、近代個人主義的自由は中世の法思想から発展したものだった。

中世の隷農より惨めな現代人

 私は現代における不法な隷属的状況を打開したいのである。やかましいほどの仕事の制限、業務遂行方法の統制、ジョブ・コントロール・ユニオニズムのために望んでもいないのに非能率的な働き方を強要される不自由。望んでもいないのに協約適用労働者にされてしまう不自由、働き方や人事管理が個別化しているのに集団的労働関係に束縛される不自由。望んでもいないのに労働時間を規制される不自由。
 男女役割分担の定型概念打破という(男も育児に参加せよとの-我が国ではワークライフバランスが著しくフェミニズム的に潤色されて理解されている)フェミニスト官僚の自己満足のために「ノー超勤ウィーク」で仕事の中断を強要される不自由。これは誠実な勤勉さという倫理的価値を否定し、ビジネスより家庭を重んじるばかげたライフスタイルを強要するもので個人の自由の完全な否定である。もはやソフトファシズムといってもよいだろう。
 そしてなによりも、労働組合の威圧、脅迫、強要、実力行使により就労、業務遂行を妨害される不自由。労働組合の本質は他者の労働力取引を威圧によって規制することにあるから、本質的に個人主義的自由の最大の敵なのであります。労働基準法などの労働者保護立法も同じことです。
 自らが自己自身を所有し自らの労働を自らの望む条件で、他者(労働組合の威圧、強要、暴力や政府の立法規制・命令)に干渉されることなく自由に自己自身を利用する権原がなければ自由とは言えないのです。この不自由な社会のありかたを正したいとという存念であります。なぜならば中世において隷農身分ですら、法的に領主以外のいかなる他者からも自由であったことを考えると、現代社会は他者からの強要、妨害が正当化されることが多過ぎる。隷農以下のみじめな状態になりさがっているとしかいいようがないからであります。法によって自由が擁護されない悪い社会である。
 しかし現代人の大多数は自由を欲しない。自由より隷属を欲するのである。私がロックナー判決を支持する一つの理由は、近代個人主義的自由のエートスを一定程度憲法化した意義である。それは個人の自由ないし選択の自由を増進すると予測された。自立した自己は、政府からの干渉から自由に、経済的、社会的欲求を追求できるいう価値観の体現でもあった(註2)。今日では大多数の人はロックナー判決を過ちとみなす。自由を欲しないのである。自由を否定して規制されなければ気が済まない。自恃の精神が何もない依頼心の強い腐った人たちというほかない。それは人間が悪辣になったのも一つの理由だろう。自由な精神-それは神律に従い、清く正しく善と社会的責務をなすことを第一義とする自由であります。自由とは放縦を意味するものではない。道義的に正しいことをなすことを妨げられない自由なくして、利害と打算でなく倫理的に正しい行動を妨げられない自由なくして「美しい国」はありえないのであります。その自由な精神を欲しないということは、もはや滅びの群れにふさわしい人間に値しない人々としか言いようがいない。
 銀河に輝く星のように数多くの聖人を出した中世のほうが偉大な時代だった。テクノロジーは現代が中世よりも進歩していることは間違いない。自由を欲しない現代人の文明の質は落ちている。堕落している。
 ロックナー判決はレッセフェール論を体現したものだともいわれる。それは倫理重視の思想であり。基本的に正しいものである。歴史家M.L.ベネディクトはレッセフェール論の倫理的主張を次のように説明する。「レッセフェール信奉者は……需要と供給の関係に基づき、自由な取引によって当事者が合意した価格は、その内容がどうであれ、公正な価格である。……自由な取引の結果を変更しようとする政府の行為は、政府の介入がなければよりよい結果が得られたはずの取引当事者の権利を侵害するものである。……とくに労働者にとっては、賃金のみならず労働条件や労働時間、賃金の支払方法も取引の対象となるのである。これらのどれであれ変更しようとする立法は、当事者の自由な取引に対する不当な介入となるのである。……この経済システムは、人々の自由に取引する権利を政府が保障してはじめてうまく機能する。したがって、ある会社が他の会社の市場参入を妨害したり、二つの会社が共謀して商品の供給を操作しようとすることは違法とされなければならない。同様に、労働者の団体が共謀して、他の労働者がより低い賃金で働こうとするのを妨害するのも違法とされなければならないのであった。レッセフェールを主張する人々は、このシステムの下では、才能があり、勤勉で、志操堅固な人は成功し、これらの美徳を欠く者は没落すると考えられていた。……レッセフェール論者によれば、民主主義には、無知で怠惰で非道徳な貪欲な連中が、政府の力を使って、自由な市場では得られない有利な取引をもくろむという重大な危険があった。『怠惰な』労働者は、一日の労働時間を八時間に制限する法律を制定させることによって、もっと長時間働こうとする人々から職を奪おうとしている。これは、同じ賃金でもっと多くの労働を得られたはずの使用者の権利と、自らの勤労意欲を十分発揮できなかった勤勉な労働者の権利を侵すものであった。したがって『八時間労働』法は、あるクラスの犠牲の下に他のクラスの利益を図る『特殊利益立法』ないし『クラス立法』なのである。このような立法は、政府は国民全員の利益を平等に保護しなくてはならない原則をないがしろにしていた」(註3)。
 労働組合や左翼はILO創設時の1号条約(工業における1日8時間・週48時間制)1930年ILO30号条約(商業・事務所の1日8時間・週48時間制)があり、1日8時間労働は労働運動の成果として、労働者の権利などと主張するだろうが、私は全く逆の見解である。労働時間規制は、特定の人々だけの利益にほかならず、それが間接的なものであれ、個人の労働力取引の自由を侵害するもので、勤勉で使用者に忠実、協力的な労働者の権利を侵す。法は営業・就労の自由と、誠実な勤勉さという公序良俗を支持すべきなのである。
 正直・勤勉・節制はアメリカ人の美徳であった。志操堅固で勤勉に努力した人が報われる社会の方が、他者の労働の自由を犠牲にして特定のクラスの利益を図る労働政策をとる社会より正しいのである。なによりも法の平等な保護を否定することは許し難いのである。
 
  

自由の復権のための方策

 私は自由の復権(現代は悪人への隷属と束縛が強化された悪い時代だと思っている)のために労働力取引の個人主義的自由を復権させる大義を目的として、その基礎となる理論について本ブログにおいて、中途半端ではあったが言及してきた。例えばコモンローの営業制限の法理及び共謀法理、合衆国憲法の実体的デュープロセス(契約の自由)、20世紀初頭から20年代の全米製造業者協会などのオープンショップ運動。現代法では労働組合にも不当労働行為を定めるタフト・ハートレー法や、労働組合員とならず組合費の支払いも強要されず雇用される勤労者の権利を定めた米国南部を中心とした23州とグァム島のの労働権法(Right to Work law)、組合自治への干渉を強め、労働組合の力をそいだ80~90年代の英国保守党による労働改革、さらに理想的にはニュージーランド国民党による1991年雇用契約法(Employment Contracts Act)のように個人は企業と直接雇用条件を定め、労働協約や集団的労働関係に束縛されない個人の雇用契約(代理人を自由に選べる)が可能なようなありかたについて言及(つまり理想は現実に実現されていることだ-我が国では90年代のニュージーランドにおける行政改革や郵政民営化は紹介されているものの本質的に重要な雇用契約法を見落としている)してきた。
 
 しかしあと二つ足りないものがあった。アメリカ法で発展した、反トラスト法による労働組合活動の規制とレイバー・インジャンクション(裁判所による争議行為の禁止命令)の研究である。これらをひっくるめて、体系化していきたい。現代の汚れた社会と対決し正義回復のために微力といえども尽くしたいとうのが私の人生目的であります。
 レイバー・インジャンクションに関しては、まず1895年のデブス判決の意義を明らかにすべきだろう。

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(註1)J.H.ベイカー(川添美央子訳)「1200年から1600年におけるイングランドのコモン・ローにおける個人の自由」R.Wデイビス編鷲見誠一/田上雅儀監訳『西洋における近代的自由の起源』慶応義塾大学法学研究会2007年所収。
(註2)スティーブン・フェルドマン著猪股弘貴訳『アメリカ法思想史』信山社出版2005年144頁参照
(註3)M.L.ベネディクト著常本照樹訳『アメリカ憲法史』北海道大学図書刊行会1994年 120~121頁

2007/12/07

赤福餅同情論

誰かが言ってくれるとは思ってましたが、徳岡孝夫が発売中の週刊文春12月13日号で、「食品偽装『魔女狩り』はもうええやろ」という記事を書いてますが、同感ですね。とくに伊勢赤福の営業停止処分はひどすぎる、やりすぎとは思ってました。実害はなにもないんです。誰一人として被害者はないのに。製造月日云々なんてどうってことないですよ。それはコストダウンのための営業努力として認めてやりたいくらいだ。
赤福は近鉄電車の売店で買えてとても便利だし、関西方面のお土産として最適ですよ。消費者の利益になってますよ。政府に三百年にわたって人々に愛されている商品を潰す権限なんて認めたくない。
  JAS法だのなんだのって些末なことをくだくだいうなっていうの。くだらない規制をやってコンプライアンスだなんだとかで商売をやりにくくする政府のほうがよっぽど悪ですよ。

2007/12/06

読書感想-ハイエク

はっきり言ってしまうと、私は行動的積極的な性格ではない。引っ込み思案で躊躇し内向的なのである。それで全てが後手後手になってしまう傾向がある。
時宜に適した、現実の政治問題にも取り組んでないことに忸怩たる思いはある。現実逃避とのお叱りを受けるかもしれないかが、もう開き直るしかない。原理原則論も重要なので、そちらの方も固めていきたい。
それで『ハイエク全集第6巻自由の条件Ⅱ自由と法』気賀・古賀訳春秋社を初めて買ったんで、パラッと見ただけですが、感想を言います。
法の支配の起源という章で、近代的自由は一七世紀のイギリスにはじまるというのはそのとおりでしょう。経済的自由というからには、営業の自由の確立の意義を私は重視したいが、ハイエクは独占判例や1610年の苦情請願、エドワード・コ-ク卿によるマグナ・カルタの解釈の発展「もし誰かある人にカード(トランプ)製造なり、そのほかどんな商売を扱う物であっても独占の許可を与えるとすれば、かかる許可は……臣民の自由にそむいている。そして結果的には大憲章に違反している」を引用しますが、営業の自由についてさらに突っ込んだ考察をしておらず、もの足りなく感じた。
 私はトレードの自由のコロラリーとしての労働の自由を決定的に重視しますが、この方面の理論を精緻化して、法と自由について論ずる構想を持っているのでいずれやります。
 ハイエクは第12章においてアメリカの立憲主義を論じ1937年のルーズベルトによる裁判所抱き込み法案による司法の危機に言及していますが、1937年のウェストコーストホテル対パリッシュ判決-憲法革命の評価や、ストーン判事のキャロリーンドクトリンの評価といった判例評価に踏み込んでおらず物足りなさを感じます。
 私は既にロックナー判決マンセー論で、憲法革命に否定的な評価を明らかにしてますが、積極国家の胎動を阻止しようとしたレッセフェール・アクティヴィズム、無体財産を含む財産権の擁護と契約の自由に肯定的な評価なので、この方面の理論も精緻化していきたいと思います。
 要するに自分の野心は明快にハイエクよりもより自由主義的な見解を述べて思想を伝えることです。経済的自由も精神的自由も両方重んじることになります。
 さて法の支配の意義、法実証主義敵視は重要な論点ですが、バラッと読んだだけではわかりにくい。19世紀後半に実証主義がドイツで確固たる地位をしめたことによりドイツは法の支配の理念を失ったという。ただ解説の古賀勝次郎はハイエクのケルゼン批判は勇み足といっている。
 私が思うには法の支配というからには、中世のブラクトン、フォーテスキューさらに、アングロサクソンの法伝統にまで遡って説明した方がわかりやすいのではないかと思った。
 

2007/12/02

SASインスティチュートの企業文化との比較(2)

直接的に論題と関係はないが、バックグラウンドの説明としてノースカロライナの近年の情勢について簡単に述べます。かつては工場町の州でした。繊維、家具、室内装飾、タバコが重要な産業でした。しかしニュースオブザーバー(ローリー)の次の記事Manufacturers adapt, prosper  http://www.newsobserver.com/2659/story/589669.htmlなどを参考に述べますと、1990年には25%が製造業で働いてました。しかし今日では8人に1人です。ノースカロライナは2002年と2005年の間に7万2千も生産ジョブを失いました。製造業の雇用は減りました。
しかしノースカロライナは製造業州としての基盤がありなお希望を持ちたいと思います。2005年に、メーカーはノースカロライナの州民総生産の19.4パーセントを占めていました。1990年の30%より後退してますが、なお重要な産業であることを示してます。
  グリーンズボロを本拠とするVFコーポレーションは世界有数のアパレル企業ですが地元の工場を閉鎖するなどのリストラにより業績は好調です。代表的なブランドは、Lee http://lee-japan.jp/、Wrangler  http://www.wrangler.co.jp/index1.html、Riders http://www.ridersjeans.com/、Nautica http://jp.nautica.com/、、JanSport  http://www.jansport.com/js_home.php、The North Face  http://www.thenorthface.com/ap/index.html、Reef  http://www.reef.com/ など。
かつては州内各地でジーンズを生産しましたが、現在は州内で生産せず、契約者に生産を渡しました。
技術革新で成功している企業もあります。バーリントンの近くのGlen Raven Millsはパンティーストッキングのメーカーでしたが、もう作ってません。SUNBRELLAというブランドなどで日除け、天蓋で色のあせることのない高度な織物を開発してます。こうした技術の進歩でノースカロライナは5200万ドルの織物を昨年中国に輸出しています。http://www.glenraven.com/ndex.php?lang=en&page=news-events&yr=2007&rss=20070910
シャーロットを本拠とするNucorは製鉄業を変革しました。「ミニ工場」が古い車、冷蔵庫、および他のスクラップを鉄鋼に効率的に、そして有益に変えました。Nucorの株価は2000年の7.50ドルの安値から2007年に69.25ドルまで上昇しました。ニュースオブザーバーの次の記事Nucor turns scraps into profitを見て下さい。http://www.newsobserver.com/2659/story/589719.html
  カロライナは東海岸の地理的有利と、労働力の質と技能があります。ダ-ラムが近年メルク(ニュージャージーを本拠とする)のワクチンプラントを誘致しました。3億ドルが投資されます。メルクは、16の州の100を越える候補地の中からダーラムを選びました。http://www.siteselection.com/ssinsider/incentive/ti0401.htmhttp://www.newsobserver.com/104/story/470933.html2006年にはウェーク郡ホーリースプリングスにノバルティス(スイス・バーゼルを本拠とする)のワクチンプラントの誘致に成功しました。http://www.newsobserver.com/104/story/461695.html http://www.hollyspringsnc.us/news/2006/novartis.htmイーズリー州知事は、ノバルティスの投資が少なくとも2億6700万ドルになり結局6億ドルに達するとしています。今年はグリーンズボロにホンダジェットhttp://www.honda.co.jp/tech/new-category/airplane/の誘致が発表されました。州東京事務所によると「ホンダの米子会社ホンダ・エアクラフトは、2月に発表済みであるノースカロライナ州Greensboroの飛行機組立て工場への1億ドルの投資に続き、Burlingtonのジェットエンジン組立て工場の建設に2700万ドルを投じると発表しました。」http://www.nctokyo.com
 
 ノースカロライナには州全体で840万、日本で言うと東北地方6県ぐらいの人口規模ですが、人口百万超の三つの中心都市圏があります。

トライアングル地域(州都ローリー 、ダーラム、チャペルヒル)http://triangle.bizjournals.com/triangle/index.html http://triangle.dbusinessnews.com/ http://www.rtplinks.com/

ピードモントトライアッドTRIAD(グリーズボロ、ウィンストンセーラム、ハイポイント)http://triad.bizjournals.com/triad/ http://triad.dbusinessnews.com/

シャーロット大都市圏(ガストニアとサウスカロライナのロックヒルを含む)http://charlotte.bizjournals.com/charlotte/ http://charlotte.dbusinessnews.com/です。

トライアングルというのは三都市のハイレベルな大学、チャペルヒルのノースカロライナ大学(U.S. News & World Reportのランキングで28位)、ダーラムのデューク大学(ランキング8位)、ローリーのノースカロライナ州立大学(ランキング85位)の三角形をさすと見て良いでしょう。6,900エーカ-の敷地を有する世界的に有名なリサーチトライアングルパークhttp://www.rtp.org/main/ があります。ここにはIBM、グラクソ・スミスクライン、ノーテルネットワーク、シスコシステムズ、Sony Ericsson Mobile Communications、バイエルクロップサイエンス、DuPont iTechnologiesその他、日本企業では住友電工、エーザイなど。政府機関では米国環境保護庁、国立環境健康科学研究所が進出してます。最盛期には5万人働いてました。マイクロエレクトロニクス、バイオテクノロジー、医療など先進的な地域となっています。(従業員の規模は少し古い資料ですがこれhttp://www.teer-rtp.com/bbreloct.htm) もっとも産学官連繋はよその州でもまねしているため、もはやカロライナはハイテクを牽引する州とはいえなくなったという評価もありますが。
リサーチトライアングルパークは1965年にIBMが進出したことでハイテク拠点と成功したといえるでしょう。最新のデータでもIBMが州内で1万3千人を雇用してます。IBMはカロライナの発展に貢献しました。パソコン開発のヘッドクォーターはカロライナでした。このためレノボの米国本社はカロライナになりました。まだニューエコノミー景気が持続していた1998年にリサーチトライアングルパークにはIBMで1万4千、ノーテルが3千人、シスコが2千5百人働いてました。カロライナは田舎ですが、人材を引きつけました。
ただ上記に挙げた企業は州外や外国に本拠のある企業です。
地元のハイテク企業というとトライアングル地域では例えばCree IncというLEDのソリッドステートの照明、半導体のメーカーとか、私は全くなじみがありません。リナックス開発のレッドハットも一般にはなじみがない。
 そうした中でSASインスティチュートは非上場企業ですがカロライナが誇ることのできる地元企業といえるでしょう。

SASの所在地であるケアリー(Cary)は人口10万ほどで、州都ローリーとリサーチトライアングルパークに隣接します。知識労働者のベッドタウンです。
ローリー-ケアリー地域がフォーブスの全米で仕事に適した都市ベスト25の第1位になっております。意外でした。トライアングル地区はなお成長するという認識でしょうか。アリゾナのフェニックスあたりかと思ってましたが。http://www.forbes.com/home/2007/02/15/best-cities-jobs-leadership-careers_cx_hc_0216cityjobs_slide_2.htmケアリーは住宅地として高く評価されてます。http://news.bigg.net/lang/ja/n67995-Cary_North_Carolinas_Borders_Bulge_as_More_Find_Nirvana_within_City_Limits.html

元々、ハイテク企業は従業員に優しいとされる社風の企業が多い。
SASも従業員を大切にする。人当たりが良く、フレンドリーということで基本的には非組合企業のウェルフェアキャピタリズムの系譜を継承する社風といえる。ハードワーク主義を採らないのは、新興企業が人材を確保するための差別化戦略と見ることもできます。シリコンバレーのようなストックオプションやフリーエージェント制、契約時のボーナスはないわけです。35時間制はその埋め合わせでしょう。専門職は雑務を嫌いますが、雑務をなくして創造的な執務環境を与えて高い意欲を持った状態(リテンション)を持続させ、職場環境の良さとフレンドリーな社風で人材を引きつけ離職率を低くして、福祉・教育訓練投資のコストを低減させる手法である。
一日8~9時間はとろいと思う。猛烈に働きたい人はよその会社に就職したてほうが良いかもしれない。
SASインスティチュートの自発的離職率は4%という低い数値を示しているが特別のものではない。斎藤智文の「『働きがいのある会社』は,財務的にも成功を収めている」http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20070608/274140/という論説では過去5年間の自発的離職率についてシスコシステムズが 2~5%、マイクロソフトが4~6%、クアルコムは2007年に1%と低く、(斎藤は挙げてないがテキサス・インツルメンツやアドビシステムズも自発的離職率は低い)SASインスティチュートとともにリテンションに成功している事例として挙げている。
斎藤智文の言わんとすることは要は企業風土の重要性ということだろう。

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