読書感想といいながら、上掲の図書とは直接無関係ないことも冗長に述べます。
小野功生・ 大西晴樹編『〈帝国〉化するイギリス 一七世紀の商業社会と文化の諸相』彩流社2006年は6人の著者によるミルトン研究の論文集である。ここでは主として 第一章 大西晴樹「商業革命とミルトン」を取り上げる。昨年刊行の本ですが、神田神保町の書泉グランデでぱらっとみたところ、面白そうだと思って買いました。
序論で「宗教的・市民的・政治的自由の擁護者であることを自他ともに認めてきたジョン・ミルトン。自由を基本理念とする西欧近代市民社会誕生を準備した重要人物」と述べられている。大筋で異論はない。
ミルトンが同時代人のロジャー・ウィリアムズとともに良心の自由・宗教の自由に貢献した偉大な人物であるということは間違いない。
但し、私は精神的自由も重視するが、歴史的には、コモン・ローの営業制限の法理に基づく、トレイド(営業)の自由の確立が先行している。そちらの方に決定的な意義があると考える。近代的自由の根源は歴史的にみて「営業制限の法理」だろう。精神的自由は経済的自由という前提がなければ、それも確立されない。今日、大多数の憲法学者が支持している個人の経済的自由と精神的自由についてのダブルスタンダードは全く不当なものであるいうのが私の主張になります。
本書を読む前提として反独占の法理とトレイドの自由について
中世以降の欧州では国王が特定の者に対して特定の商品の国内での一手販売権を付与するという「特許独占」が行われていた。英国においては16世紀末より国王(女王)の特許状による営業独占に反対する議会と王権との間で激しい抗争があった。この問題は国王大権にかかわり、国王の権力を制限する微妙な問題があったが、裁判所は反独占権の法理を展開し特許状による営業独占をコモン・ロー、臣民の自由に反すると判示した。法の支配とはまさにこのことである。
1599年のディビナント対ハーディス判決Davenant v.Hurdisは「あらゆる臣民は、法によってみずからが好むいかなる織物職工であれ、自己の織物を仕上げさせる自由をもっているのであって、一定の者に限定することは事実上独占になるので……特許状に名をかりたそのような条令、または特許状によるそのような効果をもついかなる権利付与も、無効になる」と判示された。
16世紀末、財政悪化により女王の独占特許状が濫発されていた。特許状発行に伴うリベートを財政上の手段としたのである。これは国王大権事項のため議会の承認は不要だった。また廷臣に与えるべき利権が少なくなり、廷臣への報酬としても特許状が発行された。そうしたことで、鉄、ガラス、石炭、鉛、塩といった物資にまで独占が及び、独占価格により商品の価格もつりあがった。
1601年の議会は独占批判で荒れ模様となり、下院では国王の特許状発行を制限する法案が検討された。女王エリザベス1世は批判の高まりに衝撃を受け、国王大権の優越を明言しつつも親愛なる臣民の一般的善のために一定数の特許を廃止するとともに、独占付与による損害について通常の救済方法に訴えることを臣民の自由とする譲歩により収拾を図った。
1602年ダーシー対アレン判決Darcy v.Alleinは、独占権が有害であるという法廷による決定的なステートメントとしてコモン・ロー史上著名な判決である。1598年原告エドワード・ダーシーは、女王から英国の市場でトランプの全てを輸入し販売する開封勅許状を受け取っていた。ところがロンドンの小間物商が女王と原告の許可なしにトランプを販売したため訴えられた。
王座裁判所全員一致の意見は「原告にたいする……前記の権利付与はまったく無効である……コモン・ローには、四つの理由で反する。第一に、すべての営業は……国家にとって有益であり、したがって、トランプの独占権を原告に付与したことは、コモン・ロー、および臣民の利益と自由に反する。……第二に……おなじ営業を営む者に損害と侵害をあたえるばかりでなく、その他のすべての臣民に損害と侵害をあたえるというのは、それらのすべての独占は、特許被授与者の私的な利得を目的としているからである。……第三に、女王は、権利付与によって欺かれた……女王は権利付与が公共の福利となることを意図していたのである。それが特許被授与者の私的な利得のため、および公共の利益の侵害となるように使われるからである。第四にこの権利付与は先例のない事例である……」
エドワード・コーク卿は後にこれをマグナ・カルタに基礎づけた「もし誰かある人にトランプ製造なり、そのほかどんな商売を扱う物であっても独占の許可を与えるとすれば、かかる許可は……臣民の自由にそむいている。そして結果的には大憲章に違反している」
ジェームズ1世の時代には反独占運動が激烈となり、国王は1604年の「自由貿易のための法案に関する指示」において「すべての自由な臣民は、かれらの土地に対するのと同様に、かれらみずからそれに従事し、かつそれによって生活しなければならない営業(trades)に自由に精励するという〔権利を〕承継して生まれている。商業は、他のすべてのなかでも最も主要なまた最も裕福なものであり……それを少数者の手中にとどめておくことは、イギリス臣民の自然権と自由に反する」と理由を述べた。
1624年には「独占および刑法の適用免除ならびにその没収に関する法律」が制定されたが、独占権の全ての問題を解決はできなかった。
1625年のイプスウィッチ仕立屋判決Ipswich Tailors Case http://oll.libertyfund.org/?option=com_staticxt&staticfile=show.php%3Ftitle=911&chapter=106357&layout=html&Itemid=27は重要に思える。原告イプスウィッチテーラーズは国王の開封勅許状により設立され、イプスウィッチの町で仕立業を営む者は、原告団体の親方、管理人のもとヘ出頭するまでは、店舗や部屋をもち、徒弟やジャニーマンを雇ってはならず、少なくとも7年間徒弟として奉公したことを証明しなければならなかった。これは違反者に3ポンド13シリング4ペンスを請求した金銭債務訴訟だが、判決はこうなった。
「第一に、コモン・ロー上、何人も合法的な営業に従事することを禁止されることはできない。というのは、法は怠惰、悪の根源……を嫌うからである。……したがってコモン・ローは、人が合法的な営業に従事することを禁止するすべての独占を禁止するのである。第二に、被告に制限を加えることは、法に反する。…というのは、臣民の自由に反するからである……」
法が独占を禁止する意味として、法は無為、怠惰、悪の根源を嫌うとしているのである。営業制限の法理はたんに自由のためではなく、道徳的・倫理的に行動する価値観を支えているのである。美徳ある自由を意味する。
これは営業制限について全般的に考察した指導判例ミッチェル対レイノルズ判決Mitchel v. Reynolds(1711年)「非任意的制限(当事者の合意に基づかないもの)に関して、国王の権利附与および特許状ならびに定款による制限が一般的に無効であるという第一の理由は、法が営業および誠実な勤勉さに与えている奨励に由来し、臣民の自由に反するからである。」に繋がる意義を有する。
コモン・ローは無為と怠惰と悪の根源を嫌い、営業と誠実な勤勉さを奨励する公序良俗を守るためにも一般的な営業制限を無効とするということだ。美徳を保持・奨励するためにも自由が必要なのです。
ここではチャールズ1世の時代と内乱期の独占権問題については省略するが、このように法の支配の下に営業制限の法理が発展してきた意義は大きい。
「法の支配」によって守られるべき自由はまずトレイドの自由ということである。
トレイドの自由からさらに進んで、キリスト者の自由と総括されているが、良心の自由を確立しようとしたのがミルトンと考えて良いだろう。
私はイェリネックなどの通説、宗教の自由や良心の自由という「近代的人権」の起源が、ヴァージニア信教自由法のような北米植民地憲法にはじまったという説に懐疑的であり、精神的自由というものも、コモン・ローの営業制限の法理によりトレイドの自由が、法の支配の下で確立され、その概念のバリエーションとして発展したと考える。この重要な論点について大西晴樹が言及しているので本書を価値があるものと見なしたのである。
トレイドの自由が精神的自由の母体だから、経済的自由を蔑ろにしている現代は、本質的な意味で精神的自由も権力の横暴により否定されているとみなす。トレイドの自由の重要性を述べるために読書感想を述べるものである。
ミルトンを尊敬する本当の理由
自分は、教会婚姻法や古典カノン法の価値を高く見ているので、ミルトンのような反教皇主義者ではもちろんなく、共和政の信奉者でもない。ミルトンよりもずっと穏健な考え方ですから思想的には違う面も多分にあるが、ミルトンは好きな思想家です。それは人柄の純粋さである。厳格なピューリタンであり思想的に首尾一貫していること。王政復古期にも共和政の支持者として最後まで転向しなかった数少ない1人である。しかし本当の理由は美少女好きという1点にある。そこに人間味を感じます。
初婚の相手、メアリー・パウエルは16歳の美少女だった。むろん教会法(古法-コモン・ローも同じ)はローマ法をほぼ継承して12歳(正確には11歳半)が女子婚姻適齢(現在の教会法は14歳)という意味では大人ではありますが、ここでは少女と表現します。そもそもミルトンは詩人としての才能を神に捧げるため独身と男子の貞操を守っていました。厳格な清教徒ですから、私のように新大久保のホテトルで童貞を棄てるようなことはしないです。ところが30代の壮年になってから、美人に酔って、一目惚れして電撃的に求婚したのです。パウエル家は宴会などの浪費癖で主要財産であるマナ-(荘園)をロバート・バイに担保として莫大な借財があり、利子の支払いに窮々としていた。ミルトンは貸金の取立てのため偶々パウエル家を訪問したが、そこでメアリーと出会った。メアリーの父はマナーを取られないようにするため、ミルトンに借金返済を猶予してもらうことを条件に結婚を許した。メアリーは持参金の無い裸同然の花嫁だった。この結婚は変だという人も多い。当事者の真の合意はあったのか。婚前の交際がない。取引のような結婚。しかしどういう事情であれ、16歳の美少女と結婚できることほど幸運なことはないと私は考える。
学者とりわけ高邁な理想を掲げる学者ほど美少女が大好きなのである。超絶主義の思想家ラルフ・ウォルドー・エマソンは17歳の美少女エレン・ルィーザ・タッカーと結婚しました。彼女は婚約後に血を吐いて19歳で亡くなりましたが。メソジスト運動と呼ばれる信仰覚醒運動を指導したジョン・ウェスレーはジョージア伝道でフランス語を教えていた18歳の美人と恋愛事件を起こしてます。彼女は結婚を望んでいましたが、ウェスレーは伝道者としてパウロに倣い独身を理想としていたので煮え切らなかったといわれてます。女性は16~17歳が一番美しい。利害や打算で結婚する人より、美少女に酔ってしまう人のほうが、正直で裏表のない人と評価するものである。たとえ半病人であれ、美少女と結婚できればこれほど幸運な事はない。
実は自分も美少女が大好きだ。高校生以下しか関心ないですね。ガッキーブログがアクセスダントツというが私は関心ないね。もう19歳だから。フライデ-で透けTシャツ・ダボダボジーンズの普段着写真を見ましたが、長めのスカートをはいてる清楚なイメージとは違うので少しがっかりした。やっぱり純粋さと美しさでは16歳以下ですよね。
確か13世紀の組織神学者オーヴェルニュのギヨームが言ってました。この人はパリ大学の学長ですね。優れた神学者ですよ。淫欲の治療薬としての結婚の意義を強調しました。「若くて美しい女性と結婚した男は美人を見ても氷のようでいられる。」従ってこれほど道徳的で望ましいことはないのです。だから16歳の娘に一目惚れして結婚したのは神学的な意味で正しいことです。
16歳の美少女と結婚した詩人だからこそ、宗教的・市民的・政治的自由のチャンピオンとしてミルトンを讃えたいのである。
思想交換の自由の概念はトレイドの自由のアナロジー
(営業の自由から派生した精神的自由)
17世紀でトレイドという言葉の意義については大塚久雄の先行研究があるのは知ってるが、私は不勉強で読んでない。しかし今日より広範囲の意味で用いられていたらしい。この点について大西晴樹によると「経済活動を表現する言葉はおおよそ『トレイド』という語彙のなかに収斂された。たとえば、貿易、植民地建設のみならず、富、通貨、商品生産と交換、労働と職業、蓄積と支出のパターン、課税方法、人口、等々」としている。
大西晴樹は「『トレイド』の発展による独占批判は物質的世界のみならず、精神的世界の自由の主張となって爆発した」ことを明快に述べている。
ミルトンの著名な著作『アレオパジティカ』では言論出版の自由が主張されたが、明らかにトレイドの自由の類比を用いているのである
「真理と理性は貿易特許証、商売規制法、度量衡標準規格によって買い占められ、売り捌かれる商品ではない。われわれは国内におけるすべての知識が、官許の商品であって、幅広ラシャ紙や羊毛のように検印を押されて許可されるものと考えてはならない。」
パティキュラー・パプテイストの牧師は「説教の自由」を市場における「交易の自由」になぞられたように、ミルトンのみならず、同時代の知識人が、同様の主張を行っていた。
ここにトレイドの自由-交易の自由-思想交換の自由-説教の自由-良心の自由-宗教の自由という経済的自由より精神的自由への深化をみてとることができるだろう。
続く
引用文献
青木道彦『エリザベスⅠ世』講談社現代新書2000年
ディビナント判決よりイプスウィッチ判決の部分
堀部政男「イギリス革命と人権」東大社会科学研究所編『基本的人権2』東京大学出版会1968所収
ミッチェル対レイノルズ判決の部分
松林和夫「イギリスにおける「団結禁止法」および「主従法」の展開」高柳信一,藤田勇編『資本主義法の形成と展開. 2 』東京大学出版会1972
ミルトンの結婚については上野雅和の論文(題名失念)
審査報告 谷原修身 「独占禁止法の史的展開と改革の論理 」http://warp.ndl.go.jp/REPOSWP/000000001682/00000000000006346/www.hit-u.ac.jp/law/thesis/h091008a.htm
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