読書感想-ハイエク
はっきり言ってしまうと、私は行動的積極的な性格ではない。引っ込み思案で躊躇し内向的なのである。それで全てが後手後手になってしまう傾向がある。
時宜に適した、現実の政治問題にも取り組んでないことに忸怩たる思いはある。現実逃避とのお叱りを受けるかもしれないかが、もう開き直るしかない。原理原則論も重要なので、そちらの方も固めていきたい。
それで『ハイエク全集第6巻自由の条件Ⅱ自由と法』気賀・古賀訳春秋社を初めて買ったんで、パラッと見ただけですが、感想を言います。
法の支配の起源という章で、近代的自由は一七世紀のイギリスにはじまるというのはそのとおりでしょう。経済的自由というからには、営業の自由の確立の意義を私は重視したいが、ハイエクは独占判例や1610年の苦情請願、エドワード・コ-ク卿によるマグナ・カルタの解釈の発展「もし誰かある人にカード(トランプ)製造なり、そのほかどんな商売を扱う物であっても独占の許可を与えるとすれば、かかる許可は……臣民の自由にそむいている。そして結果的には大憲章に違反している」を引用しますが、営業の自由についてさらに突っ込んだ考察をしておらず、もの足りなく感じた。
私はトレードの自由のコロラリーとしての労働の自由を決定的に重視しますが、この方面の理論を精緻化して、法と自由について論ずる構想を持っているのでいずれやります。
ハイエクは第12章においてアメリカの立憲主義を論じ1937年のルーズベルトによる裁判所抱き込み法案による司法の危機に言及していますが、1937年のウェストコーストホテル対パリッシュ判決-憲法革命の評価や、ストーン判事のキャロリーンドクトリンの評価といった判例評価に踏み込んでおらず物足りなさを感じます。
私は既にロックナー判決マンセー論で、憲法革命に否定的な評価を明らかにしてますが、積極国家の胎動を阻止しようとしたレッセフェール・アクティヴィズム、無体財産を含む財産権の擁護と契約の自由に肯定的な評価なので、この方面の理論も精緻化していきたいと思います。
要するに自分の野心は明快にハイエクよりもより自由主義的な見解を述べて思想を伝えることです。経済的自由も精神的自由も両方重んじることになります。
さて法の支配の意義、法実証主義敵視は重要な論点ですが、バラッと読んだだけではわかりにくい。19世紀後半に実証主義がドイツで確固たる地位をしめたことによりドイツは法の支配の理念を失ったという。ただ解説の古賀勝次郎はハイエクのケルゼン批判は勇み足といっている。
私が思うには法の支配というからには、中世のブラクトン、フォーテスキューさらに、アングロサクソンの法伝統にまで遡って説明した方がわかりやすいのではないかと思った。
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