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2008年1月の12件の記事

2008/01/31

週刊誌の感想

 今週も週刊新潮2月7日号を取り上げる。なるほどと思わせた記事が、ドイツ証券副会長武者陵司の「投資家の権利無視が『資本流入』を阻んだ」という東京株式市場の地盤沈下を憂う論説。
 日本は「先進国の中でもっとも財産権を尊重しない国」との不名誉なレッテルを貼られているという。具体的例として、村上ファンドに出資していた福井日銀総裁が、売却利益を団体に寄付することを余儀なくされたことは財産権の安易な侵害と言う。やっぱりそうか。ライブドア事件で検察が善悪を分かつ基準を「額に汗して働く人が許すかどうか」という感情論でアンバランスに懲罰が厳しかったことなどが挙げられている。
 投資家やファンドの権利が保護されないようだとダメだと。そりゃそうだ。格差是正の過度のこだわり、分配優先の傾向は反成長主義とバッサリ斬っている気持ちの良い記事でした。
 なぜか、新潮も文春もミス日本の白ビキニをグラビアに。しかし俺は、同い年の山本敏久阪大准教授と同じく18歳未満しか関心ないね。

 

2008/01/29

マック訴訟報道雑感

 本日の産経新聞3面を読んだが、28日の東京地裁判決に好意的。http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/080128/trl0801281055009-n1.htm(紙面と若干異なる)東スポも17面も好意的な記事
どいつもこいつもという感じだ。これでは赤旗や労組の主張と大差ないじゃないか。残業代不払い訴訟は害悪ですよ。こんなんで余計な出費になったらビジネスなんてやってられない。もうこういう欲の深いことはやめさせよう。
 だいたい、エンパワーメント http://www.nri.co.jp/opinion/r_report/m_word/empowerment.htmlという言葉がありますが、平社員でも経営者感覚で率先して仕事に当たる、そういう組織が優れてます。ウォルマートがそうですよ。時給ワーカーも財務状況を把握して経営者感覚で創意工夫し顧客のサービスにあたるわけです。権限委譲が進んで、組織がフラット化した会社では管理職も運営的業務も一般社員も区別する意味もさほどないわけです。管理職であろうとなかろうと、残業代なんてなくしたほうがよろしいです。

馬鹿げてる-東京地裁マック店長の残業代支払い命令-労働基準法は解体すべきだ

 昨日28日の夕刊1面の記事です。マック店長の管理職扱いは違法、残業代など支払い命令http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080128-00000011-yom-soci
マックの店長は「管理監督者」にあたらず 残業代認めるhttp://www.asahi.com/national/update/0128/TKY200801280098.html『マック店長は非管理職』 http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2008012802083060.html時流に逆らう、ワースト判決だ。レイバーコストになる。ビジネスのためにならない。国益にも反します。朝日新聞夕刊14面の解説にあるように、一定収入以上の人を労働時間規制から外すホワイトカラーエグゼンプションの導入の声が高まるのは必至だろう。
 この判決を無効にするため立法政策によりマックの店長のような外食産業の店長は残業代適用除外としてしまうようでないと国際競争力という観点でも大きなマイナスになると思います。控訴するそうですが、私はマックを応援しますね。(大阪ではマクドというそうですが、東京ではマックです)
 アメリカでは、2004年に公正労働基準法(FLSA)が改正されました。http://www.jil.go.jp/foreign/basic_information/2005/america.htm当初のプランより小幅の改正になってしまい骨抜きになった感がありますが、とはいえ、公正労働基準法の労働時間制度の適用除外は、主に管理的被用者、運営的被用者、専門的被用者、外勤セールスマン、農業、水産業、船員、ITプログラマー、ニュース編集者、タクシー運転手でしたが、さらに時間外賃金の適用から外れる者として、正看護師、保育士、飲食店マネージャー、コンピュータ関連労働者、葬儀屋、調理師などがあげられています。
 従ってアメリカでは飲食店マネージャーは時間外割増賃金適用除外である。そうあるべきだ。
 公正労働基準法の改正は中小企業やレストラン協会などが求めてました。公正労働基準法はオーバーホールし、プロビジネスな政策を求めたわけです。そもそも労働基準法の母法であるこの悪法は1938年制定で大恐慌を背景として失業者対策のためのものでした。失業が蔓延し利潤もあがらない時代においては、追加的な賃金支払を避けるという経済メカニズムは、提供可能な仕事を分配するのに有効な効果をもたらすことが期待されたというものです。しかし現代においては、雇用創出の実質的効果はなく、むしろ硬直した時間規制-追加賃金支払いが、ビジネスを害し雇用創出を阻んでいるのではないでしょうか。つーか、私は実質的効果如何にかかわらず、雇用契約の自由、労働の自由を侵害する労働基準法は悪法と考えます。
 つまり外国人からみると、米国では適用除外なのに飲食店店長に残業代を支払わせる硬直した日本の労働者保護法制は、レイバーコストが大きく、過度に被用者を保護しており、ビジネスを支援しないダメな国のように見える。単にそれだけでもマイナスイメージであり国益に反するのである。
 私の考えではホワイトカラーエグゼンプションの導入に止まらず、個人契約の自由・営業の自由・労働の自由を著しく侵害する悪法-労働基準法は解体すべきだし、さらにニュージーランド1991年雇用契約法(Employment Contracts Act)のような団体交渉権を否認する労働政策、集団的労働関係に拘束されずに勤労できる権利を確立すべきであると考える。そこまでやったら、本物の構造改革になるので株価も上昇して日本もハッピーになると思いますよ。
 生活者重視とかワークライフバランスとか言っている連中はくたばれバカヤロー。生産性も低く、権利だけ主張して、協力的でない職場なのに、男も育児休業、有給休暇完全消化とか時流に反する時短(ドイツのレイバーコストはひどかったが時短を見直して失業率が下がった)なんてノーテンキな政策では日本は沈没しますよ。
 とことんプロビジネスそういう政策でいいんですよ。これからの時代はもっと献身的に粉骨砕身働いて、それこそピューリタンのように神与の隣人愛実践として職業労働に励まないと生き残れないんですよ。生活者みたいな不確定概念を支援して何になるんだバカヤロー。かつて宮沢総理がアメリカ人は働かなくなったとか言って顰蹙をかったことがありますが、とんでもない。1998年以降し一人当たりの労働時間は日本よりアメリカが長時間です。http://www.jil.go.jp/foreign/labor_system/2004_5/america_01.htm。日本人はもっと働くべきなのです。外国よりも自由主義的な政策をとらない限り、日本は沈没していくんじゃないですか。生活者重視・ワークライフバランスというのはプロビジネスではない社会民主主義的な政策のことでしょうが、育児休暇で休む人の仕事をカバーして、協力的でなく、さぼっててる人の分もカバーして働いても、ご苦労の一言もない。他者にしわ寄せをかけるだけで憤怒怨念は相当たまってますよ。

2008/01/24

週刊誌の感想

 帰りの電車で週刊新潮1月31日号野口悠紀雄「緊急提言-日本経済の『円安バブル』は崩壊した!」を読みました。90年代以降日本経済は長期的な機能不全に陥っていた。口先だけの「改革」が叫ばれたものの、金融緩和と円安政策に依存して本当の改革はやっていないからツケは回されるとの見解です。私は素人なのでとやかく言える立場ではありませんが、構造改革になってないということでしょう。野口氏の文脈からすると、日本人はもっと自由主義的な方向で意識改革すべきだということを言ってますね。
 イギリスの一人当たりのGDPは、日本を上回っているとも書かれてます。イギリスはアメリカを超えたというのも何かで読んだ記憶がある。それで私自身の意見を言いますが、イギリスが労働党政権でも好調なのは大きな揺り戻しをせず、80年代~90年代保守党政権の政策の大筋の枠組みを継承しているためでしょう。1992年保守党メージャー政権の白書『人、仕事および機会』では次のように述べてます。「‥‥団体交渉と労働協約に基づく労使関係の伝統的な形態は益々不適切になり、衰退してきた。多くの使用者は時代遅れの労務慣行を捨てて新たな人的資源管理を採用しつつある。それは個々の労働者の才能や能力の開発に力点を置くものである。使用者の多くは、労働組合や公式の労使協議会を仲介とするよりも、その被用者との直接のコミュニケーションを求めている。個々人の個人的技能、経験、努力及び成果を反映する報酬を個別交渉する傾向が増しているのである」(小宮文人『現代イギリス雇用法』信山社2006年 28頁)
 もうはっきり団体交渉と労働協約に基づく労働関係をやめようと言っているわけですよ。そういう線を明確に出してきたからイギリスは良くなった。
 そんなわけで、我が国を自由主義的な方向に転換させるためには、もっと劇的な改革が必要なんじゃないか。たとえば再三書いてますが、ニュージーランド1991年雇用契約法(Employment Contracts Act)のような団体交渉権を否認する労働政策とか。集団的労働関係に拘束されずに勤労できる権利、憲法28条廃止、ILO脱退ないし無視というような。

2008/01/22

ネタ探し(3)

  1894年の「プルマン・ストライキ」は既に有泉亨の論説の要約で説明してますが、レポートは少なくとも4論文は引用しないとダメというサイトをどっかでみたので、帳尻合わせのため、小澤治郎と山口房司などからも引用してもう少し詳しく論じたいと思ってます。
 とはいっても、私は鉄道ファンじゃないから、プルマン式寝台って何のことかさっぱり。あまり興味はないですね。だいたい寝台車に乗ったのは、人生で一度だけ。都立園芸高校で、東北方面に修学旅行に行った時だけです。男鹿半島でなまはげをみて、奥入瀬渓谷とか八甲田山とか行って、帰リに青森から上野まで「はつかり」か何かに乗っただけです。疲れていたのかぐっすり寝たことしか覚えてない。当時は福田内閣でしたからまだ国鉄の時代ですね。(自慢じゃないが、私は青森より遠いところに行ったことはない。西は姫路までしか行ったことがない。)
 とはいえ、プルマン寝台車について知っておきたいので検索したところ、鉄道ファン系のサイトでは「アメリカ旅客鉄道史+α」というサイトにプルマン社について解説しているのを見つけましたhttp://www.usrail.jp/pt-2pullman.htm。マニアックな論評です。

2008/01/21

ネタ探し(2)

  ロックナー判決起草者として極保守派裁判官として有名な「ペッカム判事」を検索していたら、ベッカムはカルテルを容認した下級審判決をひっくり返したと裁判官だということが書かれているのがヒットしました。21世紀COEプログラム「新しい法律学の創造を目指す横断シンポジウム―企業と市場と市民社会をキーワードに― 」2005年2月5日,早稲田大学国際会議場井深大記念ホールPDFhttp://www.21coe-win-cls.org/english/activity/pdf/4/02.pdf
 川濱昇(京都大学教授-経済法)の発言です(45頁)。長文ですが、重要なことを言っているので引用します。
「初期のシャーマン法1条の解釈というのは実はカルテルを容認するものであり,それが下級審の判例でありました。その方向を一気に変えたのがぺッカム判事です。ペッカム判事というのは,ロックナー判決, 1905年に出た実体的デュープロセス条項により契約の自由を過度に保護したことで有名な判決の多数意見を書いたことで著名な判事です。……契約の自由のチャンピオンとペッカム判事は目されていました。ところが,そのペッカム判事が契約の自由の名の下にカルテルを容認していた下級審判決をひっくり返しました。そのときのロジックが興味深いものです。……後に,ポピュリスト的ないし共和主義的(通常は同一視されませんが) な理論構成を採りました。要するに,カルテルのような経済権力を容認することが,それに従属する個人しか容認しないようになってしまい,それがひいてはアメリカ国家の存立基盤を崩すこととなる。これは,いわば共和主義型の市民の存在を重視し,そのような市民の場を維持するためには独禁法が必要だとする立場なのです。……今でもアメリカ合衆国のみでは銀行と産業との分離原則が強固に守られておりまが,これは明らかにペッカムなんかの思想をいまに受け継ぐものです。」
 と述べてます。
 契約の自由のチャンピオンたるベッカム判事は、契約の自由ゆえ、カルテルの自由があるなどという馬鹿なことは言わないのです。その反対です。ベッカム判事は独占放任レッセフェール主義者ではなく、反独占型経済自由主義でしょう。
 ホームズが、ロックナー判決のベッカム法廷意見をスペンサーの社会進化論に基づく憲法解釈みたいな批判をするもんで、適者生存論者みたいなイメージが流布されてますが、そうではないですよ。
 私なら、そもそも価格協定はコンスピラシーだった。古い時代の判例、マンスフィールド卿をなどを引用しつつ、ペッカム判事に同調しますよ。

2008/01/20

極保守派主導による1895年判決の意義(2)

前回http://antilabor.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/post_0e0b.html

 此の世の3悪といえば労働組合、フェミニズム、日弁連だと思ってますが、私は労働組合の本質、仕事を制限し時間、仕事量、業務遂行過程を統制する、献身的忠実な職務遂行を妨害し、ショップ・スチュワードの支配下におく、横並び、競争の否定それ自体反対です。私は根っから生真面目なんですよ。ピューリタンのように職業労働は神与の隣人愛実践として忠実に履行できる環境が最善であると考えですから、労働組合とは180度考え方が違います。
 さんざん書いたことですが、米国の非組合の優良企業はどこでもオープンドアー・ポリシーがあって、役職にかかわらず、会社幹部に自由に物が言えて、風通しの良い職場になります。最初にやったのはイーストマン・コダックですが、企業文化として良く知られている会社としては例えば、ウォルマート、ホームデポ、パプリックス、SASインスティチュート、ヒューレット・パッカード、非組合企業は大抵そうですよ。これもさんざん書いてますが、働きやすく、従業員に親切なのは実は非組合企業の文化でもある。組合が支配している職場はそうは絶対ならない。労働条件等の苦情とか吸い上げるのは組合役員の専管になるから。従業員はただショップ・スチュワードの威圧と指揮の下に、働きすぎず、横並びで、非能率な仕事をすることを強要されるだけです。会社幹部も各従業員を相手にしません。それは組合の支配下にあるものですから、駆り立てることは組合が許しませんから、手出しできないわけです。駆り立てることは悪になるので、労働意欲は萎縮します。その人の善し悪しもいかに貢献したか、成果ではない。労働組合の威圧下でいかに柔順に非能率に働くかそれだけです。組織はフラット化し、実際に実務をやる従業員に権限が与えられる職場の方が能率的で高業績になりますが、その逆の分断的で疎通を欠く文化になります。労働組合の存在意義を否定する、オープンドアーポリシー、待遇や職場環境のアンケート調査は当然否定されます。組合があることによって、風通しの悪い、人の顔色を見て仕事をするような官僚主義的で硬直した体質が温存される。具体的なことはいずれ書きます。
 しかしもっと単純に言えば、労働組合の暴力とか、脅迫、威嚇、恫喝、執拗な説得と、暴徒の脅威に直面したことがある人は労働組合が嫌いになりますね。レイバー・インジャンクションに徹底的に好意的な理由はそれです。
 
 英米法ではコモンローのパプリックニューサンス(公的妨害)、衡平法のインジャンクション(差止命令)法理がありますが、私はアメリカのレイバー・インジャクションに関心があります。
 これは大鉄道ストのあった1877年にはじまりました。1895年のもう一つの重要判決デブスに関する非訟事件IN RE DEBS, 158 U.S. 564 (1895) http://caselaw.lp.findlaw.com/scripts/getcase.pl?court=us&vol=158&invol=564 同判決は1894年7月のプルマン・ストライキにおいて発せられたレイバー・インジャンクションを支持したものですが、これを契機に「雪だるまが転がるように」差止命令が増加しました。 アメリカでは1880~1930年に4300件のレイバー・インジャンクションが発せられました。とりわけ1920年代にはストライキの25%に差止命令が発せられ、秩序の維持と労働組合の抑圧に大きな効果がありました(註1)。しかし、私がもっとも敵視する左翼急進主義の法律家フランクファーター(後に最高裁判事、ルーズベルトのブレインでスピーチライター、第二次大戦参戦を大統領に勧めた人物でもありますが、こいつさえいなければと思うくらい嫌いです。ただ誤解しないで下さい。私はかれがユダヤ人であり、シオニズム運動に深く関わったから嫌いなのではありません。私は女性蔑視主義ですが、人種差別主義ではありません。かれの労働組合に好意的なその思想であります)が深く関わった1932年ノリス・ラガーディア法により「平和的ストライキ」においてはレイバー・インジャクションを全面的に禁止した。これこそ悪法中の悪法である。但し、鉄道は適用除外となり、1947年のタフト・ハートレー法で限定的に復活した。大統領は、国民の健康と安全が危険にさらされていると判断した場合には、ストあるいはロックアウトに対する80日間の差止め命令を裁判所に求めるよう、司法長官に要請することができることになっている。近年では2002年の西海岸港湾労働者ストで、ブッシュ大統領が司法長官を通じて、港湾封鎖(ロックアウト)を強制解除する差止命令を裁判所に申請したケースがある。http://www.jil.go.jp/jil/kaigaitopic/2002_12/americaP01.html私は20年代のような在り方が望ましいという考え方である。
 差止命令の根拠になっている衡平法の淵源については、神への崇敬と慈悲に訴えるキリスト教徒の本来の欲求である福音の救済という教会法理念から、衡平と善という自然的正義の請願に合流し訴訟分野で発達したものとされています(註2)。すべてが打算と欲と処世術で動いている腐った根性の人には、福音の救済、衡平と善という自然的正義と言っても、馬鹿げたこと、きれい事を言っておれるかとか言うでしょう。とんでもないです。私はつねに何が規範として正しいか、自然的正義にかなっているかをつねに考えていますよ。
 インジャンクションとは、ある人の権利の侵害が衡平に反するとみられる場合に、申請を受けて裁判所が侵害者たる個人や団体に対してその行為を差止るために発する禁止命令です。コモン・ロー上の救済(損害賠償救済)が事後的であるのに対して、エクイティ上の救済である差止命令は、事前的、保全的に発給が可能である。素人である陪審員は排され、裁判官単独で迅速に救済を発しえるだけでなく、差止命令違反は法廷侮辱罪となり、これは起訴にもよらず、侮辱を受けた裁判官が審理するという特徴がある。元々イギリスにおいて財産権が不法に侵害され、回復不能な損害が生じるおそれがある場合に、侵害の継続を禁止することから出発したが、合衆国で適用範囲が拡大されたのである。
 

 インジャクションが19世紀末期から「雪だるまが転がるように」増加していった理由の一つはこうだろう。そもそも労働者の団結をコンスピラシー(共謀罪)とする歴史は古いのです。イギリスで1718年に綿糸紡績工が賃上げのために団結した事件で、その首領が2年間投獄されましたが、何と400年前の1304年の共謀者令(The Ordinance of Conspirators)が適用されました(註3)。
 しかしこれは全く正しいのです。英国において共謀法理の本格的な展開は19世紀後半から20世紀初期であります。これは制定法が労働組合を法認するという馬鹿なことをやったので、裁判所(最高裁は貴族院)がコモン・ローの共謀法理を適用したためですが、 共謀法理は中世に由来します。谷原修身によると、既に中世において、労働者の団結による共謀を刑事犯として扱ってきた。1349年に製パン業者の使用人が賃金を2~3倍でなければ働かないという共謀したケース、製靴業の使用人が自ら定めた曜日でなければ働かないとして共謀したケースで告発されている。その後団結を規制するための一連の法令が公布されたが、1548年法によって統合され、熟練工又は労働者が一定の価格又は料金以下では仕事をしないという共謀又は約束は刑事犯として扱われ、初犯の場合は10ポンドの罰金と20日間の禁錮刑が科された。同様に商品の価格を決定するための結合も、賃金協定と同様に「当然違法」とされた(註4)。
 コモン・ローは賃金協定も価格協定も対等に同じ原則で嫌っていたのである。それはコンスピラシーであり、犯罪だった。要するに我が国で労働基本権などといっているものは犯罪だった。そうすると1890年合衆国シャーマン法第1条「州際、外国との間の取引あるいは通商を制限する全ての契約、トラストその他の形態の団結、共謀を不法とする」が、この時代の法理を受け継いでいるとするならば、労働組合に適用されて当然だということになる。又、ハーラン判事の「当然違法」原則によるシャーマン法の厳格な解釈も(極保守派のフラー主席判事もベッカム判事も同調した)、古い時代の精神に沿った良性のものと評価できるのである。
 イギリス18世紀においては、古い法で団結が禁止されているにもかかわらず、労働者の団結が行われた場合に親方達は、法廷に頼ろうとせず、直接国会に請願した。このために18世紀には特定産業別に凡そ40の制定法で団結が禁止された(註3)。1799-1800年の全般的団結禁止法は、産業別の制定法を統合する意味もあった。
 しかしアメリカでは、英国のように制定法で団結を禁止するやり方でなく、コモン・ローの刑事共謀法理を適用した。1806年のフィラデルフィアなめし靴職人組合事件で、賃金引き上げのための団結が刑事共謀罪にあたるとされた。検事は団結して賃上げをすることによって、需要供給の自然法則による賃金の決定を妨げた。賃上げのために威圧して労働者を組織に加入させ、非組合員には同一使用者の下での労働を拒否して彼らを組織に加入させることは、イギリス慣習法の罪になる。靴工の共謀のごときは、社会に有益な製造工業を妨害し、高賃金高物価を意味し、裁判所は、社会、消費者、産業、個々の労働者を保護しなければならないとしているが(註5)、正論のように思える。
 これはイギリスの刑事共謀法理を継受したものである。1809年のニューヨーク靴工事件では労働者に靴工職人団体に加入することを強要し、メンバー以外の労働者を雇用する親方の下では働かないと合意し、それを親方達を強制的に服従させる共謀を共謀罪にあたるとした(註5)。
 この判決では靴工団体それ自体を不法とするものではないが、他者に損害を与える不法な行為を目的とする団結は疑いなく共謀罪。目的は不法でなくても目的実現のため恣意的、不法な手段が用いられた場合は共謀罪に当たるとしたものである。このように19世紀においてアメリカでは刑事共謀法理が適用されていた。
 ところが、マサチューセッツ州最高裁1942年のハント事件で、これは、ボストン製靴職人組合が規約違反で組合員資格を失った被用者に対して、組合側が親方に解雇を要求し、解雇された事件で刑事共謀法理が適用されず、組合は無罪となった。
 但し、この事件は、刑事共謀法理それ自体を否定するものではない。目的・手段で判断すべきものという趣旨だった。「マサチューセッツの普通法は、違法かつ犯罪とされるような行為を行う団結をなすことは犯罪であるというイギリスの原理を採用した。しかしイギリスにおいて違法でありもしくは犯罪であった多くの行為は、マサチューセッツにおいては、必ずしも犯罪ではなく、もしくは違法行為でもなかった」と言うのである(註5)。しかしこの判決は大きな影響を及ぼし、これを契機に刑事共謀法理は適用されなくなっていく。民事共謀法理はなお適用されたが、転換点になっている。
 しかし、これによって組合活動のすべてが解放されたけでは全然なく、その目的と手段によって組合活動の正当性が厳しく審査された。すべての州で、共謀・脅迫・強要を犯罪とし、若干の州がピケ、ボイコット、鉄道等への不法な妨害行為を明文で違法としていた。賃上げや時間短縮を求める目的は正当であるとしても、クローズドショップ獲得のためのストや、ストに伴うピケッティングや説得も脅迫と判断され違法とされたのである(註6)。私から言わせればそれは当然のことに思えるが、いずれにせよ、刑事共謀法理が廃れたことにより、労働組合を抑圧する別の手段が必要となった。それがレイバー・インジャクションだったのだと思う。 続く

(註1)竹田有「アメリカ例外論と反組合主義」古矢旬・山田史郎編『シリーズ・アメリカ研究の越境第2巻権力と暴力』ミネルヴァ書房(京都)2007年 
(註2)海原文雄「英国衡平法の淵源(二)『金沢法学』4巻1号
(註3)内藤則邦「英国団結禁止法の社会政策的意義について--1799年,1800年法の一研究」『立教経済学研究』6巻1号1952年
 なお内藤は1305年の陰謀者法としているが、1304年法ではないか。
(註4)谷原 修身  「 コモン・ローにおける反独占思想-4- 」『東洋法学』38巻2号1995年 
(註5)高橋保・谷口陽一「イギリス・アメリカにおける初期労働運動と共謀法理」『創価法学』35巻1号2006年
(註6)辻秀典「アメリカにおける連邦鉄道労働政策の起源-アメリカ鉄道労働法の研究緒論」『廣島法學』16巻2号1982年
その他引用・参考文献
大沢秀行『現代アメリカ社会と司法―公共訴訟をめぐって 』慶応大学出版会1987年
 山内久史「アメリカ連邦労働政策の変化とレイバーインジャンクションの機能ノリスー・ラガーディア法の成立とタフト・ハートレー法以後の展開」『早稲田法学会誌』36巻1986年
インターネットでも読めます。 PDF http://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/bitstream/2065/6448/1/A05111951-00-036000183.pdf
荒木誠之「 アメリカ団結立法の形成と運営(一)  ワグナー法を中心として」  『法政研究』九大44巻3号 1978年
インターネットでも読めます。
PDF   https://qir.kyushu-u.ac.jp/dspace/bitstream/2324/1741/4/KJ00000742893-00001.pdf

2008/01/16

ネタ探し(1)

  そもそもブログというものは、サイトを見て感想を書いたり、気楽に書くものらしいので、気楽に書きます。
「コーク卿」で検索して、グーグル2位が学生の素人っぽいレポートだが 藤川天芳の - 「法の支配」思想とアメリカにおける違憲立法審査制の成立-http://nycc.hp.infoseek.co.jp/papers/paper-5.htm をちらっと読んだ。本屋にも売ってない 畑博行とか引用していてのでまずまず。センスは悪くないと見た。4位に当ブログだけど内容は全然ない。
 「英国近世反独占」シリーズはやっとこさ、レイバー・インジャンクション、プルマン・ストライキまで話が進んできた。これはアメリカ近現代の話で英国近世と関係ねえじゃないじゃないかと言うかもしれないが、シャーマン法の考え方を遡っていくと、17世紀の反独占になるからいいんですよ。これからが本番というか。本当は財産権のほうから入っていく予定だったんだけど、ピューリタン革命の話からいきなりシャーマン法になるんで変な作文になった。で、次は1908年の「ダンベリー帽子工事件」をやって1920年代のタフトコートの判例でクレイトン法の労働組合適用除外が骨抜きになったことを書いて、ノリス・ラガーディア法批判をやる段取りだが、行き当たりばったりだから別の方向に行くかもしれない。
 それでネタ探しをしていたら「ダンベリー帽子工事件」の検索で PDF楠井敏朗「アメリカ独占禁止政策の成立と意義(下)」  『横浜経営研究』第13巻4号(1993)
http://kamome.lib.ynu.ac.jp/dspace/bitstream/10131/662/1/KJ00000160084.pdf というのがあった。
 この論文は難しいが、初期の判例について説明しているので資料的価値はあると見た。シャーマン法の解釈は2つあって、字義どおりの当然違法というハーラン判事の解釈(強制的競争主義)1897~1911の多数説と、E.Dホワイト主席判事の「条理の原則」、「条理」の有無、「公正」か否かで違法か否かを判断するコモン・ロー原則に沿った穏やかなものとがあるということだが、これは難しいですね。しかも極保守派でもフラ-主席判事とかペッカム判事はリベラル派のハーラン判事に与し、フィールド判事は穏やかな判断をとるということで。
 あと、セオドア・ルーズベルトとタフトの政策の違いについても述べてます。ルーズベルトは良いトラストと、悪いトラストを行政的により分けようとしていた。タフトはE.Dホワイトを主席判事にして「条理の原則」を確立させ、司法部に判断をゆだねるやり方だったので、ルーズベルトより遠慮なく、巨大法人企業を提訴したと書いてあります。

2008/01/15

読書感想 梅田望夫『ウェブ時代をゆく』

  ベストセラー系の新書はつまらないという固定観念があるんでまず買いませんが、ちくま新書2007年11月新刊のこの本を電車内で読むのに買ったわけですが、それなりに面白かった。
 著者はグーグルのポリシーを基本的にほめてますが、シリコンバレー在住で経営コンサルティングをやっているということで、企業文化論にも言及してますね。インテルのアンディ・グローブの著書から「病的までに心配性な人だけが生き残る」とか「組織内の凶事の予言者を大切にせよ」とか引用してますが、私も同感です。「世の中と比べ、おそろしくゆったり時間が流れている組織は要注意」とかわかりやすくていいですね。
 ネットの世界は勤勉の継続がリアル世界以上に求められる。勤勉はもはや苦しみではなく楽しみとも書いてますが、同感です。
やっぱり、これからの時代は無茶苦茶勤勉にやっていかないと生き残れないんですよ。
 インターネットの世界でけなすのではなくほめましょうとか、この著者は言ってますが、それなら本日発売16日付の東京スポーツをほめます。「98年ワールドカップ、カズ落選の真相『岡ちゃん』と呼んでいた」というのが原因の一つと書かれています。ヘェーと思いました。そんなことで腹を立てる岡田は心の狭い男だな。

2008/01/14

英国近世における反独占、営業の自由の確立の意義(7) 

(要旨)17世紀から18世紀のコモン・ローの反独占の法理、営業制限の法理とシャーマン法は直結するものではないが、その精神は受け継いでいるといって差し支えないだろう。シャーマン法は労働組合に適用されるに至りその真価をいかんなく発揮した。私が反トラスト法に好意的な理由-それは労働争議抑圧に絶大な効果があったという歴史的意義からである。反トラスト法が労働争議に適用されることはなんら不可解なことはない。本来、営業の自由と団結禁止は不可分一体のものだったから。

 1890年シャーマン法の立法過程とコモン・ローの関係がわかりにくいが、谷原修身によると、シャーマン上院議員はトラスト問題の解決のため取引制限や独占に関するコモン・ローの法理を継承することを提案した。連邦議員のメンバーは好意的だったが、合衆国憲法通商条項が連邦議会にトラスト問題を規制する権限を授与しているのか、関税法との関連などで意見の対立があり、結局シャーマン法は、多くの妥協案が取り入れられ、コモン・ローのアプローチを採用しながら、違反者に罰金、禁固刑などの刑事罰を科したこと、違反行為を停止する差止命令を求めうること。損害を蒙った者に私的訴訟を許し、三倍額の賠償を認めた点で、コモン・ローの範囲を超えたと説明されている(註1)。[なお、差止命令(インジャンクション)は衡平法にもとづく、元々イギリスにおいて財産権が不法に侵害され、回復不能な損害が生じるおそれがある場合に、侵害の継続を禁止することから出発したが、合衆国で適用範囲が拡大された。1890年代からのレイバー・インジャンクションが発令されるようになリ、労働争議の抑止に大きな効果があった。]
 しかし谷原氏はスチュアート朝の反独占抗争は独占特許の国王大権が、議会による統制権に姿を変えただけと言っている(註2)。ジェームズⅠ世の治世の1624年独占大条例は、第九条で都市や町村に与えられた特権、すべての団体、会社、組合、商品取引の維持、拡大、調整を目的として設立された商人の団体は
適用除外とされていて、独占を消滅させるものではなかった。ダーシー判決で無効となったトランプの独占権も数年後にカード製造業者に与えられているという。コモン・ロー上、独占を保護することは続いた。コモン・ローでは資本主義の発展に伴って発生した独占化現象に防波堤にはならないとの結論のようである。
 岡田与好によると、1624年の独占条例は、同業組合に付与した特権を適用除外としたため骨抜きにされ、むしろ独占特権が単独の個人から、同業組合に拡大していった。再編ギルドとしてのカンパニーが収縮して、少数組合員による多数同業者による専制支配が強化されたという。事実、チャールズ1世の手によって、小親方層の公認同業組合への組織化がなされ、小営業主の団結が助長され、独占特許が濫発された。これが内乱直前の状況であった。内乱期には、ギルド的独占は廃止されず、むしろ助長されたので、ギルド団体の産業統制を拒否するレッセフェールの浸透は1660年以後のことと述べている(註3)。
 
 いずれにせよ、17世紀の反独占とは性格が違うのでシャーマン法とは直結しない。が、反独占、営業制限の法理あってのシャーマン法であるとはいえる。
 
独占禁止法を営業の自由の制限とみなす見解は通俗的自由主義の偏った見方である

 ところで我が国の独占禁止法は、農地改革、労働組合の公認とともに1947年に戦後「経済民主化」の三大政策と一つとして創出されたが、岡田与好は1979年の著作で(註4)、独占禁止法が自由競争体制を維持発展させる目的であるのに、自由主義を標榜する財界や自民党がつねに消極的で、社会主義を標榜する革新諸政党・団体が主観的意図はともかく独禁法に積極的であるという捻れを指摘している。
 我が国では明治政府の主導のもと生み出された政商支配の資本主義が発達し、政商型独占資本の急速な発展と同業組合的統制の強化・拡大がなされた。このような風土においては、独禁法は経済力の低下をもたらす、統制立法のように受けとめられたのである。
 自由主義なるが故に独禁法に反対だという主張さえみられるが、ここに自由主義に対するいわゆる一つの誤解がある。岡田氏は、独禁法を営業の自由の制限立法として経済統制法の一形態とみなす、わが法律学界に有力な見解を痛烈に批判され、これは「独占放任型自由主義」の立場であるにすぎない。それは通俗的自由主義というもので、古典的自由主義の国家不干渉主義の一面的強調であるという。我が国では経済的自由主義といえばそのように理解されているが、英国の反独占抗争のような歴史をもたないことから偏った理解になりがちだと言うことだろう。
 もっとも、独占放任も経済的自由主義の一類型としてみることができるだろう。しかし古典的自由主義は英国の近世史をみても明らかなように、反独占の精神が基本にある。「独占放任型自由主義」は個人あるいは個別企業の自由の保障の無関心を特徴にしており、極論すると国家と個人の中間団体がいかに個人に対して抑圧的であるとしても、私的結合である限り自由であるという思想では、独占保護的全体主義になだれ込む危険性を有するという重大な問題点がある。
 その例証として岡田氏は19世紀末以来のドイツでは、わが法律学界と同じく「営業の自由」をもっぱら「国家からの自由」として解釈することによって、「営業の自由」の名において「カルテルの自由」=「独占の自由」が法的に承認・強制され、その結果個人〈および個別企業〉の自由-本来の営業の自由-の犠牲のうえに、独占資本の組織的=強権的な私的統制〈カルテル網〉が「自由な」発展を遂げ、ナチズムの前提になった。としている。具体的には1869年の北ドイツ営業令は「カルテルの自由」を保障するものと解され、1897年2月4日ライヒ最高裁判所において、カルテルの諸義務は法的拘束力をもつことが認められ、カルテルは権利とされ、企業の団結が確立され、ドイツの異常に組織的な統制力をもたらし〔それは労働組合の組織強制についてもいえるかもしれないが〕、「営業の自由」を「国家からの自由」とすることによって換骨奪胎して、「個人の自由」を失うこととなったとされている(註3)。だから法理念は重要なんですよ。それが国を破滅に導くことがある。
 逆に反トラスト法は独占放任型自由主義に反するが、反自由主義的経済統制ではない。むしろ「営業の自由」の原理に基づきうるものであり、「反独占型自由主義」と類型化できるものである。
 つまり「営業の自由」という理念に忠実であるとするならば私の考えでは、それが国家の統制であれ、企業の結合による統制であれ、労働組合による統制であれ、取引=営業制限を内容とする、統制、団結、協定、共謀にはつねに敏感に意識するものでなければならないと考えます。
 翻って考えてみるならば、営業の自由と団結禁止を不可分一体とするマンスフィールド卿の原理原則が営業の自由の理念としては明快なのである。同業者の団結も労働の団結も営業の自由にとって有害であり犯罪だという思想である。この類型の自由主義は独占放任主義と対立することになるだろう。
 原理原則論として、営業の自由は本来、独占と結合(団結)から免れる自由。取引を他者(政府・企業・組合)によって制限されることのない自由として把握されなければならない。

シャーマン法が労働組合に適用されたのは道理だ

 そうした意味で私は、シャーマン法が、起草者のシャーマン上院議員は意図していなかったが、労働組合にも適用され、鉄道ストや二次的ボイコットのような労働争議の抑止力となった点を高く評価したいのである。労働組合の本質が、本来は不法な取引=営業の制限と競争の抑止にある以上、コモン・ローのアプローチを採用したシャーマン法に適用されたのは道理で不可解な事では全くないと解釈するものである。
 
 シャーマン法第1条は「州際、外国との間の取引あるいは通商を制限する全ての契約、トラストその他の形態の団結、共謀を不法とする」ものだが、「契約」「団結」「共謀」という文言が労働組合を包含するのかという問題について、労働組合を本法の適用外におくという修正条項も検討された。ところが法案提出の最終段階で修正条項が脱落したといわれている。それは労働組合も脅威と認識されていたことを示す。
 シャーマン法が労働組合に適用された最初の事件は1893年3月25日のニューオーリンズの荷馬車馭者組合の同盟罷業と他の組合の同情罷業が、州際ないし国際間の取引商品の輸送を完全に遮断したという理由で検察側のインジャンクションを許した事例であるが(註5)、1895年のデブス判決IN RE DEBS, 158 U.S. 564 (1895) http://caselaw.lp.findlaw.com/scripts/getcase.pl?court=us&vol=158&invol=564 

は前年のプルマン・ストライキの差止命令を最高裁が゜支持したことで重要な事件です。シャーマン法の適用も消極的ながら支持されている。
 これはプルマン・ストライキ、あるいはシカゴ・ストライキとして知られる、各地で暴力と混乱が生じた著名な事件である。シカゴのプルマン寝台車会社は寝台車や展望車を製造し、シカゴに集まるすべての鉄道会社と契約して、会社の車両を旅客列車に連結して料金を徴収し営業を行っていた。1894年5月、20%賃下げの提案をめぐって労働争議となり、労使交渉は進捗せずストライキが続いていたが、6月26日からデブスを組合長とする産業別組合のアメリカ鉄道従業員組合が、プルマン車の連結した列車の取り扱いを拒否する、一種のボイコットを行った。このためプルマン車と契約関係にあるすべての鉄道会社が紛争に巻き込まれ、当時はまだ自動車輸送が発達していなかったので、州際取引商品の輸送が止まり、郵便も止まった。6月30日にシカゴ駐在の連邦司法検事は首都の検事総長に次のように報告した。「29日夜ストライキ参加者によって郵便車が止められ、機関車が切り離されて動かなくなった。情勢は次第に切迫し、あらゆる列車がとまるおそれがある。執行吏に、列車に乗り込んで郵便を守り、妨害者を逮捕し、執行代行者を雇い入れる権限を与えることが望ましい」。検事総長はこの提案を認め、時のクリーブランド大統領はインジャンクションを裁判所に申請した。その根拠は第一に憲法及び普通法の下において郵便および州際取引は連邦政府の専管に属するものであり、その保護には連邦裁判所が差止命令によって干渉する権能を有する。第二に1890年7月2日に成立したシャーマン法が州際間の営業または取引を制限する共謀は違法であると宣言され、連邦巡回裁判所にこの種の共謀を防止し差止める権限が付与されていることであった。
 全般的差止命令は7月3日に送達された。
 内容は大略して被告デブス、ハワード…ならびにかれらと団結し共謀するすべてのものに下記の行為を禁止するものあった。
 州際の旅客並びに貨物の運送人としての業務、郵便車、州際取引に従事する列車、機関車、車輌、鉄道会社の財産につき業務を妨げ、阻止しまたは停止する行為。鉄道の構内に上記の目的で立ち入る行為、信号機に対する同様の行為、鉄道会社の従業員の何人に対してでも、従業員としての義務の履行を拒みまたは怠る
よう、威嚇、脅迫、説得、力または暴力を用いて強要しまたは勧誘し、あるいはそれを企てる行為、従業員になろうとする者を同様の手段で妨げる行為、州際輸送を妨害するための共謀、団結の一環をなすすべての行為、上掲のいずれかの行為を行うよう命令、指令。幇助、助成する行為。
 しかし7月3日の状況は、ロック・アイランドの連絡駅で、2千から3千人の暴徒の群れが占拠していて、郵便車を転覆させ、すべての車輌の通過を妨害した。解散命令には応じず、嘲笑と怒声になった。さらに暴徒は数台の手荷物車を横倒しにしたため、軍隊の出動が要請された。夜9時には陸軍司令官の出動命令を出され、軍隊が到着したが、鉄道施設の破壊や焼打ちが行われ、連邦裁判所の差止命令に公然たる挑戦がなされた。しかし6日に逮捕が進行し、8日に大統領より市民は暴徒に近づかないよう告示が出された。10日にはデブスら組合幹部が逮捕され、20日には軍隊が去りストライキは終息した。
 本件のインジャンクションは妥当なものと考える。本件はシカゴという重要都市のみならず南太平洋鉄道系統がほとんど完全に止まってしまった、大きなストライキだった。鉄道の運行を妨げる行為は州際取引の自由を保護するシャーマン法に違反するとされたことでも鉄道に限らず、大ストライキに適用される可能性が明らかになったのである(註6)。 続く

(註1)谷原修身『現代独占禁止法要論』六訂版 中央経済社 2003 45~46頁
(註2)前掲書 28頁
(註3)岡田与好編『近代革命の研究』上巻 東京大学出版会1973 岡田与好「Ⅴ市民革命と『経済民主化』」
(註4)岡田与好『自由経済の思想』東京大学出版会1979 39頁以下
(註5)田端博邦「アメリカにおける「営業の自由」と団結権 」東京大学社会科学研究所研究報告 第18集
『資本主義法の形成と展開  2』東京大学出版会1972年
(註6)有泉亨「物語労働法12第11話レイバー・インジャンクション」『法学セミナー』1971年8月号

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2008/01/06

英国近世における反独占、営業の自由の確立の意義(6)

 (第5回とは脈絡で繋がっていません)

 岡田与好(経済史)、谷原修身(経済法)の著作を読んでわかったことだが、「経済的自由主義」には2つのタイプがある。18世紀型(第一類型)と19世紀型(第二類型)、マンスフィールド卿型とアダム・スミス型という言い方もされるが、この二類型の違いを理解しておくことが、19世紀における、労働の自由、団結禁止から団結放任、団結法認、コレクティブ・レッセフェールという政策の変化を理解するうえで重要と考えた。
 二つのタイプを分けるものは一言でいえば「営業の自由」と「契約の自由」のどちらに原則をおくかである。2つの類型があるということで経済的自由主義=アダム・スミス信者という単純な図式にはならないのである。私はそれ以前のコモン・ローの反独占・営業の自由と商業革命の意義を重視したいわけです。

 谷原修身は契約法の著名な研究者P.S.Atiyahの所説をを引いて説明している。アダム・スミスの出現以前に「経済的自由主義」と呼ばれる確立した思想体系はなかった。しかし、コーク卿の時代に既に「経済的自由主義」に相当する考え方が存在し、コモン・ローに関係する法律家が強く支持していた。それは、以下のような自由を唱えるものである。財産所有、取引および営業、利子をとること、独占および結合から免れること、自己の意思決定、政府および法令の規制を受けないこと。(註1)

 プロレーバーではあるが大沼邦博(註2)を引用する。
 絶対主義的な産業規制をはねのけることに重要な役割を果たしたのはコモン・ロー裁判所であった。E.コークはあらゆる「独占」に強い敵意を示し、熱心に経済的自由を擁護した。この傾向は、市民革命によって「コモン・ロー優位」が確立し顕著となる。実際、国王の勅許による営業独占はあらかた廃止され、ギルドの職業規制は崩壊した。18世紀になるとコモン・ロー裁判所はいくつかの判例を通じて「コモン・ローの政策は企業の自由、営業の自由、労働の自由を奨励することにある」という立場を宣明した。
 1563年エリザベス1世の職人規制法の体系も法律として存在しても、実効性を伴わなくなり空文化していく。ブラックストーンは1765年に次のように述べた。「裁判所の判決は、規制を拡大したのではなく、それを一般に制限してきた」。強制的徒弟制度や治安判事の賃金裁定条項は衰退していくのである。17世紀末には既に同条項の適用を年雇労働者や農業奉公人にされていたのである。

 アダム・スミスも同職組合の特権や、徒弟制度の入職規制に強く反対していたので、彼の思想の影響もあって治安判事による賃金裁定は1813年に、徒弟制は1814年に廃止されているが(直接的には労働者が治安判事の裁定を求め、徒弟制を支持していたため、団結の口実を与えないための廃止である)、アダム・スミスが仮に実在せずともこの流れに変わりなかったとも考えられる。
 反独占がなぜ営業の自由になるのかもう少し詳しく述べる。

反独占の古い起源-穀物取引等の経済統制

 中世においては、市場の価格機構における需給調整機能は未だ十分認識されておらず、商品の「買い占め」とそれによる価格吊り上げは倫理的非難の対象とされた。イギリスにおける買占規制の最初の法令1226年法で違反者は晒し台に晒されるのである。これは一般的慣習の法典化である。コモン・ローの下では自由な価格ではなく、低価格が重要視され、買占めは極端に嫌われた。(註3)
 中世末期から絶対王政期になると無制限な営利追求、仲介人の独占価格操作への激しい非難が社会的規模で行われた。1349年穀物取引に関して、合理的価格で適度な利潤に満足する限りで穀物商の合法性を認め、1489年には毛織物生産者の先買期間を設置し、羊毛商の介入を禁止、1552年には食料品取引を主要対象とし、先買、再販、買占に対して一般的法的規定を設け、穀物が限界価格以下の場合、許可をうけた場合のみ仲介商の介入を認める方法が採用された。現在各国の独占禁止法の母体をなす合衆国のシャーマン法は1552年法の規定を継承するといわれているが、先買(販売のため市場に来つつある商品をその途中で購入する行為、人為的価格操作のもっとも単純な形態)の禁止はアングロサクソン時代から法的禁止の対象となっていたものである(註4)。反独占というのは「経済民主化」とか現代の価値観にもとづくものではない。慣習を明文化したような中世の古い法、倫理的価値観に由来するといえるだろう。
 小林栄吾は「反独占法は労働を価格追加の唯一の合理的根拠たらしめるという理念」に導かれ「市場価格が『合理的価格』に収斂するような方向にのみ制限し組織化すること」により「技倆にもとづく労働に基礎をおく、新たな生産諸力発展の展望を打ち出した」と評価する。
  ウェーバーテーゼ(ピューリタンの宗教的価値観-隣人愛実践として神与の使命としての職業労働義務という行動様式と近代資本主義の成立とを相関させる)を否認しませんが、その前提としての反独占の法理も重視したいのです。
 しかし、18世紀には穀物取引の公的規制に反対したアダム・スミスの思想に影響されて、1772年に買占め規制の諸法令は廃止されたのである。裁判所は1800年までコモン・ローの下で買占めを有罪としたが、自由放任主義の浸透により訴追されなくなり、1844年に議会は買占めをコモン・ローの下で訴追することを禁止するに至った。(註3)

国王大権(特許状)による独占の廃棄
 
 16世紀末からの展開については2007/12/23記事http://antilabor.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/post_468b.htmlで言及しているので若干重複になる。
 エリザベス1世の治世の後期、財政悪化により女王の独占特許状が濫発されていた。特許状発行に伴う上納金を財政上の手段としたのである。これは国王大権事項のため議会の承認は不要だった。また廷臣に与えるべき利権が少なくなり、廷臣への報酬としても特許状が発行されていた。1597年及び1601年議会は、王室の特許状による40種にあまる産業独占、商業独占を果敢に攻撃し、その合法的根拠を追求した。「反独占論争」は王室当局に甚大なショックを与え、1601年11月エリザベス女王自身その非を認め、「独占に反対する布告」により、塩、酢、酒、澱粉、鯨油などの独占特権を無効とし、その他についてはコモン・ロー裁判所により詮議されるものとした(註5)。但し、臣民の自由に対する国王大権の優越を明言して反独占論争に終止符を打った。
 

 1602年のダーシ-対アレン事件Darcy v.Alleinは、女王の開封勅許状によるトランプの輸入・販売・製造の独占を無効としたものだが、王座裁判所の全員一致の意見は「トランプの独占権を原告に付与したことはコモン・ロー、及び臣民の利益と自由に反する」とした。
 どうして娯楽用品にすぎないトランプ(プレイングカード)の輸入・販売・製造独占がコモン・ロー史上の著名な事件になったのかというと、エリザベス女王は独占批判をかわすために議会に譲歩し、1601年の詔勅で多くの独占特権を無効とすると宣言したほか、特許独占によって不利益・損害を被った臣民が損害賠償請求訴訟を提起する自由を認める旨付言したため、特許権について民事訴訟が認められるようになった経緯がある。原告ダーシーは1588年に英国内におけるトランプの輸入・販売・製造の特許権を得た。毎年100マルク支払うことが義務だった。特許権を侵害した、ロンドンの小間物商アレンを訴えたのがこの事件である。

 ダーシーはトランプ遊びは「空虚な事」、時間と財産を失い、臣民の勤労意欲を失わせる機会を与えるため、その濫用を防止し適当で手頃な使用を命ずる事は女王の役目であるとして、特許独占の正当性を主張したが、裁判所は、トランプを製造することは「空虚な事」にあらずと述べた。コモン・ローの下で無効とする理由として、臣民に対して雇用の機会を準備し、怠惰を回避させるすべての営業はコモンウェルスにとって有益である。そのような営業に対する排他的な特許権の付与は臣民の自由と利益に反する。独占は価格を吊り上げ、品質を低下させ、閉め出された取引者を貧しくする弊害がある。女王は詔勅の前文で公共の利益のために付与したにもかかわらず、特許権者の私益に利用され、公共の利益に反するということを述べた。

参考 石井正「産業社会と知的財産」講義メモhttp://www.oit.ac.jp/ip/ishii/MEMO/index3f.htm
 

 コーク卿は後にマグナ・カルタ29条「自由人は,その同輩の合法的裁判によるか,国法によるのでなければ,逮捕,監禁され,その自由保有地,自由,もしくはその自由な習慣を奪われ,法外放置もしくは追放をうけ,またはその他いかなる方法によっても侵害されることはない」を注釈し、「自由」および「諸自由」を示すlibertates libertiesをに言及し、これらが「王国の法」「イングランド臣民の自由」「国王から臣民に与えられた諸特権(privileges)を意味するとことを明らかにし、その上でダーシー事件にふれ、トランプの単独の製造権あるいは他の営業の独占権を特定の人に付与することは、それ以前に営業をしていたか、それを合法的に利用しであろう臣民の自由に反し、それゆえに大憲章に反することを明記した(註6)。
 これは非解釈主義的解釈であって、原意に沿ったものではないだろう。谷原氏がボーディンの所説を引いているように、コモンローの成立期に営業(trade)は殆どなく、「営業の自由」の概念もなかった。外国との貿易は国王の大権に属し、その権利を特別に臣下 に与えない限り、営業権を有するのは国王だった。コーク卿が「営業の自由」と表現しているものも、営業の特権を意味するから、原意に従えば、女王から特権を付与された、独占権者が保護されるべきところ、コーク卿の巧妙な注釈よりマグナ・カルタがイングランド臣民の自由の原理とされた。
 
 しかし私は、コーク卿の非解釈主義的解釈を批判しない。それは道理だったと考える
 12世紀前半に淵源をもつコモン・ロー裁判所は自由人の自由保有地保全を目的としていた。慣習法をベースにしているので、王権から発せられる統治技術としての法体系とは全く違う。自由人の安全と所有を確固とするために優れていた。隷農制が15世紀までに崩壊した。純粋核家族社会であり、土地に縛られず、流動性があり、元々資本主義的な社会特性を有していた。また17世紀初期に制定法により服装が自由になった、身分に応じた衣装に拘束されなくなった。自由人の特権の保護という概念が臣民の自由という原理にされても、とりわけ営業の自由が高唱されても違和感はないのである。
 新刊書(註7)H.ベイカー(川添美央子訳)「1200年から1600年におけるイングランドのコモン・ローにおける個人の自由」を読みました。それによるとイギリスでは隷農階級は遅くとも15世紀末までに消滅した。イギリス人は1600年には全て「自由人」になっていた。それはコモン・ローが自由を支持してきた帰結だったというのである。既に13世紀の『ブラクトン法令集』に隷農制を脅かす理論的前提があった。その指導原則は法は自由を支持するゆえに、隷農は領主に対してのみ隷属的なのであって、この世の他の人々に対しては自由だと主張した。領主によって隷農身分から解放されれば血統の定めから完全に自由になる。そのうえ、隷農は国王裁判所において領主以外のどの人間も訴える権利があったいう。

 フランスの歴史家マルク・ブロックがフランスとイングランド領主・小農関係の相違を指摘し、イングランドでは親族関係の古い枠組みが早期に解体し、イングランドの小農が個人主義的なのに対し、フランスは共同体のままにとどまった。フランスの農奴制とイギリスの隷農とは完全に異なるという指摘は、法制度的な背景の違いにもよる。
 15世紀の国王裁判所主席裁判官であるフォーテスキューは次のように述べた。「……隷属は人間にとって邪悪な目的によって導入されるが、しかし自由は神によって人間本性に刻み付けられているからである。……自由を支持しない者は神をも恐れぬ残酷者と見なされるであろう。こうしたことを考えると、イングランドのもろもろの法はいかなる事例においても自由を支持するのである」(註7)。フォーテスキューはいかなる事例においても法は自由を支持すると断言した。私は教会法の結婚の自由の理念も重視したいが、近代個人主義的自由は中世の法思想から発展したものだったと理解できる。
 マクファーレンはイギリスは既に16世紀に既に豊かな社会だったとを説明している。フォーテスキューがフランスに亡命したさい1461年の著作で、フランスとイングランドの違いをわかりやすく説明している。フランスはすべての法が国王から発し、人々は臣民だった。イングランドは国民の自発的黙従による制限君主制だった。イングランドには拷問はなかった。フランスのように国王の軍隊による農村の略奪もなかった。塩税のような厳しい取り立てがフランスにあった。フランスでは人々は災難に悩まされ、きわめて悲惨のうちに暮らし、水を飲む毎日である。質の低い酒さえ飲むことはない。かれらのシャミュウズは麻製でまるでズダ袋のようだ。かれらは、上着の下に着るコートとしてきわめて粗末な毛織物を身につける以外に毛織物を知らない。かれらは、長ズボンをはかず、膝下は裸である。女は祝祭日以外裸足である。男も女も新鮮な肉は食べず、ラードないしベーコンのみである。それを少量加え、ポタージュやブロースといったスープにこくを加えるだけであると、フランスの貧しさが強調され、他方イングランドは重税、兵隊の宿営、内国税が欠如しており、住民は土地、家畜が生み出すすべての果実を、かれの努力と他の者の労働によって、陸運・水運双方から得るすべての利潤と商品を、思うがままに使用し享受する。金・銀および人間の生命の維持に必要な者を豊富にもっている。あらゆる種類の魚と肉をたくさん食べる。すべての衣服にすばらしい毛織物を用い……あらゆる器具、道具、農具を……落ち着いたゆたかな生活の成就に必要とされる他のあらゆるものを、大量に所有しておリ、通常判事の前以外で法に訴えられることはなく、その土地の慣習的な法によって正しくあつかわれるのである。
 イングランドが豊かであったからこそ、営業の自由が高唱されたともいえるだろう。

 ジェームス1世の治世には反独占運動は激烈なものとなり、1604年国王は個人に与えられていた全ての特許状を廃止、議会で次のように演説した。
「すべての自由な臣民は、かれらの土地に対するのと同様に、かれらみずからそれに従事し、かつそれによって生活しなければならない営業(trades)に自由に精励するという〔権利を〕承継して生まれている。商業は‥‥重要であるので、現状のようにそれを少数者の手中にとどめておくことは、イギリス臣民の自然権と自由に反する」(註9)
 しかし王室財政の窮迫と廷臣の金融支配の擁護のため独占特許が濫造されたため、再び反独占運動が昂揚し、1624年には独占大条例が成立した。それは「すべての独占、委託、認可、許可状、特許」の廃止、コモン・ローによるそれらの審査を条文に明記した。しかし、法の適用の免除があり徹底したものではなかった。ロンドンその他自治都市、印刷、硝石、火薬、鉄砲、明礬、ガラス、鉄の鋳造、ニューカッスルの石炭などである。
 チャールズ1世は無謀にも独占特許を増加させたため1640年の「長期議会」では国王への攻撃のるつぼとなった。独占企業家が議会から追放され、いわゆる内乱に突入することとなる。結果的には1688年の王室鉱山条例で金属の鉱業権が王室から剥奪され鉱業独占が一掃されることにより、名誉革命により「初期独占」は解体され、イギリスでは経済的自由主義が確立したとされる。私企業は急激に簇生し、金属工業の繁栄は生産手段生産部門で、オランダ(前期資本の独占支配を維持していた)を追い抜くこととなり、18世紀後半には産業革命に到達することとなる。(註10)。
  経済史家の川北稔は、いわゆるウェーバー・テーゼ(清教徒の職業労働を隣人愛実践として神与の使命として誠実に励む行動様式を資本主義の精神と結びつける)を否定して、産業革命の本当の理由は、イギリス社会の特性と広大な海外市場を確保した商業革命と、ノーフォーク農法による農業革命だという(註11)。しかし、商業革命の前提として、16世紀末から議会の反独占抗争、独占特許状をめぐる国制論争があって、1641年の長期議会では独占企業家が追放され、経済史学でいう「初期独占」は次から次へと否認され、少数の私人に「独占」されていた諸産業部門が、社会全体に解放されていったという営業の自由の確立と、コモン・ロー裁判所が職人規制法に当初から敵対的態度をとり、徒弟の入職規制を骨抜きし(徒弟制度は1813/14年に廃止)、労働の自由の進展がその前提にあるわけで、従って営業の自由と産業革命に到達したこととは結びつけて考えてたい。
 

経済自由主義の2つのタイプの違い
 
 冒頭に述べた、18世紀型、19世紀型経済自由主義の二類型、それは取引制限的契約に対する態度の違いである。つまりパートナーシップにある者や被庸者に組合関係又は雇用関係を離脱した後にも競業禁止義務を課す契約、暖簾(good will)の売手ないし営業譲渡人に競業禁止義務を課す契約、製造業者ないし商人が生産量を制限するか又は価格を決定する契約であるが(註12)、コモン・ロー裁判所は「営業の自由」を重視し、できる限り取引制限的契約を無効にした。
 前者の立場にあるホールズベリーの『イギリス法』第三版第38巻によれば「ひとは欲するところに従い、また欲する場所で適法な営業または職業を営む権利をもつ、というのが、コモン・ローの一般原則であって、コモン・ローは、つねに契約の自由にたいする干渉の危険を冒してでも、営業にたいする干渉が行われないよう注意してきた。というのは、個人の行動の自由にたいする制限はすべて国家の利益にとって有害であるがゆえに、それらの制限に反対することが公序であるからである。」(註13)
 営業制限の法理の指導判例である1711年のミッチェル対レイノルズ判決Mitchel v.Reynolds(パン製造所賃借権の5年間の譲渡の条件として同一教区でのパン屋の営業をしない特約であるが、これは合法と判示されたが違法性を判断するルールを述べたことで指導判例となる)では、王国全域において営業を制限する一般的制限は常に無効、特定地域の部分的営業制限は有効とされたが、その場合でも営業制限は本来的に悪しきものであるがゆえに、営業制限の特約は制限を課した者が、その制限が合理的であることを立証しなければ違法とされたのである。(註12)
 ところが19世紀の後半からアダム・スミスの自由放任思想に影響されてコモン・ロー裁判所の態度が変化する。ミッチェル対レイノルズ判決の判旨とは逆になってしまうのだ。1853年のタリス事件Tallis v.Talliでは逆に制限を課された側が不合理であることを立証しない限り合法とされるようになったのである。1875年Printing and Numerical Registering Co.v.Sampson事件におけるジョージ・ジェッセル卿においては自由放任思想が高唱されている。「自由かつ自発的に締結した契約は神聖なものとして支持すべく司法裁判所はこれを強行すべきである。……この契約の自由に軽々しく干渉すべきではない、という至上の公序を考慮しなければならない。」(註14)
 契約が神聖不可侵という原則のもとでのひとつの問題点は「営業の自由」の名において、「営業を制限する自由」により独占やカルテルをも容認する概念となることだろう。
 ところでシャーマン法(Sherman Act)は、1890年に制定された米国の連邦法で、反トラスト法の中心的な法律のひとつであるが、シャーマン法第1条は、州際、外国との間の取引あるいは通商を制限する全ての契約、トラストその他の形態の団結、共謀を禁じ、労働組合にも適用された。ダンベリー帽子工事件LOEWE v. LAWLOR, 208 U.S. 274 (1908) 208 U.S. 274 は不買運動に参加したことについて北米帽子製造協会への3倍賠償の裁定を維持した例などが知られている。
 そもそも反トラスト法制定運動は、中西部や南部諸州の農民組織による鉄道トラストへの反感からはじまったものだが、当時のコモン・ローは取引制限的契約の違法性の根拠は契約当事者への強制もしくは排除であり、カルテル、価格協定や合併のように契約当事者が自発的な合意により相互の競争を排除する行為が違法とされることはなかったのであり、シャーマン法はコモン・ローの考え方を無視するものであり、オリバー・ウェンデル・ホームズはシャーマン法に明確に批判的であった。(註15)
 しかし、シャーマン法は、先買・再販・買い占め規制の1552年制定法を由来としている説もあることは既に述べた通りである。平林英勝のように「取引制限」や「独占」に関するコモン・ローを連邦法化するものであった http://www.hidekatsu.net/page009.htmlあるいは「コモン・ロー的制定法」という説明のされ方もある。それは17世紀の反独占の法理であり、先に説明した18世紀型の第一類型の経済自由主義に由来する。
 しかし、王権の独占特許状による営業独占と、近現代のトラストとは性格の異なるものである。
 合衆国最高裁UNITED STATES v. TOPCO ASSOCIATES, 405 U.S. 596 (1972) http://caselaw.lp.findlaw.com/scripts/getcase.pl?court=us&vol=405&invol=596において「反トラスト法自由主義経済のマグナ・カルタである。反トラスト法が経済的自由と自由主義経済体制を保障している……」(註16)と述べられているが、ここでいう自由主義は反トラスト法は経済的自由主義の19世紀型第二類型(アダム・スミス型自由放任)の自由主義とは折り合いが悪く、むしろ18世紀型第一類型の思想に近いものと判断できるのである。
 
 
(註1)谷原修身「コモン・ローにおける反独占思想(三)」『東洋法学』38巻1号 [1994.09]
(註2)大沼邦博「労働者の団結と「営業の自由」--初期団結禁止法の歴史的性格に関連し近代資本主義の系譜 近代資本主義の系譜 近代資本主義の系譜 て」関西大学法学論集 38巻1号 [1988.04]
(註3)谷原修身「コモン・ローにおける反独占思想(一)」『東洋法学』37巻1号   [1993.09 ]
(註4)小林栄吾「資本主義発達史上における反独占運動の意義」高橋幸八郎,古島敏雄編
『近代化の経済的基礎』岩波書店1968年
(註5)田中豊治「独占体系の解体」 大塚久雄,高橋幸八郎,松田智雄編 『西洋経済史講座 : 封建制から資本主義への移行. 第4』 岩波書店1960年
(註6)谷原修身「コモン・ローにおける反独占思想(二)」『東洋法学』37巻2号 [1994.01]
(註7)(註1)J.H.ベイカー(川添美央子訳)「1200年から1600年におけるイングランドのコモン・ローにおける個人の自由」R.Wデイビス編鷲見誠一/田上雅儀監訳『西洋における近代的自由の起源』慶応義塾大学法学研究会2007年所収。
(註8)アラン・マクファーレン酒田利夫訳『イギリス個人主義の起源』リプロボート1993年 296頁以下
(註9)堀部政男「イギリス革命と人権」東京大学社会科学研究所編『基本的人権第2』東京大学出版会1968
(註10)『大塚久雄著作集. 第3巻』近代資本主義の系譜 岩波書店 1969年
(註11)川北稔編『新版世界各国史11イギリス史』山川出版社 1998年 247頁
(註12)谷原修身「コモン・ローにおける反独占思想(三)」『東洋法学』38巻1号 [1994.09]
(註13)岡田与好「経済的自由主義とは何か-『営業の自由論争』との関連において-」『社会科学研究』15頁
(註14)岡田与好『独占と営業の自由 ひとつの論争的研究 』木鐸社  1975東京大学社会科学研究所  37巻4号1985 23~24頁
(註15) 谷原修身「コモン・ローにおける反独占思想(五)」『東洋法学』 39巻1号 [1995.09] 
(註16)J.H.シェネェフィールド・I.M.ステルツァー 著、金子晃・佐藤潤訳 『アメリカ独占禁止法 実務と理論』三省堂2004年 1頁

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2008/01/04

労働基本権が基本的人権だなどいうのは大きな間違いである(3)

 労働組合はどう定義されるのか。経済史家の岡田与好が世界で初めて労働組合を法認したとされる英国の1871年「労働組合法」(人類史上の重大な過ち)の法律的定義により説明している。
  「trade unionとは一時的であると恒久的であるとを問わず、労働者と使用者との関係、もしくは労働者相互の関係、または使用者相互の関係を規制し、あるいは職業もしくは事業の遂行に制限的条件を課すことを目的とし、もし本法が制定されなかったならば、その目的のひとつあるいはそれ以上が、営業を制限することにあるという理由により、不法な団結とみなされたであろうような団結、をいう」(註1)
  労働組合とはコモン・ロー上、営業制限とみなされ違法ないし不法とされかねない団結を、制定法によって不法性を取り除いて、法の保護を受けうる存在としたと説明されている。使用者団体もtrade unionという共通の名称のもとで法的に保護されることにより、岡田与好によると労働力取引の団体交渉-個人交渉の排除-が、当事者の平等の原則のもとに公認したのが1871年法である。「個人の自由」から「集団の自由」への転換であり、本来の営業の自由の形骸化をもたらした。(註2)とするが私はこれが人類史上の大きな過ちだったと思っている。
   又、「営業制限の法理」doctrine restraint of tradeが19世紀後半に変化した。「営業の自由」の原則により「契約の自由」の制限から、「契約の自由」の原則から「営業の自由」の制限を含む契約の自由放任へ転換したとされている(註3)。 労働組合法認の背景として捉えたいが、ここにミニ憲法革命のような問題がひそんでいる臭いがするので別途検討する。
  これは一つの説明だが、もっと単刀直入に言って、労働組合=団結とは「営業=取引を制限する刑事共謀」そのものだとみてもよい(1855年のヒルトン対エッカースレイ判決のクロンプトン判事の見解-註4)。上記の定義にコンピラシー(共謀法理)により犯罪という観点が抜けているので補足する。
  コンスピラシーはイギリス法に固有といわれてます。13世紀以降の共謀法理の進展については2007/04/22ブログhttp://antilabor.cocolog-nifty.com/blog/2007/04/post_89a0_1.htmlで言及しましたが、共謀法理はエドワードⅥ世の治世1548-49年法において「ある価格でなければ仕事をしないとか、他の者がはじめた仕事の完成を引き受けないとか、1日にはある一定の仕事しかしないとか、ある時間しか仕事をしないと共謀する」ことに適用された。
  コンビネーション(団結)には常に不法・犯罪の臭いがつきまとうとみなすのが、法律家の正しい感覚なのである。中西洋によれば共謀法理というものが、イギリス社会が各人の自主的な善意の連帯をひろく自由にゆだねていたことの反面だったとする。第3者を害することを意図しない人々の放任はイギリス社会の特性だから(註5)。従って真に自由な社会においては共謀罪によって第3者から害されないための制度的枠組みが必要なのかもしれない。
 近代において最も偉大な法曹の一人とされるマンスフィールド卿の1783年のエックレス事件の意見はよく引用される。
「起訴状に共謀を実現する手段を記述する必要はない。何故ならば犯罪は害悪を何らかの手段をもって実現する目的のもとに、共謀することにあるからである。違法な結合が犯罪の眼目である。商品を所有する者は個人として自己の欲する価格でそれを販売し得る。しかし彼等が一定価格以下では販売しないことを共謀し、合意するならば、それはコンスピラシーである。同様にあらゆる人間は自己の好む場所で労働できる。しかし、一定価格以下では労働しないとして団結することは、起訴さるべき犯罪である」(註6)
 統制と不自由に慣れきった現代人からみると厳格な個人主義的自由の論理と思われるかもしれないが、この18世紀的自由理念は称賛してよいのではないか。このマンスフィールド卿こそ1758年のランカシャー地方の織布工層の大ストライキの弾圧者(註7)でありますが、それゆえに尊敬するものであります。
 上記の趣旨からすると、はじめに言及した定義で労働組合が「営業制限」というのは、例えばある価格でなければ仕事をしないとか、ある時間しか仕事をしないといった合意そのものということになる。労・使の個人的取引でない団結や協定は「営業制限」であり違法ということになる。この原則からすると労働組合が法認される余地は全くない。
 しかし19世紀の判例になると、ニュアンスが違ってくる。19世紀の制定法、判例の展開は重要なので後日詳細に論じたいが、今回は簡単に言及しておきます。
 一つが「営業=取引を制限するコンスピラシー」(conspiracy in restraint of trade)であり、私が理解したところでは各人が自己の労働と資本を自己の欲するところにしたがって処分する完全な自由を法は保護する考え方である。18世紀的な考え方と同じ。1855年のヒルトン対エッカースレイ判決のクロンプトン判事の見解がそうである。
 又、犯罪とはされなかったが1867年のホーンビィ対クローズ判決のように、出来高払いでは働かない、解雇された場合の相互扶助の義務とかストライキ支援の目的のある組合規約を「営業制限」としたケースも類例とみてよいだろう。(註8)
 もう一つは「他人の取引を侵害するコンスピラシー」(conspiracy to injure the trade of another)の概念構成である。1868年のアール卿の見解(註9)が代表的であり、結果的にいうとこの見解が労働組合法認の方向性を与えた。
 取引を制限する契約を是認するが、不法な妨害を受けることなしに、取引する権利を有する者の自由意思に、強制や妨害を加えることによって、その者の取引を害するための団結は犯罪とするものであるが、この考え方は大変甘かったと私は思う。 つづく

(註1)岡田与好「経済的自由主義とは何か-『営業の自由論争』との関連において-」『社会科学研究』東京大学社会科学研究所  37巻4号1985 28頁
(註2)前掲論文 29頁 
(註3)岡田与好『独占と営業の自由 ひとつの論争的研究 』木鐸社  1975(コピーからの引用で本書かどうか推定で未確認)130頁 前掲論文23頁参照 
(註4)片岡曻『英国労働法理論史』有斐閣1952 129頁
(註5)中西洋『《賃金》《職業-労働組合》《国家》の理論』ミネルヴァ書房(京都)1998 66頁
(註6)片岡曻 前掲書 98頁
(註7)前掲書 99頁
(註8) 石田 真  「イギリス団結権史に関する一考察-上-労働組合の法認と『営業制限の法理』 」 早稲田法学会誌  (通号 26) [1976.03] 303頁以下
  この論文はインターネットでも見ることができます。
http://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/bitstream/2065/6333/1/A05111951-00-026000277.pdf
(註9)片岡曻 前掲書 130頁

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