労働基本権が基本的人権だなどいうのは大きな間違いである(3)
労働組合はどう定義されるのか。経済史家の岡田与好が世界で初めて労働組合を法認したとされる英国の1871年「労働組合法」(人類史上の重大な過ち)の法律的定義により説明している。
「trade unionとは一時的であると恒久的であるとを問わず、労働者と使用者との関係、もしくは労働者相互の関係、または使用者相互の関係を規制し、あるいは職業もしくは事業の遂行に制限的条件を課すことを目的とし、もし本法が制定されなかったならば、その目的のひとつあるいはそれ以上が、営業を制限することにあるという理由により、不法な団結とみなされたであろうような団結、をいう」(註1)
労働組合とはコモン・ロー上、営業制限とみなされ違法ないし不法とされかねない団結を、制定法によって不法性を取り除いて、法の保護を受けうる存在としたと説明されている。使用者団体もtrade unionという共通の名称のもとで法的に保護されることにより、岡田与好によると労働力取引の団体交渉-個人交渉の排除-が、当事者の平等の原則のもとに公認したのが1871年法である。「個人の自由」から「集団の自由」への転換であり、本来の営業の自由の形骸化をもたらした。(註2)とするが私はこれが人類史上の大きな過ちだったと思っている。
又、「営業制限の法理」doctrine restraint of tradeが19世紀後半に変化した。「営業の自由」の原則により「契約の自由」の制限から、「契約の自由」の原則から「営業の自由」の制限を含む契約の自由放任へ転換したとされている(註3)。 労働組合法認の背景として捉えたいが、ここにミニ憲法革命のような問題がひそんでいる臭いがするので別途検討する。
これは一つの説明だが、もっと単刀直入に言って、労働組合=団結とは「営業=取引を制限する刑事共謀」そのものだとみてもよい(1855年のヒルトン対エッカースレイ判決のクロンプトン判事の見解-註4)。上記の定義にコンピラシー(共謀法理)により犯罪という観点が抜けているので補足する。
コンスピラシーはイギリス法に固有といわれてます。13世紀以降の共謀法理の進展については2007/04/22ブログhttp://antilabor.cocolog-nifty.com/blog/2007/04/post_89a0_1.htmlで言及しましたが、共謀法理はエドワードⅥ世の治世1548-49年法において「ある価格でなければ仕事をしないとか、他の者がはじめた仕事の完成を引き受けないとか、1日にはある一定の仕事しかしないとか、ある時間しか仕事をしないと共謀する」ことに適用された。
コンビネーション(団結)には常に不法・犯罪の臭いがつきまとうとみなすのが、法律家の正しい感覚なのである。中西洋によれば共謀法理というものが、イギリス社会が各人の自主的な善意の連帯をひろく自由にゆだねていたことの反面だったとする。第3者を害することを意図しない人々の放任はイギリス社会の特性だから(註5)。従って真に自由な社会においては共謀罪によって第3者から害されないための制度的枠組みが必要なのかもしれない。
近代において最も偉大な法曹の一人とされるマンスフィールド卿の1783年のエックレス事件の意見はよく引用される。
「起訴状に共謀を実現する手段を記述する必要はない。何故ならば犯罪は害悪を何らかの手段をもって実現する目的のもとに、共謀することにあるからである。違法な結合が犯罪の眼目である。商品を所有する者は個人として自己の欲する価格でそれを販売し得る。しかし彼等が一定価格以下では販売しないことを共謀し、合意するならば、それはコンスピラシーである。同様にあらゆる人間は自己の好む場所で労働できる。しかし、一定価格以下では労働しないとして団結することは、起訴さるべき犯罪である」(註6)
統制と不自由に慣れきった現代人からみると厳格な個人主義的自由の論理と思われるかもしれないが、この18世紀的自由理念は称賛してよいのではないか。このマンスフィールド卿こそ1758年のランカシャー地方の織布工層の大ストライキの弾圧者(註7)でありますが、それゆえに尊敬するものであります。
上記の趣旨からすると、はじめに言及した定義で労働組合が「営業制限」というのは、例えばある価格でなければ仕事をしないとか、ある時間しか仕事をしないといった合意そのものということになる。労・使の個人的取引でない団結や協定は「営業制限」であり違法ということになる。この原則からすると労働組合が法認される余地は全くない。
しかし19世紀の判例になると、ニュアンスが違ってくる。19世紀の制定法、判例の展開は重要なので後日詳細に論じたいが、今回は簡単に言及しておきます。
一つが「営業=取引を制限するコンスピラシー」(conspiracy in restraint of trade)であり、私が理解したところでは各人が自己の労働と資本を自己の欲するところにしたがって処分する完全な自由を法は保護する考え方である。18世紀的な考え方と同じ。1855年のヒルトン対エッカースレイ判決のクロンプトン判事の見解がそうである。
又、犯罪とはされなかったが1867年のホーンビィ対クローズ判決のように、出来高払いでは働かない、解雇された場合の相互扶助の義務とかストライキ支援の目的のある組合規約を「営業制限」としたケースも類例とみてよいだろう。(註8)
もう一つは「他人の取引を侵害するコンスピラシー」(conspiracy to injure the trade of another)の概念構成である。1868年のアール卿の見解(註9)が代表的であり、結果的にいうとこの見解が労働組合法認の方向性を与えた。
取引を制限する契約を是認するが、不法な妨害を受けることなしに、取引する権利を有する者の自由意思に、強制や妨害を加えることによって、その者の取引を害するための団結は犯罪とするものであるが、この考え方は大変甘かったと私は思う。 つづく
(註1)岡田与好「経済的自由主義とは何か-『営業の自由論争』との関連において-」『社会科学研究』東京大学社会科学研究所 37巻4号1985 28頁
(註2)前掲論文 29頁
(註3)岡田与好『独占と営業の自由 ひとつの論争的研究 』木鐸社 1975(コピーからの引用で本書かどうか推定で未確認)130頁 前掲論文23頁参照
(註4)片岡曻『英国労働法理論史』有斐閣1952 129頁
(註5)中西洋『《賃金》《職業-労働組合》《国家》の理論』ミネルヴァ書房(京都)1998 66頁
(註6)片岡曻 前掲書 98頁
(註7)前掲書 99頁
(註8) 石田 真 「イギリス団結権史に関する一考察-上-労働組合の法認と『営業制限の法理』 」 早稲田法学会誌 (通号 26) [1976.03] 303頁以下
この論文はインターネットでも見ることができます。
http://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/bitstream/2065/6333/1/A05111951-00-026000277.pdf
(註9)片岡曻 前掲書 130頁
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