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2008/02/03

レイバー・インジャンクションの端緒となった1877年大鉄道ストライキについて

 極保守派主導による1895年判決の意義シリーズの続編としてプルマン・ストライキへのレイバー・インジャクションを支持した判決の決定的意義を取り上げるところであったが、その前史も重要であることがわかったので今回はその関連記事として1877年大鉄道ストライキを中心に論評する。
 
  州裁判所のレイバー・インジャンクションのリーディングケースは1888年Sherry. v.Perkins,147Mass.212である。ストライキに入った靴工組合が工場前で仲間に操業しないように呼びかけた旗を使用者の営業に対する、不法、有害な行為として差止命令を許した。又同じ年のBrance Bros.r.Svansで二次的ボイコットに対する差止命令が発給された(註1)。
  しかし、レイバー・インジャンクションそのものではないが、端緒は1877年大鉄道ストの連邦軍出動にあった。
 アメリカの鉄道は1830年に始まり、1869年には大陸横断鉄道が完成し、全国的な鉄道網が成立、1880年に営業マイル数は8万4千マイルに達した。
 重要な事は70年代以降になると競争により経営の悪化するケースも少なくなかった。1877年には、85社約1万4千マイル(全体の18%)が破産中で裁判所の管財下におかれていた。鉄道労働争議抑圧の直接的法的根拠になったのが、連邦裁判所の財産管理命令だった(註2)。
 1877年は日本では西南戦争が勃発した明治10年だが、アメリカでは7月に大鉄道ストが勃発したhttp://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/khronika/1871-80/1877_5.html。これはいかなるものだったか。このストは7月16日ボルチモア&オハイオ鉄道に始まり、他社(ペンシルベニア鉄道、イリー鉄道、ニューヨーク・セントラル鉄道など)各地に飛び火、ピッツバーグとシカゴなどで罷業者及び住民が州民兵と衝突し百名以上の死者と重軽傷者数百名が発生している。全米で貨物列車の半分が止まったとされている。全米的規模の最初のストライキであり、平時の労働争議に連邦政府が介入し軍が出動した最初の事件でもあった。背景は1873年恐慌による産業の沈滞と、大鉄道の競争激化で、賃下げが合理的経営の主要な手段とされたことだが、当時の大量の浮浪者、失業問題、都市問題が絡んでいた。
 当時の車掌組合、機関車機関助手組合、機関士組合は共済互助団体のようなものであって、指導者はストに反対していた。セントルイスのケースを除くとストは突発的、無計画で指導性が欠如しており、鉄道労働者のストに付和雷同して浮浪者、失業者等の群衆が加わり、あるいは10代の青少年が暴徒となって騒乱になるのが殆どだった。ストライキの途中で食糧等の略奪が起きている。いわゆる一揆、パン寄こせ運動のような様相も呈していたのである。警察や州軍が対応している間はストが持続しているケースが多い。州軍の民兵はストに同調したり寝返るケースも少なくなかったが、ウェストバージニア、メリーランド、ペンシルベニア、インディアナ、イリノイ等の各州に連邦軍が出動して暴徒を制圧し、ペンシルベニアの炭坑地域を除いて8月3日までに多くのストライキは解消している。このストの全容については小澤治郎の著書等(註1)に詳しいが、ここでは数例を取り上げるにとどめる。

ウェスト・バージニアとボルチモアの情勢

 7月16日のストの勃発は、ボルチモア&オハイオ鉄道の10%賃下げの通告により、ウェストバージニア州のマーチンズバーグで始まっている。労働者は機関車を列車から切り離して車庫の中に入れて賃下げを取り消すまで列車は出発させないと声明を出し、多くの群衆が集まった。警察の無力化で逮捕されたストライキ指導者を実力で奪還するなど無法状態となった。鉄道側はウェストバージニア州に軍隊の出動を要請、列車が州兵に守られて突破を試み、脱線させようとするスト参加者の1人とそれを阻止しようとした1名の兵士との間で一寸撃ちあいになっただけで、州軍の民兵は発砲を拒否したため、マシュウズ知事は法の支配を維持するためヘイズ大統領に連邦軍の派遣を要請した。20日にはスト参加者を駅構内から排除し、スト側はなお列車通行を妨害したが連邦軍が制圧した。
 騒乱はボルチモアに移った。ボルチモアでは群衆(暴徒=モッブ)が州軍本部を包囲し圧倒した。暴徒の投石に対して州軍の発砲で十数人が死亡、22人の重傷者が発生した。群衆が駅を包囲し、客車三輌、プラットフォーム、機関車から火の手が上がったが、メリーランドのカロル知事は連邦軍の出動を要請したため放火も小規模に止まり、警察と自警団の協力で事態は沈静化、30日にはボルチモア&オハイオ鉄道は新規採用者で放棄された仕事を埋めストライキは解消した。

ビッツバーグの惨状

 次に7月19日に始まったペンシルベニアセントラル鉄道ストにおける、ピッツバーグの情勢である。州軍が到着してもスト側は彼等に発砲の権限がないことを知って動揺はなく、嘲笑をもって迎え、逆にスト側が州軍を説得する場面が多くみられたという。夜になって、浮浪者を含むスト参加者の群れでごった返した。21日にフィラデルフィアからの州軍増援により事態が変わった。同じビッツバーグ市民の民兵では制圧が難しかったのでわざわざフィラデルフィアからやってきたのである。
 州軍は女・子どもを含む5千人の大群衆に一斉射撃を行った。10人ほど死んだがいずれも鉄道に関係のない労働者だった。もっともこれは命令ではなく司令官は発砲したくなかった。群衆側からの投石、嘲笑、散発的なピストルの射撃があり、偶発的にそうなった。これに対して市民が憤激し、ゼネスト状態となったためビッツバーグの州軍は解散、群衆(暴徒=モップ)は興奮状態になって鉄砲店に押し入り、数千丁の銃、ピストルが暴徒の手に渡ったため、増援部隊の州軍は群衆に圧倒されて機関車庫にたて籠もる羽目となった。
 今度は群衆が州軍に一斉射撃を行い24人ほどが死んだ。22日には放火がなされ、車庫、ユニオン駅など鉄道会社の施設に放火されたほか、79の建物、125両の機関車と3500両の車輌が放火され、数千の暴徒が貨車の積み荷を略奪、巨大な穀物倉庫も炎に包まれたが、ゼネストで消防の出動も抑えられていたのである。
 フィラデルフィアから来た州軍は逃走したが暴徒に追撃され、アルゲニー武器庫にたどり着いたが襲撃を恐れる指揮官から滞在を拒否され、12マイル離れた村にまで逃走する始末だった。
 しかし、死者53人、重傷者109人、火災発生で恐怖心を持った市民が、ストライキ支持を反省し、自警団が組織され、暴力反対の立場をとった。警察も力を得るようになって暴徒の武器も没収され、連邦軍の出動をみることなく平静に戻っていった。
 この事件は教訓になるだろう。州軍が一斉射撃の後、群衆を制圧していたなら、武器略奪、放火の惨状にまでに至らなかった。暴徒(モッブ)に対する州軍の弱腰が事態をいっそう悪化させたのである。

シンシナティの情勢

 シンシナティでは7月23日からオハイオ&ミシシッピ鉄道の列車乗務員がストに入ったが、大半のオハイオ州軍がニユーワークヘ出動中で、不穏な情勢となり午後からストの主導権が13~21歳の青少年の手に移った。彼らは駅を包囲し、機関士やレール工場の労働者を追い出した。鉄橋放火や食糧運搬馬車の略奪もあったが、市民が自警的方策をとり、鉄道労働者が武装して列車の運行を護衛した。労働者が暴徒と行動をともにすることを拒否した事例である。

セントルイスの情勢

 ここでは、自然発生的騒乱となった他の都市とは異なり、指導的で酒場など閉鎖するなど規律のあるストライキが一貫して行われた。セントルイスでゼネストを指導したワーキング゜メンズ・パーティというのはシカゴの第一インターナショナルとも関係があり社会主義者だった。23日にイーストセントルイスの執行部が貨物列車の全面停止を命ずる指令1号が出されたが、暴徒による騒乱は起きてない。何とミズーリ・パシフィック鉄道が25%の賃上げで妥結する(実は連邦軍の搬送のための策略だった)。しかしスト執行部は24日の指令第2号でどの鉄道も妥結すべきではないとした。鉄道以外でストが広がり、午後遅くに群衆が駅に集まってきた。すでにヘイズ大統領はシンシナティとセントルイスへの連邦軍の派遣を考慮しており、午後6時には陸軍400人がユニオン駅に到着、州知事の要請はなくただ単に連邦政府の公的財産を守るために出動したとされた。夜、鋳型工と機械工のデモがあり、ルーカス・マーケットで1万人集会がなされた。対して公安当局は、陸軍長官に1万挺のライフル銃、2000挺のピストル、1砲兵中隊の派遣を要請。25日商品交換所は閉鎖して従業員を州軍に参加できるようにするとともに、自警団の組織化と州軍の増強がはかられた。労働側もストを拡大させ示威行進を行い不穏な情勢は続いたが、26日には南北戦争で活躍した前将軍たちが州軍の指揮をとることとなり、野戦病院まで準備され、鉄砲店は在庫をすべて市当局に提供した。労働側との戦争準備は整った。27日小競り合いが起きたが、騎馬警官隊が群衆を蹴散らした。スト側の執行部でいざこざがあり、組織力は低下していくことになる。あと数日ストが続くと、石炭不足でセントルイスの全産業の操業が不可能になり、騒動がおきかねない情勢だった。
 ミズーリ州側は厳戒態勢だったが、問題はミシシッピ川を隔てたイリノイ州側のイーストセントルイスである。鉄道労働者の町であり労働者がリレー駅を占拠し、セントルイス・ユニオン駅との通信も労働者が支配しており、市政も労働者の手中にあった。イリノイ州軍は非力なので、連邦軍の出動が必要だった。干渉の良い口実があった。イーストセントルイスでストにより列車が止まった鉄道のいくつかが破産中で連邦法廷の管財下にあったのである。財産管理命令というかたちでの連邦政府の干渉を行うことになったのである。ここで大活躍したのがセントルイスの連邦地方判事サミュエル・トリートとシカゴの連邦巡回区控訴裁判所判事ドラモンドである。
 29日朝、連邦軍はイ-ヅ鉄橋を占拠し、イーストセントルイスのリレー駅に軍隊は向かった。労働者は逃げたものの、なお貨物列車停止の抵抗が続いたが、多数の労働者が逮捕されるに及びストは崩れていった。31日秩序は回復しセントルイスの州軍は解散した。
 セントルイスのケースも良い教訓になるだろう。労働者評議会型のゼネストに対し公安当局、反労働者の陣営は決然たる姿勢で武器を準備し野戦病院を準備し南北戦退役軍人部隊まで動員して労働者との戦争に備えた。モッブ(暴徒)による放火、略奪のような無法状態は回避することができた。
 

連邦軍出動の法的根拠

 1877年大鉄道ストの連邦軍出動の法的根拠は、(1)州内反乱の抑圧援助(修正法律5297条)、(2)武器庫等連邦財産の保護、(3)連邦裁判所の管財命令である。郵便逓送妨害や、州際通商の妨害は根拠とされていない。インディアナ、イリノイ、カリフォルニアに出動した(3)のケースが直接労働争議の抑圧のためのものであるが、、最初にストが勃発したウェストバージニアやメリーランドのケースは(1)に該当し、平たく言えば暴徒を鎮めることであって、労働争議を直接抑圧することを目的とはしていない。にもかかわらず(1)(2)の根拠で、罷業者など群衆によるピケを排除・防止するとともに会社側のスト破り等の列車の運行を確保しており、実質的に労働争議抑圧の手段になった。この場合1894年のプルマン・ストライキのように、郵便逓送の妨害や、州際通商の妨害を根拠としたインジャンクションのほうが理屈としてはわかりやすいとはいえるだろう。
  
 (3)のケースがレイバー・インジャンクションの端緒とされる。King V.Ohio & Ry.,14Fed.539であるが、これは会社の管財人の財産管理命令である。管財人は裁判所の職員であり、その職務執行妨害は法廷侮辱罪を構成し、略式手続により科罰の対象とされたのである。
ドラモンド巡回区判事による判決は、管財人の占有におかれた財産は裁判所に属する財産であり、裁判所が使用する総ての手段によって保護をうけるとし、被告たちを含む群衆は、駅を占拠し、会社の被用者を脅迫して列車の運行を妨害した。会社財産に直接の損害はないが、数日にわたって列車の運行が停止した。列車運行に対する直接の妨害は、本廷の命令不服従を構成し、法廷侮辱罪が成立する。そしてそれは「個人および公共の利益に対する重大な侵害である」列車の妨害は公共の権利に対する侵害であり、彼等が自ら労働を放棄するにとどまらず暴力や脅迫により、他人の労働を侵害していると述べた(註2)。
 私は、他人の労働を侵害していることを不法としていることを重視したい。これは他人の権利を侵害するコンスピラシーの法理を想起させる。説得活動・ピケッティングの抑制の重要な論拠だろう。
 1848年ハント判決により刑事共謀法理がすたれたわけではないのである。辻秀典によると団結活動それ自体は、目的・適用の両面にわたって厳しい制約の下にあったのである。ピケッティングや説得活動であるが、適法とされるのは「個別的自由の集合ないし総和」と認められる限りの行為であって、いささかでもこれを超える要素があると判断されれば違法とされたのであって裁判所の許容する範囲は極めて狭かった。共謀法理の適用でなく、管財妨害を論じている判決でも受け継がれており、不法な妨害行為とされたのである(註2)。私は平穏なピケッティングを認めた1941年のソーンヒル対アラバマ事件それ自体批判的なのであって(註4)、1920年代以前のピケッティングの評価が正しいと考える。

 鉄道管財制度によって連邦政府は初めて、鉄道争議に直接的に介入したのが、この事件であった。鉄道会社は、管財下の鉄道会社の財産管理命令だけでなく、管財下におかれてない鉄道会社の争議抑圧にも適用されることを望んだ。1888年に至って、バーリントン鉄道争議事件で管財下の会社の枠を超え、レイバー・インジャンクションが発給されるに至る。
 
 引用文献その他
(註1)秋田成就 『公企労センター調査研究資料第40号 違法争議行為抑制措置としてのレイバー・インジャンクションについて-諸外国における実情を中心として』公共企業体等労働問題研究センター 1975-77
(註2)辻秀典「アメリカ労働法における団結権思想の一齣」前田達男・萬井隆令・西谷敏編『労働法学の理論と課題』有斐閣1988年
(註3)小澤治郎『アメリカ鉄道業の展開』ミネルヴァ書房1992年。このほか1877年ストに言及している著作として、ハワード・ジン著猿谷要監修富田・平野・油井訳世界歴史叢書『民衆のアメリカ史上巻-1492年から現代まで』明石書店2005年、辻秀典「アメリカにおける連邦鉄道労働政策の起源--アメリカ鉄道労働法の研究緒論」『広島法学』6巻2号1982年からも引用している。

(註4)アメリカでは、いうまでもないが、労働基本権などというものは憲法で保障されているわけではない。だからエプステイン教授の言うように、1932年ノリス・ラガーディア法も、1935年ワグナー法という悪法もその気になれば廃止できる。私は1925年以前に時計の針を戻すべきだと考えるが、ただ1941年のソーンヒル対アラバマ事件THORNHILL v. STATE OF ALABAMA, 310 U.S. 88 (1940) http://caselaw.lp.findlaw.com/scripts/getcase.pl?court=us&vol=310&invol=88という連邦最高裁判決がある。労働者が労働争議の事実について平穏なピケッティングに訴えることは、憲法修正第一条の「表現の自由」に含まれるとし、かかる事件にアラバマ州のピケッティング禁止法を適用することは違憲と判示したものであるが、表現権の範疇として平穏なピケッティングを容認することにより、実質的に争議権を法認したものとされている。(田島裕『アメリカ憲法』信山社2004年)
 判決文起草者はマーフィー判事である。カトリック教徒の博愛主義者で人権派の裁判官ですね。日系アメリカ人の強制収容を合憲としたコレマツ判決TOYOSABURO KOREMATSU v. UNITED STATES, 323 U.S. 214 (1944)323 U.S. 214 http://caselaw.lp.findlaw.com/scripts/getcase.pl?court=US&vol=323&invol=214ではデュープロセスに反するとして強硬な反対意見を記し、日本人の血が流れている者の人権を擁護した。山下奉文陸軍大将の死刑執行の差止めと人身保護令の発出を求める請願を却下したヤマシタ判決APPLICATION OF YAMASHITA, 327 U.S. 1 (1946) http://caselaw.lp.findlaw.com/scripts/getcase.pl?court=US&vol=327&invol=1でもマニラ軍事裁判は無効として反対意見を記している。日本人の一人として敬意を表すべき事柄かもしれないが、私はマーフィー判事の平穏なピケット容認論には反対なんです。ストライキはリスクの大きいギャンブルです。単なる職場放棄、ウォーキングアウトでは協約締結の圧力にはならない。スト破りに、ピケラインを突破されたらストは敗北ですから、ピケッティング、哨戒行為は殺気だった状況であらゆる手段を使ってくる。威嚇、脅し、暴力はつきものです。平穏なストライキなるものは幻想にすぎない。
 平穏なピケッティングを表現権として容認するなら、トップレスバーのダンサーの裸踊りを表現の自由に含ませた方がよっぽどまし。ストーカーを規制するならピケット規制すべきだというのが私の考えです。

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