公務員に労働基本権付与絶対反対-政府は巨悪と手を結ぶな

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2008年5月の17件の記事

2008/05/28

痛恨の極みだが、川田亜子のように死ぬことはない

 公務員制度改革で玉虫色的表現を残しつつも、団体協約締結権付与に道を開いたとされている決着は痛恨の極みである。http://www.asahi.com/politics/update/0528/TKY200805280116.html。締結権を付与したら公務員が労働組合の職務統制に支配されていく可能性が強い。そもそもこの問題は森内閣の頃から足かけ9年ぐらいになるが、理論的に明快に改革は必要だが、労働基本権は付与しないことが正しいという対抗言論を展開できず8~9年無為に過ごしたことは非常に後悔している。もっともその間に停職1ヶ月の他、特別指導職員とされ昇給停止や、不本意配転、狭心症、心筋梗塞の発作と、手術があり、健康状態も思わしくなかったので、意欲がそがれた投げやりになった面もあるが、しかし川田亜子のように人生に絶望せずに、地道に対抗言論をやっていく予定である。
 『海外労働情報』2003年4月号「難航の公共部門、Verdiが賃金協約締結 」
 という記事http://www.jil.go.jp/jil/kaigaitopic/2003_04/germanyP01.htmlにドイツの公共部門ストライキについて載ってます。それによると
 「難航を極めた交渉の最終段階で、Verdiは交渉決裂の場合には1月末から新たな戦術を取り入れて無期限ストに打って出る強硬姿勢を示していたが、これに対する使用者側の譲歩の背景には、1992年のOTVのストで、多額のコストとともに市民生活に大きな支障を来したという事情がある。同年の公共部門のストでは、公共部門の労働者と郵便・鉄道関係の職員約40万人が11日間ストライキを行い、この間バスは止まり、郵便は遅配され、収集容器が放置されてごみ収集が滞る等、6大経済研究所の一つミュンヘンのIfo経済研究所の試算では、このときのスト関連の損失は10億マルク(当時)に達したとされる。その意味では、使用者側の今回の譲歩も、ストの損失を回避するためと言える。しかし財務省の試算によると、今回の公共部門の協約締結で連邦・州・自治体にかかる財政負担は、2003年が25億ユーロ、2004年が29億ユーロの合計54億ユーロであり、このような財政負担を招いた使用者側の大幅譲歩に対しては、財政の逼迫する州・自治体レベルの不満は大きい。1パーセントの賃上げで自治体の財政負担は年間7億ユーロ増加するとして、ゼロ回答に近い妥結を要望していたシュラム市町村連合会長は勿論、州・自治体レベルでは、交渉団体からの離脱の声のほか、現行の連邦主導による労組との協約交渉の在り方自体に疑問を呈する声が上がっている。」
 ドイツの公共部門にみられるように協約締結交渉が決裂した場合、長期ストを打つぞという脅しは相当きくし、多大の財政負担を強いられることになる。
 

 
 

2008/05/25

感想 リチャード・フロリダ『クリエイティブ資本論』

  都市経済学者の6年前のベストセラーの翻訳。井口典夫訳ダイヤモンド社2008年。通俗的な軽い本のように思えるが、データや情報が豊富なのと、ショアーの『働きすぎのアメリカ人』を批判的に検討しているところに引き込まれて、買ったわけです。
 結論を先に言うと、ビジネス環境より、人材の環境という著者の見解は一面的のように思う。都市のランキングについて、移民に寛容な都市、寛容さの指標であるゲイの人口比率、ボヘミアン的文化を過当に高く評価しているのではないか。
  私はプロビジネスの労働権州支持の立場ですから、クリエイティブクラスが南部や中西部の保守的な小都市を好まないという見解には不満を持ちます。
 著者の分析ではワーキングクラス(製造・建設・輸送労働者)の人口比率の高い都市はクリエイティブクラスが嫌うということで、例えばバッファロー、グリーンズボロ=ウィンストン・セーラム、ジャクソンビル、ルイビル、オクラホマシティといった都市について、単に統計的データで過当に低く評価されているのではないかという疑問もあります。
 著者はノースカロライナ州のシャーロット、グリーンズボロ、ウィスンストン・セーラムを「古典的社会資本コミュニティ」(344頁)と定義しクリエイティブな都市とみなしていませんが、シャーロットにはバンカメやワコビアがあります。ウィンストン・セーラムにはクリスピークリームドーナツがあります。グリーンズボロにはVFがあります。少し古い感覚じゃないですか。

  著者はフェニックスやシャーロットのようなビジネスマンにとってホットな都市を評価することなく、知識労働者の集まりやすい大学都市を高く評価する傾向が多分にあります。オースチン、ボルダー、ゲインズビル、マディソン、オルバニー、ブルーミントンなどですが、少し偏った見解のように思えます。

ローリー=ダーラム(ノースカロライナ)は2004年のランキングで才能(高学歴者の人口比率)2位、ハイテク指数で5位なのに寛容度が52位なので総合評価6位にされてしまってます。57頁にコトキンが引用され「リサーチトライアングルにはサンフランシスコ、シアトル、ニューヨーク、シカゴのような『流行にさとい』都会のライフスタイルがなく、ノースカロライナ大学の研究者は『ローリー=ダーラムにあるのは養豚場だ』と嘆いている」とぼろくそに書かれてますが、ノースカロライナは数年前まで宝くじも勤勉に働く道徳に反するとしてやっていなかった健全な土地柄だから、猥雑な刺激がないのは仕方がないことで、不当な評価のように思う  (一方で、著者はチャペルヒル(ノースカロライナ)は世界的に有名な音楽シーンがあることを評価してはいる)。


  この本で、私が感心したのは、クリエイティブクラス、知識労働者の長時間労働の分析だ。ワークライフバランスは良くないという論拠となる記述が多くあるので、使えると思った。
まず2001年のILOのデータが示され、アメリカ人は日本人より年間137時間長く労働し、ドイツ人より年間500時間長く労働している。一日で労働に費やす時間は長くなり休暇は少なくなる傾向にある。 私が、時短は時流に反すると言っているのはこのことである。
  私は、ホワイトカラーエグゼンプションを広範に導入する必要性として、組織のフラット化による非管理職への権限委譲を挙げているが、それは顧客第一主義の帰結でもある。顧客の苦情やサービスに即応するためには現場の判断で機敏に対応していかなければならないのである。従来、意思決定や評価は監督者の手中にあったが、品質を改善し、顧客のニーズに応えることができないため、権限、裁量を下層部の従業員に移し、官僚的な階層を排除し、仕事の定義はフレキシブルなものになっていること。エンパワーメントといって平社員も経営者と同じ意識を持って創意工夫、アイデアを出していく企業文化が評価されていることなどである。以上は普通の社員についての議論だが 知識労働者の長時間労働はより必然的なものであろう。著者の主張のようにクリエイティビティが経済成長の鍵というならなおさら、当然のことながら労働時間規制はなくしていくべきだろう。
 

 著者によれば「企業が生き残るためには、常に昨日を上回ることが不可欠である。従業員はたえず斬新なアイディアを生み出さなくてはならない。常により迅速で、経済的かつ効果的な方法を見いだしながら」171頁「クリエイティブ経済では主に新規性、多様性、カスタマイズがマーケティングの基本となっているから‥すべての改良や商品の差別化には‥‥膨大な時間を投入しなければならない」
  長時間労働の理由は同僚からの圧力(チームで仕事をするため)もあるが「大半の人々は望んで長時間働いている」194頁「やりがいや、仕事そのものが好きだからである」193頁「10人のうち7人が仕事の楽しさを平均ないしそれ以上と回答した」193頁。優秀な人でも長時間労働になる。なぜならば、周囲から頼りにされ支援を求められ、しばしば仕事が中断するからだ。
  著者は聞き取り調査をしているが「長時間労働について不満をもらす人はめったにいなかった」「新たな時間のかかる課題を、必要もないのに引き受ける人が多かった」「時間のかかる起業に参画し、賃金労働より志願労働を優先する」彼らの不満は働く時間が足りないことだ。(195頁)ということです。
  又、大部分のクリエイティブクラスの職業では仕事は「前倒し」で行われる。若いうちに長時間猛烈に働いて、市場価値を高めることが重要なのである。200頁。
仕事を優先し生活は後回しでいいんですよ。人生で成功するためには若いうちに評判をとって経歴に差をつけなければいけないわけですから。 202頁
  仕事優先で私生活は後回しというプレッシャーが最高潮に達したのは、ニューエコノミーが急成長した頃だがハイテク企業では仕事優先の欲求は継続している(202頁)と書かれています。仕事優先は当然なんですよ。
 ワークライフバランスなんて糞食らえと言いたい。この競争環境では三度の飯より仕事が好きな人が望ましいのですよ。仕事が楽しくてたまらない人は競争環境でもストレスがない。「『社員は自分の大好きな仕事をやりなさい。会社は社員が仕事が好きでいられるようにしてやりなさい』がシスコ・モデル、チェンバース・モデルです。(デービッド・スタウファー(金利光訳)のワールドビジネスサクセスシリーズ『Eコマースで世界をリードするシスコ』三修社2004年)。つーか、企業も優秀な社員を引きつけるために、居心地の良い職場環境が整備されている。よく知られているのは、夜食やクリーニングのサービスのあるクァルコムとか、ドリンク無料支給のマイクロソフト、レストラン食い放題のグーグルですが、なおさら長時間労働になるわけですよ。
 だから日本の内閣府や厚生労働省がやっている、フェミニズムに迎合したワークライフバランス政策は、男も育休を取って女並みになれ、ノー残業で男も早く家に帰させて家事負担をやらせろ、有給休暇完全取得促進みたいなばかげたことをやっていたら、この国際的競争環境で生き残ることはできません。

やっぱり労働権州がビジネスに適している

1月のニュースで古い記事ですが、
「Chief Executive」誌が毎年行う、「ビジネスに適した州」ランキング(各企業のCEOに対する調査)http://www.chiefexecutive.net/ME2/dirmod.asp?sid=&nm=&type=Publishing&mod=Publications%3A%3AArticle&mid=8F3A7027421841978F18BE895F87F791&tier=4&id=825A023151814D3080CA036D026E6E69によると、1位テキサス、2位ネバダ、3位ノースカロライナ、4位バージニア、5位テネシーでベスト10のうち、8位のインディアナを除いて9州がRight to Work States労働権州(雇用条件として労働者に組合加入と組合費の支払いを義務づける組合保障協定を定めた労働協約の交渉を禁止する)です。

労働権州の地図http://www.nrtw.org/rtws.htm

2008/05/23

感想 山田昌弘・白川桃子共著「『婚活』時代」その1

 日テレ記者が紹介していたディスカバー携書の本、買いましたよ。
 美容院で髪をセットし、GAPでデート用のカジュアル一式を店員に頼んでそろえておくこともしないようじゃ結婚は無理とか書かれてましたが、なるほど。私には絶対に無理、美容院なんて恥ずかしいし、デートという言葉自体が桃色遊戯を連想し恥ずかしくて店員にすら発せられないたちだから。結局、生涯未婚者です。
 そもそもGAPを知ったのが流通業界研究サイトの鈴木敏仁のサイトです。 http://retailweb.net/index.html 「ウォルマート絶対支持論」をこのブログで書くために参考に見ていたわけですが、基本的にアメリカの非食品リテーラーと外食産業は組合不在で反労働組合的ですから、業界には好意的なわけですよ。
 アメリカ最大の衣料品小売ということで、社会勉強のために上野丸井の地下にあるGAPをのぞいてみましたが、アメリカが嫌いなわけではありませんが、買いたいものはなかった。日常衣料品は西友あたりで買うので、わざわざGAPで買うという発想はありません。もうその時点で結婚は無理ということですか。

2008/05/21

感想 宮田智之 「連邦最高裁判所、 テキサス州のソドミー法に違憲判決」

ローレンス対テキサス判決の要領の良い論評http://www.ndl.go.jp/jp/data/publication/legis/219/021904.pdf 外国の立法219号2004年2月
ケネディ法廷意見の難点として、バウアーズ対ハードウィック判決のスティーブンス反対意見を支持しているところが問題。道徳に対する罪を否定するのはリベラルな刑事政策で、私はそれを否定しないが、実体的デュープロセスという憲法上の権利とまでいえるかは疑問である。

2008/05/20

子育て支援政策は直ちに中止すべき

 時短・残業免除を義務化へ子育て支援で厚労省という記事がありますが。http://sitesearch.asahi.com/.cgi/sitesearch/sitesearch.plばっかじゃないの。時代錯誤ですよ。ドイツやフランスでも時短の行きすぎが見直されてるのに。民間企業も公務員みたいなとろい働き方にしようなんて。
だいたい次世代育成支援とか少子化対策とか、出産とか子育てといったドメスティックな領域に政府が干渉することが不愉快です。産みの苦しみは神が女に与えた罰なんだから、支援する必要なんてない。出産費用がかさんで、救貧民に転落しようが、昔はかまっていなかったわけですよ。何もかまう必要はないです。
キャリアウーマンって、男と同じ土俵で働かないといけないんですよ。仕事か子どもか選択の自由があるんだから其れで機会均等で十分だ。
だいたい子どもなんてコスト以外の何物でもないんですよ。自分より出来の良い子どもが生まれるとは限らない。むしろ親に反抗したり非行に走ったりするわけです。子どもに継承させる家業も財産もないわけだから、子どもなんて必要ない。最近の女どもは、男も育児に参加しろとか厚かましいこと言うから、余計子どもが嫌いになるわけ。
  しかも少子化対策の実質的効果もが疑問なわけで、効果がある政策の一つは、大卒女子の賃下げでしょう。私はアドキンス判決支持と言っておりますから政府の賃金統制には反対ですが、何が何でも少子化対策と言うなら。
つまり女子は高卒と大卒の賃金格差が男子より大きく、進学による経済的効果が大きいと認識されていることが、女子の高学歴化を促すと同時に教育投資効果を回収するため、結婚を遅らせますから。
第二に男女雇用機会均等法その他の、女性の社会進出を促し、継続雇用を保障するような政策を全廃することです。
シカゴ大学のエプステイン教授は、公民権法タイトル7のような雇用差別禁法はいらないと言ってますが、共鳴できる見解です。 
 合衆国のタイトル7より、我が国の女性労働政策は悪性だからなおさら。
 つまり女性の社会進出を歓迎し、継続雇用保障と女性特別待遇を後押しする政策が、男に頼らなくてもやっていけるとの期待を持たせ、結婚して苦労を分かち合う生活より、独身の方が収入を独占できるので、晩婚化と未婚化を促していると考えられるからだ。
 70年代までは、大抵の女子は高卒で就職して適齢期の結婚で退社してたわけでしょ。だから私は80年代に大手都市銀行が高卒女子採用を短大卒に切り替えたのが、少子化問題の発端だったと考えております。

2008/05/18

感想 根本猛「男女別学の合憲性 ―VMI判決を中心に―

  1996年のバージニア州立士官学校の男性のみを入学させると言う政策が平等保護条項に反し違憲(7対1)とした判決の論評。http://ir.lib.shizuoka.ac.jp/handle/10297/1343静岡大学法政研究3巻2号1998年。
  ワースト判決だと思う。フェミニストのギンズバーグ判事の法廷意見は不愉快だ。
  私はスカリア判事の原意主義とは立場が異なるが、建国以来の長い伝統に支えられた慣行を覆すべきではない。男女別学の教育的価値について司法部が干渉すべきではないとする反対意見に大筋で同意する。
  そもそも、私は女性差別を平等保護条項で違憲とした1971年のリード判決がウーマンリブに迎合したものとして反対なのである。クレイグ判決で採用された中間審査基準も厳格過ぎると思っていた。ホーガン判決も5対4の僅差だったはず。
  ところがギンズバーグ法廷意見は9回も性差別が正当化されるためには「非常に説得的な正当化理由」が必要だと述べ、これは厳格過ぎるし(強められた中間審査基準)、中間審査を採用した先例からも逸脱しているというスカリア反対意見に同調する。

感想 根本猛「女性天皇と法の下の平等に関する小論」

 根本猛という憲法学者の最大の業績は鉛の被曝を避けるための胎児保護ポリシー(間接的母性保護)を性差別と断定し違法としたジョンソンコントロールズ判決の論評を書いた数少ない学者だということだと思います。当ブログでも引用させていいだいてます。「反女性・女性敵視主義宣言(2)」http://antilabor.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/post_f099.html我が国でも女性差別問題は関心が高いのに、ニューヨークタイムズが賞賛する重要判決が全くといっていいほど無視されている。母性保護の否定がフェミニストの意向にそわない判決だからですが。
 ただ私はこの人の思想傾向には反対します。労働基本権が人権だなどとばかなことを言ってますから。これです。http://jinken.pref.shizuoka.jp/meeting/nemoto2.htm大学の労働組合の書記長を務め、20年間で100万円の組合費を払ってますとか書かれています。
 それでも比較的まともな学者であるということは「<論説>女性天皇と法の下の平等に関する小論」 『静岡大学法政研究』3巻3・4号1999年http://ir.lib.shizuoka.ac.jp/handle/10297/1344(フルテキスト)の結論が「男系主義を違憲とする根拠として憲法14条の法の下の平等は不適切」としていることである。
 論旨は、違憲論者はことさら男系主義を問題視するが、長系主義も生まれつきの属性による差別であり、平等な相続権を認める新民法の原則にも反している。
男系主義が違憲なら長系優先も違憲だ。長幼の序はそれ自体差別思想だから。皇位継承を平等原則と合致させるとすると、皇位継承の法定自体が不可能というもの。
 ここから私の意見だが、選定相続なら平等なのだろうか。これは政治的に決定されることから、平等とはいえないだろう。有資格者のなかから国民投票で選出するか、もっとも平等なのはくじ引きによる選出だろう。
 平等原則にこだわるなら、くじ引きで、男女長幼直系傍系の差別をいっさいなくすべきであるということになる。むろん私はこういう考え方にも反対する。
 

2008/05/17

「小中生は携帯所持禁止」に絶対反対

 教育再生懇談会が提言するそうだ。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080517-00000093-jij-soci福田首相が言ったから、鶴の一声で決まったのか。携帯電話を電話機能と居場所確認に限定させると言いますが、このIT時代に全く馬鹿げている。子どもにどういう服装をさせ、どういう持ち物を持たせるかは、親の子どもに対する身上保護権、監護教育権の範疇と思いますから、政府がパターナリズム的に干渉することは間違いだと思う。一方で、やれプライバシー保護だ人権擁護とわめきながら、ドメスティックな領域や個人の自由に干渉しようとする政府のやり方は不愉快千万。
 子どもの幸せを願っているのは誰よりも両親なのであって政府ではないし、子どもから携帯を取り上げて、福田やそれに追随する御用審議会の連中は子どもの幸せを保障してくれるのか。
 子どものうちから、世の中の汚いこともわかっていたほうがいいですよ。私なんか携帯電話の機能で電話しか使ったことがない。使い方がわからないんで苦労している。子どものうちからIT機器に慣れた方がいいですよ。
 インターネットは有害だという発想が間違っているし、中学生は大人並みに分別わかってまよ。中学生をインターネットを使わせない、第二級市民にして差別することに反対。

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角田文衛博士の訃報に接して

 私は全く素人であり、別になんの縁もゆかりもありませんが、当ブログで多く引用させていただいているので一言、書きます。よそのブログも覗きましたが、大胆な切り口で緻密な検証とか書かれてますね。
 宮廷史、後宮史、女性史の業績を中心に読みましたが、面白いだけでなく、歴代后妃、斎宮、女官表、女性の名前については資料として使い勝手がよく便利なものを多く残されている。『日本の後宮』 限定版学燈社1973年や、『日本の女性名- 歴史的展望』国書刊行会2006年です。
 物事をはっきり言うんでわかりやすいんです。首皇子(聖武)には異母兄弟がいたが、藤原不比等と県犬養三千代の陰謀により追放されたとか(「首皇子の立太子について」たぶん『律令国家の展開』塙書房1965)。井上皇后廃后事件は、藤原百川の母あたりが仕掛けたとか。
 『伊勢物語』の二条后(藤原高子)と在原朝臣業平の恋愛事件について、多くの学者は消極的な姿勢で史実性を認めているが、角田文衛氏は高子は文徳生母皇太后藤原順子の東五条第に預けられていたが、貞観元年十二月~二年正月皇太后宮東五条第西の対に業平が忍び通いをしたと断定したうえで、応天門事件の真の標的は右大臣藤原良相を失脚させることにあり、藤原高子の入内問題が背景にあるとわかりやすい説明である(「藤原高子の生涯」「良房と伴善男」『王朝の映像』東京堂出版1970、『二条の后藤原高子』 幻戯書房、2003年)。崇徳天皇の実父が白河法皇であるということも断定してますね。その立証も生理日をカウントする綿密さである(『待賢門院璋子の生涯』 朝日選書)。
 稀代の策略家として藤原良房、忠平、師輔、忠通を断定的に論じていたが、人物評価も白黒をはっきりさせるので素人にはわかりやすいのである。しかし裏返していうと政治的に勝利するためには多少のずるさ、策略は必要だという教訓のようにも思えた。

2008/05/15

感想 根本猛 「実体的適性(ママ)手続の新たな射程 ― いわゆるソドミー法をめぐって ―」

   ローレンス対テキサス判決の論評です。静岡大学法政研究9巻4号http://ir.lib.shizuoka.ac.jp/handle/10297/1290気になったのは引用されている次のBarnetの論評

----ローレンス判決はニューディール憲法学の転換を画するという。すなわち、ローレンス判決が革命的なのは、ゲイの権利を承認したからではなく、ニューディール後の憲法判例の枠組み「合憲性の推定」対「基本的権利」を壊すことになるからである。繰り返し報道されているのとは反対に、ローレンス判決は、「プライバシー権」ではなく「自由」を保護したのである----

私は、実体的デュープロセスによる司法積極主義それ自体は好意的なので、もしそうなら、決して悪くない判決かもしれない。しかし、ケネディ判事にそこまで深い意図があったのかは疑問だろう。
 要するに私の意見は「ゲイの権利」なんて認めたくない、そんなんだったらロックナー判決を復権させたほうがよっぽどましということ。

感想 會澤 恒 「憲法裁判におけるトランスナショナルなソースの参照をめぐって 」

 ブログは他者に読んでもらうのが基本だが、読書カードとしても使える。電子データでプリントアウトできる研究論文は増えていくだろうから、素人なので出来の善し悪しは判定できないが、斜め読みでも多くの量を読んでいきたいと考える。
 上掲の論文『北大法学論集』 58巻4号http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/handle/2115/30250(フルテキストが読める)であるが、テーマがしぼられていて手堅い内容に思えた。
 テキサス刑法による成人間の合意による男色行為の処罰を6対3の票決で違憲判決を下したローレンス対テキサス州事件(Lawrence v. Texas, 539 U.S. 558 (2003))は、先例の1986年のバウアーズ対ハードウィック事件(ジョージア州のソドミー処罰法を合憲とした)を覆したことで大きな反響を呼んだが、私は判例変更に反対であり、ローレンス判決はワースト判決と考えている。
 ケネディ法廷意見はかなり問題があると考えるが、その1つの論点として、法廷意見が先例、バウアーズ判決の5年前に欧州人権裁判所が同意に基づく同性愛行為を禁止する法は欧州人権条約の下で無効としていたのに、合憲判断をとったことは誤りだったとしている点である。
 いうまでもなく、憲法判例で外国の裁判所の判断に追随したり拘束される理由はなく、先例を覆す典拠にはなりれえない。引用は不適切であると考える。いつからアメリカ合衆国は欧州の子分になってしまったのか、そんなばかな。合衆国最高裁と比較したら欧州人権裁判所なんてくだらないし、たいした権威はないでしょ。
 なるほどヨーロッパの趨勢は80年代には同性愛は非犯罪化が進んでいた。しかし外国の意向にふりまわされる必要はないのである。欧州はアメリカと比較して世俗化がすすんでおり、アメリカ人ほど教会の礼拝に熱心とはいえない。だからバッグラウンドは同じではないです。
 スカリア判事の反対意見「この裁判所は、外国のムードや流行やファッションを、アメリカ人に押し付けるべきではない」に賛同します。
 アトランタオリンピックの開会式の行進で欧州の女子選手団や日本の田村亮子なんかが見たくもないミニスカートでしたが、アメリカ選手団はロングスカートだったのをよく覚えてます。アメリカはミニスカートについて日本ほど許容的ではないです。それと同じことですよ。
 ただし私は「被害者なき犯罪の非犯罪化」といったリベラルな刑事政策に賛成なんですよ。とくに売春と賭博ですが、しかし、ユダヤ-キリスト教2500年の伝統、道徳的倫理的基準から逸脱する男色行為を憲法上の権利とすることはないでしょうということです。バウアーズ判決の補足同意意見でバーガー主席判事が「至福千年の道徳的教訓を棄て去ること」はできないとしましたが名文句だと思います。
 合衆国は売春に厳しくて、ネバダ州の一部以外は違法のようですが、もともと西洋文明社会は娼婦は職業として認められていた。古代ヘレニズム世界にコリントだけでなくどんな都市でも神殿娼婦はいたでしょうし、中世であればローマであれ、パリであれどんな都市でも多くの娼婦がいた。コモンローは売春それ自体を犯罪とはしていない。聖職者と娼婦は相性がいいんですよ。売買春は単婚婚姻非解消主義のキリスト的文化を維持するためのコストでもあったと考えます。男色だけ憲法上の権利になってしまうんじゃおかしいじゃないですか。売春婦より同性愛者の政治的発言権が圧倒的に強いからでしょうか。だとすれば政治的な判決のように思える。
 以上は私の意見でしたが、上掲論文は最高裁判例における欧州人権規約や欧州人権裁判所判例のようなトランスナショナルな典拠の善し悪しについて考察しているものですが、結論がわかりにくかった。
 スカリア判事が反対するのは原意主義から論理的な帰結としているが、反対論者の主たる見解は、トランスナショナルなソースによって解釈する技法が、アメリカのコモンローの伝統と相反するものだというものである。しかし、ドレッド・スコット判決やレイノルズ判決、ミュラー対オレゴンのような著名判決でも外国法を参照しており、トランスナショナルなソースの参照が新奇なものであるわけではないということも指摘されている。
 とすると、外国法の参照それ自体、否定はできないだろう。しかし、ローレンス判決の欧州人権裁判所の引用はくだらなさすぎるし、先例を覆すのにくだらない欧州人権規約なんかをたてまつるのはひどいと思ったわけである。

2008/05/13

新聞記事の感想

  本日の読売夕刊11面に日テレ文化部記者の鈴木美潮のコラムがあって、山田昌弘・白川桃子共著「『婚活』時代」という本を紹介してます。少子化の直接の原因が未婚化であるのに、保育所整備や育児休業導入などの子育て支援政策に疑問を呈していることを紹介している。この本は読んでませんが、要するに少子化対策は完全に間違っており、フェミニストが喜ぶ政策にすりかえられているということです。それはそのとおりでしょう。

2008/05/10

だから、児童ポルノに目くじらたてるなって言うのさ

 「冬ソナ」の純愛イメージ壊す韓国の性犯罪事情 」という日刊ゲンダイ(あんまり信用できないメディアですが)の記事に次のようにあります。  http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080505-00000009-gen-ent

「朝鮮日報によるとると、10代人口10万人当たりのレイプ犯の数は、米国の2倍、日本の10倍という。」韓国では「出版物に乳首を載せることすらご法度」という。
 いうまでもなく、日本はアメリカや韓国より性的表現物が氾濫しているわけですが、日本の場合、基層文化に、性欲が罪悪という思想がないこともあるでしょうが、明らかに性的表現物は若者の性欲の代償的充足になっており、かなりの性犯罪抑止効果があると考えます。かつて宮台真司が「コンビニで『投稿写真』を買えるのは嬉しいね」みたいなことを言ってましたが、正しい見解ですよ。それでかなりの性欲が充足されます。
 日本より韓国で圧倒的にレイプが多い理由の一つは性的表現が解放的でないことをは前から言われていたことです。但し、私はネットウヨでないし、文化相対主義的に韓国の伝統文化も尊重します。いや韓国が正常で、日本人男性に元気がなさすぎるのかもしれません。
 日本人男性はおとなしいのに、やれセクハラだ、女性専用車両だと過剰に女性を保護しようとして非常に不愉快な社会になっている。

2008/05/06

正平一統の記述に関する訂正

 五月病のような無気力状態になってますが、2005年10月10日ブログhttp://antilabor.cocolog-nifty.com/blog/2005/10/post_f888.htmlにおける次の直仁親王の廃位に言及した記述につき廃位されていなかったことが小川剛生氏の著作でわかったので、廃太子の記述をカットして訂正したいと思います。(すでに訂正しているがその理由を述べる)

  正平の一統(正平一統に訂正)とよばれる南朝による政権の接収により状況は大きく変化した。崇光天皇(当時18歳)は大嘗祭未遂のまま廃位、神器も南朝に回収され、東宮直仁親王(当時16歳)も廃位とされた。正平の一統(正平一統に訂正)は直義が毒殺された時点で破綻し、正平七年(1352)閏二月北畠顕能率いる南軍が京都に突入、警戒を怠っていた足利義詮が七条大路(七条大宮に訂正)の市街戦で大敗し、三上皇廃太子(三上皇皇太子に訂正)を置き去りにしたまま、近江に敗走する大失態で、結果、三上皇廃太子(三上皇皇太子に訂正)は大和賀名生まで連れて来られた。

 観応二年(正平六年)尊氏の南朝降伏(講和の条件は公家については南朝の全面支配、武家については尊氏が支配することを認めるというものだった)により、十一月七日崇徳天皇は廃位とされ、光厳上皇の院政が停止され、天下は形式上後村上天皇の親政になった。これを「正平一統」と呼ぶ。吉野朝は北朝の前太政大臣洞院公賢を左大臣一上に任じて京都の責任者とし、崇光天皇から三種の神器を接収した。ただ南朝の使者は後村上天皇は当分の間京都に出てこないと言明した。これは幕府を油断させるもので、北畠親房は講和とみせかけて明年閏二月を期して、京都と鎌倉を同時に軍事占領する作戦であった。(今谷明『中世奇人列伝』草思社139頁)。光厳に長講堂領を安堵、光厳・光明・崇光に太上天皇の尊号宣下の宥和策も油断させるための戦略でもあったわけですが、小川剛生『二条良基研究』笠間書院2006は、皇太子直仁親王は廃位とはなっていないと明快に説明されております。詳しくは同書を参照してください。小川氏によると洞院公賢の日記『園太暦』十二月十五日の記事「春宮御方(直仁親王)始終御運事云々」でこのことは明らかです。直仁親王は皇太子のままであった。つまり光厳上皇は、あくまでも大覚寺統と持明院統の両統迭立という認識で、後村上天皇の次は直仁親王ということだった。洞院公賢は南朝政権の左大臣ですから。今回は政治的事情により譲ったが、持明院統の皇位継承が否定されたものとは全然認識していないし、持明院統こそ正統と自認しているから当然のことであるが、直仁親王は南軍の実力行使で大和賀名生に連れてこられ幽閉されたこと。さらに北朝は後光厳天皇が光厳上皇の裁可ないとはいえ、即位したことにより事実上皇位継承が不可能になったというだけ。正平一統により廃位とされたわけではない。

 要するに、従来の歴史家(例えば今谷明)は三上皇廃太子(光厳・光明・崇光・直仁親王)が賀名生に拉致されたなどと記述していた。正しくは大和賀名生に遷られたと書くべきだが、実態は実力行使によるものだから拉致でもかまわないが、正確には三上皇皇太子なのである。崇光天皇は正平一統で廃位とされたが、皇太子直仁親王(花園皇子とされるが実は光厳皇子)廃位とされていない。
 
 この間の事情についてあらためて述べます。20年くらい前だと思いますが、大河ドラマ「太平記」はほぼ全回見ましたがドラマの終盤でほぼ史実に沿ったかたちで「観応の擾乱」が描かれていたのでストーリーの大筋は覚えてます。
 貞和四年、執事高師直は四條畷の戦いで楠正行らを討ち、勢いに乗じて吉野へ攻め入り、行宮などを焼き払い南朝方を賀名生(奈良県五條市)へ逃げ込ませる軍事的大功により台頭し幕府の権勢家となります。
 しかし副将軍格の足利直義と政策的にソリが合わず対立、貞和五年直義の要請によりいったんは執事を罷免されます。ところが高師直が足利尊氏と示し合わせたクーデターにより復権し、直義は出家して政務から退く。
 翌年十月、尊氏は中国地方に蟠踞して従わない直義の養子直冬を討つため出陣するが、直義は京都を出奔、直義が南朝に降って河内石川城で挙兵したことから、直義党が勢いづき、直義軍は義詮を京都から追い北朝を確保、観応二年二月、中国遠征から引き返してきた尊氏は摂津打出浜の戦いで直義に敗れ、高師直・師泰兄弟の出家を条件に和睦、高師直・師泰は護送中に殺害される。直義は幕府の政務に復帰するが、尊氏と義詮が京都を挟撃して直義を討とうとする。それに気づいた直義が北陸に逃れ、その後和睦工作がなされたが、直義党の強硬派が拒否したため決裂、直義は信濃経由で鎌倉へ下る。
 尊氏は直義を討つため南朝に降伏して尊氏勅免の綸旨と、直義追討の治罰綸旨が発給され、尊氏は関東に進発し、駿河や相模早川尻の戦いで直義軍を撃破、直義は鎌倉で毒殺されます。このへんまではドラマの終盤でよく描かれていたと思いますが、このあとの三上皇皇太子拉致事件や後光厳擁立の経緯などは映像的に表現されず、わかりにくかったように思う。大雑把にいってしまえば尊氏-師直派と直義-直冬派の武家政権の権力抗争・派閥抗争のが二転三転したうえ直義や尊氏が便宜的に南朝に帰順したため複雑な経緯を辿っている。。
 尊氏の南朝降伏は、光厳上皇に事前に知らされておらず、道義的には無節操、重大な裏切り行為ともいえるが、尊氏からすれば直義を討つ以外に選択肢はない。再び直義党が南朝と結びつくような事態は戦乱の規模を拡大させるのでそれは現実的な政治判断だったともいえるだろう。
  

2008/05/05

産経「中国旗で殴られた」が1面トップの感想

 本日、産経新聞をコンビニで買いましたが、1面に「中国旗で殴られた」3面に中国人の暴行黙認 警察「暴動回避」優先という見出しで先月26日の聖火リレーで、中国人がアルミ製の旗竿を凶器のように用いていたこと、警察は中国人を取り締まらなかったことなどが書かれてます。MSN産経ニュースでも読めます。http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/080504/plc0805042153007-n1.htm
  http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/080504/plc0805042202008-n1.htm
普通、マラソンなどでは小旗で応援することはあるが、あれだけ巨大な旗を乱立させると、威圧感のある示威行為というだけでなく、実質的にはチベット支援者を抑え、通行を妨害する役割を果たしていたと考えられます。
本文中には、旗がついてなければ凶器準備集合罪という見解も載っていますが、ユーチューブを見ましたが、巨大な五星紅旗でチベット旗を取り囲んで隠されたといわれてます。
私が疑問に思うのは仮にリレーの沿道が、パブリックフォーラムとしてあらゆる人がアクセスできる場所であるとするならば、表現内容中立的な規制でなければならないのではないか。五星紅旗が象徴する思想が良い思想で、雪山獅子旗が象徴する思想が悪い思想であるという、価値判断のもとに中国人が優遇されていたとすれば、思想の抑圧ということになるだろう。

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2008/05/04

調布市国領の不発弾処理1万6千人退去命令はえらい迷惑-罰則はやりすぎだと思う

 昨日は憲法記念日でしたが、私は、加憲に全面的に反対で、プライバシー権とか環境権とか明文規定を盛り込むなんてとんでもない。公明党が現代的人権概念の加憲をやりたいとか言ってますが、いっさい必要ないです。逆にますます政府に干渉されて、経済的自由や精神的自由も侵害されかねない。ぎすぎすした社会になるでしょう。そもそも人権というのは政府によって個人の自己決定に干渉されない自由のことかと思ったら、我が国では人権概念が個人主義的自由主義的に理解されていないため、「集団誹謗表現」者をやっつけるとか、「人権擁護」を口実として政府の規制を強化して取り締まると言う方向に理解されがちなので、かえって人権が否定され不自由で全体主義的な社会になるんじゃないですか。
 そもそも私は、コモンロー学者でリバータリアンとされるシカゴ大学のエプステイン教授をしばしば引用しているし、ケイトー研究所やリバータリアンに好意的で、政府によるパターナリズム的私生活への干渉、政府や労働組合など第三者による財産権(無体財産含み)の侵害には反対なのであります。
 しかしながら一方、アメリカの実体的デュープロセス、プライバシー権判例にも好意的で私は避妊具の使用を禁止した州法に違憲判断をとったグリズウォルド対コネチカット判決のダグラス法廷意見のペナンプラ理論、つまりプライバシー権は憲法上明文規定はないが、合衆国憲法の様々な人権規定の「半影」(penumbra)として認められるという見解に賛成ですよ。ロー対ウエード判決もブラックマン判事を信用しているので、認めます。
 というのは、そもそもプライバシー権の源流といわれているブランダイス判事のいう「ひとりで放っておいてもらう権利」を現代的人権として認めたい立場ですから。
 つまりこの争点では私の思想はリベラル、左派に近いです。ブランダイス判事は嫌いだが、この見解は認める。アメリカでは、スカリア判事やトーマス判事のようにプライバシー権を否定する裁判官が保守派です。あるいはロバート・ボークの原意主義のようにグリズウォルド判決を明確に否定するのが保守派ですから。私はプライバシー権判例に好意的なため、少なくともスカリア判事よりは左寄りということになります。
 もっともリバータリアンと見解を異にすることもある。2003年成人間の私的空間における同意にもとづく性行為が憲法修正14条の実体的デュープロセスにより保障される自由と判示したローレンス対テキサス判決の評価ですよ。http://antilabor.cocolog-fty.com/blog/2007/10/post_636a.html
 ローレンス判決は反対ですよ。口にするのも憚る男同士のアナルセックスやフェラチオ行為も憲法上の権利とするのは行きすぎだと思います。ユダヤ・キリスト教2500年の伝統という脈絡においてアナルセックスをやる自由などというものは容認できるはずがない。レインボーカラーを見るだけで嫌悪感がある。この点では、伝統的保守に近い考えです。
 しかしながら、私はスカリア判事の反対意見とも異なる立場です。異性愛者のオーラルセックスは生殖の前戯として、夫婦の義務的性行為、結婚相手を喜ばせるという夫婦倫理にかなう事柄なので、プライバシー権として認めたいということを申し上げました。ケネディとも違うし、スカリアとも違う第三の立場、つまり中道穏健でバランス感覚があるのが私の考えです。

 まわりくどくなりましたが、要するに成文憲法にプライバシー権を明文規定することは大反対だ。拡大解釈されがちですから。しかし現代的人権概念としての「ひとりで放ってもらう権利」「人格的自律権」「自己決定権」は明文規定のある幸福追求の権利と、精神的自由や経済的自由と関連しているので最大限尊重したいという考えですよ。

 5月18日、調布市国領の不発弾処理で、周辺500メートルの住民に罰則による強制力をともなう退去命令が下されるというニュースをきいて、「ひとりで放っておいてもらう権利」が尊重されない社会との心証をもちました。 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080502-00000038-yom-soci

 東京競馬開催中なのに京王線を止めるという。そんなばかな。不発弾より競馬が大事だっていう人もいるんですよ。私は真面目な公務員だからギャンブルはやりませんが、競馬ファンにはえらい迷惑でしょう。中山開催の時にやればよかったのに。
 しかし最も迷惑なのは退去命令の住民です。スーパーやパチンコが営業できなくなるのは、財産権、営業の自由の公権力による制限になります。退去命令じたいが居住の自由の制限ですから。これこそ人権問題ですよ。
 昨日の東京新聞によると万一に備えての退去命令ということですが、合理的に考えて、よく訓練されている自衛隊がへまするとはとても思えない。まず事故は考えられない。リスクはあるあると言いながら実はないと思います
 むしろ病人を病院から一時移動させることにより病状が悪化するリスクや、営業が規制される経済的打撃のほうが大きいように思える。
 「人格的自律権」と言うからには、政府のパターナリズム的お節介は必要ないということになる。なにがリスクかは自分で判断する。あるいはリスクを承知で行動する自由が最大限尊重されなければならない。
 例えば鉛の被曝を避けるための胎児保護ポリシー(間接的母性保護)を性差別と断定し違法とした全米自動車労組対ジョンソンコントロールズ事件判決  AUTOMOBILE WORKERS v. JOHNSON CONTROLS, INC., 499 U.S. 187 (1991)  http://caselaw.lp.findlaw.com/scripts/getcase.pl?court=US&vol=49というのをこのブログで論評したことがありますがhttp://antilabor.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/post_f099.html、鉛の被曝が生殖能力を害するとしても、それを承知のうえ働く自由があるという判決になっています。
 リスクを承知で行動する自由がある社会が、政府のパターナリズム的干渉の強い社会より良いと思います。そもそも中世ヨーロッパで家・自宅はアジール的自由があって、私兵を雇って武装する自由、勝手に侵入してくる者を殺す自由があったわけですよ。家は安全な聖域だったわけです。平時において政府によって自宅を追い出されるほど不愉快なことはない。
 しかし調布市はそれをやるっていうわけです。
 私がいいたいのはこういうことです。もしプライバシー権を憲法で明文で規定するなら、政府によるパターリズム的干渉からの自由が保障されるべきなのである。何が危険か、価値があるかは自己決定するということです。仮に事故が起きたとして、けがをしたとしてたもそれは自己責任でいいじゅないですかということです。政府によって自宅から追い出されない自由、リスクを承知で居住する営業する自由が保障されるべきだ。伊豆大島や三宅島で噴火しようが、島に残りたい人は、リスクを承知で居住の自由が保障されるべきなのである。自宅で大麻を吸う自由、自宅でどぶろくを造る自由というものをプライバシー権によって保障すべきです。
 ところが、プライバシー権ってわめいている人は、スキャンダルを暴く人をやっつけようとか、個人情報を過剰に保護して匿名型社会にしてしまおうとか、そういう発想だから全然信用できないわけですよ。

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