角田文衛博士の訃報に接して
私は全く素人であり、別になんの縁もゆかりもありませんが、当ブログで多く引用させていただいているので一言、書きます。よそのブログも覗きましたが、大胆な切り口で緻密な検証とか書かれてますね。
宮廷史、後宮史、女性史の業績を中心に読みましたが、面白いだけでなく、歴代后妃、斎宮、女官表、女性の名前については資料として使い勝手がよく便利なものを多く残されている。『日本の後宮』 限定版学燈社1973年や、『日本の女性名- 歴史的展望』国書刊行会2006年です。
物事をはっきり言うんでわかりやすいんです。首皇子(聖武)には異母兄弟がいたが、藤原不比等と県犬養三千代の陰謀により追放されたとか(「首皇子の立太子について」たぶん『律令国家の展開』塙書房1965)。井上皇后廃后事件は、藤原百川の母あたりが仕掛けたとか。
『伊勢物語』の二条后(藤原高子)と在原朝臣業平の恋愛事件について、多くの学者は消極的な姿勢で史実性を認めているが、角田文衛氏は高子は文徳生母皇太后藤原順子の東五条第に預けられていたが、貞観元年十二月~二年正月皇太后宮東五条第西の対に業平が忍び通いをしたと断定したうえで、応天門事件の真の標的は右大臣藤原良相を失脚させることにあり、藤原高子の入内問題が背景にあるとわかりやすい説明である(「藤原高子の生涯」「良房と伴善男」『王朝の映像』東京堂出版1970、『二条の后藤原高子』 幻戯書房、2003年)。崇徳天皇の実父が白河法皇であるということも断定してますね。その立証も生理日をカウントする綿密さである(『待賢門院璋子の生涯』 朝日選書)。
稀代の策略家として藤原良房、忠平、師輔、忠通を断定的に論じていたが、人物評価も白黒をはっきりさせるので素人にはわかりやすいのである。しかし裏返していうと政治的に勝利するためには多少のずるさ、策略は必要だという教訓のようにも思えた。
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