公務員に労働基本権付与絶対反対-政府は巨悪と手を結ぶな

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2008/05/04

調布市国領の不発弾処理1万6千人退去命令はえらい迷惑-罰則はやりすぎだと思う

 昨日は憲法記念日でしたが、私は、加憲に全面的に反対で、プライバシー権とか環境権とか明文規定を盛り込むなんてとんでもない。公明党が現代的人権概念の加憲をやりたいとか言ってますが、いっさい必要ないです。逆にますます政府に干渉されて、経済的自由や精神的自由も侵害されかねない。ぎすぎすした社会になるでしょう。そもそも人権というのは政府によって個人の自己決定に干渉されない自由のことかと思ったら、我が国では人権概念が個人主義的自由主義的に理解されていないため、「集団誹謗表現」者をやっつけるとか、「人権擁護」を口実として政府の規制を強化して取り締まると言う方向に理解されがちなので、かえって人権が否定され不自由で全体主義的な社会になるんじゃないですか。
 そもそも私は、コモンロー学者でリバータリアンとされるシカゴ大学のエプステイン教授をしばしば引用しているし、ケイトー研究所やリバータリアンに好意的で、政府によるパターナリズム的私生活への干渉、政府や労働組合など第三者による財産権(無体財産含み)の侵害には反対なのであります。
 しかしながら一方、アメリカの実体的デュープロセス、プライバシー権判例にも好意的で私は避妊具の使用を禁止した州法に違憲判断をとったグリズウォルド対コネチカット判決のダグラス法廷意見のペナンプラ理論、つまりプライバシー権は憲法上明文規定はないが、合衆国憲法の様々な人権規定の「半影」(penumbra)として認められるという見解に賛成ですよ。ロー対ウエード判決もブラックマン判事を信用しているので、認めます。
 というのは、そもそもプライバシー権の源流といわれているブランダイス判事のいう「ひとりで放っておいてもらう権利」を現代的人権として認めたい立場ですから。
 つまりこの争点では私の思想はリベラル、左派に近いです。ブランダイス判事は嫌いだが、この見解は認める。アメリカでは、スカリア判事やトーマス判事のようにプライバシー権を否定する裁判官が保守派です。あるいはロバート・ボークの原意主義のようにグリズウォルド判決を明確に否定するのが保守派ですから。私はプライバシー権判例に好意的なため、少なくともスカリア判事よりは左寄りということになります。
 もっともリバータリアンと見解を異にすることもある。2003年成人間の私的空間における同意にもとづく性行為が憲法修正14条の実体的デュープロセスにより保障される自由と判示したローレンス対テキサス判決の評価ですよ。http://antilabor.cocolog-fty.com/blog/2007/10/post_636a.html
 ローレンス判決は反対ですよ。口にするのも憚る男同士のアナルセックスやフェラチオ行為も憲法上の権利とするのは行きすぎだと思います。ユダヤ・キリスト教2500年の伝統という脈絡においてアナルセックスをやる自由などというものは容認できるはずがない。レインボーカラーを見るだけで嫌悪感がある。この点では、伝統的保守に近い考えです。
 しかしながら、私はスカリア判事の反対意見とも異なる立場です。異性愛者のオーラルセックスは生殖の前戯として、夫婦の義務的性行為、結婚相手を喜ばせるという夫婦倫理にかなう事柄なので、プライバシー権として認めたいということを申し上げました。ケネディとも違うし、スカリアとも違う第三の立場、つまり中道穏健でバランス感覚があるのが私の考えです。

 まわりくどくなりましたが、要するに成文憲法にプライバシー権を明文規定することは大反対だ。拡大解釈されがちですから。しかし現代的人権概念としての「ひとりで放ってもらう権利」「人格的自律権」「自己決定権」は明文規定のある幸福追求の権利と、精神的自由や経済的自由と関連しているので最大限尊重したいという考えですよ。

 5月18日、調布市国領の不発弾処理で、周辺500メートルの住民に罰則による強制力をともなう退去命令が下されるというニュースをきいて、「ひとりで放っておいてもらう権利」が尊重されない社会との心証をもちました。 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080502-00000038-yom-soci

 東京競馬開催中なのに京王線を止めるという。そんなばかな。不発弾より競馬が大事だっていう人もいるんですよ。私は真面目な公務員だからギャンブルはやりませんが、競馬ファンにはえらい迷惑でしょう。中山開催の時にやればよかったのに。
 しかし最も迷惑なのは退去命令の住民です。スーパーやパチンコが営業できなくなるのは、財産権、営業の自由の公権力による制限になります。退去命令じたいが居住の自由の制限ですから。これこそ人権問題ですよ。
 昨日の東京新聞によると万一に備えての退去命令ということですが、合理的に考えて、よく訓練されている自衛隊がへまするとはとても思えない。まず事故は考えられない。リスクはあるあると言いながら実はないと思います
 むしろ病人を病院から一時移動させることにより病状が悪化するリスクや、営業が規制される経済的打撃のほうが大きいように思える。
 「人格的自律権」と言うからには、政府のパターナリズム的お節介は必要ないということになる。なにがリスクかは自分で判断する。あるいはリスクを承知で行動する自由が最大限尊重されなければならない。
 例えば鉛の被曝を避けるための胎児保護ポリシー(間接的母性保護)を性差別と断定し違法とした全米自動車労組対ジョンソンコントロールズ事件判決  AUTOMOBILE WORKERS v. JOHNSON CONTROLS, INC., 499 U.S. 187 (1991)  http://caselaw.lp.findlaw.com/scripts/getcase.pl?court=US&vol=49というのをこのブログで論評したことがありますがhttp://antilabor.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/post_f099.html、鉛の被曝が生殖能力を害するとしても、それを承知のうえ働く自由があるという判決になっています。
 リスクを承知で行動する自由がある社会が、政府のパターナリズム的干渉の強い社会より良いと思います。そもそも中世ヨーロッパで家・自宅はアジール的自由があって、私兵を雇って武装する自由、勝手に侵入してくる者を殺す自由があったわけですよ。家は安全な聖域だったわけです。平時において政府によって自宅を追い出されるほど不愉快なことはない。
 しかし調布市はそれをやるっていうわけです。
 私がいいたいのはこういうことです。もしプライバシー権を憲法で明文で規定するなら、政府によるパターリズム的干渉からの自由が保障されるべきなのである。何が危険か、価値があるかは自己決定するということです。仮に事故が起きたとして、けがをしたとしてたもそれは自己責任でいいじゅないですかということです。政府によって自宅から追い出されない自由、リスクを承知で居住する営業する自由が保障されるべきだ。伊豆大島や三宅島で噴火しようが、島に残りたい人は、リスクを承知で居住の自由が保障されるべきなのである。自宅で大麻を吸う自由、自宅でどぶろくを造る自由というものをプライバシー権によって保障すべきです。
 ところが、プライバシー権ってわめいている人は、スキャンダルを暴く人をやっつけようとか、個人情報を過剰に保護して匿名型社会にしてしまおうとか、そういう発想だから全然信用できないわけですよ。

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