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2008/06/07

感想 井村真己「アメリカにおける雇用差別禁止法理の再考察」(1)

 『日本労働法学会誌』100号2002年、これはシカゴ大学のリチャード・A・エプステイン(エプスタイン)Richard Epstein教授(不法行為法のコモンロー学者、政治哲学的にはリバータリアンの論者)の主張、1964年公民権法タイトル7をはじめとする雇用差別禁止立法は、契約の自由を侵害し、自由で競争的な市場に対して荷重な費用を課すものであるがゆえに廃止すべきであるという見解の論評である。
 著者の井村は弱者救済立法は必要だとしてエプステインを批判する立場であるが、私は基本的にエプステイン教授の見解に賛同したい。
 つまり雇用差別禁止立法は「彼が満足した相手と取引することを許容する契約の自由に対するアンチテーゼ」(井村論文157頁)であり、契約の自由を不当に制限するものとして単純明快に斬っているが賛同する。我が国の男女雇用機会均等法は差別禁止の厳格さという点で疑問があり、合衆国のタイトル7とは性格が異なりますが、男女雇用機会均等法その他実質女性厚遇立法については、エプステインの言うように契約の自由を不当に制限する単純にただそれだけの理由だけでも全面的に廃止すべきだと思う。
 結婚退職を前提として高卒女子を多く採用するか、ワーキングマザーも雇用保障するかは、経営者の裁量権であるべきで、政府が干渉することが大きな間違いだった。政府が女子の採用や昇進という雇用判断に干渉することがそもそも間違いだったと思います。
 ワーキングマザーを厚遇したり雇用保障する政策は、雇用主に高卒女子採用の意欲を弱めて、高卒女子に不利益になっただけでなく、結婚して男に頼らなくてもやっていけるという幻想を働く女性に懐かせ、女性に対する結婚圧力を弱め、初婚年齢の高齢化と未婚化を促していると考える。その観点からすれば、結婚退職が前提で、育休もないが、昔のように高卒女子を多く雇用し良い仕事を与える雇用主の方がましだと思います。その方が少子化対策になりますよ。冗談になりますが、銀行に行っても面白くないんだ。80年代は、若くて愛想の良い美人が窓口に坐っていたのでどきどきときめいた。未だに脳裏にこびりついて忘れられないが、今は女性が雇用保障されておばはんばっかで楽しみがなくなった。
 そもそも、雇用機会均等法が本当に女性のための利益になったのかは疑問です。よくいわれていることは、短大卒女子は雇用機会均等法の被害者になりました。というのは、法施行当時、企業は均等法対策として、ニューメディア戦略と称して、事務職の採用を短大から四大にシフトさせましたが、就職実績で学生を集めていた短大には痛手になった、短大離れを加速させたと言われております。当時は好況期で求人数は減ってないのですが、、短大女子の75%がOL志望なのにはしごをはずされてしまったわけですよ。
 ざっくり言ってしまえば昔は女子は高卒、短大卒で大企業事務職に就職でき、教育費用も少なくすんだが、四大進学率が高くなって、女子の教育費もかかるようになったので、教育投資分を回収するために結婚より働くことが優先するようになってますます、婚姻年齢が高くなるということです。
 少子化の原因がフェミニズムの政策なのですから、それをやめればよいというのが私の意見です。
 エプステインはそもそも雇用における平等の実現は必要ないと言ってます。「長期間における人的関係である雇用契約においては、その組織管理の効率性の観点から、ある種の差別を行うことは、企業の競争力を改善できるとして、認められるべきである」(井村論文160頁)。ワーキングマザーを厚遇する政策は、それが企業の競争力を改善する効率性がないのならやめるべきだし、経営者の雇用判断、裁量であるべきで、政府が干渉すべきではない。
 というより、私は差別禁止立法というだけでなく、労働組合の団体協約であれ、労働基準法のような政府による労働者保護立法であれ、個人の自由な労働力取引に第三者が干渉し労働力の自由な使用を規制、圧力を加えるものの全てに反対である。
 労働組合が強かった時代のイギリスでも、労働協約にはあくまでも紳士協定程度のものであって、法的拘束力はなかったのである。なぜなら、コモンローにおいては団体協約は営業制限の法理に反し、営業の自由のコロラリーとしての個人の労働力取引の自由を侵害するので違法であるから、違法であるが法的拘束力のない紳士協定として存在したというだけである。
 イギリスにおいては、労働協約に法的拘束力という概念は馴染まない。それは本質的に違法であるからである。再三引用してますが、1992年保守党メージャー政権の白書『人、仕事および機会』では次のように述べてます。「‥‥団体交渉と労働協約に基づく労使関係の伝統的な形態は益々不適切になり、衰退してきた。多くの使用者は時代遅れの労務慣行を捨てて新たな人的資源管理を採用しつつある。それは個々の労働者の才能や能力の開発に力点を置くものである。使用者の多くは、労働組合や公式の労使協議会を仲介とするよりも、その被用者との直接のコミュニケーションを求めている。個々人の個人的技能、経験、努力及び成果を反映する報酬を個別交渉する傾向が増しているのである」(小宮文人『現代イギリス雇用法』信山社2006年 28頁)
 もうはっきり団体交渉と労働協約に基づく労働関係をやめようと言っているわけです。再三繰り返してますが、イギリスの15年の好景気の要因は80~90年代の保守党政権の反労働組合立法の効果ですよ。 

 私がエプステイン説を好む理由の一つのは、労働の自己所有のシステムを提唱していることだ。その前提となっているのが、ロックの所有権理論であるが、ロックを持ち出さなくても、少なくとも16世紀から18世紀に遡ることのできる営業の自由のコロラリーとしての個人の労働力処分の自由を主張してもよいだろう。
「人間は自己の身体について排他的な独占権を持つ‥‥このことは、自己の身体を用いて行われる労働についても、同様に自己によって所有されることを意味する‥‥労働の自己所有のシステムにおいては、人々に他人の労働を支配する権利は認められず、労働を所有している個人が、自分がふさわしいと考える方法で、他人に対して自己の労働を支配する独占的な権利を与えるものである」(井村論文159頁)
 労働の自己所有のシステムを構築には労働組合の駆逐が必要だろう。
実際、エプステインは労働組合活動法認政策である1932年ノリス・ラガーディア法、1935年ワグナー法を柱とする労働法の構造を徹底的に批判し、個人の自由から「ニューディール立法は多くの点で誤りであり、可能ならばこれをスクラップして不法行為法と契約法に依拠した賢明なコモン・ロー制度にとって代わられるべきである」とする見解(水町勇一郎『集団の再生―アメリカ労働法制の歴史と理論』有斐閣2005 120頁以下)を示している。
 つまり労働組合の職務統制は、他者の労働を支配し、労働の自己所有を否認し、競争的でなく、横並び、効率的でない働き方を強要するものである。結局労働組合の職務統制の支配を受けていると、雇用される能力を伸ばすことができず、個人にとっても不利益になる。
 東京都水道局では超過勤務拒否闘争や時限ストライキを今年もやってます。仕事をさせない圧力が加わりますが、それ自体が個人の労働力処分の自由を侵害するものであるといえる。
 労働基本権が個人の労働力取引の自由の侵害を前提としている以上、それは個人の自由にとって最大の敵であるということである。

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