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2008年7月の19件の記事

2008/07/27

シャーロットがアメリカで住みたい町のトップ

   州の東京事務所のサイトに載ってます。http://www.nctokyo.com/住宅情報サイト、Relocate-America.com による、2008年の調査で、http://top100.relocate-america.com/ノースカロライナ州のシャーロットが、アメリカで住みたい町のナンバーワンに選ばれました。2007年度の調査では、アッシュビルがナンバーワンに選ばれており、ノースカロライナ州が2年連続受賞しています。

ベスト10を見ると、南部の都市が多いです。多分南部は労働権州Right to Work States (ニューメキシコを除く)で組織率が低くイメージがいいんですよ。

1 シャーロット(ノースカロライナ)
2 サンアントニオ(テキサス)
3 チャタヌ-ガ(テネシー)
4 グリーンヴィル(サウスカロライナ)
5 タルサ(オクラホマ)
7 アッシュビル(ノースカロライナ)
8 アルバカーキ(ニューメキシコ)
9 ハンツビル(アラバマ)

 シャーロットはバンカメとワコビアの本社があリ3620億ドルの金融資産を有し、金融ではニューヨークに次ぐ2番目。シャーロットの大都市圏は合衆国でも5番目と書かれてます。http://top100.relocate-america.com/
 旅行者によるシャーロットの都心の写真これですが、http://4travel.jp/traveler/safarig/album/10244936/この写真では何が良い町なのか伝わってきませんね。

2008/07/26

本日の買い物

川崎希ファースト写真集 ノゾフィス竹書房 今月発売

美尻を期待して購入

刑事コロンボ 意識の下の映像

何度もみている。

中川八洋『国民の憲法改正』ビジネス社2004年

憲法原理について同意できるが、各条文について兵役義務規定などは態度を保留したい。表現権と善良な風俗内容を絡めている点など疑問点もあるが、大筋では好意的な見方をとる。私の意見では結社の自由は削除したい。
 中川氏は憲法24条を起草したベアテ・シロタ嬢を22歳の、女子短大卒程度、法律学に無教養な単なるタイピストと述べ、「両性の本質的平等」を妄言としている点、「国民主権」は暴政・革命に至る云々全く正論ですね。

法学論叢161巻6号 以上を書泉で 

神保町の共栄堂でスマトラカレー

芳賀書店でビデオ2本(タイトルは公表しないこととする)

錦糸町丸井で ヘルト1本 CHRSTIAN AUJARD 中国製

結局いやしの曲はこれ

 

 原田知世の天国に一番近い島。およそ悪評をきいたことがないタレントですね。1984年の10月というと24歳で新大久保のホテトルで童貞を喪失した年だな。風営法改正前に遊びまくろうということで、ノーパン喫茶も行った。歌舞伎町のアメクリとかキャンディポット、グリーンプラザですね。風俗嬢に夢中になっていたから、当時は原田知世にほとんど関心はなかったが、今から考えると癒しの音楽と言えばこれ。
 
  http://jp.youtube.com/results?search_query=%E5%A4%A9%E5%9B%BD%E3%81%AB%E3%81%84%E3%81%A1%E3%81%B0%E3%82%93%E8%BF%91%E3%81%84%E5%B3%B6&search_type=&aq=f

2008/07/24

いよいよ8月8日からオリンピックですね

 1964年の東京オリンピックは4歳で杉並区高井戸の上水学園というキリスト教系の幼稚園の児童だった。世田谷区烏山に住んでいたので国道20号線の烏山バイパスに父とマラソン(アベベが優勝-甲州街道の直線的折り返しのコース)を見に行った記憶がある。ところがマラソンを見た記憶がなく、人垣ですでにいっぱいで肩車でも何も見えなかったようだ。そのとき白黒テレビはあった。母はバレーとマラソンを見たはずだと言っているが、4歳だから東京オリンピックのファンファーレしか記憶にない。
 1968年のメキシコは黒人が拳をあげる示威行為で問題になった。私も示威行為は不愉快。マモという選手がマラソンで勝ったのは完全に記憶がある。1972年はミュンヘンは開会式の行進をギリシャからじっくり見た記憶がある。日本はバレーが強かったが、テロで幻滅した。1976年のモントリオールのコマネチは当然見た。1980年のモスクワもマラソンの選手のゴールインを見てキャラクターの熊が涙を流す絵も見た。その後印象に残っているのは、1986年のソウルで鳩が聖火台に止まって丸焼きになった演出のおもしろさ。1996年のアトランタの開会式、南部らしくプラカード嬢がロングスカートでとても良かった。アメリカ選手団もロングスカート。対照的に日本や欧州がミニスカートで辟易した。少しは南部の保守的な風土も配慮してミニスカートをやめたらと思った。特に旗手の田村亮子のミニスカートが最悪。見たくないものを見た感じ。
 不愉快だったのは1984年のロス。柔道なんて興味ないし、山下が勝っても何も感動しないし、野球の決勝が地上波で放送されなかったこと。当時公開競技だったが、せっかく金をとったのにその試合が見れなくて残念。
 最近は日本人選手が活躍する種目中心の番組編成で面白くない。レスリングや柔道はダイジェストだけで十分。もっとメジャーな競技を見てみたい。

2008/07/22

海の日なんてばかばかしい

 永守重信氏のように毎日出勤が健康にいい。一昨日は11時半に寝たから午後から調子が出てきた。ホワイトカラーは、エンパワーメント(経営者と同じ意識で働く)と権限委譲(仕事の時間や遂行方法が裁量できる)があるから、時間規制は必要ないですよ。日本は祝日多すぎ。天皇誕生日とか戦前からの旗日に限定してゴールデンウィークもやめたほうがいい。
 総務省が迷惑ブログを遮断したい http://news.nifty.com/cs/headline/detail/kyodo-2008072101000285/1.htmとか言ってますが、余計なお世話だ。放置しろ。 
 

2008/07/16

土屋都議の見解が正論だと思う

 民主党の土屋敬之都議が16日、石原都知事を批判し---「自分の目的のために皇室を使うという発想には賛成できない」と批判。五輪招致議員連盟から脱退したことを明らかにした。---との報道があります。http://news.nifty.com/cs/topics/detail/080716042664/1.htm
 私も同意見。東宮大夫を「木っ端役人」とののしるのは無礼だし、自分の意に沿わない人物を「木っ端役人」よばわりするのは幼稚との心証。そもそも東宮大夫は木っ端役人ではない。平安時代であれば参議以上で天皇の信任の厚い公卿であることが多い。たとえば安殿親王(平城)の東宮大夫藤原葛野麿、神野親王(嵯峨)の東宮大夫参議巨勢野足、大伴親王(淳和)の東宮大夫参議藤原三守、道康親王(文徳)の東宮大夫参議安倍安仁とか。東宮大夫はつまり東宮坊の監視役でもあるのでそれなりの実力者が起用されることが多い。本来は要職ですよ。知事は国民投票なら自分の意見に賛同するはずだと言うが、たぶん国民の多くはオリンピックより各地で開催できるワールドカップのほうが経済効果があると思っているんじゃないの。

2008/07/15

どうもマラリアはローマでよく流行していたらしい

 私は教皇アレクサンデル3世を尊敬するし、この文明世界の規範提示者の一人である。法律と行政の天才だと思う。ゆえに、最大の敵対者、ケルン大司教ライナルト・フォン・ダッセルが死んだ事件に興奮するあまり、1167年マラリア大流行を大々的に取り上げたわけだが、インターネットで調べてみると、この時代に限らず、ローマではよくマラリアが発生したという。『ローマ教皇検死録 ヴァティカンをめぐる医学史』小長谷正明 中央公論新社・新書版に「ローマ近辺ではマラリアがよく流行り、「ローマの友だち」と渾名された」とか「1758年即位のクレメンス13世は、マラリアの原因はローマ周辺の沼沢地に原因ありとする説を採用、干拓を開始する。事業は後世に引き継がれ、結果、マラリア患者は現実に減少した。」 http://d.hatena.ne.jp/Lt-Col/20040622と書かれているらしい。そうすると中世の温暖期は説明できないことになり、拙いことになりましたが、まあいいですよ。
 パスかリス3世は、アレクサンデル3世の祭壇を撤去して新しい祭壇を造ったらしい。その結果がこのカスタロフィですから、重要な事件であることにかわりはないわけです。

2008/07/13

中世の温暖期といえば1167年皇帝バルバロッサのローマ総攻撃後のマラリア大流行による破局的事態も論拠になるだろう

  経済評論家の植草一秀氏がブログで地球温暖化仮説への疑念を表明されてます。http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2008/06/post_1986.htmlそこで中世の温暖期について言及されてますが、はたと思いついたことがあります。

 11~12世紀は温暖期ということは昨日のブログで書きましたが、そういえば1167年皇帝フリードリヒ1世(バルバロッサ)がローマ総攻撃を仕掛け、ローマを占領し、正当な教皇アレクサンデル3世がベネヴェントに逃れた後、皇帝の傀儡たる対立教皇パスカリス3世により戴冠式が行われこの勢いでアレクサンデル3世の軍事的後ろ盾になっていたノルマン朝シチリア王国の征伐に向かう矢先、マラリアが大流行してローマ近郊に駐屯していた皇帝軍兵士の殆どが死に、反アレクサンデル派の急先鋒ケルン大司教ライナルト・フォン・ダッセルをはじめとして多くの皇帝派の司教や諸侯が死に、皇帝にとって大きな痛手となリ、パスカリスと占領軍を残して撤退せざるをえなくなったことを想い出した。
 私は亜熱帯でもないローマで何でマラリアが流行したのか奇跡だったのか不思議に思っていたが、12世紀は温暖化・温暖化と騒いでる現代より温暖な時代だったということでようやくその意味がわかりました。
 実はこのマラリア大流行が教権が皇帝の支配を免れ、独立を保持し、中世高期の教皇主位権黄金時代を確立する最も重要な事件ではなかったかと思ってる。
 皇帝軍の総攻撃に対し、教皇アレクサンデル3世は聖ペトロ寺院に要塞を築いて籠城し、非常に良く頑張ったのである。教皇はこの世のいかなる権力によっても裁かれることはない。皇帝が教皇を召集して裁くなど越権行為と繰り返し主張し、教皇首位権の主張から一歩も妥協して譲ることはなかった。結果的にローマを逃れることになったが、このことが重要である。
中世の人々は、マラリア発生によるカスタロフィを聖なる教会を焼き打ちにして、正当な教皇を承認しない皇帝ヘ天罰が下ったものとみなしたらしい。対立教皇の立場を悪くし、アレクサンデル3世を支持するロンヴァルディア都市同盟は16都市に拡大して、教皇に有利な形勢に傾き、皇帝も教皇との和睦を模索することになっていった。
  そうすると温暖化は悪くなかったといえる、マラリアが流行してカトリック教会の独立が保持できたから。アレクサンデル3世はマラリアで救われたのだった。
パソコンの中に教会婚姻法研究の原稿が眠っているのだが、その理由は引用文献のない論文だからである。
出所をある程度明示したかったが、ニコチン中毒がひどい時に書いたので、引用文献リストが散逸してしまったのである。しかし未完成原稿をこの際公開する。

教皇アレクサンデル三世の事績

 同教皇は法律と行政の天才であり、不屈の精神で中世屈指の傑物皇帝フリードリヒ・バルバロッサと、枢機卿時代から通算して21年にわたって闘争し、結果的に少なくとも形式的には勝利し、教権は皇帝の支配を免れ、独立を維持し、教会改革の絶対命題たる教皇首位権を確固なものとするため、身を捧げて働いた。
  現代西洋人の結婚観の基礎を据えたのは同教皇だけの業績ではないが、決定的な意味で立法者であること。なおかつその婚姻理論は同教皇の持論でもあった。筆者の関心はその一点にある。しかしながら、婚姻法制史を検討していくならば、例えば王政復古後の英国において主教の裁治権が及ばない特権教会や特別教区が「秘密結婚」センターになっていたという問題を溯っていけば、修道院の免属や聖職推挙権といった、まさにアレクサンデル三世が関わった法律問題が絡んでくるのである。

 教皇アレクサンデル三世(生年1105頃、在位1159~81)は、前名ロランドゥス・バンティネルス(仏語オルランド・バンティネッリ)シエナの出身、1139―1142ボローニャで法学教授。著書に『修士ロランドゥスの大全』これはグラティアヌスの初期の註釈書として知られている。いわゆる法律家教皇のはしりである。
 教会法はグレゴリウス改革期に教会法源の整理統合が試みられ、9世紀の偽イシドールス教会法令集が再評価されとともに、グラティアヌスが聖書から第二ラテラノ公会議まで法源論から、秘跡・典礼にいたるまでテーマ別に整理・収録されて法実務の基礎を持つようになった。ローマ教皇の普遍的権威が強調された結果、教皇の一般的教会法制定権が確立し、エウゲニウス三世期に教皇授任裁判というシステムがとられて、教皇は上訴された事件を裁定して、教皇令=立法による古典カノン法が成立していく。同教皇と13世紀の偉大な教皇にかけて、黄金時代となった。、
 神学では『ロランドゥスの命題論集』があり1150年頃完成した。この著作は柏木英彦によると、アベラルドゥスに従って神学を三区分したうえ、問題を組織的に論述し、対立する権威と理拠を調停するという方法をとり、しばしばフーゴとアベラルドゥスを対置させ、アベラルドゥスの非難された見解に一線を画しているものの、採るべき点は生かすという態度を示すもので、アベラルドゥス派ないしその影響の強い書物と評価されており伝存するのは一写本しかない。
 1150年エウゲニウス三世により枢機卿に任ぜられ、1153年以降教皇庁尚書院長としてアスタナジウス三世とハドリアヌス四世(在位1154-59)に仕えた。これは12世紀において教皇に次ぐ要職である(枢機卿会では教皇に次ぐ第二の席次をしめる。訴状や請願書は教皇に手渡される前に尚書院長があらかじめ目を通しその処置を決定する)。

 皇帝との闘争
 

 尚書院長ロランドゥスはハドリアヌス四世という活発で決断力のある教皇のもとで、反皇帝的な対外政策の推進役であった。ハドリアヌスは1156年ノルマン朝シチリア王グリエルモ一世とのベネヴェント和約を締結するが、 ロランドゥスが交渉に当たった。これは1150年のコンスタンツ協定(教権と帝権の相互協力を定めた)を反故にするものだった。シチリア王国との和睦によって軍事的後ろ盾として帝国との対決姿勢を取ったとみることもできる。1157年プザンソン帝国議会の教皇使節の一人もロランドゥスであり、教皇書簡の解釈をめぐって皇帝フリードリヒ一世(赤髭帝バルバロッサ)及び宰相ライナルト・フォン・ダッセルらと激しく衝突した(なおソーヌ川の東側は1156年フリードリヒ一世とブルグント王国女子相続人ベアトリクスの婚姻により帝国の実効支配にあった)。1158年皇帝は第二次イタリア進攻で北イタリアを制圧し、ロンカリア立法(あらゆる公権は王権のみから単一に発生するという)公布してイタリア諸都市の帝権支配の基礎を固めたが、これに対抗するため、教皇は1159年4月ロンバルディア諸都市との同盟を締結(この時点ではミラノなど4都市)し、皇帝支配に反発するミラノなどをビサンツ皇帝やシチリア王の協力により支援した。この交渉にもロランドゥスが当たっている。これに反対した枢機卿がオクタヴィアヌス(対立教皇ヴィクトル四世)とグィド(第二の対立教皇パスカリス三世)であり、彼らは皇帝と血縁関係にあった。ハドリアヌス四世はグレゴリウス7世の原則を繰り返し述べ、譲らない姿勢を示したのであり、一方フリードリヒ一世はレガリア政策を進め集権的国家建設の野望をもつ以上、両者の争いは不可避であった。
 1159年9月ハドリアヌスが死去。教皇選挙は親シチリア王国のアレクサンデルら多数派と親皇帝主義のヴィクトルら少数派が対立し武装集団が選挙会場になだれこむ騒動の末、二重選挙となり(1159年シスマ)、1160年皇帝は教皇選挙調停者と称しパヴィアに教会会議を召集しヴィクトル四世が正当な教皇とされた。しかしこの会議にはドイツの高位聖職者50名ほどしか集まらず、アレクサンデルは教皇は召集するが召集されないなどとしてこれを認めず、諸国に全権特使を派遣して同教会会議が公正なものではないこと。皇帝が教皇を裁くことはこの世のいかなる法にも明記されていないとして、支持を求めた。イングランドの教会は大司教シアボールドをはじめ、ほぼアレクサンデル支持で固まっていたと推測されており、フランスは危機的な状況にあったので教皇と政治的に連合するしか政策上の選択肢がなかった。1160年7月フランスとイングランドはボーヴェにおける合同の教会会議でアレクサンデルを正式に合法的な教皇と承認した。
 1162年ロンヴァルディア都市同盟で最後まで皇帝に抵抗したミラノが皇帝軍により征服破壊されて、ジェノバにいたアレクサンデル三世はフランスに逃れる。教皇はフランスで暖かく迎えられたが、この時点でローマからリューベックまで帝国の版図となり、バヴィアでヴィクトル四世により皇帝の戴冠式を挙行し、皇帝はイタリア王も兼ねることとなった。さらに皇帝フリードリヒ一世はルイ七世に脅しをかけ、シスマを解決するためにソーヌ河畔サン=ジャン=ド=ロンにおける仲裁裁定の会議を約束させたが、結局ルイ七世と宰相ライナルトが双方約束違反の非難の投げ合いで終わった。この時、ハンガリーはアレクサンデルを支持し皇帝がフランスを攻めたら帝国に宣戦布告すると声明していた。またヘンリー二世はアレクサンデルの切実な要請により大軍を率いて接近してきたため、皇帝も食糧不足から衝突を回避した。アレクサンデルはフランスで活発に働いて、占領地のエルサレムを含め、帝国を除く全ヨーロッパで正当な教皇として承認されていく。1163年トゥール教会会議を召集し皇帝、対立教皇、マインツ大司教コンラート、ケルン大司教ライナルト・フォン・ダッセルを破門し名声を高めた。
 一方ヴィクトル四世は死去して、反アレクサンデルの急先鋒ケルン大司教が非教会法的に第二の対立教皇パスカリス三世を擁立し、ロランドゥスとその一味への忠誠を拒否するという忠誠宣誓を提案し、皇帝は高位聖職者、諸侯に福音書にかけて誓わせたが、マインツ大司教、ザルツブルク大司教は従わず、マインツ大司教は封土を剥奪された。またケルン大司教は国王と大司教の対立を利用してイングランドとの反アレクサンデル同盟を画策し、1165年5月ヴュルツブルグ帝国会議にオックスフォードのジョンとイルチェスターのリチャードが国王・諸侯の名代として出席しアレクサンデルに対する忠誠を撤回し、パスカリスに忠誠の誓いをたてたが、1166年6月教皇特使の地位を与えられたトマス・ア・ベケットは、両名を「皇帝に対し冒涜の誓いをなし、教会を分離したケルン大司教と交わりを持つ」など「呪いの異端に堕ちたが故に」として破門。さらに国王ヘンリーに対し悔い改めなければ破門すると述べ、ヘンリー二世は命令により誓いを撤回した。1165年アレクサンデルは北イタリアの皇帝への反乱を利用し、ピサの艦隊をかいくぐってローマに帰還。ビサンツ皇帝マヌエルと交渉してロンバルディア諸都市に軍資金を調達した。
  1167年皇帝は第四次イタリア進攻で全軍を集結してローマを攻撃し、二千人の市民が死に三千人が捕虜となった。しかし教皇が要塞を築いていたため、聖ペテロ寺院はなかなか陥落せず、そこで隣接する聖マリア教会に火が点けられ、聖ペトロ大聖堂の柱廊まで火の粉が飛んだ。ローマ市民は枢機卿にアレクサンデルの身柄引き渡しを迫り、マインツ大司教コンラートは教皇選挙やり直しという仲裁案を示したが、ここでも教皇は地上の裁判に服さないと言って踏ん張り、 こっそり脱出してベネヴェントに逃れた。パスカリス三世が堂々と連れてこられ正式に教皇座に着き皇帝皇妃の戴冠式を挙行、皇帝軍はこの勢いでノルマン人討伐に向かうはずだった。ところがローマでマラリアが流行し、近郊に駐屯していた皇帝軍兵士の大多数が死に、ケルン大司教ライナルト・フォン・ダッセルをはじめとして多くの司教や諸侯が死に、皇帝にとって大きな痛手となりパスカリスと占領軍を残して撤退せざるをえなくなった。これを機にロンバルディア都市同盟は16都市に拡大しアレクサンデルに有利な情勢に推移していく。
174年皇帝は第五次イタリア進攻を企てたが、1176年レニャーノでロンバルディア都市同盟軍に大敗し、アナーニで交渉がもたれ、ロンバルディア諸都市と6年間、シチリア王国と9年間の停戦、皇帝は諸都市に忠誠宣誓を強制しないことなどが協定され、遂に1177年6月ヴェネチアのサン=マルコ寺院で、皇帝は教皇の足に平和の接吻をして、ローマ教会と和解し、対立教皇カリクリトゥス三世は修道院長の地位が与えられ、ヴェネチア和議が成り立った。この時、教皇は皇帝の首根っこを押さえつけたとも伝えられるが後世の創作である。皇帝との和解については政治史的な評価は定まってない。実質的に皇帝に有利なもので、イタリア支配を固め、むしろ政治的に不安定になったのは教皇の方だったという見方もある。実際、その後も皇帝は教皇領を侵攻し、教皇がローマを追われる事態も起きている。しかしながら、総じてアレクサンデル三世は長期の在位にもかかわらず大惨事を起こさなかったし、政治家としての力量、頭脳の明晰さは明白である。

本日の買い物

半袖シャツ ブランドはクロズィング バングラデシュ製 6着

靴下 中国製 西友 12足

2008/07/12

感想 磯貝富士男「気候変動論から考える武家政権成立時代」

 『年報中世史研究』33号2008年である。温暖化・温暖化とやたらうるさい今日ですが、ケイトー研究所は温暖化対策に反対してますし、故ヘルムズ上院議員も京都議定書を止めたわけですよ。私はリバータリアンやアメリカの保守派に好意的な立場でありますから、エコには懐疑的ではありますが、一応、組織人(東京都水道局職員)としてコンプライアンスはきちんとやっていこうと考えで、エコに協力してますが、省エネ通達に沿って冷房の温度28度設定にしてないのはおかしい。暖房を19度設定にしてないのはコンプライアンスに反すると言うと、不良職員にされてしまったりするわけですよ。最強冷房にしたい職員の意向に沿わないと言うことで、昇級停止にされたわけですよ。暑がり・寒がりにあわせない極悪人とされ、叩かれるわけですよ。温暖化対策に協力すればするほど叩かれるから、エコが嫌いになっちゃうわけですよ。
 あくまでエコは偽善的に協力するのが良き公務員ということになっているわけです。
 これは私の住んでいる集合住宅のことですが、ゴミは仕分けするのみならず、コンビニ弁当の箱は洗剤で洗ってますよ。缶コーヒーの中身をすすいで捨ててます。捨てるものを洗うのは合理的でないと思いつつも、管理人の指示だからやってますよ。
  

 けれども温暖化といってもツバルが水没したって、どうということはないわけですよ。だいたいスーダンどころかジンバブエで何が起きているのかですら全然関心がない。何が起きようともどうとも思わないのに、いちいち小さな島の水没なんか心配しません。むしろ温暖化危機を煽りすぎるのは問題と考える。要するに私は、エコを口実に経済活動を統制したり経済的自由を侵害することに反対なんです。
  それで、この論文に関心を持ったのは、1100年頃をピークにして、現代よりも温暖な時代があったという説を提示していることです。
  最温暖期と考えられる1100年頃というと堀河天皇から鳥羽天皇の治世ですが、正確に言うと堀河朝は院政期とはいえないが、大雑把にいって院政期初期です。温暖化したって、院政期の気候に戻るんだったらたいしたことではないのではないかというのが私の感想です。
  先行研究として示されているのが、平安時代は温暖期だったという1976年の山本武夫『気候の語る日本の歴史』そしえての説です。9~10世紀の宮中の観桜記録をグレゴリオ暦に換算すると、15世紀後半から16世紀前半と比較して7日差があり、現代京都の満開日から5日差がある 。グリーンランドを古代ノルマン人が発見した985年頃から12世紀の航路が現在と全然違う。永久凍土層の最深部にある初期移民の墓や死体装束に植物の根が貫いている、フェアブリッジ氏の海水面変動曲線が示すロットネス海進が平安時代に属しているというものです。

 磯貝氏は山本説の資料解釈の難点も指摘している。平安時代といっても10世紀は冷涼化傾向にあり、1000年頃に冷涼化の底があって、11世紀の後半から12世紀にかけて温暖化したと細かくみる必要があります。フェアブリッジ氏の海水面変動表によると、海水面は900年が現代と同水準で、1000年頃は7~80センチ低下し、1050年頃から上昇し、1100年は現在より60センチ高かったが、12世紀に低下して1180年の治承寿永内乱期が現在と同じ水準ということである。現代は源平合戦自体時代と同じ水準で、それ以前の院政期は温暖で、海水面が上昇していたのである。

この点について磯貝氏は1100年の海進について山本説よりも多くの沿海図などの史料によって海水面が上昇していたことを論証しており、実質的に山本説を補強している。なお、上記論文の註にある越後古図(現在の新潟県の平野部が海湾になっている。弥彦が海に突き出た半島でその背後が内海になっている)
の海進初期の康平年間図の存在や真偽論争のサイトはこれです。
  http://homepage3.nifty.com/nonnkinakama/ 
 

  さらに、最温暖期の風俗についても検討され、11世紀末期の「永長の大田楽」(熱狂的に貴賤を問わず異様な風態で、笛・鼓・ささらなどの囃子にあわせて田楽踊りをして都大路を練り歩く)の爆発的流行について、温暖化に伴う異常豊作が背景にあるという解釈をされている。
 だから温暖化したらしたで、田楽踊りで踊り狂えばいいんですよ。そっちのほうが楽しいんじゃないですか

2008/07/09

本日の買い物

買い物を楽しくするためにブログで何を買っているか公開していきたいと思います。(買い物にも思想がある)

本日西友で(ウォルマートを応援するため)

シャンプー プレミアムヴィダルサスーン プロクター&ギャンブル タイ製

(プロクター&ギャンブルほど世間に評判の良い企業はない)

ボディシャンプー ジューシージュエル わかば(台東区)日本製

ベーネクリステルメンズジェルメガウルトラスーバーハードなど3本(安いから買っただけ)べーネコスメティクス(新宿区) 日本製

歯磨 アクアフレッシュ  グラクソスミスクライン
米国製
アクアフレッシュエクストリームクリーンホワイトニング グラクソスミスクライン 米国製(わざわざ米国製を買っている)

ひげそり シックジャパン(意味はない)刃米国製、その他中国製

2008/07/07

馬鹿げてるノー残業デー

  八都県市でエコのための一斉消灯をやるために一斉退庁ノー残業デーみたいバカな事を東京都などでやってますが、それを折り込んで、自衛のために日曜から仕事してましたから、今日は折り合って帰りましたけど、ストレスたまって「ピュア・ピュアアンダー15水沢奈子ほか」(水沢奈子にひかれた理由は14歳でウェスト・ヒップポイントがズバリ0.7)「14歳熊井友理奈」という写真集買いましたが、早く帰ったために、なんか余計な買い物したりしてばかばかしいね。この前のノー超勤ウィークなんか行きたくなかったんだけど、酒飲みに捕まっちゃって、カラオケまでつきあって「大阪しぐれ」と「やながせブルース」なんか唱わされてかえって疲れますよ。

 だいたい予算管理をきちんとしてないのが問題なんですよ。超勤予算というのは一定の枠があるわけだから、一定の枠で月何時間で打ち切りにして、あとは自発的残業ということでやってくださいと言えばいいんですが、官僚主義的建前だけでいうから、それを言わない。
 平成初期まで、一律超勤手当支給と一定の係長の裁量枠でめりはりをつけるということで、予算枠で消化していたから、超勤縮減みたいなばかげたことはやらずによかったわけですよ。予算の範囲で収まっていて、事実上一律カラ超勤手当が超勤打ち切り手当になっていて、真面目な人は実質的に裁量労働手当と受け止めて、実働時間はその何倍もやってけっこう残業もやって文句も言われなかった。
 ところが、日経連がホワイトカラーは裁量労働制にすべきだと
提言し、労働基準法の刑事罰規定の廃止の主張に危機感を懐いた、共産党などが、サービス残業批判をやるようになって、そちらになびいていった。それで、枠もはめないで実働主義でやっている人や職場が結構多いようです。しかもパソコンで申告して管理職が裁可すると止めようがなく、給与になってしまうから、カネがかかってしょうがない。うちでの小槌みたいにお金はないですから、その歯止めのために、働かない主義働かせない主義になって、管理職も率先して定時退庁やっているから本末転倒しているわけですよ。
 割り増し賃金って、もともと労働組合の主張なんですが、1938年のアメリカの公正労働基準法は、深刻な失業問題があって、追加的な賃金支払を避けるという経済メカニズムで提供可能な仕事を分配するのに有効な効果をもたらすという考えによる立法趣旨によるもので失業者へのワークシェアリングのためのものでした。
 大恐慌のあった30年代と違って失業が深刻でなく、ワークシェアリングの効果にも疑問がもたれる以上、労働基準法に実質的合理性はないんです。雇用契約の自由に中間審査基準を適用すれば、違法といえます。本質的には労働の自由、雇用契約の自由を侵害するものとして否定されるべきものです。百歩譲ってもそれは工場労働やマニュアルワーカーの範囲で限定されるべきであって、長期雇用が保障されているホワイトカラー、企画、管理、運営的業務、経理、庶務的事務は適用除外にしていくべきことがらです。
 経済史の教科書読むとわかりますが、問屋制家内工業の時代は、出来高払いはあったが時間で働くという観念は薄く、労働と生活の境界線もハッキリしていなかった。工場労働が広まって、時間で働くという観念になった。しかし、ポストモダニカルマネージメントといいますか、現代においては、知識労働者はもちろんのこと、時間で働くという観念が妥当なものでなくなってきている。さらに例えばヒューレット・パッカードでは目標管理制度は権限委譲のためのものだとしている。グーグルでは権限委譲をエンパワーメントというそうですが、組織がフラット化して、平社員でも経営者感覚で働くことが楽しい時代になってきており、そうすると日本電産の永守重信氏のように365日出勤が楽しいわけですよ。
 そういう方向での意識改革ならいいんですが、東京都がやっていることは逆、働かないことがいいことだ。働きたくない人が威張っちゃって、献身的に働く人が叩かれてばかげてますよ。
 だいたい私のように50歳近くになると週休2日のほうが疲れるし能率が悪くなります。私の経験だと永守重信氏のように毎日出勤のほうが楽だし身体の調子もよい。実際1920年頃までアメリカの鉄鋼労働者は休日なしで1日12時間労働でしたから。
 週休2日の何が良くないかというと、まず聖書に従って6日働かない罪悪感があること。金曜日に10時頃まで残業するより、金曜は早く切り上げて、ウォルマートのホワイトカラーのように土曜日に最低7時間働いたほうが、仕事もはかどるし、健康にもいい。仮に週60時間働くとして、土日も出てきて60時間のほうが、平日60時間より楽なんですよ。2日休むと、ブルーマンデーになって能率によくないだけでなく精神的に落ち込む原因になる。日曜日から出てきて午前中がブルーサンデーで、午後からエンジンがかかるのも実は遅いんです。だから永守重信氏のように毎日出勤できるのが最善で幸福だと思います。
 まともな会社なら、社員は会社のため時間と労力をつぎ込む人は悪く思わないし、実際に量をこなしていかないと、仕事を覚えないし、楽しく仕事をするためには、全てを仕事中心でやっていったほうがいいんです。
 ハードワーク主義が正しいというのは例えばウォルマートですが、納入業者に商品を陳列させたり、販売員をよこせなどということは絶対しません。全部自前の労働力で商品陳列をやります。納入業者から珈琲の一杯でもおごられるのを拒否します。清く正しいから顧客第一主義が貫徹される。

2008/07/05

ジェシー・ヘルムズ元上院議員死去

  独立記念日、 共和党の保守派超大物として知られていたジェシー・ヘルムズ元上院議員がノースカロライナ州ローリーの老人ホームで亡くなりました。血管性の痴呆症で86歳でした。
ホワイトハウスの報道官は「真実の愛国者を失った」と哀悼の意を表しました。
ヘルムズはノースカロライナの田舎町モンローで1921年に生まれ、ウェイクフォレスト大学卒、元々民主党員だった。70年に共和党員となりました。1972年より30年間上院議員、親切で公正な謙虚な人柄でした。上院議員になって角ぶちの眼鏡、黒いウィングチップ靴、アメリカの旗とフリーメーソン団のピンをしていた。(ニューヨークタイムズより)地球温暖化に対する京都議定書、包括的核実験禁止条約、地雷協定はヘルムズの政治力で止められました。(ロサンゼルスタイムズより)カロライナのためにタバコ農家を保護しました。内政ではアファーマティブアクションなどに反対してリベラル派を一喝できる政治家でした。
ヘルムズのような敵を一喝できる本物の政治家が必要のように思えます。本当に惜しい政治家を失いました。

http://www.wral.com/news/local/politics/story/3155741/
http://www.newsobserver.com/front/story/1131456.html
http://beta.news-record.com/content/2008/07/04/article/conservative_icon_was_national_force
http://news14.com/content/top_stories/597121/jesse-helms-dead-at-86/Default.aspx
http://www.charlotte.com/665/story/699561.html
http://www2.journalnow.com/content/2008/jul/05/helms-said-what-he-meant-was-loyal-to-constituency/?news
http://www.nbc17.com/midatlantic/ncn/news.apx.-content-articles-NCN-2008-07-04-0005.html
http://www.msnbc.msn.com/id/25530608/
http://www.latimes.com/news/obituaries/la-me-helms5-2008jul05,0,2320291.story
http://www.boston.com/news/nation/articles/2008/07/05/jesse_helms_gop_icon_dead_at_86/
http://abcnews.go.com/US/wireStory?id=5312859
http://www.foxnews.com/story/0,2933,376389,00.html
http://www.cbn.com/CBNnews/403946.aspx
http://www.usatoday.com/news/washington/2008-07-04-helms-obit_N.htm
http://www.washtimes.com/news/2008/jul/05/ex-sen-jesse-helms-icon-of-right-dies-at-86/
http://www.time.com/time/politics/article/0,8599,1820357,00.html
http://www.nytimes.com/2008/07/05/us/politics/05helms.html?ref=us&pagewanted=all

銃規制違憲コロンビア特別区対ヘラー判決(4)

コロンビア特別区対ヘラー判決DISTRICT OF COLUMBIA v. HELLER(銃規制違憲)を中心に情報収集しました

DISTRICT OF COLUMBIA v. HELLER 判決
http://www.law.cornell.edu/supct/html/07-290.ZS.html
全米ライフル協会
http://www.nraila.org/heller/
ケイトー研究所
http://www.cato.org/gunban

訂正第2条-もはや厄介でありません
ロバートA.レヴィー
http://www.cato.org/pub_display.php?pub_id=9522
ヒューマンイベント
http://www.humanevents.com/article.php?id=27229&keywords=DISTRICT+OF+COLUMBIA+v.+HELLER#continueA
全米ライフル協会はオコーナーが決定票を握る展開を心配していました。彼女が引退したのが幸いでした。ブッシュが任命した裁判官アリートが保守的だったため、勝利できました。オバマが大統領になると良くないですと言ってます。

ボルチモアサン
http://www.baltimoresun.com/news/opinion/oped/bal-op.proguns30jun30,0,5585829.story
http://www.baltimoresun.com/news/nationworld/politics/wire/sns-ap-scotus-guns,0,463930.story
マイアミヘラルド
http://www.miamiherald.com/692/story/584095.html
http://www.miamiherald.com/news/world/AP/story/583949.html
ハートフォードクーラン
http://www.courant.com/news/opinion/editorials/hc-doherty0701.artjul01,0,2583820.story
フィラブルフィアインクワイアー
http://www.philly.com/philly/opinion/22705694.html
http://search.philly.com/?cat=site&sortby=pubdate&q=DISTRICT%20OF%20COLUMBIA%20v.%20HELLER
ニューヨークタイムズ
http://query.nytimes.com/gst/fullpage.html?res=9F04EEDA173EF934A15755C0A96E9C8B63&sec=&spon=&pagewanted=all
ロサンゼルスタイムズhttp://www.latimes.com/news/opinion/commentary/la-oe-chemerinsky27-2008jun27,0,5654727.story
http://www.latimes.com/news/nationworld/washingtondc/la-na-scotus27-2008jun27,0,5627129.story
http://www.latimes.com/news/opinion/commentary/la-oe-doherty27-2008jun27,0,5559261.story
クリスチヤンサイエンスモニター
http://www.csmonitor.com/2008/0627/p01s05-usju.html
CNN
http://www.cnn.com/2008/US/06/26/scotus.guns/index.html?iref=newssearch
2007-2008開廷期の判決と論評
http://www.usatoday.com/news/washington/judicial/2008-06-27-supreme-court-rulings_N.htm
http://www.newsday.com/news/politics/wire/sns-ap-scotus-rulings-summaries,0,3464817.story
http://www.baltimoresun.com/news/nationworld/politics/wire/sns-ap-scotus-rulings-summaries,0,4685733.storyhttp://www.nytimes.com/2008/06/29/washington/29scotusweb.html?sq=DISTRICT%20OF%20COLUMBIA%20v.%20HELLER%20&st=nyt&scp=3&pagewanted=all
http://www.usatoday.com/news/washington/judicial/2008-06-26-yrendwrapup_N.htm
http://www.law.com/jsp/nlj/PubArticleNLJ.jsp?id=1202422678726
http://www.time.com/time/magazine/article/0,9171,1820165,00.html

銃規制違憲判決(3)-修正第2条はもともと銃保持・携帯権を人間の基本権とするものだったから当然の判決

 合衆国憲法修正第2条「規律ある民兵は、自由な国家の安全にとって必要であるから、市民が武器を保有し、また携帯する権利は、これを侵してはならない」の解釈の先行研究のひとつを読みました。元ジョージメイソン大学大学院教授の鈴木康彦『アメリカにおける銃保持・携帯権限』冬至書房2003年。それによると1994年のマルコム教授の著作によると、ミリシア制度は中世イギリスに遡ることができる。それは国王に常備軍や常備警察をも持つだけの資力がなかったためで、民兵として応召されるのは一種の納税義務のようなものだったが、18世紀中頃には英国議会、裁判所ともに銃保持権は自己防衛及び中央政府の圧政に対抗する抑止手段として人間が生まれながらに持っている自然権の一つと解釈されるにいたった。ブラックストンの『イギリス法釈義』がそうである。
 1671年狩猟法はジェントリが小作人の抵抗を抑止するための武装解除であり、ブラックストンは支配階級が一般庶民の抵抗を抑圧する手段だったとしている。
 ブラックストンの外、ホーキンス、ブラクトン、クックといった米国の建国の父祖が読んでいた法律家の著作も人民は自己防衛のためのコモンロー上の銃保持権限があると説いており、実際アダムスは憲法論の著作で銃保持権を認め、マディソンは武器を保持携帯する市民を信用しないヨーロッパの専制国家とアメリカの連邦国家を比較し、銃保持の利点を説いている。

 決定的には修正第2条の連邦議会の審議過程でマディソン案はヴァージニア州原案が「人民は銃を保持し携帯する権利を持っている」であったのに、「これを侵してはならない」と法的保障を与え、「将来、裁判所が人民の(銃保持)の権利の庇護者になってくれる」と述べていること。ミリシア節が冒頭になったのは最終案である。さらにマディソンの友人で、『イギリス法釈義』の注釈を著したタッカーが修正第2条はブラックストンの説いた人間本来の基本権としての銃保持携帯権を正式に認知したものとしていること。他にコックス、ロウル、ストーリー、クーリーといった法律家が修正2条は個人権限としての銃保持権と解釈している。従って修正2条で銃規制派が拠り所とする解釈、州が民兵制度を維持するための州権説は20世紀以降の俗説にすぎないのである。
 そうすると今回の判決は当然のものである。法廷意見を具体的にまだみてませんが、スカリア判事に少しがっかりした。というのは報道によると常備軍と常備警察が整備されている現代にそぐわないかもしれないが、裁判官に修正2条を廃止する権限はないみたいな間抜けなことを言ってるらしい。私ならもっと積極的にブラックストン復権でいいんだ。ブラックストンを忠実に継承したのがイギリスでなくアメリカだったのである。修正第2条はアナクロと言う銃規制主義者が阿呆である。銃を保持携帯する市民を抑圧し信用しない欧州や1920年に厳しい銃規制を強いたイギリスに対して、人間の基本権を擁護するアメリカの優越性を説くことになるだろう。

2008/07/04

銃規制違憲判決(2)

 論評しているブログ等のいくつかと参考サイト
 
 アメリカ発祥の地でアメリカ法を思考するhttp://izw134.blog74.fc2.com/blog-entry-219.html#comment46
 ニューズウィークhttp://nwj-web.jp/periscope/index.html
  日暮れて途遠し http://blog.goo.ne.jp/taraoaks624/e/4904b09863561a2d22242d343ca1c220
  CNNJP http://www.cnn.co.jp/usa/CNN200806270001.html
 独立当初は常備軍を禁止していた http://www.geocities.jp/shigeyuhcr32/simin2.html   
 
 スカリア法廷意見によると「中世以来のイギリス、及び植民地時代のアメリカの経験に照らすと、武器を保有することは個人の権利として独立以前から認識されてきたし、(修正第2条の)後段はそのような権利を保障している」武器を携帯することは民兵の組織的活動に限定されるものではないとしている。
 と「アメリカ法を思考するブログ」に書かれてます。少しがっかりしたのは、スカリア法廷意見が規制の余地を残していること。「アメリカ法を思考するブログ」は現行の規制が一気に流動化するものではないと分析してます。
 「 日暮れて途遠し」によるとリーバタリアンのシンクタンクケイト-研究所がこの訴訟を推進したという。銃を所持する権利を確立するのは今がチャンスとの判断による。ブッシュ任命のロバーツ、とアリート、キャッスティングボードを握ることの多い、ケネディが違憲判断をとることを予測していたとすれば凄いなあと思います。
 いずれにせよ、銃の所持を個人の権利として確立した判決の意義は大きいと思う。

2008/07/03

こちらはスカッとしました銃規制違憲判決

  迂闊にもニュースのチェックを怠ってたので間延びしますが、6月の開廷期末に重要判決が出ました。6月26日(木)合衆国最高裁は5対4の僅差でワシントンDCの銃規制条例を自衛という合法的な目的のための使用を不可能にするので違憲とする判決を下しました。(ニューズウィーク日本版2008/7/9)
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20080627-OYT1T00363.htm 
http://www.cbsnews.com/stories/2008/06/26/supremecourt/main4211588.shtml 
http://www.csmonitor.com/2008/0627/p01s05-usju.html 
 http://www.latimes.com/news/opinion/editorials/la-ed-guns18mar18,0,7026477.story
 合衆国憲法修正第2条「規律ある民兵は、自由な国家の安全にとって必要であるから、市民が武器を保有し、また携帯する権利は、これを侵してはならない」 についてよく研究してないので、コメントしづらいですが、建国時の共同防衛は民兵を組織化したものであって、常備軍ではなかったし、市民が武器を所持するのは当然のことと思える。民兵組織があってアメリカという国が成り立っているのだから。
 そもそも欧州の伝統では家宅はアジールとしての性格を有するのであって、私兵も雇ったし、家宅に侵入する者を殺すのは当然の権利ということだったのではないか。現代人は殺す権利を奪われてしまったことが問題だと考える。いずれにせよ。全米ライフル協会が歓迎していると言うことで喜ばしい判決である。銃規制や銃社会を糾弾する人は大嫌いです。先方は憲法上の権利なのにそれを否定するのは厚かましいですよ。 
 判決の内容についてまだ研究してませんが、スカリア判事は自宅に自衛のための武器を所持することは憲法上の権利であることを明らかにしたようです。
 

2008/07/02

エコならウォルマートですよね

 ウォルマートの「店舗で消費するエネルギーは、通常の小売店の約半分で済んでいる。これは一般家庭200世帯のエネルギー消費量を節約している」http://www.gpn.jp/torikumi/overseas/wm.htmlことになる。「白熱電球を電力消費が4分の1以下の電球型蛍光灯に交換するキャンペーンを展開している。今年のアースデイ(4月22日)では、シカゴ周辺の店舗で43万個の電球型蛍光灯を無料配布した」http://greenerw.exblog.jp/5332119/とあります。「2005年に、自社の運送用トラックの燃料効率を25%改善するという目標を立て、現実には2005年以降に15%の改善を達成」http://www.eco-online.org/ab-eco-news/2007/11/19-120146.php「4年以内には、店舗の冷暖房効率を現在より25-30%高くし、排気放出量を30%減少させたい意向。太陽熱や風力発電、排気オイルを燃料にするボイラー、断熱性の高いフロア、布製ダクトを利用した高効率エアコン・システム」http://hci.blog.ocn.ne.jp/hciweb/2006/12/post_2b3e.html。「2007年9月、同社は衣料用洗剤に関しては、濃縮型しか取り扱わないことを決定、今年5月までに、ウォルマートと系列のサムズ全店で実現する予定になっている。同社ではこれにより、4億ガロン以上の水、9500万ポンド以上のプラスチック樹脂、1億2500万ポンド以上の段ボールを節約できるとしている。ウォルマートが販売する衣料用洗剤のシェアは全米の25%を占めており、この決断が業界に与える影響は大きいと見られている」http://socal-innovation.net/index.php/Other/Other-0803-1.html
 ウォルマートがエコに力を入れているのは、反ウォルマート勢力の攻撃をかわす意図もたぶんにあると思われますが、ウォルマートは24時間営業やってますよ。
24時間営業のなにが悪いのか、上田、松沢、石原といった連中が、みみっちい一斉電気消灯みたいなばかげたことやってなんの意味があるんだといいたい。

2008/07/01

エコのためにノー残業ふざけるな

  東京都など首都圏の八都県市で7月7日にエコのための一斉消灯のパフォーマンスをやるそうだ。昨年もノー超勤ウィークにワークライフバランスと男性も子育てに参加させるためのノー残業(超勤)デーという組合の超過勤務拒否闘争みたいなふまじめなことをやってますが、今度の口実はエコですよ。
これは営業と誠実な勤勉さを奨励すべき公序良俗に反してますよ。本当にばかげてます。
たぶん都庁は冷房が28度設定かもしれませんが、出先はそうでない。実際私なんかは、東京都水道局で5年ぐらい前ですが、23度で強風冷房が、外気と15度以上差があって耐えられないと苦情を言ったところ、もっとも暑がりの人にあわせないおまえこそ傍若無人だということで、不良職員とされ、昇級停止になっているわけですよ。
28度が杓子定規というなら、せめて24.5度にしてくれと言っても絶対駄目。
   ファンコイルの全館冷房と個別空調と二つの系統でがんがん冷房きかしてましたよ。ファンコイルを中にすると、強にする。中にすると強にする、本当は消したいのに中で妥協してるのにそれでも駄目。通達は28度設定なのに、全然やらないわけです。省エネ通達のコンプライアンスを言うと、「そんなこと言ってもね」と管理職は答えるだけですよ。労働組合役員に逆ってはいけないということになってます。
 出先は、コントロールされてませんよ。だから抜き打ち検査で、省エネ通達を守ってない管理職から、罰金として緑の募金でもまきあげればいいじゃないですか。それすらやらないのに、働かない主義のエコならすすんでやるというのは偽善以外のなにものでもない。
 発売中の週刊朝日7月11日号に「亡国の福田サミット」特集があって、櫻井よしこが福田の政策を批判してますが、二酸化炭素温暖化論を批判する有識者の学説も載せていて面白かった。インドネシアではバイオ燃料ブームによる農地拡大で泥炭火災が起き世界第三位の二酸化炭素排出国になったとか。エコブームが実は二酸化炭素を増やすという逆説です。中国やインドで木材や家畜の糞を燃料にしているほうがよっぽど問題で、クリーンな電気が悪いなんてそんな馬鹿なことはないですよ。
 アーミッシュは電気を否定すると言いますが、彼らは社会保障も高等教育も否定してます、デノミネーション化しないセクトでありまして、生きた博物館ですから。アーミッシュにならえというなら、年金もやめて馬車でも買ってください。
 それでも電力消費を減らしたいなら、朝日新聞が率先して高校野球の開催を見直せばいいんですよ。3~4球場使って、1回戦2回戦をたらたらやらないで短縮するとか。西宮球場や日生球場は閉鎖しましたが、手頃な球場は探せば阪神圏にありますよ。準決勝と決勝はナイターにして、電力消費のピーク時を避けたい。高校野球は熱中症を恐れず、炎天下でやるのがいいんだとか、チームのために肩を酷使して将来を潰す犠牲的精神が教育的でよろしいと言う人がいるかもしれませんが、これだけエコ、エコとうるさいんじゃ、電力不足の要因と思える高校野球こそ自粛すべきであって、コンビニや深夜営業のビジネスをいじめるのはやめてほしいです。
 
 

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