どうもマラリアはローマでよく流行していたらしい
私は教皇アレクサンデル3世を尊敬するし、この文明世界の規範提示者の一人である。法律と行政の天才だと思う。ゆえに、最大の敵対者、ケルン大司教ライナルト・フォン・ダッセルが死んだ事件に興奮するあまり、1167年マラリア大流行を大々的に取り上げたわけだが、インターネットで調べてみると、この時代に限らず、ローマではよくマラリアが発生したという。『ローマ教皇検死録 ヴァティカンをめぐる医学史』小長谷正明 中央公論新社・新書版に「ローマ近辺ではマラリアがよく流行り、「ローマの友だち」と渾名された」とか「1758年即位のクレメンス13世は、マラリアの原因はローマ周辺の沼沢地に原因ありとする説を採用、干拓を開始する。事業は後世に引き継がれ、結果、マラリア患者は現実に減少した。」 http://d.hatena.ne.jp/Lt-Col/20040622と書かれているらしい。そうすると中世の温暖期は説明できないことになり、拙いことになりましたが、まあいいですよ。
パスかリス3世は、アレクサンデル3世の祭壇を撤去して新しい祭壇を造ったらしい。その結果がこのカスタロフィですから、重要な事件であることにかわりはないわけです。
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