銃規制違憲判決(3)-修正第2条はもともと銃保持・携帯権を人間の基本権とするものだったから当然の判決
合衆国憲法修正第2条「規律ある民兵は、自由な国家の安全にとって必要であるから、市民が武器を保有し、また携帯する権利は、これを侵してはならない」の解釈の先行研究のひとつを読みました。元ジョージメイソン大学大学院教授の鈴木康彦『アメリカにおける銃保持・携帯権限』冬至書房2003年。それによると1994年のマルコム教授の著作によると、ミリシア制度は中世イギリスに遡ることができる。それは国王に常備軍や常備警察をも持つだけの資力がなかったためで、民兵として応召されるのは一種の納税義務のようなものだったが、18世紀中頃には英国議会、裁判所ともに銃保持権は自己防衛及び中央政府の圧政に対抗する抑止手段として人間が生まれながらに持っている自然権の一つと解釈されるにいたった。ブラックストンの『イギリス法釈義』がそうである。
1671年狩猟法はジェントリが小作人の抵抗を抑止するための武装解除であり、ブラックストンは支配階級が一般庶民の抵抗を抑圧する手段だったとしている。
ブラックストンの外、ホーキンス、ブラクトン、クックといった米国の建国の父祖が読んでいた法律家の著作も人民は自己防衛のためのコモンロー上の銃保持権限があると説いており、実際アダムスは憲法論の著作で銃保持権を認め、マディソンは武器を保持携帯する市民を信用しないヨーロッパの専制国家とアメリカの連邦国家を比較し、銃保持の利点を説いている。
決定的には修正第2条の連邦議会の審議過程でマディソン案はヴァージニア州原案が「人民は銃を保持し携帯する権利を持っている」であったのに、「これを侵してはならない」と法的保障を与え、「将来、裁判所が人民の(銃保持)の権利の庇護者になってくれる」と述べていること。ミリシア節が冒頭になったのは最終案である。さらにマディソンの友人で、『イギリス法釈義』の注釈を著したタッカーが修正第2条はブラックストンの説いた人間本来の基本権としての銃保持携帯権を正式に認知したものとしていること。他にコックス、ロウル、ストーリー、クーリーといった法律家が修正2条は個人権限としての銃保持権と解釈している。従って修正2条で銃規制派が拠り所とする解釈、州が民兵制度を維持するための州権説は20世紀以降の俗説にすぎないのである。
そうすると今回の判決は当然のものである。法廷意見を具体的にまだみてませんが、スカリア判事に少しがっかりした。というのは報道によると常備軍と常備警察が整備されている現代にそぐわないかもしれないが、裁判官に修正2条を廃止する権限はないみたいな間抜けなことを言ってるらしい。私ならもっと積極的にブラックストン復権でいいんだ。ブラックストンを忠実に継承したのがイギリスでなくアメリカだったのである。修正第2条はアナクロと言う銃規制主義者が阿呆である。銃を保持携帯する市民を抑圧し信用しない欧州や1920年に厳しい銃規制を強いたイギリスに対して、人間の基本権を擁護するアメリカの優越性を説くことになるだろう。
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投稿: lindsey-horan-jersey | 2020/08/24 17:58