感想 磯貝富士男「気候変動論から考える武家政権成立時代」
『年報中世史研究』33号2008年である。温暖化・温暖化とやたらうるさい今日ですが、ケイトー研究所は温暖化対策に反対してますし、故ヘルムズ上院議員も京都議定書を止めたわけですよ。私はリバータリアンやアメリカの保守派に好意的な立場でありますから、エコには懐疑的ではありますが、一応、組織人(東京都水道局職員)としてコンプライアンスはきちんとやっていこうと考えで、エコに協力してますが、省エネ通達に沿って冷房の温度28度設定にしてないのはおかしい。暖房を19度設定にしてないのはコンプライアンスに反すると言うと、不良職員にされてしまったりするわけですよ。最強冷房にしたい職員の意向に沿わないと言うことで、昇級停止にされたわけですよ。暑がり・寒がりにあわせない極悪人とされ、叩かれるわけですよ。温暖化対策に協力すればするほど叩かれるから、エコが嫌いになっちゃうわけですよ。
あくまでエコは偽善的に協力するのが良き公務員ということになっているわけです。
これは私の住んでいる集合住宅のことですが、ゴミは仕分けするのみならず、コンビニ弁当の箱は洗剤で洗ってますよ。缶コーヒーの中身をすすいで捨ててます。捨てるものを洗うのは合理的でないと思いつつも、管理人の指示だからやってますよ。
けれども温暖化といってもツバルが水没したって、どうということはないわけですよ。だいたいスーダンどころかジンバブエで何が起きているのかですら全然関心がない。何が起きようともどうとも思わないのに、いちいち小さな島の水没なんか心配しません。むしろ温暖化危機を煽りすぎるのは問題と考える。要するに私は、エコを口実に経済活動を統制したり経済的自由を侵害することに反対なんです。
それで、この論文に関心を持ったのは、1100年頃をピークにして、現代よりも温暖な時代があったという説を提示していることです。
最温暖期と考えられる1100年頃というと堀河天皇から鳥羽天皇の治世ですが、正確に言うと堀河朝は院政期とはいえないが、大雑把にいって院政期初期です。温暖化したって、院政期の気候に戻るんだったらたいしたことではないのではないかというのが私の感想です。
先行研究として示されているのが、平安時代は温暖期だったという1976年の山本武夫『気候の語る日本の歴史』そしえての説です。9~10世紀の宮中の観桜記録をグレゴリオ暦に換算すると、15世紀後半から16世紀前半と比較して7日差があり、現代京都の満開日から5日差がある 。グリーンランドを古代ノルマン人が発見した985年頃から12世紀の航路が現在と全然違う。永久凍土層の最深部にある初期移民の墓や死体装束に植物の根が貫いている、フェアブリッジ氏の海水面変動曲線が示すロットネス海進が平安時代に属しているというものです。
磯貝氏は山本説の資料解釈の難点も指摘している。平安時代といっても10世紀は冷涼化傾向にあり、1000年頃に冷涼化の底があって、11世紀の後半から12世紀にかけて温暖化したと細かくみる必要があります。フェアブリッジ氏の海水面変動表によると、海水面は900年が現代と同水準で、1000年頃は7~80センチ低下し、1050年頃から上昇し、1100年は現在より60センチ高かったが、12世紀に低下して1180年の治承寿永内乱期が現在と同じ水準ということである。現代は源平合戦自体時代と同じ水準で、それ以前の院政期は温暖で、海水面が上昇していたのである。
この点について磯貝氏は1100年の海進について山本説よりも多くの沿海図などの史料によって海水面が上昇していたことを論証しており、実質的に山本説を補強している。なお、上記論文の註にある越後古図(現在の新潟県の平野部が海湾になっている。弥彦が海に突き出た半島でその背後が内海になっている)
の海進初期の康平年間図の存在や真偽論争のサイトはこれです。
http://homepage3.nifty.com/nonnkinakama/
さらに、最温暖期の風俗についても検討され、11世紀末期の「永長の大田楽」(熱狂的に貴賤を問わず異様な風態で、笛・鼓・ささらなどの囃子にあわせて田楽踊りをして都大路を練り歩く)の爆発的流行について、温暖化に伴う異常豊作が背景にあるという解釈をされている。
だから温暖化したらしたで、田楽踊りで踊り狂えばいいんですよ。そっちのほうが楽しいんじゃないですか
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