感想 乾宏巳『近世都市住民の研究』
清文堂2003年刊。「大坂菊屋町における結婚・出産・死亡」初出は『大阪教育大学紀要』第Ⅱ部門39巻1号 1990年から引用します。116頁、119頁です
菊屋町住民の初婚年齢
女
宝暦・天明期(1751~1788)
家持 借家
10歳以上 3
15歳以上 1 3
20歳以上 1
25歳以上
30歳以上 1
平均 14.8 21.7
寛政・化政期(1789~1829)
家持 借家
10歳以上 1
15歳以上 4 6
20歳以上 2
25歳以上 1
30歳以上
平均 17.5 18.10
幕末・維新期(1830~1870)
家持 借家
10歳以上
15歳以上 3 3
20歳以上 1 3
25歳以上 1
30歳以上
平均 20.2 19.1
夫婦の出産人数
出産数 宝暦天明 寛政化政 幕末維新
0 24 18 7
1 11 8 6
2 7 4 6
3 7 7 1
4 3 4 4
5 3 7 4
6 2
7 1 1
8 1 1
9
10 1
平均 1.6 2.1 2.21
日本の歴史人口学では宗旨人別帳を史料として家族復元を行っているが、江戸時代の平均初婚年齢についても幾つかの研究業績があり、私はコピーでかなり所持しているので余裕があればプログでもとりあげることとする。
今回はまず大阪である。なぜかというと近世歴史人口学の都市部の研究蓄積がほとんどないのである。都市部の宗旨人別帳は度重なる都市災害で残存量が少ないから。
大坂島之内菊屋町は、現在の心斎橋筋二丁目である。私は1970年万博の時、大阪を見物して心斎橋の大丸に行き戎橋を渡ったことを覚えているが以来島之内地域に行ったことがないのでよく知らないのだが、ほぼミナミの中心街だろう。なぜ島之内菊屋町かというと1713年~1866年までほぼ連続して宗旨人別帳が残っているからである。
島之内菊屋町の性格であるが、18世紀後半になると道頓堀南側に芝居小屋や難波新地などの遊興地が繁栄した影響を受け、関係者や商人の居住が目立つようになり、19世紀になると菓子屋、饅頭屋、鮨屋、麺類屋や呉服、小間物、足袋、履物、鬢付油の専門小売店が混在し、幕末維新期には大阪きっての小売商店街となった。
近世大坂の人口は18世紀後半の宝暦・天明期の40万人台がピークとされているが、上記の統計はサンプルとしてはあまりにも少なく思え、又、菊屋町が大坂の標準的傾向を示しているかもよくわからない。従って、このデータをもって近世大坂全体の初婚年齢を推計できないのであるが、このデータは他の地域と比較しても初婚年齢は若いように思う。
問題は完結出生児数である。結婚期間のデータを掲載してないが、結婚期間が短い夫婦が多いとしても、、1997年日本の21~22歳で結婚した場合の完結児出生数が2.35と比較すると、大坂菊屋町の完結出生児数はかなり少ない。少子化少子化と騒がれてるが、近世大坂はもっと少子化だった。
素人考えだが、この点からすると速見融の都市蟻地獄説を裏付けるのではないか。都市は災害・流行病で死亡率が高く、農村部から出稼ぎなどで人口を引きつけるが、農村に帰っても結婚が遅れ、農村部の出生率も低下させる。都市が蟻地獄だったことが江戸中期の人口停滞の要因とする説だが、ひるがえって考えてみると、サンデー毎日であったか勝間和代が、少子化の原因について実証的根拠もなく、男性の長時間労働を糾弾、男性の労働の自由を否定しようとしているわけですが、菊屋町のデータがある程度近世都市の実態を反映していると考えると、もともと都市部では、完結出生児数は現代より少なかったわけで、昔も少子化だった時代があった。江戸中期以降は庶民の生活水準も近世初期より格段に良くなったことを考えると少子化それ自体は悪ではない。少子化を口実とする、ワークライフバランスなどの偽善パターナリズム政策は、悪質なものと認識すべきである。
« ウエストヒップポイント(3) | トップページ | 1984~85年イギリス炭坑ストライキ敗北の歴史的意義(1) »
「日本史」カテゴリの記事
- 火葬場の事例(2012.05.10)
- 保立道久ブログの感想など(2011.03.21)
- 寛平三年の右大臣は藤原良世だろ(2011.02.15)
- 「治承寿永の内乱」でいいんでないの(2010.11.29)
- 本郷和人にはがっかりした(2010.11.29)
« ウエストヒップポイント(3) | トップページ | 1984~85年イギリス炭坑ストライキ敗北の歴史的意義(1) »


コメント