ロックナー判決マンセー論(16)
パソコンでダウンロードできる論文 中里見博の「合衆国最高裁判所における女性労働『保護』法理の成立(2)完 : 最高裁判所のジェンダー分析に向けて」名古屋大學法政論集. v.167, 1997http://hdl.handle.net/2237/5741 「合衆国最高裁判所における女性労働『保護』法理の展開 : 女性最低賃金法違憲判決のジェンダー分析名古屋大學法政論集. v.171, 1997,http://hdl.handle.net/2237/5781 について感想を述べます。
中里見博は初めて知りましたがhttp://www.ads.fukushima-u.ac.jp/~souran/public_law/nakasatomi.htmlはジェンダー法学が専門で、ポルノ規制やドメスティックバイオレンス規制に関心があるフェミニストです。もちろん私は児童ポルノ規制も反対でリベラルですし、ドメスティックな領域に官憲が干渉することに反対ですから、中里見博の思想には反対しますが、上記論文は洗濯業女子の労働時間規制を合憲とした1908年Muller v. Oregon208 U.S. 412 ミュラー対オレゴン判決http://straylight.law.cornell.edu/supct/html/historics/USSC_CR_0208_0412_ZO.htmlや、女子労働者の最低賃金法を違憲とした1923年Adkins v. Children's Hospital 261 U.S. 525 アドキンズ対児童病院判決http://straylight.law.cornell.edu/supct/search/display.html?terms=adkins&url=/supct/html/historics/USSC_CR_0261_0525_ZO.htmlを比較的詳しく分析するだけでなく、直接ジェンダーとは関連ない、ユタ州の地下坑並びに製錬工及び鉱石精錬労働の雇用時間を原則として8時間に規制した州法を合憲とした1898年Holden v Hardy169 U.S. 366 ホールデン対ハーディ判決http://straylight.law.cornell.edu/supct/html/historics/USSC_CR_0169_0366_ZO.html、ビスケット、パン、ケーキ製造の労働時間を一日10時間、1週60時間に制限するニューヨーク州法を違憲とした1905年Lochner v. New York198 U.S. 45
ロックナー判決http://straylight.law.cornell.edu/supct/search/display.html?terms=LOCHNER&url=/supct/html/historics/USSC_CR_0198_0045_ZO.htmlの判例理論を分析して、その相違点を明らかにしていて有益なので取り上げます。
感想としてはミュラー判決も基本的にはロックナー判決の枠組みであり、有名なブランダイスブリーフ(上告趣意書)は科学的・実証的でないと著者が断定しているのは新味があると思いました。ブランダイスブリーフは、革新主義者により高く評価されていたが、今日では時代錯誤のものであることはいうまでもない。公民権法タイトル7により性差別は禁止されているから、ブランダイスのように母性保護を強調して、女子労働保護立法を支持する考え方自体が違法である。この点で著者に偏見はないと感じた。
また、ロックナー判決が、厳格審査とも、中間審査基準とも言われている意味、前回取り上げた木南敦の言う、ロックナー時代の裁判官の構想「ポリスパワーによる権限が及ばない領域を裁判所が画定し、そのような領域ではコモンローは立法によって修正されず、裁判所がコモンローの内容を確定して、コモンローによって自由が保障される」と述べている意味が上記論文を読んで若干理解できたのでまずその点を説明します。
著者はロックナー判決の「契約の自由」法理について、次のように説明します。--「契約の自由」法理とは、強い自然権思想を背景に、使用者と労働者を、労働契約を結び、労働条件を取り決める対等な当事者と捉えて、「公共の健康、安全、福祉」の保護・促進を目的とした州の正統なポリスパワーの行使と認められる場合を除いては、州はその過程に介入してはならないという法理である。他方、1868年に成立した合衆国憲法修正第14条は、「いかなる州も、法の適正な手続きによらずに、何びとからも生命、自由、及び財産を奪ってはならない」と定めたが、これは立法上の手続のみならず、実体面での適正さ-「実体的デュープロセス」-をも要求するものと解釈された。「契約の自由の法理」は、この「実体的デュープロセス」法理と結合して、修正14条の「自由」または「財産」の中に「契約の自由」を読み込むことによって、憲法上明文の規定のない「契約の自由」を憲法上保障されたものとしたのである。‥‥具体的な審査基準が、「目的の正統性」及び「目的-手段の実質的関連性」の厳格審査である。‥‥--- v.167326頁
ホールデン判決とロックナー判決の相違点ですが、ホールデン判決は立法府判断、権限を尊重し、司法部の介入の抑制を強調していたにもかかわらず、ロックナー判決がこの先例を覆さずに矛盾していないのは、著者の次の指摘が重要である。
ホールデン判決は科学的・実証的事実なしに、「新鮮な空気と日光を奪われ、悪臭と高熱‥‥」に晒される地下坑内労働が労働者の健康にとって有害であることを認め、鉱工業業者と労働者とは経済的に不平等な立場にある事実を立法府が認めた(この論点は私は全く同意できない)ことを受入れ、労働者の健康を保護するために、労働時間規制を認めたものであった。ホールデン判決における立法府判断の尊重とは、坑内労働における健康保護と労働時間規制の合理的関連性について、科学的・実証的な事実に基づいて判断を下したことを尊重するという意味ではなかったのである。州政府が鉱工業を特別に危険な職業と見倣して立法府規制を行ってきた伝統である。加えて「これらの法律の幾つかの州で、繰り返し裁判所により執行されてきた」コモンローの存在が決め手になっている。(v.167335頁)坑内労働が立法府規制の伝統のある領域であったことから、すんなり合憲判断となった。(ただしブリューワとペッカムの2判事は反対)
著者は、ロックナー判決の意義について第一に、「目的-手段」の合理的関連性の挙証責任の転換と言っている。つまり、「目的-手段」は著しい不合理がなければ合理性を推定するというのではなく、立法を支持する側が、積極的に「目的-手段」の関連性を立証しなければならない。それ自体は中間審査基準といわれるものだろうが、しかし次の点でロックナー判決は厳格なのである。
ペッカム法廷意見の「労働時間が制限されなければ、公共の健康ないし労働者の健康に重大な危険が生じるといえる、公平で合理的な根拠がない限り」という文言は一見して、科学的実証的根拠を求めているように読めるが、証拠の列挙だけでは立法を支持されるものではないことが、次の文言で分かる。「自由を侵害する法律を支持するには、健康への幾らかの有害性がある可能性についての事実が単に存在する以上のものが必要である」。v.167343頁
「事実以上のもの」とは著者によると「共通の認識」である。「当該規則(労働時間規制)は共通の認識knowlegeからして、製パン工場及び製菓工場における労働が健康に有害であると言うことができなければ、支持され得ない」「共通の理解からして、製パン業が労働者の健康を害する職業であるとは決して考えられてこなかった」としている。v.167342頁
従って、著者は、ロックナー判決は、科学的・実証的立法事実に基づいた審査ではなく、伝統に基づく審査と述べている。ハーラン判事が証拠の列挙と外国立法の例を挙げて反対意見を記しているが、http://straylight.law.cornell.edu/supct/html/historics/USSC_CR_0198_0045_ZD.htmlそれだけでは駄目なのである。外国立法については問題外に思える。
つまり、社会通念から見て、製パン工場及び製菓工場が、鉱山の坑内労働のように特別に危険で有害な仕事とは認識されていないのであるから、このような一般的職業では、労働時間規制を支持できないと言うことだろう。
この司法審査は堅実に思える。というのは中間審査基準の「目的-手段」の実質的関連性については、証拠やデータ、公衆衛生について裁判官が主観的に解釈しがちになるので不安定になりやすいことを防止している。伝統に基づいた審査によって、安易に契約の自由が侵害されることを防止しているのである。それは伝統的な法秩序を安易にくずさないということであり、コモンローによって自由が保障されるという考え方に通じる。
パン焼きは古代メソポタミアから始まっている。ポンペイ遺跡ではパン屋が発掘されている。製パンは古代から職業として存在しているが、鉱山坑内労働のような危険な職業と認識されてはいない。なるほど、ニューヨークの製パン工場はアパートの地下にあって不衛生であったかもしれない。しかし、作業環境を規制する州法を裁判所が潰しているわけではないわけである。
ロックナー判決は、労働時間規制立法を「契約の自由」法理により違憲判決を下したものであるが、上記論文ではロックナー以前の1895年のイリノイ州最高裁Richie v.Pecopleを取り上げている。これは衣料品製造工場での女子労働時間を、1日8時間、州48時間に規制する州法を、デュープロセスを欠いて自由と財産を侵害するものとして違憲と判決した。「労働力はプロバディであり、いかなる他のプロバディ所有者とも同様に労働者は、自己の労働力を売り、それを結ぶ契約の権利を有する」v.167328頁と述べた。
ひるがえって我が国の現状を考えてみるに、労働基準法や労働協約により、個人の雇用契約の自由や労働力処分の自由が大幅に侵害されているうえに、政府が適当な口実によって、かんたんに自由・財産の侵害を正当化されてしまう。ワークライフバランスや次世代育成支援のために、特に男性の労働時間を規制しようとしている。その目的が、男性も育児に参加させ、役割分担の定型概念を打破するというフェミニズム的な思想を社会正義としているためであり、あるいは少子化対策とされているが、立法目的自体が不純である。伝統的な家族観、男女役割に基づいた生活を営む自由を否定することが目的とされている。ライフスタイルの自由の否定である。仮に少子化対策を正統な立法目的と認めるとしても、男性の労働時間を規制することとの目的-手段の実質的関連の証拠はない。それでも休みを増やして早く自宅に帰ればセックスをやる気になって子供は増えるというかもしれないが、その程度の薄弱な根拠で、安易に自由・財産を侵害されるべきものではないのである。
個人の労働力処分の自由がない社会に閉塞感が強い。よくいわれることですが、人の二倍・三倍勤勉に働かないと、なかなか人生で成功することはないでしょう。ハードワーク主義はワークライフバランスに反し悪であり、規制の対象になれば、人生に積極的な意義を見いだせない。それよりも、次世代育成、子育て支援、男女役割定型概念打破のために、男性は働くことを自粛し、競争を自粛し労働の自由を完全に放棄し、赤の他人である女性や赤の他人の次世代育成の利益に奉仕するだけの人生を歩むべきだとされる。つねに政府の労働者保護法や労働協約やこのようなフェミニズムに基づく労働規制によって自由と財産の侵害に晒されていることは、私は異常なことであると思う。野田聖子消費者担当相なんか、男性の働き方を規制したいんでしょう。
アメリカではワークライフバランスは公定政策ではなく、業績の良い企業が、会社の評判と人的資源管理の一貫としてファミリーフレンドリーな政策をやっているだけ。しかもその基本は会社に託児所を設けることで、ワーキングマザーを支援するのが基本です。それならともかく、男性の働き方を標的にして、自由・財産の制限をねらっていることが、日本のフェミニズムの悪質なところです。
のみならず、仕事に対するコミットメント(使命感)や誠実な勤勉さをワークライフバランス政策に反し悪とするような価値観の転倒した社会に未来はないし、原爆で潰されたほうがましかもしれない。
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