そもそも西欧キリスト教文明世界では婚姻は教会の管轄権であったはず
そもそも西欧キリスト教文明世界では婚姻は教会の霊的裁治権であった。婚姻の有無、成立要件などは教会裁判所の管轄権に属するものとされた。とくに英国では婚姻と遺言による動産処分は教会裁判所の管轄権であることが明確であり近代まで続いた。11~12世紀の秘蹟神学の進展と、12世紀の教皇授任裁判の進展により、とくに教皇アレクサンデル3世の活発な働きにより、古典的カノン法が整備され、合意主義婚姻理論による古典的教会婚姻法が成立した。16世紀にフランスガリカニズム教会がトレント公会議の方針に反して、婚姻立法の世俗化の流れとなったが、イギリスで婚姻法が世俗議会立法となったのは18世紀中葉のハードウィック卿法である。それは世俗権力による婚姻立法権の簒奪であった。
このような歴史的文脈において西洋文明世界においてはキリスト教的結婚の定義から逸脱は不可能である。世俗政府が勝手に結婚の定義を拡大すべきではない。それは僭越な事柄なのだ。
モルモン教は新興宗教であり、19世紀には迫害を受けた。しかし、今日においては体制側の宗派とみなされ、宗教社会学的にいうセクトではなくデノミネーションと認識している。今日でもデノミネーション化しないセクトは、政治に一切関わらないエホバの証人だろう。
モルモン教は男女同権憲法修正の ERAをストップするために大きな貢献があったことでも知られる。アメリカ社会の左傾化の防波堤の役割を果たした点で大きな存在価値があると思う。
今回、カトリックと福音派とモルモン教が連合して、同性婚禁止法通過に貢献した意義を強調するのはそのためである。ただとても心配なのはカリフォルニア州最高裁が同性愛者につまらない同情を示す懸念があるということだ。
« 女子平均初婚年齢22歳とはうらやましいユタ州 | トップページ | 感想 長淵満男『オーストラリア労働法の基軸と展開』(1) »
「ニュース」カテゴリの記事
- 京アニ事件の感想(2019.07.21)
- 今日も不愉快(2019.06.19)
- 出産女性議員の遠隔投票導入は、疾病や外傷で出席できない議員に対して不当な差別、厚遇だ(2019.02.12)
- 児童虐待罪なんていらない(2019.02.10)
- 労働時間の把握義務付け反対(2018.03.17)
コメント
« 女子平均初婚年齢22歳とはうらやましいユタ州 | トップページ | 感想 長淵満男『オーストラリア労働法の基軸と展開』(1) »
じゃあキリスト教徒以外は結婚しちゃだめなんだな。聖書に書かれているとおりに法律を定めるなら、離婚も禁止ということになるぞ。近年アメリカでは離婚率が50%近くに上っているから、ほろんどはキリスト教の教えに従っていないことになるな。まず離婚者を罰する法律を作ったほうがいいんじゃないの?
投稿: リス | 2008/11/21 22:52
私は個人主義的自由主義なので、古典的カノン法の自由主義的婚姻理論を高く評価してます。
ラテン的キリスト教世界(東方教会等をのぞく西欧社会の影響下の地域)、現代西洋人の結婚観の基礎を据えたのは
12世紀に成立した緩和的合意主義婚姻理論による古典的カノン法の成立です。それに貢献した神学者がこの文明の規範提示者であり、すなわち中世最大の神学教師ベトルス・ロンバルドゥスや教会法学者グラティアヌス、そして教会法学者でも神学者でもあった教皇アレクサンデル3世、在位1159~81)です。この三者がこの世界の規範提示者ですよ。
(婚姻約束-我は汝を我が妻とする。我は汝を我が夫とするというような現在形の言葉による誓約)で婚姻は容易に成立し(教会法的には2人の証人が要件だが理論的には証人が亡くても婚姻と言える)、しかしこの婚姻は所謂matrimonium ratum(et non consummatum)(未完成婚)であって、信者間にのみ成立する婚姻であり、原則として非解消で在るが若干の例外を認めうる。 すなわち、夫婦の一方が婚姻に優る状態であるところの修道生活に入る場合、又は教皇の免除(despensatio)を得た場合には解消しうる。この未完成婚の状態にある夫婦にcopula carnalis(身体的交渉)を生じた場合、始めて『二人の者合して一体となり』(erunt duo carne una)、キリストと教会の結合を顕わし、秘蹟としてmatrmonium ratum et cosummatum(完成婚)が成立するというのが、ペトルス・ロンバルドゥスの合意主義的婚姻理論で、グラティアヌスは合衾主義で、合意主義-合衾主義婚姻論争というのがありましたが、12世紀中葉の教皇授任裁判でイングランドより教皇に上訴されたアンスティー事件で教皇アレクサンデル3世は決定的に合意主義を採用した。正確には合衾で完成婚なので緩和的合意主義といわれますが、合意主義は合理的なものだった。地中海世界は処女性を重んじる風土ですが、アルプス以北の西欧、イングランドは婚前交渉に許容的な基層文化ですから、より普遍的な婚姻要件としては合意主義が妥当なものだった。又、ヨゼフはマリアの許婚者として語られるが、合意主義婚姻論者12世紀の神学者サン・ヴィクトルのフーゴはマリアとヨゼフには真実の結婚があったする考えで、このために合意だけで結婚が成立することを主張していたといわれる。
重要なことは古典的カノン法(中世婚姻法)による結婚は本質的に自由なのである。親や領主の承諾要件はない。婚姻予告や教会挙式も婚姻の成立要件ではない。婚姻適齢もローマ法を継受して男14歳、女12歳とほとんど制約はない。
13世紀イングランドで教会の扉の前の儀式を要求したのは世俗裁判所である。それは花嫁の終身的経済保障つまり寡婦産など結婚に伴う財産移転の確定のためのものだった。ウェディングというのはそういう意味である。教会の内部でも行われなかったのは、財産移転のような世俗的事柄であるからである。中世教会法(合意主義結婚)は教会挙式を要求していない。一般庶民のイングランドの結婚は2人の証人は俗人で良く、婚約は居酒屋であれ良かった。それは教皇アレクサンデル3世の緩和的合意主義婚姻理論に忠実なものだった。メイトランドがいうように、英国婚姻法(古き婚姻約束の法-コモンローマリッジともいう)とは古典的カノン法そのものだった。つーかそもそも、イングランドで活発な教皇上訴があり、教皇によって裁定され、婚姻関連の教会法令はイングランドで採録されたもの多かったのであるし、合意主義はイギリスの風土になじむものだった。
古典的カノン法(中世婚姻法)の婚姻成立要件が自由主義なので、秘密結婚や駆け落ちが容易で世俗権力は反発した。しかし教会は数世紀にわたって、婚姻の自由のために世俗権力と闘争したのである。しかし16世紀のトレント公会議では、教会婚姻法が秘密結婚の温床となっているという非難をかわすため、初めて教会挙式を婚姻の成立要件とした。しかし秘蹟神学本来の理念からすれば、聖職者の関与は不要なのである。フランスガリカニズムはそれでも不満で、婚姻成立要件に親の承諾を要求したが、それは婚姻法の本質に反するものであったから、トレント公会議はフランスの要求をきっぱり拒否した。フランスはやむを得ず、16世紀に国王立法で親の承諾要件を定めた、これが婚姻法の世俗化の走りである。
イングランドは宗教改革によりローマから離れたため、トレント公会議を採用せず、古典的カノン法は、古き婚姻約束の法として継続した。結果、イギリスでは18世紀に至っても秘密結婚が社会問題となり、18世紀中葉のハードウィック卿法によって初めて、子議会制定法により教会挙式と未成年者の親の同意を婚姻成立要件としたのである。
さらに重要なことは、キリスト教に特徴的な婚姻目的として、淫欲の同毒療法としての結婚の強調がある。ふしだらな行為を避けるために結婚するというコリント前書に依拠する結婚の目的だが、つまり結婚の第一義的目的は財産の継承とか、後継者や子供を作ることではない。ふしだらな行為を避けるという個人の内面な動機を重視するのである。これは、離婚論を唱えたミルトンの言う結婚の目的、精神的な平穏とくつろぎを得るための結婚とえう価値観と類似性がある。ゆえに、人類学者のグッディーは、エンゲルスの言うように、近代個人主義的友愛結婚とロマンチックラブは近代に始まるものではなく、それは中世の秘蹟神学と、中世教会法の個人主義的婚姻理論に基づくものである。恋愛結婚の最大の擁護者とは、中世神学最大の教師、ペトルス・ロンバルトゥスであると、アナール派の歴史家フランドランが書いてます。
今日、西洋人のみならず、日本も含めて西洋文明の影響を受けた世界の多くの人々が近代個人主義的友愛結婚とロマンチックラブという中世教会法婚姻理論に根拠を持つ結婚観を受容している以上、規範提示者からの逸脱は我々の結婚と家族の価値観を侵害するものだから強く反対します。
むろん結婚を秘蹟と認めないプロテンタントの見解や、婚姻非解消主義からの逸脱も規範からの逸脱ではないとの考えもあり得るわけですが、離婚論を提唱したミルトンの結婚観は当時のイギリスの結婚風俗を反映しているものです。イギリスが古典的カノン法にもっとも忠実な地域だったのですから、ピューリタンであるミルトンの結婚観に大きな違和感はない。ミルトンが文明から決定的に逸脱したとは考えてない。信教の自由と寛容が近代社会の基本にあるから。
そのように私は寛容主義ですが、いかに寛容でも同性婚の容認は決定的な規範からの逸脱として容認できないわけであります。
なぜなら男女の肉体的交通は神聖な意義があります。中世婚姻法は合意主義ですが、ロンバルトゥスが合衾の意義を軽視したわけではない。つまり『二人の者合して一体となり』(erunt duo carne una)、キリストと教会の結合を顕わし、秘蹟としてmatrmonium ratum et cosummatum(完成婚)が成立するというのが中世秘蹟神学の考えです。
もし、男女の交わりをキリストと教会の結合を顕わすものとして秘蹟としているのです。これによってふしだらな行為を行わないですみ、美人と結婚すれば美人を見ても氷のようでいられることができます。
しかし、同性のアナルセックスが『二人の者合して一体となり』キリストと教会の結合を顕わすものとは到底言えない。アナルセックス=キリストと教会の結合を顕すなどというのは笑止千万であり、教会を侮辱することになるだろう。
投稿: 川西正彦 | 2008/11/23 11:34
ぐだぐたと長いだけで全く反論になってないよ。聖書読んだことあるの?
1 Corinthians 7
To the married I give this command (not I, but the Lord): A wife must not
separate from her husband. But if she does, she must remain unmarried or
else be reconciled to her husband. And a husband must not divorce his wife.
Mark 10:11-12
And he said to them, "Whoever divorces his wife and marries another commits
adultery against her, and if she divorces her husband and marries another, she commits adultery."
Luke 16:18
"Everyone who divorces his wife and marries another commits adultery, and he who marries a woman divorced from her husband commits adultery.
キリストの教えでは、明らかに離婚は罪であり、離婚をしたものは二度と結婚してはいけないことになっている。これが聖書による結婚の規範であり、同性婚は駄目だけど離婚は合法でもOKなどという、自分たちに都合の良い部分だけ寛容になることなど許されていないのだよ。つまりだ、キリスト教を規範に持ち出して同性婚を法的に禁止したいやつ等は、離婚、再婚、結婚した者以外の性交渉など、聖書で罪とされているものは全て法的に禁止することを要求しなければ、その主張に正当性も合理性もないのである。
投稿: リス | 2008/11/25 20:57
このエントリーでは書かなかったが、私はユダヤ-キリスト教2500年の伝統と道徳的教訓維持のため反同性愛と言っている。今、手元にないので引用しませんが、ペイゲルスの『アダムとエバと蛇―「楽園神話」解釈の変遷』という著作に離婚否定はイエスによる旧約聖書のきわめて特徴的な解釈によるもので、当時のユダヤ教のラビは離婚を否定する者は誰一人いなかったと書かれてます。
離婚を否定しないユダヤ教の伝統も尊重しますから、それはアメリカ人がクリスマスツリーとハヌカーのメノーラという燭台を並べて祝っているように。広い意味でのユダヤーキリスト教2500年の伝統という観点では婚姻非解消主義にこだわらない考え方があっても良いのでは。
投稿: 川西正彦 | 2008/11/25 22:48