公務員に労働基本権付与絶対反対-政府は巨悪と手を結ぶな

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2009年2月の13件の記事

2009/02/21

やっぱりウォルマートは偉大だ 増収増益で絶好調

 日本チェーンストア協会が1月22日に発表した08年のスーパー売上高(既存店ベース)は、0.7%減と12年連続の前年割れだった。一方、新規店も含めた売上高は、前年比5.0%減の13兆2753億円。http://www.asahi.com/special/08017/TKY200901220241.html と報道され、消費低迷が伝えられてますが、この金融危機にもかかわらずウォルマートの2008年度 売上高は4,012億ドルで前年比7.2%増、最終利益高は134億ドルで5.5%増、国内既存店成長率は3.3%増、http://retailweb.net/2009/02/post_574.html(鈴木敏仁の米国流通情報サイト)
http://mjperry.blogspot.com/2009/02/wal-marts-global-sales-top-400-billion.html(ペリー教授のブログ)
 やっぱりウォルマートは偉大です。組合不在企業で顧客第一主義、ポストモダニカルマネージメントを私は推奨します。

感想  滝沢聿代 「民法改正要綱試案の問題点(上)」(1)

  14年ほど前のものだが、良識的な論評として高く評価する。『法律時報』66巻12号1994年11月

   1 婚姻最低年齢

    現行民法731条による男18歳女16歳を男女とも18歳とする改革案を厳しく批判している。

 まず、比較法的に英・独・仏の婚姻法制を検討しているが、イギリスが男女とも16歳が法定婚姻適齢である(正確にはイングランドが16~17歳は親の同意要、スコットランドは親の同意も不要-川西)。ドイツは成年である18歳を基準とするが、未成年者においても配偶者が成年であるという条件で16歳以上で婚姻の可能性を開いている。つまり男女を問わず結婚相手18歳以上なら16歳の婚姻を可としている。16-16はダメだが、18-16なら良いというものです。フランスは男18歳、女15歳(例外規定もある-川西)であるが、それが差別だとは論じられていないとする。
 著者はアメリカ合衆国について言及していませんが、50州及びDistrict of Columbia and Puerto Ricoの法定婚姻適齢については、コーネル大学ロースクールLIIのMarriage lawsのサイトを見てくださいhttp://topics.law.cornell.edu/wex/table_marriage。各州の婚姻適齢の一覧表があります。マサチューセッツではコモンローの婚姻適齢男14歳、女12歳が今でも生きている。
 それはともかく実は日本の戦後の男18歳、女16歳というのは、当時アメリカ合衆国の各州の婚姻法制でこのケースが多かったために、アメリカにならって、戦前の男17歳、女15歳から1歳引き上げたという経緯があるため、婚姻適齢法制の母法はアメリカなんです。
 1970年以前は18-16のケースが多かったのですが、アメリカでは古くから統一州法全国委員会が主体となって統一州法というものが幾つかあるが、婚姻法についても一定の方向性を打ち出ししている。これは拘束力はないが、男女とも16歳を婚姻適齢とし、18歳は親の同意を得ないで結婚できる年齢とするもので、16歳未満についても裁判所の許可で婚姻が可能なモデルで、各州で70年代以降部分的に採用されてます。従って、多くの州で男女とも基準を同一にする州が多くなりました。不成立でしたが男女同権条項は35州が批准していることもあります。その場合でも、統一州法のモデルどおり男女とも16歳を法定婚姻適齢の基準としている州が圧倒的に多い。私が数えたところでは50州のうち41州は16歳女子は文句なしに婚姻適齢とされています。17歳、18歳を基準とする州でも例外規定があるケースが多い。さらに16歳未満でも例外規定で裁判所の許可により結婚可能としている州が結構多く、男女差をなくす場合でも、16歳、17歳の結婚の可能性を否定することにはなっていないんです。
 法制審議会は、男女とも婚姻年齢を18歳以上とするのが世界的趨勢とか言ってますが、嘘ですね。悪質にも国民をだましているんですよ。ソ連やスウェーデンがそうかもしれませんが、米・英・独・仏といった主要国では16歳女子は結婚できることになっています。
 著者は平等取り扱いを優先するとしても、例外規定を持たず婚姻年齢を男女一律とする場合には14歳、16歳のように低い年齢に抑えることが一般的傾向と見うる。と述べている。これは良識的な見解で法制審議会と対立しています。

 さらに改正は望ましくないとする野田愛子氏のような家庭裁判所の実務家の見解(戸籍時報419号)を無視していることを厳しく批判してます。家庭環境に問題があり「非行」に走る少女も結婚すると落ち着くということです。結婚が解決策になるのです。人間学的に言えば、喜びと苦労を分かち合うことで喜びは倍になり、苦しみは軽減され、人生の困難を乗り越えていくことができるのです。従って必ずしも恵まれていない環境にある若い女性から法定婚姻資格を剥奪するのは過酷であると私は考えます。なるほど、16歳、17歳女子が結婚するカップルは、年間3000組程度ですが、全体数からみて少ないから切り捨てよというのは乱暴な議論であり、人情にも欠くものです。結婚し家庭を築くことは幸福追求にかかわる基本的な価値でありますから、安易に伝統的に容認されていた婚姻適齢での婚姻資格を剥奪することは、個人の幸福追求権より形式な平等追求を重んじるもので賛成できません。
 著者が「形式的な平等を追求する必要が果たしてあるのかという疑問は当然生じる」とと述べているのは正論である。
 
 さらに著者は法制審議会身分法小委員会の見解、高校進学率の高まりから婚姻適齢に高等学校修了程度の社会的、経済的成熟を要求することが適当であるとしている点に激しく批判している。「しかし、婚姻適齢の制度自体がそもそも少数者の例外的状況を念頭に置いた理念的な内容のものである。高校を修了したら誰でも婚姻しようと考えるわけではない。他方、義務教育のみで学校教育を終える者は依然存在し、これらの者にこそ婚姻適齢の規定が意味を持つ可能性は高い。安易な現状肯定から導き出される改正案の裏付けの貧しさに不安を覚える」とされています。
   結婚するために高等学校修了程度の社会的成熟が必要だなどという法制審議会の見解ほど非論理的なものはない。タレントの三船美佳は13歳頃から面識のある24歳年長の高橋ジョージと交際へと発展し、1998年の16歳の誕生日に入籍してますが、法制審議会の論理によれば高校を修了していない三船美佳の結婚は不適切な結婚といえよう。しかし10年たっても期待に反して離婚はしていない。法制審議会のいうようにこれが悪い結婚だと結論することはできないと私は思います。法制審議会の論理でいくと、中卒の北の湖前理事長に婚姻能力はなかった。高校中退者の婚姻は望ましくないということになります。
 そもそも高校は義務教育ではないから、義務教育修了後、進学するか就業か、昔のように礼儀をならうために奉公して結婚準備するかということは、それは全く親の監護教育権、身上統制権及び本人の自己決定権の領域であって自由である。政府が干渉、要求すべき事柄ではない。百歩譲って高校進学が望ましいとしても、昼間定時制とか単位制高校とか、結婚生活と両立しうる学業も可能なのである。娘の幸福を第一に願うのは両親であって、政府や日弁連に指図される理由など全くない。

 著者の結論は、民法731条に手を加えないことが望ましいとするもので私も同意見である。著者は皮肉まじりに批判する。「一八歳未満に法的婚姻を全く否定する政策は、婚姻適齢を比較的高くし(男二二歳、女二〇歳)、一人っ子政策によって人口抑制をはかる中国法のような方向に接近するものと理解されなければならない」

 民法学者はどうしてこう杓子定規な結論を出すのか。婚姻適齢を男女とも18歳にして形式的平等を達成するというのは婦人団体や日弁連の女性委員会がかねてから主張していたもので、それは男女平等達成のシンボルとしての意義があるということであるが、日弁連や女性団体のメンツが第一で絶対に逆らえないということか。従って個人の幸福追求より、フェミニストのご機嫌取りを重んじる法改正に私は反対なのである。
   民主党は成人年齢を18歳とし、婚姻年齢は女子を16歳から18歳に引き上げ形式的平等を達成することを公約していますので、民主党単独政権となった場合、16~17歳女子婚姻資格剥奪は確実と思われますが、私は強く反対します。
 

感想 上原正夫「アメリカにおける男女平等-男だけの徴兵登録合憲判決に寄せて-」

 判例タイムズ446号1981年10月1日号。私が知る限り1981年のロストカー判決ROSTKER v. GOLDBERG, 453 U.S. 57 (1981) http://caselaw.lp.findlaw.com/scripts/getcase.pl?court=US&vol=453&invol=57の唯一の判例評釈である。
 上原氏の判例論評はバーガーコート時代の主要判決を網羅しており有益である。 
  この事件は、カーター大統領がソ連のアフガニスタン出兵に対する決意のほどを示すために75年以来の選抜徴兵法による登録再開の必要とあわせて女子をも登録・徴集する同法の改正を求めたが、議会は登録再開を是認したが、女子の登録に反対し、男子を登録するための予算だけを認めたところ、数人の男子青年が同法の性差別は憲法修正5条のデュープロセス条項に違反すると主張し、1980年7月フィラデルフィアの連邦地裁は、原告の請求を認め、登録の中止を命じた。政府は急遽執行停止命令を連邦最高裁のブレナン判事から取り、登録は計画どおり実施され、この事件が最高裁に係属し1981年6月25日6太より合憲判決が下された。
 レ-ンキスト判事が法廷意見を記し、バーガー長官、スチュアート、ブラックマン、パウエル、スティーブンス各判事が同調した。ホワイト判事とマーシャル判事が反対意見を記し、ブレナン判事が双方に同調した。
  レーンキスト法廷意見は、裁判所は議会の決定を尊重すべきであり、特に国防及び
軍事に関する場合には、当裁判所は議会に対して最大の経緯を払ってきたと司法の自己抑制を基本的態度としたうえで、集団としての女子は男子と違い戦闘に不向きである。陸軍と海兵隊は既定の政策として女子の戦闘参加を制限しており、議会の判断は論理的であり、法の適正手続に反するものではなく合憲であるとした。
 ホワイト反対意見は、最近の諸戦争においては、戦闘不適格者のなしうる勤務の要員をも、軍事上の効率を落とすことなく確保するために登録と徴兵を必要としており議会が男子だけを登録しても構わないという性差別を正当化する適切な理由はないとする。
 マーシャル反対意見は国の独立を守るという公民としての基本的義務から、文句なしに女子を排除することは法の平等な保護についての憲法上の保障に矛盾する。本件はCRAIG v. BOREN, 429 U.S. 190 (1976)判決
http://caselaw.lp.findlaw.com/scripts/getcase.pl?court=us&vol=429&invol=190。の中間審査基準によって審査されなければならない。すなわち政府は女子を登録から排除する性差別を正当化するためには、、戦闘部隊の徴集準備という重要な国政上の目的に本質的にかかわっていることを立証しなけれならないとする。

 私は司法積極主義を是認しますからレーンキストの司法自制主義とは違う考えですが、共同防衛・軍事については議会の判断を尊重するという法廷意見に大筋で同意します。ホワイト判事の反対意見に一理あるが、議会の判断を覆すのは行きすぎのように思う。マーシャル判事のいう性差別事件に中間審査以上の厳格な審査という見解には疑問を持ちます。
 本判決の意義は、反響が男女同権条項(ERA)憲法修正の反対派に有利に働いた事である。男女同権条項(ERA)は1972年に連邦議会を通過しその後5年間に35州で批准されたがあと3州の批准で成立というところで、進捗しなくなり期限切れで憲法修正は不成立に終わったが、この間、反対派の相当な巻き返しがあったわけです。反対派は男女同権条項が成立すると家庭が破壊され、女子も兵隊にとられると平等な権利が女性にとっても良くないということをさかんに宣伝していた。
 この判決によって、議会が積極的に女子も徴兵登録する方針をとらない限り、兵隊にとられる事はないということが明らかになったわけです。
 男女同権条項の明文を加えたらそうはいきません。当然、性差別的な選抜徴兵法は違憲となり、男女平等に徴兵登録される。女子は戦闘に向かないというのはステレオタイプ、男女役割分担の固定観念を打破するためにも、女子も徴兵ということになる。男女同権条項(ERA)は女子に戦闘靴をはかせるという宣伝で、憲法修正の動きが止まってしまったわけです。
 
 

2009/02/18

優先席の携帯電源オフは実質無意味との記事『サピオ』2009年3月11日号の感想

 発売中の26頁です。「電車優先席での携帯禁止は実は心臓ペースメーカーに影響なし!?」という記事があって「携帯電話の影響でペースメーカーが誤作動した事故の報告例は世界で1件もない」「日本心臓ペースメーカー友の会も『よほど古い携帯電話とペースメーカーの組合わせならともかく、実態として今は100%影響ない』と話す。」とあります。小学館のような著名な教育雑誌も出している出版社の雑誌だから信用していいでしょう。
 ということは、医学的根拠もない規制をやって車内放送でうざいことを言っている民営鉄道協会が悪いということですね。うざいというば東京メトロの駅員の「春闘バッチ」本当に目障りだ。不愉快ですよ。「春闘バッジ」つけてる奴らに指図を受けて携帯切る必要ないわけですよ。
 たまに携帯を使っている若者に説教するうざい老人客を見かけることもあるが、『100%影響ない』と友の会が言ってるのだから逆説教をしなきゃいかんかな。携帯電話は凶器でも何でもないのにいちいち消したりつけたりしていられるか。

2009/02/16

感想 吉野佑介 「アメリカは真に「自由な社会」なのか? 一一九八○年代アメリカの「新自由主義」とハイエク思想-」

 杉田米行編著『アメリカ社会を動かすマネー:9つの論考』三和書籍2008年所収
ドイツやフランスよりアメリカは自由な社会だと思うが、それは相対的なものであって、1937年の憲法革命以後、経済規制、社会労働立法は最高裁をパスするようになり、連邦政府の規制権限が大きくなっています。何よりも全国労使関係法や公正労働基準法は雇用契約の自由を制約していると考えますので、現代のアメリカは自由な社会ではないです。カードチェック法案のように労働組合の賃金圧力を強化するとなれば、アメリカは自由企業体制の国家とはいえなくなる懸念さえあります。ニューズウィーク日本語版2008年11月26日号のサンデル・カトワラの記事--「小さな政府」は大きな幻想--によるとレーガン政権では連邦政府職員が軍関係を除いても20万人増加しており、ブッシュ政権は、ジョンソン政権以上に政府の自由裁量による財政支出が拡大したと書かれている。サッチャーは医療保険制度に手をつけず福祉予算を維持しており、新自由主義の政策とは必ずしもいえない側面もあったことが指摘されている。
1980年代以降が新自由主義の時代とされているが、この論文の結論は、ハイエクのアメリカへの影響は、彼の著作の内容が十分反映されていたかは疑わしい。経済政策との関連でも、ハイエクの主張とレーガンの政策との結びつきはそれほど強いものではないとする。
ということはハイエク主義はアメリカでは実現されていないのである。
私がハイエク思想で最も気に入っている見解がこの論文で引用されている。それは「古典的自由が目指した社会秩序と現在変換しつつある種類の社会との間の主な相違は、前者が正義に適う個人行動の原理によって支配されるのに対し、新しい社会が『社会的正義』に対する要求を満たそうとすることにあること、言い換えると、前者が個々人による正義に適う行為を求めたのに対し、後者は人々に何をすべきかを命令する権力を持った当局に正義の義務を課すようになってきていることにある」247頁
ハイエクは明らかに前者のような社会、「古典的自由」が見られる社会にシンパシーを置いている。すなわち「正義に適う個人行動の原理」によって支配された社会である。
つまり私は、政府や労働組合が『社会的正義』としている命令に全て反対なのでハイエク主義である。つまりハイエクは政府や権力によって設定された『社会的正義』によって個人行動の正義を否定することに反対なのだ。例えば「失業者救済」「派遣切り救済」「ワークライフバランスで女性に働きやすい職場」「ノー残業デー」「男子も育児参加」「有給休暇取得促進」「有給育児休業」といったこともそうである。      

 

2009/02/15

感想 廣瀬憲雄 「日本の対新羅・渤海名分関係の検討-『書儀』の礼式を参照して-」

『史学雑誌』116編3号2007年。
 隋・唐王朝は君臣関係とみなす周辺諸勢力に対して「皇帝[敬]問某」で始まる慰労詔書や「勅某」で始まる論事勅書を用いていた。
 令制以後、我が国も新羅・渤海両国への外交文書に慰労詔書を用い、渤海に対しては天平十二年、新羅には天平勝宝四年に「表」の提出を要求し、新羅・渤海両国を蕃国として服属させる強硬な外交方針をとっていたことが知られている。
 「表」は「臣某言」で始まり君臣関係を明確にさせるものだが、新羅・渤海両国が「表」を提出したことはない。石母田正は「東夷の小帝国」と言うが、我が国が外藩国として朝鮮半島諸国を明確な君臣関係、冊封体制に組み込めなかったことは帝国としては、有名無実、未完成ともいえる。
 著者によれば、我が国が新羅・渤海に対して、上表・称臣を要求したのは宝亀年間(奈良時代)までであり、延暦期に放棄されたことを明らかにしている。以後我が国は渤海に「啓」という上長に奉ずる様式を要求し、我が国が上位である礼式を遵守させる方針に譲歩することとなり、渤海とはこの礼式で合意することができたので外交関係が926年渤海滅亡時まで継続した。つまり渤海は新羅を牽制するために我が国と良好な外交関係を維持する必要があった。
 著者によるとこの礼式は唐-突厥・回鶻・吐蕃の擬制親族関係が結ばれた関係に概ね対応する。すなわち「君臣関係とみなすが相手を通常より高く評価する」「上表・称臣はしないが相手を上位に置く」名分関係なのだというのが著者の説である。
 新羅に対しても延暦以後「表」の要求から「啓」の要求に転換していたとみなしているのが著者の説である。従来殆どみのがされていた『三代実録』仁和元年六月廿日条を取り上げ、来日した新羅使が「啓」を所持せず、牒を函に入れず紙で包んでいるだけという異例を報告している記述から明らかだと著者は述べている。
 上表・称臣要求を放棄したと言っても、渤海に対して日本上位の礼式を遵守することは強硬に要求されており、「状」のような様式は認めない。新羅はこちらが礼式で譲歩しているにもかかわらず、我が国に対して無礼きわまる態度のまま(対等外交の要求)だったので、承和年間の大宰大弐藤原衛の4条起請にみられるように敵対視せざるをえないということだろう。

 著者は延暦十四年に来日した渤海使の外交文書を検討しているが、「伏惟天皇陛下、動止万福、寝膳勝常」を次のよう解説する。臣を称さないが、「陛下」と尊称している。第一首の起居を問う語の「動止万福」は伯叔等の傍系尊属、兄姉などの長属に対する用例である(完全な君臣関係では「聖躬万福」を用いる)。「寝膳勝常」も外祖父に対する礼式としている。従ってこの文書は日本上位の礼式である。我が国が要求した「啓」というのは、天平勝宝以前の渤海使の旧例のことであり、一応「啓」の提出で日本上位の礼式を表明させることで満足するものとしたのである。
 大唐帝国といえども、交戦し実力が接近している吐蕃に称臣の外交文書を提出させることはできなかった。それは今日のチベット問題にもリンクしてくる問題だが、従って、我が国が渤海に対して「啓」の提出に譲歩しても帝国としてのメンツは保たれたと理解してよいと思う。

2009/02/14

「逆チョコ」流行に思う

アメリカ人の習慣では菓子に限らず、花やカードを贈る。男性から贈ってもよいのだ。昨年書いた「バレンタインデー雑感」参照http://antilabor.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_8c5b.html。日本人もアメリカの習慣を理解してきたためか、今年は逆チョコが流行しているが、男性から贈るのは本来の在り方で「逆チョコ」は正しくない。  
中国は「逆チョコ」先進国で、バレンタインデーはクリスマスと同じように男性から女性にバラやプレゼントを贈るそうだhttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090214-00000012-rcdc-cn。こちらのほうが正しい理解かもしれない。

感想 吉田一彦「古代国家論の展望-律令国家論批判-」

このブログは読書カードやサイト閲覧メモ、ちよっとした情報メモのようなつまらない記事も書いていく方針とします。
『歴史評論』693号 2008年1月号、今でも中学・高校の歴史教育では、律令の規定どおり、すべての人民が戸籍計帳で国家に把握され、全員に口分田が班給され、水田稲作農業が行われ、租庸調が徴収され、班田農民たちは厳しい個別人身支配を受けていたと教えているらしい。しかし、古代史研究の最前線では、実態が異なることを承知している。
坂本太郎によって「律令制」という用語が確立したが、7世紀を近代的な概念での「法治国家」樹立の過程と捉えるのは正しくないと著者は言う。中国においても、天下の統治は天子の徳によるという思想が尊重され、律令のような成文法による統治は重んぜられていない。それは日本も同じことであるようだ。
例えば、よく知られていることではあるが、庸の賦課、歳役一○日の規定は一度も実施されず、木簡などをみると庸を米で徴収することが広く行われていた。刑罰は律と異なる処断が行われていた。僧尼令に基づく処断は一例もない。ただ多くの人は坂本パラダイムに慣れ親しんでいるので古代国家を「律令国家成立」-「律令制の崩壊過程」という脈絡で理解しているし、この概念はそう簡単に否定されないだろう。

著者が「律令国家」に代わる概念として提示しているのは「皇帝(天皇)制度」である。「天皇」号の由来について著者は次のように言う。中国の君主は秦の始皇帝以来「皇帝」を称するのが一般的だったが、唐の高宗が674年に「皇帝」を改めて「天皇」を称した。我が国は、それまで君主号として「大王」を号していたが、唐の高宗にならって、「天皇」号を導入したと言う。
律令編纂は「皇帝(天皇)制度」に付随する事業の一つという位置づけでよいとする。
著者は国号について「倭」は他称でマイナスの価値評価を含んでいるため「天皇制度」に対応する国号として「日本」が考案され自称したとする。藤原京などの都城造営、年号、夷狄概念、儀鳳暦、記紀編纂、銭貨鋳造、律令編纂は「皇帝(天皇)制度」の成立という視角からとらえるべきだとする。それはそうだろう。

2009/02/11

カードチェック法案の脅威、週刊東洋経済伝える

 発売中の2月14日号に西澤佑介記者のレポートとして「日本企業が脅えるオバマ政権〃新法案〃」という記事 があります。日本自動車部品工業会の河島哲則北米事務代表がEmployee Free Choice Act の危機感を述べたコメント等が掲載されている。
 労働組合は過半数以上の署名を獲得しても、実際の組合代表選挙になると負けることが多かった。署名と選挙では違うんです。カードチェックだけで組合結成が可能な同法案は中小企業を相当荒らすと予測されている。
 労働長官もブッシュ政権のチョー労働長官はヘリテージ財団の人脈で悪くなかったが、オバマが指名したソリスは労働運動家である。
 むろん、全米商工会議所をはじめとして、この法案に反対しており、米国経済にとって深刻なダメージになり、米国社会は左傾化し国益にも反するものであるが、日系現地企業の多くが現地では非組合企業であることが多く、これまでどおり、組合結成を阻止しにくくなると、それは我が国の国益にも反するということだ。

2009/02/10

感想 大沼直樹「幼少の頃の夏目漱石」

『教育学雑誌』日本大学教育学会32号1998年。たまたま、ネットで漱石と落語の関連で検索していたら出てきた論文であるPDF http://www.nuedu-db.on.arena.ne.jp/pdf/032/32-r-002.pdfhttp://www.nuedu-db.on.arena.ne.jp/backno2.htmlそもそも高校教科書以外で漱石など読んだことなどない。著名人の人生に関心があるだけだ。
  これを読むと、漱石は我が儘で悪戯もやっていた。養父は浅草の扱所(現在の区役所)の頭だった。24頁に---養父は,漱石のために「尾の長い金魚」「武者絵,錦絵」「緋絨しの鎧と龍頭の兜」「脇差し」 など,言うがままに買ってくれたのである--- 外へ出る時は,「黄八丈の羽織を着せたり」「縮面の 着物を買うためにわぎわざ越後屋(現在の三越)迄引っ張って」行ったりした。25頁に自分の好きなものが手に入らないと,往来でも道端でも構わずに,すぐ其所へ坐り込んで動かなかった。とある。養父母は吝嗇とも書かれているが物質的には中流以上の恵まれた生活だったと考えられる。やっぱり物質的に恵まれていたからこそ、学歴の頂点に立ち、作家としても成功したのである。
  特徴的なのはやはり、子供であるのに寄席に通っていること。24頁----「硝子戸の中」には「私は小供の時分能く日本橋の瀬戸物町にある伊勢本といふ寄席へ講釈を聴きに行った」と述べており,この伊勢本が度数からいうと一番多く通った と漱石は回想している。幼少の頃からずいぶん寄席通いをしていたらしい。漱石はまた芝居小屋に も顔を出している。当時の寄席と芝居小屋は,いわば公共語としての日本語の訓練の場であったと いわれる。漱石の言語感覚がそこで磨かれたであろう---
  私はテレビ世代なので、寄席も講釈も全く知らない。ボキャブラリーが乏しいのは仕方ないが、漱石は作家としての素養を寄席で磨いたと考えられる。伊勢本は当時、東京でも一流の寄席だった。
  なお、漱石は『三四郎』で三代目小さんが天才だと書いているらしいが、作家になってから牛込に住み、神楽坂の和良店という寄席に通ったらしい。当時神楽坂には5軒も寄席があった。

2009/02/06

個人情報公開

アメリカでプライバシー権というと普通ブランダイス判事の言う「ひとりで放っておいてもらう権利」のことである。公権力より個人の自己決定に干渉されない反パターナリズム的脈絡で論じられることが多い。もっともプライバシー権には孫と同居する権利とか、伝統的家族の価値を擁護する見解もあるので広い意味では結婚し家族を築く自由と言うような伝統的価値も含めて論じられる。実体的デュープロセス判例があるのだ。ところが我が国ではプライバシー権が個人情報保護のような歪められたかたちになってしまっているのが不愉快だ。例えば石原都知事のように、三宅島で残って生活したい人の自由を否定して、強制的に移住させることが強権が政治家の役目だと思っているような人が嫌いなのである。
 正直な人が善人だ。天地に恥じるような隠し事はないのだから、個人情報保護は不愉快なのである。私が欲しているのは消極的自由である。自己自身の最大の財産である労働力処分の、政府、第三者からの干渉からの自由であって、個人情報のようなみみっちいことではない。
 そこで恒例になっている収入の公開である。別に隠す理由は何もないのである。私は貧乏ではないが、金持ちでもなく、中間層であるが、平職員なので平均より低い。そういうバックグラウンドを知ってもらって何も悪いことはないのである。

 20年源泉徴収票    支払金額 6860510 
        給与所得控除後金額  4974459
        社会保険料        800125

ウォルマートの企業文化を称賛する時給従業員(アソシエート)

ペリー教授のブログで知ったのですが、ウォルマートの時給ワーカーが職場を称賛しているブログを見ました。http://www.boingboing.net/2009/02/01/life-at-walmart.htmlチャールズ・ブラットというおじさんのブログに329のコメントがついてます。

Pic06plattblog_walmart 従業員に優しく、敬意をもって接してくれます。末端の時給ワーカーでもあらゆる情報が開示されていて、何が売れているか、顧客が求めているものはなにかがわかります。のみならず時給ワーカーに意思決定がまかせられている。権限委譲もすすんでいて官僚主義的ではない組織です。会社を攻撃するキャンペーンは不愉快だと言ってます。反ウォルマートサイトは大労働組合から助成金が出ている。組合の究極のねらいは、100万以上のウォルマート従業員を組織化して、5億ドルの組合費を強制収奪したいという強欲と歯切れ良く語ってます。
 アメリカでは一般的に小売従業員の時給は安いといわれてます。しかし市場経済原理で当然のことだと思います。高い技能がなくても就ける仕事は時給が低くて当然なのであって、それが悪いということではないです。

2009/02/01

駒ヶ岳に登頂した夢を見た

 そこには売店があって駒ヶ岳山頂ということだったが、結構人が多くエレベーターの入り口があった。下界をみると急な崖でスイスのような山村のきれいな風景があり、下り道は急峻で大変なので案内人を出しましょうと売店の店員が言ったところで、何の脈絡もなく別の場面に移る。この夢解釈だが、私は夢占いなど信じない主義で、現実の職場の仕事の峠を越えたがまだやることがたくさんあって大変だという認識とほぼ符号しており、記憶の再現である。山頂に売店があるのは高尾山、エレベーターがあるのは華厳の滝とか実際に記憶している場所が混交しているだけ。なぜ駒ヶ岳なのかはわからない。そういう山を登ったことはないが、一応中央アルプスでは一番高い山ということで富士山ほど目立たないが自己の野心の大きさを暗示している。

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