個人情報公開
アメリカでプライバシー権というと普通ブランダイス判事の言う「ひとりで放っておいてもらう権利」のことである。公権力より個人の自己決定に干渉されない反パターナリズム的脈絡で論じられることが多い。もっともプライバシー権には孫と同居する権利とか、伝統的家族の価値を擁護する見解もあるので広い意味では結婚し家族を築く自由と言うような伝統的価値も含めて論じられる。実体的デュープロセス判例があるのだ。ところが我が国ではプライバシー権が個人情報保護のような歪められたかたちになってしまっているのが不愉快だ。例えば石原都知事のように、三宅島で残って生活したい人の自由を否定して、強制的に移住させることが強権が政治家の役目だと思っているような人が嫌いなのである。
正直な人が善人だ。天地に恥じるような隠し事はないのだから、個人情報保護は不愉快なのである。私が欲しているのは消極的自由である。自己自身の最大の財産である労働力処分の、政府、第三者からの干渉からの自由であって、個人情報のようなみみっちいことではない。
そこで恒例になっている収入の公開である。別に隠す理由は何もないのである。私は貧乏ではないが、金持ちでもなく、中間層であるが、平職員なので平均より低い。そういうバックグラウンドを知ってもらって何も悪いことはないのである。
20年源泉徴収票 支払金額 6860510
給与所得控除後金額 4974459
社会保険料 800125
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