公務員に労働基本権付与絶対反対-政府は巨悪と手を結ぶな

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2009年3月の13件の記事

2009/03/25

WBCの感想

 野球はストをやってから嫌いになり、短期決戦は後味の悪い試合が多いのでみない。韓国の監督はイチローと勝負するなと指示していたのに林昌勇投手が自信があったのか勝負をしたのが敗因というのも後味悪い。http://news.livedoor.com/topics/detail/4076297/、韓国、アメリカ、キューバに8戦6勝は思っていた以上の成績。私は素人だが結果を出した以上、原は名監督だろう。山田投手コーチも悪くなかったということになる。というより、野球を普段からみてないんで知らない選手が多い。村田とか内川とか知らないわけです。なんで稲葉が4番なのかとか。なんで高橋由伸が出ないのかとか。星野が選んだ上原はどうしたとか。なんで星野は岩隈を選ばなかったのかとかその程度の知識しかないが、3強に全然勝てなかった星野監督の無能が浮き彫りになった。

無期停学はかわいそう

大麻所持の京大生、無期停学=地検は起訴猶予処分 http://news.nifty.com/cs/headline/detail/jiji-24X568/1.htmという記事がありますが「微量の大麻を無償で譲り受けた学生に常習性はなく」ということなら無罪でいいんじゃないの。

2009/03/22

感想 藤田英昭「慶応四年の徳川宗家」

   『日本歴史』729号2009年2月。それによると慶応四年二月十二日徳川慶喜が退隠した後、江戸城を預かったのは隠居の田安慶頼(家達の実父-家斉の甥)と前津山藩主で隠居の松平斉民(家斉十六男)だった。両名は南紀派の領袖であって、この期にいたって南紀派勢力が再浮上し徳川家政を掌握したということらしい。田安慶頼を裏で操っていたのが大奥で絶大な勢力を有していた天璋院(家定正室)だった。天璋院と慶頼は政治的に親密な関係にあったが、慶頼は新政府に絶対恭順の姿勢であり、この点、天璋院は全く意見を異にしていたことが注目できる。輪王寺宮、奥羽越列藩同盟諸藩に絶大な期待を寄せ江戸城奪還を願っていたらしい。
 七月九日付け輪王寺宮公現法親王宛天璋院書簡と、仙台藩主伊達慶邦宛天璋院書簡が検討されているが、かなり強硬な新政府批判の発言がみられる。天璋院は上野戦争での新政府の所業について、勅額が掲げられた中堂や山門に発砲し、本堂を焼き払ったことを「悪逆不法」「神敵仏敵共の振舞」と悲憤慷慨した。仙台藩に対しては旧幕脱走兵を扶助したことを感謝し「会津・仙台ハ格別忠義」の藩として手紙を遣わして、薩長を中心とする新政府征討の戦意を鼓舞していたというのである。
 又、天璋院は駿河府中藩七十万石移封と、徳川家臣団解体処分に激昂したという。最後まで江戸城と旧領安堵にこだわっていたのである。家臣団を離散させ朝臣を採用しようとして、新政府にへつらった田安慶頼ら徳川首脳部を批判している。
 要するに、徳川宗家でもっとも反動的・守旧的な政治的見解をもっていたのが天璋院だったということらしい。それは封建制の極北、鹿児島出身だからではないだろうか。

オープンショップ運動・レイバーインジャンクション・ウェルフェアキャピタリズム黄金の1920年代の意義(3)

 2009年3月8日エントリーの修正版1

 レイバーインジャンクション(労働争議差止命令)その2

 私が1920年代に回帰すべきだという主張は要するに、次回以降に取り上げる1921年の労働争議差止命令を支持した判例、デュプレックス印刷機製造会社判決、アメリカ鉄鋼会社判決、ツルアックス対コリガン判決が正しかった。その判例法を否定している現代は不正義と言うことです。そう考えている人は少ないかもしれないが、くだらない固定観念にとらわれないでください。政府や労働組合により著しく労働力取引の自由と、財産権が侵害されている現代人からみて1921年の判例が新鮮でありよりまともにみえる。
 アメリカにおけるオープンショップ運動、労働争議差止命令が正しいと考えるし、それはヨーロッパにないアメリカの良さである。今日でも著名な多くのアメリカの企業は反労働組合のポリシーを持ち組合不在企業であるが、オープンショップ運動にみられる経営理念の継承なのである。イギリスでは1875年共謀罪および財産保護法で団結自由スト刑事免責、1906年の労働争議法で団結保護スト民事免責とされ、判例法(コモンロー)の民事共謀、不法行為の共謀という法理で起訴できないこととした。それは労働組合を近代市民法原理から超え出た存在としたのである。労働組合とは各人が自己の労働と資本を自己の欲するところにしたがって処分する自由を全面的に否定し、他者の個別契約の自由を侵害し、特定の集団的労働条件を強要することにある。団結とは取引する権利を有する者の自由意思に、強制や妨害を加えることによって、その者の取引に制限を加えることを目的とする。従って本来不法なものであるのに、不法の侵害から政府は保護することをしない。勝手にストをやってくださいというコレクティブ・レッセフェール1906年体制は労働組合を不当に強大化させイギリス病をもたらした。
 しかしアメリカはイギリスのように労働組合に甘くはなかった。刑事共謀法理は適用されなくなったが、財産権を無体のものに拡大し、財産権の回復不可能な侵害のために差止命令が下されることにより、労働組合の組織化と労働争議を効果的に抑止した。20年代までの司法判断こそ正常なものであり、この点アメリカはイギリスより健全だったのである。
 従ってわたくしは、1932年ノリス・ラガーディア法以降の労働法への敵意、ニューディール主義者への敵意を表明します。同時に19世紀以降のベンサム主義、議会制定法絶対主義、法実証主義に対する敵意の表明も行います。
 もっともセオドア・ルーズベルト、ウィリアム・タフト、ウッドロー・ウィルソンの時代は革新主義政治の時代であり、今回取り上げる、マッキンリー大統領時代の1898年エルドマン法も革新主義的な性格を有しているが、むろんこの時代には多くの社会経済立法がなされたのである。
 しかし1930年まではコモンローの時代であり、労働問題も最終的には司法により制御され無体財産に拡大された財産権が擁護された。裁判官は労働者の集団的行動よりの個人の自由を重視した。コモンローに信頼を寄せるのは個人の権利を擁護するのであって、個人行動の正義に基づく健全な社会にとどまるからである。(議会の社会労働立法は大抵の場合悪である。学校で教えられたことを信じないでください。実は民主主義とはろくでもない体制なのである。法実証主義に疑いをもってください。特定の勢力の利害のために個人の権利を侵害することを優先する傾向が顕著だから。)
 
 ところが1929年の大恐慌に端を発する著しい経済的混乱と社会不安は労働問題に新時代を画し、財産権侵害として司法の判断により禁止されるべきものであったのが、逆に特定の勢力を利する1932年ノリスラガーディア法のような階級立法を是認し、1935年ワグナー法等のように産業平和のために労働組合活動を支援する国策に転換してしまったのである。これは大きな過ちだった。1937年の憲法革命で経済的自由の規制立法は司法部が干渉しないのが普通となった。法の支配の転覆を司法自ら行ったのと同じである。むろん司法は憲法革命以後、表現権や政教分離、平等保護その他人権判例で積極主義をとり人権擁護の砦としての役割を果たすことになったが、その存在意義を認めるものの、精神的自由と経済的自由をダブルスタンダードとする理由はないと思う。
 大恐慌では1929~1932年の間に世界貿易は70.8%も減り、失業者は3000~5000万人に達し、国民所得は40%以上減少。米国では株価は80%以上下落し、1929年~1932年に工業生産は平均で1/3以上低落し、1200万人に達する失業者を生み出した。これは全労働者の4分の1に当たる(失業率25%)。閉鎖された銀行は1万行に及び、1933年2月には全銀行が業務を停止した。 
http://www.tcat.ne.jp/~eden/Hst/dic/great_depression.html
 今日、金融危機、景気後退といわれるが、2009年2月のアメリカの失業率は8.1%であり、80年代のほうが深刻だったという指摘もあるとおりである。やはり30年代が特に異常な事態にあったと思う。
 不法行為を助長する議会制定法と言うものは法の支配の否定であり、階級立法是認により法秩序を特定の勢力の利害に基づく命令体系へに変質させた。現代社会は悪の支配を是認している時代なんですよ。仮に百歩譲っても、ニューディール立法はきわめて異常な事態に対応したのであって、もはや異常事態にはないのであるから、根本的に見直す必要があるのであるということは、リバータリアンのリチャード・エプステインが言っていることですね。
 

 
    
二次的ボイコットヘのレイバーインジャンクション
    バックス・ストーヴ・アンド・レンジ社事件

 
 我が国の独占禁止法の母法である1890年シャーマン法の正式名称を「違法な制限および独占から取引および通商を保護するための法律」という。この法律の制定にリーダーシップを取ってきた上院議員の名前を付してシャーマン法と通称される。
 谷原修身(註1)によると、その立法目的は、一般的には州際通商および外国との交易において「完全で自由な競争」を促すことであり、直接的にはトラスト等による大規模な結合体が生産、供給、価格を支配することから消費者の経済的利益と小規模企業の独立および生存権を保護することである。当時の社会において、大衆の大多数が競争的な社会を望み、大企業の活動に敵意を抱いていたことが背景にあった。
 シャーマン上院議員はトラスト問題の解決のため取引制限や独占に関するコモン・ローの法理を継承することを提案した。連邦議員のメンバーは好意的だったが、合衆国憲法通商条項が連邦議会にトラスト問題を規制する権限を授与しているのか、関税法との関連などで意見の対立があり、結局シャーマン法は、多くの妥協案が取り入れられ、コモン・ローのアプローチを採用しながら、違反者に罰金、禁固刑などの刑事罰を科したこと、違反行為を停止する差止命令を求めうること。損害を蒙った者に私的訴訟を許し、三倍額の賠償を認めた点で、コモン・ローの範囲を超えた内容になっている。
 
 シャーマン第1条は「州際、外国との間の取引あるいは通商を制限する全ての契約、トラストその他の形態の団結、共謀を不法とする」である。「団結」「共謀」と言う文言により労働組合にも適用される可能性があった。
 
1895年のデブス事件判決は消極的にシャーマン法の労働争議への適用を支持したのものだが「ダンベリー帽子製造工事件」として知られる1908年のローウェ対ロウラー判決Loewe v. Lawlor 208 U.S.274  http://www.law.cornell.edu/supct/html/historics/USSC_CR_0208_0274_ZS.htmlで労働組合への適用を明確にした。 
 極保守派のフラー主席判事による法廷意見は、シャーマン法が資本の結合に対してだけではなく、農民及び労働者の結合にも適用されるべきものだと述べ、画期的な判決となったのである。
 この事件は1902年コネチカット州ダンベリーの帽子製造会社D. E. Loewe &Coに対してなされた組合承認を求める闘争における、北米帽子工組合とAFL(アメリカ総同盟)による同社製造の毛皮帽子販売の二次的ボイコットに対して、会社側が損害賠償請求を起こしたものである。連邦最高裁は二次的ボイコットを州際通商の制限にあたるとしてシャーマン法違反の判断を下し、ボイコットによって発生した損害額の3倍の約25万ドルの賠償支払を組合及び構成員に命じた。組合員個人個人の銀行預金が差し押さえられ、家屋に対して抵当権の行使がなされたが、罰金は全国組合とAFLにより支払われた(註2)。
 二次的ボイコットとは使用者の取引先に自社との取引停止ないし不買を働きかけるものだが、それ自体、不法な手段による共謀や契約的関係に対する干渉、脅迫、不法な手段による経済的損失の惹起等各類型の不法行為に該当する確率が高いと考えられるが、シャーマン法がコモンロー法理を継承する性格の制定法であるから、二次的ボイコットがシャーマン法に適用され州際通商を制限する、団結・共謀とされ、労働者の団結・共謀によるものであれ違法とする判断は道理であり当然と考える。
 そもそも労働組合活動とは営業(取引)を制限するコンスビラシーそのものなのであるからシャーマン法第1条の適用対象としてなじむ性格のものだった。アメリカでは、労働組合にコモン・ローの刑事共謀法理を適用していた時代がある。1806年のフィラデルフィアなめし靴職人組合事件で、賃金引き上げのための団結が刑事共謀罪にあたるとされた。検事は団結して賃上げをすることによって、需要供給の自然法則による賃金の決定を妨げた。賃上げのために威圧して労働者を組織に加入させ、非組合員には同一使用者の下での労働を拒否して彼らを組織に加入させることは、イギリス慣習法の罪になる。靴工の共謀のごときは、社会に有益な製造工業を妨害し、高賃金高物価を意味し、裁判所は、社会、消費者、産業、個々の労働者を保護しなければならないとした。1809年のニューヨーク靴工事件では労働者に靴工職人団体に加入することを強要し、メンバー以外の労働者を雇用する親方の下では働かないと合意し、それを親方達を強制的に服従させる共謀を(クローズドショップを要求いる二次的争議行為)を共謀罪にあたるとしたのである(註3)。つまりコンスビラシーといえばまず思いつくのが取引を制限し、他人の権利を侵害する団結・共謀としての労働組合なのである。
 そもそも帽子製造会社に組合を承認し団体交渉する義務などない。組合を承認させる目的での全国的な二次的ボイコットが州際通商を制限する共謀にあたるとするのは当然の帰結だったのである。
 イリノイ・ミネソタなど4州は反トラスト法による起訴から労働組合を免除する法律を制定したが、連邦最高裁によって一部の勢力に利する「階級立法」として無効にされている(註4)。
 
 二次的ボイコットへのレイバーインジャンクションとして著名な事件がバック・ストーヴ・アンド・レンジ社事件である。

 これは1906年にセントルイスのバック・ストーヴ・アンド・レンジ会社Buck's Stove and Renge Companyにおいて研磨工は一日9時間労働を目的とするストライキに入ったが、AFLに援助を求め、AFLは機関紙の「We Don't Patron」欄に当会社名を記載し全組合員にボイコットを呼びかけた。+バック・ストーヴ・アンド・レンジ社長のバン・クリーブは反労働組合の全国製造業協会会長であリ、直ちにリストから会社名を削除すること、口頭・文章によるストライキを世間に宣伝することを中止する差止命令を取りつけた。
 AFL会長サミュエル・ゴンパースは、機関紙から会社名を削除したが、バック・ストーヴ・アンド・レンジ社製品を買わぬよう宣伝を続けため、法廷侮辱罪により懲役1年、あと2人のAFL幹部も懲役9ヶ月と6ヶ月の判決を受けた。ゴンパースは受刑を拒んだため裁判が長引き、バン・クリーブも死去、出訴期限も過ぎてしまったため、最高裁は罰金と懲役刑を猶予し彼らを殉教者とする愚を避けたとされる GOMPERS v. BUCKS STOVE & RANGE CO., 221 U.S. 418 (1911)。
http://caselaw.lp.findlaw.com/scripts/getcase.pl?court=US&vol=221&invol=418
 
 私は、ゴンパースを憎むべき敵と考えているので、若干疑問にも思うわけですが、この事件を契機としてボイコット禁止命令に公然と挑戦する動きは収まっていったといわれている。(註5) 
   

    オルグ活動へのレイバー・インジャクション 1917年ヒッチマン判決

 黄犬契約禁止立法を違憲とした先例としてアデア対合衆国判決ADAIR v. U S, 208 U.S. 161 (1908) http://caselaw.lp.findlaw.com/cgi-bin/getcase.pl?court=us&vol=208&invol=161がある。ルイビル&ナシュビル鉄道職員ウィリアム・アデアが雇用条件として労働組合に加入しないことを要求するいわゆる黄犬契約を禁止するエルドマン法に反し、労働組合に加入したO. B.コッページを解雇した。下級審は解雇を行った使用者を処罰する判決を下したが、連邦最高裁は6対2の票決で下級審の判決を破棄し、いわゆる黄犬契約禁止が個人の契約の自由と財産権を侵害すると判示した。
 エルドマン法(ErdmanAct)は1898年制定の鉄道労働法である。州際輸送鉄道における労使紛争の仲裁制度を定めるものだが、最も重要な部分は、鉄道会社に労働者に雇用条件として労働組合に加入しない要求を禁止した点であった。これを最高裁は違憲としたのである。
 ハーラン判事による法廷意見は「労働者が適当と考える条件で労働の買手が買う条件を定める権利と異ならない。雇用者と被用者は平等な権利を有しており、この平等性を妨害する立法は、契約の自由に関する専断的な干渉になる」(註6)と述べ、修正5条のデュープロセス条項違反として違憲判断が下されている。これはロックナー判決の系統の判決です。今日、全国労使関係法により不当労働行為とされている黄犬契約は憲法上の権利だった。私はもちろん現在の体制より1908年のハーラン判事の判断が正しいと考えます。
 要するにThe right of a person to sell his labor upon such terms as he deems proper is, in its essence, the same as the right of the purchaser of labor to prescribe the conditions upon which he will accept such labor from the person offering to sell it.(彼が労働を売る権利の本質は、労働の買い手が、申し出る人から彼がそのような労働を受理する条件を規定する権利と同じ)とハーラン判事は述べました。マッケナ、ホームズ両判事が反対意見を記してます。
 黒人解放の先駆者であり偉大な少数意見裁判官(1896年プレッシー判決の反対意見で「我が憲法は色盲である‥‥法は体色で人を区別しない」」と述べたことで著名)という名声のあるハーラン判事が黄犬契約禁止を契約の自由の侵害とした判断をとったことを重くみたいと思います。
 
 契約の自由と黄犬契約は労働組合を破壊しかねないという反発に応えて、1890年代からオハイオ、マサチューセッツ、イリノイ州などは黄犬契約反対の州法を制定していたが、1915年のコッページ対カンサス判決Coppage v. Kansas, 236 U.S. 1 http://supreme.justia.com/us/236/1/case.htmlは黄犬契約を禁止するカンサス州法を修正第14条のデュープロセス条項に反し違憲とした。
  ピットニー判事による法廷意見は黄犬契約禁止立法を正当化したカンサス州裁判所の見解「概して労働者は雇用契約を結ぶに当たって雇用主より経済的に独立した立場にない」を批判しています。No doubt, wherever the right of private property exists, there must and will be inequalities of fortune, and thus it naturally happens that parties negotiating about a contract are not equally unhampered by circumstances.
   財産の不平等は私有財産の権利が存在する以上当然であって、従っていかなる契約も  交渉当事者の状況が均等な立場にあることを前提としてはいない。正しい見解だと思います。
    ホームズ、デイ両判事が反対意見を記しています。
   
  オープンショップ運動と黄犬契約の裁判所による擁護は、アメリカ社会がヨーロッパより健全であったことを示している。そして決定的に反労働組合の司法判断が下されるのである。

1917年のヒッチマン判決Hitchman Coal & Coke Co. v. Mitchell, 245 U.S. 229  http://supreme.justia.com/us/245/229/case.htmlである。
 ウェストヴァージニア州にあるヒッチマン炭坑会社Hitchman Coal & Coke Coは1903年に労働組合が組織されたが3回にわたるストライキで組合は敗北し、1907年に鉱夫たちは「会社に雇われている間は労働組合に加入しません。それに違反した場合は労働契約は終了したものとみなされて異議ありません」といういわゆる黄犬契約に署名させられたが、アメリカ炭坑労働組合は非組合化が他の州の鉱夫の労働条件に影響するため、組織化にのり出した。ストライキ手当を用意し、密かに組合加入をさせながら、会社に組合承認の要求を突きつけた。
 対してヒッチマン炭坑会社は、「組合化のために会社に強制して会社と被用者の関係に干渉する差止める」ことを裁判所に求め、1907年に仮差止命令、1908年に中間的差止命令、1912年に永久的差止命令が出されたが、これに対する抗告があり1914年こに原審がくつがえされたが、1917年連邦最高裁は第一審の差止命令を是認した(註7)。
 ピットニー判事による法廷意見は労働組合が黄犬契約の存在を知りながら会社に対してクローズドショップ協定を結ぶよう強要するため、労働者に組合加入を働きかけることは契約違反の誘致にあたり、組合の勧誘行為の差止命令を認め、オルグ活動は労働者の「非組合員的地位」に対して有する経営者の財産権(炭坑を非組合員によって操業する権利)を侵害し、非組合員労働者の契約上の権利を侵害するとの判断を下した。(註8)
 法廷意見は又、労働契約に期限の定めがなく当事者すがいつでも解約できると言うことはこの場合重要でなく、それは契約関係を続けてくれと主張する法律上の権利のない顧客関係が不法の侵害から保護されているのと同じだという(註9) 。ブランダイス判事が反対意見を記しホームズ、クラーク両判事が加わっている。
 本判決は正しいと思うし意義は大きいと思う。クローズドショップ協定を結ぶための二次的争議行為は、今日ではアメリカでもイギリスでも違法であるが、組合の組織化活動それ自体を禁止する差止命令を支持したことにより、黄犬契約による非組合化の防衛が支持されたのである。雇用条件の設定は自由であるべきであり、第三者が干渉して契約違反を誘致することは認められないというのは正常な感覚だと思う。

(註1)谷原修身『現代独占禁止法要論』六訂版 中央経済社 2003年 45頁
(註2)竹林信一「アメリカ労働総同盟とクレイトン法」『甲南経営研究』18(2)  1977年
(註3)高橋保・谷口陽一「イギリス・アメリカにおける初期労働運動と共謀法理」『創価法学』35巻1号2006年
(註4)竹田有「アメリカ例外論と反組合主義」古矢旬・山田史郎編『シリーズ・アメリカ研究の越境第2巻権力と暴力』ミネルヴァ書房2007年
(註5) 竹林信一、竹田有前掲論文
(註6)石田尚『実体的適法手続』信山社出版 1988年
(註7)有泉亨「物語労働法13第11話レイバー・インジャクション2」  『法学セミナー』188号1971年9月
(註8) 水町勇一郎『集団の再生―アメリカ労働法制の歴史と理論』有斐閣2005 69頁、竹田有前掲論文170頁
(註9)有泉亨 前掲論文

2009/03/16

ヴァーチャル・チャイルド・ポルノ規制違憲判決(合衆国最高裁2002年Ashcroft v. Free Speech Coalition)の考察その2

インターネットで検索したところ、Ashcroft v. Free Speech Coalition判決の翻訳があります。

http://homepage2.nifty.com/dreirot/column/porno.html

 法廷意見執筆者のアンソニー・ケネディ判事はレーガン任命の穏健な保守派であるが、バランス感覚のとれた司法判断をとる。就任時、自分は連邦地裁判事になるのが目標だった。最高裁判事になれたのは望外の幸運と率直に喜びを語った人柄の良さが印象的。現在の最高裁では決定票を握れる位置にあるため同判事主導による重要判決も少なくない。もっともローレンス判決(男色行為処罰立法違憲)は行き過ぎだと思うし批判的ですが、Ashcroft v. Free Speech Coalitionは私のような素人が読んでも名判決だと思う。

 第一に、「明白な性行為に従事しているよう17歳の者のように見えるもの(what)の絵(picture)は、全ての場合において社会規範に反するわけではない。と明快に述べたことである。この見解を説明するのに各州の法定婚姻適齢と、ロミオとジュリエット、アカデミー賞作品賞を受賞したアメリカンビューティーに言及していますが、表現権擁護への熱意を感じ大変好感がもてる部分である。

CPPA(児童ポルノ禁止法 Child Pornography Prevention Act は、真面目な文学的、芸術的、政治的、又は科学的な価値にもかかわらず言論を禁止している。法令は、性行為に従事している10代という概念の視覚的な描写を禁止している。それは現代社会の事実であり、時代を通じて芸術と文学の主題となってきた。CPPAの下では、人物が18歳未満の者に見えさえすればイメージは禁止される。合衆国法典 タイトル182256(1)。 これは人が性的関係に同意して良い年齢と同様に、多くの州における結婚のための法定年齢よりも高い。第2243(a)を見よ(連邦の海域及び良識での合意年齢は16)。U.S. National Survey of State Laws 384-388(R. Leiter ed., 3d ed. 1999)を見よ(48州で親の同意の下16歳で結婚が許可される)。W.Eskridge & N. Hunter, Sexuality, Gender, and the Law 1021-1022(1997)を見よ(39州とコロンビア特別区では合意年齢は16歳かそれより若い)。もちろん、若者達の中のある者が、彼ら自身の気持ちからまたは彼らが性的虐待の被害者であるために、法定年齢以前に性行為をすることを否定できない。

 10代の性行為と子どもの性的虐待という2つのテーマは、無数の文学作品に吹き込まれている。ウィリアム・シェイクスピアは、片方はたった13歳という、最も有名な10代の恋人を創造した。 See Romeo and juliet, act Ⅰ,sc. 2, l. 9(“彼女は14歳になるようには見えなかった”) 劇の中で、シェイクスピアはその関係をすばらしく無邪気に描いているが、児童向けではない。その作品は少なくとも40の映画で、10代の少年少女が彼らの関係を性交することによって完全なものとしていることを暗示して、感激させている。E.g., Romeo and Juliet(B. Luhrmann director, 1996) シェイクスピアはエリザベス時代の観客のために、明白な性的なシーンを描かなかったかも知れない。しかし、現代の監督は、より平凡なアプローチを採用して、作品がわいせつなものであるという結論にされないようにした。

現代の映画は、似たようなテーマを追い求めている。去年のアカデミー賞の
Best Pictureにノミネートされた映画にTrafficがある。 See Predictable and Less So, the Academy Award Contenders, N.Y. Times, Feb. 14, 2001, p. E11. その映画は麻薬におぼれる10代-16歳とされている-を描いている。視聴者は、彼女の麻薬常用による堕落と、最後には彼女が不潔な部屋で麻薬のためにセックスをするのを見る。 1年前、American Beautyがアカデミー賞のBest Pictureをとった。 See "American Beauty" Tops the Oscars, N.Y. Times, Mar.27, 2000, p.E1. その映画の中では、10代の少女が彼女の10代のボーイフレンドと性的関係を結び、そして、別の子は喜ばせることに身をゆだねている。映画はまた、観客はその行為が行われていないと理解するかも知れないが、あるキャラクターが、自分は10代の少年が年上の男性と性行為を行っているのを見た、と信じる、というシーンを含んでいる。

我々の社会では、他の文化と同様に、若者の運命や生き方に共感や、不朽の魅力を感じる。芸術や文学は、我々みながもっている子どもの人格形成期への興味を表現している。それは我々がかつて知ったように、傷が嘆かわしい、深い失望になったり、悲劇的な選択ミスをしたりすることがあるが、道徳的な行動や自己達成もまだ手が届く範囲にある時期だ。 我々が言及している映画が
CPPAに違反するかどうか、法令の禁止の広い範囲に入るテーマを調査する。もしこれらの映画や、他の数百のより注目度の劣る映画が、法令の定義内の性的行為のグラフィック表現を1つでも含んでいると、その映画の所有者は、作品の価値を回復する調査無しに、厳しい罰則を必要とすることになる。これは、修正第一条のルールの趣旨と矛盾する。:作品の芸術的価値は、たった1つのきわどいシーンの存在に左右されない。 see Book named "John Cleland's Memoirs of a Woman of Pleasure" v. Attorney General of mass., 383 U.S.413, 419 (1966)(多数意見)(“本の社会的価値は、わいせつな表現や明白な攻撃によって不利となったり、取り消されたりしない”)Millerの下では、修正第一条は、評価の回復について、作品を全体として考慮して判断することを要求している。たとえそのシーンが孤立した不快な物であっても、そのシーンが物語の一部分にあるという理由で、その作品自体がわいせつなものとはならない。 See Kois v. Wilsconsin, 408 U.S. 229,231(1972)(per curiam) この理由によって、我々が言及した残りの作品も、CPPAは、その禁止とわいせつさの定義によって禁止されているcommunity standardsへの侮辱との間に要求されている関連を欠いているという理由で、わいせつさを禁止すると読むことはできない

 アメリカ合衆国の各州の法定婚姻適齢についてはコーネル大学ロースクールLIIMarriage lawsサイト を見ても分かりますが、婚姻適齢を16歳を基準にしている州が多い、法廷意見は48州で親の同意の下16歳で結婚が許可される、39州とコロンビア特別区では合意年齢は16歳かそれより若いと記していますが、ロークラークが厳密に調べていると思うから、多分正確な数字でしょう。

 脱線しますが、私は民主党の公約にある女子の法定婚姻適齢を16歳から18歳に引き上げ、男女平等とするとしていますが、大反対です。これは法制審議会の答申でもあるわけですが、世界の趨勢は18歳だと言うのですが、とんでもない大嘘ですよ。イギリスが男女とも16歳が法定婚姻適齢である(正確にはイングランドが16~17歳は親の同意要、スコットランドは親の同意も不要)。ドイツは成年である18歳を基準とするが、未成年者においても配偶者が成年であるという条件で16歳以上で婚姻の可能性を開いている。つまり男女を問わず結婚相手18歳以上なら16歳の婚姻を可としている。16-16はダメだが、18-16なら良いというものです。フランスは男18歳、女15歳(例外規定もある)

 ソ連(ロシア)など18歳の国もありますが、それが世界の趨勢とはいえないです。英仏独は16歳女子は結婚できるわけですよ。アメリカは殆どの州で16歳は婚姻適齢であることは、この判決でも明らかに述べているわけですよ。

 ところが、法律家でこの矛盾を指摘する人は少ない。たぶん日弁連女性委員会とか婦人団体が、婚姻年齢を男女平等達成のシンボルにしたいと言うことで昔から、18歳引き上げを主張してきたことですから、それに逆らってはいけないことになっているのではないか。日弁連女性委員会のために婚姻法制があるわけではないということを重ねて述べておきたいです。

 

 

 

2009/03/15

ヴァーチャル・チャイルド・ポルノ規制違憲判決(合衆国最高裁2002年Ashcroft v. Free Speech Coalition)の考察

  アメリカ合衆国においては、1970年代より児童ポルノ規制立法がなされ、それを追認したファーバー判決以降強化されていく経過をたどっている。

 1982年連邦最高裁Ferber判決(New York v. Ferber, 458 U.S. 747 ) において、わいせつ要件を含まないで児童ポルノを禁止していたニューヨーク州法を修正第一条に反しないとされたことを受けて、1984年連邦議会は児童保護法を制定し、わいせつ要件を不要とし、保護される児童の年齢を16歳から18歳に引き上げ、営利を目的としない取引も処罰の対象とした。
  1986年の児童の性的虐待及びポルノグラフィ法では、児童ポルノの宣伝広告を作成又は利用することを禁止し、児童ポルノ製造による被害者である児童個人の被害に対する民事責任を課した。
  1988年の児童保護及びわいせつ施行法では、児童ポルノをコンピューター上で、送信・配布・受領する行為を禁止した。
  1990年連邦最高裁オスボーン判決Osborne v. Ohio495U.S.103 では、児童ポルノの単純所持を禁止するオハイオ州法が合憲とされた。ブラックマン判事による法廷意見はわいせつ物の単純所持修正第一条に反し違憲としたStanley v. Georgia, 394 U.S. 557 (1969) との違いについて、Stanley 判決は公衆の倫理道徳に与える悪影響を懸念したものであったの対し、い本件オハイオ州法は、パターナリスティックな利益ではなくポルノの被写体となる当該児童の身体的精神的健全性を保護するやむにやまれぬ国家利益は修正一条の審査を通過すると述べた。

 
  規制はさらに強化されて、1996年に連邦議会は実在の児童を使ったポルノだけでなくバーチャル・チャイルド・ポルノをも禁止する児童ポルノ禁止法 Child Pornography Prevention Act  (CPPA)を制定した。
  同法は、性的に露骨な行為を行う児童の、または、児童のようにに見える写真、映像、ビデオ、絵画、コンピューター映像、もしくは、コンピュータ-で作り出された映像をあー含むいかなる表現も禁止(2256(8)B条)し、さらに児童が性的に露骨な行為を行っているという印象を与えるように宣伝すること等も禁止(2258(8)D条)した。これは検察の立件を容易にすると考えられていた。

 
  この立法に対し成人娯楽商業組合である表現の自由連合Free Speech Coalitionが「児童ポルノに見える」「児童ポルノであるかのような印象を与える」という文言が過度に広汎で漠然としており、修正一条で保護された作品の製造行為を萎縮させると主張し訴訟を提起した。

  第一審は合憲判決だったが、第9巡回区連邦控訴裁判所は過度に広汎であり文面上違憲と判決したため、アッシュクロフト司法長官が上告したが連邦最高裁は6対3の票決で上告を棄却した。2002年のAshcroft v. Free Speech Coalition判決であるが、ヴァーチャル・チャイルド・ポルノは保護される言論であると判断を下したことで高い関心がもたれた。連邦議会は2003年に同判決とに抵触せずに児童ポルノ規制を強化する法律を成立させているが、表現規制立法の行き過ぎに歯止めをかけたことでは有意義な判決として評価できるのではないかと思う。法廷意見ケネディ判事(スティーブンス、スーター、ギンズバーグ、プライヤー各判事同調)、トーマス判事は結果的同意意見、反対-レーンキスト主席判事、オコーナー判事、スカリア判事である。

ケネディ判事による法廷意見の要旨は大略して次のとおり。
   
  ヴァーチャル・チャイルド・ポルノの規制を支持できない理由として、先例New York v. Ferber,判決 458 U.S.747(1982) (児童ポルノ禁止のニューヨーク州法を合憲)は、わいせつでも性的虐待の産物でもないものは修正一条の保護範囲内にあるとしているが、児童ポルノ規制の理由であるモデル児童への虐待防止という(規制)利益がない
  ヴァーチャル・チャイルド・ポルノがペドファイル(小児性愛者)を刺激し違法行為を惹起するとの見解に対しては、思想統制に等しく、ブランデンバーグ・テストのように、差し迫った違法行為を現実に煽動することで惹起しする場合にのみ表現を規制することができる。と述べた。
  このような論理展開の末、1996年Child Pornography Prevention Act  (CPPA)の2256(8)B条、2258(8)Dにある「児童(未成年者)のように見える」等の文言は過度に広汎であり違憲であると結論した。

  小児性愛者を刺激する可能性というだけで、表現を規制するのは思想統制として容認できないこと明言したことを高く評価する。
    結論は過度に広汎ゆえに無効の法理であるが、ケネディ法廷意見は世情に通じなかなか含蓄があることを述べている。特に印象的なことは、Child Pornography Prevention Act は18歳未満であるように見える限り、イメージは禁止されるが、48州で16歳を婚姻適齢としていることと矛盾することを指摘していること。

  さらに、性的行為をしている10代の未成年を描写するという思想の表現は、近代社会の現実であるし、何世紀もの間、文学・芸術のテーマになっていることを述べている。 

  例えばシェークスピア『ロミオとジュリエット』が恋に落ちた時ジュリエットは13歳だった。第72回アカデミー賞作品賞を受賞した1999年公開の『アメリカンビューティー』という映画では薬物依存の十代の少女と十代のボーイフレンドとの性的行為が描かれているが、CPPAの文言が過渡に広汎であるため、こうした芸術的に評価されている作品も否定されかねないと批判している。まず良識的な見解のように思える。

 

  判決後、間柴泰治によると2003年連邦議会はPROTECT法による1996年法の改正で、2002年判決で違憲とされた実在しない児童を描写するポルノについて、「~のように見える」ではなく「区別がつかない」範囲を限定した上で改めて規制対象とする一方、わいせつ物に該当する児童ポルノに規制対象を拡大して罰則を強化することとし、現在に至っているが、写実的でないアニメや漫画が除外されても違憲の疑いは残っている。 漫画やアニメ等が「わいせつ」なものである場合は、たとえ写実的でなく実在の児童を使っていなくても、わいせつ物として処罰される可能性がある。2005年10月にわいせつな日本のアニメをダウンロードしたことにより、陪審から有罪判決を受け2006年3月拘禁20年の判決をみ受けた例があるという。

 

 私は、小児性愛者ではないので、破瓜期以前の女子に関心はないが、18歳未満のくくりは、広汎に過ぎるように思える。破瓜期に達した女子は当然関心があり、学園ものの性コミックは見ているし、小児性愛といってもそれは痴呆性の老人の趣味であることが多く、敵視すべきでなくむしろ同情されるべき性質のものであると考えるので、もちろんレーガン任命のケネディ判事よりずっとリベラルで、思考やファンタジーを規制するヴァーチャル規制は当然のこととして、実在被写体の児童ポルノ禁止法それ自体反対なのである。
 お節介なパターナリズムだと思う。特にオスボーン判決は問題があると思う。アメリカなどから圧力を受けて児童ポルノ規制の強化にももちろん反対である。昨年リオデジャネイロで第3回、「児童の商業的性的搾取に反対する世界会議」が開催されているがこれも反対である。そもそも我が国の基層文化は性的快楽追求に貪欲で害悪とみなすものではない。大グレゴリウスのように快楽は罪であるという欧米とは文化の土台が異なるのである。我が国の基層文化では13~16歳が女子の伝統的成人年齢で、赤い腰巻を着用すれば大人扱いだった。ヨーロッパにおいても、アルプス以北は婚前交渉に寛容な基層文化である。
 むしろ現代の若者が有史以来未曾有の長期に及ぶ性的禁欲を強要されており、結果、多形倒錯様性行動に固着する傾向は多分にある、性的禁欲の強要は「多形倒錯性欲」進んで「異常性欲」の重大な培地となるのであって、つまりフェチシズム的なそのはけ口は必要不可欠なのものとして理解すべきだ。
 特に我が国の若者は異性の友人を持たない者が多く性行動にも消極的である。社交的で性行動に積極な欧米の文化とも違う。むしろ私は、性的表現物は性的欲求の代償充足(非モテ男の福祉産業)としての機能を果たし、性犯罪を抑制し社会の安定化に貢献していることを評価するものである。

   引用・参考文献
梶原健佑「ヘイト・スピーチと「表現」の境界」『九大法学』94号2007年  116頁の註114https://qir.kyushu-u.ac.jp/dspace/handle/2324/11004

  加藤 隆之「児童ポルノ法理の新展開--仮想児童ポルノ規制に関する2002年Free Speech Coalition判決の考察を中心として 」『法学新報』 111(1・2) [2004.7]

 永井善之 「児童ポルノの刑事規制について(1)いわゆる『擬似的児童ポルノ』の規  制の検討を中心に 」『法学』東北大 67(3) [2003.8]「 児童ポルノの刑事規制につ  いて(2・完)いわゆる「擬似的児童ポルノ」の規制の検討を中心に」『法学』東北大 67  (4) [2003.10] 

 間柴泰治「諸外国における実在しない児童を描写した漫画等のポルノに対する法規制の例」『レファレンス』 2008.11 http://www.ndl.go.jp/jp/data/publication/refer/200811_694/069403.pdf

 松井茂記「レーンキストコートと表現の自由」『比較法学』39巻2号 http://www.waseda.jp/hiken/jp/public/review/pdf/39/02/ronbun/A04408055-00-039020197.pdf

2009/03/14

カードチェック法案Employee Free Choice Act議会に提出

 3月10日にカードチェック法案が正式に議会に提出されました。http://blog.livedoor.jp/usretail/archives/51187258.html
http://thecaucus.blogs.nytimes.com/2009/03/10/union-legislation-drive-begins-in-congress/?scp=1&sq=Employee%20Free%20Choice%20Act&st=cse
http://www.miamiherald.com/news/politics/AP/story/945055.html
http://www.mercurynews.com/ci_11880490?IADID=Search-www.mercurynews.com-www.mercurynews.com

http://latimesblogs.latimes.com/washington/2009/03/obama-cardcheck.html

メディケアや経済対策より、労働組合強化法案を優先させる民主党は本当にあほですね。

2009/03/08

給与は実名公開でもいいんじゃないの

「橋下知事も職員給与明細公表へ どこまでオープンにするのか」という記事http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090306-00000005-jct-sociがありますけど、シャーロットオブザーバーを何気に見ていたところ、ノースカロライナ州政府のサラリーのデータベースというのが公開されてます。http://www.charlotteobserver.com/data/story/418239.html実名でいくらサラリーをもらっているのか分かる。アメリカでやっているんだだから日本でも良いんじゃないの。

ちなみに私は次のように公開してます。http://antilabor.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/post-23d8.html

オープンショップ運動・レイバーインジャンクション・ウェルフェアキャピタリズム1920年代黄金時代の意義(3)

 
 レイバーインジャンクション(労働争議差止命令)その2
     
  ボイコット戦術へのシャーマン法の適用とレイバーインジャンクション

 我が国の独占禁止法の母法である1890年制定シャーマン法第1条は「州際、外国との間の取引あるいは通商を制限する全ての契約、トラストその他の形態の団結、共謀を不法とする」ものだが、「契約」「団結」「共謀」という文言が労働組合を包含するかが問題になった。
 1895年のデブス事件判決は消極的にシャーマン法の労働争議への適用を支持したのものだが「ダンベリー帽子製造工事件」として知られる1908年のローウェ対ロウラー判決Loewe v. Lawlor 208 U.S.274  http://www.law.cornell.edu/supct/html/historics/USSC_CR_0208_0274_ZS.htmlで労働組合の適用を明確にした。 
 極保守派のフラー主席判事による法廷意見は、シャーマン法が資本の結合に対してだけではなく、農民及び労働者の結合にも適用されるべきものだと述べ、画期的な判決となった。
 事件はコネチカット州ダンベリーの帽子製造会社に対してなされた組合承認を求める闘争で、北米帽子工組合とAFLは同社製造の毛皮帽子販売のボイコットを消費者に呼びかけ、同社製品を扱う小売店をボイコットしたが、会社側が損害賠償請求を起こしたものである。連邦最高裁はボイコット戦術を州際通商の制限にあたるとしてシャーマン法違反の判断を下し、ボイコットによって発生した損害額の3倍の約25万ドルの賠償支払を組合及び構成員に命じた。(PDF楠井敏朗「アメリカ独占禁止政策の成立と意義(下)」  『横浜経営研究』第13巻4号(1993)http://kamome.lib.ynu.ac.jp/dspace/bitstream/10131/662/1/KJ00000160084. pdf )
  組合を承認せず、組織化を阻止する企業をねらい打ちにする二次的ボイコットにより労働組合が労働市場を独占することはアメリカの風土では容認できないのである。シャーマン法の主たる立法目的が企業の独占を排除し取引の自由を確保することであるが階級立法ではないのであるから州際通商を制限する、団結・共謀はそれが、労働者の団結・共謀によるものであれ違法とする判断はまっとうなものである。イリノイ・ミネソタなど4州は反トラスト法による起訴から労働組合を免除する法律を制定したが、連邦最高裁によって一部の勢力に利する「階級立法」として無効にされた。
 ロ-ウェ事件と同じ時期にバックス・ストーヴ・アンド・レンジ社との争いでサミュエル・ゴンパースらがAFL幹部が差止命令に反し、ボイコット(二次的ボイコット)を呼びかけ法定侮辱罪に問われる事件もあった。以後、ボイコット禁止命令に公然と挑戦する動きは収まった。(竹田有 前掲論文) 

 
 黄犬契約を結んでいる労働者へのオルグ活動は、労働者の「非組合員的地位」に対して有する経営者の財産権の侵害とした1917年ヒッチマン判決

 雇用条件として労働組合に加入しないことを要求するいわゆる黄犬契約を禁止する法律に反し、労働組合に加入したことを理由として解雇を行った使用者を処罰した下級審の判決を破棄した先例として、アデア判決ADAIR v. U S, 208 U.S. 161 (1908) http://caselaw.lp.findlaw.com/cgi-bin/getcase.pl?court=us&vol=208&invol=161 があります。
 ハーラン判事による法廷意見は「労働者が適当と考える条件で労働の買手が買う条件を定める権利と異ならない。雇用者と被用者は平等な権利を有しており、この平等性を妨害する立法は、契約の自由に関する専断的な干渉になる」(石田尚『実体的適法手続』信山社出版 1988)と述べ、修正5条のデュープロセス条項違反として違憲判断が下されている。これはロックナー判決の系統の判決です。今日、全国労使関係法により不当労働行為とされている黄犬契約は憲法上の権利だった。私はもちろん現在の体制より1908年のハーラン判事の判断が正しいと考えます。われわれが商品を買うとき、できるだけ安全なものを選びますし、それは自由です。それと同じことですよ。

 同じく1915年のコッページ対カンサス判決Coppage v. Kansas, 236 U.S. 1 http://supreme.justia.com/us/236/1/case.htmlは黄犬契約を禁止するカンサス州法を修正第14条のデュープロセス条項に反し違憲とした(法廷意見はピットニー判事)。
  1917年のヒッチマン判決Hitchman Coal & Coke Co. v. Mitchell, 245 U.S. 229http://supreme.justia.com/us/245/229/case.htmlのピットニー判事による法廷意見は、黄犬契約を結んでいた非組合員の炭坑夫を組織化しようとした統一炭坑労働組合の活動について労働組合が労働者に組合加入を働きかけることは契約違反の誘致にあたり、組合の勧誘行為の差止命令を認め、オルグ活動は労働者の「非組合員的地位」に対して有する経営者の財産権(炭坑を非組合員によって操業する権利)を侵害し、非組合員労働者の契約上の権利を侵害するとの判断も下した。(水町勇一郎『集団の再生―アメリカ労働法制の歴史と理論』有斐閣2005 69頁、竹田有前掲論文170頁)
  私は以上の判例にすべて同意するものである。どういう人を雇うかは雇用主の自由であり、1970年代のイギリスで二次的争議行為により経済がマヒしてしまったように、二次的ボイコットは悪質なものであり、シャーマン法の適用も当然のことである。
 

    クレイトン法の制定と労働組合適用除外規定の論理矛盾

  ウッドロー・ウィルソン大統領の時代(任1913~1921)は進歩主義的国内政治が行われた。私は古典的自由主義に好意的なのでハーディングやクーリッジを好ましい大統領とみなす。ウィルソンは当然嫌悪すべき政治家である。
   労働政策としては労働省設立、1914年クレイトン法の制定 (シャーマン法違反の予防的規制を目的とし,競争を阻害する価格差別,不当な排他的条件付き取引の禁止,合併等企業結合の規制,3倍額損害賠償制度等について定めたが、第6条で労働組合の正当な活動を反トラスト法の適用除外とし、第20条で差止命令の命令の発給を原則として禁止した。) 1918年全国戦時労働理事会(NWLB)の設置(NWLBはリベラル派が推進した産業民主主義路線で、ストを禁止したものの団体交渉と賃金・作業の標準化を厳しく貫き1150件に及ぶ仲裁を行った結果、AFLの組合員数は戦中に100万人も増加したのである )といったことが挙げられる。
 
    AFL終身会長のサミュエル・ゴンパースが「労働者のマグナ・カルタ」と絶賛したのがクレイトン法である。
    クレイトン法第6条は次のように規定する。「人間労働は商品または商品の目的物ではない。反トラスト法のいかなる規定も、相互扶助の目的で設立され資本を有さずまたは営利行為をしない労働団体の存在、活動を禁止し、または労働団体の構成員が当該団体の正当な目的を合法的に遂行することを禁止・制限するものと解釈するべきではなく、更にかかる団体またはその構成員が反トラスト法の下における不法な団結または取引を制限する共謀であると解釈されてはならない」(荒木誠之「 アメリカ団結立法の形成と運営(一) ワグナー法を中心として」 『法政研究』九大44巻3号 1978年44頁  https://qir.kyushu-u.ac.jp/dspace/browse-title?bottom=2324%2F1749)
    クレイトン法第20条は次のように規定する「裁判所は雇用者の財産あるいは財産権に弁償不可能な損害が及ぶことを防止する以外は、雇用者と被傭者の間の争議について、この条文に列挙された平和的・合法的な行動に対してインジャンクションを発することはできない」(紀平英作『ニューディール政治秩序の形成運営の研究』京都大学学術出版会1993 83頁)

     しかしクレイトン法は「労働者のマグナカルタ」にはならなかった。
    クレイトン法の労働組合適用除外規定は1921年のデュプレックス印刷機製造会社判決、アメリカ鉄鋼会社判決、ツルアックス対コリガン判決で実質無効化されることになる。
   

 クレイトン法の労働組合適用除外規定に実効性がなかった。それは当然のことである。労働組合は単に共済互助団体ではないのである。 労働組合はどう定義されているのか。経済史家の岡田与好が世界で初めて労働組合を法認したとされる英国の1871年「労働組合法」(人類史上の重大な過ち)の法律的定義により説明している。
  「trade unionとは一時的であると恒久的であるとを問わず、労働者と使用者との関係、もしくは労働者相互の関係、または使用者相互の関係を規制し、あるいは職業もしくは事業の遂行に制限的条件を課すことを目的とし、もし本法が制定されなかったならば、その目的のひとつあるいはそれ以上が、営業を制限することにあるという理由により、不法な団結とみなされたであろうような団結、をいう」(岡田与好「経済的自由主義とは何か-『営業の自由論争』との関連において-」『社会科学研究』東京大学社会科学研究所  37巻4号1985 28頁)
  労働組合とはコモン・ロー上、営業制限とみなされ違法ないし不法とされかねない団結を、制定法によって不法性を取り除いて、法の保護を受けうる存在としたと説明されている。使用者団体もtrade unionという共通の名称のもとで法的に保護されることにより、岡田与好によると労働力取引の団体交渉-個人交渉の排除-が、当事者の平等の原則のもとに公認したのが1871年法である。
 

 その目的は各人が自己の労働と資本を自己の欲するところにしたがって処分する自由を全面的に否定し、他者の個別契約の自由を侵害し、労働協約により特定の集団的労働条件を強要することにある。団結とは取引する権利を有する者の自由意思に、強制や妨害を加えることによって、その者の取引に制限を加えることを目的とする。そもそも労働組合の目的自体が不法なのである。したがってクレイトン法の6条「正当な目的を合法的に遂行する」は本来論理矛盾である。
    コモンローには営業制限の法理があって伝統的に営業制限を嫌うのである。それは営業と誠実な勤勉さを奨励する公序に基づく。労働組合の目的は営業制限であり、本来それはコンスピラシーであり犯罪と把握されていた。
    さらに争議行為は、契約違反の誘致行為、契約の履行不能をもたらす行為、強迫、共謀、営業妨害など理由として、コモン・ロー上の不法行為を構成する。
  かりに、罷業が他者の権利を侵害しない「個別的自由の集合ないし総和」としての行為の職場放棄を認めるとしても、ストライキが単に個人の自発的行為の総和であるということはまず絶対ありえない。ストライキに、他者に脅迫、威嚇、暴力はつきものである。脅迫、威嚇、暴力で就労妨害を行わなければ、ストライキは成功しない。ピケッティングといっても説得活動に威嚇、脅し、暴力はつきものだ。
   当時ピケッティングや説得活動であるが、適法とされるのは「個別的自由の集合ないし総和」と認められる限りの行為であって、いささかでもこれを超える要素があると判断されれば違法とされたのであって裁判所の許容する範囲は極めて狭かった。(合衆国で平穏なピケッティングを表現権として認めたのは1941年のソーンヒル対アラバマ事件THORNHILL v. STATE OF ALABAMA, 310 U.S. 88 (1940) http://caselaw.lp.findlaw.com/scripts/getcase.pl?court=us&vol=310&invol=88である)
   クレイトン法の「平和的」「合法的」な行動というのも、論理矛盾であるし、曖昧な規定であるから裁判所によって「平和的」「合法的」を狭く解釈する余地があった。

      

2009/03/07

オープンショップ運動・レイバーインジャンクション・ウェルフェアキャピタリズム1920年代黄金時代の意義(2)

 
 レイバーインジャンクション(労働争議差止命令)その1

 
(要旨-結論)レイバーインジャンクションを断固支持した1920年代連邦最高裁タフトコート。営業権は財産権である。取引を妨害する団結・ストライキは公的不法妨害  public nuisanceという判断を支持する。 階級立法を容認せず断固叩き潰すというのが正義だ。階級立法こそ憎むべき自由の敵である。法の平等保護を厳格に解釈し、階級立法のすべてを違法とすることが正しい。(今回は前置きなので20年代以前の展開のみ)

 私は30年代の労働立法、1932年の反インジャクション法、ノリスラガーディア法や1935年のワグナー法、1938年の公正労働基準法は廃止すべきであると述べてきた。我が国においても息苦しい社会の閉塞感を打破するため、戦後レジームを根本的に見直し、黄金の1920年代的公序モデルへの回帰を主張したい。20年代の何が良かったか。その1つは司法部が保守的だった(いわゆるロックナーエイジである)。アメリカでは1880年から1930年に少なくとも4300件の労働争議差止命令が出され、特に1920年代にはストライキの25%に差止命令が出されたのである。なぜならば持続的事業活動の妨害やストライキは財産権を侵害するものとして法と秩序に反するとされていたのである。それが正常な感性である。
 賃金カルテルたる労働組合を駆逐することにより、より競争的で自由な企業活動と雇用契約の自由を保障することが経済再生の近道である。
 
 財産権は神聖であるというチャンピオン的見解
 
  ブラックストンの『英法釈義』(1765~69)「財産権ほど、かくも広く人類の想像力を喚起し、その心を魅了するものはない。それは1人の人が外界の事物に対して主張し行使する唯一の独裁的な支配であり、世界中の他の人々がその権利をもつことを全面的に排除するものてある」「第三の絶対的な権利、これはイングランドの人間なら誰もが生まれながらにして持っているものだが、この権利とは財産についての権利であり、それは、自分の取得したものは何であれそれを、自由に使用、収益、処分できるということである。そして、その制約を受けたり減らされたりすることは、唯一国の法律によるのでなければ、一切なしえないのである」(『公用収用の理論―公法私法二分論の克服と統合』 リチャード・A.エプステイン 松浦 好治訳37頁)
 「国の法律」の意味だが、20世紀の社会経済規制立法のように財産権を制約することを正当化するものでは全くないのである。「正規の手続によらなければ個人から財産を奪うことはできず、特例的、臨時的な手続きでは裁判の代わりになりえないことを意味するものでしかない‥‥ブラックストンの時代にあっては‥‥議会優位の発展は見られなかった」(前掲書49頁)と説明されているとおりである。つまり財産権は議会の立法権によっても侵害されるべきものではない。

   合衆国最高裁極保守派裁判官と知られるブリューワ判事(David Josiah Brewer任1889~1908)は1891年のイェール大学の講演で次のように述べた。
「イヴが禁断の果実さえ欲して占有をした、その記録に残る最初の時代から、財産の観念とその占有権の神聖さとは、一度も人類から離れたことはなかったのである。理想的人間性についていかなる空想が存在しえようとも‥‥歴史の夜明けから現代の時代にいたるまで、現実の人間の経験は、占有の喜びと一緒になった獲得の欲求が、人間活動の現実的な動機となっていることを明らかにしている。独立宣言の断定的な表現のなかで、幸福の追求は譲渡することのできない権利の1つであると断言されているとき、財産の獲得、占有、及び享有は、人間の政府が禁ずることができず、それが破壊することのない事柄であることが意味されているのである。‥‥永遠の正義の要請は、合法的に取得され合法的に保有されたいかなる私的財産も公衆の健康、道徳あるいは福祉の利益のために、補償なく略奪されあるいは破壊されることを禁ずるものである」(ラッセル・ギャロウェイ著佐藤・尹・須藤共訳『アメリカ最高裁判所200年の軌跡 法と経済の交錯』 八千代出版1994年 89頁)

 レイバーインジャンクションと財産権の無体財産への拡大

 私がブリューワ判事をチャンピオンとして尊敬する理由は上記の講演や1905年ロックナー判決の賛同者と言うだけではでない。1895年デブス事件判決起草者であることである。IN RE DEBS, 158 U.S. 564 (1895) http://caselaw.lp.findlaw.com/scripts/getcase.pl?court=us&vol=158&invol=564 
この判決の意義はレイバーインジャクションと労働争議へのシャーマン法の適用を支持した。つまり1894年のプルマンストライキにおいて、郵便車両運行の妨害が行われたが、連邦政府の営業(郵便)は財産であること、これを保護するに普通法上の救済では不十分であること、州際通商を妨害するストは公的不法妨害であることを確認し、又、州際通商妨害抑止のため、法務総裁の申し立てに基づく差止命令の利用を認めたシャーマン法(1890年)の労働争議への適用を承認した法の労働争議への適用を消極的ではあるが支持したことにある。
 これによって労働争議は衡平法管轄権にとりいれられ、レイバーインジャンクションの著名な歴史がはじまった(山内久史「アメリカ連邦労働政策の変化とレイバーインジャンクションの機能 : ノリスー・ラガーディア法の成立とタフト・ハートレー法以後の展開」『早稲田法学会誌』36巻1986http://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/handle/2065/6448)決定的意義である。
  私は、シャーマン法が、起草者のシャーマン上院議員は意図していなかったにせよ、労働組合にも適用され、鉄道ストや二次的ボイコットのような労働争議の抑止力となった点を高く評価したいのである。労働組合の本質が、本来は不法な取引=営業の制限と競争の抑止にある以上、営業制限の法理というコモン・ローのアプローチを採用したシャーマン法に適用されたのは道理で不可解な事では全くないと解釈するものである。
 池田信夫ブログの「春闘というカルテル」http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/153f6e42c9974b9fecb8587809017d50、を見てください。賃金カルテルが労働組合の本質でもあるわけです。
 賃金カルテルは18世紀の代表的な法曹の見解によればコンスピラシーであり犯罪だった。法曹の大御所であったマンスフィールド卿(王座裁判所King,s Bench主席裁判官、近代において最も偉大な法曹の一人)の1783年のエックレス事件の意見は傍論ではあるがよく引用される。「起訴状に共謀を実現する手段を記述する必要はない。何故ならば犯罪は害悪を何らかの手段をもって実現する目的のもとに、共謀することにあるからである。違法な結合が犯罪の眼目である。商品を所有する者は個人として自己の欲する価格でそれを販売し得る。しかし彼等が一定価格以下では販売しないことを共謀し、合意するならば、それはコンスピラシーである。同様にあらゆる人間は自己の好む場所で労働できる。しかし、一定価格以下では労働しないとして団結することは、起訴さるべき犯罪である」(片岡曻『英国労働法理論史』有斐閣1952)つまり団結・労働組合は刑事共謀そのもの犯罪団体であることを本質としております。それを労働基本権とか言って、人権だなどというのはちゃんちゃらおかしいわけであります。

 1890年制定シャーマン法第1条は「州際、外国との間の取引あるいは通商を制限する全ての契約、トラストその他の形態の団結、共謀を不法とする」ものだが、「契約」「団結」「共謀」という文言が労働組合を包含するのかという問題について、労働組合を本法の適用外におくという修正条項も検討された。ところが法案提出の最終段階で修正条項が脱落したといわれている。それは議会が労働組合も脅威と認識されていたことを示す。我が国でも独占禁止法は労働組合にも適用できるようにし取り締まることによって駆逐するというのが私の考えであリます。
 シャーマン法が労働組合に適用された最初の事件は1893年3月25日のニューオーリンズの荷馬車馭者組合の同盟罷業と他の組合の同情罷業が、州際ないし国際間の取引商品の輸送を完全に遮断したという理由で検察側のインジャンクションを許した事例であるが(田端博邦「アメリカにおける「営業の自由」と団結権 」東京大学社会科学研究所研究報告 第18集『資本主義法の形成と展開  2』東京大学出版会1972年)
  しかし、ストライキの規模の大きさという点で1894年プルマンストライキの労働争議差止命令の意義が大きい。

   (1894年プルマンストライキの概要)

 シカゴのプルマン寝台車会社は寝台車や展望車を製造し、シカゴに集まるすべての鉄道会社と契約して、会社の車両を旅客列車に連結して料金を徴収し営業を行い、寝台車の客室サービスもプルマン寝台車会社の直営だった。
 1894年5月、20%賃下げの提案をめぐって労働争議となり、労使交渉は進捗せずストライキが続いていたが、6月26日からデブスを組合長とする産業別組合のアメリカ鉄道従業員組合が、プルマン車の連結した列車の取り扱いを拒否する、一種のボイコットを行った。このためプルマン車と契約関係にあるすべての鉄道会社が紛争に巻き込まれ、当時はまだ自動車輸送が発達していなかったので、州際取引商品の輸送が止まり、郵便も止まった。
 6月30日にシカゴ駐在の連邦司法検事は首都の法務総裁に次のように報告した。「29日夜ストライキ参加者によって郵便車が止められ、機関車が切り離されて動かなくなった。情勢は次第に切迫し、あらゆる列車がとまるおそれがある。執行吏に、列車に乗り込んで郵便を守り、妨害者を逮捕し、執行代行者を雇い入れる権限を与えることが望ましい」。 法務総裁はこの提案を認め、時のクリーブランド大統領はインジャンクションを裁判所に申請した。
 その根拠は第一に憲法及び普通法の下において郵便および州際取引は連邦政府の専管に属するものであり、その保護には連邦裁判所が差止命令によって干渉する権能を有する。第二に1890年7月2日に成立したシャーマン法が州際間の営業または取引を制限する共謀は違法であると宣言され、連邦巡回裁判所にこの種の共謀を防止し差止める権限が付与されていることであった。
 全般的差止命令は7月3日に送達された。
 内容は大略して被告デブス、ハワード…ならびにかれらと団結し共謀するすべてのものに下記の行為を禁止するものあった。
 州際の旅客並びに貨物の運送人としての業務、郵便車、州際取引に従事する列車、機関車、車輌、鉄道会社の財産につき業務を妨げ、阻止しまたは停止する行為。鉄道の構内に上記の目的で立ち入る行為、信号機に対する同様の行為、鉄道会社の従業員の何人に対してでも、従業員としての義務の履行を拒みまたは怠るよう、威嚇、脅迫、説得または暴力を用いて強要しまたは勧誘し、あるいはそれを企てる行為、従業員になろうとする者を同様の手段で妨げる行為、州際輸送を妨害するための共謀、団結の一環をなすすべての行為、上掲のいずれかの行為を行うよう命令、指令。幇助、助成する行為。
 しかし7月3日の状況は、ロック・アイランドの連絡駅で、2千から3千人の暴徒の群れが占拠していて、郵便車を転覆させ、すべての車輌の通過を妨害した。解散命令には応じず、嘲笑と怒声になった。さらに暴徒は数台の手荷物車を横倒しにしたため、軍隊の出動が要請された。夜9時には陸軍司令官の出動命令を出され、軍隊が到着したが、鉄道施設の破壊や焼打ちが行われ、連邦裁判所の差止命令に公然たる挑戦がなされた。
 しかし6日に逮捕が進行し、8日に大統領より市民は暴徒に近づかないよう告示が出された。10日にはデブスら労働組合幹部が逮捕され、20日には軍隊が去りストライキは終息した。 ( 有泉亨「物語労働法12第11話レイバー・インジャンクション」『法学セミナー』1971年8月号)

  レイバーインジャンクションはアメリカ法の南北戦争後の発展によるものである。山内久史(前掲論文)によると、使用者の営業権は財産権ではなく人格権と理解されていたし、取引を制限するような団結は犯罪であると解されていた。労働争議を衡平法管轄権に委譲する制定法はなかったが、南北戦争後のアメリカ産業の発展にともなう複雑な社会問題に対応するためには普通法の事後的損害賠償では救済は不十分だった。又、陪審員が介在する刑事訴追手続きでは審理が遅延するため、違法行為の抑止のためには衡平法上の手続と法定侮辱罪の利用を求められるのは当然だった。
 差止命令は略式手続で迅速に発給され、それに従わない被告は法定侮辱罪を構成するので、労働争議抑圧に効果的であったのである。
 そのために財産権は有体財産から無体財産に拡大し、従来人格権とされていたものの保護に衡平法上の手続と救済を与え、犯罪を公的不法妨害、法定侮辱罪で処罪できるようにした。
 
 このアメリカ法の発展は当然のものと考える。ストライキは法と秩序を破壊しするだけでなく、法は営業と誠実な勤勉さを奨励するという伝統的なパプリックポリシーに沿ったものである。
 「事業」は「財産」と同義と理解された。事業運営、事業に伴う取引の妨害は財産権の侵害であり保護されるべきものである。
 また「不法侵入」は会社所有地の侵入のみならず、事業の持続的運営への干渉(例えば列車運行の妨害、就労妨害、スト参加の勧誘)も含むようになった。
 重要なことは、雇用主非組合員の個人的自由も財産権と明快に示されたことである。1892年の連邦最高裁コーダレーン判決である。
 したがって、この時代は組合が非組合員の就労を妨害し、雇用契約や労働条件を統制したり支配することは財産権の侵害とみなされていた。イギリスでは、クローズドショップが違法となり、非組合員の解雇を求める二次的争議行為が違法とされたのはサッチャー政権以降のことであるが、アメリカ法が19世紀に非組合員の権利をすでに擁護していたことを評価したい。
 雇用主がスト破りを処遇する自由、従業員を解雇する自由も財産権であるから、それに圧力をかけることは違法とされたのである。(竹田有「アメリカ例外論と反組合主義」古矢旬・山田史郎編『シリーズ・アメリカ研究の越境第2巻権力と暴力』ミネルヴァ書房2007年)
 

 

色が変わって良くなったインフォシーク

楽天のコーポレートカラーがクリムゾンで(三木谷社長がハーバードでMBAを取得しハーバードのスクールカラーにちなんでコーポレートカラーにした)。イーグルスのユニフォームもこの色が基調である。インフォシークもこの色が基調だったが、デザインが変わってオレンジ色になっているhttp://www.infoseek.co.jp/。このほうが見栄えがする。私は、デザインのセンスがほとんどない人間だか、三木谷が学歴を誇示し母校を愛することに文句は言わないが、ポータルサイトとしてはクリムゾンは見栄えがしないと思っていた。

2009/03/03

感想 P・オスターマン『アメリカ・新たなる繁栄へのシナリオ』(1)

 伊藤・佐藤・田中・橋場訳ミネルヴァ書房2003年

 オスターマンMIT教授が内部労働市場の分析からアメリカの非組合セクターと日本の大企業の経営が類似していることを指摘した学者である。
 つまり日本的経営といわれるものは特殊なものではない。我が国固有の文化でも全くない。
 このことは序文で述べているとおりである。「例えば50年代から80年代半ばまではアメリカの労働市場は多くの点で日本の労働市場によく似ていた。経済の中核をなす企業では、従業員は終身雇用といわゆる内部労働市場のルールを享受していたとする考え方が有力」しかしこのシステムは80年代半ばに崩壊していくのである。

 池田信夫ブログ「19世紀には労働者は派遣だった」http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/78d36ac0e6fa382a3cdfa1e4cfd43669によると---「終身雇用は日本の文化や伝統に根ざしたものだ」という御手洗富士夫氏の主張は、論理的にも歴史的にも根拠がない。長期雇用は、垂直統合という20世紀に固有の企業統治システムの副産物にすぎない。----としているとおりである。
 アメリカにおいては1920年代に労働組合の組織化運動を挫折させるために指導的なノンユニオン企業がウェルフェアキャピタリズムとして知られている、温情主義的な企業ベースの企業年金、医療保険の給付制度を創設している。その基本思想は「経営者は労使の一方を擁護する存在ではなく、事業全体の受託者である。経営者の責任には、経済的責任と同時に労働者の雇用、安全、賃金を保障する責任がある。」PDF(百田義治より引用)http://www.jalm.jp/yoko08/05.pdfアメリカの会社法が株主の利益のためにあるとしても80年代以前の実態はそうではなかった。ある意味で日本企業とそう変わりなかった。この理念に見られるように、経営者は制度の受託者として従業員の生活に責任を持つと考え方は実はアメリカ起源なのである。
 ウェルフェアキャピタリズムは大恐慌で崩壊するが、ベストプラクティスとしての会社イメージを確立し、コダックなど大恐慌でも組合の組織化を許さなかったノンユニオン企業に継承された。コダックが暗黙の前提としてのノーレイオフ、オープンドアーポリシーや有給休暇などで先進的であり、レクリエーション活動を重視する在り方は日本の経営家族主義に類似しているように思える。
 アメリカでは組合セクターより、IBM、デジタルエキップメント、プロクター&ギャンブルといった典型的な組合不在企業がノーレイオフポリシーで雇用保障が前提の経営を行っていた。日本の大企業の終身雇用と基本的におなじである。
 しかしコダックなどは90年代にウォール街からの圧力で大規模なリストラをせざるをえなくなったのである。
 デジタルエキップメントが気前の良い給料、従業員に充実した福祉を提供する企業として有名であり、まさにウェルフェアキャピタリズムの継承者のようであったが、結果的にはコンパックに買収される羽目となった。

 ダウンサイジング、リエンジニアリングが当たり前になったのは80年半ば以降であるが、いかなる経営環境の変化によるものか。76頁に一つの回答がある。一つはレバリッジドバイアウトの増大、二つめは機関投資家ヘの株主所有の集中拡大だった。1965年には個人が会社の株式の84%を保有していたが、90年までに54%に低下し、94年には上場1000社のうち機関投資家は株式の57%を保有することとなった。機関投資家が経営者に高い水準の業績を要求するようになった。いわゆる株主優位、株主主権という流れがあり、投資家からの圧力で雇用保障や従業員福祉がリスクになっていった。経営者の優先順位が変わったのである。80年代半ば以前は経営者の関心がヒューマン・リレーションズ政策であったのが、厳格な財務規律が重んじられるようになったということのようだ。(続く)

 

2009/03/01

オープンショップ運動・レイバーインジャンクション・ウェルフェアキャピタリズム1920年代黄金時代の意義(1)

  非組合員の権利という観点から20世紀初期から1920年代にかけての全米製造業協会などの反労働組合運動(団体交渉・協約締結拒否)としてのオープンショップ運動を私は高く評価します。以前にも書きましたが構成を改めて再掲します。
   
   
    オープンショップ運動の理念が正しい
   
  イギリスでかつて労働組合が強かった理由の一つにクローズドショップによる労働市場と労働過程、従業員の支配がある。オープンショップ運動はクローズドショップを個々の労働者の権利と自由を否定する非アメリカ的なものとして徹底的に排除する雇用主の政策である。実質的には団体交渉や協約など労働組合の関与を否定する運動なのである。その組合敵視主義について水町勇一郎の著作(註1)が1901年採択されたの全国金属業者協会の基本方針が引用されている。
   
1 被用者に関して---われわれ使用者は、労働者が行う作業に対し責任を負っている。したがって、われわれがだれがその作業を行う能力をもち、その作業を行わせるにふさわしいかを決定する裁量を専権的に有している。かりに労働組織が適切に機能することを妨げる意図がなくても、われわれはわれわれの経営に対するいかなる干渉も容認しない。
   
2  ストライキとロックアウト---本協会は、労使紛争の解決のためにストライキやロックアウトを行うことを承認しない。本協会は、すべての合理的手段が失敗に終わったとき以外にロックアウトを認めないし、ストライキを行っている被用者たちを一つの集団として扱うことをしない。
 
3 被用者の関係---工場で働く労働者は、そのすべての同僚被用者と平和にかつ協調的に働き、使用者の利益のために忠誠を尽くして働かなければならない。

 
  私はオープンショップ運動にこそアメリカ社会の基層に健全なものを見ることができると考えております。

 1920年代のハーディング、クーリッジの共和党政権・タフトコートの保守的な連邦最高裁時代というのは、オープンショップ運動とレイバーインジャンクション(労働争議の差止命令)の多用、あるいは黄犬契約といった、明確な反組合主義と、より洗練されたあり方としてはウェルフェアキャピタリズムと呼ばれる従業員に友好的で温情主義的な経営手法などにより労働組合の組織化の挫折がはかられた時代なのて゜ある。労働組合の組織率は、1920年に17.5%であったものが、1930年に9.3%にまで低下した(註2)。私が1920年代を称賛するのはそのためである。

 このまま推移していけばアメリカは自由主義経済の健全な社会として推移していったはずであるが、大恐慌とニューディール政策によって著しく左傾化することになる。
 フランクファーターのような左翼急進主義者による企みであった1932年のノリスラガーディア法という反インジャンクション法により平穏なビケッティング・集会などの労働組合活動が制定法で判例を覆すかたちで法認され、黄犬契約が規制され、これがアメリカ社会左傾化の第一歩であった。1935年の全国労働関係法(ワグナー法)により民間企業労働者に団結権・団体交渉権および団体行動を実体的権利として規定し、労働組合を強化することになった。20年代のデトロイトは組合の組織化を阻止してきたが、UAW(全米自動車労組)は1935に結成され1937年にGMとクライスラーが組織化されたのである。「赤い30年代」と呼ばれるこの時代、失業者が都市にあふれて不穏な社会情勢だったが、座り込みストのような悪質なストライキがあったこともあるが、団体交渉による産業平和の確立というのはニューディール政策なのであって、ノリスラガーディア法とワグナー法がなければ、産業別組合の台頭はなかったはずである。もっとも戦時期に著しく労働組合が増大したこと、1946から47年にストライキが多発したことから、労働組合の権利を抑制するため1947年のタフトハートレー法では、クローズドショップの禁止、二次的ボイコットなど「不当組合行為」を規定し、刑事罰の適用を導入して、直接行動に大きく枠をはめるとともに、「冷却期間」をもうけてストライキを抑制し、工場現場のワークルールの経営権の回復と、フォアマン(職長)層の労働組合組織化が否定され(註3)、行き過ぎは修正されたが、タフトハートレー法はよりましなものとはいえ、ワグナーへ法の基本的枠組みを変更するものではない。
  我が国ではキレン経済科学局労働課長のような労働組合主義者によって戦後の労働政策が推進されたためタフトハートレー法ほど労働組合を警戒するものにはなっていない。私が不愉快に思うのは、今日、政治家であれ官僚であれ学者であれ、戦後教育を受けた世代になっていて、そもそも1930年代の一政策にすぎない、労働基本権や失業対策にすぎなかった公正労働基準法のような労働者保護立法を自明の前提としていることである。戦後レジームの粉砕を叫ぶ保守主義者ですら、労働三法の見直しを口にしている人をなかなか見いだすことができない。
  そもそも争議行為は、契約違反の誘致行為、契約の履行不能をもたらす行為、強迫、共謀、営業妨害など理由として、コモン・ロー上の不法行為を構成する。
 ストライキ以前の問題として、コモンローの理論を遡っていくと、営業制限の法理ににもとづく営業の自由のコロラリーとしての個人の労働の自由、労働力取引の自由を阻害するものとして、「取引を制限するコンスピラシー」(doctrine of restraint of trade)ないし「他人の取引を侵害するコンスピラシー」(conspiracy to injure of another)の概念構成により、労働者の団結そのものも、コンスピラシー(共謀)の要件に該当するものとして把握されていた。
 犯罪とされていたものを権利とする。他人の権利を侵害することを権利とする労働基本権が正義に反することはいうまでもない。ハーディングの言葉を借りれば「正常への復帰」のために労働基本権を否定すべきである。

 重要なことは20世紀初頭のオープンショップ運動は、セオドア・ルーズベルト政権の商務労働省においても支持されていたことである。
 セオドア・ルーズベルトの「スクエアディール」施策としてストライキへの積極介入がある。1902年ペンシルヴァニアの無煙炭坑労働者のストライキの介入がよく知られているが、労使双方をホワイトハウスに呼んで、調停委員会を任命し、ストライキを収拾したが、調停委員会は概ね資本側の意向に即して人選され1903年に裁定を下している。そこで10%賃上げと9時間労働の設定で労働者の要求に応えたが、組合活動については、反組織労働の線を明確にした。すなわち裁定は組合員であるか否かによる差別や非組合員に対する組合の干渉を禁じただけでなく、「非組合員の権利は組合員のそれと同様に神聖である。多数派が組合を結成することにより、それに加入しない者に関しても権限を得るという主張は支持できない。」と明記された。オープンショップ運動はこの時期から本格化していく(註4)。セオドア・ルーズベルトはコーポラティズムを指向した革新主義的政治家ともみなされるが、組織労働者に決定的な権利を付与することはなかったと言う点で、フランクリン・ルーズベルトよりずっとましな政治家だった。 
 オープンショップ運動の非組合員の権利は神聖であるという趣旨は、個人の労働力取引の自由と就業の権利、団体行動をしない権利を尊重するものだろう。
 そうすると、現行の全国労働関係法は、従業員の3割の署名にもとづき組合代表選挙による過半数の支持によって労働組合が排他的交渉代表権をうることになり、労働協約が締結されると、個別契約は否定され非組合員でも協約が適用されるので、個人の労働力取引の自由、契約の自由は侵害されることになる。つまり多数決で個人の自由が侵害されるものであるから、非組合員の権利は決して尊重されているわけではない。
 もっとも、1947年のタフトハートレー法ワグナー法の「団結する権利、労働団体を結成・加入・支援する権利、自ら選んだ代表者を通じて団体交渉を行う権利、および、団体交渉またはその他の相互扶助ないし相互保護のために、その他の団体行動を行う権利」に対し、「それらの行動のいずれかを、またはいずれも行わない権利を有する」(7条) と定め消極的団結権、団体行動を行わない権利を労働者に付与して、労働組合主義奨励ではなく、中立立法としたし、セクション14(b)によって、雇用条件として労働者に組合加入と組合費の支払いを義務づける組合保障協定を定めた労働協約の交渉を禁止することを州の権限として認めた。いわゆる労働権法(Right to Work law)であるが、それは強制的に組合員となり組合費を徴収されないだけで、労働協約の適用から逃れられるわけではないので、本質的な意味でのRight to Work lawではないのである。
 私は南部諸州が労働権法(Right to Work law)を制定していることを評価はするが、それが最善のものだとは言っていない。現行法制の枠組では労働権州が良いと言っていっているだけ。ロックナー時代のオープンショップポリシーこそ望ましいの在り方である。
 
 オープンショップ運動を全国的な運動に結集する要の役割を果たしたのが全国製造業者協会(NAM-National Association of Manufacturers)http://www.nam.org/s_nam/index.aspである。NAMは1895年に輸出増進を主眼として設立された団体だが、労使関係の危機意識が高まるなかで1903年に反労働組合戦線結成の大会を開き124の経営者団体が参加した。ここでアメリカ市民産業連盟(CIAA)が設立され、NAMの組織を基盤にオープンショップ運動を展開、NAMはレイバーインジャンクション(労働争議における裁判所の差止命令)の要請、組合指導者の告発、損害賠償の訴追を積極的に行った。1907年にNAM主導で全国産業防衛協議会(NCID-後の全国産業協議会NIC)が設立された(註5)。
  第一次世界大戦参戦は「アメリカ史上まれにみる労働組合の勢力拡大期」とされる。その理由は1918年全国戦時労働理事会(NWLB)の設置である。NWLBはリベラル派が推進した産業民主主義路線で、ストを禁止したものの団体交渉と賃金・作業の標準化を厳しく貫き1150件に及ぶ仲裁を行った結果、AFLの組合員数は戦中に100万人も増加したのである。戦時協力が口実になって雇用主が嫌悪する団体交渉が促進されたのである。
 しかし戦後になると雇用主の多くは、組合活動を敵視する戦前の態度に戻った。戦中の賃金上昇は戦後の急激なインフレで意味を失った。政府は平時経済への転換や復員兵の労働市場復帰の対策は行わなかった。
 そうした状況で1919年に400万人以上の労働者がストライキに入ったとされるが、鉄鋼ストが最大である。労働組合は鉄鋼資本側の反組合的攻勢に対し、団体交渉権の承認、8時間労働制度、週休1日制度(当時は一日12時間週7日労働)、24時間交代制の廃止、8時間以上の超過勤務手当、日曜休日労働の2倍賃金、組合費の給与天引などを要求し、9月22日からストに入り、29日には鉄鋼労働者の9割36万5600人がストに参加したが、軍隊の動員、全国産業会議での決裂、合同組合の度重なる離反で勢いが弱まり、1920年1月8日になお10万人の労働者が職場を離脱していたにもかかわらず、組合はなんの譲歩も引き出せずに、ストは終結した(註6)。この鉄鋼ストの完全敗北で労働組合の衰退は決定的になった。20年代を通じて組織率は低下していくのである。

  第一次大戦後、1919年秋の鉄鋼ストの完全敗北は、経営者に労働者の戦闘性と労働組合主義の伝播を阻止しようとする決意を強めさせた。19年末までに全国鋳造業協会、全国製造業者協会、全国金属産業協会などが戦前のオープンショップ論を再び鼓吹し始め、20年秋までにオープンショップ諸協会の全国ネットがつくられ、ニューヨーク州の50団体、イリノイ州の46団体、ミシガン州の23団体が加わった。1920年の大統領選挙では「正常への復帰」をスローガンとする共和党ハーディングが勝利し、保守的なムードが国中に漂ったが、ロシア革命などの世界情勢から1920年夏にアカ恐怖ヒステリーがピークに達し、組織労働者が共産主義にかぶれているという抜きがたい公衆の疑惑は、オープンショップ運動に有利に働き、人々には革新主義への敵意が広がったのである(註7)。労働者の戦闘性は急激に減退した。ストライキ件数は1920年の3411件から、22年には1112件に落ち、組合員が100万人以上減少したのである(註8)。
 
 なおクローズドシッョプ協定は今日では合衆国では1947年タフトハートレー法、イギリスでは制定法でもコモンローでも否定され、過去のものとなっている。(関連して言うとイギリスではユニオンショップも否定されている。また合衆国では1947年タフト・ハートレー法で被用者に団体行動に関与をしない権利を定めており、ユニオンショップ協定は容認しているが、数々の規制を設け、組合に対する誹謗中傷、組合秘密の漏洩、スト破りを理由に解雇を要求できなくし、不当に高額な組合加入費を要求することもできなくし、ショップ制は事実上組合費徴収の手段となった。労働組合が従業員を支配しやすいユニオンショップ協定は実質的に否定されている。又、タフト・ハートレー法は労働権法(Right to Work law-雇用条件として労働組合員たることを要求されない被用者の権利-結果として全ての組合保障条項が否定される)を制定している南部を中心とする22州とグァムではhttp://www.nrtw.org/rtws.htm、連邦法の適用下にある州際産業の工場、事業場についても、それが州の地理的領域内にある限りユニオンショップ制を禁止する州のの権限を承認していることはすべに述べたとおりである。但し、1951年改正鉄道労働法が州のいかなる法律の条項にかかわらずユニオンショップ協定を認めた。これは組合側の巻き返しでもあるが、鉄道業が州際産業としての性格が強く、地理的条件でショップ制が異なる混乱を避けるためのものと思われる)
 アメリカの風土でクローズドショップによる労働市場、労働過程の組合の支配が嫌悪されるのは当然のことです。イギリスでは労働者の移動性が高く、労働過程の職人的技能に依存した時代に労働組合が成長し、組合は徒弟制とクローズドショップによる労働市場の支配、人員配置その他様々な仕事規則をもってする労働過程の支配によって力を構築した。これがイギリスの産業の弱点になった。産業革命最先進国であったにもかかわらず、大量生産技術、体系的人事管理をともなう第二次産業革命に適応できず、欧米の競争国のような急速な大規模企業、大量生産企業の創出を困難とした(註9)。 
 そういう意味でもオープンショップ運動はアメリカ社会の健全性の証である。
 (続く)
(註1)水町勇一郎『集団の再生―アメリカ労働法制の歴史と理論』有斐閣2005年
       56頁
(註2)前掲書53頁

(註3)竹田有「アメリカ例外論と反組合主義」古矢旬・山田史郎編『シリーズ・アメリカ研究の越境第2巻権力と暴力』ミネルヴァ書房(京都)2007年 197頁以下

(註4)(註5)長沼秀典・新川健三郎『アメリカ現代史』岩波書店1991 297~300頁

(註6)黒川博『U.S.スティール経営史』ミネルヴァ書房(京都)1993

(註7)S.M.ジャコービィ『雇用官僚制』増補改訂版2005年 217頁

(註8)前掲書220頁

(註9)前掲書9頁

その他引用、参考『世界歴史体系 アメリカ史2』山川出版社1998

辻本慶治『アメリカにおける労使の実態』酒井書店1969 Ⅴ「アメリカにおけるライク・トウ・ワーク立法について」207頁以下

平尾・伊藤・関口・森川編著『アメリカ大企業と労働者-1920年代労務管理史研究』北海道大学出版会
1998年

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