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2009/03/01

オープンショップ運動・レイバーインジャンクション・ウェルフェアキャピタリズム1920年代黄金時代の意義(1)

  非組合員の権利という観点から20世紀初期から1920年代にかけての全米製造業協会などの反労働組合運動(団体交渉・協約締結拒否)としてのオープンショップ運動を私は高く評価します。以前にも書きましたが構成を改めて再掲します。
   
   
    オープンショップ運動の理念が正しい
   
  イギリスでかつて労働組合が強かった理由の一つにクローズドショップによる労働市場と労働過程、従業員の支配がある。オープンショップ運動はクローズドショップを個々の労働者の権利と自由を否定する非アメリカ的なものとして徹底的に排除する雇用主の政策である。実質的には団体交渉や協約など労働組合の関与を否定する運動なのである。その組合敵視主義について水町勇一郎の著作(註1)が1901年採択されたの全国金属業者協会の基本方針が引用されている。
   
1 被用者に関して---われわれ使用者は、労働者が行う作業に対し責任を負っている。したがって、われわれがだれがその作業を行う能力をもち、その作業を行わせるにふさわしいかを決定する裁量を専権的に有している。かりに労働組織が適切に機能することを妨げる意図がなくても、われわれはわれわれの経営に対するいかなる干渉も容認しない。
   
2  ストライキとロックアウト---本協会は、労使紛争の解決のためにストライキやロックアウトを行うことを承認しない。本協会は、すべての合理的手段が失敗に終わったとき以外にロックアウトを認めないし、ストライキを行っている被用者たちを一つの集団として扱うことをしない。
 
3 被用者の関係---工場で働く労働者は、そのすべての同僚被用者と平和にかつ協調的に働き、使用者の利益のために忠誠を尽くして働かなければならない。

 
  私はオープンショップ運動にこそアメリカ社会の基層に健全なものを見ることができると考えております。

 1920年代のハーディング、クーリッジの共和党政権・タフトコートの保守的な連邦最高裁時代というのは、オープンショップ運動とレイバーインジャンクション(労働争議の差止命令)の多用、あるいは黄犬契約といった、明確な反組合主義と、より洗練されたあり方としてはウェルフェアキャピタリズムと呼ばれる従業員に友好的で温情主義的な経営手法などにより労働組合の組織化の挫折がはかられた時代なのて゜ある。労働組合の組織率は、1920年に17.5%であったものが、1930年に9.3%にまで低下した(註2)。私が1920年代を称賛するのはそのためである。

 このまま推移していけばアメリカは自由主義経済の健全な社会として推移していったはずであるが、大恐慌とニューディール政策によって著しく左傾化することになる。
 フランクファーターのような左翼急進主義者による企みであった1932年のノリスラガーディア法という反インジャンクション法により平穏なビケッティング・集会などの労働組合活動が制定法で判例を覆すかたちで法認され、黄犬契約が規制され、これがアメリカ社会左傾化の第一歩であった。1935年の全国労働関係法(ワグナー法)により民間企業労働者に団結権・団体交渉権および団体行動を実体的権利として規定し、労働組合を強化することになった。20年代のデトロイトは組合の組織化を阻止してきたが、UAW(全米自動車労組)は1935に結成され1937年にGMとクライスラーが組織化されたのである。「赤い30年代」と呼ばれるこの時代、失業者が都市にあふれて不穏な社会情勢だったが、座り込みストのような悪質なストライキがあったこともあるが、団体交渉による産業平和の確立というのはニューディール政策なのであって、ノリスラガーディア法とワグナー法がなければ、産業別組合の台頭はなかったはずである。もっとも戦時期に著しく労働組合が増大したこと、1946から47年にストライキが多発したことから、労働組合の権利を抑制するため1947年のタフトハートレー法では、クローズドショップの禁止、二次的ボイコットなど「不当組合行為」を規定し、刑事罰の適用を導入して、直接行動に大きく枠をはめるとともに、「冷却期間」をもうけてストライキを抑制し、工場現場のワークルールの経営権の回復と、フォアマン(職長)層の労働組合組織化が否定され(註3)、行き過ぎは修正されたが、タフトハートレー法はよりましなものとはいえ、ワグナーへ法の基本的枠組みを変更するものではない。
  我が国ではキレン経済科学局労働課長のような労働組合主義者によって戦後の労働政策が推進されたためタフトハートレー法ほど労働組合を警戒するものにはなっていない。私が不愉快に思うのは、今日、政治家であれ官僚であれ学者であれ、戦後教育を受けた世代になっていて、そもそも1930年代の一政策にすぎない、労働基本権や失業対策にすぎなかった公正労働基準法のような労働者保護立法を自明の前提としていることである。戦後レジームの粉砕を叫ぶ保守主義者ですら、労働三法の見直しを口にしている人をなかなか見いだすことができない。
  そもそも争議行為は、契約違反の誘致行為、契約の履行不能をもたらす行為、強迫、共謀、営業妨害など理由として、コモン・ロー上の不法行為を構成する。
 ストライキ以前の問題として、コモンローの理論を遡っていくと、営業制限の法理ににもとづく営業の自由のコロラリーとしての個人の労働の自由、労働力取引の自由を阻害するものとして、「取引を制限するコンスピラシー」(doctrine of restraint of trade)ないし「他人の取引を侵害するコンスピラシー」(conspiracy to injure of another)の概念構成により、労働者の団結そのものも、コンスピラシー(共謀)の要件に該当するものとして把握されていた。
 犯罪とされていたものを権利とする。他人の権利を侵害することを権利とする労働基本権が正義に反することはいうまでもない。ハーディングの言葉を借りれば「正常への復帰」のために労働基本権を否定すべきである。

 重要なことは20世紀初頭のオープンショップ運動は、セオドア・ルーズベルト政権の商務労働省においても支持されていたことである。
 セオドア・ルーズベルトの「スクエアディール」施策としてストライキへの積極介入がある。1902年ペンシルヴァニアの無煙炭坑労働者のストライキの介入がよく知られているが、労使双方をホワイトハウスに呼んで、調停委員会を任命し、ストライキを収拾したが、調停委員会は概ね資本側の意向に即して人選され1903年に裁定を下している。そこで10%賃上げと9時間労働の設定で労働者の要求に応えたが、組合活動については、反組織労働の線を明確にした。すなわち裁定は組合員であるか否かによる差別や非組合員に対する組合の干渉を禁じただけでなく、「非組合員の権利は組合員のそれと同様に神聖である。多数派が組合を結成することにより、それに加入しない者に関しても権限を得るという主張は支持できない。」と明記された。オープンショップ運動はこの時期から本格化していく(註4)。セオドア・ルーズベルトはコーポラティズムを指向した革新主義的政治家ともみなされるが、組織労働者に決定的な権利を付与することはなかったと言う点で、フランクリン・ルーズベルトよりずっとましな政治家だった。 
 オープンショップ運動の非組合員の権利は神聖であるという趣旨は、個人の労働力取引の自由と就業の権利、団体行動をしない権利を尊重するものだろう。
 そうすると、現行の全国労働関係法は、従業員の3割の署名にもとづき組合代表選挙による過半数の支持によって労働組合が排他的交渉代表権をうることになり、労働協約が締結されると、個別契約は否定され非組合員でも協約が適用されるので、個人の労働力取引の自由、契約の自由は侵害されることになる。つまり多数決で個人の自由が侵害されるものであるから、非組合員の権利は決して尊重されているわけではない。
 もっとも、1947年のタフトハートレー法ワグナー法の「団結する権利、労働団体を結成・加入・支援する権利、自ら選んだ代表者を通じて団体交渉を行う権利、および、団体交渉またはその他の相互扶助ないし相互保護のために、その他の団体行動を行う権利」に対し、「それらの行動のいずれかを、またはいずれも行わない権利を有する」(7条) と定め消極的団結権、団体行動を行わない権利を労働者に付与して、労働組合主義奨励ではなく、中立立法としたし、セクション14(b)によって、雇用条件として労働者に組合加入と組合費の支払いを義務づける組合保障協定を定めた労働協約の交渉を禁止することを州の権限として認めた。いわゆる労働権法(Right to Work law)であるが、それは強制的に組合員となり組合費を徴収されないだけで、労働協約の適用から逃れられるわけではないので、本質的な意味でのRight to Work lawではないのである。
 私は南部諸州が労働権法(Right to Work law)を制定していることを評価はするが、それが最善のものだとは言っていない。現行法制の枠組では労働権州が良いと言っていっているだけ。ロックナー時代のオープンショップポリシーこそ望ましいの在り方である。
 
 オープンショップ運動を全国的な運動に結集する要の役割を果たしたのが全国製造業者協会(NAM-National Association of Manufacturers)http://www.nam.org/s_nam/index.aspである。NAMは1895年に輸出増進を主眼として設立された団体だが、労使関係の危機意識が高まるなかで1903年に反労働組合戦線結成の大会を開き124の経営者団体が参加した。ここでアメリカ市民産業連盟(CIAA)が設立され、NAMの組織を基盤にオープンショップ運動を展開、NAMはレイバーインジャンクション(労働争議における裁判所の差止命令)の要請、組合指導者の告発、損害賠償の訴追を積極的に行った。1907年にNAM主導で全国産業防衛協議会(NCID-後の全国産業協議会NIC)が設立された(註5)。
  第一次世界大戦参戦は「アメリカ史上まれにみる労働組合の勢力拡大期」とされる。その理由は1918年全国戦時労働理事会(NWLB)の設置である。NWLBはリベラル派が推進した産業民主主義路線で、ストを禁止したものの団体交渉と賃金・作業の標準化を厳しく貫き1150件に及ぶ仲裁を行った結果、AFLの組合員数は戦中に100万人も増加したのである。戦時協力が口実になって雇用主が嫌悪する団体交渉が促進されたのである。
 しかし戦後になると雇用主の多くは、組合活動を敵視する戦前の態度に戻った。戦中の賃金上昇は戦後の急激なインフレで意味を失った。政府は平時経済への転換や復員兵の労働市場復帰の対策は行わなかった。
 そうした状況で1919年に400万人以上の労働者がストライキに入ったとされるが、鉄鋼ストが最大である。労働組合は鉄鋼資本側の反組合的攻勢に対し、団体交渉権の承認、8時間労働制度、週休1日制度(当時は一日12時間週7日労働)、24時間交代制の廃止、8時間以上の超過勤務手当、日曜休日労働の2倍賃金、組合費の給与天引などを要求し、9月22日からストに入り、29日には鉄鋼労働者の9割36万5600人がストに参加したが、軍隊の動員、全国産業会議での決裂、合同組合の度重なる離反で勢いが弱まり、1920年1月8日になお10万人の労働者が職場を離脱していたにもかかわらず、組合はなんの譲歩も引き出せずに、ストは終結した(註6)。この鉄鋼ストの完全敗北で労働組合の衰退は決定的になった。20年代を通じて組織率は低下していくのである。

  第一次大戦後、1919年秋の鉄鋼ストの完全敗北は、経営者に労働者の戦闘性と労働組合主義の伝播を阻止しようとする決意を強めさせた。19年末までに全国鋳造業協会、全国製造業者協会、全国金属産業協会などが戦前のオープンショップ論を再び鼓吹し始め、20年秋までにオープンショップ諸協会の全国ネットがつくられ、ニューヨーク州の50団体、イリノイ州の46団体、ミシガン州の23団体が加わった。1920年の大統領選挙では「正常への復帰」をスローガンとする共和党ハーディングが勝利し、保守的なムードが国中に漂ったが、ロシア革命などの世界情勢から1920年夏にアカ恐怖ヒステリーがピークに達し、組織労働者が共産主義にかぶれているという抜きがたい公衆の疑惑は、オープンショップ運動に有利に働き、人々には革新主義への敵意が広がったのである(註7)。労働者の戦闘性は急激に減退した。ストライキ件数は1920年の3411件から、22年には1112件に落ち、組合員が100万人以上減少したのである(註8)。
 
 なおクローズドシッョプ協定は今日では合衆国では1947年タフトハートレー法、イギリスでは制定法でもコモンローでも否定され、過去のものとなっている。(関連して言うとイギリスではユニオンショップも否定されている。また合衆国では1947年タフト・ハートレー法で被用者に団体行動に関与をしない権利を定めており、ユニオンショップ協定は容認しているが、数々の規制を設け、組合に対する誹謗中傷、組合秘密の漏洩、スト破りを理由に解雇を要求できなくし、不当に高額な組合加入費を要求することもできなくし、ショップ制は事実上組合費徴収の手段となった。労働組合が従業員を支配しやすいユニオンショップ協定は実質的に否定されている。又、タフト・ハートレー法は労働権法(Right to Work law-雇用条件として労働組合員たることを要求されない被用者の権利-結果として全ての組合保障条項が否定される)を制定している南部を中心とする22州とグァムではhttp://www.nrtw.org/rtws.htm、連邦法の適用下にある州際産業の工場、事業場についても、それが州の地理的領域内にある限りユニオンショップ制を禁止する州のの権限を承認していることはすべに述べたとおりである。但し、1951年改正鉄道労働法が州のいかなる法律の条項にかかわらずユニオンショップ協定を認めた。これは組合側の巻き返しでもあるが、鉄道業が州際産業としての性格が強く、地理的条件でショップ制が異なる混乱を避けるためのものと思われる)
 アメリカの風土でクローズドショップによる労働市場、労働過程の組合の支配が嫌悪されるのは当然のことです。イギリスでは労働者の移動性が高く、労働過程の職人的技能に依存した時代に労働組合が成長し、組合は徒弟制とクローズドショップによる労働市場の支配、人員配置その他様々な仕事規則をもってする労働過程の支配によって力を構築した。これがイギリスの産業の弱点になった。産業革命最先進国であったにもかかわらず、大量生産技術、体系的人事管理をともなう第二次産業革命に適応できず、欧米の競争国のような急速な大規模企業、大量生産企業の創出を困難とした(註9)。 
 そういう意味でもオープンショップ運動はアメリカ社会の健全性の証である。
 (続く)
(註1)水町勇一郎『集団の再生―アメリカ労働法制の歴史と理論』有斐閣2005年
       56頁
(註2)前掲書53頁

(註3)竹田有「アメリカ例外論と反組合主義」古矢旬・山田史郎編『シリーズ・アメリカ研究の越境第2巻権力と暴力』ミネルヴァ書房(京都)2007年 197頁以下

(註4)(註5)長沼秀典・新川健三郎『アメリカ現代史』岩波書店1991 297~300頁

(註6)黒川博『U.S.スティール経営史』ミネルヴァ書房(京都)1993

(註7)S.M.ジャコービィ『雇用官僚制』増補改訂版2005年 217頁

(註8)前掲書220頁

(註9)前掲書9頁

その他引用、参考『世界歴史体系 アメリカ史2』山川出版社1998

辻本慶治『アメリカにおける労使の実態』酒井書店1969 Ⅴ「アメリカにおけるライク・トウ・ワーク立法について」207頁以下

平尾・伊藤・関口・森川編著『アメリカ大企業と労働者-1920年代労務管理史研究』北海道大学出版会
1998年

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