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2009/03/22

感想 藤田英昭「慶応四年の徳川宗家」

   『日本歴史』729号2009年2月。それによると慶応四年二月十二日徳川慶喜が退隠した後、江戸城を預かったのは隠居の田安慶頼(家達の実父-家斉の甥)と前津山藩主で隠居の松平斉民(家斉十六男)だった。両名は南紀派の領袖であって、この期にいたって南紀派勢力が再浮上し徳川家政を掌握したということらしい。田安慶頼を裏で操っていたのが大奥で絶大な勢力を有していた天璋院(家定正室)だった。天璋院と慶頼は政治的に親密な関係にあったが、慶頼は新政府に絶対恭順の姿勢であり、この点、天璋院は全く意見を異にしていたことが注目できる。輪王寺宮、奥羽越列藩同盟諸藩に絶大な期待を寄せ江戸城奪還を願っていたらしい。
 七月九日付け輪王寺宮公現法親王宛天璋院書簡と、仙台藩主伊達慶邦宛天璋院書簡が検討されているが、かなり強硬な新政府批判の発言がみられる。天璋院は上野戦争での新政府の所業について、勅額が掲げられた中堂や山門に発砲し、本堂を焼き払ったことを「悪逆不法」「神敵仏敵共の振舞」と悲憤慷慨した。仙台藩に対しては旧幕脱走兵を扶助したことを感謝し「会津・仙台ハ格別忠義」の藩として手紙を遣わして、薩長を中心とする新政府征討の戦意を鼓舞していたというのである。
 又、天璋院は駿河府中藩七十万石移封と、徳川家臣団解体処分に激昂したという。最後まで江戸城と旧領安堵にこだわっていたのである。家臣団を離散させ朝臣を採用しようとして、新政府にへつらった田安慶頼ら徳川首脳部を批判している。
 要するに、徳川宗家でもっとも反動的・守旧的な政治的見解をもっていたのが天璋院だったということらしい。それは封建制の極北、鹿児島出身だからではないだろうか。

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