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2009/04/18

感想 佐藤長門『日本古代王権の構造と展開』その1

412rdtftgl__sl500_aa240__2  吉川弘文館2009年2月刊。この人は特徴的な見解の先行学説を批判し、比較的破綻のない無難な結論を述べている点、面白みにかけるが、堅実であるとの心証をもった。

1 9世紀初期の王統迭立状況出現の意味 233頁以下

  河内祥輔は平城が朝原内親王(母方祖母聖武皇女井上皇后)との婚姻により直系皇統(聖武)の権威を継受したとしたが、では平城即位、神野親王(嵯峨)立皇太弟はなぜなのか。もちろん、平城皇子の高岳親王は幼少で母方が有力貴族ではないことがある。早良親王立皇太弟の前例はあるし、嵯峨生母は平城と同じく皇后藤原乙牟漏であり、立后が皇太子を引き出す政治行為とみなすと母が皇后であるというその1点だけで有力な皇位継承資格を有するといえるし、保立道久説でも一応説明はできる。桓武皇子で式家所生の三子(平城・嵯峨・淳和)にそれぞれ異母姉妹が配されて優越的王位継承資格に認定されたとするものであるが、福井俊彦だったか神野親王が無視できない政治力を有していたという説明のほうがわかりやすいと思う。
 私が思うに嵯峨妃高津内親王の外戚が軍事官僚の坂上大宿禰氏で、坂上氏を妻としていた藤原内麿とも繋がりがあったのは嵯峨にとってメリットがあったと思う。一方、平城妃朝原内親王を支えていたのが生母桓武妃酒人内親王だが、異母兄妹婚の連続という特殊な事例で、外戚の支援がないのである。従って、平城にとって妃朝原内親王の存在は、今さら聖武との繋がりといっても政治的なメリットはなかったと考えられる。
 著者は、河内祥輔や保立道久の皇統形成原理の説明を批判し、もっと単純にいって皇位継承者に八世紀後半以来の人格的資質を問題とする傾向が継続したためだと言う。「文章経国」を重視する文化的・政治思想的風潮が影響して、理想的天子像の追求がなされたことにより、若年皇太子より、王弟立坊による成年皇太子が選択され、それに王位を先帝の系統に戻そうとする謙譲的な観念が重なって王統迭立状況が現出したとする。なるほどこの見解なら淳和即位、恒世親王立太子指名-辞退、正良親王立坊も破綻なく説明できる。
 しかしこの見解は単純化しすぎた感もある。弘仁元年薬子の変による皇太子高岳親王廃位、大伴親王(淳和)立皇太弟について検討すると、嵯峨皇子の正良親王(仁明)や業良親王が弘仁元年~二年の誕生であり、正良親王生母橘嘉智子は勝気な女性だが、当時高津内親王より地位の低かった夫人位にあり皇后ではない。橘氏が弱かったことからみて当歳での立太子はまずありえない。従って恒世王の父でもある大伴親王立坊は順当な結果であり、特に成年皇太子が望ましいとされていたという説明は不要。また、成年皇太子が望ましいというなら、承和の変で皇太子恒貞親王廃位なら、道康親王(文徳)がすでに元服をすませていたとはいえ、仁明天皇の同母弟である秀良親王が皇位継承候補に浮上してもおかしくないだろう。

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